終戦内閣総理大臣、鈴木貫太郎翁の記念館を訪問

千葉県野田市の郊外、関宿の「野田市鈴木貫太郎記念館」を訪問した。東武野田線「川間」駅からバスを乗り継いで約1時間ちかく走った、利根川と江戸川に挟まれた、周囲には田畑が広がる長閑な土地にその記念館は建立されている。貫太郎の旧邸が在った隣というのが場所の謂れだという。

記念館の正面玄関前に着くと「為萬世開太平」と記された巨きな石塔が目に飛び込んできた。「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す」という、昭和天皇による所謂「玉音放送」の原稿からとられた一節である。鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長、迫水久常の手による書とされている。貫太郎自身の思いの強さをいやがうえにも知らされる。

館内には白川一郎、阪倉宜暢らによる多数の戦争画が展示されている。写真ではなくして絵画である。貫太郎が青年将校に襲撃された「二・二六事件」、終戦が決定された最後の「御前会議」等々、歴史的に極めて緊迫した舞台の一瞬一瞬がとてもリアルに描かれており、その描写力よりも戦時下での画家の思いに胸が締め付けられる。また、たか夫人の手による花木の彩色画、さらには愛用していた礼服をはじめとした様々な遺品が、館内狭しと並べられ、訪問者を温かく迎えてくれる。

記念館の隣には「鈴木貫太郎翁邸跡」が併設されている。地元の人たちは親しみを込めて「貫太郎翁」と呼んでいることが鮮やかに示されている。そして「終戦総理大臣」と敢えて大書することで、貫太郎以外は成し得なかったであろう終戦処理の大任を果たしたという貫太郎の大きな功績を称えているのだ。

この場所はかつて、当時民主党の代表だった小沢一郎が選挙運動の第一声を挙げたところでもある。所謂「辻立ち」と称して選挙演説をぶっていたのが、当時の全国ニュースで放映された。総理大臣当時の麻生太郎もまたこの場で選挙演説し「負けっぷりよくしなけばいけない」云々の貫太郎と吉田茂とのエピソードを語っている。

両者共に貫太郎翁の威光にあやかろうという魂胆が見えみえだが、残念ながら貫太郎翁の前では小さなガキ子供のように映ってしまう。政治家が尊敬する先達にあやかりたいのも理解できるが、真に有権者にアピールしようとするのならば、せめて貫太郎翁の懐の巨きさや清濁併せ呑む政治家の資質くらいは学びとってからにして欲しいものである。

■野田市鈴木貫太郎記念館
千葉県野田市関宿町1273番地
TEL 04-7196-0102