自民+維新&民主の大政翼賛を許すな

総選挙は終盤に差し掛かっており、多くのマスコミ媒体が自民党の圧勝を予測している。それそれ獲得議席数の多寡に一定の幅はあれども、自民党の勝利という点においては一致している。対する民主党のほうはといえば、惨敗必至。維新と3位の座を争っているという体たらくである。そもそも今回の総選挙はやる必要の無いものを野田佳彦が我欲、我執をもとに引き起こしたようなものであり、民主党の惨敗は誰が見てもの織り込み済みである。それを代表という地位に居る野田が認識していないようなのであり、救いようも無いのである。鳩山さんや菅さんが党代表で居た頃には未だ期待が持てた些少の要素も、完全に砕け去っている。民主党を裏切った張本人の野田にその自覚が無いのであるから、大惨敗による報いを受けるがよい。2度と政界に復帰し得ないくらいな大惨敗が相当であると云って良い。

自民党の比較1位は揺るがないにしても、これから惹起するであろう政界メルトダウンが及ぼす影響とその対策については準備万端怠り無くしていくべきであろう。予想される悪しき政治状況として、自民+維新による連立政権が想定されている。1位の自民と3位の維新が連立を組んで、日本の国政を牛耳るという構造である。民主ごときはここにおいては協力政党の感を成してしまうのであり、まさしく日本政治の「大政翼賛政治」の土壌が成立することとなる。こうなってから日本の政治を立て直すことは不可能のなである。今こそそんな大政翼賛政治に対してストップをかけるための政治行動を起こすべきである。

第二の旬を迎えた「カワハギの干物」を食した

某釣りきち関係者によれば、今どきは「カワハギ」が狙い目の旬なのだそうな。フグの親戚で身もたいへんに美味だという。夏によく取れるが、この時季こそいわゆるカワハギの第二の旬であり、この時季の身が一年で一番旨いとの熱弁を繰り返していた。そうした事情もあり、近頃のもっとも関心度が高まっていたカワハギであるが、カワハギの干物というメニューに接したことから兎に角も一度は口にしたいと注文したのである。

まず目にしたところ、白身の干物としての珍しさや艶に興味を強くされた。生のカワハギではないが、何となく生魚の珍重さを感じ取っていたし、口にしてからもまたその思いは変わらなかった。味付けは味醂干しの上品な味わいであった。

都道府県別魅力度ランキングで「47位(最下位)」の群馬県民のプライド

妻の13回忌法要のために帰省した。ローカルな両毛線の駅を降りると強烈な北風に見舞われていた。上州名物とも称される「からっ風」に出迎われていた。吹きっさらしの乾いた強烈な疾風が、赤城山の方角から、関東平野最北部地域の一帯を襲う風のことを、群馬県民はある種の親しみを込めて「からっ風」と呼んでいる。おいらも親愛の気持ちを込めて上州の「からっ風」を記述している。すなわち群馬県民の多くは「からっ風」の厳しさを好意と共に受け止めているという県民性が存在するのだ。

ところで今回帰省して改めて感じたことは、「群馬県民」のPR不足が全ての県民にとって気になっているということではあった。都道府県別魅力度ランキングで「47位(最下位)」というニュースが、腑に落ちない不条理のものとして突きつけられていたということを物語っている。事実、お寺の御住職やおいらの両親も、群馬県の人気度の低さについてはほおって置けない事情のように語っていたのだ。

http://777news.biz/n/2012/09/23/14443

群馬県が最下位ということには、相当の意味があるのであろう。魅力度が無いというのでは決して無い。だが、自らの魅力についてを発信することの非力さ、自らの土着的文化を展開出来ない非力、等々が、群馬県のイメージをマイナス的に定着させていたのであろうことを感じとつている。

だがたとえ最下位であったとしても、おいらには群馬県人としてのプライドは持っている。冬の凍える上空には青々とした空と白い雲があり、空気はとても澄み切って清清しかったのである。百年前も、或いは百年後も、そう違わない風景の恩恵にあずかれるのであろうとしみじみ感じ取ることとなっていた。東京、大阪等の大都会圏については、風景自体が異質となってしまっているから、決してこうはいかない。

群馬県人の誇りはまだ色々あるので、機会があれば今後も記していきたい。

ワカサギはフライより天ぷらにかぎる

ワカサギが旨い季節となった。冬のワカサギは厚い氷の下にひっそりと生息し、脂も旨みも充分に乗っている。このワカサギも多分、上州の榛名湖の湖底に生息していたものたちであろうという想像をたくましくしつつ箸を運ぶと、湖底のエキスさながらの苦味のエキスが口腔内を取り囲むように広がっていくのだ。「ワカサギの天ぷら」というメニューを見かけて注文したときに店員から返ってきた言葉は「フライもありますけど…」というものだった。絶対にフライなどにはして欲しくないおいらは、ちょっぴりむきになって強く「天ぷらが良いです」と伝えていた。ワカサギはフライよりも天ぷらにかぎるのである。

偶然に出喰わした「すっぽんの煮こごり」と「すっぽん鍋」



都内下町の繁華街にてある日一献やっていたところ、隣客のテーブルに「煮こごり」が載っていて、その姿形が奥床しき風情であったのであり、おいらはメニュー表にも見つけられなかったその「煮こごり」を注文していた。後から判ったのは唯の煮こごりではなくして「すっぽんの煮こごり」であったということであった。すっぽんの皮や卵が具にあてがわれており、すっぽんの皮やらすっぽんの卵やらをあまり強くない出汁にて調理されているものであつた。それだからこそ、すっぽんの味わいを少量ではあれ味わった「すっぽん鍋」のメニューは逸品であった。

絹豆腐のつるっとした食感が活きる「揚げ出し豆腐」

職場にいる若手女子は「揚げ出し豆腐」が大好物なんだそうな。繊細な食感と味付けがたまらないようなのである。

絹ごしの豆腐がつるっとした食感が何倍にも累乗される稀有な料理だと云えるだろう。

この料理に関しては「絹ごし豆腐」が必須の食材であり、すなわち「木綿豆腐」を用いることはありえないのだ。

何度か食した「揚げ出し豆腐」の旨い店では、時々忘れたものを思い出すように注文している。「揚げ出し豆腐」の特長は何より、絹ごし豆腐の魅力を数倍に高める料理であるということなのである。

総選挙公布で俄かに岐路に立つ「第三極」勢力と無党派の行方

衆議院選挙が昨日公布され、俄かに選挙モードとなっている今日此の頃である。一般大衆マスコミが念を押すまでも無く、おいらは選挙に投票することを決めているが、今回の選挙ほど「無党派層」の動きが投票行動に対しての大いなる重みが認識されている選挙は無いと云える。

さて、かつては「ノンポリ」というのは無党派層に対する侮蔑的呼称ではあったが、今ではそんなことは云っていられない、上客としての政治的ターゲットとなっているのである。無党派層が顧客となる第三極陣営の動きで、今回の選挙の帰趨が決定されると云えそうなのである。こんな重大な局面において、大手数社マスコミの責任回避は異常とも取れるくらいに尋常ならざる事態に直面しつつある。

複数のマスコミ報道によれば、「維新」の勢力はかつての勢いにブレーキがかかり、「未来」が追いあげているが未だ差はついたままと云うような状況である。橋下と石原慎太郎の主義主張の矛盾が露呈されているが、それを批判するマスコミなどは皆無である。やはり、「週刊朝日」に対する維新側の攻撃が、ある一定の効果を発揮しているという、マイナスの要素が明らかとなっている。橋下維新に対するまともな批判も出来ないマスコミに対して、橋下+石原慎太郎の「維新」側は、更なる攻撃目標を明らかにしている。即ち、第二極となることによって、自民+維新の連立政権樹立であり、ここにきてそんなありうべからざる状況は現実味を増しつつあるのだ。だからこそ今回の選挙が、今後の我が国の将来に対して決定的な影響を与えてしまうであろうことを憂うとともに、何としても維新の排斥は最重要的政治行動であると云えるのだ。

現在の時点で考えられる最も危惧し排斥すべき政治的状況とは、自民と維新による政権獲得である。その間に公明が入るかも知れぬ、或いは民主が極めて馬鹿げたクッションの役割を担っていくのかも知れない。

消費税法案成立で負い目を負った民主がやりそうな選択である。出来るだけ早く民主は最低の野田を解任しなくてはならない。

此処は相撲におけるうっちゃりであれ、肩透かしであれ、あるいはとったり、けたぐり、であれ、維新に対して一矢報いる必要があるのである。その他色々あるけれども今宵はこのくらいにて、グッドナイト。

 

久しぶりの「蓮根ハンバーグ」にホクホクなのだ

久しぶりに「蓮根ハンバーグ」を調理して食したのだった。

先ずは新鮮な蓮根を荒めに研いで、同様につなぎとしての山芋も研いで、合わせてフライパンでじっくりと焼いていく。片面に焦げが付いたところでひっくり返して逆面を焼き、さらに焦げが付きかかったところで反転、という行為を2~3回繰り返してもちもちハンバーグの完成。ソースもまたマクロ流にて、冷蔵庫に残っていたほうれん草のあんかけ風に仕上げていた。

久々に食したマクロビオティック流「蓮根ハンバーグ」は、胃に染みてホクホクとした食感を味わうことが出来たのであった。

普通の「コロッケ」は確かに「メンチ」よりも旨い


じゃがいもたっぷりの普通のコロッケを食した。揚げ物と云えば脂っこい料理の代名詞とも云えるのであるからして、おいらはたまにしか口にすることが無いのではある。然しながら「コロッケ」については特別なOKメニューであり、度々口にすることが多いのだ。

小さい幼少の頃にはコロッケとミンチカツの違いがよく判らなかったものだが、今ではコロッケとメンチカツの違いこそ、おいらがコロッケを優遇して愛する理由が存している。即ちコロッケという大地の恵みをこくと味わいを付加して立派なメニューとなっているのだから、特別なのだ。

「花茶サポニン」の得も云われぬ香りに刺激される

 

「花茶サポニン」にお湯を注ぐと、可憐な花弁が開いていき、コケティッシュな香りと共にえもいわれぬ快感に襲われていく。目で見る限り、花弁のひらひらはとても繊細に蠢いているのであり、その繊細な仕草はまさに、浮世の人生そのものではある。

地元の居酒屋で食べた寄せ鍋の後の饂飩にほっこり

行きつけの地元の居酒屋で寄せ鍋を食した。店名を冠して「一平鍋」というメニューである。

■一平
東京都八王子市東町11-5

店名を冠したものであるからして、如何にもの気合が乗っており、牡蠣、鮭、鱈、海老、蛸、等々の定番魚類に加えて、白菜、豆腐に茸類等々が盛り沢山にてんこ盛りされている。スープの味付けは白味噌仕立てであった。鍋料理の中では素朴でポピュラーな、優れて部類のメニューである。

ほかほかと温まった最後には「饂飩」を注文していた。出てきたのは太目の噛み応えのあるもの。具材のエキスを吸って濃縮されたスープは多少の塩辛さが気になっていたのだが、太目の饂飩がスープのエキスを吸っており、想像以上に濃厚な味わいがグッドなのではあった。