岡本太郎グッズに注目なのだ

全国的なものかどうかはさておいて、東京国立美術館「岡本太郎展」における岡本太郎さん人気は凄まじい勢いを呈しているようだ。会場前に設置された通称「ガチャガチャ」と呼ばれるグッズマシンでは、大勢のマニアが競うように行列を作って、太郎グッズを求めていた。

「岡本太郎アートピースコレクション」と名づけられたそのシリーズは、全部で8種類あり、8種が揃ってコンプリートということになる。どれが出るのか判らないが故に何十回もガチャガチャを続けるマニアが登場する始末なのだ。彫刻作品のミニチュア版レプリカであり、手元に置いておきたいというマニア心を刺激する。

おいらは収集マニアではないのでそこまではしないが、あの顔のグッズはぜひ欲しい。また機会があったらチャレンジしてみるつもりだ。

http://www.kaiyodo.co.jp/taro/index.html

サラリーマンの街、神田で「ひつまぶし茶漬け」を食す

神田を歩けばうなぎの店にぶつかる、というのは些か大袈裟ではあるが、サラリーマンの街こと神田界隈には、うなぎ専門店が多数存在している。例えば「西口商店街」の1本道を歩いただけでも3軒のうなぎ専門店に遭遇したのだ。

仕事の打ち合わせで神田に赴いたとき、そんなうなぎ専門店のうなぎ料理の「ひつまぶし」を食したのです。

ひつまぶしというのはご存知のように、うなぎの蒲焼を細かくして、重箱にまぶしたもののメニューである。まずはそのままにひつまぶしの美味しさを味わい、途中からはお茶をかけて「お茶漬け」にして食べるというのが一般的な食し方なり。

一つのお重箱メニューで2度楽しめるということから、このような食べ方が広がっていったのだ。

お茶漬けにしたひつまぶしは、香ばしいうなぎの身とお茶の爽やかさが相俟って、とても美味なる味わいのハーモニーというべき味覚を愉しませてくれたのでした。

庭のチューリップが緑色の蕾を見せた

去年の秋に球根を植えたチューリップが育ち、緑色の蕾を見せていた。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2354

去年は植えてからもなかなか芽を出さないでいたので、一時はあきらめてほうっておいたのだが、おいらが知らないうちに芽を出してすくすく育っていたのである。それだけ長い期間に根を張って育っていたのだから見事である。

カラカラの天候が何日も続いていたのに、よく育ってくれたものである。肥料をあげた覚えもない。葉は瑞々しく、葉脈の中には生きた細胞が詰まっていることを示していた。

久しぶりに近づいて葉脈の中を覗いていると、緑色した蕾を発見。その姿はまるで嬰児のように小さな産声を発して泣いているようにも見えたのだ。

もう少ししたら、原色の花を咲かせるのだろう。だがつかみ取りで入手した球根なので、何色に色づくのかも見当がつかない。早く見てみたいものなのである。

秋刀魚の開きには日本酒の熱燗がよく似合う

富士山には月見草が、カレーにはらっきょうが、そして、秋刀魚の開きものには日本酒の熱燗がよく似合うのである。

本日、地元の小さな居酒屋に立ち寄り、いつもの串焼きを食していたのだが、隣の客が秋刀魚の開きなどを注文して焼いている姿などを目の当たりにして、おいらも思わず同じものを注文していた。

そうして冷凍秋刀魚の開きの焼き物にありついたのであった。秋に収穫される秋刀魚がこの季節に出ているというのは、ほぼ全てが冷凍の開きものであることは明らかであった。だがおいらは無性にそれを食べたくなってしまったという訳なのであった。

こんがりと焼けた冷凍秋刀魚の開きが目の前に出てきたときに、甚大なる食欲とともにふと欲しくなったのが日本酒の熱燗であった。魚の開きに日本酒という、これくらいに相性の良い取り合わせはほとんどないのではないかと思えるくらいに秀逸な関係性を保っている。

魚の開きがあってこその日本酒であり、日本酒の特に熱燗があってこその魚の開きなのである。この強固な関係性は、他のいかなる食文化にも対抗できるほどの強烈無比なものなのである。そう確信しつつ、本日の筆ならぬキーボードを置くことにする。

中華版「レンコンの甘酢漬け」を味わったのです

中華料理店でメニューをめくっていると「レンコンの甘酢漬け」というメニューが目に付いてハッとした。今年の芥川受賞作品「きことわ」にこのメニューが登場したことを想い出したからだ。当ブログでも以前にそのことを記している。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3269

主人公・貴子さんがこのメニューをつくり、父親がその味にいたく感激するというシーンがある。葉山を舞台にしたこの小説世界の中で、重要なシーンを占めるこのメニューこそ、葉山的なセレブ料理であり、日本的なものだと思い込んでいたからだ。だが中華料理店にてこのメニューがあるというのは一体どういうことなのか?

早速注文して食してみた。甘酢の味付けは中華料理にしては珍しいくらいに控えめな味わいだ。繊細でもある。サクサクとしたレンコンの食感と甘酢とのハーモニーが絶妙に似合っている。

中華と繊細という概念はまるで対立するようなイメージだが、こと「レンコンの甘酢漬け」を味わう限りにおいて、対立ではなく調和が支配している。

ただ日本料理との大きな違いは、かつおや昆布の出汁が用いられないことである。日本の酢ものといえば「三杯酢」に象徴されるような、かつお出汁に酢や醤油、味醂をあわせて味付けされるのが基本だ。中華の甘酢漬けというものは、この日本料理の基本を踏襲することはない。そもそも出汁を活用するという食文化が無いのだ。

おいらが以前に調理したものに比べると、小ぶりなレンコンであることと、それが白化粧されているかのごとき見てくれの白さが際立っている。醤油や味醂を使用していないのが大きな違いだろう。

自分の料理が勝っているなどと云うつもりはないし、日本料理と中華料理の甲乙を判断しようなどと云う企みも持ち合わせていない。中華料理が日本料理を真似しようとしたのか? あるいはその逆なのかもしれない。こんな国際交流はあって然るべきであるし、これからもどんどんと増えていくのであろう。

和風ハンバーグのような「巨大つくね」に感激

行き付けの中華食堂の、日本人の経営による料理店に行ってみたところ、やはり中国人はとっとと帰国の便についていたようなのである。余程、地震や放射能に弱いのであろう。

日本政府をはじめとしての公式情報ではない色々の情報が行き交っていることなのであろうと想像される。こんな時こそ、日本人の日本人による正しい情報の遣り取りが求められている。

本日訪れた行き付けの店では、大震災以来中国人従業員の多くが帰国してしまっていて大変なのだと語っていた。

そこで食した新メニューが「大つくね」だった。まるで欧州料理における「ハンバーグ」のような風貌である。だが少し違っていた。姿形の違いだけではない。その違いは、西欧料理の主役でもある肉料理を日本的に味付け調理したというこん跡が認められていたということからのものである。

材料は酷似しているが、食材に対しての調理法はかなりの事柄を異にしていた。確かにどちらも美味いのではあるが、日本の食材とその調理法にてその旨味をアピールする方法がとても新しいことなのであった。和食の概念を一新したと云ってもよい。

中華の「ジャージャー麺」は盛岡のとはちょいと違う

東北の盛岡で食して以来、おいらは「じゃじゃ麺」の熱烈なるファンである。本日はそれと似て非なる「ジャージャー麺」を食したのであり、また新たな出逢いに遭遇したのであった。

大震災の後には一時休業していた中華料理店が開いていたので、訪れてみたのだった。そこで食した「ジャージャー麺」は、確かに美味しかったのだが、盛岡の「じゃじゃ麺」に比べると、ちょいと物足りない食べ物だと感じ取っていた。

「じゃじゃ麺」の麺が太いうどん様のものであるのに比べて「ジャージャー麺」は一般の中華麺である。その食べ応えの無さが先ず挙げられる。そして、海鮮食材が豊富な具沢山の餡の味覚は、盛岡仕様のものに比べると、いささか物足りないものであった。冷凍の海鮮食材が盛られていたその麺類は、お腹を膨らますものとしては充分であるが、味覚を満足させるものではなかった。

元来は「じゃじゃ麺」の元祖が中華の「ジャージャー麺」であり、オリジナルな評価で云えば「ジャージャー麺」に分があることは明らかである。だがしかしながら、食の愉しみを満足させてくれるメニューとしては、「じゃじゃ麺」のほうが上手である。日本の地域に根付いたこれらのメニューに、天晴なのである。

敏子さんあっての岡本太郎だったことを、改めて思う

本年が岡本太郎さんの生誕100周年と云う事情もあり、岡本太郎がおいらにとってのマイブームとなっている。

我が国の美術家たちの中でも太郎さん以外に好きな作家は数多存在しており、青木繁、佐伯祐三、福沢一郎、司修、等々と挙げればきりがないくらいだが、中でも岡本太郎さんくらいにストレートにその生き様に憧憬を抱かされた芸術家は居ないだろう。

上手にマスコミを利用し、操り、ときには道化の役割を担いながらも、彼独自の強烈なメッセージを発し続けた、そんな太郎さんの生き様は、些かも薄れることなく現代にその光彩を放っている。

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本日読んでいたのは「日本の伝統」という一冊。おいらも思春期の頃に熱い思いで読み込んでいた一冊である。元本の「日本の伝統」(光文社刊)の出版が1956年と云うことであり、ゆうに50年以上の月日を過ぎているが、そのメッセージは色褪せることがない。太郎さんが45歳のときの、日本文化全般を扱った名著である。

改めて読み進めるにつれ、言葉の表現力の多彩さ、強烈さ、ユニークさに圧倒させられていた。そしてその陰には、岡本敏子さんというパートナー、実質的な夫人の存在の重みが強く感じられたのである。

敏子さん、旧姓平野敏子さんと太郎さんは、太郎さんが36歳の頃に出会い、それ以来、実質的な妻としての敏子さんの陰日向における活躍があった。太郎さんの難解で突拍子もない言葉の意味を理解しながら、それを一般市民へのわかりやすい言葉として翻訳していく。更にそれのみならず、活き活きとした息遣いが増幅された言葉として、紡ぎだされていたのである。よくある「ゴーストライター」としての仕事を遥かに超えている。まさしく敏子さんあっての岡本太郎のメッセージだったのであった。

余談になるが、何故太郎さんは愛する敏子さんと結婚しなかったのだろうかという疑問が存在している。晩年に敏子さんは太郎さんの「養女」として、岡本籍に入ることになったのだが、何故に妻ではなく養女だったのかという疑問だ。フランスナイズされた「独身主義」を通すためだとか、母親(岡本かの子)の存在が理由であるとかの解説がなされているが、それだけで了解できるとは云いがたいものがある。

仏蘭西滞在時代の太郎さんは相当なプレイボーイであり、ガールフレンドの数はとても多かったという。そして帰国してからの生活はといえば、ガラっと変化してしまったのかもしれない。一人の女性に満足できずにいた太郎さんの姿がイメージされる。

それでも二人は永遠の同士だったのであろう。太郎さんの思いを何倍、何十倍にも増幅させて、敏子さんが言葉を紡いでいく。驚くほど深く強固なパートナーシップであった。

地元居酒屋の「ままかり」で一献傾けたのです

先の週末から今日までにかけて障害となる「計画停電」はほとんど実施されず、関東圏居住者は平常な生活を取り戻した様にも思われる。東北地方で被災した人たちには申し訳ないが、これが復旧、復興の第一歩となることを願うばかりである。

大震災の直後からは店仕舞い、国外逃亡をしたかに思われていた、中国人の経営による中華料理店にも明りが灯り始めている。「節電営業中」等々の貼り紙を貼って通常営業の一歩を始めたというところだろう。

放射能が恐くなって帰国した中国人も多いと聞くが、とりあえずは原発関連ニュースで収束の方向だととの情報を得て、国外逃亡を回避したのかもしれない。

さてこんな今宵は、地元の居酒屋で久々に一献を傾けていた。そして美味しい「ままかり」のつまみなど食していたので報告しておきたい。

「ままかり」というのは小さな青魚を酢漬けにしたものである。ニシン科の魚で「サッパ」と呼ばれる魚が原料とされている。「まま(ごはん)にあやかりたい」ということから命名されたというのが一般的な説だが、定かだとは云えないようだ。

しかしながらに確かにご飯が食べたくなったのである。ご飯を注文、オーダーすることは、通常の居酒屋ではご法度の様でもあり、今回は控えていたのである。

がしかしながら機会があれば自宅ででも何処でもだが、「ままかりご飯」を味わいたい、食したい。そんな思いを強くしたのでありました。

八王子「福の湯」のコーヒー風呂で温まってきました

帰宅途中に銭湯「福の湯」の看板を見つけて、ひと風呂浴びて帰ってきたのでした。その「福の湯」では大浴場の隣に「コーヒー風呂」というコーヒー色した浴槽があり、試しに入ってみたところ、いたく感動したわけなのです。

小さな浴槽で漢方湯をはじめとした様々な湯船に入ってきたが、コーヒー湯というのは初めてだった。湯船の前にある説明書きには、

「カフェインとテアニンが皮膚を引き締め、美肌がどうの…」

云々といった効用書きがあった。しかも

「コーヒーの芳醇な香りが気分をリフレッシュして…」

云々とまであっては、入って温まらない手はなかったのである。

コーヒーが果たして美肌に効果があるとは思えないが、何よりも香りを愉しめた。インスタントコーヒーを浴槽にばら撒いたのではなくて、確かにコーヒー豆の入った麻袋が浴槽の片隅に添え付けられていたのである。それを手にしたときのおいらには、淡いコーヒーの香りが漂っていた。

現在、自宅の風呂釜の調子が悪く、外で風呂を浴びる生活が続いている。健康ランド等の入浴施設を利用することが多いが、本日改めて、銭湯の良さを実感したのだ。

本日これから、「銭湯散歩」というテーマを、当ブログに加えていきたいと考えたのでありました。

久々に食したバチマグロの握りは美味かった

行きつけの寿司店で、勧めのメニューにあった「バチマグロ」の握りを食した。美味であった。

本マグロや黒マグロほど高価ではないが、マグロの特徴的な味わいを充分に愉しむことが出来る。握り寿司はマグロからというのが代表的な日本人の味覚のようだ。常々「マグロよりカツオが上等」という主張を行なっているおいらなのだが、流石にこの味わいのポピュラリティーは認めざるを得ないものがある。

バチ、メバチ、メバチマグロ、等々、地方によって呼び名はまちまちであるが、おもに日本近海の漁場で収穫されている。体型はずんぐりとしていて2m程度が標準である。

前記とだぶるが決して大型の高級マグロではない。けれども江戸前の食材としては、たぶんこちらのほうがメイン食材であったと想像されるのである。

公園の早桜が三分咲き

八王子市内の公園では桜が咲き始めていた。三分咲きといったところだろうか。来週あたりは早桜の本番が訪れると思われる。

春はすでに到来しているのだが、それに触れようとする人は極めて稀なようだ。これが日本人の習性なのだろう。おいらだって、桜が咲いたなどと大はしゃぎしたいわけではないのだ。

一見して自粛ムードが満開の昨今であるが、テレビの一部番組は軽薄なお笑い番組の垂れ流しを始めている。

タモリやその他笑いの巨匠が一時的にテレビから遠のいていたのは幸いであったと感じさせてしまう。彼らは今この時点で他にやることがないのだろうか? 極めて異常なテレビ関係者たちの姿であると受け取っている。

八王子市夢美術館「夢美エンナーレ」展での投票結果発表

以前にこのブログでも触れたが、八王子市夢美術館にて開催された「夢美エンナーレ」展が昨日終了しし、参加者の投票による受賞作品が発表された。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3451

http://www.yumebi.com/acv25.html

小嶋大慶氏の作品「八王子車人形の自画像」が大賞に選ばれた。地元の伝統芸能である人形浄瑠璃の一種である車人形をモチーフにした作品である。本人も人形遣いをするようだ。八王子市内にある「造形大学」の学生だという。こんな地元の伝統をモチーフにした作品が、若い作家によって描かれたと云う事は、この時に初めて知ったのだった。

準大賞は飯塚景氏の「言葉にならないものは沈黙しなさい」と、新出こずえ子氏の「Ancient Blues」の2点。

予め予想していたのだが、これらの作品は、おいらは投票しなかった作品であった。これらの伝統的な作品に対して、おいらは肯定的に投票しようという思いは抱けなかった。

おいらの投票した3点(一人3票の投票が許された)の中で、奨励賞に選ばれていたのが阿山隆之氏の「水牛と鳥」である。1973年生まれと云うことなのでそれほど若くは無い。先日は若いエネルギー云々という評価をしたのが誤りだったのかもしれないと、忸怩たる思いが去来している。

年齢的に若い作家が伝統的なモチーフに埋没しているとともに、そう若くは無い作家が奔放な作風で魅了している。こんなギャップがあったのかと、いま改めて認識を新しくしているところなのである。

東電に踏み絵を踏まされたマスコミ関係者に猛省を求める

週末以外はほとんど毎日のように、多摩地区には「計画停電」が襲っている。今宵もまたそんな停電に遭遇した。

予め判っていた停電だが、関東住民の全てがそのように整然としているわけではない。現在の計画停電情報は、ホームページ上で予告されるものが現実的な唯一の情報でもあり、ネット未使用者にとってはとても不親切なものに感じさせている。現においらの実家などでは、何時来るかわからない「計画停電」に、とても戸惑わされているのが実情なのだ。

テレビでは告知できないということが、東京電力による「計画停電」問題の一つのポイントとなっている。同じ市内でもグループが違うということが、混乱に拍車をかけている。しかも今日の発表によれば、グループをさらに細分化するのだという。まるで東京電力の思うがままの行政政策によって関東市民の生活が牛耳られているといってもよい。

現状が極めて不条理な現実にあるのだということを、関係者の全てが自覚するべきである。これらについての啓蒙が不充分であることは、大手電力会社によるマスコミ操作に要因があることを想像させるのだ。

東京電力をはじめとする大手電力会社はこれまで、数多くのマスコミ関連に対し、「原子力発電は安全である」という誤ったメッセージを発信することを強要してきたといえる。そしてその為に、数多くの傀儡マスコミ業界の運営に力を注いできたという現実がある。

かつての知り合いの出版編集プロダンション社長は、東京電力のパンフレットの編集を手がけていることをおいらにアピールするとともに、「今の時代に“反核”なんて事を云っていては駄目なんだよ。核開発は安全なんだよ…」等々と、呆れた主張を述べていたものだ。いくらかの収入のために、とうのほんにんみずからが踏み絵を踏まされたと云う事も自覚せずにいるとは、まるで馬鹿げた呆れたマスコミ人種であったのである。

このような類のマスコミ操作は東電はじめ電力会社の力をもってすれば、日常的なものであったろう。東電の「踏み絵」を踏んで、良心を捨て去った関係者、当事者たちには猛省を促したいと思うのだ。

岡本太郎さんの青春が投影された「青春ピカソ」

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岡本太郎さんの生誕100年記念の今年、書店のブックフェアにて「青春ピカソ」を購入し、読了した。

「ピカソに挑み、のり超えることがわれわれの直面する課題である。」という、巨大な意志を持って制作活動を行なった太郎さんによる、極めて個人的なピカソ論となっている。「個人的な」という意味は、ピカソを超えたいという太郎さんの切実な思いに加えて、ピカソという愛するべき存在に自分自身のありうべき姿を投影しているからだろう。

太郎さんは生涯に2度ほど、絵の前に立って涙を流したという。その一つが「セザンヌ」であり、もう一つが「ピカソ」だった。そのときの岡本太郎さんが放ったという言葉が凄い。

「ピカソの作品は私とともに創られつつあるのだ。」というのだから。

その後の太郎さんの活動はまさに、ピカソとともにあったのだろう。果たしてピカソを超えることが出来たのかは不明、否定的であるが、太郎さんだからこそ挑んで花開かせた世界がそこにあった。

「春の雪」襲来の夜に「タラチリ」を食したのです

まるで「春の雪」の襲来したごとき寒波が襲った夜に、「タラチリ」をつくって食した。豆腐、タラ、白菜、葱、昆布、の急ごしらえの、スローフードの鍋だった。

暦は季節を先取りする。季節は春分の日も通り越して、すでにれっきとした春なのである。春なのに雪が降るとはけしからんなどと云いたい訳ではないのだ。春の季節に雪があるという光景はある種の怖れ、自然への畏怖を感じさせるものである。そもそも自然は人間どもによって管理、コントロールされるものではけっしてないし、人間にとってそのような権利もある訳が無いのである。このような奢りは全ての人間には認められるものではない。

奢るものこそ久しからずなのである。日本国民みずからが奢ることなく、自然の摂理と向き合っていくことは人間としての基本的な掟である。とても陰鬱な夜ではある。少なからずの放射能に汚染された、核の脅威を含んだ春の雪が降ってきたのだから尚更なのでもあった。

さて、寒い夜には「鍋」に限るが、急ごしらえの鍋として食したのは「タラチリ」であった。豆腐、タラ、白菜、葱、昆布、等の食材を集めて鍋にしたシンプルな鍋だが、しかしながらこの取り合わせには絶妙なハーモニーを感じさせるに充分なのだ。おいらも大好物であり、シンプルでありながら食の文化を感じ取ったメニューであった。

余談になるが、おいらが幼少期、青少年期の頃に、「湯豆腐」といえば「タラチリ」のことを指していた。だが上京した頃をさかいにして、日本全国の常識に照らし合わせればそうではないらしいことを認識していた。とくに上方、京都出身の友人などは、

「タラの入った鍋は湯豆腐ではない」
「湯豆腐は豆腐を味わう伝統的な食物だ」

等々の薀蓄を聞かされたものだった。まるで「湯豆腐」は「タラチリ」より上等なメニューであるかの主張であり、おいらはこれを認めることは出来なかった。今宵は纏めることも出来ないのだであるが、その反論もいずれ述べていきたいものである。

パプリカ入りのチャプチェはいける。お勧めの一品

大震災後の食品流通事情の悪さの中で、控えものとして地味に並べられているアイテムを使った料理をレポートしていきたい。先日の「カレー」に続いて取り上げるのが「チャプチェ」である。

即席麺、カップラーメンに続いて、うどん等の乾麺もまた品薄となってきているようだ。そんな中で控えめに並んでいたのが「チャプチェの素」。ご存知「チャプチェ」というのは韓国の代表的な春雨料理ではあるが、これまでおいらは特段に意識して口にしたことは無かった。春雨料理といえば「麻婆春雨」「春雨サラダ」等の中華料理がメジャーである。それに比べるとなかなか日本には馴染が薄いし、こと韓流マニアの中でもそれほど重要視されたというものではない。

だが、ある種偶然にこのメニューに接して食したときのおいらは、まさに新しき歓迎すべき味覚への遭遇に、心を動かされていた。この料理で用いられる春雨は、従来からの馴染のものに比べて太くて弾力性が高い。新鮮な食感が舌を撫で回していた。

そしてもう一つ強調したいのが、パプリカとのマッチングである。チャプチェとパプリカが、凄く良くマッチングするのであることは驚きだった。

「チャプチェの素」の調理食材に指定されているのが、ピーマン、ニラ、キュウリ、であった。ピーマンが不作していたのかどうかは知らぬが、棚に在ったパプリカの鮮やかな色彩に目を留めたおいらは、迷わずに籠に入れていた。そしてそれが大正解であったということなのだった。まるで果実のようなエキスが、韓国風の調味料には良くマッチングしていて美味である。新しさとともに新鮮な素材の魅力を感じ取っていた。

パプリカは近頃ではよく目にし、時々は調理に使用することがある。ピーマンに形が似ていて大振りで、肉厚である。ピーマンのような苦味も少ないため、子供に人気の食材だと聴いたこともあった。ピーマンを南国風にアレンジした食材という印象である。パプリカの本場国ハンガリー等では、生食にて食されるともいう、それくらいにマイルドなピーマンなのだ。

このように見た目がカラフルで味はまろやか、パプリカ入りのチャプチェ料理は、最近のおいらの家料理メニューの中では、新しく定番に加えたいくらいにヒットメニューなのでありました。

東京国立近代美術館にて「生誕100年 岡本太郎展」開催中

昨日も述べたように、今年が岡本太郎さんの生誕100周年に当たることから、数々の記念展が企画進行中である。中でも目玉となるのが、東京国立近代美術館にて開催中の「生誕100年 岡本太郎展」である。大地震の影響で一時開催が中断されていたが、3月19日(土)より再開された。

http://taroten100.com/index.html

同展は、プロローグ、エピローグとあわせて9章の展示室によって、それぞれに独立したテーマ性を持たせた展示方法がとられている。岡本氏が生涯にわたって追求したテーマのそれぞれが、それぞれ具体的迫真的な作品群とともに検証されていくわけであり、成程よく練り込まれて企画開催された堂々たる展示会となっている。

おいらが今回の展示会にて特別なインパクトを受けたのが、最初の展示ルーム「ノン」である。そこでは12体の彫刻作品が展示されているのだが、それら彫刻作品がものとしてのもつ存在感、躍動感、呪術性、神秘性、それに加えて岡本氏個人のオリジナリティーが充満しており、岡本ワールドを象徴しているようであった。

岡本太郎さんの数ある作品の中でも、完成度の高さと云えば、彫刻作品がダントツである。もし太郎さんが「ゲイジュツ家」としてではなく「彫刻家」として活動を行なっていたならば、日本国内の評価は変わっていただろうと思われる。太郎さんが忌み嫌った「わび・さび」の文化圏内において、もっと高評価が得られたであろうとともに、数々の文化勲章等をものにしていたことだろう。ここまでは、反語的な意味で書いていることを理解していただきたい。

太郎さんへの評価、関心は高まりこそすれ衰える兆しは無い。喩え世間の評価が衰えたとしても、おいらの評価はうなぎのぼり状態である。今年はとことん、岡本太郎という稀有な存在に拘って、当ブログおよび「みどり企画」関連の活動も続けて行きたいと考えているところなのである。

とりあえず此処では、同展示会の会場の中で岡本作品に出会っていただいて、岡本太郎をあらためて体験することを勧めておきたい。伝説的なモニュメントのレプリカもあり、彼の芸術論が展開された書物の展示もある。岡本ワールドの全貌を体験するにはもってない機会であることは間違いない。

同展示会の出口付近には、太郎さんのメッセージを受け取るというイベントコーナーがあった。ひとり一つずつのメッセージが「太郎の言葉」として提供される。ちなみにおいらが受け取った言葉は、下記のとおりであった。個人的に心を揺り動かされた言葉だったということを記しておこう。
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何でもいい。
見物人ではなく、とにかく
自分でやってみよう。
動いてみよう。
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■生誕100年 岡本太郎展
会場/東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
会期/~ 5月8日(日)
開館時間/午前10時~午後5時
休館日/月曜日[3月21日、3月28日、4月4日、5月2日は開館]、3月22日(火)※明日は休館です!注意してください

核の時代のメッセージを込めた岡本太郎の「明日の神話」

今年は亡き岡本太郎さんの生誕100周年にあたるとして、幾つかの記念展が開催、企画されている。書店では「岡本太郎コーナー」が設けられ、どこも足を止めて画集や著作本を開く人々で賑わっている。

本日の今にして改めて思うに、岡本太郎という芸術家の存在はまさに「核の時代」と云うべき今日の姿をモチーフ、テーマにして、旺盛な制作活動にあたっていたのではないかということだ。

渋谷駅ターミナルの内部には「明日の神話」という巨大なる壁画が展示されている。否々、展示等という一時的なものではなくして恒久展示としてのその壁画は、公共施設の心臓部に存在している。この壱事実をもって、岡本太郎という存在の重さを感じ取ることは容易である。それに加えて公共アートというものに対しての逸早い取り組みを、太郎さんは日本の誰よりも先駆けて行なっていたということを感じ取るのである。

些か前書きが長くなってしまった。3/11の東日本大地震がきっかけとなって発生した、原子力発電所の爆破事故という重大な現実に遭遇して、岡本太郎さんのかつて発したメッセージが心に響いていたというわけなのだ。特に「明日の神話」に込められたものこそ、今の現代人が受け取るべき大切なものが込められていると考えている。

壁画の中央にはのたうちまくっている骸骨が、そのとき(核の時代)の尋常ならざる光景を如実に示している。そして、それこそは、今の現実に引き起こされている光景でもある。

人間が自然界の全てを支配しコントロールしようとしてきたその結果が、核兵器の存在や核施設の建設へと邁進へと繋がってきた。そして今まさに、その崩壊が引き起こされている。

今こそ「核開発」などという悪しき言葉に惑わされることの無い、人間としての日常を取り戻すべきときなのであると思うのである。