銀座のレトロな穴場ギャラリー

これまで銀座のネタはといえば、飲み食いの話題にばかりであったことを反省し、今宵は芸術の秋にも相応しく、画廊の話題など少々。

ビル自体が骨董品である。

ビル自体が骨董品である。

レトロなアコーディオン扉が懐かしいエレベーター

レトロなアコーディオン扉が懐かしいエレベーター

誰が呼んだか「画廊の街銀座」は、犬も歩けば画廊に当たるっちゅうくらいに画廊がひしめきあっている特異な街なのですが、そのほとんどは画商という、得体の知れれないモンスターが仕切っているので、例えば地方から上京したばかりのお上りさんとか、日本観光の最初の日を銀座に訪ねたビジッターさんたちにとっては、格好の鴨となるおそれが大なのであり、ご注意遊ばせなのである。お上りさんの目をしながら画廊に入ったが最後、「お客様、お目が高いです!」というお褒めの言葉に続いてあらゆる高等画商テクニックの実験台にされること必至である。おいらも同様の経験豊富では有るので身につまされること大なのであり、余計なお節介を述べたものなり。

ところで吾輩が銀ブラしながら時々訪ねるスポットに、銀座1丁目の「奥野ビル」があります。一見して時刻が止まってしまうくらいにレトロなビルであり、一度そこに足を踏み入れたことのある人間にとって、そのゾクゾク感を追体験しようとして、何度も足を運ぶことになること必至なり。馬鹿なミーハーどもが集る、かの「メゾンエルメス」なんてものは女子供に任せておけば良いのであります。

レトロなビルに相応しく、大昔の銀座三越に採用されていた、アコーディオン扉のエレベーターに乗って、画廊散策するのはとてもお薦め体験です。人も住む住居が有るというこのビルの中には、十数件の画廊がひしめき合っていて、ゾクゾクとして画廊の扉を開けたときの快感は、他では味わうこと無いものであったと実感している。それくらい貴重な「奥野ビル」。銀ブラしながらゾクゾク感味わえるスポットが、時代とともに減ってしまった。古きものを簡単にぶっ壊す悪しき風潮に「渇!」なのである。

今日は股々、そんなゾクゾク感を期待して同ビルを訪れたのだが、ただし、特別な出会いや発見はなかったのである。残念!

レヴィストロース逝去の報に接して

ご存知構造主義の大家、レヴィストロース博士が逝去したという報道が目に入ったのは昨日だった。御年百歳。いわゆる大往生であろう。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2659474/4848350

かつておいらも彼の著書「悲しき熱帯」などを、難しすぎるなと感じながらも熱心に読みこなそうとしていたものである。いわゆる近代主義とは西欧中心主義にほかならず、そこにメスを入れていた思想家の一人として、我が国の吉本隆明は特筆されるが、吉本にも負けず劣らずの思想的営為を世に認めさせた思想家こそは、レヴィストロークさんだったのだろうと思います。彼の残した「構造主義的」な足跡の数々は、人間への根源的な思索がぎゅうぎゅうと詰まっているがゆえに、極東の小国である日本のおいらにも、ずきずきと突き刺さるものがある。世界の巨星が逝ったことをしみじみと感じているのである。

ホッピーによく合うメニュー

肌寒さが身にしみる秋本番である。昨夜もまたおいらは、ホッピーのあるお店へと足を運んでしまいました。それはそうと「ホップス」はサントリーが出した発泡酒であり、麒麟ではありませんよ。みなみさまお間違えなきようご注意遊ばせまし。もちろんここで云う「ホッピー」ともまた関係ありません。

そもそもホッピーが最初に市民権を得たのは戦後間もない頃のことで、当時のビールもろくに飲めなかった貧しい小市民が、ビールテイストの炭酸飲料として糊口を凌いでいた、云わば代用品であったのだが、近頃ではあの恐ろしい痛風の原因因子であるプリン体が少ないことから、おいらみたいな高尿酸血症人類に好まれているのである。甲類焼酎と組みあわせれば、ビール以上の健康飲料なり。

些か前書きが長くなったが、地元のサラリーマンたちが足繁く通う某居酒屋店の、創作的おすすめメニューを発見したので紹介しておきます。

イカとアボガドの辛子マヨネズあえ

イカとアボガドの辛子マヨネズあえ

イカは生でなく、程よく湯通しされていてなまぐさくなく、アボガドとの相性が絶妙である。芥子マヨネーズもオリジナルで辛すぎたりせず心地よい。オリジナルメニューをさらりと出せるこんな店は、何度足を運んでも飽きることがないのである。

プラモデル作りに苦戦中なり

シャッターのバネの調子がおかしいのです。

シャッターのバネの調子がおかしいのです。

学研の「大人の科学」という雑誌に「二眼レフカメラ」のおまけがついていたので、ふろくにつられて買ってしまった。ふろくつきで2500円、決して高い買い物ではない。プラスチック製とはいえちゃんと35ミリフィルムを使えて撮影可能という代物だ。

けれどその後がいけない。少年の頃にはプラモデルを組み立てるのは得意で、友人に見せびらかしたりもしていたものだが、昔とった杵柄が、云十年もたっておいそれと通用するはずもなく、悪戦苦闘なのである。

肝心のシャッターの組み立てがうまくいかない。子供の頃の器用さがウソの様にてこずっている。本当に使えるカメラはできるのだろうか? もし幸いにも組み立てが成功した日には、自作カメラを持って撮影日記などつけたいものだが、一向にその日はやって来そうにないのだ。

ホッピーの将来は如何?

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銀座のガードしたでホッピーが飲めるのは嬉しい

ホッピーについて先日は、当ブログでも「ホッピー党宣言」とやらをしてしまったという事情も有り、ホッピーの将来は如何なる苦渋が待ち受けているか、などといった消極的思考に雁字搦めにされていたものだったのでした。でも今日からは心と身体を入れ替えて、幸ある「ホッピーの将来」をかなでていこうなどと考えているのであります。
そこで考えたこと。

【ホッピーのある店】の条件とは?

【その壱】
まず第一に圧倒的なのが、もつ焼きやである。焼き鳥、焼きトンと、その種類はまちまちだが、両者をあわせて、そのたぐいの店のほとんどには「ホッピー」があるのだ。(※まあ地元の事情で無い店もありましょうが…)

【その弐】
余りに形式に格しきばらずに、ほどほく調和した新規嗜好なりを積極的に取り入れている店。逆に言えば頑固おやじ系の店には例えば麒麟のラガーしかおいてなかったり、サッポロのラガー(小売店にはない)しか無かったりするので、残念である。

泰明小学校のアートイベント

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今日から11月である。秋本番。この時期11月に入ると寒さが身にしみることをいつの間にか学習するとともに、ここ数年来、おいらがかつて画学生としての時を過ごした多摩美の秋本番の芸術祭に足を運んでいたものだが、今年はひょんなことから多摩美ではなく、中央区銀座の「泰明小学校」を訪れていた。「銀座あおぞらDEアート」と銘打ったアートイベントが催されていたからである。

誰が名付けたか「画廊の街銀座」の、画廊、画商が中心となって企画された、若手のアーティストたちの作品発表の場となっている。銀座の一等地に構える名門小学校だけあり、狭いながらに堂々の佇まいには「天晴れ」の一言。最近は仕事柄、ここ銀座を縄張りにしてきたおいらだが、名にしおう泰明小学校の前を何度も通り過ぎながらも、一歩もそこへ足を踏み入れること叶わなかったこともあってか、まずは泰明小学校のグランドの土を踏んだことの嬉しさ、感慨が込み上げる、何茶って…。

美大生や美大卒業して間もない若手の作品群が、狭い会場を取り巻くように並べられていて、やはり想像以上に目の収穫有り。画廊、画商が関係しているとはいえ作品を売買するといった光景はほとんど見られず、そのぶん打ち解けた、若手アーティストとの自然なふれあいがあり、大変希少な時間を過ごすことができたのでした。

若手の出展者の中には、卵のオブジェを作って販売していた多摩美の後輩女子が居て、重ねて展示されていた卵のオブジェたちの中で、ひときわ輝いていた自筆メッセージ入りの作品を、250円という格安でゆずってもらってすごい満足感やらを味わったのでした。

ホッピー党宣言

「発泡酒の時代」が来ても「ホッピーの時代」はいっこうにやって来ない。これは90年代の酒税法改定の流れが最大の要因となっている。

日本人なら誰でも知っていることだが、かつて1994年にサントリーから「ホップス」が発売されたのが、発泡酒ブームのルーツである。実はそれ以前の戦後の一時期にも発泡酒が売り出されたことがあった。だが当時はヒットする気配さえ見せなかった。「カストリの時代」と呼ばれていた当時、発泡酒は人々の記憶に残ることさえなく、敗れ去り消え去ったのである。それが平成の時代の大逆転なのだから、二度びっくりである。

寮美千子さんが先日のコメントで指摘していただいたことだが、発泡酒といえばビールに比べて「軽くて、偽者で、チープで、そこそこ楽しい」という4条件を満たしている。平成の時代を背景に、現代人が求めている嗜好に見事にかなっているかのようだ。馬の鼻前に吊るされた人参を追う馬のように、人々は発泡酒を追い続けていくのだろうか?

そんなことを思うたびに、「発泡酒」を飲みたくなくなる。最近の晩酌は、外ではホッピー、家ではビールと決めているのもそのためである。

「発泡酒の時代」再考

時代は「発泡酒の時代」であるということを、以前書き記していた。だか余りピンとこない、中途半端な考察であった。今日あらためてそのことを思い出し、ほろ酔い気分で再考をしてみたいと考えたのである。

だがしかし、おいらの脳味噌はそうとうばかりアルコールに浸潤されていて、確かな考察などできる状況にはないのである。であるからにして、おいらはその決意だけ述べて、後日に託することにするのだ。

おいらのお好みはホッピーである。(少数派の悲哀を感じるのだ)

おいらのお好みはホッピーである。(少数派の悲哀を感じるのだ)

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

今年のノーベル賞受賞者が発表されて、もう数週間が過ぎてしまった今更なんだ! というお叱りもありましょうが、今日は村上春樹のノーベル賞は有りや無しやといった、我が国の文学関係者・マニアたちがもっとも知りたいと思われる話題に、ちょこっと触れておくことにした。何となれば、某未来のIT長者氏から「最近はブログから『1Q84』が消えてしまいましたね」という、痛いところを衝かれてしまったという経緯が有ったからであり、さらにまたこの時期を逃せば、春樹先生とノーベル賞との話題に触れる機会さえ逸してしまいそうな、そんなびくっとする予感に囚われてしまったからなのである。

結論から述べれば、村上春樹のノーベル賞受賞は「有り」である。日本の文学愛好家にとってはもとより、世界文学界の歩みにとって春樹さんの歩みは凸凹なる関係性をとりながらも接点を維持しているから、受賞の可能性は大と見なくてはならない。もとよりノーベル文学賞といえども、西欧中心のイデオロギー依存にとっぷり浸かっている。過去のノーベル文学賞受賞理由の大半はといえば、西欧スタイルのイデオロギーをどう身に纏った作品であるかが、述べられるばかりであり、今年はさらにその傾向が激しかったためおいらも些か呆れたのものである。そんな逆境を乗り越えるパワーは、春樹さんには備わっているのだろう。期待は大きく持っていくべきなのだ。

現在60歳にして、イスラエルに乗り込むパワーは尋常ならざるものがある。「1Q84」の4部作(3部作ではない)が完成するまであと3年以上先になるだろう予感はあるが、4部作完成の時こそ春樹さんのノーベル文学賞受賞のタイミングに相応しいのである。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

青豆と天吾が眺めた二つの月

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

「1Q84」BOOK4に期待する

リトル・ピープルとは?

村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

HERMESは鬼門である

銀座一等地に聳える総天然硝子張りのHERMESビル

銀座一等地に聳える総天然硝子張りのHERMESビル

銀座には様々なギャラリーなるものが、そこかしこと軒を連ねており、おいらも時々、いっぱしのギャラリーウォーカーなどを気取って、逍遙ギャラリー散策などを決め込むものだ。だが実は、おいらもまだ足を踏み入れたことのないギャラリーがあった。その名も「メゾンエルメス」である。

ネット界のアイドルことみなみさんもお気に入りの、ご存知超一流ブランド「HERMES(エルメス)」が経営するギャラリーであり、ソニービルと軒を並べて銀座に聳える総硝子張り仕様の豪華ビル(HERMESの自社ビルだ!)の8回だかの階上にそのギャラリーはあるという。そう聞き及んで久しいのである。だが未だ一歩もその中に踏み入れたことのない鬼門となっているのである。

「メゾンエルメス」に踏み込めない最大の要因はといえば、ビルの入り口に陣取っているガードマンの存在である。何度かこの場を強行突破して、正面突破をと試みたことがあったのだが、そのつど、睨みを利かせたガードマンの視線に嫌気をさしては、退散したものである。

これは決しておいらの個人的事情ばかりではない。同様の体験をした知人は少なくなく、知るだけでも3人は居るのだ。ところがどっこい、職場の女性陣などは新人だろうがベテランだろうがガードマンの視線など、何吹く風やとかいくぐって、ギャラリー見物を楽しんでいるようなのである。逆男女間差別の実例を目の当たりにした様でもあり、面食らったのだ。

数多居る職場の男性陣の中で、勇敢にもHERMESビルに足を運んだスタッフが居ないわけではなかった。だがその彼が先日はきわめて微罪の容疑で逮捕されてしまったのだ。胸騒ぎがしてきた。もちろんこの件とは別件である。しかも冤罪の疑いが濃厚である。ただこの件とは少なからずシンクロしているようでもあり、おいらも強行突破は暫しの間見送ることと決めたのである。君子危うきに近寄らず、などといった高尚なものでもない。とんでもないくらいの遺憾な現実なのである。

一見紳士風だが、その目付き・視線は尋常ではない

一見紳士風だが、その目付き・視線は尋常ではない

銀座立ち食い満腹ランチ

ボリューム満点の「秋刀魚蒲焼丼」。480円なり。

ボリューム満点の「秋刀魚蒲焼丼」。480円なり。

銀座のランチといえども、気取った高級店舗のものばかりではない。裏道散策してみれば、いろいろ面白い店舗に遭遇すること数多く、おいらも実は2日に1日はそうした裏道ランチ(そのほとんどが立ち食い系)と決めているのです。

写真は本日立ち寄った行き付け店の一品、季節限定品の「秋刀魚蒲焼丼」なり。「蒲焼」というのは不当表示であり実は「揚げて」あるのだが、そんな秋刀魚の半切身揚げがどーんと3つ乗っている、豪快さも満腹感も併せ持った代物である。ちなみに同ランチ店舗は夕刻後には立ち飲み店舗に模様替えされて、なかなかの繁盛店でもある。

おいらの昼食タイムの後半即ち大体立ち食いの後は、公園のベンチで読書タイムと決め込んでいる。村上春樹、糸井重里、天童荒太、等々を白昼のベンチで活字を追うのも悪くない。時々は雨露に襲われる日があり、銀座某交差点界隈の「PRONT」で雨露を避ける。そこでは大衆的スパゲティなどをかっ食らう、否、かっ食らうのは立ち食いランチ丼の話であり、スパゲティの場合などは雨を愛ながらしっとりと優雅なイタリアンランチタイムを過ごすのである。

糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」

数多ある我が国のIT事業の中で、おいらが今最も注目しているのが、糸井重里が主宰している、ご存知「ほぼ日刊イトイ新聞」である。「ほぼ日」更新していこうという無謀な取り組みも、糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」に触発されたからにほかならない。

http://www.1101.com/index.html

改めて指摘するまでもないが、ITバブル崩壊後の今なお、旺盛なる企画力で、様々な試みを実現させているサイトである。今なお「1日120万件」のアクセスを誇るというのだから、マンモス凄ピー!な、モデルとするべきサイトである。

かつて、「ビッグな」(これも糸井さんの妙なるコピー力の賜物か)矢沢永吉の「成り上がりをゴーストライターとしてまとめたり、「TOKIO」の作詞により沢田研二の人気に活を入れたという実績もあり、そのディレクター的才能には畏敬の念を禁じ得なかったものである。世界の村上春樹さんとのコラボレーション的著作「夢で会いましょう」も、発想力が見事である。思想界の巨人こと吉本隆明との長き交流から生まれた、コラボレーションなどは、現在の「ほぼ日刊イトイ新聞」の目玉的企画として大きく成長させたものとなった。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のベースとなっているのは、豊富でありかつ強靭な人脈であろう。豊富な実力派執筆陣によるコラムは、同サイトになくてはならないものであるとともに、糸井さんとのコラボレーション的色付けされたものとして目に映される。味付けの妙がその後ろに隠されているようだ。おいらも現在、彼のディレクションの方法論などを分析中なのである。

「プロバンス アーチプランター」購入

これから何を置こうかと思案中。

これから何を置こうかと思案中。車輪が可愛いでしょ。

本日、地元のリサイクルショップに足を運んでいたところ、「プロバンス アーチプランター」という鉄製の置物が眼に入ったので、衝動買いをしてしまったのでした。プランターを並べて飾るインテリア商品のようです。幅2メートルくらいの大きさだったので、配送料を払って運んでもらいました。これから何を置こうかと思案中。自転車の車輪が可愛いでしょう。

天童荒太の「悼む人」読了

先日、知人から借りていた「悼む人」を読了した。

まずひと言。大衆小説の突破口を開いたともいえる作品ではないか、という印象を抱いた。

先日も書いたが、主人公の静人が、報道や口伝で知った死者を追って、「悼む」ことを続けていくというストーリーがこの小説の基本的な設定である。キャラクター設定の意外性が、その一点とてしてある。ヒーローではない。かといって見下げた存在ではない。しかもキャラクターが立っている。敢えて証明しなければならない過去の事実や、社会的立場を支えるバックボーンも見えてこない。まるでこの世に居そうもない設定ゆえのことから来る、意外性の設定に成功している。

「死」をテーマにした作品としてまず浮かぶのは、写真家・藤原新也が著した「メメントモリ」である。ここでは著者の放つ圧倒的な死の世界観に威圧されたり、近づくことを拒絶される不可知性が存在するが、「悼む人」にはそのようなものはない。ただ近づきたくないから離れている、適度な距離を保って接しているだけである。それが読者に跳ね返ったとき、「悼む人」は鏡のような存在なのかと納得するのだろう。

推理小説仕立ての展開からバックボーンを追っていたら、決してこの読了感は生まれなかっただろう。最後まで、主人公の静人の内面には取り込まれることなく、しかも清々しい読了感は、確かに残っている。

「謝辞」として記された本のあとがきには、7年かけて仕上げた作品とある。終末医療の現場やDVに関する細密な現場取材を経て書かれたことが察せられる、力作である。作者・天童荒太の詳細なプロフィールは目にしていないが、おそらくマスコミ報道の現場で修行したであろう著者の過去が、重なって浮かんでくる。嫌われ者記者・蒔野抗太郎の姿は、作者が接した誰かをモデルにしているはずだが、作家本人の姿と感じ取れないのもまた、意外性の設定の成果だろう。

一見まがもの、食べて納得の一品

地元居酒屋で、またまた見つけた一品である。

真っ黒に化粧された、その名も「ばくだん」

真っ黒に化粧された、その名も「ばくだん」

中を開けば、ピータンが丸ごとひとつ

中を開けば、ピータンが丸ごとひとつ

 

メニューには「ばくだん」とあった。真っ黒な揚げ物という説明書きとともに。黒いピータンが、真っ黒になって出てきた。いかもこってりと甘いたれに囲まれて出てきたのである。もともとあの臭みが好きだった「ピータン」だから、このようにアレンジされたらピータンらしくはない。極めて大衆的な発想の、創作料理である。

銀座「ルパン」と、時代の酒

銀座のレポートは昼に偏っていて、夜がなかったことに気付いたのです。そこで、以前おいらが某メディアにて記したレポートをアレンジして、銀座の名店「ルパン」について紹介します。

坂口安吾が愛した「ゴールデンフィズ」

坂口安吾が愛した「ゴールデンフィズ」

先日、銀座にある老舗バー「ルパン」に行ってきました。昭和3年に開設されたこの酒場には、太宰治、坂口安吾といった無頼派作家をはじめ、数多の作家、芸術家たちが足を運んだ社交場としても有名で、今なお彼らの足跡を辿るべく全国からのファンが訪れているそうな。少年の頃から太宰さんや安吾さんを敬愛してきた僕が、今頃になってここを訪れたのは遅きに過ぎたのですが、これも銀座勤めがもたらした巡りあわせなのかも。遅れて叶う出会いというのもまた乙なものでした。

何もわからないまま、安吾さんが好んで飲んだという「ゴールデンフィズ」というカクテルを注文してみました。ジュースに卵黄を入れてシェークしたものらしく、結構甘口系で、辛党の僕としてはとてもお酒を味わった気分にはなりません。銀座では銀座の酒をということなのか。無頼派の旗手こと安吾さんも案外銀座の振る舞いを熟知していて、人生と作品探求にも熱意がこもったのでしょうか。ちなみにこの日、何故太宰さんの愛飲した飲み物を頼まなかったかといえば、太宰さんは一流の道楽者ですから、きっと予算オーバーしてしまうこと必至であり、その点で、危険な香りを振り撒く女豹より、いささか口煩いが安心してつき合える堅実派の安吾さんによりシンパシーを感じていたためなのかもしれません。

よく知られているように、ここには林忠彦が駆け出しの頃に撮影した写真が展示されており、大きく額装された中には、一寸地味目にカウンターにおさまる安吾さんの姿もありました。林忠彦は当時「ルパン」を自分の連絡場所としていて、ここで知り合った安吾さんの住居に押しかけては、ごみだらけの仕事部屋で撮影した写真を発表して、話題をさらったものでした。のちにそれらの写真は「カストリ時代」という写真集にまとめられ、戦後の昭和二十年代を伝える貴重な一冊となっています。

「カストリ」とは粗悪な密造酒のことをいう。林忠彦が出会った当時の安吾さんの自宅では、時々仲間を集めては「カストリを飲む会」が開催されていたそうです。安吾邸にはカストリの入った石油缶がでんと置かれていて、それを仲間に振舞っていたというのだが、自分は「ルパン」でゴールデンフィズを愛飲していたのだから、安吾さんがはたして「カストリ」を好んでいたのかはなはだ疑問です。酒乱で鳴らした太宰さんや織田作と違い、安吾さんが泥酔する姿はあまり想像できません。仲間たちには安物の密造酒を飲ませつつ、こっそり高級酒をちびちびとやりながら推理小説のトリックを練っている。そんな安吾さんの姿を想像してしまうのです。それこそが無頼派の旗手として混沌の時代を駆け抜けた安吾さんの生き様ではなかったのではなかろうか。

それにしても「カストリ時代」とは粋なネーミングである。現代ならばさしずめ「発泡酒の時代」とでもいうのだろう、どうもピンとこないし味気ない。「ハイボール」の人気が上昇中だが、「ホッピー」ほどには人気定着の兆候は見られない。粋で天晴れなネーミングはないものかと悩む毎日である。

考えてみれば時代を表わす酒、あるいは時代のキーワード、ネーミングとはとても難しいものである。現在のマスコミが多用する「ネットの時代」「未曾有の時代」なんて全然駄目である。対抗できるのは一昔前に椎名誠が命名した「かつおぶしの時代」くらいじゃないかなと思うのであります。芸術作品は「時代を映す鏡」ともいわれるが、なかでも写真ほどこれに当て嵌まる媒体はないと云っていい。「現代」「今日」といった時間を写し取っているのだから当然のこととはいえ、時代の息吹を見事に活写した林忠彦や坂口安吾さんの取り組みには、益々畏敬の念を禁じ得ないのである。

「逍遙酔記」とさせていただきました

ふとした思い付きと、多少の意気込みなどが作用して、設立させた当ブログがスタートして1ヶ月余りを過ごすことができました。試行錯誤の毎日が続きますが、本日より、サブメニューの「逍遙漫記」を「逍遙酔記」に変更させていただきました。

かつて、おいらも参加していた掲示板界隈の、あの当時の大きな潮流をつくってはいた功労者ではあるが、近頃の総選挙では落選の憂き目にあったという、あの有田芳生さんのサイト名「酔醒漫録」(今夜もほろ酔いというサブタイトルもあったような)が念頭に過ぎっていたことは否定できないが、おいらもまた有田さんに負けず劣らずの酔漢でもあると自負しておりまして、また語感的にも「漫記」より「酔記」だろうという思いが急激に脳裡を占拠していたということからの変更であります。今後もこのような些細な変更がたびたびあるやも知れませんが、堅いことなどいわずに寛大な思いで見守ってやってください。

気功の力

本日話題にしたいのは、「奇行」ではなくて「気功」のこと。職場で、街中で、あるいは俗界にて、くだらない事象に出くわす度に、おいらは気功を実践する。気功に頼るというのではなく、否、出口を模索するのだ。

そもそも俗界のあらゆる事象は心身の健康を阻害するのだが、それは基本的に気が滞ったことによっている。そのような状況を解消し、邪気を祓う行為が、気功である。大地から「気」を受け入れ、全身に施そうとする。本日も、先ほど地上に出て(今居るところは階上の2階だから下に降りて)気功を行ってきたところなのです。

おいらがはじめて気功を実践したのは、今は亡き妻の病気治療によるものだった。その治療に立ち会っていたとき「気功」に巡り合った。残念ながら気功によって病気を克服することはできなかったが、病魔にともに立ち向かう力となっていたように思う。最近になってその当時を振り返りつつ、一人気功を実践する日々が絶えないで居る。もう少しパワーアップができないかといろいろな模索中である。