私はいつも都会をもとめる (c)萩原朔太郎

このところ、1年を超えて銀座をウォッチし続けているおいらである。「何故、銀座なのか?」と問われれば、「仕事柄」だと、残念ながら答えるしかなさそうなのではあるが、それでも、正邪併せて、都会としての銀座が醸し出す特有の景色や匂いに、いつの間にやら虜にされそうな、からめ取られつつある自分自身を意識せざるを得ないのだ。

そんなおいらが銀座を散歩しながら撮影したスナップショットの中から、数点をアップしておきます。

思い返せば、かつて萩原朔太郎さんが東京銀座を謳った当時の銀座と現在。根源的なところはほとんど変わらないのではないかと想うのだ。都会としての磁場を放った銀座が発する様々な匂いを掬い取ろうとして、いつもシャッターを押している。思わず知らずに、そうしていながら癒される自分が、確かに存在することを発見している、昨今なのである。

萩原朔太郎が描いた「虎」の風景

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トラ年、新年、初仕事。いささか世間は浮かれ気味の中、おいらは朔太郎さんの隠された傑作詩の「虎」を想い出すのだ。

虎 (萩原朔太郎「氷島」より)

虎なり
昇降機械(えれべえたあ)の往復する
東京市中繁華の屋根に
琥珀の斑なる毛皮をきて
曠野の如くに寂しむもの。
虎なり!
ああすべて汝の残像
虚空のむなしき全景たり。
―銀座松坂屋の屋上にて―

凍える手先をすり合わせ、なぐさめ程度の暖を取りながら、おいらは「虎」が産まれたという銀座松坂屋の屋上へと向かっていた。館内を抜け屋上をまたぐ扉を開けると、ヒューヒューと空っ風のような乾いた息吹がおいらの顔を撫でた。懐かしい息吹である。

しばしの間、空っ風もどきに打たれた後に、おいらは屋上階にめぐらされている金網の外へと眼を伸ばしてみた。普段見慣れたはずの濃い化粧した銀座都市が、また違う姿を見せていた。化粧の頭に隠されていたのは、都市を機能化させるべく様々な様相を見せている。それはまた、隠された都市の一素顔だったのかも知れない。

Twitterに登録しました

食わず嫌いをやめて、今朝Twitterに登録してみました。

http://twitter.com/katsuokobayashi

「いまどうしてる?」という問いかけに応える形でつぶやくと、それに反応したメンバーがフォローして、言葉を返してくれるのだとか? 本当にそんなうまくいくのかとは思うが、ブログやミクシィとは違ったメディアの楽しみ方ができそうだ。

登録時にトップページで一押ししていた「まつゆう*@ミルクティガール 」という、全然知らないギャルを登録したら、なんだかんだとつぶやきまくっていました。ヘビーユーザーだというのだが、どんな生涯(らいふ)しているんだか、訝しくなってしまった。マイページの画面もまつゆう*@ミルクティガール に占拠されてしまって、これではいかんと、あわてて登録を取り消した。

まつゆう*@ミルクティガールのページを見ると、Twitterの広告をでかでかと掲載。ミニブログという位置づけのようだ。リンクページはチャット状態である。自らチャットページを設けるよりもお気軽にページ開設でき、Twitterという名も冠することができる。新手の芸能ツールなんだろうね。まあこんな世界に足を突っ込まずにすんでほっとした次第なり。

鳩山首相がブログとツイッター始めたと?

まあ新し物好きの鳩山由紀夫ちゃんのことだから、いつかやルナとは思っていた。ん?「ルナ」っていうのはルナちゃんのことではにゃい。ルナシーのことでもない。ルナティックじゃないかいな。

http://twitter.com/hatoyamayukio

う~ん、疲れた。みなみさんの真似をするのも楽ではないっちゃ。

気を取り直して…。

ブログはおいらもやっているからまあ、頑張ってやってくだされなんだけど、ツイッターっていうのは、いったいどうなんだろう? いまさら一国の首相がツイッターでつぶやきを公開したからといって、何か新鮮なメッセージでも届けられ、任期が長引くとでも考えているのだろうかにゃんこ。いったいぜんたい、一国の首相が人気取りにうつつを抜かして何ぼのもんじゃいなぁ。

新年の初頭に吾が原風景を想う

多くの兄弟姉妹に囲まれてすくすく育ったのだ。(うそ)

多くの兄弟姉妹に囲まれてすくすく育ったのだ。(うそ)

広瀬川の白き流れを毎日目にしつつ育った、そんなおいらの原風景を想い出を浮かべようとするたびに浮かべる生涯(らいふ)は、夢に現にと現れては消えていく。今日はその原点とも云うべき一葉の写真を見つけたのでここにアップしておきます。画面右に流れているのが広瀬川。中央でよちよち歩くのが幼少のおいらである。

藤原新也「渋谷」少女たちの世界観

藤原新也さんの「渋谷」を読了した。

この本に登場する人物は多くない。主に3人の少女と、写真家藤原新也さんとの交流にスポットが当てられており、それ以外の人物や事象については、たぶん意識的にであろう、あえて脇役の役をあてがえられている。3名の少女にスポットを当てた新也さんの想い入れは相当なものだったろうと推察されるのである。

おいらがルポライターとして、渋谷あるいは青山、六本木、原宿、等々の街中に行き交う少女たちを取材・執筆していたのは、かれこれ20年近くの時を隔てたときであった。当時の少女たちはと云えば、軽々しく高校中退を語って自らを主張していたり、あるいはメディアにはびこる軽薄な語彙を身にまとっては、自らをアピールしていた。そんな現象をおいらは「メディアキッズ」と称しながらの、取材体験が続いていたのだ。

「高校生の崩壊」(双葉社)という1冊にまとめたそのドキュメントは、教育の現場における「崩壊」をテーマとしていた初めての書籍である。その嚆矢となるべき1冊であった。良い意味での軽さ、織田作之助流のいわゆる軽佻浮薄さを、おいらは好意的に受け止めて、レポートを書いていたという記憶を持っている。だが確実に、「渋谷」の登場人物たちは変貌を遂げたのだろう。藤原さんでなければ決して表現・証言し得なかったであろうやり取りを目にする度に、渋谷は大変な事態に突入しているであろうことを想うのである。

広瀬川白く流れたり〔萩原朔太郎より〕

亡き妻が眠る公園墓地を訪れた後、前橋文学館へ立ち寄った。あいにく年末年始の休館中であり中に入ることはできなかったが、久しぶりに広瀬川沿いの歩道を歩いたとき、とても懐かしくほっとした気分になれたのだ。

おいらは幼少期のころをこの川沿いの借家で過ごしたことなど、夢かうつつか思い浮かべているのである。広瀬川を望む風景こそおいらの原風景なのではないかと、密かに想っているところなのである。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

広瀬川

広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼にもとまらず。

吾が国における現代詩の巨匠こと萩原朔太郎さんは、このように郷愁の想いとともに広瀬川を謳っている。この傑作詩により、前橋に流れる広瀬川は、仙台の広瀬川以上に詩情豊かな趣きをたたえているのだ。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

広瀬川に向かって佇む前橋文学館は、萩原朔太郎をはじめ郷土前橋にゆかりのある文学者たちの自筆原稿、日記、手紙、等々貴重な資料が収められている。何度たずねても飽きることが無く、時々思いだしては足が向かうという場所なのだ。

資本主義の安っぽい最終楽園(藤原新也讃)

故郷に帰省している。

ごくごく個人的で恥ずかしい話であるが、今朝起きて、藤原新也の「渋谷」を置き忘れていたことに気付いた。ほろ酔い散策の失態であり珍しいことではない。帰省の電車で読み進めるつもりでいたが、当てが外れてしまった。置き忘れた場所は見当がついてはいるが、何よりも時間が惜しくなり、地元の一大ショッピングモールにある紀伊国屋書店を訪ねて同書を再購入した次第なり。

昨日読んだところを記憶で辿りつつ、いま一度再確認する。藤原新也さん原作の映画「渋谷」の予告編ムービーにて表出された、印象的なシーンが、この本の冒頭にて、同様のシーンとして記述されている。原作のメインとなるのがここかと合点。出し惜しみしない原作者の心意気だろうか。第2章「仮面の朝と復讐の夜」では、紫染みた実験的な写真の数々とともに、1章を要約したともとれる文章が踊っている。実験的な写真については新也さん自らがあるインタビューで解説していた。渋谷に生きる少女が見た色を失った風景を表現したような…。(出典データを確認できないのです)

資本主義の安っぽい最終楽園というべき街をなぜかいとうしいと思う俺

写真とは別のページにて要約されたこの言葉は、にわかには肯定しがたいものではあったが、おいらの心にズドンと一発の爆弾を落としていた。それは例えば、おいらの故郷の大先輩である萩原朔太郎先生の詩に接したときの気持ちにも似たものであった。朔太郎先生は、田舎を拒絶することにより、教科書にも載っているかの有名な詩を書いていた。「わたしはいつも都会をもとめる」と。

新宿ゴールデン街を巡る

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

昼ごろにボランチなるものを摂った後、何の気なしに新宿のガイドブックを手に取っていた。そして自然と足が新宿へと向かっていたのです。普段は通勤列車で通り過ぎる場所である。

まずは西口「ヨドバシカメラ」へ。先日購入したオリンパスペン用の予備バッテリーを買うためなり。西口散策も久しぶりで、帰郷者が群れ成す大型バスの発着拠点に出くわした。慌しく行きかいしている様を見ながら、おいらも明日は故郷に帰ろうと決めた。

思い出横丁を通り過ぎて東口へと移動する。もの凄い人ごみの中をかき分けて歌舞伎町の入り口にたどり着いた。歌舞伎町の門を潜ると日本人が大好きだという坂本竜馬さんの肖像写真が大きく貼られた、某立ち呑み屋が目に入った。まだ4時前だというのに営業していたので、久々の昼酒にありつくことになった。大サービス品のまぐろは未入荷とあって、仕方なくどこにもありそうな串揚げを注文することになる。数十分の時間をつぶして坂本さんの門を出た。ほろ酔い気分のおいらは、いつの間にか、昔に足繁く通っていたゴールデン街にたどり着いていた。まだ陽は落ちず明るかったが、馴染みだった店の門をたたいた。

「すいません。5時からなんですが‥」

というマスターの声。

「こんにちは。お久しぶり‥」

と、挨拶しつつ店に入ると、昔懐かしのマスターの顔があった。開店時前だというのに店内に入れてもらい、ハートランドのビールでちびりちびり。薄暗いランプの照明で、購入したばかりの「渋谷」(藤原新也著)を読んでいた。

「5時から女の子が入りますからね」

話を聞いていくうちに、若いキュートな女の子たちが切り盛りするお店にと成り変っていたのを知る。流石においらもびっくり仰天したものであった。そしてそう長くは無い時間をすごしてその店を出たのであった。お勘定は、以前に通っていたころに比べて格段に高くなったていた。このデフレのご時世にである。

新宿は、いつでも人を呑み尽くしている。そんなパワーを持った街だ。

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藤原新也原作映画「渋谷」が1月公開

 

藤原新也のファンであることを公言したにもかかわらず、おいらはまだ、あまり新也さんのことを知らないことに気付いた。未だ読んでない本が何冊もあるし、過去に「印度放浪」「逍遥遊記」に接したときの圧倒的な、魂を震わすような衝撃は、時と共に薄れてしまった。この稀有なアーティストと時代を共にしていることの有難さを、大切にしなければいけないと本日は真面目に考えたのでした。

そして本日買い求めたのが「渋谷」という一冊なり。同名の、というより新也さんが原作者としての映画「渋谷」が、1月9日から渋谷「ユーロスペース」という映画館にて公開されるという。新也作品の「待望の初映画化」と公式サイトには踊っている。

http://shibuya-movie.under.jp/

余談だが、YouTubeから動画の埋め込みをはじめて行なった。以前にもチャレンジしたが、簡単なことを見落としていたばかりに失敗していたのだ。おいらのブログテクも1ミリ進歩しました。

銀座の裏通り散歩

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中央区銀座の、表通りではなく裏通りを散歩するのが好きである。本日はまだ仕事で、銀座に出向くことになったのだが、週末の裏町銀座は、平日に見るその光景とは様相を異にしていて興味深いものがある。

平日の銀座界隈といえば主に、中国系、欧米系の外国人の集団が闊歩する姿が目に付き、それはそれでまた定点観測の対象として面白いのであるが、それらとは違って、日本人の老若男女の多種多彩なる風貌に接する銀座散歩は、また一段と楽しいものである。

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藤原新也「黄泉の犬」を読む〔3〕

 

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センセーショナルな新也さんの一枚。この撮影の舞台裏を「黄泉の犬」で明かしているが、ネタ晴らしになるのでそれには触れないことにする。

藤原新也の「黄泉の犬」を読了した。これまでに読んだ彼のどの書よりも能弁であり、饒舌である。ときに雄弁家の本だと感じさせる程の、滑らかで情熱的なスピーチを聴いている気分にさせてしまうくらいだ。

ときに彼の本はといえば、その韜晦な筆致によって、おいらを含めたファンによって支持されていたはずである。だが何なのだろう? この隔たりに感じる思いは?

古今東西、芸術家は誰しもが多面的な資質を持ち合わせているものである。新也さんの場合もこれにもれないケースのひとつなのだろう。そにしても、これほどオープンな、過去の彼自身の著作の裏側をもあらわにしてしまうような潔さ。

彼はこのレポートを、大手出版社の大衆雑誌「週刊プレイボーイ」に選んだのだという。大衆的な読者に対して、彼の云いたかった、メッセージしたかったことは、ほとんど漏らすことなきく表現されていると云ってよいのだろう。まだまだ藤原新也は変わり続ける。そして成長し続けているのである。天晴れ!

「甘海老磯辺揚げ」を食して思うこと

ありそうでいてなかったメニューなり。

ありそうでいてなかったメニューなり。

クリスマスイブだというのに心と体はいつになく沈んだまま、1日を過ごしてしまった。昼休み時に外を歩くと悪寒が走った。これはやばい。午後は上着を脱ぐこともなく、机で伏していたような様である。同僚の未来のIT長者は「ジャケット脱がないんですか?」と、妙な質問を投げかけたくらいである。その未来のIT長者はと云えば、1歳のベビーを囲んで一家団欒のホームパーティーを催すのだろう。「これから銀座で、クリスマスケーキを買って帰ります」とルンルンなり。

さておいらは、今宵もまた某居酒屋にて、一服ならぬ一酔を決め込んできたという訳なのでありました。注文した数品の中で、「甘海老磯辺揚げ」というメニューは、近頃になくヒットであった。甘海老を丸ごと殻付きのまま、薄い衣をまぶして揚げたものだ。甘海老の殻というのは揚げてみれば、子供の歯でも難なく噛み下せるものであり、丸ごと食べられるのである。この殻を捨てるなぞもったいないこと甚だしいのだ。そういえばかつて、寮美千子さんのご自宅に呼ばれてホームパーティーをやったとき、甘海老の刺身を食したその後で、残りの「殻」を揚げて出してもらったことなど思い出した。サクサクと香ばしいその「殻」は天然カルシウムの宝庫である。そんな料理を振る舞う寮さんのセンスに脱帽したものであった。

毎年暮れから新年にかけて、旧知の友人たちとホームパーティーを催す慣わしだが、今年は某アキン邸にて新年会が決定した。何か心浮くような料理をお見せしたいと目論んでいるところなり。今から楽しみなのである。

いつもより早い年賀状を書いた

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毎年毎年、年賀状を出すのは25日を過ぎて大晦日間際と相場が決まっていたのだが、今年はちょうど良い休日があったので、早々と年賀状作りに取り組むことができたのでした。

とはいっても一寸した問題発生。このところ数ヶ月使っていなかったプリンタを動かしたところ、印刷途中からイエローインクが切れてしまい、赤青調のへんてこりんな年賀状となってしまったのだ。最初の見本刷りでは調子良かったんだが、数十枚印刷している途中から色味が変わってしまったものなり。インク切れの警告を無視した失態であります。

へんてこりんな色味の年賀状は誰に出そうなどと思案しながら、表の住所を書き終えた。色に拘りなさそうな人や色おんちの人に、外れはがきの宛名書きである。これから町に出て交換インクを買ってこよう。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔2〕

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昨日「薄っぺらい」と書いていたこと、本日は藤原新也さんの本を読んでいたら、「スカスカ」という言葉がえらい勢いで表現されている。こちらの方が妥当であると思い、これからは「スカスカ」という表記に変えようかと思ったのです。

閑話休題である。

藤原新也という凄い人を、おいらは過去に一度だけ、じかに触れたことがあった。それは確か「ノアノア」という、藤原さんのドローイングをまとめた書籍が出版された頃のことである。詳細はまたまた思い出せないのだが、90年代のある時期ということにてご勘弁願いたい。

「メメント・モリ」をはじめとする藤原さんの著書には事細かに目を通していた当時のおいらであった。そして、彼が個展を開くという情報を目にして、そのたしか銀座のある画廊へと足を運んでいたのでした。銀座の画廊はといえば、おしなべて広くない。すなわち作品やら作家やら、オーディエンスやらが、狭い空間に密集してしまうものなのであるが、そこに居た藤原さんの確固たる存在感には圧倒されたのだ。大きなキャンバスをその画廊に広げて、藤原さんは筆を走らせていたのです。じっくりとキャンバスを睨む彼の目線はその途中に入り込むことさえできないくらいにとても光っていた。おいらは大好きな藤原さんに交わす言葉もなく、その場を味わいつつ後にしたのであった。そんなことをある美術出版関係者に話したところ、「ああ、インスタレーションだね」という、あっけない答えが返ってきた。「うーむ」。おいらは次の句を継ぐことさえできなかったのである。

「黄泉の犬」の第2章を読み進めていくに連れ、そんな情景が頭を過ぎって離れなくなってしまったので、ついつい書き記してみたかったという次第なりなのです。今宵は「黄泉の犬」の細部には立ち入りたくないような、いささか個人的な気分にてキーボードを走らせているのです。

ところで全く別なブログに関する話題です。ブログの巨匠ことかもめさんが、オリンパスの一眼レフデジタルを買って、盛んに魅力的な作品アップをしていますので、紹介しておきますです。藤原さんがかつて愛用していたと同じ「オリンパス」のカメラを使い、その手さぐり的な手法が瓜二つなのではないかと思ったなり。

http://blog.goo.ne.jp/kakattekonnkai_2006/

翻って想えば、おいらもまたオリンパスの「OM1」なる機種を父親から譲り受けて使っていたことがあったのです。一眼レフカメラでいながらコンパクトであり、レンズの描写力もまた一流である。そうしたことからの愛用機種であった。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔1〕

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

一昨日の日記に対するコメントで、mimiさんが藤原新也さんの「黄泉の犬」を推薦してくれていたので、ネットで調べてみたところ、つい先日にはその文庫本が発売されたばかりであることを知る。初本の単行本発行が2006年10月であるから、3年2ヶ月ばかりを経ての文庫本化ということになる。それ自体は少しも驚くことなどない。早速、銀座コアという銀座5丁目に聳えるビル内の書店にて購入する。そして帰宅途中の電車内にて読み進めていたと言う訳である。

一読して、ぐいぐいと引き込まれるのである。テーマがオウム真理教に関わる類いのノンフィクション(というか、おいらが好きな言葉で云えば「ルポルタージュ」なり)であることに、二重の意外性を覚えつつページをめくった。第一章「メビウスの海」を読み進めつつ確信するに、これは紛うことなき一流のルポルタージュである。

冒頭のテーマがオウム真理教に関連するのであるから、作者も読者も、また間を取り持つ編集者たちも身構えているのだろうことは容易に察しがつく。さらには、麻原しょうこうの実兄へ、身一つでの突撃取材を試みたりするのだから、話題性も衝撃度も充分である。

思うに、我が国の現役ルポライター(これは和製英語であるからにして、おいらの好きな言葉なり)の誰が、この藤原新也の、ぐいぐい引き込んでいく筆致なりで感動を与える作品を書き得たであろうか? 例えてみれば、一時期は「ニュージャーナリズム」の旗手などとも持て囃されていた吉岡忍の作品のどこが、この一冊に匹敵するくらいのインパクトを与え得るものであったかを問えば、おいらの答えは決まっているのである。所詮、吉岡忍などの書いたものなど取るに足らないものであると。

余談であるがその昔、知ったかぶりの後輩が吉岡忍を称して「ニュージヤーナリズム」を云々した挙句に、「小林さんも読んだほうが良いですよ」と、アドバイスまでしてくれた。そして読んだらもう、その薄っぺらさに呆然としたことなど、蘇って思い出すなり。

という訳にて、今宵のおいらは、第一章「メビウスの海」(p87)までを読み終えると、文庫本を外套のポケットに仕舞い、いつもの行きつけの居酒屋に駆け込んだのでありました。そして酔っ払って帰ってから、本の表紙などスキャニングして、結構大儀な作業なのでありました。

第2章「黄泉の犬」からは、明日以降また気合を入れて読み進めていく覚悟なのです。

ロールキャベツ(イタリア風)

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昨晩放映されていた某テレビ番組では、石田純一がイタリア風ミートボールを作っていたのですが、それを見て無性にイタリアンな料理など作ってみたくなったのでありました。

肉食系の石田純一に対抗して、同じような肉料理を作るのもも大人げないことなので、ここはベジタリアンも納得させるものをと、イタリア風ロールキャベツを、久々作ってみたのです。

ことことトマトソースで煮込むこと20分、まろやかに煮込まれた、トマト仕立てのロールキャベツの完成です。ほっこりと美味しかったのでした。

藤原新也の21世紀エディション「メメント・モリ」

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藤原新也というア-ティストは凄い人である。漆黒の闇を写し取ることの出来る稀有なアーティストなのである。

もはや古いニュースなのであるが、昨年の冬に、彼の代表作「メメント・モリ」の新バージョンが発行された。「21世紀エディション」と帯文に記された当書は、あまり注目されることも無く、ひっそりと書店に並んでいた名著である。

「メメント・モリ」-何度この言葉をつぶやいたことだろうか。すべて思春期に遭遇した藤原新也さんの一冊に依っている。彼岸の国から響いてくる言葉とともに、現代へワープしたかのごとくに写る風景写真のかずかずに、今更ながらに心惹き込まれている。いささかなさけな話であるが、心が癒されたいときなどこの本を開いてみずから慰めていることなど多し。特別なる一冊也。

「α(アルファ)ブロガー」に関する一考察

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先日「アルファブロガー」(翔泳社刊)というアマゾンで注文した書籍が届き、2~3日前から読んでいる。かつてはもしおいらの記憶が確かならば、「みどり企画の掲示板」にも書き込みしていた、田中宏和なる人物が、「『1Q84』村上春樹の世界」というムック本では「αブロガー」と紹介されていたので、それを目にして以来おいらは、「αブロガー」に対する興味関心が高じていたのであった。

その書籍には、「Best Eleven!」なる11名の「αブロガー」をはじめとする我が国の高名とされるブログの書き手たちが紹介されている。なかでも人気の高いブロガーのインタビューも設けられているので、ブログの状況を一望するには都合の良い一冊である。「ネタフル」「百式」「極東ブログ」「織田浩一」「R30」「磯崎哲也」…。読み進むにつれ、おいらの関心は、高名なるブロガーたちが如何にしてPVを稼ぐかに収斂されていったのであるが、そんな彼らのテーマはほとんどが「ビジネス」で占められていたのである。やはりというのか、ブログ人気はITのシステム関連事業者がそのトップを走っていたことを知らしめる結果となってしまった。とても残念な結果である。

村上春樹の「1Q84」が空前のベストセラー人気を博したのが、純文学の復権かという、一縷の希望を生じさせたのが、つい先日のことではある。ただ日本国の世の趨勢はといえば、相変わらずにビジネス書類が席巻している。ネットの世界はそれに輪をかけている。そんなことを知ってしまった今は、「αブロガー」に関する興味関心など、急激に失せてしまったのである。けだし売れるブログなど邪道なり、なのである。

年末ジャンボ宝くじ協奏曲

有楽町駅前の宝くじ売り場は、毎日朝から、年末宝くじを求める人間たちによって長蛇の列が作られる。師走の寒さもどこ吹く風とやらとばかり、防寒具に身を包んで、ニタニタ顔の行列である。初めてその光景を目にした朝は、おいらは何か新興宗教の御託宣を受け取る集団に出喰わしてしまったのかと、思わず知らずに身構えてしまったものである。こんな集団に拉致、洗脳されてしまったらばたまったものではない…。

しかしながらその集団は、新興宗教のそれではなくて、一攫千金を求めていた人間たちによる列だったのである。云わずと知れたことであるが宝くじのみかじめ料は5割を超えている。膨大なものとなる。一部の恵まれた人を別にすれば、ほとんどの国民がせっせせっせと汗水たらして、時には胃袋に穴を開けながら、理不尽な上司に相対して受け取った貴重な給与を、こんなものに上納して良いはずがないのである。

おいらはこんごとも、取材によるネタが必要となったとき以外には、絶対に宝くじは買うまいと心に決めたのでありました。