チューリップの球根を植えたのです

近くの公園で開催されていた「植木市」会場で「チューリップ球根のつかみ取り」というのをやっていた。一寸した興味でやってみることに。

ラッキョウか梅酒を漬ける大き目のガラスビンの中に球根が詰まっていて、その中に手を突っ込んで掴み取るというものだ。ふつう5個程度なのだそうだが、おいらはそのとき少々気合を入れたためか8個を掴み取っていた。掴むまでは良かったのだが中々手がガラス瓶から外れない。やはり取り過ぎかと感じたが、大事な球根を潰さない程度にするする徐々に、動かしながら、何とか取り出すことができた。

掌に乗せて見れば、まさに球根型した姿形やマチエールがなんとも可愛らしく、大切に育てたい気分がむらむら沸いてきて、球根植えに励んだというわけだ。

家の前の草むらがぼうぼうになっていたところを整理して、とりあえず土を10センチ程度掘り起こして球根をセットした。久しぶりの土いじりで手と足は土色に。草を刈っていたら30~40センチ程度の蛇に遭遇してびっくり! それでも一昨日の雨で土もしっとりと湿っていたので、作業は特に問題も無く終了したのだ。

チューリップは代表的な秋植え球根なので、今が時期的にはちょうど良いようだ。だが植物を育てた場所ではなく土づくりも何もしていない土地なので、ちゃんと育ってくれるかは全く予測は出来ない。あとは土と太陽と雨や空気や、土中生物やらに上手く育ててくれることを願うばかり。目指すはオランダ式の庭園造りなのだ。

月島や浅草の「もんじゃ焼き」が、どうもいけ好かない理由

関東人のおいらだが、もんじゃ焼きよりお好み焼きが好きなのだ。

10月10日は「お好み焼きの日」

鉄板の上で「じゅーじゅー」と焼いて食べるから、10月10日は「お好み焼きの日」なんだとか。ということで本日は、広島市と東京タワーが企画して「広島お好み焼きまつり」なるイベントが開催されている。業界団体があれば何かと「◎◎の日」を作りたがるが、これもまたそんな業界事情がもたらしたもの。我田引水、牽強付会も極まれりといったところだろう。

■広島お好み焼きまつり
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4547019.html

おいらは関東人であるが、関東風もんじゃ焼きよりお好み焼きが好みである。子供のころは駄賃を持って、地元の薄暗いもんじゃ焼き屋でもんじゃをほおばった経験があるが、あれはちといけ好かなかった。その当時、何が原因かっていうのははっきりしなかったが、今にして思えばそれが子供の幼稚な食べ物であり、すなわち邪道な食生活のひとつとして捉えていたからかもしれない。小さなへらを使ってねっとりした小麦粉のかすを食べるというスタイルも好かなかった。

地元群馬のもんじゃ焼きは、具といえるものをほとんど用いず、土手を作ることもしなかった。東京の子供たちに比べれば、当時からかなり貧乏性が身に付いていたのだ。つまり、本来はうどんやお好み焼きとして提供されるべきものが、子供相手だと手抜きの「もんじゃ焼きに」なってしまう。もんじゃとは腹を空かせた子供が駄賃を使って糊口をしのぐ程度の食べ物ではなかったということが、皮膚感覚(あるいは胃袋感覚)として強く記憶されているのだ。

月島のもんじゃは虚飾のブランド

いやそれ以上にいけ好かなく感じるのは、東京の月島や浅草で提供されているもんじゃである。それらは云ってみれば飾り物である。単にショーウインドーの中でのみ存在理由を持つ虚飾のブランド。ガラスで閉ざされた空間(つまりが窒息しそうになるくらいの月島空間等)においてのみ自己主張するだけの代物だ。

実際にじゅーじゅーとして焼かれたものを口に含めるならば、「お好み焼き」の方がはるかに食事の満足感を与えてくれる。焼き方にも歴史の重みが有り、文化的優位性においても「お好み焼き」に分が良いことは明白である。

一説によれば「もんじゃ焼き」は群馬が発祥だという。浅草や月島を敵に回してそう主張するからには根拠があるのだが、その根拠のひとつが、もんじゃこそ「貧乏食」の代表だという。つまり、高級具材をごてごて入れて焼くもんじゃなど、本来あるべきもんじゃではないというのだという主張である。群馬出身者としてこの主張には身に染みるものがあり、おいらもまた「もんじゃ焼きは群馬が発祥である」説を主張したい。故郷の群馬に帰郷して口にするもんじゃならば悪くは無いのである。

■いせさきもんじゃまつり
http://www.isesaki-yeg.jp/monja/

熊本風豚骨の「桂花ラーメン」は時々食べたくなる味なのだ

新宿へ立ち寄るとついつい食べたくなるのが「桂花ラーメン」。元々は熊本の地域ラーメンだったが、古くから新宿へと進出しており、もはや東京人にもなついている味である。おいらも学生の頃から親しんだなじみの味なのだ。

博多の豚骨ラーメンに近いが、豚骨に鶏ガラを加えて煮込んだスープが特徴的だ。豚骨のみのスープに比べればより複雑で、個性的な味わいなのだ。そして麺も太目であり、博多麺との違いも際立っている。もちもちと歯ごたえがあり、これが濃い目のスープに良くなじむのである。

トッピングには叉焼、煮卵、メンマ、ネギといった一般的なものの他に、キャベツ、高菜漬けなどが用意されているので、度々来ても飽きることが無い。

■桂花ラーメン 新宿東口駅前店
東京都新宿区新宿3-25-6

「たこのとんび焼き」は試す価値ありの珍味

蛸は一般的にアホ馬鹿野郎の象徴とされるが、ただし口は達者である。意味の無い、あるいは無価値の言葉ばかりを矢継ぎ早に口にして自分の言葉に酔う様は、さながら寅二郎映画に出てくるたこ社長そのまにて、世に蔓延るものではある。そのほとんどは内実の無い詐欺師の実態ながらも、口先八丁で世の中を泳ぎ回るのだ。全くもって不条理というしかない。

脳の中身は空っぽなれども口だけが達者で世の中を泳ぎ回る馬鹿社長、おっと違った蛸社長、そんな蛸の口を取り出して火で炙ってみたならば、結構美味かったということを発見したのです。

そのメニューの名は「たこのとんび焼き」。コリコリとした軟骨の食感がなんとも云えない。ガスの火で炙れば上質のモツの様でもあり、しかも磯の風味も楽しめる。なかなか侮れないメニューなのでありました。

たまにはタコ馬鹿社長の口先をちょん切って食べてしまおう。そんな気分にもさせる珍味なのである。ちなみにタコには「タウリン」という必須アミノ酸が豊富に含まれており、生態活動を行なうにとても良い栄養素なのだから、沢山食べてみるに越したことは無い。

小沢一郎の特異なる顔相が物語るもの

政治家小沢一郎氏に関するニュースが駆け巡っている。「政治と金」という古くからのテーマであるからして少々のことでは収まる気配は見られない。ところでニュース番組で刷り込まれる小沢一郎の顔相については、一言云っておきたいのだ。

加齢のひとつの目安ともされる目の下のくま。そのくまが極端に下方に垂れ下がって拡がっている。そんな顔相が、今の小沢一郎の表情の底流を特徴付けている。尋常ならざる苦労をこの政治家は体験しながら、今日のここまで登り詰めて来たのだろうことが、明らかなる「顔相」「人相」によって見て取ることができる。その苦労の中身は「権力闘争」「自己顕示」という類のものであるからして、賛美される筋合いのものではない。

1942年、昭和にすれば17年の5月24日生まれの68歳。戦時下に生を受けたが、一般的には戦中世代ではなく戦後の世代に属するとされる世代である。戦後世代のトップランナーともてはやす向きもあるようだが、次に来る「全共闘世代」と比較すれば、明らかに老け込んでしまっている。その間の溝というのは甚大なものであると云って良い。

誤解してほしくないのは、おいらはここで世代論を展開しようとしているのではない。目的はそれとは逆のものなのだ。

世代的にそう古くはないはずの小沢一郎氏なのだが、世代の代表的な顔相から飛び抜けて「老け顔」であることを意識せざるを得ないのである。これが本稿の趣旨であり誤解は禁物である。

一体にこの政治家は、今後のどのような「夢」の実現を図ろうとしているのか? 想像する度にぞっとする。寒々として投げやりな想いが全身を駆け巡ってしまうのは、果たしておいらだけのことなのであろうか?

脂が乗った「ブリのしゃぶしゃぶ」は食べ頃なり

寒気を感じる季節になると、ブリに脂が乗ってくる。よく知られるようにブリは代表的な出世魚であり、ハマチからブリへと成長するにつれて、その味わいもまろやかなものとなっていく。これからがブリの旬である。

ブリ料理といえば、ブリの照り焼きやブリ大根が有名であり、それぞれに日本の食卓になくてはならないものであるが、最近居酒屋メニューに加わったものに「ブリのしゃぶしゃぶ」が挙げられる。ぶりを5ミリ程度に切った切り身を用意する。それをしゃぶしゃぶの要領で鍋の湯に浸して食べるというものだ。これに生ワカメと葱のスライスとを合わせて食するのがおすすめ。

「赤味噌ラガービール」は本物の名古屋名物に足りるか?

名古屋市議会のリコールで忙しい河村たかしが、果たして「えりゃー、うめぇーよー」と云ったかどうかは定かではないが、名古屋の面白い名物を見つけたので報告しておきます。

その名も「赤味噌ラガービール」だ。食堂のメニューには「名古屋の『赤味噌』と麦芽の旨味が融合した名古屋の味」とある。立て看板にも「コクがあって、まろやかで飲みやすい。飲んだ後にほのかな味噌の香りが楽しめます。」とある。早速それを注文することにした。呆気に捉えられたというのが事実であるが、その実態を知りたくて、同ビールを注文してみたのだ。

一口飲んで甘い。コクが強くある。そして、やはりというべきか、赤味噌風味が感じられた。名古屋の赤味噌が甘辛く濃厚であることとの同印象である。名物としては悪くない。一言おいらの好悪で判断すれば、やはり甘辛くて、非常にくどすぎる。名物だからこそ口に出来るげてものの類いといえるかもしれない。

名古屋名物といえば「手羽唐揚げ」だとばかりに思っていた。そんなところへ突然に飛び込んできた「赤味噌ビール」である。だが色々地元には面白いものがあるようだ。

藤原新也さんの新境地を築いた名著「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

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清々しい掌編小説のような物語が重なり合って、特異な本の世界が築かれている。テーマをあえて述べるならば、「生」と「喪失」とでも云えようか? 古くから作家・藤原新也さんが追求してきた最も重要なテーマだが、その表現方法やスタイルは少々意外な感じがする。それくらいに、以前の作品群とは異質の味付けが施されているのだ。

云わば敗者の視線でこの世を解き明かす試みとでも云えようか。作家自身の市井の人々との交友が、その素材として選ばれている。新也さんの世界観が新しい素材を得て、新しい物語を紡ぎだしている。表面的なインパクトは影を潜め、代わりに立ち昇ってくるのは充溢した生の存在感だ。極めて強く共感される生の存在感が匂い立っているような、不思議な物語が詰まった、稀有な一冊なのである。

改めて記すが、藤原新也さんといえば、写真家、或いはエッセイスト、ジャーナリスト等々の顔を持つ、マルチな才能を発揮して活動を続けるアーティストである。生と死に対する洞察力は、我が国の文化人の中でも抜きん出ており、写真やドローイングという作業を通してそのイメージを可視化させている。その手技、方法論に驚かされるばかりでなく、彼の底流に流れる思想性が滲み出ていて、感動させずにはおかない。

ときに「真実」と一体として存在する世界の「闇」を、独特のイメージとして現出させたりもする。漆黒の闇を写し取ることに関していえば、藤原新也氏以外のアーティストは存在感を失っていく。世界に唯一人ともいえるくらいに、漆黒の闇の表現者としては稀有なアーティストなのだ。

土鍋で炊いた「鯛めし」は絶品の味わいなり

土鍋のご飯づくりに凝っているおいらだが、本日は鯛めしづくりに挑戦。鯛のかしらを用意してまずは火で炙る。程よく焼き色がついた鯛かしらを、いつもの如くに土鍋に1時間ほどつけたお米に乗せて、準備よし。ことこと中火で炊き上げてから、鯛の骨をさばいて、ご飯に混ぜれば出来上がりだ。

1杯目は温かいままの鯛めしをそのままに味わう。鯛の淡白だが深みのある味わいが絶品である。2杯目には梅干を乗せ、緑茶をかけてお茶漬けにして味わう。葱、茗荷、等々の薬味をかければ爽やかな風味と相まって口の中に染み込んでいく。1品で2度3度と楽しめるのだから文句の付けようがないのである。

元来、鯛といえば愛媛県の県魚として知られており、鯛めしは地元の最も代表的な郷土料理である。青木愛嬢の古里の安房地方でもこの料理が名物だという。いちどそうした地方の鯛めしも味わってみたいものだ。

厳かなる猫の姿に出合ったのです

近くの町を逍遙散策していると、誇り高き佇まいの猫に出合ったのです。飼い猫ではないような佇まいでいて、人間に媚びることも無くじっと視線を送っている。思わず知らずに吸い寄せられるようにして、その姿を写真に写し止めたくなった。黒と白とのコントラストが実に見事である。それにもまして、その町の持つ磁場が発する光景のようにしてその猫がカメラのレンズを見詰めていた。良い出合いだと感じて何度もシャッターを切ったのである。

本場水戸の「だるま納豆」は納豆菌の恵みが一杯なのだ

納豆は子供の頃からの好物ではあったが、久しぶりに美味い納豆にありつけたのでした。その名も「だるま納豆」。茨城の特産市にて購入したものだ。水戸納豆本来の伝統製法にのっとって、藁に包まれている。この藁にこそ納豆菌が豊富であり、豊穣なる納豆の旨味を引き出すものなり。味わいもひとしお濃厚であり、納豆菌の恵みを実感するのだ。子供の頃にはよく水戸納豆売りの行商さんがラッパの音を高らかに鳴らしながら売り歩いていたものであり、そんな頃に食べていた水戸納豆は美味しかった。そんな想い出をもたらしてくれる。現在のスーパーマーケットに置かれている納豆はといえば、プラスチック容器におさまった物ばかりであり、何かひとつ味気ないのである。これからもたまには、本場本物の水戸納豆が食べたいとつくづく思うのである。

海老のまろやかさが引立つ「海老マヨネーズ」

海老や蟹という甲殻類は、常に一定期間をおくと食べたくなる食材であり、やはり身体が求めるのだろう、定期的に口にしている。殊に海老は様々な種類があるが、いろいろ含めて求めてやまない食材だ。

最近よく口にするのが「海老マヨネーズ」。海老を揚げてそれに特製マヨネーズを和えるといったメニューである。近頃の中華料理店にはよく見かけるようになった、中華の一品とも云えるメニューなのである。

海老を使った中華料理といえば「海老チリ」がその代表格だが、やはりその辛さについては好悪の対象となっており、余程の辛味党でもない限りは、日常的に食するにはきついものがある。そんな辛さを抑えて海老の旨味を味わえるメニューとして、海老マヨネーズの出番があったのである。

一説によれば「中華の鉄人」やら「炎の料理人」とやらとして崇められる周富徳が、このメニューを開発したともされているようだが、実情については定かではない。だが中華の本場国の中国(中華人民共和国)で開発されたメニューではないということも、ある程度の信憑性をもって語られている事実である。

ファザコン政治家・田中美絵子のめげない今後の抱負とは?

小沢ガールズとして民主党代表選を小沢一郎陣営の筆頭として戦い、そして敗れた田中美絵子嬢が、三流有名大衆誌「アサヒ芸能」のインタビューに答えている。題して「小沢先生と私」。負けてなお小沢一郎を慕うそのガールズとしての一途さは、他を圧倒している。一昔前の青木愛嬢のようなアイドル性や萌え要素は薄いが、親衛隊小沢ガールズとしての意欲やエネルギーはまさにナンバー1に相応しい活躍ぶりだ。

このインタビューで田中美絵子嬢は、小沢一郎の政治哲学に対する心酔ぶりを述べている。曰く、

「今までの経験と実績を生かしてこれからも私たちを指導してほしい。もちろん小沢さんにはチャンスがあるんだからもう1回総理を目指してほしい。私はもう一度、一緒に戦いたいです」

これまでの心情を吐露するからには、何か浮世渡世の見返りを求めてのものかと疑ってしまうが、そういうことでもないのらしいのだ。小沢一郎ガールズの心情については推し量ることも難しいのだが、中々一筋縄ではいかないつぼを押さえていることだけは確かなことである。すなわち小沢一郎の逆襲はすでに始まっているということなのかもしれない。

愛知県の名物「どて煮」はB級グルメの有力メニュー

先日から「B級グルメ」のことを書いてきたが、ここで忘れてはならないメニューがあることに気付いた。それは愛知県地方を中心にして根付いた「どて煮」である。牛スジを主な素材として、それ以外のもつなども加えて、愛知の八丁味噌と味醂、砂糖などでじっくりと甘辛く煮込むというものである。

大阪の「どて焼き」より以上に濃いたれが特徴であり、最初にこの味に慣れるには時間がかかるのだが、何度か食していくうちに自然と食指が沸いてくるという、まさにB級グルメに相応しいメニューなのだ。この味に慣れた名古屋人ならば、おでんの出汁にこのどて煮汁を用いてぐつぐつ煮込んだものがポピュラーとなる。この名古屋風どて煮込みおでんの味わいも捨てがたい。

愛知県の串カツ屋においては、このどて煮に漬けて出されるのが一般的である。それが関西にもわたって、愛知風の「どて串カツ」として流通している。名古屋産の大阪名物ともなりつつあるようなのだ。

下北沢「珉亭」の江戸っ子ラーメンに舌鼓なのだ

久しぶりに下北沢に赴き、「珉亭」の江戸っ子ラーメンを味わったのでした。このラーメンは、大振りの容器に盛って出される。たっぷりの澄んだ魚介系スープに細めのちぢれた麺に、自家製シャーチュー、ピリ辛の白菜漬けがトッピングされているのが特徴だ。キムチと呼ばずに白菜漬けと呼ぶのがこの店らしいところだ。

何よりも澄んだスープの味わいは何とも云えない気品さえ漂っている。がむしゃらに麺とトッピング類とスープを食べ尽くしても尚、お代わりがしたくなるラーメンは、この「江戸っ子ラーメン」以外に感じたことは無い。それくらいの逸品なのである。

おいらはこの店には学生の頃から通っているが、常に地元下北沢住民の胃袋を満たしてきているのを目のあたりにしてきた。下北沢には数多くの劇団や音楽事務所が軒を並べている。売れないミュージシャン、劇団員、アーティストたちの支持を集める御贔屓御用達の名店であるとともに、若いミュージシャンたちが同店でアルバイト勤務をするなどと、密接に地元に溶け込んでいる。2階の座敷席に着けば、この店を愛するタレント、アーティストたちの色紙が壁面を飾っていることに気付く。味に惹かれて、しかも下北沢という土地に根付いた独特の雰囲気に惹かれて、大勢のファンが集っているのだ。

珉亭
東京都世田谷区北沢2-8-8

ファザコン政治家、青木愛は果たして「悪女」なのか?(3)

 

月刊誌「東京人」10月号では「悪女 時代を惑わせた妖花たち」の大特集が組まれている。だが取り上げられている悪女の代表が、阿部定、小林カウ、鬼神のお松、等々と云うのだから白けてしまう。共通するのは男を手玉にとって凶悪犯罪に手を染めた女たち、というだけのことであり、どの女も特別な魅力を有していたわけでは決して無い。こんな女に振り廻されて滅亡する馬鹿な男たちもいい恥さらしものである。

♪ 蜃気楼 惹き付けられて 蜃気楼 求めるほど愛が光る
  神秘の月明かり 照らし続けていて 
  迷いの(…解読不能…)鎖を引きちぎるの
  愛のゆくえがもし 闇の底だとしても
  きつく抱きしめて 終わらぬ夢 暖めて ♪

アイドル時代の青木嬢が歌っていた「愛は蜃気楼の中」の歌詞の一説である。一部分の歌詞が解読不能だがかなりの発展家の面影が見て取れる。深夜番組「トゥナイト」の番組中で紹介され、司会の利根川裕などは鼻の下を伸ばしてでれでれしていたことを想い出す。いわゆる小悪魔性を発揮していた。歌唱力も中々なので周囲のスタッフも期待していたようだが、それほどのヒット作とはならなかった。雑誌の「悪女」特集の女たちに比べれば、青木愛嬢のほうがより「悪女度」が高く、現代日本政界における筆頭悪女としての条件を備えている。TOSHI、小沢一郎、小沢の秘書、等々との交際を肥やしにしながら、これから本物の悪女人生を歩めるかどうかがなかなかの見ものである。

ファザコン政治家、青木愛は果たして「悪女」なのか?(2)

青木愛氏は千葉県千倉の出身である。本年の5月に千倉の町を旅行していると、様々な場所で彼女の選挙ポスターに遭遇した。その光景は、小沢一郎譲りの選挙戦術で地元にたしかな基盤を築いていることを感じさせるに充分なものであった。

よく知られているように、地元の高校時代に青木愛の彼氏だったのが出山君こと、「X JAPAN」のボーカルTOSHIである。小さな田舎町のことだから、噂話も絶えなかったようであり、それだけ公に認められたカップルという関係だったということだろう。その後青木嬢は国立の千葉大学教育学部へ入学、卒業の頃にはテレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」のレポーターデビューを果たした。「X JAPAN」でメジャーデビューしたTOSHIとはその後、ファンに対する嫉妬やらが原因で別れたとされている。

千倉の実家が経営する保育園にて保育士として働いた青木嬢だが、当時憧れだったという小沢一郎政治塾の門を叩いたことがきっかけとなり、政治の世界へと足を踏み込む。2001年のことであった。小沢からは当時から、格別の寵愛を得ていたことが知られている。ファザコン政治の土台はしかるべくして培われていたことを物語っている。

ファザコン政治家、青木愛は果たして「悪女」なのか?(1)

いわゆる「小沢一郎ガールズ」たちの中でもっとも熱い注目を集めているのが衆議院議員の青木愛氏だ。小沢一郎との密なる関係性やアイドル的風貌をそなえた資質、等々において、先日当ブログにても取り上げた田中絵美子を格段上回っているといってよい。先般執り行われた民主党代表選の期間においては、小沢一郎候補との親密なる逢引が「週刊文春」等一部マスコミにより公にされたのみならず、小沢の筆頭秘書との水戸市内ホテルにおける逢引までもが報道され、衆目の好奇の餌食とされる結果をもたらしてしまなったことは、本人が撒いた種から発生した結果とはいえ、同情の念も禁じ得ないものがある。そのわけはと問えば、青木愛氏こそは現代社会にまれなる「悪女」なのかも知れないと感じるからかもしれない。

古今東西において「悪女」の定義はひも解けば様々あるのだろうが、一般的に認知されたその条件の最たるものが「いい女」であるということだろう。「悪女」がイコール「いい女」という定義は一面で不合理である。こと数学的公式においては真っ先に却下されるべきものではあるが、世の「悪女」マニア界隈の論調においてはこの公式が定着しているのであるから、数学的世界観との齟齬が生じるのもむべなるかなと云うべきだろう。けだし数学的公式はマニア的公式に負けてしまうものなのである。しかもあっけなくその結果はもたらされてしまうのだ。

「悪女」という不合理なる存在が神格化されていく背景には、本来の「悪女」の減少、即ち希少化が挙げられる。男を弄ぶ悪い女は増えているが、そのほとんどが男の退化に依っている。馬鹿な女に弄ばれる男こそ鼻つまみ者である。悪女が悪女として認知されるためには、悪女としての資質を示さなければならない。果たして青木愛嬢は、そんな希少性を有した存在なのかということが問題なのである。
(この稿は続きます)

野方の串焼き名店「秋元屋」の煮込みは絶品なり

西武新宿線の「野方」駅を降りて1~2分を歩けば串焼き屋の名店「秋元屋」に出くわすのだ。開店前から行列が出来るという人気居酒屋であり、ラーメンは無いがそれ以上の居酒屋グルメ垂涎のメニューがマニアののどを唸らしていく。

なかでもおいらの一押しは「もつ煮込み」なり。何しろもつの鮮度が半端ではない。一般的な焼肉屋に出される素材の上質な部位のものを、朝どりされた新鮮なままを煮込まれてぷちぷちもちもち、噛んだら涎とともに、もつの煮汁の旨みが口腔のすべてを席巻してしまう。一人前では足らずに2杯注文していた猛者も目撃している。

せんべろの範疇には入らないが、当店のメニューの値段はおおむね安価であり、勘定を気にすることなく思う存分にべろべろになることも可能である。

ちなみに秋元屋には「シャリキンホッピー」というメニューもあるので、ホッピー党には願っても無い呑兵衛の聖地として記されているのである。

■秋元屋 (あきもとや)
東京都中野区野方5-28-3
http://r.tabelog.com/tokyo/A1321/A132104/13006667/

埼玉にもあったB級グルメの「飯能すいとん」

先日埼玉県の高麗界隈に散策した帰り、飯能市に立ち寄って食したのが「飯能すいとん(すいーとん)」だった。地元蕎麦屋の「せいたろう」では、蕎麦とのセットで1,000円なり。

すいとんはすいとんでも埼玉飯能の地元産だけあり、埼玉県産の小麦粉を使ったすいとんのつくりが違う。一ひねりも二ひねりも加えられた特産的なメニューである。

直径10センチ近くはあろう巨大なすいとんの中には、特製叉焼や様々な埼玉野菜が隠されていて、箸で突付いて中身を開けば、飯能食材の玉手箱といった風情であり一興をそそる。これをとろみがかったスープに包まれて出されるのだ。

地元グルメの愉しみを堪能させられた一品なのでした。