核の時代のメッセージを込めた岡本太郎の「明日の神話」

今年は亡き岡本太郎さんの生誕100周年にあたるとして、幾つかの記念展が開催、企画されている。書店では「岡本太郎コーナー」が設けられ、どこも足を止めて画集や著作本を開く人々で賑わっている。

本日の今にして改めて思うに、岡本太郎という芸術家の存在はまさに「核の時代」と云うべき今日の姿をモチーフ、テーマにして、旺盛な制作活動にあたっていたのではないかということだ。

渋谷駅ターミナルの内部には「明日の神話」という巨大なる壁画が展示されている。否々、展示等という一時的なものではなくして恒久展示としてのその壁画は、公共施設の心臓部に存在している。この壱事実をもって、岡本太郎という存在の重さを感じ取ることは容易である。それに加えて公共アートというものに対しての逸早い取り組みを、太郎さんは日本の誰よりも先駆けて行なっていたということを感じ取るのである。

些か前書きが長くなってしまった。3/11の東日本大地震がきっかけとなって発生した、原子力発電所の爆破事故という重大な現実に遭遇して、岡本太郎さんのかつて発したメッセージが心に響いていたというわけなのだ。特に「明日の神話」に込められたものこそ、今の現代人が受け取るべき大切なものが込められていると考えている。

壁画の中央にはのたうちまくっている骸骨が、そのとき(核の時代)の尋常ならざる光景を如実に示している。そして、それこそは、今の現実に引き起こされている光景でもある。

人間が自然界の全てを支配しコントロールしようとしてきたその結果が、核兵器の存在や核施設の建設へと邁進へと繋がってきた。そして今まさに、その崩壊が引き起こされている。

今こそ「核開発」などという悪しき言葉に惑わされることの無い、人間としての日常を取り戻すべきときなのであると思うのである。

10の画廊が展示会場となり「第14回八王子画廊散歩」開催

八王子市内には中小の画廊が散在しており、地元作家をはじめとして幅広いアーティストたちの作品発表の場所となっている。そんな市内の画廊関係者が中心となって「八王子画廊散歩」というイベントが催されている。

2011年は3月10日から15日まで、10ヶ所のギャラリーを会場にて開催される。どの画廊も八王子駅から徒歩20分圏内にあり、散歩しながら美術作品に接するには丁度よい機会だ。

おいらもこのイベントに参加した。作品展示するのは「ギャラリー芙蓉」という、小さいが八王子市内では最も古参の画廊である。上の写真のウインドウに写っているのがおいらが出品した作品の一つだ。

■ギャラリー芙蓉
八王子市横山町18-19
Tel:042-623-9013

会期中にスタンプラリーが開催され、10ヶ所の画廊を回ってスタンプを押した人には、八王子市夢美術館にて開催中の「夢美エンナーレ入選作品展」招待券がプレゼントされるという。1日で全てを回るのはきついだろうが、近くにお住まいの人はチャレンジする価値もありそうだ。

http://www.yumebi.com/exb.html


そして当日「第14回八王子画廊散歩」がいよいよスタート。

午前10時を過ぎた頃に作品を搬入。初めて足を踏み入れたその画廊(「ギャラリー芙蓉」という八王子の老舗画廊だ)に入れば、外見からは想像以上に奥深い画廊の全貌を見て取ることが出来た。入口は小さいが中身は大きいという、云わば八王子の花街界隈に息づく間取りの妙が、此処にも活きているように感じられた。

元はと云えばこの場所は居酒屋であり、巨匠作家のアドバイスにより画廊が誕生したのだというエピソードを、なるほど現実的な事象として納得させたものである。

この1年間で参加する画廊が3つ増えたという。都下の中心都市とはいえ、10もの画廊が存在しているとは知らなかった。八王子という地場が、そのようなアートの発信地としての特別な場所を担っているのかもしれないが、定かではない。

本日初日の「第14回八王子画廊散歩」は、無事にスタートを切り、市内の10ヶ所の画廊を舞台にアート作品の展示を行なっている。昨日のコメントとダブルが、八王子方面に足を向けるようなことがありましたらば、ぜひどれかの画廊をのぞいてみてください。

ユリイカ「村上春樹総特集号」インタビューで春樹さんが示したメッセージ

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先月12月25日発行の「ユリイカ」最新号では、村上春樹総特集が組まれている。文芸誌というよりも詩の専門誌として評価され歴史ある「ユリイカ」だが、特別に詩とは深い関わりを持っているとも云えない村上春樹さんを俎上に載せて、文壇人によるあれやこれやの村上春樹論が展開されている。今や全ての文芸誌に於いて村上春樹さん無しには商売も何も成り立たないと、業界の裏側で囁かれているようだが、その一端を垣間見たような気分に陥ってしまう。

目玉となっているのが巻頭インタビューだ。「『1Q84』へ至るまで、そしてこれから…」という副題が付いている。「魂のソフト・ランディングのために」といった意味深のタイトルも設けられている。
小澤英実という聞き手がメールにて質問を投げ掛け、春樹さんがそれに答えるといったスタイルがとられている。春樹さんにとってみればそれだけじっくりと時間をとって、質問者に答え得るのであり、軽い乗りのインタビューでないことは明らかだ。

春樹さんがこのインタビューで最終的に云いたかったのは、「物語」の可能性についてであったと思われる。言語への失望、あるいは物語への疑問提起を経て、やはり彼は、小説家としてのある種の社会的使命を自覚したということに至ったと思われる。その言葉はあっさりとしているが、とても重く響いている。以下にその一部を引用しよう。

(以下引用)-----------
「言語には二つの機能があります。ひとつは個々の言語としての力、もうひとつは集合体としての言語の力です。それらが補完しあって流動的な、立体的なパースペクティブを立ち上げていくこと、それが物語の意味です。スタティックになってしまったら、そこで物語は息を引き取ってしまいます。それは常によどみなく最後まで流れ続けなくてはならない。それでいて同時に、個々の言語としての力をその場その場でしっかり発揮しなくてはならない。状況と切り結びながら、正しい(と思える)方向に着実に歩を進めていかなくてはならない。これはもちろん簡単なことではありません。(後略)」
(引用終了)-----------

花&フェノミナンはこれからもやってくれると確信した、クリスマスのライブ

天晴! やはり花ちゃんは凄かった。途轍もないエネルギーでライブ会場のメンバーを恍惚の渦に巻き込み魅了したのであった。昨日25日のクリスマスの夜に開催された「花&フェノミナン」ライブの夜に熱く燃えたライブは、今なおおいらの心に響いて消え去る気配もないくらいだ。

実はネット上には先日から、このライブが「花&フェノミナン」の最後のライブになるのではないかという情報がもたらされていたのだから、心安らかにはいられなかったのだ。

どうもありがとうございました!
花フェノは12月25日の
ライブをもってしばらく
活動を休止いたします。

というようなインフォメーションが「花&フェノミナン」の公式サイトに踊っていたのであり、もしやしてこれから「花&フェノミナン」の最後のライブ、歌声が聞けなるなるのかと、おいらは非常な失望感に捕らわれていたのだった。けれどもおいらが会場に居た花ちゃんに確認したところ、

「少し、少しだけ休みますよ。そしてまたやりますよ」

ということでありました。また先々活動を再開することを打ち明けてくれたので、少々安心もしていたのでしたのです。

この日のライブ会場は国立の「地球屋」。まず最初に「KORAKORA」のライブから始まり「THE FOOLS」へとバトンタッチ。そしてとりの「花&フェノミナン」へとバトンが渡るのに2時間以上の時間が経過しており、会場は前2ライブでの興奮でごった返していた。そしていざ鳳「花&フェノミナン」の登場と相成ったのです。

ファンならば皆知っている「君の月の部屋」からライブがスタート。

♪ 君の胸のぬくもりと 河の流れる音はおんなじだ
国境をかけひきで 飛び越えるより
あいしてる その一言で
宇宙まで飛び越える 上も下もないところまで ♪

う~ん、響く! これ以上ないくらいに響き渡るリズムだ。そしてたしか、3曲目。「光の中へ」。これこそは至極名曲である。

♪ いくつもの 出逢いの旅の空
すすけた顔で あなたと笑えば 道は転がっていく

例えばそこが 世界のどんづまりでも

目を開ければ そこには道があり
ぼくらにはまだ行くところがある

わずかなほんとうのことが この道には溢れてる
風に吹かれた 唄うたいが 自由をまた唄にする ♪

次の道に踏み出すための一歩としての休養期間なのだろう。まだまだ彼らはやってくれると確信したのです。

村上春樹原作映画「ノルウェイの森」の限界

村上春樹さんの原作、ベトナム系フランス人トラン・アン・ユン監督による映画「ノルウェイの森」を、遅ればせながら鑑賞した。単行本、文庫本を併せ総計1000万部以上を売り上げたヒット作が原作ということもあり、書店では毎日、同映画のPRビデオが流れている。懐かしいビートルズのメロディーがあれだけ流されていると、見ない訳には行かなくなってくるもんだ。仕方ない、見てみるか…。初めから過度な期待は持たずに府中の映画館へと向かった。

http://www.norway-mori.com/top.html

本編が流れて数分後に驚かされた。なんと糸井重里さんが大学教授役で出演し、ギリシャ悲劇についての講演を行なっているではないか。村上&糸井コンビで共著を持っている二人の仲だからこんな配役もあるかと、妙に納得させられる。村上ワールドの案内役として、うってつけの人選である。

スタッフカメラマン、マーク・リー・ビンビンによるカメラワークも悪くない。長回しシーンにも独特の揺れがある。常にカメラの視線が揺れている。決してうるさくも不安定さも感じさせることなく動いている。成程、村上ワールドの表現者としてのことだけはあるなと思う。監督とカメラマンとの良いコンビネーションだ。

だが直子役の菊地凛子ちゃんはちといただけない。元々村上春樹の大ファンでありオーディションでも積極的にアピールしたというのだが、彼女にこの役は不向きだろう。国際女優であり美人でもある。だがやはり、小説の世界の「直子」像を傷つけてしまっていると感じさせずにはおかないのだ。とても純な直子が病気を発症し、謂わば壊れていく様を表現できる資質を感じない。彼女を起用した必然性を感じ取ることが出来ないのだ。とはいえ仮に、井上真央、戸田恵梨香、新垣結衣、等々の人気女優が演じたところで、直子を演じ表現できるという保証など無いだろう。無いものねだりというものである。

もう一人の主役、松山ケンイチは、特段の美男子というではなく丸っこい顔立ちやら雰囲気に、春樹さんの面影があり、好意的に受け止めることが出来た。喋り方もこれならば、村上ワールドに登場する主役として異議は無い。

ところで主役二人の会話は、原作のそれとはだいぶ異なっている。春樹さんは映画制作に先立って、監督やプロデューサーに対して、「僕の台詞は映画向けじゃないから直したほうがいい」と語ったとされている。監督、プロデューサーへのプレッシャーを低減させようとする心遣いだったのかもしれない。細かい処ではあるが、「あれっ、こんな台詞があったっけな?」という違和感を持ってしまった。納得できないところも何箇所かあるので、これから原作を読み直して検証したいと思っているところなのだ。

藤原新也さんの新境地を築いた名著「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

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清々しい掌編小説のような物語が重なり合って、特異な本の世界が築かれている。テーマをあえて述べるならば、「生」と「喪失」とでも云えようか? 古くから作家・藤原新也さんが追求してきた最も重要なテーマだが、その表現方法やスタイルは少々意外な感じがする。それくらいに、以前の作品群とは異質の味付けが施されているのだ。

云わば敗者の視線でこの世を解き明かす試みとでも云えようか。作家自身の市井の人々との交友が、その素材として選ばれている。新也さんの世界観が新しい素材を得て、新しい物語を紡ぎだしている。表面的なインパクトは影を潜め、代わりに立ち昇ってくるのは充溢した生の存在感だ。極めて強く共感される生の存在感が匂い立っているような、不思議な物語が詰まった、稀有な一冊なのである。

改めて記すが、藤原新也さんといえば、写真家、或いはエッセイスト、ジャーナリスト等々の顔を持つ、マルチな才能を発揮して活動を続けるアーティストである。生と死に対する洞察力は、我が国の文化人の中でも抜きん出ており、写真やドローイングという作業を通してそのイメージを可視化させている。その手技、方法論に驚かされるばかりでなく、彼の底流に流れる思想性が滲み出ていて、感動させずにはおかない。

ときに「真実」と一体として存在する世界の「闇」を、独特のイメージとして現出させたりもする。漆黒の闇を写し取ることに関していえば、藤原新也氏以外のアーティストは存在感を失っていく。世界に唯一人ともいえるくらいに、漆黒の闇の表現者としては稀有なアーティストなのだ。

藤原新也「死ぬな生きろ」を読んで思う

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藤原新也さんが上梓した新刊本「死ぬな生きろ」は、出版界のみならず様々なジャンルの人々に衝撃的に受け止められているようだ。その最たるターゲット、矛先となっているのが写真界。

「写真はアナログに限る」「フィルムの良さはデジタルには適わない」等々のアナログ至上主義の風潮は未だに根深いものがあるが、新也さんはあっさりとそうした風潮をしりぞける。

藤原新也さんは、昨今のデジタル写真の世界に対しても、積極的に関与していこうという強い意識を感じ取るのである。その為の様々な実験や研鑽を積み重ねている。その成果が新刊本「死ぬな生きろ」に凝縮されている。

さらにまた新しい試みとして「書」に取り組んでいる姿が読者にインパクトを与えている。これまでエッセイ、ドキュメント、等々のスタイルで大きな足跡を築いてきた彼だが、まったく新しい「書」という表現のジャンルを取り入れることにより、藤原さん自ら新しい表現スタイルに挑戦する意思を公にしたとも云える。余計な「意味」というものをぎりぎりまでに排除することで浮かび上がってくるもの、それを表現と呼んで良いのかわからないが、固陋な出版業界に新鮮な風を吹かせていることは明らかな事実なのである。

雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載

季刊誌「考える人」(新潮社刊)の最新号にて、村上春樹さんのインタビューが掲載されている。箱根の場所にこもって行なわれたという2泊3日のロングインタビューである。

インタビュアーは新潮社の松家仁之氏。この名前は初めて目にするが、おそらく「1Q84」等の、村上春樹さんの著作の担当編集者であろうと推察可能である。春樹作品に対する理解度の高さはもちろんだが、それ以上に濃い関係性の上に築かれたインタビューである。たしかに難しいテーマを遡上に載せながらも、春樹さんとインタビュアーとの会話はしっかりと噛み合って進んでいく。長年培った親和性というものを感じさせる。インタビュー嫌い、マスコミ嫌いで有名な春樹さんだが、少しも構えることなく様々な質問に丁寧に答えていく様は、多分初めてのものだろう。

現在の日本文壇の最大の関心事とも目されるのが、「1Q84」の続編についてであろう。BOOK4は、あるいはBOOK5は有るのか無いのか? それについても春樹さんは答えているのだが、結論から書くならば、言質を与えるような確かな答えを提供はしていない。だが推測するための大きな足がかりとなるコメントは残している。その一部ではあるが紹介してみよう。

「『1Q84』に続編があるかどうかよく聞かれるんだけど、いまの段階では僕にもわかりません。というのも、三年間ずつとこの小説を書いてきて、いまはすっからかんの状態だから。本当にみごとにすっからかん。(中略)
だから、『1Q84』のBOOK4なりBOOK0なりがあるかどうかは、いまは僕には何とも言えない。ただ、いまの段階で言えるのは、あの前にも物語りはあるし、あのあとにも物語があるということです。その物語は僕の中に漠然とではあるけれど受胎されています。つまり続編を書く可能性はまったくないとは言えないということです。」

「受胎されています」。この言葉の意味は極めて大きい。すなわち受胎しつつあるものを春樹さんが自ら堕胎などすることは無いであろう。その確信がこめられている。これだけ語っていただいたのだから、おいらは必ず続編があると確信したのだ。3楽章より4楽章である。総合小説の条件でもある。村上春樹さんがそのことを知らない訳が無いのである。

村上春樹さんのロングインタビューを読んで、最も強く感じ取ったのは、「物語」についてのメッセージであった。「物語」については、おいらもかつて主宰していた「みどり企画の掲示板」にて、次のように書き込んだことがある。

―――――――【以下、過去のおいらの掲示板投稿からの引用】
振り返って自分なりのルーツを訪ねてみたのです。すると、下記のようなイメージが浮かんできたような、はたまた思い当たる思春期の出会いなどが想い浮かぶ。

十代だったそのころのぼくは、片翼飛行機のパイロットだったようにして、急切なる思春期を送っていたようだったのです。それはまるで、巨大な積乱雲の中に閉じ込められて、錐揉み状にして墜落するセスナ機よろしく、誰の力を借りることも出来ずに、しかも自分ではもう力役を尽くした後の飛行だったように、自分にとっての切羽詰ったものがあったのです。

アートや文学にのめり込む事によって、当時の片翼飛行の試運転が持ち直したというようなイメージが強く思い浮かんで来るのです。片翼なりに自らの飛行を続けていくため、急降下錐揉み的墜落を免れるために、あるいはさいきんメロディさんからも教えられたことですが前を見て生きるために、当時のぼくは欠けた片翼をどうにか支えて飛行可能にする手段をアートに挺身する道を選んだのだ・・・というのは甚だ大仰に過ぎますが。そんな心持ちがあったということは云えると思います。
―――――――【引用終了】

当時はネット掲示板でのやり取りが、結構熱く取り交されていたのを、遠い眼差しにて想い出す。メロディさんや、いか@ちゃん、きくちゃんたちからのコメントやら茶々やらを受けて、掲示板は益益の盛り上がりを見せていたのだ。

そして今回の、村上春樹さんのインタビューに接したのだが、そこで述べられていた春樹さんの大量のメッセージの中でも特に胸に届いたのが「物語」に関しての春樹さんのそれであった。だが、その内容についてはおいらがそれまでに認識していたものとは異なるものであった。そんな春樹さんのメッセージの一部を引用してみる。

―――――――【以下「考える人」の春樹さんインタビューからの引用】
物語という穴を、より広く、深く掘っていけるようになってから、自分を検証する度合いもやはり深くなっています。もう三十年以上、それをやりつづけているわけだから、より深く掘れば、違う角度から物事が見えるし、より重層的に見られるようにもなる。その繰り返しです。逆に言うと、より深く穴を掘れなくなったら、もう小説を書く意味はないということです。
―――――――【引用終了】

考えれば村上春樹さんの作品といえば、お見事というくらいに日本文学的テーマの定番でもある「自我」とは無縁である。そのスタンスを徹底して保っている。天晴!と云いたくなくなるくらいにそれは徹底している。だからそれが主たる要因で「芥川賞」を逃していたのである。けれどもここに来て村上春樹さんの評価は国際的に高まっている。「ノーベル文学賞」の候補者として何回も名前の挙がっている有力候補者なのである。「芥川賞」と「ノーベル文学賞」とを計りにかければ、「ノーベル文学賞」に分があることは明らかである。日本文学的テーマの「自我」を捨象したことが「ノーベル文学賞」候補者として有利に働いたのかもしれない。

村上春樹「1Q84」の「猫の町」千倉を歩く

千葉県の千倉に向かった。村上春樹の「1Q84」の舞台となった土地に、千倉という小さな町がある。館山からさらに南下した房総半島の最南端の町である。天吾と長く離れて生活していた父親が、その地の療養所で闘病していて、父との関係を取り戻そうと決意した天吾は、ある日ぶらりと千倉を訪ねるという設定である。BOOK3では、病状がさらに悪化した父親を看病する為、長く逗留するという設定もある。(あまり詳しく書くとネタバレにも繋がるので千倉の説明はこのくらいにしておこう。)

さてここ千倉の町に、作家村上春樹は「猫の町」のイメージを被せ合わせている。「1Q84」の中で、ドイツの無名な作家の短編とされる物語を展開しているのだ。もしやして実在する文学作品なのかと調べてみた。ロシアのボドリスキイという作家が旧ソ連時代に発表した「猫の町」という作品がみつかったが、ストーリーはまるで違っていた。やはり春樹さんのオリジナルな物語のようだ。洒落た構成である。「空気さなぎ」の物語が綴られているがそれと同様のミニチュア版の物語と捉えればよいのだろう。

作中作品「猫の町」では、そのまちにふらりと立ち寄った旅人が登場する。その町が実は人間が猫によって支配されているという奇妙な土地であることに気づく。そしていつの間にか帰る電車に乗ることが出来なくなり、帰る手段を持たない主人公は、知らぬ間に自分が「失われた」ことを知り呆然とする――というストーリーである。「失われる」とは実世界から消失する、すなわち「死」を意味するともとれるが、あるいは死ではない別の特殊な概念を示しているのかもわからない。謎掛けが得意な春樹さんらしい暗喩である。

「猫の町」の猫とは、いったいいかなる風貌、生態などをしているのか? そんな命題を立てて千倉の町の猫を探し回っていたのです。だがなかなか目指す猫を探し出すことができないのでした。

作中作品「猫の町」では、猫は昼間はじっとしていて夜になると動き出すという習性を有していたようなので、昼間の猫に出逢えなかったからといって騒ぎ立てるものではない。かえって合理的なことではないのかと考えていた程である。

という訳であり、駅前の食堂に立ち寄ってビールを一杯傾けてみた。つまみは房総名物「くじらの刺身」である。意外に淡白。魚くさくなく、かといって肉類の味もしない。馬刺しに近い味わいだと云ったら良いか。

考えてみれば、そもそも良質な物語世界を俗的現実世界に当て嵌めてみることも相当無粋である。猫の生態については想像の世界の出来事として留めておくのがよいだろう。

村上春樹著「1Q84」の重要な舞台、二俣尾を散策

「1Q84」を回顧するべく、奥多摩に近い「二俣尾」という場所に向かったのです。青梅線の青梅駅で奥多摩行きに乗り換え、4駅先にその地はあった。天吾が新宿でふかえり(深田絵里子)と初めて会った日に、二人で二俣尾の戎野邸に向かっていた。ふかえりが「せんせい」と呼ぶ元文化人類学者の戎野氏は、子供の頃に宗教団体の一員であり、その団体からも両親からも離れて暮らすふかえりの後見人、保護者でもあった。ふかえりが執筆者とされベストセラーとなった「空気さなぎ」という文学作品が誕生したのも、この場所であったと考えられるのだ。

1984年の世界から「1Q84」の魔界世界へと足を踏み入れた天吾と青豆だが、この地名は、二俣に別れた一方の邪の道に踏み入れてしまったという、基点となる場であることをも暗示させている、特別な意味合いを有した場所なのである。

何も無いような土地柄を想像していたが、自然が豊かな、散策にはもってこいの場所であった。「1Q84」の作品ではこの駅を降り、タクシーで山道を登ったところに戎野邸はあるとされている。眺めると愛宕山がある。その山の方角へと歩くと、多摩川の上流の清涼な流れが眼に飛び込んできた。釣りをしたりボートで川下りをする人の姿もある。奥多摩峡の一部として観光化も進んでいると見える。

実はこの場所へと足を運んだ訳には、一つの推測があった。「1Q84」のBOOK4は、ここが主要なドラマの舞台となるのではないかという思いが離れなかったのである。先日もこのブログ上で述べたが、BOOK4の時間軸は1Q84年の1~3月となるであろう。そしてその主要テーマとは「空気さなぎ」の誕生に関連したものになると推測する。まさにその時間軸こそは、ふかえりが「空気さなぎ」を執筆したときに相当するのではないか? BOOK3の途中で姿を消したふかえりが主人公となって紡がれていくドラマの誕生は、総合小説の設定としてはとても良い。このプロットは春樹さんの頭の中にも存在しているはずである。総合小説の時間軸は直線的に進むものと考えてはならない。時間、空間を、自由に飛びまわって創作される作品こそ、総合小説の名に値するものとなるのである。

この土地には豊かで季節感漂う自然が、当たり前のように存在していた。多摩川にかかる奥多摩橋を渡って少し行くと、吉川英治記念館に遭遇した。大衆小説作家として著名な吉川さんが「新平家物語」等々の名作を執筆した書斎がそのまま残されていた。吉川英治記念館については稿を改めてレポートしたいと考えている。