ホルモンの一種のガツをキムチ風に漬け込んで出されるこの料理。まっ赤ッかな色が印象的である。そんな「ガツキムチ」を食した翌日は赤い便のキムチを見て過ごすことが必須なのである。
それでも可也旨いのがこの「ガツキムチ」。それだけは認めていてくれ。
便がまっ赤っかになっても、これを食べた痕跡が残るならばこの赤々とした便を保存したい、等とのたまうた人は居なかったようなのであり、これをもって締めとするのです。
ほとんど偶然的に立ち寄った某居酒屋にて「フグのヒレ酒」なるメニューに遭遇。早速飲んでみることにした。
高級料理とは大違いであり、通常のグラスの中には、普通の日本酒の中に焼かれた形跡のある多分フグのヒレなのだろう代物が埋もれていた。埋もれていたという表現は妥当か否かはおいらも自信が無いのだが、あまりにも無防備に配置されていたそのフグのヒレの様相は、その焼き方もいい加減なものとして映りつつ、焦げ目が目に付いていたし、ちゃんとして時間をかけて焼いたという形跡はまるで無かったのである。
出てきた「フグのヒレ酒」のグラスに先ずは鼻先を近づけてにおいをかいでみる。何年か相当昔に経験した「フグのヒレ酒」の面影は無きに等しかった。
それでもおいらは酔いと勢いとにまかせて飲み干していたのだが、飲み干した後味は決して悪くはなかった。飲み終えて見たフグの焼かれたヒレは、食べる気持ちを起こさせるものではなかったが、軽く咬んでみれば、焦げ目の味わいの中に、フグのヒレの焼かれた味わいを舌に感じることが出来たのであった。
という訳で、結論としては、焦げた焦げ目のフグヒレの味わいに大いに埋没して、うっとりと酔っ払ってしまったというおいらなのではある。
代表的な二枚貝と云えばハマグリやアサリであるが、ハマグリに似て大きな二枚貝で身が大きな「ビノス貝」を食した。
この名の由来が「ビーナス」から来ているというのであり、見た目の優雅さにも成程と思わせるものがある。
欧米県の中でも特にアメリカではポピュラーな二枚貝の代表である。ハマグリを小降りにしたようで、食感もハマグリを凝縮したように噛み応えも味わいも充分なものがある。
アサリの漁場関係者からは、余計な邪魔者だとして邪険にもされたようである。だがこの身もまた味わい深いものだと知られては、よそ者扱いなどできないのである。
実はこの貝は「成長貝」と呼ばれてもあり、大きくなるとハマグリを追い抜いて10cm以上にも達するというのだ。ハマグリを小さくしたものだとかアサリの邪魔者だとか云った安易な評価は相応しくないのだ。
今年も戻りカツオが美味しい季節となった。春から夏にかけて北方オホーツク近くの海を漫遊したカツオたちがたっぷりと栄養を蓄えて、日本近海の海へと戻っている。その鮮やか鮮烈な赤みにピンクの刺しが入ったような様は、独特のカツオの脂の乗り方を映している。
脂が乗っても決してくどくなく、かといって白身魚のような自己主張の薄くて他の食材に頼りがちな食味等とも、明らかな一線を画して、カツオ本来の持つ味わいである。そんな戻りカツオに出会ったおいらは、今年もラッキーであったと云えよう。
強烈な海洋魚としての一仕事を終えて、逆に南下のルートを選択させるのだから、それはカツオの生態という現象を超えた自然界の摂理が働いているはずである。
北上してのち南下するというユーターンルートを辿ってみると、黒潮の流れに押されるように北上したカツオたちが北海道沖の海水が冷えて南下に切り替わるポイントに、もっとも想像力を刺激される。潮の流れに逆らって南下のルートを選択する海の猛者たち。彼らはきっと、勝ち誇った道を捨てつつ帰るべき故郷を探す旅に出たのではないかと想像するのだ。
「剣先するめ」というメニューを注文して待つこと十数分間。おいらは焼き場の炭火の上に乗せられたするめが体を捻っていくその姿に見惚れていた。
思わず知らずに「舟歌」の歌詞を口ずさんでいた。嫌いな演歌歌手の八代亜紀の姿までもを脳裏に浮かべており、大変に迂闊な所業であったと思う次第だ。
演歌は好きではないが、時と場所と+αにて、途轍もなく深い心情を仮託させるものとなっていくのであり、まさに八代亜紀の「舟歌」こそはその最たるものだと云えよう。かくまでに演歌が、其のメロディーと共に染み込んでいたのは驚きであり、演歌恐るべしなのである。
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お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり ともりゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を
♪
この日のおいらはぬるめのお燗を憧れつつも、燗に手を付けることはなかった。燗に手を付けたが最後、自宅に戻ることなど不能となって飲んだくれてしまいそうであり、その場を凌ぐのが、いわゆるひとつのおいらの理性の発現であると思われた。それくらいに演歌の世界に引き込まれていた。
一夜干以上に干されたイカの身はからからと、見た目は薄っぺらかったのだが、一口二口と口に含めるにつれ、その奥深い味わいにうっとりとしている。イカの身は横に繊維が走っており、ここが頗る見事なのだが、その繊維にそって手でさばいて取り分けることが出来る。丁寧に取り分けたイカの身を口に頬張るのだが、唾液がイカに絡まるまでには多少の時間が要するので、すぐに飲み込んだりすることは出来ない。それがかえって、あぶりイカの奥深い味わいを、味わい抜く技を提供しているとさえ思えてきた。
自民党の総裁選挙に立候補して以来、にわかにマスコミへの露出が増え脚光を浴びている。ニュースステーションはじめ、数多のTV番組への出演において、軽薄の発言を繰り返している。
そんな中で論難の的となっているのが、「福島第一サティアン」発言に関するあれこれである。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120914-1016643.html
曰く、東京電力福島第1原発事故で汚染された土壌の保管先に関し、「福島原発第1“サティアン”しかない」と、オウム真理教の関連用語に例えたのだった。
おいらはこれまで特別に石原伸晃をウォッチしてきた訳ではないが、この男の失言癖は生来的なものと思われる。「北方領土」と「尖閣列島」とをごちゃまぜにした発言は某TVでの生番組にて目にしたが、まるで小中学生が大切なキーワードを取り違えてしまって、周囲の番組関係者が慌てて取り繕うといった光景が垣間見られていた。これに類する事柄は枚挙にいとまがないものだと思われるのだ。
石原伸晃によるそれらの間違いを、単なる思い違い、考え違いだと判断するのは間違っている。「福島第一原発」を「福島第一サティアン」と取り違えたのは、普段日常的にこうした比喩を口にしていることが先ずは推測が可能とされる。ごく身内の仲間同士の発言に手はいつもこの比喩が口にされていたという推測である。
そしてマスコミにおいてもむ同様の発言が2度以上にわたって繰り返されたことは、前述した推測の根拠を補強するに充分なものではある。
「庶民」「市民」と称される日本国民の大多数を見下して、石原伸晃という男は政治活動を日々履行していると云ってよい。こんな男が日本の最高権力者となった暁には、これまでにない災難が日本国民の上に覆いかぶさってくるだろうことは容易に想像可能なのであるからにして、支持していない他党の出来事としては決して見過ごすわけにはいかないのである。
民主党の代表戦が告示されているが、日本国民としての観客として対応するならば、これほど興醒めな戦は無いと云って良い。
思い込みばかりが強く、即ちそれは野田という凡々野郎の自己満足を満たすばかり的政局を、これからも続けるのかという、あまりにも無残な希望をぐじゃぐじゃにする思いに漠然とするばかりである。
些少なりとも希望を抱かせたのが、数日前における民主党ずいいつのイケメン政治家こと細野豪志氏の野心に対するものであった。すべからく我が国の政治家(政治屋)たちは日本国総理大臣を目指すのであるからして、凡々野田の後塵を拝することなど潔くせずに、野心を発揮してほしかった。だがそんな観客の希望も、ぐじゃぐじゃと瓦解されることとなってしまった。
これにて野田の再選が決定的な規定路線となってしまった。対立候補の原口一博などは、反TPP等々、口先三寸では真っ当なことを述べてはいるが、かつて小沢の傀儡政権に乗っかろうとしてうごめいていた輩としては、誰も信用する人間、政治家には値しない。他の候補たちはまるで知名度も落ちた泡沫候補ではある。
おいら自身のダイエットの記録である。
翻って確認すると、本年の2月の某日から、自らのダイエットに励んでいたおいらである。某健康指導医の女医さんに「3ヶ月で3キロ体重を落としましょう」と云われて、1ヶ月に1kg程度を目安にダイエットを行なってきた。3ヶ月で目標の3kgのダイエットを達成し、その後も2kgの減量に成功しているという訳である。
ダイエット法は百花繚乱ではあるが、基本的には、以下の3点に集約されるだろう。
1食物の量を減らし、摂取カロリーを控える。
2運動量を増やす。
3代謝的な身体作り。
この中での「1」のポイントに焦点を当てたのが風本真吾ドクターが提唱する「朝だけダイエット」である。
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「先ずは、朝食を抜きましょう」と云い、それで一般的な朝食のカロリー量の400キロカロリーを減らすことが出来るというのが基本的な論拠となっている。朝食をとればダイエットにも効果的、等々と云う世間一般の常識とは一線を隠した、掟破りのダイエット法だという印象もある。
然しながらおいらはこのダイエット法を一部的に取り入れて、実際にダイエットに成功した。記すならば、「ほぼ朝だけダイエット」の実践であった。
政治家という職種の人間はほど知らずに権力欲に長けているとようであり、ことに総裁選、代表戦といった類の、数年に一度のメジャー級合戦に臨むときこそその本領をあらわにするものだと見える。
自民党の石原伸晃などは其の典型とも云え、父親譲りの奇異なレトリックを駆使しつつ、虎視眈々と最高権力の奪取には余念が無い。自民党の「ポスト谷垣」の座がすなわち我が国の最高権力者の座に直結するわけであるから、その言動にはのっぴきならないものを感じさせている。
現自民党執行部のNo.2の座に座っていながら、よほど座り心地が悪かったのであろう、一番の親分こと谷垣総裁に対し「谷垣さんのためにやってきた訳ではない」と、反旗を翻して立候補表明を行なった。それが原因の一角だろう、谷垣が立候補断念を示したことで、石原伸晃への評価が渦巻いているのだが、特に副総裁が述べたとされる「平成の明智光秀のようだ」というコメントが、火の燃料を注いでいた訳であり、一定の定番的評価として浸透している。
石原伸晃という政治家を積極的に評価しようという国民は、たぶんごく少数であろうが、それでもなお石原陣営は勢いがあり、自民党総裁選の本命と目されるほどになっている。自民党の総裁選びが石原支持に働く、石原伸晃支持に収斂するのであれば、知見のある多くの国民ははなはだ惨めな立場に立たされることになる。
民主党の代表選挙に所謂イケメン政治家こと細野豪志氏の出馬がとりざたされている。最低の野田の後任であれば誰でもましだ、誰でも良いだろう、等々という退廃的な気分を払拭する契機に成り得る。他にポスト野田の真っ当な戦略を描き得ない民主党の選択としては、悪くは無い戦略ではある。
何よりもまずは、駄目総理の野田再選の芽は早めに摘み取っていくことが肝心なのだ。
次の選挙では、民主党が第一党から退き自民党が比較第一党を得ることがほぼ必定と云われる状況の中で、細野豪志がはたしてどのような戦略をとるかについても関心は継続されていく。ここで野田的大連立のストッパーとなっていくことは細野豪志にとっては最も重要なスタンスなのである。
久しぶりにJR中央線「阿佐ヶ谷」駅に降りてぶらぶらとガード下を散策していた。ちょっと右に逸れて横丁に入ったところで懐かしい赤提灯の姿につられて一献傾けていた。
豚系の串焼きや黒おでんなどが売りの大衆居酒屋であって、まずは当たりの予感ではある。注文した串焼きや黒おでんなどは旨かったが、レモンサワーやその他の酒類がいまいち。ちなみに今時の首都圏居酒屋にて「ホッビー」がメニューに無いというのも腑に落ちないのではあり、果たして此処は当たりなのか外れなのか? 些か心ふるえる展開となっていたのだ。
そんな状況にて目にしたのが、隣の人々がこぞって注文していた青緑色した焼酎割り。メニュー表には「抹茶サワー」とあったが、飲んでみればやはりと云うのか、「青汁サワー」という味のお酒であったのである。
もっと深い味わいを期待していたときの気分からは拍子抜けだが、決して不味くはなかったし、健康にも良さそうではあり、青緑のお酒に舌鼓をして帰ってきたという今宵なのではある。
思うところあって、おいら私的私流の「断捨離」を実施しようとしているところだ。
通常、今日の日本において、この様な所業を「断捨離」と呼んでいるようではある。そんな慣わしが一般化しているのであり、おいらもそんな風潮に乗っかろうなどという思いはまったく無かったのだがそれにしてもとても抵抗感が強くあった。
何となればこの我が国における「断捨離」ブームを巻き起こした某女性が、よく判らない商売を行っているからではある。もともとは仏教禅宗の教義からの教えである「断捨離」が、まるで我が国における商的キーワードのごとくに流通している。こんなことは断じて看過すべきではないことを、敢て記しておきたいと思っていた。
先ずは蔵書の整理から始めていた。それほど多くない蔵書を選別していくうちに、手にしていくべきではない書物の輪郭が、何となく浮かび上がっていた。先ずは「図書館にある書物は手におかない」、そして「アマゾンで入手できるものは持つべきではない」¨。
等々の思いを巡らせつつ、おいらの蔵書は時間とともに減っていく毎日なのではある。
昨日に引き続き、沖縄チャンプル料理の話題をひとつ。
昼のころにふと沖縄専門店に立ち寄ったらば「チャンプルそば」というメニューに出くわしたのでした。昨日の話題に引き続き沖縄パワーがおいら近辺にて充満していることを、充分に納得させる状況ではある。
ゴーヤをはじめとする夏野菜を充分に炒めてから沖縄のそば(ソーキそば)の上にかけて提出される。ソーキそばの上にゴーヤチャンプルの具が乗ったというかたち、格好となっている。
野菜がどっさりと沢山乗っていて、一目見ると長崎の「ちゃんぽん」を連想させていた。「ちゃんぽん」と「チャンプル」の関係は、今ここでつまびらかにすることは不可能だが、何らかの関連性が存在することは明らかではあり、チャンプルあってこその「長崎ちゃんぽん」なのかなと夢想していた次第なり候。
八王子駅南口の再開発事業で南口界隈は様相が一変した。ビッグカメラが入ったビルに寄り添うような現代的モダンなロータリーが中心に陣取っていて、おいらは実はあまり好きな風景として感じ取ることは出来ないでいる。
それでも度々足を運んでいると、とても魅力的な店舗等のスペースが在ることに気づいていだ。
南口を歩いてすぐのところにある「Delifrance」という店舗はフランスパンの専門店であり、フランス人観光客が大勢訪れていることを目にするくらいに本格派のフランスパン専門店なのだ。おいらが好きなのは季節の食材をトッピングした限定メニューなのだ。
シメジや椎茸、エノキ茸、等々のきのこ類が大量にトッピングされた秋の季節のフランスパンなのだった。とても柔らかい生地の中から、鮮度も満点のきのこ類が顔をのぞかせている。きのこきのこがとても美味いのだということを、ストレートにアピールしている。
フランスパンよ、侮れないとの心持ちなのだ。
■Delifrance 八王子店
東京都八王子市旭町1-17 セレオ八王子2F
アップルが特許訴訟で勝利し、サムスンに825億円支払い命令がなされたという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120825-00000014-reut-bus_all
少し前までのアップル「iPhone」ユーザーであったおいらにとっては、至極自然な成り行きに感じている。「iPhone」とその直後に発売されていたサムソン社製のスマホは、その真似事製だという印象を色濃く抱いていたのであり、訴訟沙汰の成り行きに関心は薄かったが、無関心ではいなかったのである。「iPhone」のコピー的マシンがサムソン社製のスマホであるという認識ではあった。
おいらが数か月前に購入した「Android」製ドコモの製品は、国産の富士通製ではあるが、サムソン社製マシンほどではないが、とても「iPhone」に似通っている。しかもそれを悪く剽窃しているような面が存在するのだから、おいらも国産製を購入して良かった等と安心してばかりはいられないのだ。
最近の職場が下町界隈にあるせいか、最近は浅草界隈に出没することが多くなっている。夜はやはり居酒屋に立ち寄って一献というパターンが常なれども、落ち着いて居られる居酒屋は多くは無い。「ニュー浅草本店」はと云えばまさに落ち着いて酒が飲めて食事が出来る縄張りではある。
そんな「ニュー浅草本店」の新規メニューというものの中に「油揚げの和風ピザ」というのがあったので注文してみた。既に同店にはお餅のピザなるメニューが大手を振るっておりそんな邪道的メニューの一種なのだろうという予感はあったのではある。敵の術中に入りこむような気分にて、このメニューを注文したのだ。
やはりというのか、食してみたものは邪道的メニューの一種であった。お餅のピザ以上に安易なものであったのである。お餅のピザはお腹にたらふく感を満悦させてとてもハッピーなのだが、そんなハッピー感も味わうことが出来なかったのである。お外れ的メニューの一つではある。
夏の猛暑のこんな時期こそ素麺が美味い季節である。おいらはこの時期は常に美味い素麺を求めていると云ってよく、昼食時はもとよりであるが、夕食時やその後の〆の素麺にも特別な思いや愛着を抱いているのだ。夕食、晩食、晩餐、の後の素麺は、その条件が整えたならば絶品の風流の食物となってくるのであるからして、侮れないのだ。
先ずはツルツル喉越しの細めの素麺が必須である。そしてトッピングされるのは、ミニトマトやナスの揚げ物などが相応しいであろう。氷が添えてあれば汁に移して夏的汁の完成である。然るに氷もまた必須と云えよう。そしてまた、細切れにされた胡瓜や錦糸卵が添えられていれば申し分が無い。何はともあれ猛暑で麻痺した喉越しを正常のそれに返していくような役割を果たしているのだから、決してこの夏の時期の素麺を侮ってはいけないのである。