綿矢りささんの新作集「憤死」を読んだ

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またまた綿矢りささんの新作集「憤死」が発刊されたことを書店で知り、早速同書を読んでみたのだ。

4つの短編からなる作品集である。帯には「新たな魅力あふれる 著者初の連作短編集」とある。「著者初の」というのはその通りだろうが「連作短編集」というフレーズには合点がいかない。4つの作品はけっして連作的な要素で結びついている訳ではない。こんな曖昧な関係性を「連作集」としてひとくくりにすることはあり得べきなのであり、こんな適当な売り文句を冠して売り出してしまった同書籍編集者の常識を疑わせる。貴重な才能を葬りかねないくらいに酷い扱いであり、怒りさえ感じさせてしまうくらいだ。であるから、と強調する訳ではないが、以下には「連作集」ではない同書の魅力について、いささか述べていきたい。

物語の主人公は幼女だったり、少年だったり、妙齢の少女から大人にかけての女性だったり、少年の思いを引き摺って生きる男だったり、等々と多岐にわたっている。取り立てて企図されたテーマはないのだが、あえて述べるならば、人生のあるいは人間存在の裏舞台を、りささんなりの切り口で物語化させた作品集ではないかということだ。裏舞台は表舞台を眺めては色々と批評もしつつ、ときには恐ろしい結末に導いたりもする。順風満帆の人生にはおそらく裏舞台の存在は邪魔な存在であるのだろう。それでも存在を消されることなくある裏舞台の存在を物語として浮かび上がらせるりささんの筆致は見事である。

肩の力を抜いて、綿矢りささん的物語発想の展開そのままに綴られたと思われる短編集の数々には、少女感覚を過去のものとしてなお、其れらの感覚にこだわり続ける登場人物たちに遭遇する。

たとえば表題にもなった「憤死」という短編作品は、主人公の少女と、自殺未遂をした主人公の友人との関係性が主軸となって物語が進んでいくのだが、「好き」や「嫌い」を凌駕してその先にある女同士の遣り取りの機微に触れつつ、やはりりささん的な世界へと入り浸ってしまうのだ。

数十年ぶりの故郷前橋の「七夕祭り」に遭遇したのだ

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おいらの故郷こと上州前橋では、7月の7日の前数日間は七夕祭りで賑わっている。本年もまたその季節になり、数十年ぶりに故郷の七夕祭りに遭遇することとなっていた。

願いを込めた短冊には、市内の老人施設の人たちの書き込みが目立っていた。おいらの家族が関係する施設の展示もあり、一つひとつの書き込みに目をとられていたりしていた。

屋台の数々は、旧市街地の銀座通り、中央通りといった元繁華街に集中して営業がされていた。子供の頃には楽しみだった屋台の料理も、今ではありきたりのものばかりで些か興醒めではあった。それでも金魚すくいや射的の屋台に遭遇したときは、少年心を思い起こしつつ、そんな若かった頃の息吹たちを取り戻していたのかも知れなかった。

■前橋七夕祭り
http://www.city.maebashi.gunma.jp/653/654/p002591.html

「アーツ前橋」プレオープン企画の「からだが語る」展が開催

群馬県前橋市の「アーツ前橋」では、今年10月のグランドオープンを控えてプレオープン企画が展開されている。その第一弾を飾るのが、7月4日からスタートした「からだが語る」展である。前橋市が所蔵する、前橋にゆかりある作家たちの作品群の中から特に展示テーマに添って選ばれた作品が展示されている。

人物画の中で特別にテーマを設定して作品展示するという試みのようである。企画展に関わる関係者の熱意といったものを受け取ることができる。人物画というジャンルの中でも「からだ」というテーマを設定したところに浮かび上がるものとは何か? それはさしずめ動きであったり、解剖学的視点であったりするが、作家の意図とは無縁の要素としてそれらがピックアップされてくる機会に触れるのもまた希少な体験ではある。

■アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16
http://www.artsmaebashi.jp

蒟蒻(こんにゃく)の本場上州ならではのメニュー「蒟蒻の葱味噌炒め」

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上州こと群馬県は全国一の蒟蒻の産地であり、低カロリー食材としての蒟蒻を使った料理メニューが豊富である。ポピュラーなのは蒟蒻の刺身や味噌おでんといったところだが、本場上州ならではのメニューとして紹介しておきたいのが「蒟蒻の葱味噌炒め」。食材として用いられているのは、刺身用の気取った蒟蒻ではなくて、その見た目も田舎風の、いわゆる灰汁色しており、これこそ蒟蒻色なのである。これを、上州特産の葱と味噌とで炒めて提供されるのが「蒟蒻の葱味噌炒め」なのである。

けっして見た目は良くない。だがひとくち口にすると瞬く間に、あの灰汁のきいた蒟蒻本来の味わいにうっとりとした気分になること請け合い。まさしく蒟蒻は上州前橋で味わうに限るのである。

帰省列車の中で「金目鯛の味くらべ」という駅弁を食らう

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近頃は上野駅経由で帰省することが多く、にありつく機会も増えているのであり、上野駅内の駅弁売り場は行きつけスポットになりつつあるのだ。数ある駅弁類の中で最近の好みだったのは「金目鯛の味くらべ」という小田原産のもの。何しろ金目鯛という希少で旨味満点の食材を使い、照り焼き、角煮、マリネ仕立ての素揚げ、そしておぼろといった4種類の料理を味わうことができるという、金目鯛好きにとってはこの上ないくらいの垂涎的な弁当なのである。

小田原市内の「東華軒」というところでこの駅弁が作られている。「海の幸を贅沢に」という当弁当のキャッチフレーズに恥じない美味しさ。金目鯛の本場の伊豆におとずれても滅多には味わえないくらいの逸品的駅弁ではあった。

小振りの「イイダコ」を酢味噌和えで味わう

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小型のタコとして食用にも重用されている「イイダコ」を酢味噌和えで味わった。疣(いぼ)状突起が多いので、タコらしさを味わうことうってつけなり。頭の中にはぎっしり詰まった卵が詰まっていてそれが「飯」のように見えることからこの名前が付いたという説がある。此の部分はおいらとしては避けてしまいがちだが、たまに味わうことが出来るときは有り難くいただくことにしている。

やはりボイルして酢味噌などで味わうのが一番イイダコの味覚を味わうには最適だと思うのだが、なかなかこのようなシンプルなメニューにはありつくことが出来ないでいた。今回のメニューは、しばしのラッキー的な出逢いだったのかもしれない。

そもそもイイダコとは、マダコ科のマダコ属に分類されるタコの一種であり、小型のものが特にそう呼ばれている。二枚貝の貝殻に生息していることなどから、二枚貝を用いて漁の仕掛けがなされている。古代より食用として漁獲されているが、あまり見かけることは多くは無い。小型で可愛くて、しかも味わいも美味なのであり、メニューに見かけたらば注文することをおすすめする。特にこの季節のイイダコの頭の部分には、卵が仕込まれており、この卵こそイイダコの食味を代表すべき味覚である。

植物性の脂身豊富な「アボカドの刺身」で一献なのだった

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アボカドの刺身と云うメニューを食した。アボカドを酒の肴のつまみとして、所謂つまみ食いをしたのだった。

何時ごろからだったのだろうか? 寿司屋のねたケースに乗っていたのを見つけて、試しにとその「アボカド寿司」を食べてみたのだが、その当時には全然ピンと来なくて、それ以来おいらは、アボガド寿司は邪道であるとの一念を通してきたのではある。然しながら先日、わさび醤油につけて食した「アボカド」は、其れまでの思い込みを払拭させるべきほどのインパクトでおいらの味覚を刺激していたのであった。これは酒の肴に打ってつけであると確信すべきものではあった。

そもそもアボカドはメキシコと中央アメリカが原産とされている。然しながら近頃では国産のアボカドも生産されているのであり、秋期に収穫された国産のアボカドが充分な熟成を経て出荷されている。おいらの狙いは実は、そうした国産のアボカドなのである。果実なのに脂肪分が多く、別名「森のバター」と呼ばれることも納得。脂肪成分のほとんどがDHAなどと同種の不飽和脂肪酸であり、普通に食するにはあまり気にする必要はないだろう。

山ウドの醤油煮は逸品の味わいだった

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山ウドとは山菜の一種であり、夏に小さな白い花をたくさん付け、秋に直径3mmほどの黒色の液果となる。若葉、つぼみ、芽および茎の部分を食用とする。--とされている。

おいらの住まう東京多摩地区をはじめとする地域には多くせい息するという。山菜マニアたちによれば美味しい山菜の代表格とされているようだが、おいらはそこまでの特別な思い入れは有していない。かえって珍しい初夏の山菜の一種としてとても希少な食材として愛でていると云ったらよいだろうか。

山菜特有のあくもそれほど気にならない。旬の時季に収穫された山ウドは、醤油や味噌に漬けて、保存食として利用されることがほとんどのようなのである。

おいらが此のたび口にしていた山ウドも、醤油漬けにして提供されたものである。生では食せないのだろうか? という疑問も生じたのだが、此処は素直に提供された料理を味わうことにしていた。そしてその提供された料理は、感動をもたらすくらいに逸品なメニューであったのであった。

とんとんのまち前橋の「焼きトン」は質実剛健の味

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TONTON(とんとん)のまちとして売り出し中の前橋で焼きトンを注文。出てきたのは「上州豚」をぶつぎりにカットして炭火でやきこんだという、とても質実剛健的な一品であった。

ばら肉を串焼きにしたものに加えて、レバ、ハツ、等の部位をたれで焼きこんだものも、シンプルな豚のモツ料理として堪能することとなった。古くから慣れしたしんだ故郷のあじである。

前橋「登利平」の「上州御用鳥めし」は郷土の味

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上州前橋では「とんとんのまち」などと近頃では豚肉料理がピーアールされているが、実は豚肉料理以上に美味いと評判なのが鳥めしだ。もう少し詳しく説明すると、「登利平」の「上州御用鳥めし」という。郷土色豊かな弁当として市内のさまざまな場所にて購入できるほか、市内5箇所の直営お食事処にて出来立ての鳥めしを味わうことができる。

旨み豊かな鳥の腿肉を薄くスライスしたものを丁寧に焼き込んでいる。そして下に敷かれたご飯にはあまからい特製のたれがしみこんでいて、鶏肉とこの甘辛い特製たれとの相性はまさに絶妙のひとことであり、しごく食欲をそそるのだ。昔から親しんできた郷土の味なのである。

カンヌ映画祭で審査員賞受賞した「そして父になる」のロケ現場こと「TSUTAYA」という電気店を探索

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昭和の電気店そのままという風情を残した前橋市内の「TSUTAYA」という電気店がある。

かつてはおいらが少年時代をすごしていた頃には当たり前の店舗である。そんな店舗が注目を浴びた理由は、国際的な映画祭であるカンヌ映画際に「そして父になる」が、第66回カンヌ国際映画祭 審査員賞を受賞したことによる。つまり、前橋市内の「TSUTAYA」という電気店が、同受賞作品のロケ現場になったことにより、注目度が高まったという訳である。

店舗に近づいて中をのぞいてみると、古びたテレビジョンと共に関連する周辺機器たちが鎮座している光景に目を釘つげにされていた。いまどきのパソコンやらが置かれていたらば書いたいなという願いは適わなかった。いまどきの効率を度外視したかのごとくに存在するかのような電気店なのである。

■そして父になる http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/

TONTON(とんとん)のまち前橋の「元祖とんとんお重」

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いつからか上州前橋は「TONTON(とんとん)のまち」と呼ばれるようになったらしい。らしいと書くのは、おいらが青少年じだいを過ごしたころにはこうした呼び方はなかったからだ。ところがいまでは、帰郷色豊かなローカルフードなのだった。

前橋EKITAという駅前ビルの地下ではんばいされている。豚のロース肉を特製味噌だれに漬け、1枚1枚丁寧に炭火焼してお弁当にされている。味噌の甘辛味がなつかしい昔からの豚肉料理であり、販売元のシェ・スナガでは、同様の食材のお重が提供されている。今年の「第4回 T-1グランプリ」では決勝進出されたという人気のメニューだ。

シェ・スナガ 027-251-8311 群馬県前橋市石倉町2-4-1

暑い季節に欠かせないのが「辛味大根」

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食欲が落ちる夏になると欠かせない食材は色々あるが、その代表格と云うのが「辛味大根」である。蕎麦やうどん、そうめん、或いは家の事情状況で云ったらば、韃靼蕎麦、アマランサスうどん、等の薬味としては最適なのだ。

近頃では一般のスーパーなどでも置いていてポピュラーになりつつある。それだけで食べたら決して美味くない。だが薬味としては逸品なのである。葱が無くとも辛味大根があれば美味い蕎麦が味わえるのだから、これからの暑くなる季節には欠かすことが出来ないのだ。

「鮎の塩焼き」に蓼酢などは無くてよしの逸品の味わい

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川魚の代表格として挙げれば、やはり鮎なのであり、その料理も鮎の塩焼きにとどめをさすと云ってよいだろう。こと海無し県こと群馬県にて生まれ育ったおいらの事情を述べさせてもらうならば、日常的に鮎は食べたことがなかった。川魚といっても鮎は特別なのであり、鯉や鮒や虹鱒くらいにポピュラーだった川魚とは一線を画して高嶺の魚だったのである。であるからしておいらも鮎の美味さを知ったのは、高校を卒業して後のこと。しかもかなりの年月を経て20代も後半に差し掛かっていた頃だったと記憶する。先輩に連れられて訪れた居酒屋では、いくらだったかは失念したけれども、「鮎の塩焼き」はとても高価にメニュー表に映っていた。こんなに高い川魚と云う鮎の味はと云えば、当時の記憶では淡白な白身だったという思いがつのるのだが、やっぱりいま此処で味わう全身に塩をまぶして炭火で焼かれた「鮎の塩焼き」はといえばまさしく川魚の王者に相応しい。よくある鮎に添えられる蓼酢のような余計なものは無くてよし。無くて更によしの逸品の味わいなのであった。

海のパイナップルことホヤは東北からの恵みの味わい

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「海のパイナップル」とも呼ばれるホヤの刺身が旨い季節になった。外見はグロテスクなことからなかなか口にしない日本人も多いというが、この味を知ってしまったら食べないわけにはいかないと云えるくらいに逸品の味わい。軽く酢で〆たものが素材の味を引き立てている。東北の地場食材としてもっとも愛着に満ちた逸品である。まさに東北からの恵みの味だ。

芥川賞落選作家島田雅彦さんの「島田雅彦芥川賞落選作全集」は全集制覇すべし

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「島田雅彦芥川賞落選作全集」を読んでいる。何しろ同文庫を手にしてすぐに、島田雅彦さんによる「芥川賞との因縁」というタイトルの前書きにひきつけられてしまっていたのだ。

今や芥川龍之介賞を選出する権限を手にしている選考委員の島田雅彦さんであるが、若い駆け出しの頃にはさまざまな身の周りの不条理に悩まされていたのだった。人気作家こと島田雅彦さんは、過去の若い頃においては将来の文学界を担うべき作家として嘱望されていたのであり、6つの作品が芥川龍之介賞の候補作になりながらも、ついには芥川賞を受賞することが無かったという、ある種の勲章をいだいている。云わば芥川賞受賞に引けをとらないくらいの勲章にも値するしろものである。

数十年ぶりに読んだ初期の代表作「優しいサヨクのための嬉遊曲」は、島田雅彦さんの原点であるばかりか、既成の文学界といった枠をぶち破る資質を有していたということを思い知らせていた。

6作品をよみおえてはいないが、読み終える価値ある全集であることを納得させられたのである。

今年の紫陽花がようやく見頃になった

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空梅雨は紫陽花に似合わないのであり、花を咲かせていた近くの紫陽花もいまひとつの様子。カラカラに乾燥しきった紫陽花は成熟しきれないままに生を終えるかのごとくにもまみえていた。空梅雨では見頃も訪れずに終わるのかと慨嘆しかかっていたそんなとき、台風の影響からくる数日前からの雨模様で都内は濡れそぼっていたのであり、近くに咲いていた紫陽花も息を吹き返していたのだった。

薄いブルーから次第に濃度を増していき、成熟期には葉脈から瑞々しい水分の通路かのごとくに潤っていく、そんな紫陽花の生態を今年もこの目に収められたことはラッキー至極にござ候ふなのであった。

「松本市美術館」の草間彌生展示室では、信州土着の創造性を存分に受け取ったのだ

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草間弥生さんといえば、信州松本出身の現代芸術家として名高く、先日訪れた「松本市美術館」の草間彌生展示室では、草間さんの独特な創造世界に接することとなっていた。まるで少女の頃からの特筆すべき創作のインスピレーションが、成人となって以降、或いは米国へ渡って以降、そして世界の名声を獲得して後の郷土の地に帰ってから以降…、といった全てが生々流転する草間さんの斑点のごとくに視覚化され、感じ取っていたのである。表現方法は絵画、ソフトスカルプチャー、コラージュ、版画、環境芸術、野外彫刻、映像、文学など多岐に渡り、それらの作品の生成過程を当美術館で目にすることとなっていたのである。

例えば「かぼちゃ」が此の地域の名産かどうかは知らないが、当信州松本においてはかぼちゃのイメージは、草間彌生さんの作品イメージに被っている。どうしても草間さんの作品イメージとかぼちゃそのものとを区分けしていくことが難しい。かぼちゃは信州松本においては郷土に密着した野菜であると共に、草間彌生さんという存在を通過して変容した「かぼちゃ」となって定着している。草間彌生さんの信州土着の創造性を存分に受け取ったのであり、また郷土松本との確執を経ての特殊な、云わば「関係の絶対性」というものを感じ取っていたのであった。

■松本市美術館
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/artmuse/

■松本市美術館 草間彌生 展示室
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/artmuse/p4/p3-html/p3-kusama.html

【追記】

撮影NGという規制のために当美術館展示室の模様を紹介することが出来なく至極残念である。公共的美術館がこのような固陋な規制に終始していることは納得できないということをここに記しておきたい。例えば岡本太郎さんの関連する美術館を見習ってほしいものである。

4~5年ぶりに歯科医を受診した

奥歯が疼きだして1~2週間になっていた。我慢できずに地元の歯科医の門をたたいた。4~5年ほど前に治療して以来のことである。某個人的な記憶では5年は経っていなかったはずだが、4年以上は経過していた。おいらの運転免許証の写真が歯痛に苦しんでいた時に撮られたのであるからその記憶は確かなのだ。

そもそも予約無しの訪問なのであり、予想していたくらいにはだいぶ待たされていた。近頃の歯科医の待合室にはテレビなども設置されていて、決して待たされて憤慨していた訳ではない。却って暫らくぶりの歯科医の施設内を面白く観察していたくらいなのだった。

しばらくは歯医者通いが続くかと思うと憂鬱至極なのであるが、この際は、早く虫歯が消えてなくなるのが大前提ではあるが、歯医者と云う人気商売の内情などを観察していこうかなどとも邪なことを考えているのでもある。

信州松本にてホッピーにありつけたことは嬉しかった

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信州安曇野の帰り道で、松本に途中下車。松本駅から松本城へと続く観光客向きの歩道を歩きながら、松本城からの復路で出会った「昭和横丁」なる店で小休止的に憩っていたのだった。

美味い信州蕎麦は安曇野で充分に堪能していたのであり、松本では蕎麦はやめて市内の大衆居酒屋にて一献という訳である。信州の中核都市での居酒屋でもホッピーが飲めたのであり、蒸し暑かった旅の途中の憩いの間としては想定外のものであった。いつもの都内で飲むホッピーより以上に新鮮な炭酸泡の溢れるホッピーに口をしたらば、旅の疲れも一掃されていたのだったと信州の旅を回顧するのだった。