異端の香りを振り撒く「茗荷(みょうが)」の蕾の清冽さ

茗荷が美味しい季節になった。

その昔、茗荷を食べると馬鹿に成る、物忘れが酷くなる、等々の俗説が蔓延していた。子供の頃は俗説とも知らずにその「馬鹿に成る」理由をあれこれと詮索していたことがあった。当時思い当たったその根拠はと云えば、その強烈なる独特な香りが神経を麻痺させるのではないか? ということだった。

今ではお笑いものではあるが、子供心にその根拠は正当なものであると何年間も信じ続けていたものだ。特に幼少年期の初心な感性にとって、茗荷のような異端の香りは強烈な印象を与えていたのであろう。

ところで食用にされる茗荷と云えば、花開く前の「蕾」の部分である。いくつかの蕾が寄り合った形状であることからこの部分を「花蕾」と呼ぶこともある。我々は花として開く前の清冽な香りと味わいを愉しんでいる訳である。

食し方としてポピュラーなのは、「薬味」としての利用である。冷奴、蕎麦、等々に添えれば主食材を一段と清冽にさせ、特に夏の体力維持にはもってこいである。個人的には刺身の薬味としてもナイスな取り合わせであり、時々利用しているのである。

その他、朝漬け、味噌汁、天ぷら、酢の物、等々の具としても使える。これらの料理だと茗荷が主役にもなり、茗荷冥利に尽きるのだと云っても良いくらいだ。

パウル・クレー「おわらないアトリエ」展が開催

東京国立近代美術館で「パウル・クレー おわらないアトリエ」展が開催されている。

http://klee.exhn.jp/index.html

パウル・クレーという名前はおいらにとって、やはり巨きなものである。例えてみれば、初恋や付き合った人とはちょいと違うタイプでいて、ある種の憧れの存在でもあったが自ら積極的にはアプローチすることも無かった。然しながら憧れであることは否定しがたく、いつかきっかけがあったらお付き合いしてみたい、……、等の人と比喩してみたら良いのだろうか?

ともあれこの展覧会の特徴の一つは、作家(クレー)のアトリエを覗き込むような仕掛けがいくつか施されているということ。作家の代表的、本格的な作品群に触れることとあわせて、受け取るべきエモーションは極めて巨きいものがある。これまで発見することのなかっクレーの制作の原点を、いくつか確認することができたのだ。

その第1点は、素描を大切にして制作の基本においていること。鉛筆やコンテ等によるイメージデッサンの第1歩としての素描の工程を、非常に大事な工程として捉えているのだということだ。

クレー独自の技法とされる「油彩転写」では、下書きとして描かれた素描の筆遣いを一段と強調し絵画化させることに成功している。単なる技法の開拓に止まらずに、彼が描いたタブローの中で占める素描的表現、すなわちクレー自らの技法は、極めて稀なる芸術的な高みへと昇華されたものとして受け取ることが可能である。

そして第2点目に感じ取るのは、小品・中品の作品群で満ち足りているということ。大上段に構えるのではない等身大の作品群とでも云おうか。

現代作家は往々にしてハッタリをかまして自らを巨きく見せようとする傾向があるのだが、現代美術家の大御所としてのクレーの慎ましやかなやり口、志向性には却って尊崇の想いを強くする。ハッタリが幅を利かす世の中だからこそ、そんな現代の似非文化との違いが際立っているということでもあろう。

■パウル・クレー おわらないアトリエ
東京国立近代美術館
2011年5月31日~7月31日
東京都千代田区北の丸公園3-1
03-5777-8600

酒の〆にもってこいの「キャベツラーメン」

仕事帰りに一杯お酒引っ掛けているとき、ラーメンが食べたくなることがある。

アルコールの勢いで注文して、翌朝起きてみたら胃腸がもたれて後悔したことも少なからずあった。帰宅してから家で作るラーメンでも、ほぼ同様であり、この場合は食後直ぐにベッドでグーグーという結末をとるので更にたちが悪くなるものなのだ。

というわけで極力、酒の〆のラーメンは控えていたのだが、昨日の「キャベツラーメン」は特段の後遺症も無く、しかもアルコールで緩んだ胃腸と脳味噌をしゃきっとさせる効果もあり満足だった。

春の新キャベツには特別の愛着を感じていたが、ここに来て初夏に流通するキャベツも悪くないと感じた。大蒜、生姜の薬味を多めにして炒めたキャベツはシャキシャキとして、口直しの効果も与えてくれたのである。

今年もらっきょう漬けの季節が到来

八百屋には土付きのらっきょうが並ぶ季節がやってきた。店頭に並ぶのは、500gもの、1kgものとあるが、今年は500gものが多い。

聞くところによれば今年のらっきょうは例年よりも不作なのだという。いくぶんその大きさも、例年よりも小ぶりに見える。

ともあれ今年も1kgものらっきょうを買い込んで、らっきょう漬けを仕込んだのです。

まずは土付きらっきょうの芽と根の部分を包丁でカットし、薄皮も丁寧に剥いでいく。この行程に約1時間。そして流水でしっかりと洗い、沸騰した湯の中に入れ数十秒。年間を通して保存食材として利用するため、殺菌の為の行程は欠かせないのだ。

塩漬け、醤油漬け、等々と漬け方は様々あるが、今年はオーソドックスな甘酢漬けにしてみた。特にこれからの猛暑を乗り越えていく上で、酢の力は大いなパワーになるのだから、じっくりと漬け込んでいきたいものである。

茹でよりは確かに旨い「タコの唐揚げ」

そもそもタコを唐揚げにするという料理は、おいらの田舎には無かった。それどころかおいらが上京し、東京の都会の垢に染まりつつも都会生活の中で溺れていた時期においても食べたことは無い。

このメニューが全国的に注目を浴びたのはおそらく、菊正宗のCMであったのであろう。
生かあるいは茹でたタコを食するのが通常の市民の慣わしであった時分に、いきなり変梃りんなメニューがブラウン管を席巻していたのであり、驚きであった。

近頃では時々は食らうこの「タコの唐揚げ」というメニュー。食感は生タコ、茹でダコよりも弾力がありもっちりしていて悪くない。しかも柔らかくもあるが、タコのもっちり感はそのままに残されているので、特別な食感を愉しむことができる。

注文して周りを見渡すと、隣のおやじは鶏の唐揚げを食っておった。鶏唐揚げこそはおいらも幼少の頃よりポピュラーであり栄養価が高く、文部科学省推薦のメニューだろう。
普通に調理して揚げた鶏の唐揚げはほとんどが、不味いはずが無いくらいに旨い。

鶏肉に代わるくらいにこのメニューが普及することはあり得ないということは明らかなのだが、それでも「タコの唐揚げ」のメニュー促進についてはこれからもっと気合を入れてアピールしていかなくてはならないということが云えよう。

今日的「造反無理」政局の行方[1]

菅直人首相が退陣を表明したというニュースが慌ただしく飛び交っている。あわせて昨日提出された「内閣不信任案」はといえば、圧倒的な反対票にて否決された。

国民の誰もが感じるように、こんな政局的茶番の芝居を見てしまったことを情けなく思う。そして、管直人内閣の今後の行く末に思いは移ってしまう。いったいこの現状は、誰により誰が誰のために引き起こした事態なのか? もう少しして厳密な精査が行われることになるのであろうが、本日はこの不条理に対してのささやかなる分析に止めておくことにする。

今日の混乱を招いたきっかけは自民党連合の「不信任決議案」提出ではあるが、こんなものはただ単に否決すれば御仕舞の代物であるはずではあったが、そこに例の「小沢軍団+鳩山ポッポ連合」が、加入して可笑しな成り行きとなった。だがこんなことは政治的事象の一事例でしかないことは分かり切っている。

今日的政局を一言で表すならば「造反無理」的事象だということである。かつて中国では「文化大革命」のスローガンとして「造反有理」という言葉が幅を利かせていた。「造反に理有り」。すなわち造反することには道理が存在するのだという主張であった。この4文字熟語をスローガンとして、多くの若者、若輩者、莫迦者、いんちき詐欺師、その他諸々の人間たちを煽っていた。毛沢東の取り巻きであった江青その他がこのスローガンを主導していた。

そして我が国の今回の政局的成り行きを眺めるならば、まさに「造反無理」と呼ばざるを得ないのである。「造反には理が無い」。すなわち「小沢軍団+鳩山ポッポ連合」が図った造反劇が、ただただナンセンスな結末を示しているにすぎないのだということ。小沢一派の終末はいと哀れに候。それだけは確かなことである。

シンプルな鮎の塩焼きに舌鼓

鮎の塩焼きがメニューに出ていたので早速注文してみた。

写真で見てもらえば分かるように、大衆居酒屋ならではの、素朴に塩をまぶしてガスバーナーで焼くだけのものだったが、充分に旬の味覚を味わうことができた。

この季節は日本の河川にて鮎漁の解禁日が目白押しとなる。九州、四国など南国温暖の地区が早いようだが、細かく見てくるとそうとばかりは云えない。河川の周辺住民の意向や地域的文化事情、歴史事情等が絡んでいるようだ

残念なのは、福島県内の河川全域において、放射線被害のため解禁日未定という措置がとられていることだ。改めて東京電力をはじめとする関係企業、団体等々の甚大なる犯罪的行為の責任を指摘せざるを得ないのだ。農業、畜産、漁業は云うまでも無く、福島県内の生活基盤はガタガタであり、壊滅的でもある。

東電が今後、賠償能力不能により倒産、解散においこまれその責任を放棄する事態になろうとも、その尻を拭くのは日本国民であることを忘れる訳にはいかない。くだらない東電擁護はげんに慎むべきである。

おいらの出身県の群馬県でも鮎漁は盛んであり、これから鮎の本場を迎える。海無し県の川魚として鮎はとても愛されてきた魚なのでありました。

たまには洋風料理。初夏野菜の「ポトフ」も悪くない

先日「ゴーヤチャンプル」で使用した豚肉製品「SPAM」の余りをどうしようかと思案していた。そして今日、ふと「ポトフ」にしてみようと思い立ち、実行に移したのでした。

八百屋に並んである初夏の野菜の中から、キャベツ、新玉葱、セロリ、パプリカ、そして季節は外れるが人参、じゃが芋らに加え、大蒜、生姜、そしてSPAMを加え、全ての食材を大振りにカットして煮込むこと30分あまり。

今回は圧力鍋も使用することなく、しまってあった洋風料理向けのホーロー鍋を持ち出しての料理である。

じんわりと染み出た野菜の甘味が出色の味覚である。少量の洋風出汁ブイヨン以外は、塩等の余計な味付けは禁物。30分して皿に盛ったところへ少量の黒胡椒を振りかけて味わっていた。

大振りの野菜類には出汁が染み込み、中まで柔らかく煮込まれていた。中でもセロリのしんなりした味わいはまた、これまでにない特異な風味が嗅覚を刺激していた。パプリカは煮込むことにより独特の甘味を増していた。そしておいらの大好物の玉葱もまた、出汁が染み込みほっこり食感もナイスな味わいなのであった。

これだけ野菜の旨みと出汁が染み出たスープを味わったのはとても久しぶりだった。今度はこのスープを使ってカレー料理に応用していこうと考えていたところなのだ。

北海道苫小牧産の「北寄貝」は絶品だった

学術名では「姥貝(ウバガイ)」と呼ぶ「北寄貝(ホッキガイ)」は、冬の貝だとばかり考えていたが、殊に、北海道苫小牧産としてメニューに載っていた北寄貝の刺身は、今のこの季節においても味は上々だ。

通常、寿司ねたとして見かける北寄貝は、赤と白とのツートン色が特徴的だが、刺身の北寄貝はと云えば、もっとデリケートな色合いに感動させられる。奥深い褐色系の色合いが何とも見事だ。

外見は8cm程はある大降りの二枚貝を剥いて、余計な包丁も入れずに出された刺身は、とても柔らかく、絶品の味わいであった。

通風持ちのおいらにとって、二枚貝は禁じられた食材の一つなのだが、どうしても我慢できなくなり、時々は口にしてしまう。何とも貴重な逸品食材なのである。

広瀬隆著「福島原発メルトダウン」の深く意味するところ

[エラー: isbn:9784022733986 というアイテムは見つかりませんでした]

本書の序章の記述によれば、4月27日頃には脱稿されていたという。この時系列的事実は大変に貴重な意味合いを有している。数日前においらは手にして読んだばかりの緊急出版による1冊である。

書名は「福島原発メルトダウン」である。シンプルかつ甚大なメッセージ性を孕んだ書名である。

本書を読み進めれば誰もが納得することだが、3.11の大震災及び大それに伴う津波によってもたらされた今回の「福島原発メルトダウン」現象の仔細の解説等々については、本書以上に有益な書物は無いと断言してよいくらいだ。

そもそも水素爆発が発生した時点にて「メルトダウン(炉心溶融)」が無いはずが無かったのだが、当時の東電関係者及び政府関係者はその事実をひた隠しにしようとしていたという状況が存在している。

最近になって東電関係者が「メルトダウン」を認めたという成り行きは、とても馬鹿馬鹿しくあり、お粗末の極みであった。いずれ認めなくてはいけなくなるものを、ここまでに引きずっていき、仕舞いには、「メルトダウンでした」というような愚弄なる説明では、最早収拾できないくらいの状況にあるということを誰もが認識すべきだ。

最終章にて著者は語っている。

「私は、どうすればいいか、分からないのです。こういう事態になったときに対処できないことが分かっているから原発に反対してきたのです。対策があるなら、反対はしません。勿論、「原発は絶対安全」と言い張ってきた政府も東京電力も、放射能漏れを起こした原子炉をどうするのか、そのような対策なんて想定すらしていません。」

おいらを含めて最小限の知見ある人間ならば、そんな状況の異常さについては認識し得ていたことだろう。そんな事実を、明らかにできなかったことを関係者の全てが反省すべきである。

「反省」という漢字の2文字はフッと息を掛ければ飛ばされるくらいの軽い現象になったかにも見えるが、事実としてはそうであってはならない。そのことを強く主張して、良き「反省」の実態を明らかにしていきたいとおいらもまた考えているところなのだ。

瑞々しい皐月の花弁がいよいよ見頃

旧暦五月に咲く花として親しまれる「皐月」の花弁がいよいよ開花し、可憐な装いを示している。

ツツジ科の一種である皐月は、独特のピンク色が特徴的であり、比較すればどのツツジ科の花より以上に野性味を感じさせる。

鮮緑色した葉や茎もまた瑞々しく張りがあり、今日のような小雨の風景とよく調和している。

つつじが満開だった時期を過ぎて一呼吸置いて、「皐月」の姿を見かけるようになった。週末の植木市でも皐月の鉢植えが主人公のように振舞っていた。

下手に出ると付け上がるあほ莫迦経営者どもの生態

いつの世の中にも云えることだが、あほ莫迦の類は消えうせることが無い。

殊に昨今の経済不況、大震災不況、等々の状況にあって、中小零細企業経営者達のあほ莫迦さ加減は目を覆いたくなるくらいだ。

こんなあほ莫迦中小零細企業経営者の多くは、自らの経営手腕が間違っていることを棚に上げつつ、その責任の所在を、従業員やスタッフのほうに転嫁しようとする。そしてその手段方法といえば、リストラ、整理解雇、等々の、自らの責任を棚に上げた無責任極まりないものであった。

もはや過去の事例になるが、おいらもこんなあほ莫迦経営者の関係する会社に関わったことがある。

あほ莫迦もいい加減にしろ! と、何度叫びたかったことかは記憶に消えることが無いくらいだ。最小限の法的措置は行なったのだが、一向に反省する気配も無く、自己満足の行動を取り続けている。

しかも、会社だけは存続させようとするのだから救いようが無いのだ。社員、スタッフ、関係者への支払いは後回しどころか、「遅配」という名の「未払い」という不法行為を行なっているのである。

そしておいらの知るところによれば未だに改善の気配も無いという。それでも会社存続が必要なのか? 断じて否である。これぞあほ莫迦人種の極みと云って良い。

人間、こんな類になったら救いようが無い。死後は一体何処に行く積もりなのか? 今日、改めてそう思った次第なり候。

「SPAM」で沖縄本場仕込みのゴーヤチャンプルをつくった

八百屋の店先ではゴーヤが目に付くようになった。これからもっともっと出荷量が増えていく夏の食材だ。

ゴーヤを使った料理は「ゴーヤチャンプル」が最もポピュラーだが、それでもメニューは限られている。外食メニューで「ゴーヤチャンプル」を注文しても、本来のゴーヤチャンプルとは違った料理が出されてがっかりすることも少なくない。その多くは豚肉が使われていることから来る違和感だ。

沖縄料理としての「ゴーヤチャンプル」では、豚肉ではなく「ランチョンミート」という豚肉の加工食材が用いられる。大雑把に云えば、豚肉を主材料にしたコンビーフ様なものと云えるだろう。ゴーヤをはじめとする沖縄のチャンプル料理にはこの食材が欠かせない。それなのに、猫も杓子も、ゴーヤを炒めた料理がゴーヤチャンプルとしてメニューに上がっているのを見るのは心苦しいものがある。料理人の勝手なメニューが、沖縄の伝統料理を駄目にしているのだ。

本日おいらが調理した「ゴーヤチャンプル」は、「SPAM」のランチョンミートを使用してつくった、沖縄本場仕込みのものだ。

「SPAM」というのは米国産の加工食品であり、塩分も高く、あまり身体に良い食材だとは云えないのだが、今回のものは「塩分20%カット」をうたっており、しつこい味ではなかった。

使用した食材は、ゴーヤ、ランチョンミートの他に、舞茸、もやし、木綿豆腐、卵、といったシンプルなものばかり。チャンプルーして調和させることを前提にして、使う食材は全て大ぶりにカットして使用。調味料は、醤油、味醂、砂糖、和食出汁の基にオイスターソースを少々。これによって沖縄料理独特のコクが出るのだ。

こうして自家製の「ゴーヤチャンプル」が完成した。家では初めて、沖縄風のチャンプルー料理が出来たのではないかと、密かに自画自賛したいくらいなのだ。

4~5年振りの健康診断(検診)を体験

本日は「検診デー」だとうことでもあり、久々に数年ぶりの健康診断を体験したのでありました。

朝に現場に着くと、検診車のある場所で先ずはX線撮影。身体に放射線を当てるという検診であり、毎度躊躇しながらも結局は拒むことなく受けている。だが今回は、ドス白いあの液体を飲む「胃検診」は遠慮した。空中浮揚にも似たあの360度回転を忌避したかったというのが正直なところであつた。

次に向かったのが、その他の諸々を検診する会場。身長、体重測定の後には、視力、聴力検査が控えていた。聴力はまずまずだが、視力が裸眼でどちらかの目が「0.7」を下まわっていた。これでは次の運転免許更新に受からなくなるではないかと、ちと焦ってみたのだが、最早老化の足音が忍び寄せているのかと思って受け入れるしかなさそうなのだ。

その後、どうでも良いはずの身長、体重測定の後では、腹囲測定が待ち構えていた。声が響いてきた。

「はい、けっこうです。腹囲は◎センチです!」

お陰で「腹囲」の値はおいらの想像を超えて遥かに超えていてすこぶる大きくて、メタボ体型をはからずしも露呈してしまうことになってしまった。まるで健康飲料のCMで示されていたようななさけない光景なのだった。

次には「血圧測定」が待ち構えていた。高いときで「160超」を計測したので、これぞ鬼門だったのである。大学生の頃に「160超」を示したときは、ドクターから「80台の値です」と云われて落ち込んだこともあった。そして今回も、最初の計測で「160超」となり、頗る深い深呼吸をして2回目に計測した値は「140超」だった。当然のように女性の検査官は「2回目を書いておきますね」と云ったが、それは思いやりというものだったのだろうか?

そしてドクターによる問診が始まった。おいらは既往症の「通風」や「扁桃腺炎」を申告したが、ドクターの表情はどこ吹く風のように宙を舞いつつ、運動をしてください、酒や煙草はつつしんで、睡眠は充分にとるようにしてください、等々の言葉を発したばかりだった。あまりこういうのは実効性は無いのだろうな。

まあこのようにして何だかんだの後に、検診は終了していたのだった。

あ、てそしもう一つ記しておきたいのは、本日はとてもすこぶる体調が万全だったということ。普段のダルさや胃腸の不快感、気分の落ち込み等も無かった。これはひとえに前日にアルコールを断っていたことによることが明らかである。アルコールを断つことが平常の健康維持に大変に寄与することを知ったのだ。

本年初の冷やしは「冷やし黒酢麺」だった

先日訪れた中華料理店で「冷やし中華麺」を注文しようとしたら、季節メニューなのでありませんと云われた。だったらメニューに載せるなよと怒鳴りたくなったが、馬鹿らしいので流すことにした。だがそれ以来、冷やし中華が食べたくてしょうがなかったのだ。

暑かったり涼しかったりが交互に訪れる季節だから、メニューの一つ一つが店の売り上げを左右するということなのだろう。午前中に雨が降り注いだ今日は涼しい1日だったが、それでも冷やしが食べたくなっていたのは、先日の痛い経験が災いしていたのだろう。

ともかくも、本日は本年度初の冷やし中華麺にありついたのだ。

中華麺の専門店「揚州商人」での冷やしメニューは「冷やし黒酢麺」「冷やしタンタン麺」「涼風鶏そば」の3種類。迷わずに「冷やし黒酢麺」を注文した。

出されたのはたっぷり黒酢のスープの中に、ネギ、ザーサイ、鶏肉、キュウリのトッピング類が高く積み上げられたものだ。赤いクコの実が上に乗り、彩りを添えている。麺は下に隠れてトッピングを崩さなければ顔を出すことがない。

まずは黒々としたスープを一口。ほんのりと甘くまろやかでコクがある。生酢のツーンとした刺激の代わりにあるのは、黒酢独特の香りだろう。日本産の調味料には見かけないものであり、これが苦手だという客も多いと聞く。

具を崩して顔を出した麺は細麺であり、黒酢がよく麺に馴染んで喉越しもまろやかである。日本の伝統的な冷やし中華麺には見られない、新しい味わいであり、また何度か食べたくなる味であった。

ひじき+辛味大根の煮物で夏バテ&放射能対策

昨日使用した「辛味大根」を活用する料理はないものかと思案していたのだが、いつもの定番料理「ひじきの煮物」に辛味大根を加えることによって、立派な夏季向けのメニューとなっていたのだ。

辛味大根は摩り下ろすのではなく細かく刻んでおいて、水で戻したひじき、干し椎茸、人参、等々の食材と合わせ、そして煮込んでいく。

白い大根の色味は見た目の姿を主張しないが、却ってその分、大きな味覚のポイントを主張しているのではないかと感じる。それくらいにひとつの味覚のアクセントを刻んでいるのだ。

弱った胃袋に対して程よい刺激感が何よりも嬉しい。夏バテはおいらの場合、ほとんどが胃袋の衰弱によって生じるものだが、辛味大根効果が胃袋の衰弱を予防してくれるのではないかと期待させてくれる。下手な胃薬を飲むよりも効果的であろうことは、経験から実感されるものである。

しかも「ひじき」「干し椎茸」等の乾燥食材には所謂「デトックス効果」が注目を集めている。即ち「毒出し」効果の存在が指摘されているのだ。

今まさに我が国民の多くが放射能汚染に晒されている中にあって、このデトックス(毒出し)の効用は特筆されるべきである。

放射能に対抗する手段は、決して海外の食材に求めるのではなく、我が国の伝統食材としての「ひじき」「干し椎茸」等々が持つデトックス効果に求めるべきである。

放射能を含んだ食物からくる「内部被曝」から身を守る効果が、これらの伝統食材の中に備わっているということを、多くの人々が知るべきなのだ。

辛味大根+生蕎麦で二日酔い対策なのだ

今年も暑い夏がやってきて、些か憂鬱なおいらである。

何故に憂鬱かといえば、べつに今年は原発事故から来る省エネ影響でエアコンが使えない、或いは使い難いといったことではなく、身体の代謝が悪くなって、二日酔いの対策がしづらくなるということなのだ。

こんな時期に準備しておく食材が「辛味大根」なのである。

寝起きの悪い朝、或いは胃弱や頭痛を抱えた朝の食事に、この「辛味大根」が非常に重宝する。

特に生蕎麦との相性は抜群である。

今年の予行演習を兼ねて、辛味大根の生蕎麦を食してみた。ちなみに本日の辛味大根は群馬産だ。風評被害にもめげずにスーパーの食品売り場に出荷され、ある種のテレパシーを介しておいらの手元に届いていたということなのかもしれない。

武蔵野うどん店「たまや」の「ファンモンうどん」は美味だった

八王子の「武蔵野うどん」の専門店「たまや」のうどんが人気だ。

多摩地区なのに何故に武蔵野うどんか? といった疑問はさておいて、ここの麺は極めて特徴的だ。同店のうどん麺はとてもゴン太くコシが強くて、噛み応えがまた充分なのである。一般的な「武蔵野うどん」の範疇からは食み出すようなこのゴン太の麺を噛みたくなり、おいらも何度か訪れていた。

久しぶりに訪ねてみると、若いギャルやOLたちで一杯だった。彼女達の多くは「ファンモンうどん」というメニューが目当てなのだ。

八王子の観光大使となった「ファンキーモンキーベイビーズ(略して「ファンモン」)」が足繁く通った同店で、ファンモンがプロデュースしてメニュー開発したという個性的メニューが「ファンモンうどん」なのだ。

「ファンモンうどん」は別名「濃厚ピリ辛ごま汁つけ麺」とも云う。文字通りに濃厚な、ピリ辛の、ゴマ汁の漬け汁に、ゴン太うどんを浸して食べる。健康に良いとされる自家製のゴマ汁にピリ辛の刺激が心地良い。

ゴン太の麺に負けない漬け汁に浸したうどん麺は、じっくりと時間を掛けて味わうに似合っており、その昔に群馬県利根郡の田舎の母の実家で食べていた田舎うどんの記憶が甦って来たのだ。

よく噛んで、よく味わって、〆にはうどんを茹でた茹で汁で割って濃厚ピリ辛ごま汁を味わっていたのだった。

http://www.tamaya-udon.com/

■東京都八王子中町11-4

三鷹育ちの「キウイワイン」が本日発売。フルーティーで飲みやすい逸品

東京都のJA東京むさしでは、本日「キウイフルーツワイン」を発売した。早速おいらも三鷹駅で途中下車をし、出荷されたてのものを購入したのだ。

三鷹駅を降りて南口を数分歩いた酒屋の入口に「キウイワイン」のコーナーが設けられていた。白ワインとロゼワインの2種類が陳列されているが、手にしてみたら中身がない。空っぽのガラス瓶の陳列棚と化していたのだ。

店内に入り、品物の在り処を尋ねた。

「冷やしたものもありますけど…」という店主の案内もあったが、ここは素直に常温のものを購入することにした。帰宅するのにまだ数キロを要してしまい、結局はぬるくなるのならば、常温と冷温とをじっくり飲み比べてみたいとも考えたからだ。

そして「白」と「ロゼ」だが、ここは迷わず、キウイ100%の「白」を選択した。「ロゼ」には色付けのためにブドウが若干含まれているのだという。キウイの風味を100%味わうには「白」しかない。

まずは常温で一口。う~む、ブドウのワインよりもツンと来る香りと共に、フルーティーな喉越しが刺激的だ。アルコール度数は11%と、通常のワインよりは低めだが、刺激感は申し分の無いものであった。ブドウの白よりは少し甘めでもある。

少々調べてみたところ、「白」「ロゼ」の他に「にごり」という種類も発売されているという。今年はそんなキウイワインの醸造25周年でもある。

まだまだ飲み足らない気分で1瓶を空けたのだったが、東京地元発の特産品として、益々期待が高まる名産品だということは確かなようである。

狭い虫小屋でもがく「コーカサスオオカブト」に、人間と自然との不調和を感じ取らざるを得ないのだ

蒸し暑い夏の到来はすぐそこに迫っているが、本格的夏の季節到来を待たずに夏の昆虫に出くわした。

スーパー「ダイエー」の生活用品売場のコーナーには昆虫飼育用の籠が並べられ、中にはカブト虫、クワガタ、コガネムシ、等々の夏の昆虫が棲息しているのを目にしたのだ。

昆虫がスーパーや百貨店で販売される光景を見る度に、なんとも釈然としない思いに囚われてしまう。少年の頃の夏の遊びの時間の大半を昆虫採集に費やしていたことを回顧する度に、おいらはお金で昆虫を買うという習慣が、不道徳の典型に感じてならないのだ。

自然を学習するなかでその豊かさを知り、その厳しさ、情け容赦の無さを学んでいくという体験を、昆虫売買という商行為が破壊してしまうのではないかという思いが圧し掛かって離れないのだ。

本日遭遇した夏の昆虫たちの中で、最も活きが良かったのは「コーカサスオオカブト」であった。体長10cmはあろうかという巨きな体躯を、狭い籠の中で持て余しているようなその様は、堂々としているが故に尚更に、人間の商活動のみみっちさを際立たせている様でもあった。

携帯のカメラを向けるとオオカブト虫はおいらを威嚇するような素振りを見せた。なおもシャッターを切っていたら、今度は背中からニョロッと大きな羽根を出し、飛んでみせるぞといった仕草を示していたのだった。こんな狭苦しいところに閉じ込めやがった人間どもの代表として、おいらの姿が映ってていたのだろうと思うと、うら寂しい気分に落ち込んでしまったのである。

羽根を持った生き物であれば、当然のこととして羽ばたく権利を有している。それを人間のエゴにて蹂躙してしまっている現実を受け止めなくてはならない。

人間が世界を制覇しようと目論んだ結果、原子力の脅威に晒され続けていかなくてはならなくなったという現実を反省していかなくてはならないことと同様に、昆虫たちへの人間のエゴを反省すべきなのである。