わらびとこごみのおひたし&若竹の天ぷら

毎度流浪の居酒屋にて本日食したのは「わらびとこごみのおひたし」「若竹の天ぷら」などなど。殊にわらび、こごみ(ぜんまい)の香り高きおひたしを口にして、若き30年位前の、わらび取りの記憶が強烈によみがえってきたのである。

おいらの母親の実家がある群馬県利根郡の田舎には、わらび、ぜんまいなどの山菜が豊富に棲息していて、おいらも小学生の少年時代には、わらびとぜんまいを取りに利根郡の田舎に出かけたことなど強烈な想い出として浮かび上がってくるのである。

マスターが週末に滞在していた新潟では、その他に若竹や他の山菜が棲息していたということなり。天ぷらにして食したその「若竹」も美味なり。

岡本太郎の「明日の神話」に会いに行く

八王子の「アートムーチョ」というイベントが雨で流れて時間を持て余していたとき、ふと岡本太郎の壁画に無性に会いたくなり、出かけたのです。渋谷駅と京王井の頭線の改札を結ぶ通路壁全体を覆うようにして設置されている。毎日30万人の人間の目に晒されるという、幅30メートル×縦5.5メートルの巨大な壁画だ。

もともとはメキシコの新しいホテルに設置される予定で制作されたが、財政難からホテル開業の見込みが無くなり、その後メキシコ国内の何処か判らぬ場所へと姿を消していた。それが母、岡本敏子さんの熱意が実って隠されていたこの作品が発見されたという。2005年には巨大壁画が分割されて日本へとわたり、修復作業も始まった。一般公開もされ、2008年秋には現在の渋谷での恒久展示が実現したのである。

糸井重里さんの「ほぼ日」サイトや他のニュースで壁画の存在は知っていたが、中々観に行く機会も無いままに徒なときを過ごしてしまっていた。やはり「腐っても岡本太郎」のことはある。と云うよりか想像以上の圧等的な衝撃を受けたと述べるべきだろう。この「明日の神話」は広島の原爆投下をイメージして描いたという説が強い。かつてフランスへ渡った岡本太郎はピカソの「ゲルニカ」に衝撃を受けたとされるが、ピカソを乗り越えるためのテーマが、この作品に凝縮されているのかも知れない。日本人である岡本太郎が「広島」に目を逸らすことはできないであろうし、そのことはまた彼個人としての芸術的野心にも裏打ちされていたと云えるだろう。岡本敏子さんも関連ホームページで、以下のようなメッセージを寄せている。

―――――
『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、
岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、
その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。
虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、
健気に力をふりしぼっている。
(以下略)
―――――

中央に聳える巨大な生き物はレリーフ状に浮き上がって描かれており、全く異界からの生物のようであるが、人間のように見えないことも無い。全ては「人間界」における事象、事案がテーマとなっているのだから、きっと人間そのものの変容したイメージを描いているのだろう。

ピータンが食べたくなった夜の話

ピータンという中国料理は、本来はアヒルの卵を用いてつくられるものだが、最近では鶏卵が原料となるものが少なくないのだとか。おいらが通っている店舗で出されるピータンの原料は何かということを確認したことはなく、ただ時々食べたくなるから通っているのに過ぎないのである。

そもそものピータンのレシピはといえば、1ヶ月あまり、塩、石灰、木灰、その他の混じった甕に卵を入れて密封される。白身は独特の茶色のゼリー状となり、この食感がたまらないのだ。元黄身の部分もまた、卵の成分を自らの作品に表徴とさせるがの如くに独特な味わいを提供している。このような不可思議な食材はあまり目にしたことが無い。

というわけで、ピータンが食べたくなったおいらはまたまた地元の中国料理店の扉を開けて、「ピータン豆腐」をオーダーしたのでありました。豆腐とたまねぎの刻みがピータンに合わさって、癖の強いピータンの味わいがマイルドに中和されていた。これはこれで良いのだが、ピータンの独特の鼻に突くくらいの癖が体験できなかったのが残念であった。

沖縄特産の「食べるラー油」でメニューも豊かに

沖縄の特産物フェアで「食べるラー油」を見つけて購入。いろいろ調理に利用したいところなのです。

とりあえずは「木綿豆腐」にのっけて食してみた。う~ん、単なるラー油ではないな。最初はまずまずのまろやかなる口当たり。肉類を使用したというだけあり濃くのある味わいが咽を包む。そして時間が少し経つなり、ラー油独特のピリッとした辛味が口吻を突くのである。まさに食べて味わえるラー油の名前に相応しい。おいらはこの「食べるラー油」を支持するのである。

これだけでは足りないなと思い、焼きそばに「食べるラー油」をかけて食してみたのです。やっぱり想像通りにGOOD!な味わいなのでありました。

「村上春樹の秘密」(柘植光彦著)の功と罪

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村上春樹という作家は素顔を晒さない作家である。例えばTV、ラジオ等の媒体でインタビュー取材を受けているのを見たことが無かったし、公の場所での講演会、討論会のたぐいにも顔を出すことがほとんど無い。それ故のことなのだろう、一昨年にイスラエルの「エルサレム賞」という賞を受賞したときの授賞式でのスピーチは、数多の日本人に対して、強烈な印象を与えたのだ。あの村上春樹が? 何故日本ではなくイスラエルで? といった反応が噴出していたことを想い出す。それは今なお強固なイメージとして人々の記憶に刻まれたものとなっている。

そんな作家・村上春樹の素顔をことさら明るみに出して、「秘密」を暴こうとするのが「村上春樹の秘密」のテーマかとも思わせる。確かに春樹さんの父親がお寺の僧侶であり進学高校の国語の教師を退職した後に住職として寺を継いだこと、家では毎日仏壇の前でお経がとなえられていたこと、春樹さん自身は太る体質なので走ることを欠かさないようにしていること、等々の隠されたエピソードの数々を暴いてみせる。当書の構成上は「アメリカ文学の影響」「愛と性行為の意味づけ」などが盛り込まれているが、常識的な分析にとどまっており、あくまで主体は春樹さんの「隠された素顔」を暴いていこうという意図が臆することなく記されていくのだ。

著者の柘植氏は、東大出身で現在は専修大学名誉教授。文芸評論家という肩書きを持つそうだがこれまで彼の評論を読んだ記憶が無い。大学教授という職業柄得た情報もあるのだろうが、これだけ村上さんの私生活を事細かに詳らかにできるのは相当なおたく的情熱を注いだことに依るのだろう。読んだ読後感は悪くは無かったが、当の村上さん本人が読んだらどう思うのだろうか? プライバシーを侵害されたと感じるのではないかと、余計な邪推もしてみたくなるのである。

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初夏の味覚「らっきょう」を数年ぶりに漬けたのです

地元のスーパーで泥付きのらっきょうが出ていたのを発見。早速、らっきょうの甘酢漬けにチャレンジしたのでありました。

らっきょうの漬物にも「塩漬け」「浅漬け」「醤油漬け」など様々あるが、やはり王道である「甘酢漬け」が一番だろう。夏の猛暑を乗り切るのはらっきょうの酢漬けがもってこい。初夏から夏真っ盛りの頃にらっきょうの甘酢漬けを口にすれば、疲れも吹っ飛んでしまうくらいに効能がてきめんである。

インドやタイなどエスニックな料理の副菜として、らっきょうは欠かせない。日本でも江戸時代には食用というより薬用として珍重されていたというくらいに効能が豊かである。以前は毎年のようにこの季節に漬けていたものであるが、ここ4~5年は漬けることもなく過ごしてしまった。らっきょうの記憶が無い年月は、漫然と時を過ごしていたのだろう、やはり良い記憶が無い年月であった。

吉兆ならぬ喫驚のメニュー。「天然山うどの天ぷら」と「もみじ笠のおろし」

毎度流浪の食卓として赴く地元の居酒屋店にて、吉兆ならぬ喫驚のメニューを口にしたので報告します。

そのひとつが上の写真に収めた「天然山うどの天ぷら」である。よくスーパーに出回っているうどとは違っていて、味わいがある。そもそもうどという食物は、味わいが無いのが取り柄とばかりにずっと刷り込まれていたのだが、本日のうど体験にて、そんな思い込みも吹っ飛んでしまったのである。大味のうどを想定して口に運ぶが、噛み締めた途端にうどの旬の味意がぐぐっと迫るのである。聴けばマスターがとって来た野生のうどを材料にしているのだという。山梨の清流を登って行った何処かは知らぬ場所である。そこの清流にて山女を釣っていたときに取れたうどだということなり。全然大味ではない。野性味溢れるうどの味わいが、おいらの味覚を魅了したのである。

ところでそれよりもっと喫驚したメニューが、「もみじ笠のおろし」である。「もみじ笠」とは、前記と同じく山女の成育する人間が出入りしない環境にて生育している山菜である。もみじ笠という食物自体、おいらはこれまで知らなかった。もともと二人前だったところをおいらが注文したために、三人前にして出してもらったという曰く付きのメニューだったのである。こちらの食感はおいらが体験した数ある山菜の中でも最も香り初々しくて、フレッシュであった。何よりもビビットな味覚を主張している。まさにベスト1を贈呈したいくらいにブラボーな味わいであったのである。

きわものだがなかなかいける、「日本橋 紅とん」の「にんにく鍋」

豚のもつ焼き専門チェーン店「日本橋 紅とん」に久しぶりに出かけた。チェーン店舗は、あまり進んで足を運ぶことはないのだが、ここで「にんにく鍋」という珍メニューに遭遇したので紹介してみよう。きわものながら自宅でも作れる簡単メニューで、味もそう悪くはないのだ。

「にんにく鍋」の基本的なレシピは、皮をむいたにんにくを鉄製の鍋に入れ、バターを乗せて焼くというもの。直径7~8cmの鉄製の専用鍋にバターが溶けて、鍋にグツグツとにんにくが踊っていることから名付けられたネーミングなのだろうか? 酒飲みにとってにんにくとは仲良く付き合っていきたいつまみのひとつであり、焼いたり、摩り下ろしたり、揚げたりするものに、もうひとつ有力なメニューが加わったということになるだろう。今度自宅でもこのレシピにチャレンジしてみたいという気持ちを強く持ったのです。

「デザインフェスタ」でアーティストの卵達に接したのです

本日は新橋から「ゆりかもめ」に乗って、有明の「東京ビッグサイト」で開催されている「デザインフェスタ」の取材へと繰り出したのでした。取材だとはいっても目的はおいら自身が若きアーティストたちに接して愉しむためのものでしかない。休日の取材は気儘に行きたいところへ行き、話したい人と話し、突っ込みたいところを突っ込むという、ただそれだけのものなので、おいらはととてもリラックスしていた。つまりは自身が愉しむための晴れの日が幕を開けたのである。

数年前に訪れた時に比べてみると熱気が薄い。もうピークを超えてしまったからなのか。それでもおいらの関心興味は、とりわけアートグッズたちに向かっていた。近頃のアーティストたちはグッズを販売しているという傾向が顕著である。控えめに書いているのだが、アーティストたちが自らの収入源としての作品販売を行なうにあたって、この「デザインフェスタ」はじめ各種イベントの販売収入はバカにならないようなのである。

会場を回って数分したところで、アジアを放浪して絵を描いていたという少女と出逢った。何かしら生と死との問題を画の中で描いていこうという志向性が見て取ることが出来た。絵画としての作品と、彼女のようなアジアを放浪するという生き様とはそのままリンクする訳ではないのだが、やはりカッコいい人生を送っている人の作品は格好よくみえたのだう。おいらはすぐさま彼女のブースに並べられていたポストカードの数枚を購入することとなったのである。

この時のポストカードは1枚200円である。大体1枚50円~300円程度で販売されているので、印刷代その他を考えればとても割に合うものではないはずである。だけども若きアーティストたちのエネルギーはずっと前から沸点に達していて、このようなイベントを求めているのだ。かつては路上や中小のギャラリーにて開催されていたパフォーマンスなのだが、いまや東京都の条令だかによりできなくしまって、結局は行き着く先が「デザインフェスタ」くらいしか無くなってしまったというのが現状に感じさせる。アートのイベントくらい思いっきりに飛び跳ねて行きたいのだが、我が国の現状はまだまたそこに追いついてはいかない様なのである。

「みどり企画」のトップをjavascript仕様のページに更新しました

数年ぶりに「みどり企画」のホームページを更新しました。今回のは更新というよりも、トップページのリニューアルに重点をおいて行なったものであります。

これまでのトップページは、主宰者のおいらとしては愛着を持っていたので、そのイメージを壊したくはなかったのだが、しかしながら時代の流れには逆らえない。さすがに今や「フレーム」を使用したサイトなどほとんど見かけなくなっていたので、実は少々焦っていた。SEO的には最悪のものだったのである。

今回は、ITの時代が求める「javascript」仕様のものにしてみました。ちょっと軽いなという思いはぬぐえないが、古いものに固執してばかりもいられない。これを機会に、コンテンツの更新も手掛けていこうという思いを新たにしたのでありました。

【みどり企画のホームページ】
http://midori-kikaku.com/

秋吉久美子が「70年代を語る」イベントがシネパトスにて開催

銀座シネパトスという映画館にて、「秋吉久美子映画祭」が開催中である。本日は特別に「秋吉久美子が今はじめてあの70年代を語る」と銘打ったトークイベントが開催されるというので、当日券を買い込んでいるのであります。出席者は秋吉久美子と樋口尚文(映画評論家)である。

秋吉久美子と云えば、70年代のまさにおいらが思春期を過ごしていた頃にデビュー、コケティッシュで個性的な女優として一世を風靡していたという感もあるくらいに想い出深い女優である。70年代は当時、「白けの時代」「モラトリアムの時代」等々の冠で評価されていた時代である。60年代の云わば「激動の時代」と比較すればそうなのだろうが、時代が「白けていた」ということではけっして無い。様々なエネルギーが渦巻いていた70年代を「白けの時代」と称し命名した社会学者などは、まったく信用に値しないのである。

さて今夜はこれからトークイベントがあるため、イベントの内容等々については追ってレポートする。鄙びた映画館のイベントなのに、マスコミ数社がこのイベント取材のために横にいて待機していることを記しておく。

この稿もまた続く

リコピンたっぷりの「トマト麺」はホッピーによく似合う

「トマト麺」と書いたところで誰も驚かないだろうが、おいらはトマト麺が大好きである。八王子の「万力酒場」で出されるトマト麺は、卵とジャガイモが隠し味となっているがあくまで主役はトマトである。どーんと丸ごとトマトを使ったソースがナイスであり、思わず知らずに笑みがこぼれてしまう。頬も落っこちてしまうくらい美味しい麺料理である。これをきわものメニューと呼ぶなかれ。リコピンたっぷりの丸ごとトマトの酸味はそのままに、まろやかなソースに仕上がっていて絶品なのです。

おいらがここを訪れるのはだいたいが夜だから、ホッピーを飲りながらの食事となる。これがとてもいけるのである。いちどお試しあれ。

万力酒場 八王子店
東京都八王子市三崎町9-9

暇つぶしの贅なる機器「iPad」狂想曲が勃発 [その1]

apple銀座店の前には、「iPad」予約のために長蛇の列が出来た。

前日10日、いつものように銀座を散策していると、一群の行列に遭遇した。こんな光景は銀座では珍しくもなんでもない。ブランドショップの激戦区でもあるこの土地は、様々な仕掛けを打って銀座観光人に行列を作らせる。未だに強烈な印象として残っているものに、新規参入宝飾店ブランドの「モーブッサン」が、0.1カラットのダイヤモンドを先着5000人に無料で配布するというイベントを敢行したことの一件である。職場のスタッフが朝の行列を目にして取材したところ、無料宝石サービスに目が眩んで並んだ群集による長蛇の列であることが発覚した。彼は仕事を放棄してその行列の末尾に並ぶという誘惑に囚われていたというのだが、やはりそんな邪心は捨て去って、職場へとたどり着いていたわけである。さすがは立派な心がけであった。

さて今回の「iPad」騒動とはこんな単純な出来事ではない。先端のITマシンを逸早く手に入れようとして、APPLE銀座店の前に長蛇の列に並んだのであるから、相当に志の高い人々であったと想像される。実はこの日は、国内で販売される「iPad」の予約注文が開始された日なのであり、決してその日に並んだからと云って真新しいニューマシンが手に入れられることでもなかったのである。だから行列者は余程の暇人であったか、あるいき余程この機種購入に拘ったかのどちらかであろう。

俄か勉強ではあるが、この数日は「iPad」に関する情報収集に余念が無いおいらである。いろいろジャーナリストやらマニヤやらのコメントを目にするところ、「iPad」とは究極の暇つぶしのためのマシンではないかという思いが強くなってきた。ライバル機器とされる「ネットブック」「ノートブック」「iPod」「iPhone」等々と比較しても、「iPad」がずば抜けているという要素が見当たらない。どれをとっても中途半端のようなのである。だが、遊びに長けた若者や中高年たちからは、暇つぶしに開いて時間つぶしするにはもってこいの機器だという評価が意外に高かった。

であるからして、後に続く[その2]の稿では、具体的にどこが暇つぶしに良いのかをレポートしていきたい。

井上真央の主演映画「僕の初恋をキミに捧ぐ」

当代随一の人気アイドルの井上真央が主役を演じる、純愛少女映画「僕の初恋をキミに捧ぐ」を鑑賞。青木琴美の同名の原作漫画を実写映画化したものだ。

原作漫画は「少女コミック」(小学館)に2005~2008年の間連載され、750万部という驚異的な売上を誇っている作品。全寮制のエリート高校に入学した「繭(井上真央)」と「逞(岡田将生)」との恋のお話である。キヤッチコピーとして「僕たちの恋愛には、タイムリミットがある」との台詞が、映画公開中の映画館で踊っていたことを記憶している。。今や純愛映画の定番、欠かすべからざるものとなった感のある「死」と「別れ」とが、少女漫画タッチで映画作品に独特の気品を添えている。昨年10月に映画は公開され、まずまずの入場者数であったようだ。だが現在公開中の「ダーリンは外国人」や大ヒット作となった「花より男子」と比較すれば、些か地味な印象を与えられさえしていた。

ところがこの映画のポスターが、おいらの視線を釘付けにしていたのである。若い男女が――たぶん高校の教室の中であろう――キスをしあうという、どこにも有り得るシチュエーションなのだが、やはり人気実力ともにピカイチの女優にかかれば、その一瞬の輝きは永遠に近付く光景ともなって見るものを飲み込んでいくようであった。

散らない花は無いことは明瞭なる道理であることを知りながらも、旬の花の艶やかな輝きに、年甲斐もなく見とれてしまったという訳なのである。当時公開されていた映画は見逃していていたところ、先日はTSUTAYAの新作棚にてこれを発見。早速レンタルし鑑賞したという訳なのでありました。

安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む 2

書名からもうかがえるように、著者の切り口はおしなべてステレオタイプである。面白可笑しく読者に啓蒙していくことが目的だとすれば、わかり易くもあり興味関心も引くのであり、この方法が駄目だということにはならないしプラスの評価も可能なのだが、ここではあえてマイナス面の要素を拾い出してみることにする。

例えば、ガラ、エリュアール、ダリといった著名人を取り上げた第1章に続く第2章で、アントナン・アルトーを俎上に載せているのだが、神経症、遺伝性梅毒、麻薬中毒、精神病患者、等々の人間的には芳しからぬ評価言葉が並んでいて、「奇人・怪人」を体よく料理しようという魂胆が見え隠れする。ピカソや数多のシュルリアリストたちとの交流を持った岡本太郎ならば、このようなぞんざいな評価を行なったことは決してなかったはずである。

つまり、一見するとシュルリアリストたちの生涯を俎上に載せつつ彼らの存在理由を評価していこうというポーズ、スタンスが取られながらも、その実は安原顯という人間は、シュルリアリズムを道化の遊び道具か何かと同様の捉え方をしている。「奇人・怪人」と持ち上げながらも、読者への読後感を極めて低い評価、全く道化としてのシュルリアリストとして印象付けていくのである。よくある凡庸な啓蒙家としての安原顯は果たして「自動書記」に関する真の理解がなされているのかという疑問さえ沸いてくるのである。案外真実とは簡単なところにあったのかもしれない。

安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む

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安原顯(安原顕という表記もある)の著書「奇(奇の字は田へんで難しいので変換できない)人・怪人伝」を古書店で見つけたので読んでいるのです。※もっと普通に書くならば、安原顯の「奇人・怪人伝」を古書店で見つけたので読んでいるのです。

安原顯と云えば、相当に個性的な編集者だったようである。「個性的な」と書いたのはいわゆるひとつの愛嬌であり、相当に憎まれ嫌われていたと云うのが、もっぱら世間一般の評価だ。そんな安原顕が今頃になって脚光を浴びているのかと云えば、ベストセラー「1Q84」の作者こと村上春樹先生との関係からであろう。「1Q84」に登場する辣腕編集者こと小松は、安原顕がモデルになっているという言説が、村上フリークのみならず幅広い文学愛好家たちによって囁かれているくらいなのである。村上春樹作品の、しかも社会ニュースにも取り上げられているベストセラー小説のモデルとして名前が取り上げているのだから、本人もさぞかし草葉の陰から喜んで見ているのだろうと想像する。

ところで些か前置きが長くなったが、安原顕の著作についても触れておこう。「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」と云う書を先日は古書店にて目にして購入したのだった。副題に「シュルレアリスト群像」とあるように、そうとう「シュールリアリズム」のアーティストたちに対する尋常ならざる強烈な思い入れを感じ取っているのだろう。早稲田大学文学部仏文科を中退し、大手出版社に入社。その後は輝かしきキャリアに彩られていたようである。だがしかし、晩年はといえば、そう幸福ではなかったようなのである。

飲み屋に行くとたびたび目にする光景。>>「おれは早稲田出て出版やっていたんだ。村上春樹はおれが育てたんだ。知らなかっただろう!」等といったおやじのボヤキなどが聴こえてくるのである。

さてさて今日のブログはここで止まってよしと幕を閉じる訳ではない。安原顕の「奇人・怪人伝」についてももう少し触れていこう。
(以下、この稿続く)

豊饒の海をモチーフに、ブログのデザインを更新しました

当ブログのトップイメージを更新してみました。昨年9月にスタートしてからずっと、これまでの基本デザイン(ワードプレスでは「テーマ」と呼ぶ)を選んで以来ずっと、トップイメージには背景画像を配してブログイメージをアップしていこうと目論んでいたのでした。しかしながらなかなかトップイメージに相応しい画像が見つからなかった。そのまま徒らに時間ばかりが経過していたのである。

先日、南房総の千倉へ旅していたときに、ふと出逢ってデジタルカメラに収めた風景が、思いもよらずに今回の更新の機会を与えてくれたようなのである。

ここから少々野暮な解説などをさせてもらうが、当ブログデザインのカラーは「グリーン」「ブラック」の2色が基調色となっている。ワードプレスにて「テーマ」を検索するページにて「グリーン」「ブラック」とチェックして選んだのがこのテーマではある。「グリーン」のイメージは気に入っているのだが、「ブラック」の色調がどうも今ひとつなのである。中途半端な気持ちを抱えつつずっと引き摺ってしまっていた。後悔の念が鬱積していたのであろう。後から気付いていたのだが、このテーマ「horisontal」はとても人気薄のテーマであるらしい。ワードプレスの公式サイトに掲載されているテーマの中では人気ワーストのテーマだったのである。これもある種の出逢いなのであろう。おいらの情熱にメラメラと火が点いていったのは当然の成り行きであった。

千倉で出逢った海の風景は暗くてとても豊穣なる佇まいを見せていた。決して軽くは無い人生を背負って相対していく風景としては、これからも失いたくないものとして視界に飛び込んできたものなのである。だからこうして、ブログのトップイメージにまで取り込んでみたくなったという訳なのである。

銀座で食した「肉巻きおむすび」

東京銀座のおむすび専門店「金の芽」にて「肉巻きおむすび」を食した。元来は宮崎県が発祥の地域グルメの「肉巻きおにぎり」として、全国に浸透していったニューフェースである。「おにぎり」ではなく「おむすび」とメニューにあるのは、この店舗が「おむすび」の専門店であることによっている。

おむすびに牛の薄切り肉を巻いてそのうえで焼くのが基本的なレピシのようである。銀座の「おむすび」も、そんな基本的レシピは踏襲しているようだ。

肝心なのはその味わいである。お米ご飯のおむすびに肉を巻くといった、一見シンプルにも見えるレシピではある。だがこんなことは戦前の日本人は誰も考え得なかったのであろう。それを「気まぐれレシピ」と見るか「コペルニクス的転回のレシピ」だと評価するかによって、味の評価にも大いなる影響を与えかねない。はっきり云っておいらの評価は前者である。宮崎の気まぐれなシェフによる気まぐれレシピという評価を与えたい。

若いシェフの卵たちにとっては、こんな肉巻き料理はエネルギーの元となることだろう。それは別に「おにぎり」「おむすび」である必要性もなく、肉じゃが定食なりハンバーガーなりを求めれば良いというだけの話であると思われる。まずはこのおむすび、おにぎりは食べ難い。さらには肉+ご飯という取り合わせ自体は、メタボ的であり非健康的であると云わざるを得ないのである。

銀座の一等地において宮崎の人気メニューを提供するといったアイデアは認めるが、それ以上ではない。東京都中央区銀座にて提供されるべきメニューでは、決してないのである。

千倉、南房総への旅の跡

先日巡った千倉、南房総で撮影した写真、旅先でアップできなかったものをまとめてアップロードしておきます。急に夏化した風景とともに記憶に深く刻まれた風景たちです。

「土門拳の昭和」展が高崎市タワー美術館にて開催中


カリスマ的な昭和の写真師、土門拳の作品を展望する展覧会が群馬の「高崎市タワー美術館」にて開催されている。帰省した帰りに立ち寄ってみたのでした。

土門拳が写真の世界に入った頃の作品から晩年のものまで、ほぼ全ての時代の代表作品が展示されていて、ファンにとっては必見の展示会とも云えそうだ。青少年の頃から少なからずの関心を示してきた土門拳であるが、おいらの知らなかったあれこれにも接することができ、有意義であった。

個人的に興味深いのが「風貌」のシリーズである。当時の文学者、芸術家をはじめ政界、財界の著名人たちの「風貌」すなわち「顔」を捉えた作品群である。梅原龍三郎の撮影では何カットも注文を付けた挙句に巨匠を怒らせてしまったというエピソードなどが知られている。たしかに梅原龍三郎のこうした表情を捉えた作品は、土門拳が初めてでありその後もあまり見かけた記憶などが無い。

晩年に土門さんが取り組んでいた「古寺巡礼」シリーズには、違和感がある。あまりにもこれみよがしのショットに、圧倒されるよりも前に、何か視線を逸らしてしまうのである。視線を集中し凝視することを躊躇ってしまうのである。何故なのだろうかこの感覚は?

■高崎市タワー美術館
群馬県高崎市栄町3-23
TEL 027-330-3773