低カロリー食としてのおでんを見直した

この季節、温かいものでもっとも手頃な料理と云えば「おでん」ということになる。

じっくりと時間をかけて煮込まれたおでん種は、口の中でほかほかとした温かさを伝えてくれるのであり、味覚は控えめなものが望ましい。控えめな多素材がおでんの出汁の中で渾然と溶け合うことこそが、おでん料理の真髄と云えるだろう。

ほっこりと温かさを味わうおてんにとって、おでん種は味覚が控えめであることに加え、カロリーもまた控えめであることが求められる。大根、蒟蒻、半片、等々の代表的おでん種はこの条件をクリアーしていると云って良い。

ついついカロリー高めになる晩酌の酒の友としては、おでんは最適のパートナーなのだ。ゴテゴテとしたカロリー強の食材は、おでん種には禁物なのである。

秋も深まり「モツ鍋」専門店で今季の初鍋

肌寒くなったり夏日だったりと、猫の目状態の季節が秋と云うものか。今年昨年が異常なのかと、季節談義に花が咲くるの昨今なのだ。どっちつかずは気持ち悪いものであり、肌寒くなったら鍋料理だと、地元のモツ鍋店に向かっていた。


モツ鍋が売りの専門店だけあり、ニンニクの香りが漂っている。注文して出てきたのは、鍋の中にスープと盛られた大きなキャベツの山。これに火を入れると次第にキャベツがしんなりとし、モツが顔を出すと云う仕組みがユニークだ。

顔を出したモツはピチピチとしていてコラーゲン豊かなことを示している。コラーゲンばかりに関心が向いているわけではないがどうもこの歳になると肌の艶テリを回復させたい気持ちに駆られている。公言したくないがカミングアウトするならばそういうことになってしまうだろう。

一通り鍋を突付いて具を平らげた後は、ご飯と卵を加えて、雑炊の締めご飯だ。モツから出た濃厚な出汁がご飯に染みて、これはまた濃厚な雑炊ご飯の出来栄えとなっていた訳である。胃にもたれるかと思ったが口に入れてみればするすると喉を通るくらいに食欲を刺激する満点ご飯のようであった。

■関根精肉店
〒192-0081
東京都八王子市横山町3-6 JEビル1F
TEL 042-656-1230

中国産巨大大蒜(ニンニク)の串焼きは確かに美味しかった


ふらっと立ち寄った居酒屋で、ニンニクの串焼きに遭遇。おおよその目見当では5cm近くある。マスターにどこ産かと訊ねたところ、「中国産」とのこと。ある意味で納得し、ある意味では新たな胸躍らせていた。

巨大な国土を有する国だからニンニクが巨大に育つとも考え得難い。ある種の特別な特別変異があったのかとも想像されるが、確かな証拠はどこにも見当たらない。いったいこの巨大な大蒜の正体は?

とりあえず記しておくことは、その巨大な大蒜の味わいは充分に大蒜のそのままの味わいであり、美味だったということ。例えば不味かったとすれば却って論点が整理されたのだが、決して不味い食材ではなかった。

日本の農家にでも作ってほしいと思われるくらいの代物であったのである。

タジン鍋料理の第2弾は、タジン風「じゃがバター」

タジン鍋を使った料理の第2弾は、「じゃがバター」を試みた。

まずは北海道の男爵芋をアルミに包んで、電子レンジで5〜6分の前処理を施した。そして、身が柔らかくなった男爵芋を食べごろサイズにカットして用意。鍋にはキャベツ、玉葱、を敷き詰めて、その上に男爵じゃがいもとバターを乗せて準備完了。調味料は日本酒をざっくりと素材に掛けたのみ。

タジン鍋のシルクハットのふたをかぶせて、先ずは強火で沸騰させる。そして蒸気が上がったところで弱火にし、じっくり蒸し焼きにすること10分あまり。キャベツ他の野菜はしんなりとし、主役のじゃがいもにも火が通ってほくほくの蒸し焼きじゃがが仕上がっていた。

北海道風に、イカの塩辛を乗せていただくことにした。バターの香りが染みてほくほくしたじゃがいもに、塩辛の塩味と肝の苦みがマッチしており、奥深い料理を堪能することとなった。男爵芋+バター+イカの塩辛の取り合わせは、流石に味覚の三位一体的トライアングルを奏でており、北海道の食文化の豊かさを感じ取らせるに充分なものであった。

タジン鍋を使った料理の第2弾は、「じゃがバター」を試みた。まずは北海道の男爵芋をアルミに包んで、電子レンジで5〜6分の前処理を施した。そして、身が柔らかくなった男爵芋を食べごろサイズにカットして用意。鍋にはキャベツ、玉葱、を敷き詰めて、その上に男爵じゃがいもとバターを乗せて準備完了。調味料は日本酒をざっくりと素材に掛けたのみ。タジン鍋のシルクハットのふたをかぶせて、先ずは強火で沸騰させる。そして蒸気が上がったところで弱火にし、じっくり蒸し焼きにすること10分あまり。

キャベツ他の野菜はしんなりとし、主役のじゃがいもにも火が通ってほくほくの蒸し焼きじゃがが仕上がっていた。北海道風に、イカの塩辛を乗せていただくことにした。バターの香りが染みてほくほくしたじゃがいもに、塩辛の塩味と肝の苦みがマッチしており、奥深い料理を堪能することとなった。男爵芋+バター+イカの塩辛の取り合わせは、流石に味覚の三位一体的トライアングルを奏でており、北海道の食文化の豊かさを感じ取らせるに充分なものであった。

コラーゲン豊富な豚足との格闘記

コラーゲンが豊富で肌がピチピチになるとして人気の食材が豚足、即ち豚の足である。

行き付けの居酒屋で供される「豚足」というものは、どうにも愛嬌が無い。大振りの皿にどさっと乗せられて出されて来るのだが、これがまさにそのまんまの豚足なのだ。柔らかく煮込むのでもなく、下茹でしたそのまんまの豚足だ。

こんな野性的な料理は、まずはがぶりとむしゃぶりつくに限る。天然のコラーゲンとやらを味わえるのだから其れで充分だと納得するのも一考ではあるが、其れで満足してばかりはいられない。過去には差し歯を欠いてしまったり経験のあるおいらにとっては、とてもむしゃぶりついて満足できる対象では、実は無かったのである。

最近は相性も良くなって、差し歯を欠くことも無くして食することも出来るようになってきているのだ。天然コラーゲンの味わいは、とてもナイスであり、菜食嗜好の一時の浮気対象としてはとっておきとも云えるくらいだ。

我が家初のタジン鍋料理は、ちゃんちゃん焼き風蒸し焼き

かつて地元の居酒屋で「タジン鍋」の料理を食して以来、タジン鍋に対する執拗なる関心を抱いていたおいらだが、このほどその「タジン鍋」を購入。早速的に、初のタジン鍋料理にチャレンジしたのでした。

今回の料理の基本コンセプトは、旬の鮭を使った「ちゃんちゃん鍋」風の蒸し料理。ご存知北海道の著名な郷土料理也。キャベツ、玉葱他の大地の恵みの野菜類をたっぷりと敷き詰め、北海道魚の象徴たる鮭を乗せ、そして味噌味で蒸すという、ダイナミックな料理である。今回はこれをタジン鍋を活用して作ってしまおうという試みなのだった。

とりあえずは最初の調理なので地元のスーパーにて調材を確保。大きめに敷き詰めた野菜に鮭の切身と味噌、バター、そして日本酒という、シンプルな味付け。

ガスの炎に当てられた鍋は、野性的に発火点まで突き上り沸騰したところで、スイッチ切り替えて弱火の炎に委ねたのだ。その間の時間的推移は12分あまり。少量の酒だけが水分としてあてがわれている限りの、極めて蒸し料理の基本に忠実な、ちゃんちゃん焼き風鮭蒸し料理が完成したのだ。

ちょっと味噌の量が多かったのか、それと火の掛け時間が長すぎたのか、野菜はしんなりを通り越してびちゃびちゃした触感となってしまった。鮭と野菜類との調和的料理の理想には残念ながら到達できなかった。

けれどもまた蒸し料理がこんなに手軽に手に届くということは、これからの家庭料理のレパートリーに光明を与えているような、可能性を呈示したのであった。これからますます家庭料理の愉しみがいや増したというべきであろう。

小さくても鯛の塩焼き

魚の塩焼きの中で、敢て何が最も美味か? そう問われたならば、おいらはきっと「鯛」と答えるだろう。

白身魚の王者としての知名度、貫禄は他を抜きん出ている。それに加えて見た目外見もオリジナリティ溢れて個性的であり、ファンを惹きつけること甚大である。

相撲取りの優勝祝賀会か、一生に一度の結婚式か、あるいはそれに近い諸々のイベントでしか口にすることが出来ないものかと、幼い頃には思っていたが、どうも近頃では居酒屋メニューとして食することも可能になっていることを発見していた。そしてそんな機会が訪れたのでありました。

そして身を口にすれば、白身魚の王様の評価に相応しくしみじみとした魚のエキスが染み渡ってくる。決して派手な味ではなく、ジーンと身体に染み入ってくるエキスが横溢している。

塩と炭と云うシンプルかつダイナミックな調理方法がこの逸品を支えている。美味い魚の美味い料理の極北と云えよう。

奥多摩の居酒屋で「岩魚の燻製」を喰らう

奥多摩を旅した際にぶらりと立ち寄った居酒屋で「岩魚の燻製」を喰らう機会に浴したのだった。とても珍しい初めて口にする味わいであった。

清流でしか育たない岩魚を、桜のチップでいぶして燻製にする。奥多摩で採れた食材を奥多摩現地で燻製処理しているのだという。

川魚特有の野性的な身に、濃厚な香りが加味されていて、奥多摩ならではの地元食に値する。

生や炭火焼きはもちろんそれで充分に美味しいが、燻製岩魚は特別な食文化の結晶である。

初秋の御岳山を登山或は散策したのでした

御岳山に登った、或は散策したのでした。

というのも今時の語感的常識で云えば、登山とは山に登ることであり其れは即ち山を歩くこととほぼ同様の意味を指しているものであろう。であれば「登山」と云って何ら憚れるものは無いのではあるが、然しながらおいらが幼少のころに耳にしていた「登山」と云うにはギャップがあまりにも大きすぎるのであり、ここは御岳山を散策したと云うのが妥当だと考えていたのであった。ここで云う幼少のころの違和感を増大させていたのが、所謂人気野球スターこと長嶋茂雄選手が選手当時に「山ごもりをする」と宣言しては、どこかの高原温泉地で温泉に浸かってたりしていたという事実を耳にしたときではある。結局のところは東京を離れて、綺麗な空気の高原地帯で温泉に浸かりながらトレーニングに励んでいるということに尽きるのではないか? それを後生大事に「山ごもり」等と云う語彙に当てはめてマスコミ発表するなどと云うのは勘違いにもほどがある! と、些か青臭い感性にて感じ取っていたからであった。「山ごもり」=「温泉漬け長閑トレーニング」を受け入れるのには相当の年月を必要としていたことをここでカミングアウトしておくことにする。

前書きが長くなったが「御岳山」とは、東京都内であり、青梅市郊外の一地帯であり、実際に高尾山に次いで東京都内で登山客を集めるという有力な観光山なのである。都内に居住する人間にとっては散歩感覚でぶらりと訪れることが可能となっている。それくらいに親しみ深い場所なのである。

青梅線の青梅を下車して「奥多摩」行きに乗り換えて十数分乗り、「御岳駅」にて下車。バスでロープウェイの「滝本駅」まで十数分。そしてロープウェイに乗って登ること6分あまりで、「御岳山駅」に到着した。「御岳山駅」周辺には都内を展望することができ、天候事情がよければ「東京スカイツリー」「東京都庁ビル」等が眺められると云う。本日は空気が濁っていたのかそれほどの眺望が得られなかったのがちと残念ではあった。

ロープウェイ駅から歩くこと30分弱で、「武蔵御嶽神社」に到着した。歩道は緩急取り混ぜながらの興味深いつくりでもてなしてくれていた。神社下には数多くの宿坊が在り、商店街も存在する。旅人を山岳地域全体でもてなしていると云うことをありありと感じさせている。宿坊街、商店街の狭い通路ではスクーターで行き交う土地の人々が在り、まるで高原の一都市の姿を髣髴とさせているのだ。

神社へお参りした後に、商店街の食事処で、山菜蕎麦を食した。800円也。駅の立蕎麦屋に比べると倍ぐらいの値段だが、用いられている蕎麦の味わいや少々濃目のつゆなど、ジーンと胃袋に染み入って満足であった。現代登山とは云えども数時間の散策を行なった後の、浅い疲労感を払拭するパワーをもらうことが出来たのであった。帰り道は蕎麦のパワーで軽々乗り切っていたのだった。

紅葉の季節にはまだ早すぎいていたようで、路傍の樹木は少し枯れかけていたという、鑑賞的には中途半端なものではあった。いつか紅葉の時期にまた訪れるぞと云う希望を胸にしながら、帰路についていたのでありました。

秋のほかほか栗ご飯なのだ

土鍋で「栗ご飯」をつくった。冷蔵庫に残っていた椎茸と南瓜を加えて秋の三点盛り炊込みご飯だ。

土鍋の蓋から上がる蒸気が溢れると、ほかほかとした甘い香りが部屋中に漂っていく。水蒸気が吹き上がらなくなるころからがほんのりおこげご飯が出来ていく過程なのであり、耳を鍋に近づけて、しっかりと炊き上がりを確かめていく。火を止めてそのまま15分程度蒸したら出来上がり。

出来たてを口にすれば、栗のとろけるような甘味が口蓋中に広がる。甘味が染みたご飯もまた申し分が無いくらいにほっこりとした味わい。この時ばかりは椎茸も南瓜も存在感が霞んでしまった。殊のほか際立っていた主役は栗のほかほかさだったのであった。

「iPhone4S」の新OS「iOS5」をバージョンアップ的インストール

決してデジタル人間ではなく、どちらかといえばアナログ系人種であると常々自覚しているおいらではある。ところがひょんな思い付きで今日はまた、iPhone OSのバージョンアップ「iOS5」の導入などを試みたのだった。ご存知、iPhone4Sの発売と共にOSもバージョンアップして出荷されているものだ。実時間で1時間以上は費やしていた。

「iCloudを使用すると、写真、App、連絡先、カレンダーなどをデバイスにワイヤレスでプッシュ送信することができます」というアナウンス等があり、「同意しますか」には全て「はい」。その後は「結合しますか」と聞いて来た。よく分からないままに「はい」を押してしまっていたのだった。

この先にはまた様々な設定の為のあれこれなどが必要である。そんなこんなは後日またレポートしますので、今宵はこの限りにて。

冬が近づくとは「アン肝」が美味い季節になること

秋も深まり日没後の気温の低下も身に染みてくる。こんな季節の訪れは、美味い「アンコウ(鮟鱇)」の季節なのだ。殊にアン肝が夜の食堂、居酒屋にお目見えすることとなる。すなわち冬が近づくとは、「アン肝」か美味い季節になることを意味している。早速今晩は今季初の「アン肝」を頂く機会に遭遇したのだ。

其のものの文字通りに、鮟鱇の肝を蒸したりその他の調理を施して提供される。仏料理に欠かせないフォアグラにも匹敵するくらいに濃厚な味わいが、まさに依存症的虜にさせること請け合いなのだ。

今年は福島原発事故の影響で、魚介類にも放射能の影響が懸念されているところだ。何時に出荷停止になったとしてもおかしくは無いであろう鮟鱇をはじめとする東北海鮮の恵みである。じっくりと丹念に味わってみたのである。

焼きおにぎりに、秋刀魚のなめろうはよく似合う

深刻な原発被害が続いている中、秋のサンマ(秋刀魚とも書く)が大漁だと云うニュースが流れてくる。居酒屋メニューにも「新サンマ」ものが目についてくるこの頃だ。塩焼き、刺身、タタキとある定番メニューに混ざって「なめろう」なるものを発見し、それを注文してみたのだった。

出されてきたものは、三枚に身をそがれて、サンマの頭と骨のとぐろ巻きの上にたっぷりと乗せられているなめろう。ご存知のようになめろうとは、身の部分をタタキにし、味噌や葱などをあわせてなお叩いてつくる、漁師料理である。食べ終わった皿をなめるくらいに美味しいということから「なめろう」と命名されたという説が一般的だ。

そして待つこと十数分、運ばれたサンマのなめろうとやらを口に運んでみたところ…。味噌の濃厚な味にサンマが負けていたのだった。アジのなめろうのイメージを抱いた当初の期待は、最初の一口でうちひしがれていた。サンマの身はアジとは違い、食感も味覚もともに繊細であるが故に、味噌の強靭な味付けには少々力負けしてしまった嫌いがあったのだ。味噌の量を減らしていたらこんな味にはならなかったのかも入れないが、果たして量の問題なのか? あるいはサンマの身の問題なのかは判断がつかぬまま、結論を出しかねていたのであった。

おいらはそのとき、こういう濃い目の味付けの料理こそ、ご飯と一緒に食らうべきだと考えた。そして焼きおにぎりを追加注文し、おにぎりにつけて食べることにしたのだった。そしてその結果は、至極満足のいくものだったのである。焼きおにぎりに、秋刀魚のなめろうはよく似合う。

上にのせた写真が美味そうに写っていたならば、そのことがよく伝えられるのではないかと考えている次第なのである。

身体に悪そうだがついつい注文してしまう鶏のボンジリ

 

鶏のボンジリ(実は「ぼんじり」と書く方が多い)と云えば尻尾のところ、所謂テールである。目立たないがちゃんと軟骨も備わっているという。近頃焼き鳥屋(焼きトンを売るのではなく本物の「鶏」の焼き鳥を売る店のこと)へ行くと必ずと云って良い程このメニューを見つける。最初は興味半分で注文して見ていたが、近頃ではこのボンジリの誘惑についつい注文してしまうといった次第だ。

軟骨はあるとはいえ脂身だらけであり、鶏のジューシーな脂身を食したくなったらこの「ボンジリ」を注文するのが手っ取り早いのである。どんな箇所の鶏肉以上にジューシーでマイルドな食感と味わいが満たされるのだから、一旦の味わいを知ってしまったならば、ある意味の依存症的症状を呈するのである。

人間の身体中の脂身といえば、食物連鎖の結果として食べた食材の脂の種類に多分な影響を受けている。豚肉或は牛肉の脂、鶏肉の脂、魚類の脂、…等々の中では魚類のとりわけ青魚の脂身が「EPA、DHA」という種類の血液サラサラ成分が豊富であり、脳梗塞、心筋梗塞の予防にとってはもうしぶんが無いものだ。だが鶏肉の脂身とくれば血液ドロドロを招来しかねないものなのであり、健康食材とは云い難い。

それでもこうして口にしてしまうのであるから、虜になった味は健康に勝てないということの現れなのだろうな…。

ザックジャパンはシャンパンサッカーのエキスを修得したのか?

本日行なわれたワールドカップ3次予選では、タジキスタン相手に8対0という大差で完勝したザックジャパン。一昔前までのじれったい試合展開に比べると、相当な進歩である。ザッケローに監督就任により日本サッカーがこれだけ多様な攻撃パターンを培っていたなどとは思いもよらなかったと云えよう。

華麗なパス回しや意外性の高い攻撃力は、もしかしたら世界的サッカーの理想を表す「シャンパンサッカー」を、ザックジャパンチームが修得しつつあるのではないかという過度な期待をさえ抱かせるものだ。かつて日本サッカーが国際デビューして間もない頃、2001年3月24日に行なわれた対フランスの試合で、天才魔術師ことジダン率いるフランスチームに大敗した当時の、フランスチームの「シャンパンサッカー」はまさに憧れの的であった。華麗で意表をつくパスまわし、日本を子供扱いする圧倒的な支配力、そして偶然を味方に付けた試合展開は、何十年かけても日本には修得できない雲の上のものとさえ感じ取らさせられていたと云って良い。だがそんな試合展開を、今日のタジキスタン戦ではみせてくれた。

もしかするとタジキスタンが弱かったから出来た芸当なのかもしれない。或はラッキーな偶然が重なった結果なのかもしれない。今後こうした試合展開が見込まれる訳ではないことは承知しておかなければならないだろう。しかしながら今日の試合運びにおける日本チームの実力が、数年前とははっきりと区別される程のレベルアップがされたことは見て取ることができた。まだまだ予選通過まで気を抜けないが、本戦でも充分に戦える日本流「シャンパンサッカー」が身に付きつつあるように感じられたのだった。

たっぷりの根菜類で「けんちん汁」をつくったのだ

人参、大根、牛蒡、等々の根菜類が自然と貯まっていくこの季節。冷蔵庫の中の椎茸、蒟蒻等を合わせて「けんちん汁」にしたのだ。

素材は料理屋で出されるものよりも大振りにカットし、少量のサラダ油でじっくりと炒める。5分程度して、素材に熱が回って柔らかくなったところで水を加えて、じっくりと煮込む。20分も経てば硬い牛蒡も柔らかくなって食べ頃だ。

元々けんちん汁とは、鎌倉建長寺のお坊さんによって考案された精進料理の一種とされている。肉類、魚類を用いるのはご法度と云う制限がある。普段はカツオ出汁を使うところだが、今回は昆布茶の元を出汁代わりにする。椎茸や根菜類から滲み出る天然の出汁で煮込まれるので、とても優しい味付けに仕上がったのだ。

少々多めに作っておき、後で蕎麦のタレ汁にすればまた2度美味しいのだ。これから我家の常食のひとつになっていくだろう。

「八王子古本まつり」にて筒井康隆、辻仁成の古書に出逢う

八王子駅北口から西に伸びる通称「西放射線ユーロード」を主会場にして「八王子古本まつり」が開催されている。(11日(火曜)まで)

http://www.hachiojiusedbookfestival.com/

先日通り掛かった時には、路沿いに独特なテントが張られていたのを見て「何だろう?」と思ったが、これが八王子秋のイベントとして定着した「八王子古本まつり」であることを知り合点がいった。なにしろ大勢の古書店がこの時とばかりにセールスをしてくれるので、数年前からは毎回、宝探しの掘り出し物をゲットしていたのであった。

今回ゲットした掘り出し物は、筒井康隆氏の90年代初頭の、軽いインタビュー、エッセイ風もの、「幾たびもDiary」「文学部唯野教授のサブ・テキスト」の2冊。

[エラー: isbn:4120020444 というアイテムは見つかりませんでした]
[エラー: isbn:4163444904 というアイテムは見つかりませんでした]

そして「3冊100円」というセールスであったので、辻仁成氏の「ガラスの天井」という1冊を購入していた。これもまた偶然だか90年代初頭に発行されたものである。

[エラー: isbn:4087751562 というアイテムは見つかりませんでした]

両作家共に、オリジナルな世界観、人生観、文学観を有しており、そして何よりも悪しき国際主義に染まっていないのが魅力の根源である。何かといえばアメリカナイズされたグローバル主義が蔓延っている昨今にとっては、彼らのスタンスはとても貴重であり、何よりもの魅力の原点である。

近頃はといえば、仕事の合間や通勤途中などの時間を使って日常的に書店には通っており、面白い、興味深い、思慮深い、インパクトの強い、ドッキリさせる、或は何でもよいがハッとさせてくれる書物を漁っているのだが、何も見つからないというのが現実だ。そんな中での筒井康隆、辻仁成、両氏の本との出逢いであった。

上杉隆「ジャーナリズム崩壊」から読み解くメディアスクラムの異常な姿

[エラー: isbn:9784344980884 というアイテムは見つかりませんでした]

菅直人前首相に対する異常な追い落とし劇については未だに記憶に生々しいが、その背景にある大きな要因の一つが、日本マスコミ界に特有の「記者クラブ」という奇妙なる親睦団体の存在なのだ。この一冊によりそのことを認識した。

改めて上杉隆氏の「ジヤーなリズム崩壊」を読んでみたのだが、滑稽なまでに形骸化して糞ったらしい我国マスコミ人種達のあきれた所業と様態とが浮き彫りにされたと云って良い。

同書でも重ねて述べられているが、我国のマスコミ人種の横並び意識というものは日本固有のものだ。これは、ジャーナリストという職業的自覚を涵養する以前に、会社組織(所謂大手マスコミ)の一員としての意識を優先するのだという、途轍も無く愚かな慣習により雁字搦めにされているものであり、何をか云わんやの極北であるのだ。

本来は辞任すべきはずの無かった菅直人前総理である。誰が、何を目的にして、どういう方策にて、追い落としをはかっていったのか? 東電を始めとする腐った産業界の人脈によるものであることは明らかなのだが、それらの走狗として、マスコミ(マスゴミとして揶揄されるそのもの)の、恥ずべき生態が、日に日に明らかになっていく。

これからは「第3の権力」と称される「マスゴミ」の動向に監視の目を注いでいくことがますます不可欠になってていくのだ、残念なことではあるが…。

カニの無い「カニクリームコロッケ」など邪道には違いないのだが、時々喰いたくなるメニューなのだ

所謂マイブームの一つで、近頃カニクリームコロッケにのめり込んでいるのだ。

とはいっても、おいらがよく通う大衆居酒屋でのメニューであり、そのほとんどに「カニ」が入っていない。カニ風味、或いはカニ蒲鉾等のなんちゃってカニ風食感、等々にも出くわさないのであり、初めて其れに気付いた頃は、詐欺ではないかと考えていたものであった。

特に「詐欺度」が高いのは形で判るが、通常の「じゃがいもコロッケ」の様な形をしている。洋食系のものはと云えば、楕円形の所謂「俵型」をしており、俵型コロッケには、カニの風味やら食感やらが含まれていたことを記憶している。だがおいらの経験値に依れば、じゃがいも型カニクリームコロッケのほとんどは、カニの風味さえ感じ取ることが出来ないものである。

なのになんでこういうメニューが幅を利かせているのか? と云うのが先ず最初の疑問であった。

コロッケの起源は仏蘭西の「クロケット」であるとされている。此れがまさに「クリームコロッケ」であり、多分は俵型をしていたのであろう。だがカニが含まれていたという歴史的記述は見当たらない。だとすればこの「カニクリームコロッケ」と云うメニューは、日本産洋風コロッケのことを指すのではないか? 恐らくはそういう結論が、導き出せよう。

「洋風コロッケ」のことを「カニクリームコロッケ」と名付ける感覚は分からないでもない。だがしかしながら「カニ」が入ってもいないのにカニの冠を冠するのはやはり詐欺的ネーミングではある。

最後のまとめになったが、何故においらがそのような「カニクリームコロッケ」を注文するのか? と問えば、熱々のクリームがじわっと口に入ったときの刺激が堪らないからだと記しておこう。熱々のクリームシチューが、とても刺激的なシチュエーションで口に入るという、この特別な嗜好性が何ともいえないと云うことなのである。

千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展が開催

千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展が開催されている。

http://www.tamron60.com/

主催しているのはカメラのレンズメーカーとして有名な「タムロン」。60名の写真家が今年の2011年に、同社の「18-270mm」レンズを使って撮影した写真が一堂に展示されている。云わば使用する道具が限定されているという、ある種とても珍しいコンセプトの写真展であると云えよう。

実はこの、タムロンの「18-270mm」レンズはおいらも愛用しているレンズだ。超高倍率のズームレンズでありながら軽量コンパクトであり、一眼レフカメラに装着すればこの1本でほとんどすべての撮影が可能になるという、一時代前ならば夢物語でも語られたような秀逸なレンズである。

ズームレンズは単体レンズの良さに取って代わることはできないながらも、理想的なズームレンズの姿を体現していると云えよう。

殊にぶらりと手軽に出かける小旅行にはとても重宝すること請け合い。実際においらもまた、ニコンの一眼デジカメにこのレンズを装着して撮影に臨むことが非常に多くなってきているのだ。ほぼ9割はこのレンズによる撮影だ。ちなみにそれ以外のレンズを使用するのは50mmのクラシックレンズと、11 ~ 16mmの超広角レンズくらい。この3本でほぼ全ての撮影が可能になっている。

写真展に参加している作家作品の多くは、現役作家として活動を続けており、木村伊兵衛賞受賞者などの高名な作家も含まれている。そして彼らの作品の多くが旅行のスナップで占められている。紋切り型の観光写真もあるが、肩肘張らないで素直に撮影した、ハッとさせるくらいに新鮮な作品も混じっていた。

何時でも何処でも撮影が可能だというこのズームレンズの使い勝手は、想像以上のものがありそうなのである。万能オールマイティレンズの使用感を実感させるのだ。