雑穀米の「健康ごはん」を求めて御徒町小町食堂へと足が向く


おいらは米のご飯が大好きであり、以前には玄米ご飯に凝って毎日毎日玄米ご飯の弁当を作っていたこともあった。だが近頃はといえば白米中心なのだし、それも自宅で炊くことが少なくなってしまった。玄米ご飯を炊くには、選ぶ玄米について農薬の少ないものを選ぶ必要があり、そんな良質の玄米を入手できなくなったということが大きな要因である。

そんな中で、雑穀米の需要は高まっており、おいらもときどき、雑穀米ご飯を求めて御徒町小町食堂へと足が向くのだ。

この食堂はといえば、先ず驚かされるのが24時間営業の食堂であるということ。夜の食堂に立ち寄ってみると、ビールとコロッケといったメニューで一献やっている人が多いのだ。おいらもその伝に便乗して注文し、やってみたらば意外やうける、面白い飲食処であるということを発見した。これから益々この場所で、一献傾けたくなったという思いを強くしたのだ。

■御徒町小町食堂
東京都台東区台東3-15-1
03-3834-1801

トリ貝ときのこの炒め料理に秋を感じる

image

秋の代表的食材であるきのこがたっぷり、そして生きの良いトリ貝をあわせてバターで炒めた料理。これがなかなかいけたのだ。

豚や鶏肉ではなく旬の貝を用いているのがミソ。テーマは秋ということであり、いつもよりちょっとばかり贅沢気分になれたのでした。

きのこ料理がこれからますます楽しみな季節だ。残暑が厳しいなかでまだ鍋料理は遠いようだが、もう少しす研究しておきたいと思ったのだ。

希少部位だが適応外「マグロの卵炙り焼き」を味わう

世の中には殊に日本の食事処には、マグロにこだわって提供する類の店が多い。おいらもそんな店にはたまには足を運びたくなり、マグロの希少部位などを味わったりしているのだ。

中央線を途中下車して訪れたその店では、マグロの中落ち、赤身をはじめとして様々な部位を提供している。本来は「カツオ派」のおいらではあるがたまにはライバルの「マグロ」の味を堪能したくなることもあるものなのだ。そんなときに立ち寄る店のひとつがここだった。

本日メニューに載っていたものの中から「本マグロの卵炙り焼き」を注文した。マグロの卵といってもイメージが湧かない。一体どういうものかという好奇心が先に立っていた。少し時間が経つと、店先でバーナーで何かを炙る光景を目にしていた。そして提供されたのが上の写真であった。

出てきた料理は熱い鉄板に乗っていた。店員から「熱いですから気をつけてください」と云われ恐るおそる箸を付けてみたところ、塩漬けする前のタラコのような魚卵を目に焼き付けていた。かといって形よい袋に包まれているのではなくしてドーンと中身が投げ出されているような姿形である。箸を付けて口に含むと、タラコよりも大味だがポクポクとした魚卵の食感が刺激的だ。塩漬けなどもしていないのだろう、淡白であるが甘味がぎゅっと詰まっていて、満足溢れる食べ応えである。

思わずその逸品料理に溺れるくらいになっていた。だがハッと気付いたのは、それが魚卵だと云うこと、すなわちプリン体が沢山含まれた食材であり、通風持ちのおいらにとっての適用外のものであったのだ。だがタラコと同様においらはこの味の魅力を知ってしまったから大変だ。

これから時々はこの「マグロの卵」料理を求めて中央線を途中下車してしまうかもしれない。オーマイガッ!

北の海鮮がどっさりの「北海丼」に舌づつみなのだ

image

うに、蟹、イクラ、ホタテという人気海鮮がどっさり乗っかった「海鮮丼」。確かメニューには「北海丼」と書いてあった。ランチだとこれで800円。夜注文したら倍くらいは請求されるだろうか。

そもそも北海丼と称するには北海道でとれた食材を丼にしたものであるはずだ。うに、蟹、イクラ、ホタテもそれぞれに北国の香りを感じるが、こと「ホタテ」については北海道よりも青物が本場であり、実際の流通量も圧倒的に青森が強いはずである。

 この丼に「ホタテ」が乗っていてとても美味かった、つまりは味の〆を演じていたと見ているのだ。つまりホタテは陰の主役でもあった。北海道の人気海産物を前にして、多分青森のホタテは影が薄かったかもしれないが、これが在ったからこその味のハーモニーとでも云えるのであり、おいらは断然に青森のホタテにこれからもずっと愛着を持っていたいと感じたのである。

八王子河原敷でのイベント「みんなちがってみんないい」

八王子市内を流れる浅川の河原敷で「みんなちがってみんないい」というイベントが開催された。

http://homepage3.nifty.com/minnatigau/

生憎ちょうど昨日は、自転車がパンクして修理に出していたりした為、距離にして3~4kmほどの道のりを歩いて、その会場に向かうこととなった。秋に入ったとはいえ直射日光は直に川沿いを歩くおいらを襲い、会場に到達する頃には汗がだくだくと流れて止まることが無かった。

これまでも都内への通勤や自転車による駅と自宅との行き来やらではの行動で、一定の身体活動は行なってきているのであるが、改めて長距離の散歩を行なうと云う事態に直面して、健康生活への自覚を深めたものとなっていたようである。

会場に到着した時刻は既に昼時を過ぎていたこともあり、タイ屋台料理の春雨炒めにぱくついたりしていた。その料理は想像以上に刺激的においらの口腔内と喉とエスニックな辛味で満たしていたのだ。

会場には国際色豊かな食べ物を提供する店舗のほか、2箇所に設けられたステージ上での音楽演奏、パフォーマンス、さらには東北大震災を撮影した2人の写真家による展示会など、様々なイベントが息づいていた。

青い空と白い雲の下に広がる河原を舞台にした祭り会場には、家族連れ参加者が多くみられ、綺麗な水の流れる浅川に入って水遊びをする光景が、自然と目に入ってくる。都内にもまだまだこんな場所があるのだ。

改めて書くのもなんだが、このイベントのタイトル「みんなちがってみんないい」は、童謡詩人として活躍した金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」の詩から引用されたものである。時代が移り変わっても決して褪せることのない、生命の尊さが瑞々しく表現されており、おいらも大好きな一編である。素朴でいてわかりやすいこの詩をここに掲載させていただきたい。

―――――
わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

TVでの池上彰解説のどじょう内閣賛歌は異様だったが…

新聞報道等によれば、野田佳彦新総理の評判がなかなか良いそうだ。

新聞各社の調査によれば軒並み60%以上の支持率ということであり、戦後内閣の何番目だとか云う報道がされていた。本日のTV番組でも池上彰という元NHK子供番組担当者が小学校の社会科授業よろしく、野田首相の高支持率の解説などを行なっていたのであり、またまたTV芸者よろしく復帰したい意向のようなのでもある。

低姿勢であり慎重、かつ周囲への目配りもよろしいと云うのが理由のようだが、新米通商大臣の舌下事件などもあり、内閣自体はそれほどの安定しているとは云えない。自らをどじょうになぞらえた新首相だが、これからどのような日本の舵取りをして行くことになるのか?

野田新政権には期待も何も無いということを前提に、これから述べていくのであるが、どじょうだか何だか知らないが、どじょうの泥の皮がいずれ剥がれていき、そんな泥のはがれた野田氏の素顔は、果たして国民にどう映っていくのだろうか?

泥臭くて不細工だったのは実は表の顔であり、いずれは素の顔(泥の皮が剥がれた相貌)をあきらかにさせることが来ることなのだろう。

改めて云うがおいらは何も期待していないのだが、そんなときが来てあたふたするのは民主党関係者のみならず、(協定的活動を行っている)報道関係者や、あるいは自民党等の野党関係者、その他様々な関係者なのかもしれない。

菅直人前総理をコケにしていた輩達に対しては、いずれ刃が己にのしかかってくることはお天道様ならば良くわかっていると思われる。馬鹿者たちの哀れ也候。

まるで漬物的魚料理の「赤魚の粕漬け」

「赤魚の粕漬け」という料理を食した。白身魚のうちの何かの魚である「赤魚」を粕むに漬け込んでのちにじっくりと焼き込んだものだ。

白身魚はそのまま焼くと何だが淡白過ぎてしまい、味気ない。そんな欠点を補うのが「粕漬け」という調理法だ。キュウリや茄子や大根を粕で漬け込んだりすると美味い漬物が出来上がってくるのだが、そんな良きスローフードの調理法を魚料理に持ち込んだメニューがこの「赤魚の粕漬け」だった。

美味くないはずが無いのである。

秋茄子の味噌炒めはぐっと舌に染み入る味わい

俗に「秋茄子は嫁に食わすな」という。それくらいに秋に収穫される茄子は熟して実が肥えて美味いということである。

嫁いびりも盛んだった頃の喩えとはいえ、品も無い上に味気もない一句だが、秋の茄子は夏の茄子よりも重宝がられていたということを如実に示している。

ともあれいったんの旬の時期を過ぎて、茄子が益々美味しい季節に入ってきた。夏の代表選手としての茄子だが秋に入って益々更に熟して実をもうけるというのは、一体全体茄子って云う野菜君は夏派なのか? それとも秋派だったのか? とまあ、訝しく感じることもままである。

それでも実際のところは秋の茄子のほうが断然に美味だという声を強く耳にする。希少性やマニア向けの嗜好とも関係しているに違いない。

定食屋の「茄子の味噌炒め」を口にして、その思いを強く感じていた。秋茄子は夏茄子よりもぐっと来る。それは本日のおいらの舌で実証した事実でもあった。

それにしても茄子の味噌炒めというメニューは、日本人であるおいらの味覚にとてもとても強くフィットしている。こんなにも相性の良い食材と調味料との妙と云ったら、他には数えるほどしか思いつかない。

それくらいにぐぐっと感じる逸品メニューだ。

「アーツ千代田3331」にて「千代田芸術祭2011」が開催中

千代田区の旧練成中学校を改修して昨年オープンした「アーツ千代田3331(3331 Arts Chiyoda)」にて「千代田芸術祭2011」が開催されている。(9/3〜9/19火曜休場)

http://fes.3331.jp/

昨年の「アンデパンダン展」がスケールアップして企画された展示会ということで、1階メインギャラリーでの作品展示に、コミュニティスペースと屋上にて「ステージ」や「マーケット」の催しが加わった。

展示部門のジャンルは設けられておらず、油画、アクリル画、立体作品、写真、ビデオ、その他、多岐にわたっている。広く市民アーティスト達の表現の場として生まれた同会場においてジャンル等々の出展の規制を設けることなどナンセンスであり、会場にはジャンルを超えた表現の息吹が渦巻いていたのであり、企画者達の基本的な目的は達成されていると見える。「アンデパンダン展」を称した展示会であるからしてあからさまな職業批評家達のコメントやらは避けられており、当たり前のことながら風通しの良い展示会と云う印象を与えている。

先述したようにこの会場は元は区立中学校だった場所だ。校庭はそのまま公園として再利用されている。通常こういう場所のことを「廃校」と呼ぶのかもしれないが、こと旧練成中学校に関してはこの言葉は当てはまらない。現役の校舎としてそのまま使えるくらいに、旧校舎と場に関係する人々、あるいは行き交う人々との関係性が密にあるということを感じさせるに充分である。庭の花壇には昼顔が花を咲かせ、ツルが天然の緑のカーテンを形作っていた。

2階、3階は貸しギャラリーとして機能しており、様々な個人やグループによる展示が行われている。階段や廊下を歩いているだけで、中学生の時代にタイムスリップして気分にもなれて、それだけでもわくわくしてくる。おすすめのスポットである。

■アーツ千代田3331
〒101-0021
東京都千代田区外神田6丁目11-14

美味いどじょうが食べたいのだが、近くにどじょうの店は無し

野田佳彦という「どじょう総理」が誕生したことにより、どじょう人気が高まっている。地味で泥臭いが実行力があって頼もしい…等々の評価のためか、どじょう人気はバブル期の株価の様でもある。

念のために記しておくが、おいらはどじょう総理が誕生するずっと前からどじょうが大好きであった。おいらこそは野田総理にも引けをとらぬくらいなどじょう大好き人間なのである。のみならず、当ブログにもどじょう料理については数回記述している。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=4477

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2200

あらためて振り返ってみれば、たまに行くならこんな店、としての「どじょう料理」を紹介してきたが、いざどじょうが食べたいと思ったときに、近くにどじょうを提供する店が無いことに気付いた。地元のよく行く居酒屋のメニューには「どじょう鍋」があったのだがいつも「売り切れ」だった。今年に入ってからはメニューに墨で塗りつぶしてあった。嗚呼残念。

そんなこんなの経験を繰り返しているうちに、どじょうと云う川魚は、馴染みがありそうでいて実はそうではなくて特殊で稀少な川魚のではあるまいかと考えていた次第なのである。

野田総理がそれほどに特別な存在であるとは毛頭思えないが、ことどじょうの存在については、とても稀少であり特別な存在感を持つのであると、ここ数日の間ずっと考えていたと云う訳なのだ。

どじょうを食べると須らく、泥や骨の味覚を一緒に味わうことになる。泥と骨とは、今日的政治家の資質としての大切な資質であると云うことなのかもしれない。ただし野田総理がそんな資質を有しているのか否かについてはもう少し観察、洞察の必要がありそうなのだ。

居酒屋で食べる「もつ煮麻婆豆腐」は刺激度満点のニューウエーブ也

時々足を運ぶ中華居酒屋にて「もつ煮麻婆豆腐」という新しいメニューを発見。早速食べてみることにした。

 出てきたその料理は、いかにも辛いげな麻婆料理のギラギラしたアブラぎった風体で現れた。こういう料理はこちらもそれ相応の対処が必要となってくる。まずは胃袋が、襲いかかる辛みでもって悲鳴を上げたりはしないか? 消化の悪いもつなどが後日に胃腸障害などを引き起こさずにいられるか? あるいは折角のダイエット指向が無駄になってメタボ体質に逆戻りはしないか? 等々とチェックしておくべきポイントは多いのだ。

 それでもこのメニューを注文し、実際に食してみたというのにはそれだけの理由があるのだが、その理由とは一言で述べれば、「刺激を求めて」だったと云うべきか…。

 日々の喉と心とその他あれこれを癒してくれる居酒屋のメニューも、ときにはガツンとした刺激が欲しいのである。毎日同じようなメニューを口にしていると、それはとても癒しのメニューとは云い難くあり、ガツンとした刺激を味わってこその晩酌メニューと云って良いのであり、そんなことから求めるのが刺激メニューなのである。

 ギラギラと赤光りする料理の表情に接して、これは相当にダイエットにもその他諸々の身体にとっても良くないだろうな、と確認したところで、口にして喉に、胃袋、小腸、大腸へと流し込むことの欲望に抗うことはできなかった。こうした時々の悪しき食生活を繰り返すから、おいらの健康的食生活はまったくもっての幻でしかなくなってしまったのだ。

 口に含めばピリリとした刺激が心地よい。唐辛子のストレートな辛さの後にじんわりと辛い花椒の刺激が待ち構えている。花椒即ち中国胡椒のじんわりと来る辛さこそが「麻辣味」の醍醐味であるのだ。

 加えて煮込んだ「もつ」が入っている。しかも一般的な内蔵の小腸、大腸に加えて「トリッパ」「ハチノス」等と呼ぶ牛の第二胃袋が存在感を持って主張しているのだ。煮込んだモツだが噛み切るには少々の顎の筋肉を使う必要が生じる。顎や顔面の筋肉体操にもなっており、意外なところで貢献していくのかもしれない。

ぎんなん(銀杏)の串焼きに秋を感じた

銀杏の串焼きを食した。今季初めてであった。

 通い慣れた居酒屋にて、メニューを改めて眺めれば、串焼きに「ぎんなん」の文字を発見。秋はまだ遠いとばかりに感じているが、いつの間にかもう秋の味覚も味わえる季節となっていたという訳である。

 

銀杏とはそもそも、イチョウ木から育てられた果実のことである。イチョウの葉が黄色に色付いてみせるのはまだまだもっと先のことだが、秋に入ればイチョウは実を宿そうとして気合いが入る。

普通の実が熟するにはまだまだ時が早いはずなのだが、銀杏もどこかで静かに実を蓄えている。これから秋全開の実りの季節が非常に待ち遠しいと思えるのだ。

我家で食した「納豆とんぶり御飯」は「佐原屋」のを断然に凌ぐのだ

御徒町の「佐原屋」へ訪れるとよく注文するのが「納豆とんぶり」だ。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=4015

「山かけとんぶり」等とともにおいらの大好きであり、同店の看板メニューでもあるのだが先日は、同店のメニューにおける欠陥を発見したのだ。それは御飯に乗せて食べることが出来ないと云うこと。

先日このメニューを口にしていたとき、ふと思い付いて「御飯が欲しい」と注文したのだが、願いは叶えられなかった。

御飯くらいは何処の飲食店でも用意しているはずだが、「居酒屋」「酒呑処」…等々の看板が邪魔をしていて日本人の飲食の基本であるべき御飯も提供できないと云うのだからがっかりだったのである。

ならば我家で、満足できるメニューを拵えてみようではないかと思い立って、都心のスーパーを覗いてみたら「とんぶり」が見つかった。喜びいさんで持ち帰り、納豆、葱、その他食材を合わせてみてそして、温かい御飯の上に乗せて食べたのだが、想像以上に絶品の味わいなのであった。満足至極のメニューである。

そもそも居酒屋だから御飯を出さない、出せないなどと云う口上は、はなはだ客の気持ちを踏みにじっている行為である。こと飲食店関係であれば、御飯を出してくれと云う客の要望には真っ先に応えるべきであるのに、何故だか勿体をつけて「御飯はありません」等と云うのはまるで、料理屋の基本を蔑ろにしている行為である。

全くもって不条理至極なのだったのではあったが、今宵はこうして美味いメニューと、美味い晩酌の酒にありつけたのだから良しとすべきなのかもしれないな。

【追記 とんぶりとは】
ホオキギという1年草の成熟果実を元にして加熱加工したもの。中国では漢方食材として利用されている。「野菜のキャビア」とも称され、黒緑色のプチプチとした食感が人気だ。旬のものは9月から流通する。注目の食材なのだ。

阿佐ヶ谷から古き良き「ゴールド街」が消えていく

中央沿線沿いの「阿佐ヶ谷」から「ゴールド街」が無くなってしまうというニュースを目にして、慌ててその「ゴールド街」へと向かってみたら、もうそのあたり一帯はもぬけの殻状態に近い様であったので喫驚仰天の心持ちなのである。

阿佐ヶ谷「ゴールド街」と云えば、おいらが10年と少し前に中央線沿いに移り住み着いて以来、幾度となく訪れていた好みの地域である。阿佐ヶ谷駅を降りて東側の信号を渡るとすぐに、その界隈一帯のビルにぶつかっている。そんな足の良さもあってか、あれやこれやの時間帯をその界隈の散策に勤しんだりしていたものである。

ちょっとばかり変てこりんな「葉山房」という居酒屋が在った。店舗内には大きな水槽が設けられており、熱帯魚や金魚みたいな風体をした魚達が泳ぎまくっていた。そんな光景を眺めながらちびりちびりと酒をたしなんでいたものである。だがそんな居酒屋「葉山房」もいつの間にか姿を消していた。つまみを何を食べたとかそんなことはほとんど記憶の埒外に追いやられているが、阿佐ヶ谷を訪れて帰りに立ち寄る場所としては、おいらが最も親しんだスペースであった。そんなスペースが今は無い。

駅から徒歩にして1分未満の場所に位置する2階建てビルであり、耐震構造に問題在るとも思えない。だがJR東日本はここを取り壊して新しいビルに立て直すのだと云う。訪れたビルの2階の店舗街は既に封鎖されていた。風情あるこれまでの「阿佐ヶ谷ゴールド街」は、どこにでもあるようなJR駅中のビルへと様変わりしてしまうのだ。残念至極なり。

古い歴史的建造物は人々の歴史を感じさせるが、新しい駅ビルはただ貪欲な功利主義の欲にまみれふざけ切った出店企業の営利活動の排出物を受け取るばかりであり、それ以上の風情のかけらも無い。

 おいらも旨い酒など求めて一献傾けるつもりで阿佐ヶ谷に立ち寄ったのだが、望みも叶わぬまま再びの中央線ホームから乗車し帰路についていた。全くもって徒労の時間だったのである。

色川武大氏偏愛の「鮭のまぜ御飯」は流石に美味だった

[エラー: isbn:9784334740559 というアイテムは見つかりませんでした]
先日ふとしたきっかけで、色川武大氏の「喰いたい放題」の文庫本が目に止まって読んでいるのだが、なかなか興味と食欲とをそそられる内容だ。

相当な食いしん坊であった色川氏は、まあ相当な偏愛的美食家でもあったと見える。冷やしワンタンから始まり松茸鍋、上海蟹、鱈子、鰻、等々はまずは定番だが、一番食べたいものが「御飯」、そして副食物の極め付けが「ふりかけ」と云うんだから本物である。

そして、本物食いしん坊の色川氏の同書で、何度も登場するのが「鮭のまぜ御飯」なのだった。一塩の鮭の身をほぐして、大場を揉んだやつと混ぜ合わせる、というこれだけのレシピ。これが何度も登場しているのでついつい作りたくなり、バーチャル食欲が湧き上がっていたと云うことなのだ。

そうして作ってみたのが上の写真である。煎りゴマなどを添えて多少のオリジナルを演出してみた。難しい調理法などは全然採用されていないが、食べたところこれがなかなかの味のハーモニーだった。一流の料理とは素材と素材のハーモニーであることがよく分かる。流石は本物食いしん坊だけのことはある。

苦くて美味いゴーヤの食べ収め

「ゴーヤのおひたし」という珍しいメニューが目に付いて注文してみたところ、その苦々しさがストレートに舌を刺し、まことに珍しい食事の体験だったのだ。単純にゴーヤをスライスしたものを塩で浅漬けにしたものに、鰹節がまぶされていた。

今年の夏はゴーヤをそれ程食べていないな、それ程特別な付き合いをしてこなかったな、そんな回顧的気分に一瞬とらわれていた。おいらは夏には夏の野菜の中でも最もゴーヤに愛着を持っている。キュウリ、トマト、ナス、ピーマンと、いった夏野菜のどれよりも以上にゴーヤが好きなのだ。

涼しい秋風が吹きかう今の季節になっては、ゴーヤの何とも云えぬ猛暑ならではの味覚体験は難しくなった。猛暑でくたくたになり、汗だくた苦になった身体を、ゴーヤは俊としてくれてことがあって、それこそが食と味覚と季節の相乗作用だったと認識しているおいらにとって、ゴーヤとは特別な味覚を届ける稀有な食材だった。今日が今年の食べ収めかと思うととても切ない思いにとらわれてしまっていた。

造反無理政局の行方6 野田佳彦内閣どじょう政治の限界

この「造反無理政局の行方」のサブタイトルでブログを記すのもいよいよ最後となった。

野田佳彦氏が海江田万里を破り民主党代表に就任したことで、最悪のシナリオは回避されたようだ。ただ野田という政治家については知名度も低いどころかこれまでにほとんど政治的活動に関して注目されたことが無く、いかにもぽっと出の感が否めない。代表選挙の演説が高い評価を得ているようだが、日本国内の政治環境の中ではそうかもしれないが決して国際的に通用する様なレベルではない。彼の経歴についてはほとんどを知らないが、年期の入った雄弁役者といった以上のインパクトを与え得るスピーチでなかったことは確かである。

そんなスピーチで彼は自らを「どじょう」になぞらえ、金魚になれはしないのだから、自分はどじょうのように泥臭い政治を行なうのだと宣言してみせている。どじょうは美味いが金魚は食えない。食ってなんぼのどじょうがエライのだという、泥の中に生活の基盤をもち活動を行う人々の心情に仮託させた比喩として捉えることもできよう。新幹事長に任命された輿石東氏の座右の銘に、野田氏が乗ったという報道も一部には流れている。政治的駆け引きの言葉として受け取ることも可能である。

野田氏のこうした発言は相当な自信の現れとして受け止められている。自らを地味な存在、卑下した存在として定義してみせることで、相手との融和を導き出そうという狙いを秘めているのだろうことが推測可能だ。菅直人前代表が相手との対立軸をひたすら強調することで、「脱原発」や「脱金権政治」を少しずつ実現させてきたことと比較すると、一見大人の態度にも見なされないことは無い。「泥臭い大人の政治家」といった評価が定着するのにそう時間はかからないだろう。だがそれこそが最大の欠点であり、そう遠くない今後において思い掛けない陥穽を招来する大きな要因でもあるのだ。

党内融和や大連立等というものは何の意味も持たないことは、数々の歴史が証明していることでもある。「融和」を目指した政治等というものは前世紀の遺物であるということを、野田氏ははっきりと認識する必要があるだろう。つまりは彼が在任中の政治はこれまで以上に停滞した意味の無い(ナンセンスな)時間とともにあるということが、残念ながら内閣の発足前から見て取れるのである。

横浜「黄金町」ガード下のアートスポットに注目

「ヨコハマトリエンナーレ2011」のあとで、黄金町から日の出町駅ガード下のスポットを訪れた。伊勢崎町の市街地からも近いこの一帯はかつて売春窟として有名であり、犯罪の温床ともみなされていた場所である。2000年代に入ったそう遠くない頃に、古くからの地元住民や警察関係による浄化の運動が展開されてきた。かつての売春宿や違法店舗が消えて空き家になった場所に、アーティスト達が活動や発表の場所として利用している。街ぐるみでアートのスポットとして再生させようと、様々な試みが行われているのだ。

http://www.koganecho.net/

2008年からの「黄金町バザール」は、今年は「ヨコハマトリエンナーレ2011」と合わせてスタートし4回目を迎えた。町興しに日本国内外のアーティストが参加し、今流行の「絆」を深め合おうと云う活動が展開されている。ガード下には新しいスタジオや制作の拠点が生まれており、町の再生という目標を後押ししているとも云えるのだ。

「黄金町バザール」の事務所を兼ねる「竜宮美術旅館」では、古めかしい旅館の建物の場を利用して、松澤有子さんの作品「ひかりを仰ぐ」等の作品を展示している。木賃宿風情の一角には風呂場が設置されているが、その場がアートとして再生されており、希望者が申し込めば1日1組に限り入浴も可能だと云うことだ。場とアートとイベントとが一体化したユニークな試みとして注目される。機会があればおいらも一風呂浴びたいものだ。

その他、ガード下を歩けばアートグッズを扱うショップや、若手アーティストの制作現場に遭遇することとなる。9月からは作品発表の場として様々なイベントが企画されているようなので注目しているところである。

横浜の「ヨコハマトリエンナーレ2011」は温故知新の美術企画展なのか?

現代アートの国際展として3年毎に開催される「横浜トリエンナーレ」。09年に続き今年は第4回目となる今年の展示が8月6日から開催されている。期間は11月6日までと、3カ月間の長い日程をとって開催される、我国における美術の一大ムーブメントだ。いつかは訪れねばという思いを漸く本日は解消することが出来た。とはいっても4カ所でイベント展示されているうちの2カ所を訪れたのであり、まだあと半分の後半戦を控えているのではある。

http://118.151.165.140/archives/index.html

サブタイトルには「OUR MAGIC HOUR 世界はどこまで知ることができるか?」とある。何やら意味深な響きやらが冠されているが、経験から見ていけばこういうものにはほとんどスルーするか無視するか、あるいは邪険にするか、兎に角は真に受けないでおくのが肝心である。聞き流しておくに限る。

そもそもこんなサブタイトルだとかの代物は、キューレーターだかプロデューサーだか、ディレクターだかなんだか知らない人種たちがお遊びで付け足してみたものと相場が決まっている。アートのいろいろを理解しているとさえ云い難い。今回の企画展の総合ディレクターだと云う逢坂恵理子という人のコメントをある雑誌で目にしたが、全くもって要領を得ない。「体験」とか「想像力」とか定番の語彙を絡ませ小中学生に美術の授業を行うくらいのものでしかなかった。まるで自分でも何を解説しているのか判らないだろうポイントがずれていたものであったので、唖然としたものではある。それでも「総合ディレクター」とやらが務まっているのだから日本の美術界はそうとうに没落悪化の一途なのではないかと危惧しているくらいだ。

実際に小中学生は観覧料が無料ということで、多くの小中学生が夏休みの課題をこなすためなのか、ペンや筆記帳等を携えて美術鑑賞を行なっていたのだ。だいたいにおいて現代美術の鑑賞を小中学生に課すということ自体に、現代美術への無理解が根底に在ると思えるのである。

おいらの今回の目当ての一つは、横尾忠則氏の近作を鑑賞することだった。ネットや一部媒体にて作品のコピーには接していたが、実作品に接することが真の鑑賞の第一歩となるが故にその行程が急がれたのだった。ところが生憎、横尾氏の作品は撮影不可という扱いになっていたため撮影取材が不可能となりがっかり至極であったので、感動も半減させられたと云うしか無いのだった。黒いトーンを基調にして、闇の中から浮かび上がるようにして描かれていた街中の風景たちは、想像していた以上に大仰に黒のトーンをまき散らしておりそれなりの迫力満天の作品であった。迫力といつたついでに加えれば、100号かそれ以上の大作も数多く展示されており、此処へ来てこの時代での横尾氏の制作力には目をみはるしかなかった。作品の大きさと作家のパワーとが凄く同次元で感受できたのであり、これはこの時期にとても意義ある美術鑑賞体験だったのだと考えているのだ。

さてそれ以外の作品について。まずは今は亡き過去の「現代美術家」たちの作品への邂逅に対する感動が大きかった。マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、マン・レイ、等々、美術の教科書にも載っている巨匠達の作品を直に目にすることの、衝撃度は大きかったと云うしかない。先述した欧州の作家以外にも、古今東西、砂澤 ビッキ、歌川(一勇斎)国芳、たちの作品への憧憬は凄いものがあった。砂澤 ビッキ、歌川(一勇斎)国芳らについては少々研究の上、改めてコメントしたいと考えている。ただし現在生存中で活躍中という真の現代作家達の作品には、特に何も受け取るべきものを得なかった。国内外を問わずそれは歴としていた。

もしかしたらこの国際美術の展示会は結果的に、「温故知新」ということの再認識をもたらすためのものだったということになるのではないだろうか…。