ウズラ卵入りの大振りたこ焼き

帰宅途中の街並みには露店屋台が並んでいた。本日は二の酉の日に当たり、祭り好きの八王子も祭り一色となるのだ。

たこ焼き屋はやはりこうした屋台の代表格であり、久しぶりに注文して持ち帰ることにした。閉店間際だったのだろう、1袋(6個入り500円)を注文したらおまけでもう一袋付いてきた。あまり愛想の良くないお兄ちゃんが妙に照れて「おまけですよ」と云っていた口ぶりが妙に印象的だった。

家に着いて未だほかほかと温かいたこ焼きを口にした。箸で中を突付くと、ウズラの卵が真ん中にでんと居座っていた。そして肝心のタコといえば、妙に小さく切身にされてチョコチョコと顔を出していたが、その存在感は薄かった。口当たりは良いがタコの味もあまり口の中で広がらなかった。たこ焼きにとって主役であるべきタコと云う具材が脇役へと追いやられていた。おいらはこのときタコの悲哀を感じ取っていたのである。

一袋(6個)を平らげて箸を置いた。明日の朝食に取っておこうと思った。朝食で食べるたこ焼きの味わいは如何なるものであろうかと、少々と興味を持ったのだった。

きのこいっぱいの「土鍋きのこご飯」でほっこり満腹

秋の味覚の代表であるきのこを色々買い求めて、それを土鍋のご飯にして炊いたらばとても秋深き味覚を味わうこととなったのでありました。

舞茸、シメジ、椎茸、等々。理想としてはここに「ヒラタケ」が欲しいところであるが、ヒラタケの生産地は福島県内がほぼ独占的に占められているのであり、やはりと云うのかここでも原発事故の放射能汚染の悪影響が、不自然な食生活の原因となって立ちはだかっているのだ。

改めて東電原発事故の影響度の深さを認めざるを得ないのである。福島県内のみならず、何バ百万人もの人々の生活を蹂躙しつつある東電並びに電力関係者の罪の深さを示しておきたい。東電は頑張っている等々の欺瞞的報道も、あるいは個人的主張も垣間みるが、そんな愚かじみた声には惑わされることの無いように気をつけていきたいものである。

数種類のきのことともに、鶏のもも肉をカットして具材にした。鶏の繊細な脂身がキノコにも程よく染み入って、奥深い味わいの土鍋ご飯が出来上がったのだった。

甲府盆地の絶景を眺めつつ「ほったらかし温泉」に入浴

山梨県山梨市の「ほったらかし温泉」といえは、温泉マニアの好感度が高く、おいらもずっと行きたい温泉の一つだったが、やっとささやかな望みが叶った。

http://www.hottarakashi.com/

JR中央線の「山梨市」駅に降りて、市営バスで10数分乗って「フルーツ公園」に到着。そこから1.5km程度の山道を歩いていくと巨大な駐車場に出くわした。「ほったらかし温泉」という名を冠するくらいだからきっと辺鄙な場所のいい加減なつくりの温泉だと想像していたのが大違いだった。巨大な観光バスが駐車場にでんと構えており、マイカーの群れは百台はゆうに超えていた。観光スポットとして申し分の無いくらいに認知されており、ビジターも相当に多いのだった。

この温泉の第一のウリが、眼下に見下ろせる甲府盆地の絶景である。温泉地の大概がそうであるように此処もまた「撮影禁止」の貼り紙があったために浴場からの眺めは具体的に示すことが出来ないのだが、温泉から眺める景色はといえば、手前にはこの季節の白いすすきがたなびいていて未だ紅葉には少し早い樹々の濃緑色とのコントラストが絶妙であった。ずっと遠くの街並には笛吹川が横切っていて、盆地街の風情を一望させてくれるのだった。ほったらかしどころか相当に計算された展望であったと云えよう。

強いアルカリ性の温泉に暖まった後に、屋台で提供されていた「ほうとう」を食した。この時期の旬のカボチャの甘い味がスープに溶け込んでいて、正統派の美味いほうとうにありつけたので満足だった。


野田佳彦のTPP茶番で民主党の信頼度は地に落ちた

野田佳彦は本日、TPP交渉参加を明言してしまった。中1日を入れての茶番劇の後の決定である。

黒人(ハーフ)であるという勢いのみで当選した無能オバマへの、ここに来てのポチ度全開に、本日は悪しき第一歩を記す日として、長き我国の現代史に記されるべき日となってしまった。

これが21世紀日本の凋落の第一歩となることは、歴史家ならずとも誰もが想定できる、云わば常識の範疇に属するものだが、日本人の一般大衆はこんな常識さえ判ってはいない様である事をここに来て認識せざるを得ないという状況である。

日本国に対しての殊更に特別な思い入れは無いおいらではあるが、これまでおいらが生を受けて育ち育んで来ていたこの風土とは相容れない、敢て強調するが、絶対に相容れない米国流の金融資本による我欲の猛威が、これから何年、何十年、何百年掛けて日本を蹂躙することになるだろう。そういう将来が判っていながら野田某は米国へのポチ忠誠を優先したと云うことになってしまった。

こんな政権は出来るだけ早く現代史の俎上から立ち退いて欲しい、立ち退かしていかねばならないということを肝に、反TPP、反野田内閣の意思を発信し続けよう。

体調不良の夜には「うどんすき」が食べたくなる

一時の喉の強烈な痛みは収まったが、先日からの風邪気味は続いている。こんな日に無性に食べたくなるのが夜の「うどんすき」だ。

いや昼にもうどんが食したくなり、かき揚げ天ぷら等を載せて温かいうどんをいただく。蕎麦等のはずのおいらがうどんを求めるのは決まってこんな時である。体調不良とうどん恋しやとの因果関係が有るのではないかと、かねてからおいらはにらんでいるところなのだ。

うどんすきには鍋料理の具材でもある豆腐や葱、白菜等が良く似合う。豚肉でとった出し汁もうどんすきに美味く深いコクを加えていく。口にすると何故だか知らぬがエネルギーをもらった気になるから不思議なのである。

TPP絶対反対! TV芸者みのもんた等よ恥を知れ

TPPの実態がわが国民にはほとんど何も知らされることの無いままに、数日の間で野田内閣のなかでTPP参加の方針が決定されようとしている。全くもって馬鹿馬鹿しく由々しき事態と云わねばならない。

野田某と云うポッと出の政治家の存在意義がこんなことであったとするならば、倒閣運動に追い込まねばならないと考える。あるいはもっと云って民主党という政党の内実が自民党以下のこんなものだったとするならば、こんな政党などは百害有って一利無しの代物であると決するべきである。

日本国民の知的レベルに期待すること等は望むべきも無く、しかも報道各局はといえば、「まずはTPPありき」といった誤ったメッセージを発信し続けている。

そんなメッセージの伝達者としてのみのもんたにいたっては、推進、反対の意見の中での論点整理することも無く、「やるといったらやるんだ!」という、過去の莫迦総理の発言を自らの意志発言の傍証とみなせるような発言を、云わば確信犯的に繰り返している。こんな莫迦なTV芸者を持った日本国民こそ、大きな迷惑であると声を大にして主張したい。TV芸者風情が国政を牛耳られるなどと考えて欲しくは無いものであるし、もしそんな勘違いが罷り通っているとしたら、万難を排して勘違いの矯正に努めていきたいと思うものである。TV芸者みのもんた等よ恥を知れ! なのである。

写真・言葉・書で時代を飾る、藤原新也さんの「書行無常展」が開催

今月の5日より27日まで、藤原新也さんの「藤原新也の現在 書行無常展」が開催されている。

■藤原新也の現在 書行無常展
2011年11月5日(土)~27日(日)
東京都千代田区外神田6-11-14
3331 Arts Chiyoda
http://3331.jp

かねてよりおいらも注目しているアートのスポット「3331 Arts Chiyoda」が会場となっている。

たしか昨年の頃より、雑誌「プレイボーイ」誌にて連載されていた新也さんの「書」にまつわるアート活動がテーマとなっていて、これまでのどんな展覧会にも似ていないつくりになっているという印象をもった。

テーマは「諸行無常」ならぬ「書行無常」である。新たに「書」というテーマを引っさげて行なった展覧会なのか? 或は関係者が企画して新也さんに提案して実現したものなのかは定かではない。

はっきりしていることの一つは、以前の新也さんのどの写真展とも異なっているのは、写真家から行動家へと少しばかり、依って立つ立ち位置を動かしたということだろう。写真家・新也さんとしての顔以上に行動家、活動家としての顔が前面に出て来ているのであり、新しい出会いであったという印象を強く抱いている。

タジン鍋で、秋の「根菜蒸し鍋」をつくった

先日に購入した「タジン鍋」を使った料理にこのところのめりこんでいる。

今回試したレシピは、秋の根菜である蓮根、山芋を主素材にしてみたものだ。他にも秋の食材として舞茸と葱、豚肉等々を仕込んでいざ調理。

鍋の一番下にまずは蓮根を並べていく。蓮根は火に通すととてももちもちとして柔らかくなり、この時期の鍋料理にはもってこいである。その上に豚の薄切りを並べ、そして、舞茸、葱、山芋を並べて、味付けは柚子胡椒を適度に乗せて、100cc程度の水を加えて準備完了。

タジン鍋の下の素材は厚い鉄板であり、直にガス火をつけて大丈夫なので、蒸し料理も比較的簡単に出来上がると云う特徴がある。大雑把な家庭料理づくりにおいてはとても重宝する調理素材であることを、改めて認識したのだ。

庭にチューリップの球根、30個を植えた

季節が冬に突き進んでいくときはまさに、春に咲く花の仕入れのときでもある。昨年には、あるイベント会場にて偶然のように手に入れたチューリップの球根を仕入れて成功をおさめた経験もあり、今年もまたチャレンジすることにしたのだった。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2354
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3672
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3687
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3709

前回は8個の球根だったが、今回はとりあえず30個の球根を用意して植え込みに励んだのだ。猫の額ほどしかないおいらの家の庭には、あまり大々的な農作業は出来かねるのであり、球根植え込みも限度をわきまえて行なっていく必要がある。また別のスペースが確保されればもっともっと多くの春の花の仕入れなどをしていきたいものなのである。

久しぶりの土いじりに夢中になっていると、隠れた野草の間から、様々な昆虫が顔を出す姿に直面した。先ず最初に出くわしたのは「螳螂(カマキリ)」だった。おいらの記憶によればたしか夏に活発になり棲息する昆虫のはずだったが、秋も終るくらいのこの時期に出くわすとは吃驚だった。日本の温暖化がこんなところにまで波及しているのだろうか? と感じ取っていた。ほぼ同様の時間帯には秋の昆虫である「黄金虫」みたいな緑の色彩鮮やかな虫に出逢ってもいた。地球の温暖化によって、季節の敷居は段々と取り壊されるのではないかのかという危惧を感じ取ってもいたのだった。

昨日から降っていた雨は午前中には止み、適度に柔らかくなっていた庭の土面をまずは掘り起こして土の成型を行ない、30個ほどの球根の植え付けを行なった。球根に3cmほどの土を掛けて、来春のチューリップの満開を念願していた。午後になって我家の庭にも小雨などが降りかかっていたので、丁度好いくらいに水やりが出来たようだ。これから当分の間、球根の生育の推移を見守って生きたいと思っている。

正しい「湯豆腐鍋」には鱈の切身が欠かせない

鍋料理の中でもポピュラーな部類のものが「湯豆腐鍋」なり。豆腐と葱、白菜、茸類、等々の野菜と、そして鱈の切身が入って、昆布出汁にてシンプルに火に掛けてつくる料理だ。だが近頃はと云えば、東京で食する「湯豆腐鍋」に、鱈の切身が無いものが蔓延していて些かがっかりなのだ。

大体からして湯豆腐の味の決め手は、豆腐と鱈との絶妙の相性にある。それが近畿地方だかでは「湯豆腐」は豆腐と昆布出汁のみ等といった、一地域善がりの風習がまかり通っており、そんな一地域善がりが関東の食文化にまで蔓延しているのは由々しき事態だ。

おいらの地元で提供されている「湯豆腐鍋」は鱈身がでんと乗っていて、正しいレシピを踏襲しており、美味である。これから冬の時期に向かってはこの湯豆腐鍋は定番的に注文するメニューとなっていくだろう。

iPhoneの新OS「iOS5」に不具合発生でとばっちり

先月の「iPhone4S」発売の喧噪の中、新型機の「iOS5」がおいらの所有する「iPhone4」でも使えると聞き、早速アップデートにおよんだのはよかったが、実はこの新OSにバクが見つかったとしてユーザーからの顰蹙を買っている。古い革袋に新しいOSという取り合わせはあまり良い結果をもたらさないというのが世の常であるが、それでも誘惑に乗っかってOSのバージョンアップをしてしまったことを今更ながらに悔やんでいるところだ。

今回のバグの最大のポイントは、バッテリーの消耗が非常に早くなったということだ。それほどヘビーなユーザーではないおいらでも、2~3日で消耗してしまう。これでは小旅行で東京を離れただけでiPhoneが使用不可能になることが想定される。常にバッテリーチャージ用の機器を持ち歩かねばならないのは辛いものがあるのだ。コンビニで購入したiPhone用のバッテリーチャージャーは鞄の中にあるのだが、バッテリーを気にしてネットサーフィンも使いたいときに使えなくなる事態に陥らないとも限らない。いずれ近いうちにバグ取りしたiOも公開されるだろうから、早く不安は取り除いておきたいものだ。

体調悪い日には「タコ」で体調管理なのだ

朝から頭痛がしていて体調は最悪である。とはいいつつも、こんなときでも日々のノルマをこなす必要が有るのはちと辛い。

それはそうと、体調が勝れない日々の食生活にて心がけているのは、胃腸を楽にして過ごすこと。こってりした脂モノや肉食類は却ってマイナスであることを、おいらのこれまでの実体験が物語っている。肉類や脂っこいものを食せば、翌日の大便の色がとても悪しき泥臭さで染まれていくのだ。であるからしておいらは翌日の便の色の健康色を保とうとして、野菜類と魚介類の摂取を基本にしている。

と云う訳で食したのは「タコブツ」だ。刺身の様な包丁捌きは見られない。ただ、ブツッと切って器に載せて出されると云う代物。だがそんなことはお構いなしに生気の源のタウリン等が身体を軽くしてくれる。この効果は恐らくイカを遥かに凌いでいるのだろうと思われる。

「Eye-Fi」メモリーでデジカメの写真管理がとても簡単になった

先日「Eye-Fi」メモリーという代物を購入した。姿形はSDカードそのままだが、これをデジカメのメモリースロットに差してみると、無線LANでつながっているパソコンとのやり取りが、手をくわえること無く自動で出来てしまうという優れものなのだ。

自宅のWindowsパソコンは有線のネットでつながっているが、ネットブック用に無線LAN回線も契約している。無線LANが無くては今や外出先にてネットとノートブックとをつなげることも出来ないために用意したものであり、何日かおきにはこの無線LAN回線にてネット投稿をしているのである。今では必須のツールの一つとなっている。ノートブックに加えてマッキントッシュにもLAN接続してあるので、写真整理はこれからはマッキントッシュパソコンが主となっていくだろう。

それはともあれ、無線LANの環境が出来たことにより、デジカメデータの整理においても新しいスタイルのやり口が可能になったのであり、此処に紹介することにしたい。

まずは「Eye-Fi」メモリーを用意する。デジカメの記憶メディアである「SDカード」の進化版である。値段はちと高めであり「SDカード」の倍以上はしているようだ。それを今までのデジカメの記憶スロットに装着して、パソコン関係の設定も済ませれば、撮影しただけでパソコンとのデータ交換のやり取りを自動で行なってくれるというのだがら有り難いことこの上なしなのだ。

デジカメ撮影が主流となった今、おいらにとってもデータ整理は欠かせないのだが、それをいとも簡単に自動化してパソコンに取り入れてくれるツール(「Eye-Fi」メモリー)というのはとても有り難い代物である。

現在はマックパソコンとデジカメと間の環境にとどまっているが、一旦これに接したならば、以前までのケーブルをつなげて一々整理していた環境には戻れなくなる様な気もしているところだ。いやそうなってはいけないのであり、常にアナログを基本として常日頃の活動を捉え直していくべきなのであろう。

カブの漬物が美味い季節だ

年中顔を見ることのできる「カブ」だが、ぬか漬けなどの漬物にしたカブの漬けものは、今がまさに旬である。

地味な存在であるカブは、姿形も大きすぎない「小カブ」と呼ばれる種類のものが良い味を出してくれる。サクサクとした食感でありながらかつ甘い香りが漂っている。例えば大根を上品にして、食感にも独特なねっとり感を付加したとでも云おうか。

厚めに切って、茎もぬかに漬けて食べられる。カブぬか漬けの茎が無性に恋しくなる季節なのである。

イカの丸焼きの、赤くプクっと膨れた姿がいびつな食欲をそそるのだ

イカの丸焼きといえば、祭りや縁日の屋台料理としてよく接するメニューである。

ゲソと本体の全てを炭火で焼くのであり、そのボリュームは、もったいぶってイカ刺しなどとして喰らうものとは比較しようも無いボリューム感がある。だから晴れの日に喰う料理にうってつけなのであり、子供が親にねだってイカの丸焼きを頬張る姿は微笑ましいくらいだ。

さてこんなボリューム感のあるイカの丸焼きを居酒屋で注文したところ、ボリューム感以上にその、プクっと赤く膨れた膨満感に見とれて、しばし観察したのであった。

白く透き通って繊細なはずのイカが、炭火の遠火で焼かれてしまえば、このように真っ赤に染め上がっていて野生の食欲を刺激していく。しかもピンピンに突っ張って、輪切りになって皿に乗った姿はまるで、突っ張り姉ちゃんの姿かたちともだぶってしまい、いびつな食欲をそそるのである。

イカの丸焼きを食する時はまず、イカと格闘する心構えが必須である。タウリンや亜鉛が豊富で栄養価が高いとはいえ、必ずしも口に優しく美味だという訳ではない。独特のエグミがあり、唇に独特の刺激をもたらす。子供の頃はこの刺激感がちょっと苦手だったという記憶が蘇ってくる。

ともあれ、丸焼き料理にするからには、バターや醤油や酒やその他の、へたな調味料等は必要無し。ただ焼いたものを口にするのが本来のイカ丸焼きの食し方の基本なのである。

長崎と創作者が空回りしている西海の「秋ラーメン」

八王子の市役所に用事があり、向かったのであるが、帰り道にふと面白そうなラーメン店の看板が目について、ちょうど昼飯時だったこともあり、入ってみたのでした。

そこは「西海ラーメン」という。何でも九州長崎ラーメンの味を伝えているとのこと。長崎ゆうたら一流の観光地でもあり(おいらは行ったことが無いが)、店内では色々と長崎の歴史や観光をPRするビデオが流されていた。異国情緒漂う店内にて、家族連れなどでごった返していたのだ。昨今稀に見る繁盛店と云えよう。

九州と云えば博多ラーメンの存在を無視出来ないように、作り方の多くは「博多ラーメン」の模写的様相を呈している。関東圏に生まれ育った人間にとってみれば、長崎と博多の違いなどは屁の様な微々たるものでしかないのではある。だがそこは長崎県人の心意気なのか、出汁の基本を豚骨にトビウオの出汁と合わせたり、トッピング等にもオリジナリティーを出したりと気迫が伝わってくるのであった。

季節限定の「秋ラーメン」が目についたので早速注文してみたのだった。舞茸、なめこ、なめこ茸等の茸類に焼き餅、鶏肉、大根おろしがトッピングされていた。創作者のコメントとして「田舎のいろり鍋をイメージして、なごめる和の食材を使いました」とのこと。味覚に統一感は全くと云って良いくらいに無いが、空回りしている創作者の意気込みくらいは伝わってきたのだった。

http://www.urban-inc.co.jp/saikai/shop.php#0003

味噌仕立ての「寄せ鍋」でホッコリ

地元の居酒屋もいよいよ鍋料理解禁となった。一番の売りは、味噌仕立ての「寄せ鍋」である。

昨今とくれば様々な奇天烈鍋のオンパレードであるが、何よりも温まれてホッコリできるのは味噌仕立て鍋だろう。激辛等々、特別な刺激を味わうのは冬季の鍋料理にはそぐわないと云えよう。

「寄せ鍋」料理の具の定番といえば、葱、白菜、椎茸の野菜類に加えて、鮭、鱈、帆立、牡蠣等々の魚介類、とりわけ海老、蟹等々の甲殻魚介類は必須素材。魚介の出汁が味噌スープに奥深い味わいを加えていくのであり、ホッコリと温められる、隠された主役的アイテムである。

浅草ホッピー通りにて「牛筋煮込み」を頬張りつつ一献

浅草を訪れる用事が出来たついでに、毎度のホッピー通りへと足が向かった。ここで飲むホッピーはまた由緒正しき味がしており、忘れられない呑兵衛のスポット。まるで定期的に通う聖地のようだ。

先ずはホッピーを注文して一息、そして「牛筋煮込み」を注文。何故だか知らぬがこの場に来ると必ずと云って良いほど煮込み類を注文してしまう。牛筋でなければ「モツ煮込み」というように…。

浅草の煮込みが格段に美味いという保証はない。取り立てて云うほどのことはなく平均的である。では何故浅草の、この六区地域の煮込みに執着するのか? と、自己に問うたらば、旧ロック座人脈のビートたけしがこの地域の居酒屋のたかが煮込みを、どこの家畜の肉だかわからない部所(犬か何かだと述べていたな)を使ってとんでもない料理なのだがいつも食べていた、等々と滔々として話していたのを聞いたとき、

これが庶民の酒の肴の基本だと感じていたからなのだろう。だからそんな酒飲みの原点を確かめに、この地のホッピーと煮込みを口にするのだ。

ひょんなきっかけから由緒正しき「ネギぬた」にありついた

ネギ料理の傑作の一つと云えるのが「ネギぬた」だ。葱を焼いて、茹でて、ふやふやにして、酢みそで和えるというシンプルな料理だ。

シンプルながらネギに特別な思い入れが乗じたメニューであるが故に、ネギぬたに他の食材は禁物でもある。だがそんなことはおかまいなくして邪道メニューが蔓延る今日に喝!なのである。

そもそもネギぬたとは、ネギの味わいを損ねることなく特別な料理に一変されるような見事な料理なのである。それがいつの間にやら主役の「ネギ」が脇役へと追いやられてしまっていて、近頃では「マグロぬた」「イカぬた」「タコぬた」等々の邪道メニューが外食産業界、ことには居酒屋業界をも席巻しているという、何とも由々しき事態なのである。

ネギぬたを食べようとして店に行った日には「イカぬた」ばかりを食わされるという身になってみてからでは遅いのである。今こそ「ネギぬた」の復権を叫ばねばならないと切に思うのである。

TPP参加を既定路線として押し進める、民主党野田内閣の愚

東北大震災の復興の目処もつかないこの時期において、民主党野田内閣はTPP参加を強引に押し進めようとしている。かねてからの米国からの圧力が背景にあるのwであるが、我国の農業政策や医療制度における悪しき影響には目をつむったまま、ひたすら米国の言いなりに政策の舵を切ったということであり、あまりにも愚昧な政治選択だというべきだ。

農業団体を始め日本の暮らしの骨格を担ってきた人々が「TPP反対」の声をあげている。このまま政府がTPP参加をごり押しするようなことになれば、我が国はとんでもない泥沼に足を掬われることになる。絶対にTPP参加のごり押しを許すべきではないのである。

もとより米国流の「グローバリズム」とは純米国資本の世界支配の足がかりを得るための思潮でしかないものだ。国家間の垣根を乗り越えて一つになるという意味では決して無い。それどころか、1パーセントの強欲人種が米国のみならずアジア各国を蹂躙することへのお墨付きを与えてしまうことになる。

数年前には小泉純一郎が、郵政民営化という愚策を弄して米国のポチ国家化を企図しており、未だその流れは途絶えることなく、いつ何時もゾンビのように騒ぎ出すかわからない。日本が米国の属国となって喜ぶ馬鹿どもが残念ながら沢山存在することを忘れずに、絶対反対の声を出し続けていくことが必要なのである。