騎手を凌いだ天才馬こと「シンボリルドルフ」の想い出

天才馬「シンボリルドルフ」が30歳の生涯を閉じたというニュースを目にした。おいらはそもそも競馬マニアと云った人種とはほど遠く、ましてやギャンブラーでもないので、競馬ネタはこれが最初で多分最後になるだろうとは思われるが、しかしながらシンボリ皇帝馬のことは書かずにおれない欲求が全身を駆け巡っているのであるからにして、素直に今日はここにて記すことにしたのだ。

当時のおいらはといえば年端もいかない若造であり、ある長野県内奥深くの温泉旅館のアルバイト関係で知り合った知人に競馬の手ほどきを受けつつ、ほんの一時だけではあるが競馬にのめり込んでいた。そのとき買った馬券のほとんどが「シンボリルドルフ」絡みのものだったが故により一層にシンボリ劇場のあれやこれやのシーンが走馬灯のようにして飛び交っているのである。

現役競走馬として走っていた当時のルドルフのライバルには、少なくとも2頭がいた。前年の3冠馬ミスターシービーと、先攻逃馬カツラギエースである。ルドルフにとって、前門の虎(カツラギエース)と後門の狼(ミスターシービー)というライバルを敵にしつつ、ルドルフはルドルフらしき自分自身の聡明な走りを見せつけつつ、勝ち進んでいったのである。特に「ジャパンカップ」では後塵を拝することになったカツラギエースとの対決のシーンは、今なおまぶたの奥に残って止むことはないのである。先に走っていたカツラギエースを追うこと無く破れてしまったレースが「第4回ジャパンカップ」だった。

追えば絶対に追えたはずの先行馬をみすみす逃してしまった。その責任は岡部騎手にあることは明白であった。だが誰もがそのことを指摘することが無かった…。

続いて開催された有馬記念では、ルドルフはカツラギエースしか見てはいなかった。そして堂々の横綱相撲でカツラギエースを下し、陣営は溜飲を下げることとなっていた。騎手の指示よりもそれ以上にルドルフの頭脳が勝ちを制したというレースであった。

カツオの喰いおさめは、カツオのまご茶漬けなのだ

秋も深まってきており、今が戻りガツオのまさに旬といえよう。

秋に戻ったカツオはたっぷりと脂が乗っており、初ガツオよりも味わいは何倍も充溢していることは、カツオ好きならば誰もが知っている事実である。

もう旬のカツオを味わえる時間は僅かしかなく、其れならば充分に味わって食べたいと云うことで、「カツオのまご茶漬け」にしたのだった。鮮度の良いカツオの刺身を丼に乗せて、熱いお湯を掛けてお茶漬けにしたもの。

本来のお茶漬けとは緑茶を掛けるものだが、ことまご茶漬けについては緑茶でなくても宜しいとされる。魚舟の上にて取れたての魚を捌いてお湯に掛ければ、魚の出汁が丼中に滲み出て、それ以外に余計な味付けは必要ないと云うことが最大の理由であるからにして、シンプルイズベストの料理法とも云えるくらいだ。

鮮度を示しあらわすピンク色の身が、熱湯を注ぐことにより白く装いを変える。とても澄んだ白色であり、これはまさに魚の脂を示す白色なのだと云うべきなのである。

「土門拳の古寺巡礼」展が八王子市夢美術館にて開催

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ぼくは人生の過半を
カメラを背負って
古寺を巡ってきた
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こう語って古寺を撮影し続けた土門拳氏の「古寺巡礼」展が「八王子市夢美術館」にて開催されている。

http://www.yumebi.com/

これまでに土門拳氏の作品集等にて「古寺巡礼」の作品群については目にしてきたが、今回の企画展にて一同に集った作品群に接し、改めて土門拳の古寺巡礼、即ち此れだけに年月や熱情を傾けて創造され続けてきた「古寺巡礼」の、云わば魂に接することが出来たと感じ取っていた。

巨大なサイズにプリントされた作品群の中にはひっそりと、オリジナル・プリント群が佇んでいたのである。額装された作品には「Domon Ken」という自筆のサインが添えられていた。其れを目にしておいらは作家の思い入れ、強烈なる自己主張の息吹を感じ取らざるにはいかなかったと云うべきであろう。

古寺は日本の文化文明を担ってきた文化財であったと共に、否それ以上に強く、土門拳の捉えた仏像、仏閣の美しき姿形を印画紙に定着させていたのであった。

所謂作家とモデルという関係性でありながらも、作家はモデルに従属することなく「土門拳」を主張していた。写真が芸術として我国にて認められた背景に、この土門拳氏の「古寺巡礼」が果たした功績、光跡は計り知れないものがある。それを何よりも感じさせる写真展である。

時代を超えて親しまれる上野「伊豆榮」のうなぎ

昨日の法要では、お寺から池袋近くの雑司が谷墓地でのお参りを行なった後で、上野不忍池近くの「伊豆榮」へと向かっていた。江戸の時代、徳川吉宗の治世の時からの営業であり、創業260年の時の歴史を有していると云う由緒溢れる名店である。

夏目漱石、森鴎外といった明治の文豪が愛したことでも有名であり、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏の贔屓の店でもあった。

うなぎは大好きなおいらであるが「伊豆榮」に出向いてうなぎを食するのは、こんな特別な日にしか今まで無かった。だからであろうか、特に味わいの印象的には薄かったと云って良い。

今回はそんなかつてと比べて些か意識的に味わっていたのであり、その特徴を捉えようとはしていたものではあった。だがしかし、実際に味わった印象派といえば、非個性的なものであった。うなぎの細かな骨や内臓やらはほとんど完璧に取り除かれている。細かな仕事と云うのはこういうことを指して云うのだろう。

翻って評価すれば、個性的ではない味わいだと云うことになる。だがそれこそは「伊豆榮」のうなぎに対する最大限の評価であると思えるのである。

甘くなくうなぎの素材の出汁が充満している。関東風うなぎ料理の基本を守って、じっくりと蒸して柔らかく調理されている。

そしてタレもがまた良い味を出している。白砂糖などは一切用いていないと云うくらいなのだから徹底している。すなわちうなぎ料理の中の定番料理。うなぎの下に薄く盛られたご飯にはタレが程よくまぶされていて、これだけでもご馳走になるくらいの味わいなのだ。

そんなうなぎの身は箸で触ったら身が崩れるくらいの柔らかさであり、殊に年配の人たちにはとても優しい味わいなのだ。長年を経て愛される名店料理の、これが奥義と云うべきなのだろう。

衆生本来仏なり―禅寺お経の「座禅和讃」より

親戚の伯母の法事があり、文京区内の禅寺へと向かった。

地下鉄沿線の駅を降りて徒歩数分の処にある寺だが、まるで時間が止まったような、緩やかで豊かな時間が支配するお寺の風情に、何とも云えぬ至福の時間を過ごさせてもらったようである。

若いお寺の和尚はよく通った声を出して、般若心経をはじめとした仏典を唱えていた。物音一つしない法堂に響き渡る仏典を聴きながら、死者との対話が響いていくものだろうと感じ取っていた。白隠禅師の教えとされる「座禅和讃」の響きは、毎度のことだがとても心に響いてくる。

「衆生本来仏なり」という一節から始まる座禅和讃は、禅宗に帰依した和尚ラジニーシの教えとしてもまた、全世界に広まっていると云う。「存在の詩」の教えの根本に座禅和讃があり、其れ等が相乗しつつ日本発の世界仏教となっているのだ。心に響かない訳が無いのである。

彼岸を過ぎて日時を経ているが、日も落ちた帰りの道すがらに目をやると、歩道沿いにひっそりと、彼岸花が花を咲かせていた。仏典の教えの響きがまた耳の中で廻っているようであった。

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衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
譬へば水の中に居て
渇を叫ぶがごときなり
長者の家の子となりて
貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻の因縁は
己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそへて
いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は
賞嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏 懺悔 修行等
其の品多き諸善行
皆此のうちに帰するなり
一座の功を成す人も
積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき
浄土即ち遠からず
辱くも此の法を
一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は
福を得ること限りなし
いはんや自ら廻向して
直に自性を証すれば
自性即ち無性にて
すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として
謡ふも舞ふも法の声
三昧無礙の空ひろく
四智円明の月さえん
此の時何をか求むべき
寂滅現前するゆえに
当処即ち蓮華国
此の身即ち仏なり

食べるラー油は中華料理にこそ似合うもの、ご飯にかけるものではない

一時期の異様なブームは去ってほっとしたが、「食べるラー油」なる、調味料とも、食材とも何ともいえない代物には些か参っていたのだった。

中華料理、中国料理の店に行けば、以前から其れらしき調味料は在ったのである。餃子に添える調味料の一つとして、酢や醤油と合わせてみれば、それは絶妙の味のハーモニーを奏でていたものであった。だがそんなものを後生大事にマスコミ報道に載っけてしまったが故に、異様な「食べるラー油」ブームは作り上げられたといってよい。

そもそもラー油の材料となるものは、唐辛子を筆頭にして大蒜、生姜、葱、玉葱、等々をたっぷりの胡麻油等々の食物油に入れてエキスを抽出すると云う行程を経て作られる。

言葉を換えれば胡麻油(あるいはサラダ油等を含む)にエキスや味付け等を施されたものであるからにして、これをご飯にそのまま掛けたりしたらば、ご飯に胡麻油、サラダ油を掛けて口にするのと大差無い悪しき食物摂取の連鎖が生じてしまうことになる。こんな非常識な食物摂取の連鎖は在り得無いと云うのが理性的な判断である。

つまりには、ご飯には胡麻油やサラダ油を掛けたりすることは至極邪道な食文化であると同様に、食べるラー油などというものを簡単にご飯にのせて食べたりしては、食物連鎖の異常を来たしてしまうのであり、そういうのはいけないぞということなのである。

「2k540 AKI-OKA ARTIZAN」が9/29グランドオープン

 

昨年12月にオープンした穴場のスポット「2k540 AKI-OKA ARTIZAN」が、新たに17の店舗が加わってグランドオープンとなった。新規店舗には若葉マークよろしくの「NEW SHOP」マークが設けられているので、新しいスポットを探して散策するのも楽ちんだ。
http://www.jrtk.jp/2k540/
会場のトータルデザインは以前のままだが、御徒町よりにスペースが広がって、店舗数も増えたことから、職人工芸の街並といった印象をより強く植え付けることとなっている。
会場では江戸切子グラスの制作実演が行われたり、その他様々なイベントが企画されている。伝統芸能の制作現場と直に接することができる、都内でも稀なスペースとなった。

山芋の磯辺揚げにほっこり満足

山芋というのはこの時期にてとても旬であり、おいらも大変に好きな食材なのである。そして山芋の触感を味わった後には、是非とも蕎麦を食したい。

蕎麦の具にしては逸品なり。そんな感じで山芋の磯辺揚げを口にしたならばとても優雅な時が味わえるのだと思ったのだ。

つまりは山芋の磯辺揚げが美味かったので、もう一回、美味い山芋を食いたいなあということなのだった。

TV番組とはこうにも詰まらない代物だったのか

TV番組編成替えがこの時期の様であり、どのチャンネルをひねっても特番だらけのウイークの様でもある。

TV人間ではないおいらにとってTV番組とは、今では雑音、雑ビジュアル、雑動画…等々の類でしかないメディアなのだ。

幼少の頃からニュース報道番組に対しては人並(子供並)外れた好奇心を抱いていたこともあったが、今やそれらのジャンルは、ITニュースをはじめとするITメディアにとって替わられている。

例えば先日の台風襲来の日などは、ツイッター掲示板にてターミナル駅の混雑ぶりや列車の運行状況を把握することが出来たのであった。こうした痒いところに手が届くくらいの情報ツールとしては最早ITメディアはTVを遥かに凌いでいる。

最近のTVツールはと云えば一々にチャンネルをひねる必要もなくリモコン操作での変更が容易であるので、色々なチャンネルをチェックしていたのだが、やはり何処もが詰まらない番組の垂れ流しをしていたのを目の当たりにしたのだった。

大衆迎合ツールとしてのTVは、最早、ニュース報道を伝える意義も消え失せて、娯楽ツールとしての意義も失せつつある。いずれは泡沫メディアとしての地位に陥るのは必定の感がある。TV番組とはこうにも詰まらない代物だったのか。

「青森産」の表示につられ「にんにく醤油漬け」をどか食い

1片が2cm以上、3cmはあろうかという大型の「にんにく醤油漬け」を注文したところ、たっぷり8片もの大降りが出てきたのでびっくり、結局どか食いしてしまったので、この後が些か怖いという思いの今宵なのである。

そもそもおいらを含めての呑部衛にとってはにんにく料理は肝の臓をはじめ内蔵の健康維持には欠くことができない代物なのだ。醤油漬けにされたにんにくはさっぱりしていて確かに美味く、なおかつにおいもほとんど気にならない。

おいらも常に、ことある毎に、少しずつはにんにく料理を摂取しているが、だがしかしながら今宵の注文したメニューには困ってしまった。

何しろ量が多いのである。大降りのにんにく片が、数えたところ8片もあったので、これは何でも多すぎかと…、全部食べたら取り過ぎではないかと…、店内では可成り迷っていたのであったが、結局全部平らげて店を出たのだった。

理性的に改めて考えてみたら、例えば昼食の九州豚骨ラーメンでついてくるにんにくを絞って乗せてもせいぜい1〜2個、串焼きで食するにしても4〜5個が限界だろうと思われる。それ以上のにんにくパワーは副作用をもたらすのではないか? それに比べて何とまあ大量のにんにくを胃袋、腸にも押し付けてしまったことやら。

ただ何となくではあるが、明日の体調がいと心配な今宵となったのでありました。

野菜と鶏肉の旨みが凝縮のタジン鍋料理

北アフリカのモロッコが発祥とされる「タジン鍋」。前々から興味があったが購入するのはためらっていたのだが、この程外食にてこのタジン鍋を味わうことが出来た。

上にかぶせる、とんがりハットのような独特の蓋が特徴的だが、これには形のユニークさばかりでなく、トロッコならではの伝統料理の理由がある。細くなった蓋の上部には素材から滲み出た水分が水蒸気となって充満しやがて滴り落ちた水分が容器の隙間をふさぐので、鍋の中が密封状態となる。肉や野菜類の香り、栄養素を閉じ込めるという、とても意義深い鍋なのだ。

出てきた料理は、鶏肉にキャベツ、人参、玉葱等々の野菜を入れて、少量の水を加えて蒸し焼きにすしたものだ。水を使わずに野菜の水分だけで調理する方法もあるようだが、多少の水を加えたほうが、味はマイルドになる。鶏肉と野菜から滲み出た出汁で味付けは充分だが、今回の料理にはここにユズ胡椒が添えられていて、ピリッとアクセントが効いていた。

旬の野菜や新鮮な肉類があればそれだけで立派な料理に仕上がるのだから、タジン鍋料理というのは道理に適った、非常に奥深いものがあるのである。

機会があったら調理器具売り場などで探してみたくなった。先日は書店で「シリコンタジン鍋」なるものを発見。電子レンジ料理専用だと云う。中身が見て触れたので早速手にしたところ、ぐにゃっという感触が何とも頼りなく、いただけなく、違和感の賜物だった。やはり鍋と云うからには硬くてしっかりした素材のものが欲しいものだ。

富士山が平年より早く初冠雪、夏も漸く終わりか

季節の移り目に油断したのか、今日目が覚めたら悪寒がして吐き気ももよおし、終日気分がさえない。ここは早めに床に入って、じっくりと睡眠を取るに限ると考えているところだ。

確かに今朝は想像以上に気温が低かった。富士山が平年より6日ほど早く初冠雪したというのもうなずける。

http://youtu.be/nPGEk8gUPvk

サザエのつぼ焼きはホッピーに良く合うことを発見

サザエのつぼ焼きを味わった。思い返せば久しぶりだった。何年ぶりだろうか…。

 地元でたまに足を止めて入る居酒屋だったのだが、そこは生きの良い食材が魅力的な店なので、たまにであるが懇意にしている場所である。

 サザエはもとよりおいらの好物である。肝の美味さといつたらこの上ないくらいだ。その昔は伊豆だとか特殊な海浜地方に旅しなければ口にすることさえ出来かねていたという貴重な食材なり。

だが近頃はといえば、ちょっとした料亭だか日本料理店だかに足を運べば簡単に口にすることができるという、だが、おいらはそんな料亭だか日本料理店だかに足を運ぶ軍資金が足りないのであった為、ここ数年来はずっと我慢をし続けていたのであろう。そしてふと、地元の居酒屋にてメニューを目にし、先ずは注文と相成ったのである。

 特に旬の時期と云うものは無いようだ、それにしても大降りで、殻の風体もピカピカしていたのでてっきり今が旬なのかと思いながら、一口ひとくちと口にしていた。海の潮の香りというものを味わうにはこれ以上の食材は無いかと云えるくらいの、ピカピカの香りが鼻を突いたのであった。

 ところで話題は大衆的な方へと向かうのだが、大人気漫画&アニメの「サザエさん」の主人公が「サザエ」だということにはかねてから一抹以上の甚大な違和感を抱いていたものである。

サザエと聞いてピンとくるのは、あの毒々しくしてグロテスク、決して奇麗ではなく美や愛をイメージさせることが無い、云わば悪魔的ネーミングである。如何なる理由にて作者は「サザエさん」をネーミングしたのであろうかと?

女性ホルモン豊富だと云う「コブクロ(子宮)」を味わう

豚や牛の子宮を串焼きにしたのが「コブクロ」である。

人間を含めて女性の哺乳類における生殖器のひとつであり、これを食すると云うことは女性器の一つを身体に含めると云う行為を指しているのであり、これはおいらも含めて男性人にとっての、所謂一つの女性ホルモン摂取の行為ではないかと考えているところなのである。

食感はと云えばおいらが大好きな種類の、適度にもっちりそしてまた、コリコリとして、噛み応え充分ありである。炭火焼にすればもっちりとして中に芯が通って、とても筆舌に尽くし難いと云って良いくらいである。

男子たるべき人間が、簡単に味わってはいかんという構えは持っていたはずだが、ついつい欲に任せて注文してしまうのだ。

ところではてな、女性人はどうなのだろうか? あまり焼肉、焼トン店にて女性が「コブクロ」を突付いている姿は記憶に無いものである。それはもしかして、無きもの欲しさの食欲なのであろうか?

首都直撃の台風で帰宅困難者となった夜

首都圏を直撃した台風15号の影響で、都内のJR全線が一時ストップ。おかげでおいらも帰宅難民となってしまった。

ターミナル駅で立ちすくんでいても埒があかないと考え、おいらは手帳にメモが残っていた下町の格安ホテルに電話をしたところ、運良く空き部屋があることを確認しそして予約をし、一泊することになった。

先ほどのTVニュースを見てもまだJR中央線の立川から先が運行見合わせだという。何時間待っても結局は帰れなかった可能性が高いのだ。首都の交通網は想像以上に脆いものだということを実感している。

そしてもう一つの意外感は、都内に膨大な帰宅難民が発生している中で、地下鉄で10数分の駅近ホテルががらがらだという事実だ。ここは「エコノミーホテル」と称しているくらいに宿泊料金も二千円台と格安なのだが…。

一言で云えば認知度不足ということなのだろうか? だとしたところで需給バランスの崩れとというものはいかんともしがたい。下町の居住環境の良さを知らない都民が多いという印象が大なのである。

しかも此処は宿泊者用のパソコンが設置され、無線LAN環境まで提供されている。海外からのバックパッカー御用達であるが、日本の旅行者にもお勧めの場所なのだ。

「鯖の漬け」と云う風変わりな料理でフレッシュな鯖を堪能した

先日ふと立ち寄った下町の居酒屋で「鯖の漬け」というメニューを味わった。青森県八戸産だそうであり、その鮮度は申し分ない。通常は鯖の生魚は酢で〆られた「〆鯖」として提供されるものだが、此処では「〆鯖」の他にあるこのメニューで、醤油ベースの漬け汁に漬けて出されるようなのだ。

最初の見た目はと云えば、写真に撮影したとおりであり、ギラギラとした脂ぎった鯖特有の光沢が目に飛び込んでくる。だが意外にマイルドである。とんがった視覚や食感、味覚は感じられなかった。それ以上に云えば実にマイルドな食感だったと云って良い。

鯖はよく知られているように足の速い魚である。だからその味を安定的に保たねばならない。酢で〆れば所謂賞味期限、消費期限といったものが長く設定できるのだから、大体は生の鯖を扱うときには酢で〆るのが常識である。だが今回出逢った下町の居酒屋で「鯖の漬け」を口にして、〆鯖ばかりが鯖料理ではないと云うことを実感したのだった。

また今度、機会があったらその下町の「鯖の漬け」を食べに行きたいと思った。それくらいにインパクトのあるメニューであった。

尾崎豊ハウスがホーメストの家に建て替えされるという

1992年(平成4年)4月25日に26歳と云う短い生涯を閉じた天才シンガー、尾崎豊。彼が最期の日に倒れていたのを見つけて手厚く介抱をし、病院への搬送を行なっていたのが小峰さんであり、小峰さん宅は今からもう19年と数ヶ月の間ずっと、「尾崎ハウス」と呼ばれ続け、その後小峰さんの家には、全国からの尾崎豊のファンが訪れるようになっていた。

その倒れていた日に運ばれた病院から何故か自宅マンションへと戻された尾崎豊はその日のうちに容態が悪化し、死ななくてよいはずの身であったはずだが基本的な生命維持の治療も施されることなくとても残念な不遇の死を遂げてしまったのである。

そんなファンにとっては忘れられない「尾崎豊ハウス」が改築されるというニュースに接したおいらは、おいらにとっても非常に思い出深い、古くからのそのハウスを目に焼き付けたくなり、訪れていたのだった。京成本線「千住大橋」駅から徒歩で5分程度の下町の住宅地である。近くには「中央卸売市場足立市場」という卸市場が控えている。もっとずっと前からその場所は通称「やっちゃば」と呼ばれる下町の市場であり、「やっちゃば通り」という歴史的街道も近くには残されている。戦時中の大空襲にも焼かれることなく下町住宅地の風情を今なお残している一帯に「尾崎豊ハウス」が在るのだ。

5~6回は訪れたろうか、その場所へ何年かぶりに訪れていた。ドア扉は締め切っており、中には人の気配は無かった。たしか4畳半の部屋の壁面には大きな建築計画の看板が掛けられていた。マスコミ情報によればこの9月末までに旧ハウスが取り壊されるとのこと。そして新しくホーメストの家が建立されることになる。

話はだぶるが、おいらも20年あまりの間に何度かハウスを訪れ、天才尾崎豊を介して、若い人たちとの貴重な交流を得ていた。若いファンがこの場に集どるのは尾崎豊さんだけではなくて、小峰さん家族の人たちの、厚い心により添って集まってくると云うものではあった。若い人、特に甚大な悩みを抱えている人たちをも、小峰さんが受け入れていたのだ。

つまりは此処は、そんな特別な場所だったのである。古き「尾崎豊ハウス」のレクイエムを歌いたい気分でこの場所を訪れ、そしてあとにしたのだ。近くの「やっちゃば街道」添いには地味だが白いユリ科の花が咲いていて来る訪問者を歓迎しているようだった。花言葉は「純潔」という。まさに尾崎豊さんのハウスに相応しい。

インパクトを増した川上弘美さんの短編集「どこから行っても遠い町」

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文庫版の新刊コーナーにならべられていて、その魅力的なタイトルに惹かれて手に取ったところ、そのまま魅了されて購入して読み進めていた一冊だ。最近のおいらの読書傾向でもあった、途中で読書放棄などすることなく、云わば順調に読了することを可能にし読み終えたのだった。

かつて芥川賞受賞作「蛇を踏む」に接し、川上さんの独特で不思議な作品世界に魅了されて以来、文芸誌等では何度か彼女の作品を読んだことはあったにせよ、まとまった作品集として読み進めたのは稀であった。

今回手に取った作品集は予想以上にわくわくさせられた。尚且つ以前の川上さんの作品から得た手応えとは異質のものであったのだ。

今回の作品集から独特な手応えとして受け止めていたものは、何だったのかを改めて考えてみた。その一つが死者からの視線だ。

この小説集では何人もが死んでいる。何人もの死者が登場するばかりか、死者がいなければ成り立たないプロットで物語が進められていく。連作短編集として重要な某章ではなんと、死者が主人公を張っているくらいなのだから、おいらの分析もなまじ外れているとは云えないのだ。死者と生者との交流といったやや劇薬じみた味付けを加味されながら、実に川上さん一流のドラマが流れていく。そんな物語を追いつつ、読者としての恍惚感やカタストロフィーに浸ることが出来たのだ。まさに傑作短編集に値する一冊だったのだ。

一見日常的な体裁をまとっていながら、実は非日常的なプロットを、作者はそっと提供しつつ、物語を一段と高い人々の日常生活に持っていくのだが、そんな作家の狙いはそれこそまさに川上さんの独壇場とも云えるのだ。

ファンモンのメッカ八王子「宮城」でつけ麺を味わった

本日は福岡にて「HIGHER GROUND 2011」が開催されている。ファンモンをはじめとして人気ミュージシャンが集ってイベントを行なうと云うので、地元のファンモンファンにとっては気が気ではないようなのである。そうした八王子周辺のファンが集うのが、別名「ラーメンのデパート」こと「宮城」である。

ちょうど本日はといえば、九州の福岡市において「HIGHER GROUND 2011」というイベントが開催された。ファンモンをはじめとして人気ミュージシャンが集い、ライブなイベントを行なうと云うことであり、ファンならば皆駆けつけたかったイベントだったのかと思われる。だが実は、都内のファンモンのファンは九州には駆けつけずに、地元のラーメン店にてその彼らの活躍を見守っていると云う光景が目に焼きついているのだ。

何しろこの数日間は残暑で厚かった、それにかてて加えて、冷めて行く様子さえも示されるぬままに熱い日々を凌ぎきっていく他にはなかったと云うことなのだった。

ファンモンの活躍も中々リアルタイムには把握できずにいたのだった。ファンモンのファンは全国中に多数いるのはみえているが、彼ら彼女らが求めているのは、遠くのライブ会場にてイベントに精を出すと云うことではなくて、地元のファンに対して暖かいフォローをして欲しいと云うことなのだろうと感じさせた。

そんなフォローを求めて、八王子地元のファンモンファンたちはこの「宮城」に集まっているのである。

美味い茄子料理は「焼き茄子」にかぎるのだ

秋茄子が断然に美味い季節である。この時期になると、秋刀魚、茸、等々をおいても何よりも茄子が食べたくなる。夏の茄子よりも秋の茄子が美味いということをいつしか知ってしまった時からの習わしと云っても良い。

 美味い茄子には余計な調理は必要ない。とはいっても簡単な調理で済ませれば良いという訳ではなく、おいらのおすすめは「焼き茄子」、特に炭火で丁寧に焼いて仕上げたものは格別の味わいなのである。

 おいらはこの焼き茄子が食べたくなると訪れる店が在る。ここでは名を伏せるが、そこの焼き茄子の調理法は極めてシンプルかつ大胆だ。

 まずは大降りの茄子を炭火の上にのせる。この炭とは焼き鳥やその他数々の焼き物を調理する、調理場における大変な場所となっているのだが、兎に角もそこにのせていく、皮もへたもそのままに炭の上にのせるのだ。

 そして焼け焦げないように丁寧にひっくり返しながら、実がじゅーじゅーと体液を滲み出していくのを待つのだ。その時間は3〜4分といったところか、決して長い時間ではない。キビキビとした仕事が求められるという年季の入った職人技なのである。

 決して焦がさぬようにしてしかもじゅーじゅーと茄子の体液が溢れ出るくらいになったら、焼き場は終了して奥の調理場へと運ばれる。そこでは熱々の茄子の皮を素手で剥いでいくという、これまた極めて年季の入った職人技が施行されていく。極めて地味な作業ではあるが、へたな機械を使ったりしたら台無しなのだ。あくまでも素手で焼いた茄子の熱々の皮を剥いでいくのである。

 良き素材に職人芸がプラスされたら、余計な味付けは禁物なり。削り節を振り掛けて運ばれる。それにショウガ醤油を控えめにかけたらば完成である。

 ほかほかとして肉厚の茄子の実からはじゅーじゅーとして溢れ出る茄子本来のエキスが充溢している。それを箸でつまんで口に入れる時の、何とも云えない満足感。これこそ秋の恵みの王者ではないかと感じるくらいだ。