冬に美味しい「ホッキ貝(北寄貝)」と「ツブ貝」の刺身を味わう

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二枚貝の中でも北国にて収穫され、かつ冬季には味覚的な旬を迎える貝類の代表が「ホッキ貝(北寄貝)」である。殻は厚く堅いが中の身は赤黒い奥深い身の味わいに魅了される。主に北海道で収穫されるものが東京関東圏内にて流通しており、北国からもたらされた貴重な二枚貝と云うイメージが染み付いている。

近頃ではこのホッキ貝はフランス料理の具材としても重宝されているようだが、日本人のおいらとしてはやはり生の刺身として味わうのが一番である。

二点盛りとしてもう一つの盛られていたのが「ツブ貝」である。。巻貝の一種であり、食感はとてもコリコリとしており噛み応えも満点だ。アワビやサザエに比べると柔らかだが、その身は味わい深く貝類の刺身としても逸品の代物なのである。

上州路 光のどけき 冬の晴れ

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強大な寒波が関東地方を襲うだろうという天気ニュースを耳にしつつ、上州に帰省中のひとときは、まさに冬晴れの光景であった。あたかもロシア人並にゴテゴテと厚着して帰省したのではあり、それかあらぬか杞憂していたほどの強烈なる寒気を感じ取ること無く帰省中の時間を過ごすことができた。

ともあれ本日は冬晴れ天晴れの故郷にふさわしく、青く澄み切った空の向こうには、上州のそれぞれに屹立する名山の一帯を目にすることができたのである。

久しぶりに群馬県庁の最上階の展望室から眺めた上毛三山こと、赤城、榛名、妙義の山々の美しさに触れていたことに加えて、白白として雪を湛えた浅間山の姿は凛としていて神々しさに満ちていた。上州の冬期の天晴的な景色の一端なのである。

下町「堀切菖蒲園」の「のんき」で一献

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下町葛飾区内、京成線「堀切菖蒲園」で下車して数分の場所に「のんき」というもつ焼き居酒屋が存在する。下町ながらの店構えに加えて、モツの下ごしらえが行き届いていることなどから地元民以外にも幅広い呑兵衛たちの注目のまと的な店なのである。

呑兵衛たちに支持されているのは数あるもつ焼きの中でも「シロ」と呼ばれる大腸の部位である。じっくりと数時間かけて煮込んだシロモツを炭火で焼いていくのだ。だからそれだけ下ごしらえに時間をかけていて、例えばメタボ的親爺も体重なり生活習慣病なりを心配することなく食することができるのである。

同店ではもつ焼き以外にも、煮込みやポテトサラダといったメニューが人気であり、幅広い呑兵衛たちに支持されている居酒屋だということを思い知っていたのである。

同店ではホッピーというメニューが無かったので、おいらは他の呑兵衛が口をつけていたものと同じの「ハイボール」を注文していた。ウイスキーではなく焼酎がベースのものであり、素直に味わいつつ酔にまかせることができていたのだった。

■のんき 東京都葛飾区堀切5-20-15

煮干しのスープが美味い「煮干鰮らーめん 圓」

 

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八王子駅から徒歩数分の狭い路地にある「煮干鰮らーめん 圓」は、煮干しのスープが美味いと評判のラーメン店。八王子市民から強い人気に支えられている。豚骨スープや中華系鶏ガラスープを食べ慣れている人間からすれば奇異な気もするが、細めのストレート麺にマッチしており、意外にもスッキリと食べやすいスープに仕上がっている。魚介系の出汁の味は懐かしいものがあり、食べ終わった後にも長時間、味の余韻を楽しんでいたのである。

そもそも煮干し出汁と云えば、おいらが幼少の頃には味噌汁の出汁として身近なアイテムだったのだ。であるからこそ美味しい煮干し出汁に対しては特別な愛着を持っている。貴重な味わいの原点なのである。

■煮干鰮らーめん 圓
東京都八王子市横山町21-21

沼田まほかるさんの「痺れる」を読んだ

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2011年に発表された「ユリゴコロ」では第14回大藪春彦賞を受賞し、本屋大賞にもノミネートされるなど、出版業界関係者に注目された沼田まほかるさんの短編集「痺れる」を読んだ。2013年版「この文庫がすごい!」(宝島社)では第4位にランクされたという。目利きの本読みたちからの熱い支持が寄せられているということでもあり、ミステリーの愛好家にとっては特別に注目の的となった一冊となっているのである。

作家のまほかるさんは主婦、僧侶、実業家、等々の経歴を経て作家となったという異色の成り立ちから注目されることも多いようだが、この短編集「痺れる」では、そんな悠長な判断基準はうっちゃっていて、一人前の作家として認められる以前の作品集の数々の、まさにまほかるさんワールドの真髄に触れるかのごとくの発見がいっぱいなのだった。

日常的にはあまり取り上げたくないような、人間存在の闇の部分を作品上のテーマとして浮かび上がられて行くような作品の数々。病んで、汚れて、膿をもつ精神の禍々しさを摘出していくような短編集の存在は、一般的な読者にとっては禍々しいものと写っているのに違いないのだが、まほかるさんマニアやその他の人々にとっては、拝すべき作品集となっているのかも知れない。

西八王子駅近くで極太「八王子つけ麺」に遭遇

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昼休み時間の仕事の合間にJR西八王子駅周辺を訪ねたところ、八王子つけ麺の専門店に出くわしたのだった。その食したつけ麺は一言で言えば極太。注文してから10分以上も客を待たせている。まさにつけ麺専門店の条件に叶っていた。

ラーメンつけ麺よりはうどんのつけ麺、殊に八王子に多い武蔵野うどんのつけ麺に食感が近い。ゴン太の麺に負けない漬け汁に浸した麺は、じっくりと時間を掛けて味わうに相応しかったというべきなのだった。

昼食時は葱や麺の大盛りが無料になるということだったので、そんな声につられて葱&大盛りを注文してしまったのだった。久しぶりにガッツリとした食感のつけ麺を食べることができたが、さてはさてな、一事が万事のダイエットのリバウンドのきっかけになってしまうのかと思うと、憂鬱至極なのである。

鍋仕立ての「七草粥」で弱った胃腸のメンテナンスをはかる

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本日1月7日は七草の日。「七草粥」をつくって食するのか日本全国一般のならわしである。ここ数年はならわしに則り「七草粥」をつくってきたが、本年は鍋仕立てによる七草を食することにした。正月になまった身体のメンテナンスに、「七草粥」ほど適切なメニューはないということを体験的に知悉しており、毎年かかすことができない。という訳で兎にも角にも大急ぎで、鍋仕立ての七草粥を作ったのでした。最近は有難いことに「春の七草」として七草粥の材料パックが売られている。

基本的に七草と云えば、スズナ、ハコベラ、ナズナ、スズシロ、ホトケノザ、ゴキョウ、セリの七種の薬草を指している。薬草とは云いつつも、スズナはカブ、スズシロは大根のことを指しており、セリは定常的にスーパーに並んでいる食材だ。これらの七種をまとめて調理することに特別な意味か存することは明白であろう。即ち、日常的素材に少しばかりの祭りの要素を取り込んだという、伝統的なイベントなのである。

淡白な七草の味を出来るだけ味わおうと、味付けは、一振りの塩のみにて調理した。すずな、すずしろはほのかな甘味があり、せり、なずなは程よい苦味成分がじんわりと傷んだ内臓を癒してくれそうだ。塩以外に一切の調味料を廃して調理した七草粥は、七草それぞれが個性的な味わいを有していることを示していた。多少大袈裟な表現を用いるならば、甘い、辛いといったそんな言葉に出来ない、食物そのものの味わいを愉しむことが出来たのである。

食物は生命を授かる全てのものにとって大切な代物だが、そもそも人間とくに現代人は食生活を蔑ろにし過ぎるのだ。欲望に任せて好みの食物をあさる姿はまさに、餌をあさる狂犬と大した違いなどなく、いつとち狂って豚や牛を襲うかも知れぬ。そうならないように人間が食べるものは確かなものを吟味する必要がある。七草のように、大地に静かに根を生やし生きている野草類には、食欲ではなくして心に直に通じて染み入るものがある。栄養素や科学的分析では決して捉えきれない、昔からの人間と食物との関係性が存在している。食欲と食物との関係はいずれ破綻を来たすことになるが、古くからの叡智として受け継げられた食文化は、貪欲な人間たちに正しい道を示してくれるのだろう。

こんな野草粥は、本日に限らずこれからときどき調理して食したいメニューなのだとつくづく思う。七草はなかなか揃わないだろうか、三草、四草ならばいろいろ揃うことだろう。これからもときどきは、野草粥を有り難くいただきたいと考えている今宵なのである。

帰省中の故郷で懐かしいオムライスの味に触れたのだ

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先日は新年で帰省していた間、ふと立ち寄った喫茶店のランチメニューで、とても懐かしいオムライスにありつくことが出来たのだった。

オムライスと云えばおいらが上州にて生を受けて以来、幼少の頃からとても好きだったポピュラーな料理であった。上州前橋市内のレストランではよくこのオムライスを食べて味いっていたという想い出が浮かぶのだ。我家で食べたのはおそらくは玉子の包み方がぞんざいであったりしたのだが、それでもケチャップライスとそれを包み込む薄い玉子焼きのハーモニーには幼い頃のおいらの食欲を頗るそそっていたものなのだった。それくらいにおいらにとっての懐かしき味わいがこのオムライスには凝縮されているのである。

オムライスとは元々洋風料理ではあるが、かつて食べてきたオムライスといえば、チキンライスにケチャップ味という、和風洋食の味わいが濃厚に漂っていたものだ。卵料理の中でももっともその恵みをストレートに味わえる大衆料理として、長らく日本人の舌と胃袋を満足させてきていたのである。

そんなこんなを思いつつ味わうオムライスには、故郷の想い出がえらく凝縮していたということなのだった。

冬季の寒さを受けて欲しくなるのが「博多モツ鍋」である。

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冬になって食べたくなるメニューの一つが「モツ鍋」である。九州博多が発祥であることから「博多モツ鍋」という名前でポピュラーとなっている。本日はそんな博多風のモツ鍋にありついていたのであった。具となるのは白モツと呼ばれる牛の小腸、或いはその他の内臓モツ類に、キャベツ、ニラ、玉ネギ、ニンニク、唐辛子が基本となる。スープの味付けは、味噌か醤油の濃い口のもの。キャベツとニラから滲み出る甘味と水分とが、具材に奥行きを加えてゆくのだ。モツの量はそう大量に入れる必要も無く、そもそもカロリーは低くて、しかも野菜の比重が高いことから一時は「ヘルシー鍋」とも称されていたことがあった。煮込んだモツは柔らかくなるが、シコシコしたその食感を噛んで味わうのが楽しみの一つだ。牛の霜降り肉などのようにすっと胃袋に下ってしまうものではないが故に、シコシコしたその食感を噛んで味わうのが楽しみの一つだ。顎の運動にもなるからダイエットに適したメニューとして注目に値するのだ。もう一つの主役が「キャベツ」なのだが、キャベツを使った鍋は多くはなく、大体の鍋には「白菜」が用いられている。カロリーは白菜に比べて若干高いが、やはりこれも顎を使って噛み切る運動にもなり、食べ心地も満足度も高いものがある。このようにモツ鍋とは、ほかほか温まるのみならず、じっくりと食したときの満足感も高く、ダイエット食メニューとしての条件をクリアーしている。冬の季節だけのメニューとするにはもったいないものがあると思うのである。顔を出したモツはピチピチとしていてコラーゲン豊かなことを示している。コラーゲンばかりに関心が向いているわけではないがどうもこの歳になると肌の艶テリを回復させたい気持ちに駆られている。

芸術新潮最新刊「つげ義春 マンガ表現の開拓者」号を購入

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最新の「芸術新潮」では、デビューして60周年になる漫画家のつげ義春さんの特集が組まれている。80数頁にもおよぶ大特集で、25年以上の休筆・隠棲状態にある漫画家ことつげさんの4時間にもおよぶロング・インタビューあり、つげさん撮影の秘湯写真あり、代表作品原板の写真頁あり、等々と豊富なコンテンツに満ちていて、買わない理由が見つからなくて当然の如くに購入していた。

4時間にもおよぶロング・インタビューの中でつげさんは、意外な最近の困りごとまで述べている。元人気作家以上に伝説の作家ならではの悩みであり、休筆後もこうしたトラブルに悩まされる巨匠作家の存在感の強さにはおいら個人的に天晴の思いを強くしていたものである。

<a href=”isbn:4910033050148:l”></a>

http://www.shinchosha.co.jp/geishin/2014_01/01.html

浅草の正月風景にアベノミクス的浮遊族の姿をみた

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正月だからとふと浅草の「浅草寺」参りを試みたのだが、最寄り駅で下車してすぐ、何十分か何時間かも判らない長蛇の列を目にしてすぐにその気持ちは萎えていた。直ぐに気持ちを入れ替え長蛇の列を外れて正月の浅草の街中を歩いていたら、バブルに浮かれていた90年代の光景を彷彿とさせるかのごとく、道行く人々の浮かれた顔が目についたのである。所謂アベノミクスの仕業であろうがこうした光景は見ていて決して気持ち良いものではなく、却って今の時代の時代的な腐化的現象を感じさせる。人々はお参りやら買い物やらへと賑わっていて忙しそうだが、これが将来的な未来へのビジョンを表しているとは云い難い。浮かれた人間たちの背後にあるのは近視眼的な欲望の肥大であり、ここ十数年来無かったものではある。日本人が全てアベノミクスに踊らされているなどとは考えたくないが、浮かれた日本人の多くがアベノミクスに踊らされている。しっぺ返しは相当覚悟していたほうが良いだろう。

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三菱一号館美術館の「近代への眼差し 印象派と世紀末美術」を鑑賞

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三菱一号館美術館を訪問した。現在同美術館にて開催されている「近代への眼差し 印象派と世紀末美術」展を鑑賞する為である。同美術館が所有するコレクション作品の中から、ルノワール、モネら印象派作品をはじめ、ルドン、トゥールーズ=ロートレック、ヴァロットン…、等々の画家たちの、テーマに添って選ばれた149点が展示されている。

生で接したルノワールの少女像や裸婦像は、薄暗い展示室に在っても鮮やかな色彩をたたえており活き活きと見るものに語りかけてくる。まさに一級の具象絵画との出会いに相応しい。

オディオン・ルドンによる版画作品も、静かに夢の世界からのメッセージを語りかけてくる。描かれた19世紀の西洋人の姿形が示すのは切なくて濃厚でもあり、時代を経た人間同士の語りかけが交わされていたのである。

「画家たちの夢と理想 自由の輝き」というのが同展の副題である。今更の思いがあるが、西洋近代画が示す基本的なテーマとしての基本を表している。

印象派作品に接して西洋絵画を嗜むにはもってこいの企画展であると云えるのかもしれない。日本人にとっても西洋の印象派作品が好まれていることが、展覧会場に足を運ぶ多くの愛好家たちの姿を見ればわかる。だが特段にインパクトを有するテーマ性や目玉的作品は無い。

http://mimt.jp/

新年の初鍋「キムチ鍋で」温まった

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新年2014年のお慶びを申し上げます。本年もよろしくお願い致します。

本日は新年の計を立てようとしたが、思うようにはいかなかった。なにせ暮れから新年にかけてのおいらの日々はといえば、てんやわんやだったのであり、所謂一つの認知症騒ぎで、大晦日という一日が終わってしまった。そんな日なのだったのだった。そしてその後は新年のお参りも何も後回しにしつつ、途中下車にて「キムチ鍋」をつまみにして一献傾けていた。2014年新年の初鍋は「キムチ鍋」で、したたか温まったのであった。

生豆腐の揚げたて「厚揚げ」で一献

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年の瀬も押し詰まっている今日、地元行きつけの居酒屋で、初めての裏メニューの「厚揚げ」を食することになった。通常のメニューには記載されない裏メニューと云うには理由があって、生の豆腐を注文を受けてから植物油で揚げて調理されるものなのだからであり、それだけ手が込んでおり、料理人の思いが詰まっているのだ。

所謂「揚げ出し豆腐」とは異なっていて、しっかりとした衣がさくさくとした食感を醸しており、中は絹豆腐のトロリとして繊細な風味が舌を襲う。こんな料理はまさに「Tokyo is a city of Dinamic ・・」云々と云った前東京都知事こと猪瀬直樹の言葉を惹起させるが、実際は其れ以上の逸品的な代物ではある。

厚揚げとはどこのスーパーにも置いてある日常的大衆メニューであり、取り立てて騒ぐこともないのは重々承知なのではある。だがしかし、こんな自家製厚揚げはといえば特別な裏メニューなのだ。おいらの出身地、群馬の田舎では、厚揚げのことを「生揚げ」と呼んでいる。生のままの絹漉し豆腐をそのまま油に潜らせる。10数分を経て揚がり上がったほ くほくのものを、葱、生姜、鰹節をのせ醤油を掛けていただく。まさしくほっかほっかの豆腐の旨みに加えてカリカリとした殻の食感がたまらない旨さのハーモ ニーを醸し出すのである。

冬季に美味しい「白子ポン酢」を食した

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冬に美味しくなる食材の一つが「白子」である。其のポン酢和えの「白子ポン酢」を食したのだった。主に鱈(タラ)の精巣がその身の食材である。ポン酢でしめたこのポン酢和えが一般的な料理ではある。見るだけで冬の到来を感じさせる。

近頃では鍋料理にもこの白子が使われるというが、勿体ないことこの上なく、やはり白子はポン酢に限るのである。つるつるっとした食感に、奥深いほんのりとした甘さと旨み。たんぱく質が豊かであり、ビタミンDやビタミンB12といった成分も豊富な食材である。

最大の 難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらない。有り難くもあり危険 でもある、扱いが難しいことこのうえないのである。

ポン酢以外にも鍋料理に白子が脇役として添えられることはままあるが、以前に食した「白子のホイル焼き」という白子が主役の温ったかメニューは、とても有り難い思いがしたものである。

「肉じゃが」にこそ日本料理の栄えあれ

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「和食」が無形文化遺産に登録されてから久しく時が経過している。おいらは勿論のこと、和食は大好きであり、日々の食生活の基本である。然しながら「和食」という概念はと云えば頗る曖昧なのであり、単純明快に「和食」イコール「日本食」とは云い難いという状況が存在している。

そもそも「日本食」としてイメージされるのは、「寿司」「刺身」といった生魚に関するものである。日本近海で収穫されている魚が日本人の長寿命を支えているのは医学的な客観的事実ではあり、寿司や刺身やその他諸々の料理以上に、鰹出汁と鮮度の良いじゃがいもと、そして醤油という逸品的な調味料によって成り立っている肉じゃがにこそ、日本料理の栄えあれなのである。

馬肉専門店、町田「柿島屋」の桜鍋

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入院中の友人の見舞いに行った後、友人達と町田の「柿島屋」を訪れた。忘年会を兼ねた其処の「桜鍋」は、レトロな店内のテーブルや特製の鉄製鍋の風情が相俟って独特な味わいを醸している。

桜鍋に盛られた馬肉は赤々として鍋の半分以上を覆い尽くしており、火が入ると灰色がかって益々食欲を刺激する。すき焼き風に生玉子を割った小皿に乗せて食べた其の馬肉は、噛み応え満点で、噛めば噛むほど口腔内に旨味が膨らんでくるようだ。

〆には太めの蕎麦がおすすめだということなのでそれを注文したが、じっくり溶け込んだ馬肉の出汁と蕎麦の風味が合わさって、食べたことの無い独特な〆の料理となっていたのである。

■柿島屋
東京都町田市原町田6-19-9
042-722-3532

自家製ミネストローネのロールキャベツは頗る美味なり

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昨日はおいらが自宅にて調理したミネストローネのことなどを記述したが、本日はそんな一晩寝かせたミネストローネを元にして、ロールキャベツの煮込み料理を調理してみたのであり、これがまた想像以上の頗る美味なる料理だったのだった、

欧風的根菜野菜のスープは、時間をかけて煮込まれていたことにより昨日以上に逸品的スープとなっていたのであり、そんな逸品的スープに煮込まれたロールキャベツの味わいは逸品至極の味わいだったと云ってよい。

具沢山の欧風「ミネストローネ」でほっこり温まった

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冬には冬の特別なスープが欲しくなるものである。本日おいらがつくったのは、冬の欧風イタリアンスープの代表的な「ミネストローネ」であった。イタリアンの代表的なスープであり、人参、玉葱、ジャガ芋、セロリ、等々といった冬の根菜野菜がメインの食材であることが特徴なのであり、冬季には食べない訳にはいかないメニューなのである。

ほっこりほっこりと、昨日から同じテーマの記述がだぶることになったが、日本の鍋と欧州イタリアン風スープとの間にある奇妙な共通性を感じ取っているのだ。出汁やスープの味付けは異なるが、どちらも冬には冬の旬の食材である根菜類を多様していることだ。肉類や魚介類を用いていないのが、野菜類の豊穣な味わいを尽くしているようだ。

ところで和食こと日本の伝統料理には無いミネストローネに不可欠の食材が、セロリである。おいらが幼少の頃には、恐らくは無かったようだ。だがこの冬野菜はと云えば、筋が気になる独特の食感や、鮮烈な香りで魅了させているのであり、時々食べなくてはもの恋しくなると云った逸品食材の一つなのだ。セロリの味わいはミネストローネの完成度に深く関与しているのだ。

ところで日本の代表的冬野菜のキャベツがこのミネストローネには無いではないか? とふと考えたおいらは、ミネストローネスープで煮込んだロールキャベツを明日作って食べようと考えている。きっと味わい深い料理になることだろう。