造反無理政局の行方5 悪夢の政局が押し寄せている

このサブタイトルでブログを記すのも最後かもしれない。あるいはもう1回くらいは機会が訪れるのかもしれないが、本日は菅直人総理が正式に辞意を表明し民主党の新しい代表を選ぶスタートの日となった訳であり、何か日にちの因縁を感じるのだ。かといって新しく選出される新代表、新総理に期待はおろか興味がある訳など毛頭無く、云わばこれがレクイエムの序章とでも云ったところだろうか…。

期待も興味も無いと記しながら、新代表が海江田万里有利と聞いては穏やかではあり得ない。小沢一郎の支持を取り付けたことで一躍トップランナーの仲間入りとみなされている。仮に海江田が新総理になったらば、脱原発に向かうはずのエネルギー政策の全てがご破算になることが目に見えている。何としてもそれだけは阻止したいという思いが強烈に湧き上がっている。小沢一郎に操られる海江田万里など悪夢でしかないことははっきりしている。

ここまで来たらもう菅総理の続投の芽は無くなったが、他にまともな候補は居ないのか? 他の誰でも脱原発の道程を進むしかないのだが、あまりにも信頼できない候補者ばかりである。

今のここに来て記すのが妥当かは判断しかねるが、菅総理がもしあの時(9/11以後の数日間)総理でなくて誰か別の人物が、例えば麻生太郎か安倍晋三などが居座っていたらと考えるとぞっとする。官邸で例えば「どんと構えて」動くことなく、ただただ東電からの報告を待っていたような馬鹿な総理が居たらとすれば、最早壊滅的な東北地方の原発汚染がもたらされていたことが明らかであろうからだ。

其の時東電の幹部が「撤退」という名の責任放棄を企図していたことは様々なメディアが報じているところだ。当時、自衛隊や消防隊が駆けつけて大変な尽力を傾けていたことは感服するばかりだが、ここに東電の人間が居ない、もっと云えば逃げてしまった状況を想像すれば、現在の復旧、復興どころか、更なる対原発の一手も打つことが出来ない状況がもたらされたことも在り得るのだ。ソドムの市への第一歩となった可能性がある。

菅直人がそんな東電の逃亡を阻止したことはもっと評価されるべきでる。麻生太郎か安倍晋三でなくて良かったと本当に考えているところなのだ。

夏後半の〆には「鯵の南蛮漬け」が有り難い

夏の終わりに夏バテ解消料理にもってこいなのが、この「鯵の南蛮漬け」である。夏になるとこれが食べたくなるものだが、今季は漸くそれが叶ったのだ。

よくあるサイドメニューの一つにもされてしまいがちだが、相当に手の込んだ料理であり、味わい深い逸品だ。簡単に作ろうとすれば手を抜いて作れるが、それでは本来の「鯵の南蛮漬け」ではなくなつてしまう。手抜き御法度であり、これが美味く調理されている店には常連として通いたくなること必至なり。

小さめの鯵を用意する。まずは鱗を取り、そして鰓を開いて内蔵を取り、小麦粉か片栗粉をまぶして低温でじっくり揚げる。このとき鯵の「頭」は捨てずにそのまま残すのが通の料理と云って良い。

酢、醤油、味醂、砂糖といった日本料理に欠かせない調味料に加えて唐辛子を調合したタレに、薄切りにした玉葱、ピーマン、人参等を加えて漬け込む。漬け込んだ状態で置き、一晩くらい冷蔵庫などで冷凍保存して味をなじませたら漸く完成。手数以上に時間が掛かるが、それだけ完成した時の悦びもひとしおだ。

「南蛮漬け」というからには南アジアが発祥のようであり、異国の料理のようだが、今や日本の暑い夏には欠かせない。日本の、特に夏場のスタミナ料理としては一番にもお勧めしたいレシピなのだ。

今日は外食メニューとして食したが、満足の出来栄えであり、嬉しく感じたのであり、家でも作りたくなったという訳であった。夏バテに効くこと請け合いなり。

御徒町「喜楽」で野趣溢れるどじょうを喰らう

どじょうと云えば近頃は、大衆居酒屋にとんと目につかなくなった。地元店でもずっと品切れだったのが、ついにメニューからも消えてしまった。

江戸の時代からずっとこのかた大衆料理の味覚の代表格だったはずのどじょうがいつの間にか希少な食材となっていたという訳だ。そんなとき、御徒町ガード下にどじょうの専門店があると聞き出かけてみたのだ。

ガード下の「喜楽」という其の店はとても狭く、カウンターと小さなテーブルが3つ、10人と少しで満員になってしまうくらいだが、永い時の印を静かに刻んでいた。名店の名に相応しいと云えるだろう。

同店でどじょう(「どぜう」と表記している)のメニューは二つある。定番の「柳川鍋」と「丸煮」。迷わず「丸煮」を注文した。まるごと沢山のどじょうを牛蒡、豆腐、葱、蒟蒻等々とともに醤油ベースの特製たれで丸ごと煮込んだというシンプルな料理だった。

箸で中を掬ってみれば小ぶりだが沢山のどじょうが見つかった。丸ごとどじょうの骨を噛んだ。洗練された料理ではないから泥くささ、土くささも匂うくらいだが、却ってそれが喉に心地よいくらいだ。野趣溢れる料理というのはこういうものを云うのだ。

今季初だが絶品の「サンマの塩焼き」に遭遇

たぶん今季初だろう「サンマの塩焼き」に遭遇した。大衆居酒屋で「600円」という値段は多少は高くもあったのだが、注文してみたところ、30cmはあろうかという大振りで活きの良いサンマが目の前に並べられていて、その時瞬間的に浮き浮き気分が襲っていた。

顔と目と鰓の部分を注意深く観察したところ、気が漲っているその様をイメージとして認識していた。旬と云うには未だ早いが、これこそがまさに「旬」の顔だろうと感じ取るのに充分なアピールを受け取らざるを得なかったと云うべきだろうか。そんな風に旬のサンマとは向かい合っていた。その目はまん丸でいて、これまた大海を泳ぎ続けてきた逞しさを感じ取らされるに充分な代物だったのである。

そしておいらは、東北大震災による漁場の復旧、復興をこい願いつつ、有り難く旬の味覚を味わっていたのだった。

思うに最初にこんな上物に出遭うの云うのは極めてラッキーだった。過年の記憶には、旬だとばかりに思い込んでいて箸を近づけたらば、目がだらんとたれて死んでいたり、肉をつまんだらかさかさとして冷凍フーズの食感にがっかりしたり、あるいは塩焼きを頼んだはずなのが揚げたサンマに出くわしてがっかりしたりと、この時期は実にさんざんたる経験をも経てきている。であるからに少々のことでは驚かないが、本日のサンマはニュースにしても耐えるくらいに美味であったのでこうして記しているのである。

旬の味覚的便乗商法とも紙一重のものであるが故に、何度となく不条理な場面にも遭遇してきた。今年は幸先好いぞとばかりに、何だかこれからの未来への意欲やら、希望さえもが湧き上がって来たと云えば大袈裟には違いないが、浮き浮きが希望を繋いだ、本日の宵の一齣ではありましたとさ。

サバ(鯖)が、脂が乗って美味い季節となった

猛暑の季節がようやく過ぎ去ろうとしているが、サバも旬の季節を迎え脂が乗って美味さが増してきた。

先日は美味いシメ鯖を食したのだが、家でも鯖の味噌煮をつくってみたら、これも中々の味わいだったのだ。

極力甘さを控えて砂糖は使わず味醂と味噌のみで調理。その代わりに玉葱、ネギ、生姜をたっぷりと加えて煮込んだ。天然の野菜の旨みが滲み出ており、鯖の青臭さも抑えてくれて満足の味わいだったのでありました。

やっとかなった「ほや酢」の登場は、東北復興の一歩だと思いたい

いつもの居酒屋で「ほや酢」のメニューが数ヶ月ぶりに再登場していた。

つまりはずっとずっと東北の大震災以来、このメニューは無くなっていたのだ。東北の漁港や加工工場、その他諸々の施設が壊滅的な被害にあい、「ほや」を漁することがずっと出来なくなっていたという事情があったのである。

居酒屋の女将さんは少し前に語っていたのだ。

「ほや」は取れなくて、取れても非常に高くなって、とても買うことが出来なくなってしまったんですよ。東北の漁港からほや漁がほとんど出来なくなっているんだ…」

だが漸く「ほや」も入荷が出来て居酒屋メニューに再登場していたのだから感激もひとしおなのである。

ほやの身と肝が溶け合って、何ともいえない風味を奏でていた。肝には少々の酢で締めてもらったほうがより身がぎゅっと締まって引き立つのである。このメニューには東北の料理家達の研鑽の跡を見ることが出来るのだ。

町田康氏の処女作「くっすん大黒」に感動したのだ

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何だかんだありながらも「町田康」という存在はとても気になる作家である。

駄作や傑作を産み出しながら、最近の作品にはなかなか満点をあげることも出来つついたのだった。だが先日は彼の処女作「くっすん大黒」を目にして衝動買いし、あらためて読んでみることにしたのだった。

酒浸りになり顔かたちも醜く変わってしまった主人公は、妻からも逃げられ、生活を立て直そうとしてかごみの整理をしていたところ、大黒様の処理に困ってしまって、あたふたとしてしまい、逍遥の旅に向かう、と云うのがストーリー。だが物語は一筋縄ではいかずに、はちゃ滅茶の展開を取りつつ進行していく。

パンク作家の処女作らしきアナーキーな展開はドラマツルギーに溢れており、好感度を加速させていく。最近の町田康氏作品に見るようなワンパターンの構成や落ちの白々しさは無く、見事である。芥川賞作家の処女作品ならではの力作なり。

パンク作家でなくても多くの現代人が経験しているであろう日常の倦厭や拒否感からワープして導かれるドラマ仕立てのストーリーは荒唐無稽であるが、感情移入もし易くあり、高感度的パンク作品に相応しいといえるだろう。

リニューアルした新宿思い出横丁の「つるかめ食堂」を訪れ唖然

新宿思い出横丁の「つるかめ食堂」がリニューアルしたと聞いて訪ねてみた。

ところがどっこい期待とは裏腹に、久しぶりに暖簾とやらを潜って入ってみた新制「つるかめ食堂」は、小ぎれいにすっきりしたものの、かつてのつるかめらしさがまるで無くなってしまい、いとがっかり。何と云うこの不条理な光景なのかと、しばし唖然としていたくらいであった。

まずは「コの字型」のカウンターが無い。客(ほとんどが飲みに来客する呑兵衛たちだが)が店舗の人間と向かい合い、注文やら世間話やらを談笑していた空気はそこには無くなっていた。1階の敷地面積は変わっていないはずだが、ゆったりして小ぎれいになっただけで、店舗は狭く感じられた。

客層のことを述べる前に、客足は少ない。おいらが居た時間帯に出入りしていた客は10名に満たなかった。通りすがりと思しき4~5人の客が丼や定食やらに箸を付けて飯を食らっていた光景に遭遇し、時の流れのうつろいを淋しく感じていた。つまりはその場所は、かつてあった呑兵衛たちの憩いの場所とは様変わりしていたのである。

同店の名物「そい丼」を注文した。大豆が主役の丼であり、ひき肉と共にカレー味で煮込まれた具が御飯にのっている。そして隠れた主役がハムであり、この昭和的ハムの風合いが何とも云えない郷愁をそそる。味噌汁付きで、昭和の頃の食生活のままかのごとき500円と云う安さにも、回顧の気分をそそらせる。確かにそそらせたのだったが、かつてのあの元気だった頃の「そい丼」とはどこか違っていた。「バカはうまいよ」の幟が無くなっていたし、それより以上に、当時の調理していた人たちが亡くなってしまっていた。利口な人間にはうまいのか? 不味いのか? そんな突っ込みを受け止めてくれる人達が居なくなってしまったのだから淋しさもひとしおに積み上げられていくかのようだ。

かつては「つるかめ食堂」といえば思い出横丁のへそとも称されシンボル的存在だったが、今は違っていた。他の店舗は昭和の風情を残しているのに、この店ばかりがリニューアルして、得たものは何だったのだろうかと考えた。もしかして同店主は横並び的店舗のスタイルから脱皮しようしてリニューアルを敢行したのだろうかと? だがそんな試みはもろくも崩れ去ってしまったと云うことが見て取れるのだ。

2階も無くなっていた。仮店舗としての許可しか出なかったと云うのが理由らしいことを知った。2階が食堂として機能していた頃には、おいらは何回もその場所で遅い夕食を摂っていた。会社の同僚とはそこで一緒に食事と酒を摂っては会社や社会への愚痴や批判を口にしていた。そしてそんな愚痴や批判を「つるかめ食堂」の店舗の人達や店舗の壁や柱やその他諸々の空域の全てに吸収してもらっていたという気持ちを強く持っていた。そんな特別な場所空間が、小ぎれいな食堂にリニューアルしていたのを見ては、残念に思うしかないのである。

■つるかめ食堂
東京都新宿区西新宿1-2-7

「うまいもの市」で山形郷土食「だし丼」を食した

秋葉原では「うまいもの市」を開催していた(8/16~18)。

http://bellesalle.net/umaimono/

ぶらりと会場をのぞいてみると、1階は北海道から沖縄県までの地域の特産品の見本市の様相。そして地下会場は大震災で被災した東北各県の特別なスペースが設けられていた。

ちょうど昼食時であったことから、テイクアウトで食べられる処と食べものとを探していたら「ポレポレ食堂」という全車緑色で塗り込められた車を発見、派手派手な車体に山形郷土食の「だし丼」という看板に惹かれて、早速食べてみることにした。

キュウリ、茄子、大葉、茗荷、オクラ、山芋、等々の夏野菜を細かく切り刻み、醤油ベースのタレに漬け込んで冷やしたものが御飯に乗っている。一口食べればひんやりと冷たい野菜の食感が口の中で刺激的に踊っている。御飯の温かさと具材のひんやりした味わいのコントラストがとても食欲をそそっていたのだった。

郷土食でありながら、もっと全国的にポピュラーなメニューになってもよさそうな料理である。漬け込んでいけば日持ちもするし、家庭でも比較的容易に出来る料理なのかとも思う。今度機会があったら家でも作ってみようと思ったのだ。

西荻窪南口は、居酒屋「戎」の縄張りだった

西荻窪駅の南口という地帯一帯は実はおいらにとっての鬼門であった。そのむかし、西荻窪駅近くの「ほびっと村」にて写真展を行なった際、打ち上げ二次会パーティーをこの辺りのどこかの店で行なったのだが、その日その時間での小便タイムで場所を離れたのが最後で、二次会会場の店には戻ることが出来ずに慌てふためいていた。そしてついにはそのまま駅に辿り着いて中央線に飛び乗り、当時の我が家のある武蔵小金井まで帰ることになっていた。二次会会場には大量の酒等の贈答品物を詰め込んだバッグを置き去りにしてきたため気になってはいたのだった。なんとその置き去りにした忘れ物を、20数年ぶりに高校の同窓会で再会したばかりの同窓生が届けてもらいいたく感激していたというほろ苦い記憶が心の片隅にこびり付いて離れることが無い。行きはよいよい、帰りは怖いの、云わば鬼門的とおりゃんせ通りとおいらの胸中では呼ばれていて、長く近づくことは御法度となっていた。

さてそのような鬼門的界隈に何故足が向かったのかは判らないが、西荻窪駅を降りて少々右に行った界隈一角は、まるで「戎」の看板が何軒もの軒先にかけられてあり、云わば此処が「戎」の縄張りであることを知らしめされたのだった。人が肩をぶつけ合いそうなくらいに狭い通行路地の左右を挟んで4〜5軒の「戎」の店舗が、それも昔ながらの屋台店舗風の出で立ちで立ち並んでいたのである。

炭火を焼く串焼き屋台風店舗の暖簾をくぐると、中のカウンター席は相変わらずにむしむしとして暑苦しかったのだが、プーンと香る焼き物の香りに魅了されてもいたのだった。

豚の串焼きを頼んでビールで(ここはホッピーが置いていないのが最大の欠点なのだ)一服の喉を潤した後、「レンコン肉詰め」「ピーマン肉詰め」を注文。レンコンは塩で、ピーマンはたれでという店主らしき親爺のおすすめの通りに注文していた。生ではカサカサのレンコンが炭火で焼かれてジューシーな味わいになり、口に運ばれていた。レンコンの穴に程よく詰まっていた豚ひき肉の出汁がよくレンコンの身に絡まっていて美味であった。ピーマンの方は云わば普通の焼き物であった。おすすめのたれが良かったのか否かは判断が尽きかねているところだ。

汗をかきながらの「担々麺」はとても良い

暦は既に立秋を過ぎて秋だというのに猛暑の季節は一向に収まる気配もない。昼食のタイムにはおいらも蒸し暑いコンクリートのジャングルの中を彷徨いながらあれやこれやと食事と散策に励んでいるのではあるが、只単に冷たい納涼のメニューを求めているかと問われれば断乎として「否!」の姿勢は貫きつつ在るのだ。そんなこんなの気負いも多少あってか、満天火のごとくの昼の日に、「担々麺」を食することになっていたのでありレポートをしてみたい。

場所は台東区内の繁華街からは多少外れたところにある「蒼龍唐玉堂」。昼の時間帯には地元のOLや会社員達で満席になってしまう繁盛店だ。誰もがここの「担々麺」を目当てにやつてくるのだが、黒いもの、白いもの、赤いもの、等々があって戸惑うかもしれない。

本日注文したのは「白担々麺」。白胡麻の風味が食欲をそそるとともに、スープに口を付けるとともに中華山椒の辛みが舌を刺激する。じわ〜っとしてまとわりつく様な緩い感じの辛みであるが、しつこいという訳ではない。唐辛子が子供の辛さならばこれは大人の辛みとでも云っておこうか。

涼しい昼食をとった時とを比較すれば、その後の汗だらだらの仕草はまことにみっともなかったというへせきものであろう。店を出てからコンクリートの歩道を歩いていく時の暑苦しい思いは筆舌に尽くしがたいものがあった。だがおいらは夏には夏の汗をかくことを、夏季の生活スタイルの作法であるとも心得ていたのであり、特別な習いも無くして汗っかきの夏に突入しているという訳なのであった。

かつおの土佐造りとトマトはとても相性が良いのだ

あぶらが乗って美味そうなカツオの刺身を仕入れて土佐造りをつくった。玉葱のスライスに茗荷、大葉を細かく刻んでポン酢であえる。カツオはたたきよりも断然に刺身が上だが、それに薬味をくわえることで特に夏の季節の季節料理の有力メニューに昇華されたのだ。

そして今回のポイントは「トマト」を加えたことだ。イタリアンだろうが四国の郷土料理であろうがスパニッシュだろうがカツオとトマトは好相性であり、その真実を今更ながらに体験的に享受したのである。

この取り合わせは国際的な夏の定番と云っても過言ではない。無駄な火を通さずに涼しくあえるのが涼しく味わうコツ。猛暑の季節が途切れるまでに何度でも食べたい逸品メニューとなったのである。

八王子美術連盟のデッサン会に参加

今年3月の「八王子画廊散歩」に出品したことがきっかけとなり、地元の美術イベント等に参加することが増えてきた。本日は、八王子美術連盟が主催するデッサン会に参加したのだ。

会場は八王子市芸術文化会館、別名「いちょうホール」と呼ばれる4階建てからなる立派な会館。地元作家の作品展をはじめ色々なイベントが目白押しの会場だ。会場となっている最上階の「創作室」は高い天井から天窓が設けられており、天然自然光が室内に行き届いており制作活動の場所としては理想的なつくりである。

改めて基本的なことを述べて云えば、美術制作等の行為は極めて個人的な行為に属するのだが、かといって独立独歩で美術的創作活動の全てが実現するかと問えば、それは不可能であると答えるしかないし、独立独歩の精神と、地元作家・関係者達との交流とは共存させ得るものである。そう考えつつ、最近はよくこうしたイベントに足を運ぶことが増えているのである。

かつておいらは、デッサンやクロッキーと云うものを写実派的制作スタイルの強要とも捉えていたことがあり、美術学生の頃には出来るだけに、デッサン授業と云ったものには敬遠したがっていたものだ。だが改めてデッサン会等にてデッサンやクロッキーを行っていくことにより、個的な独立独歩的限界を拓いていくごときものであることを認識しているのだ。

彫刻家・佐藤忠良氏のアトリエを訪ねたある人物は、彼の描きかけのスケッチブックに興味を覚えてそのスケッチブックを譲って欲しいと頼んだところ、「舞台裏を見られるようで、それは勘弁してくれ」という答えだった。代わりに何も描かれていないスケッチブックを貰い受け、その後は大切な宝物にしている。つまりはそのくらいに、制作者は「舞台裏」を表に出したがらないということ。確かにこの思いの基本的心情は強く理解でき得るところだ。

だからと云う訳でもないが、おいらもデッサン会での描画等については写真に撮ってアップすることは控えることにした。いずれネットギャラリーやリアルギャラリーでの個展等では昇華した作品としてアップさせたいと考えているところなのです。

暑気払いだけではない「イカそうめん」の不思議な食感と効能

暑気払いの料理については当ブログでも様々述べてきたが、「イカそうめん」というメニューについては未だかつて扱ったことが無かったと記憶している。イカをそうめんのように細切りにして提供するだけの調理レシピであることから、暑気払いに効くとは考えてもみなかったのであるが、ここへ来てそんな考えがある種偏見的要素を含んでいるなと感じ取ったのである。つまりは、イカそうめんは暑気払いに効くのだ、ということを把握することが出来たので、ここで開陳していきたいと思うのだ。

注文して出てきた「イカそうめん」は、1~2ミリ程度の細かな包丁の手捌きを見せてくれていてまるで工芸品を目にするようだったが、それだけではただのイカ刺しの1バリエーションでしかなかったのだろう。だがしかしそのイカ刺しは、イカそうめんへとたしかにワープしていて立派な料理だったと感じ取ることが出来た。

まずは一口、箸ですくって頬張ってみたところ、とろけそうな甘い感触が口腔を満たしていた。そして出てきた「そうめんつゆ」にくぐらせてから後に口にした。そうめんとは大分違うが、そうめんのような食感を味わうことは出来たと思う。そしてその後には、小麦粉等の炭酸化物に接したときの食感とはかなりに異にした独特の食感を口に含んで味わっていたのだった。

この味わいは特別なものであろうと直感した。夏の猛暑のパワー減退に対して、イカの持つ特別なタウリンを豊富に含んでいるのだ。イカとタコとに共通して豊富に含まれる栄養素であり、この猛暑の時期を乗り越えていくには必須の栄養素だと云ってよいのだ。

上野アメ横の「文楽」の美味いもつ焼きで一息

仕事帰りに上野のアメ横に向かった。週末の金曜日とくれば近くの会社員、観光客、及び秋葉原から流れたおたくヤングらでアメヤ横丁通りはごったがえしている。人ごみを掻き分けるようにして向かったのはアメ横の「へそ」とも呼ばれる、居酒屋「大統領」の店だった。ところが満員の客で席に付けずに、道を隔てた隣の「文楽」という店舗のカウンターに腰を降ろしていた。

初めての店だったが、違和感は無い。いつものホッピーとと共にもつ焼きの盛り合わせを注文。隣の先客の親父も同じようなものをつまんでいたのが視覚に入ったとき、大統領の隣のこの店の売りももつ焼きだと合点。看板メニューだけあり鶏の肉質も新鮮であることを確認したのだ。

さてTVを付けたところ、香港だかの日本料理店に日本海側で採れた「のどぐろ」の鮮魚が24時間くらいで届けることが出来、現地の日本料理店が儲けている等ということを、大々的に取り上げているのは、違和感の塊となって本日の記憶に刻まれることになってしまった。財部誠一というコメンテータの解説が如何わしさに拍車をかけていたのである。

日本人の胃袋を賄うための食材は基本的に国内で、できるだけ近場で調達され提供されていくべきなのであり、そんな基本が崩れているところにこそには、財部をはじめとする如何わしい経済マフィアたちの動きが関係しているのである。確認のためにHPを検索してみたところ「経済ジャーナリスト」を名乗っていることを知り唖然としたところである。

詰まらない余談で稿を汚してしまったが、財部のいかがわしさについててはいずれ纏めて論じてみるつもりだ。

暑い夏の暑気を払うトマト&茄子の効能抜群的レシピ

昨年に続いて今年も猛暑の夏が続いている。地球温暖化の影響だろうことは最早明らかであるが、我々日本人も温暖化に対応した生活術を身に付けていかなくてはならなくなったのだ。

まずは食生活の徹底した吟味が必要である。暑い夏には夏の食材を、と云うのは鉄則である。この鉄則鉄板的に当て嵌まる食材は、トマトと茄子と云うことになる。

日本人にトマトのリコピンが足りないと、つくづく感じていたおいらだが、しかしながらそうは云っても年々トマトの国内需要は高まっている傾向にあり、杞憂に終りそうな気配ではあり、良い傾向である。

トマトは生野菜として生で食するのは一番であろうが、それだけでは食欲や食生活の充実と云った観点からは不充分であり、そんなことからもトマト&茄子を食材としての料理法の充実が望まれているということになる。ここではそんな中からのお勧めレシピを幾つか紹介してみます。


■トマトとジャコの冷奴
主としてイワシの稚魚を乾燥されて出荷される「ジャコ」とトマトは意外だが相性が良いのだ。少量のサラダ油で丁寧に炒めて、それを冷やした豆腐に掛ければ「トマトとジャコの冷奴」の出来上がり。写真は最初においらが食した居酒屋のメニューだが、家でもよくよくついついと作ってしまう、夏季の定番料理なのだ。

■トマトと卵、木耳の中華風炒め
トマトはまた卵とも相性が良い。卵と共に中華食材の木耳を炒めてトマトを加えれば、これだけで簡単で本格的な料理の完成である。


■茄子の一本漬け
漬物には「糠漬け」「浅漬け」等々様々あるが、茄子の漬物はそのままに一本、強めの塩で漬け込んだものが夏向きである。そして冷蔵庫で冷やしたものを和辛し等を添えてみれば、夏の絶品つまみの出来上がり。

大竹昭子さんの「図鑑少年」に嵌ったのだ

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「大竹昭子」という名前はとても気になる名前である。過去何度か、写真評論の文章に接していたが、作家や作品への洞察を通して時代の息遣いが渦巻いており、それを濃厚で香り高い料理を口にした時の様な刺激とともに感じ取ることができたのだ。

昨年10月に文庫本として出版された「図鑑少年」は、雑誌「SWITCH」と「フォトコニカ」に掲載されたものを纏めた小品集で、初出は1999年3月、小学館発行とある。小説も書いているんだなという興味で読み始めたが、久々にのめり込むことができた1冊であった。

決して新しい作品ではないが今読んでも色あせることの無い、現代人の息遣いが横溢している。大都会とそこに蠢き漂流している人間達との関係性が、まるで都会からの視点で描かれている様な不思議な感覚に包み込まれるのだ。何気ない日常と不可思議なストーリーを結びつけるのは希有な作家の想像力だが、それ以上に深い非日常性の魅力に嵌ってしまうのだ。傑作小説集と云うべきである。

福島産こしひかりが、5kg、1,780円なり

先日帰省していたら実家の親は既に昨年度(10年度)の米の予備米買い置きを既にしていた。おいらも今日は帰宅途中に昨年度(10年度)米の買占め、否、買い置きに走っていた。地元のスーパーでは未だ米は陳列棚に置かれていたのでほっとした。職場の千葉県内首都圏に居住する女性の話では、スーパーには既に米は無く、しかも値段が高騰しているのだということだ。おいらの地元スーパーには米が並んでいたのであり、ラッキーだったと感じ取るべきなのかもしれない。

おいらが購入したのは2kg入りのもので2千円前後のもの。そして隣に目に付いたのが、「福島産こしひかり」として大袋にて販売されていたもの。売りの値段は何と「1,780円」なり。おいらが購入した2kgのものと大差ない価格であったのだった。安すぎである。5kgと2kgとは倍以上の(正確に述べれば2.5倍もの)違いがあるのにこの差は何なのだっ! おいらは風評被害と云うものの実態をこの場所で感じ取っていたのだ。風評被害ある場所の農産物は不当に安い値段にて買い叩かれているのだ。

王子の「飛鳥山」&「平澤かまぼこ」を探訪

先日、町田康氏の「東京飄然」を読書していたら、王子の町の飛鳥山公園やその周辺のことなどがぼろくそに書かれていて気になって気になって仕方がなかった。いつしか自然と足が北区王子方面へと向かっていたのも故あることなり。王子周辺と云えば、かつておいらの生活エリアだった大塚から、都電荒川線にて繋がれていて格好の散策エリアであった界隈である。それをパンク作家の兄ちゃんだかがたかだか1回くらい、飄然として訪れて「失敗だった」と決め付けていたことにはとても釈然としないものを感じていたのだ。たかが公園の料理屋でうどんを食べて店員その他に冷たくされたとしても、或いは黙殺されて虫の居所が悪かったとしても、その旅が「失敗だった」と書き記すことの大人気なさを当のパンク氏はどのように捉えているのか? 考えるたびに益々解せない思いは強まってくる。いっその事現場に出向いて解析しようかという英断に突き当たったという訳だ、たぶん。

王子の飛鳥山は春の桜の花見時期以外はそう来園者も多くなく、児童公園には過去の栄光を無理して形にしたような「SL(D51)」やら「王子電車(荒川線の前身)」やらがまるで主役のような風体でドーンと立ち並んでいるのを見れば、ある種の子供騙し的プレイスだという感は拭えないだろう。そうかといってこの都内で最低標高の山の憩いの里的要素も漂ってくる。今年に入って都内で初めて蝉の声の合唱曲を聴いた気分になったし、或いは小高い山から都会の光景を俯瞰してみる様も、この場所ならではの特別な代物ではある。ただ単に1回の思い付きの飄然旅行の作家の目は恐らく節穴であったという結論が導き出されることになるだろう。

飛鳥山を降りて王子駅に向かう途中には「平澤かまぼこ」という立ち飲み名物おでん屋があり、地域の呑兵衛たちの憩いの場となっている。隣に立っていた初老カップルは映画関係者なのだろう、盛んにお勧め映画の講評等を口にしていて耳障りではあった。それでもそんな初老的団塊世代の胃袋の充溢や社交の場としてのプレイスが存在していることにある種の畏れの気分を抱かざるを得なかったというべきだろう。町田康はまだまだ甘ったるいし大人になりきれていないのだろうなぁ。

詐欺師跋扈の世の中をどうにかできないのか

上州の実家に帰省して親の話を聞いていると、「オレオレ詐欺」「振込め詐欺」紛いの電話や勧誘やらが増えているのだという。少し前には町内会から注意するようにという告知があったのだが、その前後にはしつこい電話の勧誘が続いていたので、なるほどこのことかと合点していた。どこからか入手した個人情報リストを元に高齢者宅を狙って電話を掛けめくるパターンの様であり、特に独居高齢者が狙われていることが見て取れる。

我が両親は幸い呆けてもおらず独り暮らしでもないのでそのような電話は何度も撃退してきたが、今後のことを考えるとこのままでは居られる訳も無く、地域の生活相談所や警察関係の連絡先を調べておいたりと、何らかの予防的対策をとる必要が生じているようだ。

人を騙し騙されることをまるでゲームのように捉えて放置し続けてきた金融市場主義、新自由主義的風潮のつけが、ここへ来て破裂しそうな社会不安を煽っている。これも元をただせば、小泉・竹中らによる金融市場主義的新自由主義の過ちの帰結である。こんな主潮は逸早く断ち切っておく必要があることは明らかである。

余談になるが米国によって今まさに押し付けられようとするTPP等は、断然として即刻拒否の態度を示すべきなのだが、現民主党政権は優柔不断で何とも頼りない。第二の自民党と云われる所以でもある。菅直人総理には、脱原発のみならず、アンチTPPにおいてももっと決然としてリーダーシップを発揮してもらいたいものだ。