猛暑によく効く「麻婆(マーボー)トマト」はたしかに美味かった

本日は「大暑」だという。こんな猛暑に打ち勝つには夏野菜を摂ることが肝心である。夏野菜料理には様々あるが、中華の麻婆料理に夏野菜を取り入れてみれば、これがまた美味かったのです。

麻婆料理といえば「麻婆豆腐」「麻婆茄子」「麻婆春雨」などが知られているが、夏には夏の食材を取り入れることは基本中の基本。殊にトマトの存在を忘れてはならない。

「麻婆トマト」の調理方法は「麻婆茄子」のレシピと基本的に違いは無い。食材としてトマト、茄子、ピーマン、そして夏の常備菜の茗荷を用意する。ひき肉を少々加えるのが中華風だが無くてもかまわない。調味料は豆板醤、甜麺醤、とろみの片栗粉が基本、これに味噌を少々加えれば日本人向けのこくが出る。

まずは茄子とピーマンを少量のサラダ油でじっくり炒める。それに水と調味料、それにトマト、茗荷を加えて煮込み、最後に片栗粉でとろみを出せば完成である。至極簡単であり、トマトの酸味と麻婆の辛味とがよくマッチして食欲を刺激するのである。いちどお試しあれです。

ブリの照り焼きこそ日本の食卓の原点を示していると想う

昼間は定食屋をやっている居酒屋に立ち寄って、「ブリの照り焼き」を注文したところ、その懐かしい味わいにとても染み入っていたのです。

そもそもブリの照り焼きというメニューは、おいらの田舎ではそれほどポピュラーとはいえないものであったが、その後上京し、このしっとりした脂が乗ったブリの照り焼きに出合った。その甘辛の調理の妙こそは、日本食の原点を示していると云っても過言ではなかろうという、いわばある時点でのおいらの思い込みにて、当時そればかり作っていたものである。週に何度も同じメニューを試行錯誤して調理し、そして口にしていたブリは、おいらに調理の楽しみを発見させるきっかけにもなっていた。苦学生の時代の古き良き記憶でもある。そんな特別のメニューを、知らぬ間に口にしながら、懐かしい気分に満喫していた今宵なのです。

ご存知のように「照り焼き」という調理法は、醤油、砂糖、味醂等を調合した甘辛の調味料を食材に塗り、上面から炎を炙って焼くというものである。まずは時間がかかる。ガスコンロもそれなりのものが必要である。おいらの学生時代のアパートにあったコンロは、いい加減なものであったが故、ほとんど満足すべきメニューの完成をみないままであった。そんなほろ苦い想い出も混在するのだ。

地元の食堂で出された「ブリの照り焼き」は、その点でも満足できるものであった。ブリの皮は焦げて黒く、それを剥いでみれば、甘辛味の染み込んで香ばしいブリの身が嗅覚、味覚を刺激したのでありました。

人間の都合で銀座にオープンされた「沖縄美ら海水族館」の巨大ザメ

東京銀座の「ソニービル」前には、「沖縄美ら海水族館」がオープン。それほど大きくは無い、否、沖縄を取り巻く海洋に比べては極端に矮小な水槽の周りには老若男女が取り囲み、甚平ザメなどの巨大魚たちの姿かたちに見とれている。行き交う人々は足を止めては水槽に見入っている。

ビルの内側に回って水槽の中を観察してみると、巨大なサメが可愛い目をこちらにむけて近付いてきた。瞬きもせずに道行く人間たち生態を観察するかのごとくである。36度を越えたという猛暑の東京だが、甚平ザメたちは東京都民をどのように観察しているのか? 逆に知りたいところでもある。それにしても人間の勝手な都合で極小の水槽に閉じ込められた南洋巨大魚たちにとってはいい迷惑この上ないのである。

吉本隆明が「貧困と思想」で嘆いた現代日本の現状

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不況不況の大合唱は鳴りをひそめたとは云え、先の見えない状況はいっこうに変わる気配など無い。数年前から小林多喜二の「蟹工船」のブームがさかんに取りざたされているのだが、かつて「蟹工船」が発表されていた時代に於ける新しい息吹きさえもが見えてはこないのである。見えているものと云えば、いまだ横行するリストラという名の不当解雇、ワーキングプアの増大、そして時代が共犯者となって引き起こされる大量の凶悪犯罪、等々といった暗澹たる世界。

このような状況を目の前にして、思想家、吉本隆明氏が述べている言葉は、重くしっかりと状況を見据えている。「貧すれば鈍する」といった類いの浅薄な通俗論議とは、真逆の論調なのである。

さて、同書の中で吉本氏は、現代文学の世界に於いて「蟹工船」を越えるくらいの作品が現役作家から生まれてこないことを嘆いていた。たしかにそうだろう。同様の思いは常々感じているところである。

純文学作家たちが「文壇」という名の閉ざされた村社会で胡坐をかいている。そうした状況からは真に感動的な文学作品など生まれ得る余地など無いのかもしれない。誰が今の状況に突破口を開いて、あるいは描いていくのだろうか? はたしてそれは可能なのだろうか?

今年初めての群馬風「冷や汁」をつくる

梅雨も明け、今年一番の猛暑だそうである。食欲もいっこうに湧く気配などない。こんなときにはさっとつくれて胃袋にも優しい「冷や汁」が経験的に、舌にも咽にも胃袋にもぴったし来る。日本人に味噌汁が似合うように、これがあれば間違いないのだ。

マスコミ的に「冷や汁」といえば宮崎県が本場とされるが、全国的な夏の料理であり、おいらの出身地、群馬県にも歴として「冷や汁」は存在する。今日は今年初めての「冷や汁」をつくったので、記念に写真に撮っておきました。

ネットや料理本やその他で調べれば様々な冷や汁レシピが載っているが、肝要なのは、いかに美味い味噌を材料に使うかということ。味噌選びににかかっていると云って過言ではない。おいらが年中使用している群馬の須川味噌こそは、季節にかかわらず味噌料理の基本ともなっている必須の食材なり。そして味噌以外の食材やらは、自分の舌や咽や胃袋に相談しながら時々の体調に合ったものを選べば良い。

群馬の須川味噌は「豊楽味噌」として市販されている。
http://takuminosato.or.jp/horaku/shoping1.html

まずは、豆腐となめこ茸を用意。これだけで立派な味噌汁がつくれる。それにみょうがとシラス、すりゴマ。宮崎風冷や汁には定番のきゅうりが無かったので、代わりに漬物を細かく刻んで加えてみた。想像通りにびりっとした酸味が効いて良い塩梅である。それにしてもこれからの季節は、冷や汁の材料となる食材を切らさぬよう注意しなくてはいけないな。

中華料理の「ピータン」を自宅で喰らう

中華料理の食材店にて、美味しそうな「ピータン」が出ていたので、購入して自宅で調理してみたのです。

卵の殻の周りにまとわり付いているのはいわゆる雑穀なのか、外面に付きまとっているあれやこれやの素材やらがいやにワイルドである。けれども気品がある。この気品が世界中の美食家たちの興趣をそそるのであろうと想えば、このピータンが持ち得ている外観も天晴である。これだけ味わい深い食材なのであるからして、外見上にもいわくが無いはずが無いのである。

生のままのピータンを、殻を取って食してみた。う~む。流石に気合が篭っている。食べようとするこちらの目線を気にするような佇まいなり。いっそのこと一遍に頬に放り込みたくなるような衝動にとらわれたのです。

馬喰町のアートビル「アガタ竹澤ビル」を探索

昔から職人の町として栄えた馬喰町界隈を探索した。目指したのは「アガタ竹澤ビル」。年季の入った商用ビルといったつくりだが、今流行のリノベーションとやらでビル全体が改装され、アート作品や雑貨類を扱うショップの集合基地といった趣である。

食事もできる2階の「ART+EAT」では「諸橋明香展」を開催中。ウォーターアートなるものを標榜し、ホースから水を通して会場全体に水の音を響かせたり、ストローを素材にポップな動植物を表現したりしている。美術館、博物館といった類の大仰な会場ではなく、このような場所にこそ相応しく、作家の表現力も発揮されるのだ。

また他のブースでは、創作靴下のブランドを展開する作家が、週末だけ実店舗をオープンしてユーザーとの交流を図っている。いろいろ実験と創作意欲とが交錯している、なかなかユニークな空間であった。

■東京都千代田区東神田1-2-11

これまであまり無かった「生ダコ」の刺身

タコの刺身といえば、これまでは茹でダコがあたり前であった。刺身と云いながら茹でたタコを出すなどと云えば、詐欺にも等しいやりくりにも思えるのだが、世間一般の流通業界においては「タコ刺し」がイコール「茹でダコの切身」であったということが顕著であり、今でもそんな流通業界の常識がまかり通っている。

今日は久しぶりに「生タコ」を食する機会が持てたのであり、強く「茹でダコ」事情についての憂いを感じたのである。

タコは食材として、様々に加工されるべき可能性の凝縮した存在である。だからと云って茹でたものを「刺身」と称する商法は問題であろうと思うのである。
以上、たこ好きネット管理人のつぶやきなり。

冷奴を美味くするトマトと特製のラー油

夏には冷奴である。だがそれだけでは味が無い。もともと冷奴の元である豆腐というものは、味が無い。京都人ならばさしずめそんな味無き薄き味を「湯豆腐」などに調理してわびさびなるものを味わうものなのであろう。ところがどっこいおいらは関東人であり、そんな雅風流を受け止める素養は無い。冷奴に+一味足して味わうということは、当たり前の習い事なのである。

という訳で今宵は「トマト」「ラー油」という食材の協力を得て、特製冷奴にありついていたのである。「トマト」はその他冷蔵庫に眠っていた食材とともに軽く炙って炒める。実はここにシラスなどがあればもっと良かったのではあるが、そんな贅沢は禁物。あくまで主役はリコピン豊かなトマトなのである。

サワガニ(沢蟹)のから揚げでホッピー三昧

「サワガニ(沢蟹)」といえば、昔は田舎の温泉地などでよく見かけたものである。川岸の岩陰で、あるいは露天風呂の隅に、よく観察すればすばしっこい動きをみせていた。海を持たない山岳地域における風物の一つでもあった。

今日はさる沖縄系居酒屋料理店にてそんなサワガニの蠢く水槽を目にし、とても懐かしく思いながらも、揚げ物にする「サワガニ(沢蟹)のから揚げ」を注文してしまったのである。昔の少年時のことを想えば決してサワガニを食べてしまったことなどはなかったのに、大人になった今では多少は迷いつつも「サワガニ(沢蟹)のから揚げ」など食べてしまうのだから、大人の人間とは至極勝手な生き物である。

そんなこんなを感じつつも、カリカリッとして香ばしいサワガニの甲羅は美味であった。更に少量であるが身の中に詰まったサワガニの味噌というものは、これまたいちどお試しあれの珍味なりと感じたのでありました。

根菜の煮込みが胃腸を癒すのです

近頃の暴飲暴食がたたって、おいらの胃腸は悲鳴を上げている。そこでおいらは自らの胃腸を癒すべく、根菜の煮物を調理してみたのでした。牛蒡、蓮根、蒟蒻、等々を食材にして。

みかけはごっついのが難点だが、根菜類には「食物繊維」か豊富に含まれている。この食物繊維こそは、胃や腸の掃除をしてくれるというありがたい栄養素なのである。五大栄養素の次に来る「第六の栄養素」として評価が高い。中々外食では摂取しにくいものなので、ときどきはこうして家料理しながら家呑みしているという訳なのである。

カツオもいよいよ脂がのってきた

初鰹の季節は過ぎたが、いよいよこれからが本番である。初鰹はたしかに美味いが、タタキには向かないのだ。美味いカツオのタタキが食べられるのはこれからなのである。写真は最近食したカツオのタタキ。表面はさらっと炙るくらいにして身も瑞々しく脂がのっている。

雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載 [その2]

村上春樹さんのロングインタビューを読んで、最も強く感じ取ったのは、「物語」についてのメッセージであった。「物語」については、おいらもかつて主宰していた「みどり企画の掲示板」にて、次のように書き込んだことがある。

―――――――【以下、過去のおいらの掲示板投稿からの引用】
振り返って自分なりのルーツを訪ねてみたのです。すると、下記のようなイメージが浮かんできたような、はたまた思い当たる思春期の出会いなどが想い浮かぶ。

十代だったそのころのぼくは、片翼飛行機のパイロットだったようにして、急切なる思春期を送っていたようだったのです。それはまるで、巨大な積乱雲の中に閉じ込められて、錐揉み状にして墜落するセスナ機よろしく、誰の力を借りることも出来ずに、しかも自分ではもう力役を尽くした後の飛行だったように、自分にとっての切羽詰ったものがあったのです。

アートや文学にのめり込む事によって、当時の片翼飛行の試運転が持ち直したというようなイメージが強く思い浮かんで来るのです。片翼なりに自らの飛行を続けていくため、急降下錐揉み的墜落を免れるために、あるいはさいきんメロディさんからも教えられたことですが前を見て生きるために、当時のぼくは欠けた片翼をどうにか支えて飛行可能にする手段をアートに挺身する道を選んだのだ・・・というのは甚だ大仰に過ぎますが。そんな心持ちがあったということは云えると思います。
―――――――【引用終了】

当時はネット掲示板でのやり取りが、結構熱く取り交されていたのを、遠い眼差しにて想い出す。メロディさんや、いか@ちゃん、きくちゃんたちからのコメントやら茶々やらを受けて、掲示板は益益の盛り上がりを見せていたのだ。

そして今回の、村上春樹さんのインタビューに接したのだが、そこで述べられていた春樹さんの大量のメッセージの中でも特に胸に届いたのが「物語」に関しての春樹さんのそれであった。だが、その内容についてはおいらがそれまでに認識していたものとは異なるものであった。そんな春樹さんのメッセージの一部を引用してみる。

―――――――【以下「考える人」の春樹さんインタビューからの引用】
物語という穴を、より広く、深く掘っていけるようになってから、自分を検証する度合いもやはり深くなっています。もう三十年以上、それをやりつづけているわけだから、より深く掘れば、違う角度から物事が見えるし、より重層的に見られるようにもなる。その繰り返しです。逆に言うと、より深く穴を掘れなくなったら、もう小説を書く意味はないということです。
―――――――【引用終了】

考えれば村上春樹さんの作品といえば、お見事というくらいに日本文学的テーマの定番でもある「自我」とは無縁である。そのスタンスを徹底して保っている。天晴!と云いたくなくなるくらいにそれは徹底している。だからそれが主たる要因で「芥川賞」を逃していたのである。けれどもここに来て村上春樹さんの評価は国際的に高まっている。「ノーベル文学賞」の候補者として何回も名前の挙がっている有力候補者なのである。「芥川賞」と「ノーベル文学賞」とを計りにかければ、「ノーベル文学賞」に分があることは明らかである。日本文学的テーマの「自我」を捨象したことが「ノーベル文学賞」候補者として有利に働いたのかもしれない。

さて、村上春樹さんとおいらとの「物語」に対するアプローチの違いやら共通項やらについて述べていきたいのではあるが、些かの深酔いやら参議院選挙の興奮やらにて、次稿に持ち越すことにしたのです。ご容赦あれ。

日本酒によく合う「甘海老の塩辛」

最近はどんな料理屋でもよく見かける「甘海老」。おいらも好みの一品である。今の時期が旬なのだと見え、ぷりぷりの食感が浮世の幸せをもたらすかのようだ。

普段は刺身で食べるばかりだが、塩辛にしてみたらこんな風になったというメニューに遭遇したのです。塩辛と云っても塩辛さは控えめ。日本酒の材料でもある「糀」に漬け込んであり、ピリッと唐辛子も効かせていて酒がすすむ。こんなつまみに出合った日は日本酒が呑みたくなる。久しぶりに美味しい日本酒を堪能した気分になったのでした。

雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載 [その1]

[その1] 「1Q84」には続編があるか否か?

季刊誌「考える人」(新潮社刊)の最新号にて、村上春樹さんのインタビューが掲載されている。箱根の場所にこもって行なわれたという2泊3日のロングインタビューである。

インタビュアーは新潮社の松家仁之氏。この名前は初めて目にするが、おそらく「1Q84」等の、村上春樹さんの著作の担当編集者であろうと推察可能である。春樹作品に対する理解度の高さはもちろんだが、それ以上に濃い関係性の上に築かれたインタビューである。たしかに難しいテーマを遡上に載せながらも、春樹さんとインタビュアーとの会話はしっかりと噛み合って進んでいく。長年培った親和性というものを感じさせる。インタビュー嫌い、マスコミ嫌いで有名な春樹さんだが、少しも構えることなく様々な質問に丁寧に答えていく様は、多分初めてのものだろう。

現在の日本文壇の最大の関心事とも目されるのが、「1Q84」の続編についてであろう。BOOK4は、あるいはBOOK5は有るのか無いのか? それについても春樹さんは答えているのだが、結論から書くならば、言質を与えるような確かな答えを提供はしていない。だが推測するための大きな足がかりとなるコメントは残している。その一部ではあるが紹介してみよう。

「『1Q84』に続編があるかどうかよく聞かれるんだけど、いまの段階では僕にもわかりません。というのも、三年間ずつとこの小説を書いてきて、いまはすっからかんの状態だから。本当にみごとにすっからかん。(中略)
だから、『1Q84』のBOOK4なりBOOK0なりがあるかどうかは、いまは僕には何とも言えない。ただ、いまの段階で言えるのは、あの前にも物語りはあるし、あのあとにも物語があるということです。その物語は僕の中に漠然とではあるけれど受胎されています。つまり続編を書く可能性はまったくないとは言えないということです。」

「受胎されています」。この言葉の意味は極めて大きい。すなわち受胎しつつあるものを春樹さんが自ら堕胎などすることは無いであろう。その確信がこめられている。これだけ語っていただいたのだから、おいらは必ず続編があると確信したのだ。3楽章より4楽章である。総合小説の条件でもある。村上春樹さんがそのことを知らない訳が無いのである。
(この稿続く)

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日本一の銀座「鳩居堂前」の地価が急下落

先日発表された地価によれば、日本一とされる銀座の「鳩居堂前」が、4分の1もの下落を示していた。

この「鳩居堂前」は銀座5丁目にあり、よく云われる日本一の繁華街「銀座4丁目」ではない。「銀座4丁目」には、三越百貨店、和光という、銀座のシンボルとなる拠点が存在しているのに、いつも路線価ナンバー1が「鳩居堂前」というのが、以前から不可解であった。日本一の通りを歩けばいとも素っ気無い。何も無い歩道を歩いているという印象しか持てないのである。

ちなみに銀座5丁目の「鳩居堂」とは、文具や香を扱う専門店である。和文具のほかに中国の輸入品も扱っているので、特別に日本を象徴しているという訳でもない。かつて同社社長が飛び降り自殺したビルとしても(おいらは特に記憶に無いが)有名なのだという。ナンバー1には何かしら曰くが有りということなのか。

中華の定番「フカヒレのおこげ」を味わったのです

久しぶりに地元の中華料理店を訪問。今日は少々奮発して「フカヒレのおこげ」等を注文したのでした。

中華の高級食材としての「フカヒレ」は、そのほとんどが日本の宮城県気仙沼のものが使用されているという。少なくとも日本国内の中華料理店にては中国からの食材より以上に気仙沼産が珍重されている。気仙沼産のフカヒレこそは、中国本土の名店とさる店舗の食材に欠かせないものとなっているのだ。

中華料理の世界で特別にアナウンスされるコピーは「火が命」である。日本料理、フランス料理には真似の出来ない「中華料理」あるいは「中国料理」の真髄を、このコピーが示していると云って良い。たしかに天然のコラーゲン、コンドロイチンを豊富に有するフカヒレ料理には、日本人のグルメを瞠目させるものがある。中華料理の代表格としての「フカヒレ」料理は、たしかに美味しい。そして美味しいだけではない国際性があると感じる。これから「フカヒレ料理」の国際性についても注目をしていくべきなりと感じていたのでありました。

小金井の名店「大黒屋」の煮込み&あしたば

久しぶりに武蔵小金井駅で途中下車して、「大黒屋」に立ち寄ったのです。この店のウリNo.1と云えば「煮込み」である。モツの量はほどほど控えめに。そして、豆腐、コンニャク、ジャガイモが取り入れられている。特にジャガイモは、この煮込みに無くてはならない必須の食材と云えるくらいに存在感を示している。半分くらいは煮崩れて形をなさないジャガイモ崩れだが、そんなジャガイモ崩れの甘さが優しく舌を包み込んでくるようだ。まるで和のシチュー感覚なのである。和の居酒屋メニューとしては想定外のメニューと云わざるを得ないのかも知れない。

久々に興奮冷めやらぬレポートになってしまいそうだが、2品目のメニュー「あしたばのおしたし」についても記しておきたい。

「あしたば」とは漢字で「明日葉」と書く。今日に摘んでも明日になれば葉をつける。それくらいに生命力に溢れた植物なのだ。大島などの伊豆諸島を主な生息地としている。伊豆諸島に旅したときにはこの「明日葉」を食べないという手は無い。というより、どの旅館、民宿を訪れても明日葉料理のオンパレードだそうだと聴く。東京で居酒屋メニューとして食べているくらいが、ほどほど結構なりということの様でもある。

久しぶりに訪れた「大黒屋」は4~5年前に改装して現在の店舗となっている。そしてもう一つの異なる点は、「ホッピー」がメニューに加わっていたことでもある。店員に尋ねてみれば、1年半ほど前に新規メニューに加わったということである。やはりホッピーブームは小金井の名店にまで届いているということなのだろう。

ベトナム産ドラゴンフルーツの初体験なのだ

久々に食の初体験である。地元のスーパーにて「ドラゴンフルーツ ベトナム産」という果物を目にし、早速購入。本日は初めてその不思議な果実を食したのでした。中国名で「火龍果」と呼ぶ。「ドラゴン」「龍」というネーミングを冠したフルーツである。ネーミングからして侮れない。

キウイやアボガドよりも少し大きめの鮮やかピンクの果実。サボテンのトゲような突起物がにょきにょきと生えている。果実をタテ切りにしてみれば、白い果肉にゴマの実をまぶしたような相貌をたたえている。セクシーである。セクシーな果実は色々挙げられるが、ドラゴンフルーツは数あるセクシー・フルーツの中でも抜きん出ている。チャンピオンの座を狙えるくらいにセクシーなのである。そして果肉を口に運ぶと、甘い。しかも淡白な甘さである。砂糖を大量に使用した毛唐の作るデザートなどと比較すれば、明らかにこのドラゴンフルーツに軍配が上がる。まずは水分豊富な瑞々しい甘さは、毛唐の作るパサパサして甘ったるいデザートには決して真似の出来ないものだ。淡白で無く糖度の高いドラゴンフルーツが、ベトナムなどでは味わえるのだそうだ。とても関心を引くが、淡白な日本のドラゴンフルーツも悪くはない。

本年は天然の「鰺」がとてもあぶらがのって美味しいのだ

今年の「鰺」は、海流の要因やらその他諸々の要因が重なって、とてもあぶらがのっているそうなのだ。そんなニュースを聞きつけて、近くの居酒屋に「鰺」の刺身を食べに行った。だがいたってフツーなのである。「こういう鰺はいつも食べている鰺だよな」。

先日は地元のスーパーで鰺の刺身のパックを見かけた。それを購入し、味わってみたところ、う~む、なかなかあぶらがのっていて美味いのである。今年の夏の鰺は、おすすめですよん!