「アンフォルメルとは何か?」2 特筆されるデュビュッフェの存在感

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ブリヂストン美術館での企画展のタイトル「アンフォルメルとは何か?」は、過去の美術史を紐解いて「アンフォルメル絵画」の概念を定義しなおそうという試みがあるようだが、一般的な絵画ファンはもとよりアンフォルメルに傾倒したおいらのような人間にとっても、至極目障りな試みであると云わねばならない。何となれば、それはまさしくアンフォルメル絵画というものを歴史的な事象として刻印する試みに他ならず、つまりはそれが持つ現代芸術的意味合いを否定するものとなるからである。「アンフォルメル芸術」は決して過去に発生し過去に閉じたムーブメントなのではなかったのてである。

そもそも「アンフォルメル絵画」の名付親は、美術批評家のミシェル・タピエだとされている。日本語で「不定形なもの」を意味するその言葉は、フランスの前衛芸術運動の中での特別な意味と価値とを有するものとなっていた。タピエが先駆者として認めていたのが、ジャン・デュビュッフェ、ジャン・フォートリエ、ヴォルスの3人である。第二次大戦後の混乱期に活動を行っていた3人の作品は、当時の画壇は彼らを黙殺した。新しい動きが根源的であればあるほど保守的な画壇は拒否反応を見せるのだろう。彼らをバックアップしていたタピエの存在は、まさに世界の美術史に於いて特別な意味を付与されるといってもいいだろう。

ところがタピエは、この「アンフォルメル」といった珠玉の概念を拡散しすぎてしまったようだ。猫も杓子も、現代芸術、現代美術といえば、アンフォルメル風なものとして流通させてしまったのである。功罪相半ばする彼への評価は、まさしくこのことによっていると考えてよいだろう。ジャクソン・ポロックの作品までもをアンフォルメル芸術とするのは、批評家の見識さえ疑われて当然である。日本の同展覧会の出品作品もまた拡散した「アンフォルメル風な」作品が幅を利かせているのをみるのは、些か耐えがたい思いさえするのだ。

展覧会場では「ピエール・スーラージュへの6つの質問」というビデオが流されていた。そこでスーラージュは、現代芸術における極めてポイントとなる言葉を語っていたので紹介しておきたい。

「…この言葉(アンフォルメル)は、感じがいいと思います。アメリカ人が使う“抽象的表現主義”より、ずっといい言葉だ。」

「幻視は芸術ではありません。芸術は存在です。私はそれを発見しました」