都内の居酒屋で「桜海老のかき揚げ」を食べた。
ほんのりと甲殻類特有のあまい香りが鼻腔を突いた。ピンク色の色合いから春の食材をイメージしていたが、実はそうでもないらしく、今頃が旬なのかもしれない。ピンクたっぷりのかき揚げを眺めていてそう思った。
都内で食べた桜海老はどこの出身なのかは判らないが、静岡県の由比地域では今頃は桜海老の豊漁が続いているのだ。多分この辺りの漁港から運ばれてきたものであろう。
東京電力は20日、福島第一原発の事故調査について最終報告書を公表したという。
http://www.asahi.com/politics/update/0620/TKY201206200550.html
その内容たるや、まさしく盗人猛々しき様なり。何しろ重大事件の被告人が何を思ったか、被告の座に座ることなく重大事件に関する判決文を認めていたということなのであるからして言語道断であり、こんな代物を発表させた東電当事者たちの人間性を疑うものである。
こうした報告はまさしく、刑事被告人に対して判決文を書かせるというに等しくナンセンス極まりないものである。マスコミもどの程度この現実を認識して報道しているのか、はなはだ疑問が生じているのだ。
そもそも国会や民間の事故調査に東電関係者は取材拒否をしていたらしい。そんな集団が、自らの調査報告を出すこと自体がおかしい。おかしいと感じないらしい当事者たちの非人間性は筆舌に値するものがある。
以前も書いたが、勝俣東電元会長の刑事的責任は免れない。法曹関係者は何よりもまずこうした責任者を刑務所に入れる手段を講じねばならない。そうでなければ我が国の司法の意義は無いと云って良い位である。
昨日はトラブル続きの東北新幹線内の作業にてアップできなかった、宮古市内「浄土ヶ浜」の絶景をアップしておきます。
訪れたのは一昨日の午後3時ごろであった。雲は素早く流れていき、それに伴い島々への光さす風景は常に変化していたのであった。光景の変化はすなわち此処「浄土ヶ浜」の魅力でもあり、時間時間で刻々と変化する光景に見惚れていたのである。
此れこそは圧倒的な自然の営為に基づく風景(ビジョン)なのである。数多の芸術作品がその全てを人間個人の営みに負っていることを考えれば、大いなる自然の描いた絶景的風景は、人間の営為を軽々と越えていると云ってもよいかもしれない。それくらいに圧倒的な光景に遭遇していたのだった。
東日本大震災による甚大な津波被害地の宮古市を訪問した。死者、行方不明者あわせて1000名を超える犠牲者を生んだ、最も過酷な被災地の一つである。
宮古駅を降り、先ずは景勝地として名高い「浄土ヶ浜」へと徒歩で向かった。バスやタクシーを利用すれば10分少々の場所柄であるが、自分の足で歩くことを課していたのだった。そしてその予測的被災風景は、途中の魚市場周辺にて出合うこととなっていた。
宮古市内での最大被災地「田老」地区では、日本一との謂れの防潮堤を易々と津波は乗り越え、その最大潮位は37.9メートルにも及んだとされる。魚市場のある宮古漁港界隈は、巨大な港の津波の猛威に為すすべもなく侵食されてしまったことがうかがえる。
かつてTVニュースで流れた宮古を襲った津波の映像の多くは、宮古市役所庁舎から撮影されたものであり、市役所の1、2階は泥流で押し流されており、死と隣り合わせの建物であったことが推測されるのである。
港の市場にあった「シートピアなあど」という施設は未だに営業再開には至らないのだが、「なあど食堂」という仮店舗の店がオープンしていたので、立ち寄ってみることにした。
地元民に愛された食堂らしく、ラーメンや丼ものメニューが並んでいた。おいらは「磯ラーメン」を注文し、その磯の香り漂うラーメンを満喫したのであった。青海苔、芽昆布、イカ、海老、ホタテなど、磯の香りの食材をふんだんに使って独特の味わいである。中でムール貝ににた貝類がトッピングされていたのでおいらは「この貝は何という名前ですか?」と問うてみたところ、
「この辺りでは『しゅうぎ』と呼んでいます。外国では『ムール貝』と云う名前の貝です」
とのこと。地元名が冠せられていることは取りも直さずポピュラーな食材だということを示している。ムール貝が宮古の周辺で溶け込んでおり、日常的に食されていることは驚きであった。
改めて記す必要もないだろうが、この「磯ラーメン」には満足至極。天晴れの称号を贈呈したいくらいだ。
夏油温泉の朝は早かった。川のせせらぎ、鳥の鳴き声、喧しいほどのかえるの合唱、等の自然の音の響きを耳にしながら目を覚ました。未だ時間は5時に至らないときだが、窓外は日の光を帯び、部屋には薄日を運んでいた。前日の豪雨とはうって変わった好天気に恵まれた。
昨日は豪雨でゆっくり入れなかった露天風呂に早朝入浴することにした。ここでもかえるの合唱は喧しく、しかも傍を流れる夏油川は更に活発なる音を立て続けている。自然が醸す物音に諧調は無く恐らくは乱調ばかりなのではあり、それゆえに人間を素にしてくれるのだろう。整った音楽が醸す音色以上に乱調的自然の音色には癒される。
ところで、かつて江戸時代の温泉番付にて「東の正大関」との称号を与えられていたのが岩手北上郊外に位置する「夏油温泉」であった。称号授与された当時は横綱という位は無かったとみえ、温泉番付にて実質的な東のナンバー1と云って良いのである。
先日はつげ義春さんによる「つげ義春の温泉」の夏油温泉の写真を目にして以来、ずっと夏油温泉が恋しくなり、今回は云わば発作的に訪れたと云う訳なのである。つげ義春といえば秘湯温泉、秘湯温泉といえば秘湯のナンバーワンの夏油温泉、夏油温泉といえばつげ義春さんなのである。この鉄板の強固なる連想的トライアングルは、夏油温泉への愛着を一層高めるのであった。
テレビも無く、ネットも繋がらず、余りあるのが時間ばかりの昨晩は、地元産の清酒「鬼剣舞」のワンカップを数杯飲んで健やかな眠りについていた。早朝の目覚めはすこぶる快適な体験であった。こんな秘湯は滅多に無い。
何時もの居酒屋にてホッビーとエシャロットで一献。ラッキョウが早生的に刈られたものだと云うのだが、ラッキョウとはやはり異質の食物であるとの認識である。
酢漬けのラッキョウに比べて香味が豊かであり、更にはブーンと鼻腔に抜ける鮮度がたまらない魅力である。
脂っぽいつまみを食した後にはもってこいであった。今日は串カツを食べたのだが、久しぶりの揚げ物の諄さが緩和されていた。それどころか、まだ更に食欲を旺盛にしていたのである。
ラッキョウは生では食べ難いがエシャレットは食べ易い。そういう点では日本料理的食材である。
カツオの土佐づくりの脇役でもあるということであり、今度試してみたいという思いを強くしている。
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旅好き、温泉好きの漫画家、つげ義春さんの文庫本としての新著である。いつもの書店にて偶然に発見して買い求めていた。
岩手、青森等々の東北地方から始まって、関東・甲信、九州・近畿の、夫々の鄙びた温泉地の写真がまとめられている。それら全ての写真の撮影者がつげ義春さんであり、そのほとんどが、東北地方の湯治場温泉地で占められている。
つげさんによる写真画といった印象の一冊である。
昭和時代の湯治場温泉地の風情が滲み出ており、平成時代の今では懐かしい、全くといって良いほど異質的な昭和の風情である。
その画質はちょっとピンボケどころか、とてもアウトフォーカスが施されており、それは古きフィルムと古き良き時代のレンズによるものであることが推察されている。
猫も杓子もデジカメの時代にあって、このようなアウトオブフォーカスなるビジョンがもたらす懐古的ビジョンにはとても引き付けられるものがある。
おいらがかつて訪れた温泉地もあれば、未だ未訪問の地の温泉地もある。東北の温泉地でもまだまだおいらが未訪問の地は多く在った。
数ある写真の中でも注目したのは、岩手県の「夏油温泉」の写真群であった。湯治の場所としての風情は格別であり、しかもすこぶる開放的である。今年もまた「夏油温泉」を訪れたくなってしまった。
サッカーアジア予選の日豪戦。ひょんなことからサッカーファンが大勢集う酒的交流場での観戦となっていた。サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー。とても後味が悪い印象の試合となってしまった。
実質的に勝っていたはずの試合が、審判の不可解な判定によるPKと、その結果としての同点弾の被弾。まさかのドローではあった。
アウェーでの試合ではドローもまた意義のある結果かもしれないが、それにしても勝てた試合であるのを審判のミスジャッジで駄目にされたのだ。納得いかないのは当然である。アウェーでのハンディなのか? 否、サッカー後進国のハンディーなのか?
もともと納豆は大好きであるが、近頃は食する機会も減ってしまったようだ。朝御飯を焚く機会が少ないうえ、朝食も外食で済ませてしまう傾向が続いている。たまに「吉野家」等の朝定食で納豆を食するくらいに疎遠となってしまったのだ。
それかあらぬか最近では、晩酌の友に「納豆」の出番が増えたのである。焼酎、ホッビーを飲みながらの納豆のネバネバ感はけっこう相性が良い。ねばねばした口腔内を爽やかなホッビーが洗浄していくようでもある。これはご飯と納豆との関係以上の親密性かもしれない。
本日注文したのは、納豆とマグロ、イカ、タコ、サーモン、白身魚と云う五色の海鮮食材、さらに卵黄、葱、海苔、沢庵漬け等が一緒になっている。それを箸でかき混ぜれば、程よいネバネバの食感と共に、渾然一体となった納豆の香りが鼻腔を刺激するのだ。
海鮮ものと納豆との相性は頗る良く、手軽な酒のつまみでもある。朝食での登場が減った「納豆」という食材が、夜の晩酌の友として復活したのである。
先日の野田佳彦の、突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした。
「国民生活守るため必要」だなどと云うまるで大勘違いのコメント共に記者会見を行なっていたのだから尚更ではある。
野田佳彦という男はまるで勘違いの権化である。
極めて悪い意味での自己満足、大衆迎合、保守反動、劣悪謬見、自己憐憫、のかたまりである。
こんな人間を首相にしている我が国の悪しき国民性の性格が否が応でも浮き彫りにされるのである。
こんな馬鹿首相については、かつて掲示板上にて誰かが主張していたように、徹底的に病理学的解剖やらを行なう必要がありそうだ。
そしてこんな言辞をマスコミ媒体が真に受けてしまうことこそ我が国の病弊が潜んでいるのかもしれない。
昨日から「痛風」の発作に見舞われていた。およそ1年半ぶりの発作であった。特に昨晩からの疼痛は耐え難いものであり、睡眠時間もおよそ3時間程度しかとることができなかった。
かねてより痛風発作の原因物質である「プリン体」摂取を控えることを心がけてきたが、ついつい油断が生じていたようであったのだ。
時々、生ビールなどを注文するようになっていたし、レバー等のモツ焼き、鱈子や筋子等の魚卵類、おいらの好物である食物を、少しずつ増やしてしまっていたからではある。
5回目くらいの発作ではあるが、疼痛の程度は今回が最も強かったのであり、初めて、痛風専門の医院を訪れていた。発症箇所の足の親指はより根元に近づいていた。
医院では靴下を脱いだ足を見せつつ、女医さんに疼痛の緩和治療を訴えていた。妙齢の女医さんは微笑みつつ、
「8割がた痛風に間違いありませんが、症状が治まってからの治療が大切です。痛みが引いた後も受診してください」
「強い痛み止めの薬を出しておきます。静脈注射で炎症を抑える注射をしておきましょう」
と優しい言葉を掛けてくれていた。
一晩続いていた激痛は、注射後1~2時間で引いていき、今は多少の違和感や腫れがあるものの大分回復したのである。医療内容の印刷物をチェックしたところ、静脈注射は「リメタゾン」と云う、主にリウマチに対して処方される聞き慣れない薬剤であった。
近頃では俄かにマスコミへの露出が増えているのが野田佳彦首相であり、とても切迫した政局の一面が浮かび上がってくる。本日は内閣改造だという野田内閣のやりくりであるが、それに伴って「政治生命を掛けて云々」の欺瞞が益々浮かび上がっているのである。
大飯原発の再稼動における強硬姿勢が一つであり、もう一つの要点が、消費税税率アップに関する欺瞞的発言である。
予め示しておくが、おいらは消費税の税率アップに対しては反対ではなく、基本的には賛成である。その時間的な実施については様々な論が飛び交ってはいるが、小沢一郎氏の論拠には与する事はできない。だが、何でもかんでも消費税アップによって我が国の政治経済状況を好転出来る等という野田流のマスコミ戦略に対して、とても強い反対の思いを強くしている。
「政治生命を掛けて云々」と云う文言は前時代の自民党の政治家が重用していた、ある種の定番的な言辞ではある。こんな文言を、民主党代表の野田氏が放っていること自体が、政治的混乱、困惑の原因ではあり、野田氏においては、過去の経緯や政権交代以前の過去政権の責任についての不要なメッセージを放すことの無いようにと願うばかりではある。
大連立と云う自民とのいかさまに陥るべきならずということを、声は小さいがここに発しておきたい。
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人気作家、伊坂幸太郎さんによる作品集の「PK」を読んだ。文芸誌による発表作品をまとめて昨年刊行された3部作。「PK」「超人」「密使」の3編の作品が収録されている。
表題作の「PK」は、サッカーの試合における「ペナルティキック」のことを指している。ペナルティエリア内での相手チームの反則により、PKのチャンスを得たヒーローが、その一撃を決めるというシチュエーションが、劇画のような筆致で描かれている。
筆致は劇画調であるが、テーマと云うのか題材は、政治、人生観、超能力、等々の現代日本人受けするものがてんこもりである。SF作品を得意としてきた作家がここへきて、こうしたテーマ作品に舵を取り作品発表を行っている。そのことは作家としてのビジョン的展開の一つではあるのだろうが、その必然性と云うものを感じ取ることは無かった。
最終的にはどの作品も、ある種の余韻という、いわば曖昧な領域へのビジョンへとつながり、エンターティナー的要素ばかりが刺激的に見受けられる作品集と云う印象なのである。
先日、地元の立ち飲み系居酒屋の店長から「ミノは硬すぎるのでお勧めできませんよ」という、ぶっきらぼうな言葉を投げかけられ、それ以来ずっと「ミノ」を食べる機会をうかがっていたおいらであった。
そもそもその店長には、「歯が悪いので硬い食べ物は受け付けない」とか「揚げ物類はメタボ的なので好きではない」などと、常日頃から鬱陶しい言葉を発していたのであり、その腹いせにか或いは好意的にか言葉を掛けてくれたものだと感じている。それでも折角注文しかかったメニューを拒絶されたというときは、とてもショックなる瞬間ではあった。食べたいものが食えないという立場に立たされたのだから、そんなことはおそらく数十年以上は無かったことなのではなかろうかと思いを巡らせていたのである。
そしてやっと、地元の別の店にて「ミノ」を食する機会に出くわしていた。
牛の4つあるうちの第1の胃袋である。開いた様子が蓑に似ていることから命名されたとされている。強烈な胃酸から自らを守るために強靭な壁が出来あがっているのかもしれない。
出されてきたミノは良く観察すると、細かく包丁を刻み込まれており、焼いて食べた時の食感も、そう硬いものではなかったのだ。ハモの骨切りではないが、ちゃんと噛み切れるくらいに包丁の技が光っている。これもまた世界に誇れる日本食の一つになるのだろうなという思いを抱きつつ、やはり硬さが光るミノを頬張っていのであった。