今朝からの寒気で目が覚めた。TVでは雪のニュースで賑わっていた。TV朝日局の番組では丁度、八王子駅前で天気レポーターが立っていて、お天気兄さんによる実況中継などが放映されており、故に朝方から家を出るのが億劫になっていた。
「天候不良による倦怠感による」等々の、さしずめ女子高生風の理由を口実にして、職場を欠勤したくもなっていたくらいであった。がしかし欠勤をしたならば、後日になってどんな噂を立てられるかも知らぬのであり、それ故に、気怠い朝の一歩を踏み出していたのだった。
中国料理系居酒屋で飲んでいた際に「水餃子」を注文していた。何時もだったら「焼餃子」なのだが、今日は気紛れの風が吹いたようにて、普段とは違うメニューを食する羽目になったのだった。
出てきたその「水餃子」は、スープにも入っていないただの茹でた餃子であって、それに葱の切身がぞんざいにかけられていたのであり、おいらは一見して残念な思いにかられてしまったのだった。やはり焼餃子にすべきだったと考えたのも後の祭りであった。
凝視してしまったところ、その「水餃子」とやらは、薄っぺらい皮に包まれたワンタンを大きくしたような代物だったのだった。ワンタンも時々は食するが、取り立てて美味いものではない。ワンタンをわざわざ注文して酒を飲むのも、ある種の不条理と云わねばなるまい。
日本の餃子は焼くのが当たり前であり、こんがりと焼き目を付けて、其れを見た目でも味わいつつ食するのだ。それに引き換え「水餃子」ときたら、薄っぺらな生地から透けて見える肉のあんのみすぼらしき様相である。この違いは決定的であると云うべきと考えていたのであった。
しかるにして全く納得できないままにして、「水餃子」メニューを後にして、中国系居酒屋を立ち去ったのであった。
韓国料理に「チャプチェ」という料理がある。韓国風の春雨を基本に、玉葱、人参、竹の子、ほうれん草、等々の野菜と炒めて、ゴマを振り掛けるというシンプルな料理だ。味付けの多少の相違はあるが、日本や中国の料理メニューにも、同様のものが無い訳ではないが、やはりこの手のメニューの代表格は「チャプチェ」ということになる。
巷間流布され聞くところによれば、お隣の韓国という国においては、美容整形及びそれに付随するダイエットの風潮が満開の様子ではある。おいらがチャプチェを注文した某店にても「野菜たっぷり」などと、美容に良いという点が強調されていたのであり、おいらもそんな文言に惹かれてしまったことは否定できない。
今回食したチャプチェは、辛味もほどほどに抑制されていて、味付けは程よい韓国風といった塩梅だった。日本風、或いは中国風の春雨炒めとの、云わば決定的な違いというものを捉えることは、残念ながらできなかったと告白しておかねばならない。
春雨炒めというメニューであれば、或いは日本風か中国風のものの方が優れているのかもしれない。ということを本日のクエスチョンとして指摘しつつ、キーボードを置くことにする。
先日購入したTANITAの体脂肪計で、体重管理を行なっているおいらである。初期設定も無事に終了することができ、今では体重計(体脂肪計)に乗るだけでスイッチが入って、体重はおろか、BMI、体脂肪率、筋肉量、内臓脂肪レベル、基礎代謝量、そして体内年齢が、自動的に測定されるようになっている。流石は体脂肪計で鳴らすTANITA製だけのことはある。
おいらに健康指導をして下さっている指導医の女医さんの指導に従って、出来る範囲での朝と夜(寝起きと就寝前)の体重を量るようにしているのだ。この値を見ると、就寝前には体重はピークを迎えているようであり、逆に寝起きの間際の体重の値は極めて低くなっている。その差は最大にして1.5kg、平均的に0.5kg程度の差異が見て取れるのだ。
何しろ夜の就寝間際には、1日の中での最大の体重が計測されているのであるから、この値を如何にして下げるかと云うことが、ダイエットの成功のつぼであると考えられる。夜の食事を控える、飲酒量を控える、特に就寝前の食事はしない、等々の基本を踏襲するならばおいらの基本的体重は下がって行くことが見込まれるのだが、こと深夜の飲酒量を下げることだけは極めて至難の業ではある。これがおいらの前に立ち塞がっている巨大なる壁ではある。
みどり企画が企画、公開するギャラリーをお楽しみください。
みどり企画の主宰者こと小林活夫の作品の他、主宰者がお奨めする作品なども、これからどんどん紹介していきたいと考えています。
第1弾として、先月に旅した「奥飛騨」「新穂高温泉」界隈で撮影した写真群をアップしました。
これからしばしばに公開作品内容を入れ替えていきますので、時々は当ページにも見に来てください。
TANITAの体脂肪計を購入した。先日の健康相談にて「あと3kg体重を落としましょう」とアドバイスを受けてのことだ。「出来れば毎日、体重を量る癖をつけてください」と、健康相談を行なってくれた妙齢の女医さんが熱心に指導をしてくれ、「針で見るのではなく、デジタル式の数字でチェックできるのが良いですね」と、まあTANITAのまわしものではありませまいが、まるでTANITAの体重計を買いなさいと、薦めているに等しく受け止められたのであった。
地元の「ヨドバシカメラ」店の売場へ赴くと、TANITAの製品と並んでオムロン製のも同数くらいに並んでおる。オムロンと云えば、浅田真央ちゃんこんなが登場する「無論オムロン」のCMで名高い。どちらも体重計の主力企業であり、しばし悩んだが、結局はTANITA製のものを購入することに決めた。TANITA製の製品というのは、体脂肪等の付加価値的測定でのトップランナーという企業イメージに、結局ははまってしまったかのようである。
単なる体重計とは異なり、最初に器械の設定を行なうのだが、今日の日付から、利用者の登録、身長、生年月日、性別、等々の登録を行なう必要があり、これが存外面倒だった。体脂肪を測定するには靴下を脱いで裸足になって測定器に乗る必要があり、またそれ以前に体重を測定するには、身体に身に付けた洋服、ズボン等の衣類を脱ぐ必要が生じる。こんな極寒の夜に行なうには至難の業と云うべきであり、おいらも多少ならずに躊躇し、結局は登録や細かな測定を明日以降に持ち越してしまっている。明日からはしっかりと自らの体重、体脂肪、その他諸々の管理に励むつもりのおいらなのである。
秋葉原駅周辺を歩いていたところ、あるビルの1階ホールに蝟集する人々の姿が目に飛び込んできた。ほとんどは黒か紺色スーツを身にまとったサラリーマンたちであり、彼らに混ざってOL、おたく青年たちがまばらに入り込んでいる。近づいてみたところ、「缶’s Bar」という立ち飲み店であった。
入り口周辺には大量に並べられた缶詰めの棚がそびえている。それを眺めながら入った客は、各々好きな缶詰を手にとってカウンターへと進み、これまた好きな酒とともにの注文を行なう。缶切りがさりげなく置かれており、会計を済ませた缶詰は客が自ら缶を開けていく。そんなセルフサービススタイルが自然にマッチしている。立ち飲み店の新しい姿と云えよう。
棚に並べている缶詰は、鮭、ツナ、オイルサーモン、コンビーフ、貝類、焼き鳥、うなぎの肝缶等々、多岐にわたっており、中には「おでん缶」なるアキバ名物もその一角を占めていた。品揃えの多様さ、おたく受けするマニアックさ等から、アキバならではの品揃えと頷くこと請け合いなのだ。
こじんまりとした狭いスペースながら、店員等の関係者が多く見受けられていたのだが、この店はJR東日本関係の社内ベンチャーの一種の、さる企画で立ち上がったのだという。オープン当初の賑わいはまるでお祭り騒ぎである。この喧騒が果たして何時まで続いていくことやら、注目していきたいところではある。
■缶’s Bar
東京都千代田区神田花岡町1-19
JR秋葉原駅総武線高架下
自宅への帰り道の自転車を走らせていたら、ふと「石焼き芋」販売の車に遭遇した。小さな車両に煙突を小脇に抱えた鉄釜の焼き芋機がとても懐かしい郷愁をそそっていたのであり、一度通り過ぎた道を引き返して、焼き芋一丁を注文。「小さいので良いですからね」というおいらの声に、「サービスだ、まけとくよ」という生きの良いかけ声が返って来た。これまた懐かしのロウを刷り込んだ焼き芋用の紙袋に入れられて、ほくほくの焼き芋が渡されたのであり、冷めないうちに早く帰って食べようと云う思いで、自転車のサドルを力一杯にこいで帰って来たのだった。
流石に汗をかくことはなかったが、息せき切って帰ってすぐに、石焼き芋を真ん中から二つに割ってみた。すると期待以上の鮮やかな黄金色した芋の身の部分が視線を凍えつかせるようにしていた。何度も何度も飽きることなく焼き芋の黄金色の身に視線を集中していたおいらは、ピンと張った芋の繊維の優雅さにも見とれていた。
そしてほくほくとして熱い焼き芋を頬張ったのだった。美味いことはもちろんだが、この品種はおいらが子供の頃に食べた頃にはなかったものである、きっとそうに違いない! という発見に、こころ時めかされていた。昔の焼き芋は素朴で美味かったが、こんなに瑞々しく水分を含んではいなかった。だから多少ぱさぱさしていたのだった。それなのに今日日の焼き芋と来たら、とろけそうなくらいにジューシーで瑞々しいのだ。これには驚きを隠せなかった。味もクリーミーであり、very good!
浅草の浅草寺にお参りした後で、何処かで一杯やる店を探していた。有名な「神谷バー」は行列が出来るくらいの混雑であり、並ぶことが大嫌いな(殊にグルメ雑誌やらで取り上げられている店舗における行列の一員になることなどまっぴら御免なる)おいらは、さっさとその場所を離れて、名店街を散策していたのだ。
そんなときに偶然、「ニュー浅草」本店に出喰わすことになったおいらは、その看板に吸い寄せられるようにして入口の門を潜っていた。
店内に入ると、巨大な提灯に迎えられたのだった。ちょうど、浅草雷門の提灯にも似ていて、浅草らしさをアピールしていたと云えるだろう。
個人的に「ニュー浅草」で思い出すのは、神田神保町界隈の「ニュー浅草」支店における、様々な光景である。出版関係者の集いの二次会でその場所を利用することが多かった。神田に存在する「浅草」が本場の居酒屋と云う、憧れる条件を有していて、個人的にも何度か利用したことがあった。同様に中野にも同支店が存在し、近辺の取材やらではが終了した暁には、よくその場で癒しの時を過ごしていたものだった。
そうして今回の、いわば偶然的な本店来訪である。簡単に説明すれば、「ニュー浅草」は「神谷バー」と「ホッピー通り」の間に位置している。其処はまさしく浅草商店街の真ん中に近い。だが、店内に足を踏み入れたおいらがまず感じたことは「寂れているな」の一言であった。支店の活気がここでは感じられないのだ。しかも、つまみとして注文した「肉じゃが」やらその他諸々も、ありきたりであり、隣の客の焼き鳥もパッとしなかった様也。あまりに常識的過ぎて興味を半減させていたのだった。
もしかすると本店よりも支店の方が活気があって、本店は単なる飾りなのではないかと感じていた次第なのであった。
先日当ブログにて紹介した東京都現代美術館での企画展「建築、アートがつくりだす新しい環境」展では、とても興味深いブースがあった。
ヴィム・ヴェンダース「もし建築が話せたら…」という、3Dインスタレーションのブースである。
イメージとしての例えばアップル社の社屋が連想される建築物が、声を放って語りかけている。
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ある場所が気に入って
そこで長い時間を過ごしていると
声が聞こえてくることがあります。
場所には声があって
建築は話をするのです。
そう、あなたに話しかけています。
聞こえますか?
話し方は本で勉強しました。
私は勉強することが得意なのです。
勉強のための建物だから、何の不思議もないけれど。
私は本が好きです。
本を読む人たちが好きです。
さあ来て、読んで、学んで。
中に入って、そして歩き回ってほしい。
行ったり来たりしてほしい。
私はいつでもここにいます。
動くことができないから。
みなさんのように旅ができたらどんなに良いでしょう。
もちろん私も、他の場所のことは知っています。
でも、本を通じた知識しかないのです。
(以下略)
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ちょうど我が「みどり企画出版」では、建築写真集「瞬間の連続性」を刊行したところであり、建築が語りかけるかのごとくのシーンも、ページのかしこに見て取ることができるのである。
同写真集のお求めは、下記アドレスからどうぞ。
http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/
みどり企画の出版事業部であるみどり企画出版では、このほど7人の写真家集団による建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました。「建築」という身近な素材をモチーフにしながら、日常的には余り接することのできない、特別な一瞬間の表情等が巧みに捉えられた作品集です。
現代美術作家の上野憲男さんが、巻末に同写真集への手書きのコメントを寄せてくれているのでここにご紹介しておきます。(誌面では手書きのそのままで掲載していますがここでは活字に置き換えてご紹介します)
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魂の陰影を剥ぎ取る
日本初の高層ビルディング「霞ヶ関ビル」の写真をシャッター音も心優しく包むようにして撮影した川澄明男の作品はその設計者の名と共に今にして輝きを放ち続けている。
その川澄明男を師と仰ぐ小林研二をリーダーとする建築写真家集団。無機的な建造物に“やるせない”位の生命を映し出すPhotographer達。
硬い石の中にも鋭い鉄鋼、硝子の中にも、そして木や紙、植物にも、あらゆる材質の骨格の中に、風のようなしなやかさで吹き抜け、魂の陰影を剥ぎ取り、現代美術作品と見まごうような見事な映像を造形化した。
本写真集がスタートと言うこの「瞬間の連続性」は今後、益々鋭敏に豊かに展開してゆくことは間違いないだろう。
上野憲男
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■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
判径:250×250mm
頁数:60ページ
体裁:並製本
新年2日ともあれば、街中何処も寂れているというのが戦後十数年間の習いとなっていたのだった。だが昨今の正月事情はそんなこんなの習わしをものともせずにぶち壊しており、新時代の習わしを仕組みつつある。これはいたって世の中の健全なる斯業にありて今後の健全たる習わしに悪影響が及ぼされること無きように希うばかりである。それにしてもネットブック環境はとても酷いものであり、日本語の変換さえままならずにあれやこれやの失敗事ばかりなり。いずれはこんな酷い状況は解決していかねばなるまいという志は強く持っているものなり。
謹賀新年 2012 本年も宜しくお願いいたします。とはいえ年末からの「2012年は元気な年に」「明るい年に」の合唱コールには流石に辟易しつつ、今年は先ず古きを温めて、発酵させることから始めてみたいと思い立った。その具体的狙いや成果については今後またの機会に…。
新春恒例の上州駅伝のルートでもある街道を自転車で走って、昨日もふれた「KEYAKI WALK」の中を歩いた。旧市街地の機能がごっそりとこのモールに移ったように、元旦早々賑わっている。建物の入り口を潜り抜ければまるで青山や原宿の町並みの様な錯覚を与えてしまうくらいである。
時間潰しにシネマの「源氏物語 千年の謎」を観てすごす。光源氏役の生田斗真は様になっていたが、ストーリーのほうはまるで史実の登場人物をつぎはぎしただけの代物でがっかり。まるで色物映画と見紛うばかりだ。角川書店刊行の原作本によるものだとされるが、こういうのが現代風のメディアミックス作品の代表的作品と云うのかな。
上州前橋に本店を構える老舗書店「煥乎堂」を訪れた。明治初年創業という伝統を持つ県内随一の総合書店として、地元の人々から親しまれてきた。おいらも物心ついた少年期から愛着を持ってこの書店を通ってきていた。川端康成さんがノーベル賞受賞した直後の小学生の頃には同店2階の文学コーナーを訪れ、女性店員のお姉さんに川端文学の美しさやお勧め作品のレクチャーを受けていたのであり、その講義内容はぼんくらな国語教師らを超えていた。いわばその場所は特別なスポットなのである。
http://www.kankodo-web.co.jp/
ところがそんな由緒ある老舗書店に異変が生じている。年々、訪れる度に客が減っているのだ。もっとも端緒なきっかけが「KEYAKI WALK」という一大ショッピングモールが駅南口の郊外にオープンしたことによる。ショッピングモール内には「紀伊国屋」書店が出店し、スペースや扱い書籍の数、等々で県内他店を圧倒している。
かつては「書物の宝庫」と自他共に認めた煥乎堂書店だが、現在は残念ながらその面影はない。陳列されている書籍群のほとんどは都内の有名書店ならばどこでも入手できるものばかりであり、「地元コーナー」扱いものの充実度も、過去の数十分の一という印象だ。げんに地元出身「司修」本の過去出版本はほとんどなく、近作数冊が並べてあるのみ。紀伊国屋KEYAKI店に後塵を拝していることは客観的に認めなければならないだろう。
昨今の日本社会は「断捨離」がブームであるようだ。ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方が基本にあるとされていて、老若男女が思い思いの断捨離を行なっている光景に出会すのだ。
朝方の通勤電車の中で見かけた初老の女性が、何やら大きめの、A4版程度かそれ以上はあろうかという大判のMOOKを開いていたので、ついつい覗き込んで見たりしていたら、所謂「断捨離本」なのである。熱心にそのMOOKに見入る姿には、それこそ断捨離への厚い思いを感じ取ってもいたのだった。
こういうおいらも「断捨離」には思いを強くしており、この年末こそは断捨離を断行したいという密やかなる計画を抱いているのだ。引っ越しの度に数を減らしていた書物は最近になってまたぞろ数をとかすをを増やしており、我が家における余計な収容スペースを要している。一度読了した書物を手元に置いておく意味などはほとんど無いことを、「断捨離」以前の考察から感じ取っていたのであり、何とか早く処分したいと思っているところなのだ。
だがいかんせん、生来のものぐさ的性格が災いして、未だに成し届けないままのおいらなのである。
ところで「断捨離」関連のベストセラー本は、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏によるものである。ともに「ときめくもの」か否かを捨てるか捨てないかの基準に置いているようであり、ときめきの無いものなどはどんどん捨て去ってしまいなさい! というメッセージを発信している。このメッセージが新鮮に映るのは、今日的な社会状況が背後に控えているからに他ならない。
誤解を恐れずに書くならば、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏による書物などはまやかしであり、本来のヨガの精神とはほど遠いものであると云ってよい。まやかしが跋扈するという現代日本社会を象徴しているかのごとくの「断捨離本」に関しては、疑ってかからなければならない。ヨガや或は禅宗の教えとも連なる本物の断捨離を行なうには、おいらもこから勉強しながら技を磨かねばならないということを痛感しているのである。
師走のこの時期になると、買い物客でごった返すのが上野のアメ横。ほぼ毎年のように暮れ正月の帰省前にはここアメ横に立ち寄って買い物をしていくおいらである。今日はその下見も兼ねての散策である。「庶民のアメ横 楽しい買物」という巨きな横断幕が入り口で迎えていた。
マグロ、カニ、ホタテ、等々、鮮度良好の魚介類売場に混じって、伊達巻、カマボコ、等おせち食材の売場も賑わっていた。おせち食材は多少ものもちが良いことから、今ごろが購入のピークだと見られる。そしてここアメ横だからこそなのだろう、クリスマス関連ものがほぼ見られなかったことがとても新鮮に感じ取られた。
上野から御徒町にかけてのガード下界隈には、古くからの居酒屋が林立している。やはりここはいつもの「佐原屋」にて一杯引っ掛けることになる。身体が温まるおでんとともに、これまたいつもの「納豆とんぶり」を肴にしてホッピーで喉を潤す。
もう一週間もしないうちにお正月を迎えるが、「佐原屋」はといえば、チェーン店ではなく自営店であることを良いことに、9日までの長期休養が予定され、母さん、娘さんはじめとして店員嬢たちは、今から浮き浮き気分の様なり。
新しく発見したメニュー「ハスキン」を注文。出てきたのは蓮のきんぴらであった。どおってことは無い、が、好きなメニューであることには違いなく、蓮根のシャリシャリした触感をかみ締めつつ、師走のときを過ごしたのでありました。
八王子市南口にあるラーメンのデパートこと「宮城」。ご存知「ファンキーモンキーベイビーズ」が売れない頃から贔屓にしていたラーメン店であり、ファンモン考案の「ファンモン麺」は、全国から彼らのファンが食べにくるくらいに全国区のラーメンメニューだ。
本日は同店で、変わったラーメンを食したのだ。その名も「このトラーメン」という。命名者でありメニューの発案者、はお笑いコンビ「次長課長」の河本次長だという。
このラーメンの特徴と云えば、白味噌味のスープに細麺のストレート、そして刻んだタマネギが大量にトッピングされていること。トッピングされた刻みタマネギは、八王子ラーメンの基本を踏襲しており、熱々の味噌スープにも、良いハーモニーを奏でていた。
発案者の河本次長はこれに「七味」を大量に掛けて食べることを勧めている。だがこの七味はラーメンには似合わない。どう味わっても似合うことは無いのである。
■宮城
東京都八王子市子安町4-26-6
TEL 0426453858