島田雅彦さんの新著「英雄はそこにいる」には興奮を禁じ得ない [1]

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今月に出版されたばかりの一冊、島田雅彦さんの新著「英雄はそこにいる」に思いもかけずに興奮したのであった。読書的感動としては近頃無かったようなインパクトである。

小説の最後の一説を読み終えて瞬時に理解した。この小説の作家は自らの世界観を展開したかったのであると。そしてそんなやんちゃな企みはある種の成功を遂げているのであることをおいらは理解していたのであった。

紛れもないエンターティメント小説である。純文学作家としての筈ではあった島田雅彦さんは、いつの間にやらエンターティナーに変身していたということなのかも知れない。しかも一級、特級のエンターティナーではある。

頗るテンポのきいた展開である。それに引き替えシチュエーションはまるで非現実でありながら、人々の無意識的な欲求を汲んでいて、非現実的なプロットに存在感を与えているようなのである。

(この稿は続く)

松茸擬きより格段美味い「エリンギ」のチーズ焼き

地元のスーパーでは「エリンギ茸」が安売りセールされていたので購入してきた。

一時期前にはこの食材は「なんちゃって食材」として、松茸に似せた触感が注目を浴び、松茸エキスや松茸の香りを被せればまるで松茸料理のように味わうことができるといった、ある種滑稽な主張ではあった。

そんな松茸擬きの食材ことエリンギではあったが、普通に焼いてから牛乳で煮て、そしてとろけるチーズを振って焼くと云う、グラタン風の手法、味付けにて調理してみたら、思いの外に美味かったのであった。

最近はエリンギはエコ食材的な売られ方をしており、ダイエットにも効果的なことから、毎日の料理レシピへの活用が有用であると考えられるのである。

我国の酒場におけるノンアルコール族の生態

先日、上野界隈の居酒屋にて一献やっているところへ、奇妙な客が訪れた。店員の「お飲み物は?」との問いかけに、「ノンアルコールで」と返していた言葉が、その場においては奇妙珍妙の類に感じさせていたのである。

「ノンアルコールビールは無いんですか?」

とそう穏やかに聞く客に対して、若き女性店員の対応は極めてぞんざいであった。酒を飲まない客など客の資格に値しないと、多分そのくらいの目線で客を見下している光景であった。その店員が何と答えたのかは残念ながら把握できなかったのだが、その後のやり取りで、客が出した注文の豊富さに、つまりは呑兵衛を超えるくらいの通的のオーダーを受けて、店員はそそくさと後ずさりをするしかなかったようである。

おいらの知人でも「酒は飲めないが、酒場の雰囲気が好きなので、一杯付き合う」とのたまわれて酒を酌み交わした人たちは少なくは無いのであり、ノンアルコール族の人権と云うべき問題がそこに横たわっているとも云えるのかもしれない。

ともあれおいらはそんな光景を目にしつつ、やはりそのおやじに言葉を掛ける気にはならなかった。素面の人間と酒場で一緒にした時のこと、つまりはノンアルコール人間と一献やっていたときの、その気まずさが、改めて記憶に浮かんできていたのであり、そんな異質の人間に対する、ある種一定の防御本能が働いたのかもしれないのであった。

美味しい「オムレツ」に出合うと嬉しくなる

美味しいオムレツを食べることができた。美味しいものは箸よりもやはり酒がすすむのは何時ものこと。ふわふわとして柔らかくそしてクリーミィである。この触感は他には見られない代物ではある。

しかもシラス入りでありカルシウムが豊富とあっては喜ばしきことこの上ない。食糧難の戦中、戦後にこの2種類の食材が果たした役割は筆舌に尽くしがたきものではある。

近頃の大衆居酒屋で美味いオムレツを出す店は少なくなっている。手に職を付けた味職人が減ったということ、そして悪しきコスト追求がその要因ではあろう。

今や多くの大衆居酒屋の主的アイテムは揚げ物であり、時間とコストを天秤にかけたコストパフォーマンスはこれに勝るものはないと云えよう。そんな状況の中で美味いオムレツを出している居酒屋のメニューには、敬服に値するのである。

浅草ホッピー通り「居酒屋どん」の「牛スジ煮込み」

浅草の「ホッピー通り」はホッピーを提供する居酒屋が立ち並ぶ、おいらの行き付けの場所であり、そこでよく注文するのが「煮込み」である。

なかでも「牛スジ煮込み」は多くの店舗での看板メニューとなっている。

人気繁盛店「居酒屋どん」の「牛スジ煮込み」もまた、そんな看板メニューの一つである。

大きくカットした牛スジがドーンと迫力のボリュームで提供される。大根、人参、蒟蒻等々の他の素材も大きくて、食べ応えも充分なり。

だが不満もある。大降りの牛スジはじっくり時間を掛けて柔らかいのだが、コラーゲンの栄養素が足りないのだ。もっとねちっとした触感が牛スジの持ち味なのだが、その点で持ち味のアピールポイントが足りない。

■居酒屋どん
東京都台東区浅草2-3-17
03-3843-0028

高円寺「大将3号店」の「上海火鍋」は優しい味がした

高円寺にある居酒屋「大将3号店」にて「上海火鍋」を食した。

ラム肉、ネギ、ニラ、モヤシ、鶏肉団子、春雨の6点がセットになって一通りの具材が揃っており、火鍋スープはと云えば鶏がらベースに唐辛子やラー油やらにより辛目に調合されており、丸ごとの大蒜も入って味覚の奥行きも在る。決して居酒屋のやっつけ的メニューでないことは請け負いである。

ある時期のおいらは火鍋に嵌っていたことがあり、都内の火鍋専門店やらに足繁く通っていた。辛味が際立っていた専門店の火鍋は、汗をふきふき、口をパクパク、そしてハーハーと大きく呼吸をしながらコップの水を口に含みつつ、完食を目指していたものではあった。それはそれで愉しい経験ではあったのだが、火鍋=辛味的刺激体験という構図には、ある時期になって飽きを来たしていており、それ以来はあまり外食で食することは少なくなっていた。

今回の「上海火鍋」はベーシックな火鍋のレシピを踏襲しつつ、スープは辛過ぎず、大蒜味が利いていたり、春雨が辛さを中和していたりと、とても優しい味わいに感じられたのである。お気に入りのメニューに加えてたいと思ったのであった。

夏間近を感じさせる「ゴーヤ(ニガウリ)」の味わい

5月8日は「ゴーヤの日」である。

暑さを感じる季節になった。昼間の暑さは汗が滲み出るほどであり、夏にはまだ早いが、春本番と云ったところだろうか。未だ夏には早いのだが、地元のスーパーには早くも濃緑色した「ゴーヤ(にがうり)」が棚に陳列しており、夏の到来を予感させるには充分な光景であった。

ゴーヤの表面にある濃緑色のイボイボは夏の汗を象徴するかのように強力なエネルギーを連想させるに充分であり、その独特な苦さとも相俟って、夏には欠かせない食材として定着している。主産地が我が国最南の沖縄であることも、そんな存在感を強靭に後押ししている。これから幾度となく食卓に上る食材であることは確かである。

早速購入し「ゴーヤチャンプル」を調理。沖縄料理のチャンプルの味付けとは多少違えて、鶏ガラスープとオイスターソースで中華風の味付けを付与してみた。ゴーヤと云う素材自体の存在感が強いため沖縄風との違いは些細なものだが、それでもおいら流のレシピとしてはこれがポピュラーな味付けとなっている。ちなみに卵とじにしないのもゴーヤの苦さが削がれてしまうからであり、おいら流である。

今時のベトナム的ブームだと云う「牛筋ベトナムカレー」

現代のベトナムでは「牛筋カレー」が主流なんだそうである。特に、飲み屋で出される牛筋カレーは、鍋で煮込んで出されて、そんなカレーにバゲットを浸しながら、ワインを飲むのがベトナム流、通の作法と云うことなのらしい。フランス流にアレンジされたベトナム流のたしなみかたなのだろう。

おいらもベトナム風を真似て、「牛筋カレー」とバゲットで一献やってみた。

牛筋は隠れ素材的に所謂出汁の素のような扱いではあった。韓国料理の牛筋の存在感とは雲泥の差があったと云えよう。ともあれ、エスニックの香り漂うベトナムカレーは、ココナッツの風味が生きていてまろやかであり、スパイスもほどほど程度に効いていて、食べやすく食欲をそそっていたのであった。暑い春の日にはスパイスの効いたカレーはなまった身体によく効くのだった。

コリコリっとして海の野趣満点「サザエの刺身」

普段は壺焼きで食するサザエを、刺身で食べてみたのだった。

身の部分はコリコリっと硬く、海の野趣が満点に味わえる。しかしながら尻尾のように丸く縮こまっているところには、人や哺乳類の大腸のようなものではあり、しかるにうんち的部分には違いないのだ。

其処の部分を口に含むには多少の躊躇いが未だに生じるのである。何度かは食している「サザエの刺身」であるが、未だにこの点のおいらの中での解決は未知数なのである。

古きを温めてしかも新しい、今時の「ナポリタン」の味わい

その昔は「スパゲッティ」と云えば「ナポリタン」か「ミートソース」と決まっていたのだ、確か…。今は昔の「ナポリ」のスパゲッティが、復活のきざしなんだそうではある。

そんな最中、下町の居酒屋にて「ナポリタン」という〆のメニューが出されていたので注文してみた。

幼い頃に田舎の洋食屋で出されたように、ステンレス製のキッチュなプレートにフォーク、そして、ナポリ、ポテトサラダ、キャベツ、しし唐があしらわされていた。昭和の洋食屋の佇まいではあった。

フォークを口にあてがってみれば、やはりケチャップの濃い味わいが攻めてきた。だがこれこそはおいらが幼少の頃に愛でていた味わいの基本だとも云えるものだった。少し濃い目のケチャップ味と、柔らかく伸びてしまったくらいのスパゲッティーの感触とが、「ナポリタン」の基本的味わいであるのだが、その基本を今尚踏襲して提供されるメニューが存在することは慶びてあったと云う外は無い。

本屋大賞ノミネート作品、沼田まほかるさんの話題の一冊「ユリゴコロ」

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2012年の「本屋大賞」にノミネートされ注目を浴びている、沼田まほかるさんの「ユリゴコロ」を読んだ。

「ユリゴコロ」という語彙は一般に存在しない作家の造語であり、「拠りどころ」に起因している。「ユリゴコロ」というタイトルによる4冊のノートに、読む者を驚愕させる内容の手記を残していた。その手記は「私のように平気で人を殺す人間は、脳の仕組みがどこか普通とちがうのでしょうか。」という一文から書き進められている。この手記の内容自体が小説の重要部分を占めている。それを主人公の亮介が偶然にも発見することから物語が展開していくのである。

精神的な病を患っていた手記の筆者が、精神科の医師に「ユリゴコロ」という言葉を何度も浴びせられていたというくだりがある。実は「ユリゴコロ」ではなくて「拠りどころ」であったということで手記の筆者も合点するのだが、物語のその後においても「ユリゴコロ」という語彙は云わばキーワード的なものとして存在していく。不思議な語感を残し、読者を特異な世界観へと誘っていくようでもある。

殺人願望という、幼児期からの衝動にとりつかれた内容の手記、しかも家族の誰のものかは判らないまま、何やら怖ろしい記述内容が事実かフィクションかも判然としないまま、主人公の日常のドラマと共に、同時進行的に手記の内容が明らかにされていく。ミステリー小説を読み慣れている訳ではないおいらにとっては、そんなプロットの展開には興味をそそられることは無かった。アマゾン等の読者評では「途中で結末がわかってしまった」等々の評が散見されたが、この作品もそうしたジャンル作品の一つなのかと理解したという程度の認識である。

手記内容が事実か? 或いはフィクションか? という点については、物語の中盤くらいで明らかにはなるのだが、それと反比例するように、小説世界への信憑性は薄らいでいったという思いが強く残った。無理矢理至極のプロットとでも云うのか、何だか無茶振りとでも云いたくなる後半の展開へとなだれ込んでいくのである。

複雑に絡み合う家族関係や特異な血縁の匂いが横溢し、それはそれで刺激的なのだが、これもまた、特異なフィクションでしかないという思いを強くしていたのであった。

イカ(烏賊)が美味い愛好家の聖地的スポット、荻窪の「やきや」を探索

荻窪の「やきや」を探索した。実に異色のいざかやである。焼き物が中心の立ち飲み居酒屋店だが、なかでもいかのつまみが豊富でしかも格安であり、地元の呑兵衛を中心に人が絶えることが無い。

元々昨年まで、「焼きや(「やきや」の前身)」は荻窪駅北口の一角にあった。それが昨年の何時か、いつの間にやら無くなっていたのでおいらはとても残念な気持ちでいたのだった。

ネットで調べたところ、荻窪駅の南口に新しく店舗をオープンしたという情報を入手。やっと新生「やきや」への訪問探索が叶ったのであった。

当店の売りはあくまでも「イカ(烏賊)」なのである。何故に「烏賊屋」「イカ屋」「いかや」と名付けないかと、かねてからおいらは疑問ではあったのであった。

それでも「やきや」が再開していたということは喜びであった。

先ずは「イカ軟骨焼き」を注文した。今ではコンビニのおつまみメニューで一般的なものではあるが、やはり生ものの「イカ軟骨」はと云えば、その触感やら生々しさやらにおいては絶品の一品ではあった。

そして二品目に頼んだのは「イカ耳の刺身」である。高級店では捨ててしまう部所ではある。身よりも硬く歯応えがある。それがまるでほのかにピンク色をしていて工芸品のような包丁捌きの一品として出されてきたので、それで第一発目のパンチを食らったようである。触感はそれ程は硬くなく噛み応えもあり、呑兵衛のつまみとしては申し分が無い。

地元で食べた「筍焼き」は大地のアクの味がした

筍は春に大地に芽を出してその日に採られ出荷される。少し育ってしまったものは筍にはならないのであり、云わば幼生の食材だと云えるのである。そんな旬の筍を焼きのメニューで食したのだった。

春ももう後半に近づいて、筍の出荷もピークを超えたようであり、希少性も失せ、注目度も低いのだが、こんな時期こそ美味なる筍が味わえると常々期待しているところなのである。

焼く前の大きな筍を目にしていたが、実際に焼き上がって提供されたものはとても小さかった。そして幾重にも重ねられた皮は硬くて厚くてとても人間の歯では噛み切れる類のものではなかったのである。

食した部分は少なくて、でも焼き色も少々付いていて、目にも口にも愉しませてくれていた。味付け、調味のほうはと云えば特別な工夫など無く、それが却って筍本来のアクのえぐみを強く感じさせていた。これは筍の本来の味わいの一部であり、摘むことなどあってはならないと感じ取っていた。それかあらぬかこの晩春の筍には、おいらも特別な思い入れを強くしている今日なのではあった。

春キャベツたっぷりの「タジン蒸し鍋」

久しぶりにタジン鍋を引っ張り出して鍋料理。「春キャベツ」として売っていた、いかにも新鮮な葉色のキャベツをメイン材料に使用した。新キャベツとも云い、文字どおり春が旬の食材だ。それに加えて新じゃがいもと、きのこ類、ワカメを少々。

春キャベツなどの新鮮野菜を味わうには煮る、炒める、よりも蒸すのが一番であり、その点でタジン鍋は少量の水分と調味料とで蒸し調理が手軽にできる、最適調理法と云えるだろう。

味付けはいつもの和風だしに「柚子こしょう」を少々。それにポン酢ダレをつくって食べたのだ。柚子の香りは味にアクセントが付き、これまた愉しめる。

ちなみに柚子こしょうの辛味原料は唐辛子が基本でありこしょうは使用されていない。昔は辛味調味料は「胡椒」が一般的だったためにこの名称が付いたとされている。

以前にも書いたが、「タジン鍋」は北アフリカのモロッコが発祥とされている。上にかぶせる、とんがりハットのような独特の蓋が特徴的だが、細くなった蓋の上部には素材から滲み出た水分が水蒸気となって充満しやがて滴り落ちた水分が容器の隙間をふさぐので、鍋の中が密封状態となる。肉や野菜類の香り、栄養素を閉じ込めるという、とても意義深い鍋なのだ。

とても暑い日に「担々刀削麺」を食べた

暑い日であった。猛暑と云うにはまだ遠いが、街を歩くだけで汗が滲み出てきた。昼時になり街を歩いていると「担々刀削麺」の看板が目に飛び込んでいて、それにつられるように担々刀削麺の辛いスープをすすっていたのである。

食欲が減退する1日だったが、胃腸の疲労に抗うかのようにその麺類に引き込まれていたのであった。特に「パクチー」と云うタイ料理に用いられる香菜の独特な一涼の爽やかな刺激が胃袋に流れ込むとき、日常の活力が取り戻されたようであった。

暑い日の食欲促進に辛い麺類はとても役に立つことを、再認識していた。

■刀削麺荘 唐家 秋葉原店
東京都千代田区外神田3-8-17 渡辺ビル

夜の吉祥寺「井の頭恩賜公園」と「いせや」を散策

夜の吉祥寺、井の頭恩賜公園の界隈を散策した。JR中央線幹線の吉祥寺駅から徒歩で10分以内の場にある井の頭恩賜公園は人の行き来は多かれども、とてもひっそりと佇んでおり、夜間の公園ならではの樹木や池畔、鳥類等の息遣いを感じ取っていた。

見えない場所を想像しながら歩を進めて行くと、池の中のたぶん鯉であろう魚がぷくぷくと息をする姿が浮かぶ様であった。

そして散歩のあとは、夜の「いせや公園店」にて一献。総本店が近代的な鉄骨ビルディングに建て替えられてからは、この公園店こそがいせやの面影を残している。

その昔はいせやにはホッピーが無かったが、いつの間にかホッピーは此処でもポピュラーなメニューとなっている。焼き鳥が有名な名店ではあるが、煮込みや餃子もまた旨い。もつ焼き類は荒削りのもつの素材を味わえるが、餃子、煮込みは、古くからの昭和の面影を伝える味わいが魅力である。

やはり「ホタルイカ(蛍烏賊)」は酢味噌和えが一番だと合点した

上野アメ横の居酒屋「大統領」新店に立ち寄り一献。

この界隈は立ち飲み店の強豪店が軒を並べる一角であり、そこにアメ横の名店とも称される「大統領」が進出したのは、ライバル店の進出に対抗してアメ横界隈の影響力を行使しようという意図等がうかがわれる。

名店の冠を戴いていた「大統領」が新興店の進出には無視出来ない事情があったのだと推察可能である。

そんな新規店舗「大統領」は、馬モツの「煮込み」をはじめとして定番メニューを提供しつつ、旬のメニューも看板に名を連ねている。

「ホタルイカの酢味噌和え」もまた、そんな旬メニューの一品。ボイルしてぷくっと太ったホタルイカに酢味噌を和えて出されており、まさに旬の美味を味わうことが出来たのだった。

今期、「生ホタルイカ」を食していたおいらではあるが、ホタルイカの味わいはボイルして酢味噌で和えるのが一番だと合点したのであった。

黄色の花弁が開いて庭のチューリップは5色の揃い咲き

ずっと蕾を閉じたままだった黄色のチューリップが花を咲かせ、庭のチューリップは5色の揃い咲きとなった。

赤と白のチューリップが初めて蕾を開いたのが、もう10日程前のことである。その後ピンク、紫、そして黄色のチューリップが花を咲かせたのだった。

狭い庭にしては似つかわないくらいに咲き誇っていたのであり、朝雨に濡れて花弁を開いている姿は凛としてとても優雅であった。

中でも最も優雅に凛として咲いていたのは紫パープル色のチューリップであったように感じた。大仰に自己主張などせずにゆったりとして群れの中腹に佇んでいた。花弁の色への特別な感情は、他のチューリップの存在を一瞬、忘れさせるほどであったと云ってよい。

新じゃが芋の揚物は、ポテトコロッケより美味かった

この時期に食べないと勿体ないのが、新じゃがいも、新玉ねぎ、そして新キャベツの春の新素材トリオである。春も佳境に入り、新とのたまうには遅きに過ぎるかもしれないが、今でもなお、春の新素材に遭遇すると注文したくなる。

このたび遭遇したのが「新じゃが芋の揚物」だった。そして出てきたのは、小ぶりだが丸ごと一つのじゃが芋に衣をつけて揚げられたメニュー。きっと下茹でなどの処理をしているのであろう、揚げ衣の下から身を現したじゃが芋はほくほくと柔らかく甘く、そして味わいが深かった。

揚げ物はカロリーが高いため、あまり口にすることは少なくなっていた。それでも時々はポテトコロッケ、アジフライ等のメニューは口にしている。コロッケはそんなソウルフードの一種であるのだが、この「新じゃが芋の揚物」はそれ以上の新鮮な味わいだったと云えるだろう。

居酒屋のブーム的メニュー「栃尾の油揚げ」

少し前からであるが「栃尾の油揚げ」というメニューが目に付くようになり、酒の肴に時々は口にしているのだ。お気に入りというには早いがまずまずのお勧めである。

大まかに説明すると、新潟県長岡市内の「栃尾」という地域で生産され食されているものを指しているのだが、一般的な油揚げよりは厚く、大ぶりであることをのぞけば、食する店によってその形態や味はばらばら。ジャンボな油揚げというキャッチコピーも散見されるが、全てに当てはまる訳ではない。

おいらが好きな「厚揚げ」くらいの厚さでありながら、それほど重くは無い。これを基本的に火にあぶって焼く。ガスで焼くより炭火で焼いて出されるのが旨いは当然で、この焼きの入った「栃尾の油揚げ」を時々あてにして一献傾けているという訳ではある。

ところがこれ、栃尾の地域一押しのメニューの割にはあまり印象に残らない。これが「栃尾の油揚げ」だというインパクトに欠けていると云って良いのだ。

それでもほぼこのメニューには外れは無いようである。厚く刻まれた豆腐を丁寧に揚げ込んでつくられたものだから、職人たちの心意気が染み込んでいるとみたのである。