昨日に続き、春の訪れシリーズの第2弾である。
地元のいつもの居酒屋にて「小鯛の酢漬け」というメニューを味わったのだ。
小鯛とも或は桜鯛とも呼ぶ、稚魚から成魚へと育ちつつあれども未だ成魚とは云えないという、そんな成長期の鯛の刺身を酢漬けにしたものだ。成魚には無いピチピチした食感が魅力である。元々淡白な風味である鯛の身を、その成長途上の身を酢漬けにするのは、成長過程の鯛の身の弾力をほどよく引き締めている。些か大仰かもしれないが、日本料理の技が映える逸品といえよう。
秋に植えた球根が、いつの間にか芽を出していた。すっかり寒さが浸透して中々冬を通り過ぎることが出来ないようなこんな季節の中でも、根を広げてまっすぐ上を向いていた、そんな球根の芽を見つめると、春の来ない冬は無いということを実感した。
極寒も手伝ってか、未だ枯れきれない落葉の間にすっくりと目を見せていたのを発見したのは、2~3日前だった。近付いてみると、寒さに凍える濃緑色の逞しい力を見て取ることができた。まだまだ春の息吹を見せているとは云い難い。凍えてなお春を求めて成長する姿はこの時期ならではの、或は今年の特別な姿なのかもしれない。
今年はチューリップのほかに、ヒヤシンス、クロッカスなども含めて球根栽培を行なっている。様々な形の、色の蕾が花を広げていくのがとても愉しみなのである。
球根植えのときは地中に穴を開けて2~3cmの土をかぶせてきたはずだが、球根の実が土上に浮かび上がるようにして茎を伸ばせていたものもあった。東京では珍しい豪雪や豪雨により、土壌の混乱が反映されてしまったのかとも考えた。天然で育つほど生命力ある品種ではないだろうから、これからその成長を見守っていく必要もありそうなのだ。
東日本大震災からまる1年の今日、復興支援をテーマにした「つくることが生きること」という企画展がスタートした。
■「つくることが生きること」
東日本大震災復興支援プロジェクト展
3月11日(日)~25日 12:00~19:00
会場:アーツ千代田3331
東京都千代田区外神田6-11-14
TEL 03-6803-2441
被災地にて復興に尽力する人々の等身大のメッセージを捉えた映像作品が流され、復興とアートとの密接で強靭な繋がりを意識させる視点が強調されている。
往々にしてアートや映像の限界、無力感に襲われるが、それを打ち返すのもまた、これらのたゆみなく「つくりこまれた」映像やアートの力であろうと思うのだ。
会期中は、「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)、「なみのおと」(濱口竜介、酒井耕監督)と云った映像作品の上映&トークイベントも予定されており、復興への力を与える一助になると期待されている。両作品の上映日(17日)はおいらは所要で足を運べないが、とても気になるイベントである。
高田渡さんが没後にリリースされた「高田渡、旅の記録」と云うCDを、某リサイクルショップにて入手した。2枚組みのCDに43作品が収録されている。うちの10作品が「トーク」であり、渡さんならではの軽妙な喋りが収録されていて面白いこと極まれる。かつて何度か接したライブ会場でのトークに聞き入ってしまったときのことを想い出して止まないのである。
高田渡さんの人生はまさに「旅」と呼ぶに相応しいものであった。「演奏旅行」と称して全国各地を巡り各駅停車の旅をし続けていたのだった。かつておいらが写真展を行なうときに高田さんに挨拶に出掛けたのだが、「僕はいつも旅をしているので、写真展には顔を出せないと思います」と、ある種の素っ気無い反応を示されたことを、昨日のことのように想い起こしている。人生とは旅の如く。そして彼の旅とはまた、歩き続ける創作の日常的な生業其のものであったのであろう。
お酒が無くては生きられないくらいに耽溺していた渡さんの日常は、恐らく寿命を縮めてしまったことであろうが、酒と旅とそして人生を謳歌した高田渡さんに、あらためて「あっ晴れ!」なのである。
牛という哺乳類は4つの胃袋を持っている。「ミノ(第1胃)」、「ハチノス(第2胃)」、「センマイ(第3胃)」、「ギアラ(第4胃)」の4つである。草を主食とする草食動物でありながら、このような独立した胃袋を持つということは即ち、人知が及ばぬ自然の叡智が働いている一つの実例であると考えられる。生命を維持する機能の細分化については、人間が他の生物をおいて断トツだ等という説は、説得力を持たない俗説の一つとして取り扱われるべきである。
それはさておき、4つの胃袋の中では「ハチノス(第2胃)」、「センマイ(第3胃)」の2つがモツ焼き屋の人気メニューとなっているのは、それらの独特の見た目、派手なルッキングのパフォーマンスによっていると常々考えていたところだ。それに引き換え「ミノ(第1胃)」、「ハチノス(第2胃)」の2つは、胃袋としての重要な機能を担っているのであり、ある種の地味なこの2つの胃袋が有する機能とともにその味わいもまた特筆されるのだ。
ざっくりと記せば、「ミノ(第1胃)」はピチピチの歯応え抜群であり、「ギアラ(第4胃)」の方は見た目は悪いが奥深い味わいが楽しめる。新旧世代のある種の特徴が、この食材についても云えるのかも知れない。
昨日も予告したが、第15回「八王子画廊散歩」が本日(3月8日)スタートした。
http://www.atorie248.com/garousanpo/
おいらが作品展示している「ギャラリーヤスタケ」は、恐らく駅から最も遠い場所にあるが、それでも初日は訪問者がとぎれることがほとんど無いくらいに賑わっていた。
午後2時半からはおいらも画廊当番と云うことで、受付場所近辺での来廊者のお相手をしていたのだった。
受付業務と云う職種にはこれまでほとんど縁の無かったおいらは多少は緊張しており、その時間を過ごすこととなっていた。来廊者のほとんどはと云えば、八王子市内の住民、イベント参加者ではあったが、遠く市外からも友人の渡辺さんが駆けつけてくれて、ほっと一息の愉しい時間を過ごさせてもらっていたのだった。
■ギャラリーヤスタケ
東京都八王子市八幡町12-11
042-626-8114
今回おいらが出展したのは「夜の町並み」「月の居る風景」の2点。昨年の「バタフライ」のシリーズからは相当にイメージを異にしてのぞんでいた。丁度去年の同イベントが終了した頃から描き続けてきた。墨とアクリル絵の具を基本素材にして描いた連作のシリーズの2点である。
イベント終了の時間の前から、参加者によるパーティーが行なわれ、おいらは画廊が終了してから遅れてパーティーに参加することとなった。食べ物も飲み物もほとんど尽くされていた後だった。だが丁度そのときに「BINGOゲーム」が開催されており、遅れてパーティーに入ったおいらにもビンゴの賞品が待ち受けていたのだった。それは不思議な200mm×200mmの額縁か? こんなサイズのキャンバスがあったっけ? と疑問が膨らんでしまった今宵なり候。
今年も「八王子画廊散歩」の時期となり、おいらも明日からのこのイベントに参加する予定であります。
■第15回「八王子画廊散歩」
2012年3月8日(木)~3月13日(火)
http://www.atorie248.com/garousanpo/
今年のおいらの作品展示画廊は、八王子駅からはちょいと遠くなって「ギャラリーヤスタケ」であります。駅から徒歩で15分くらいの場所にある。1階が喫茶店で、その2階がギャラーとなっている。建物全体がツタの樹木に覆われた何とも趣向をそそる喫茶店の2階である。
■ギャラリーヤスタケ
東京都八王子市八幡町12-11
042-626-8114
明日の午後2時半からは、おいらがちょうど会場当番となっているのであり、興味のある方は御来廊ください。
ちなみに昨年は、八王子市内の最古の歴史を持つ「芙蓉」という画廊で、ウインドウズ側という目立つ場所にて展示してもらっていたので、初対面の人からも色々と、好意的かつ刺激的な評価をいただいていたことを想い出す。「家に飾りたいです」などと云ってもらいながらも買ってもらうことは出来なかったのではあったのだったが…。ともあれ久々に浮き浮き気分の前夜なのである。
戦時中および戦後の一時期に「すいとん」とは、質素なと云うよりお粗末至極な食べ物の代表的存在であったが、今時の居酒屋にて提供される「すいとん」はと云えば、とても具沢山であり、お粗末、質素どころか、味わい深き逸品のメニューとなっていたのだった。
かつてのメリケン粉こと小麦粉を練って団子状にして、熱々の鍋に仕入れて行くという基本は一緒なれども、添えられる具材が、鶏肉、蒲鉾、ほうれん草、蒟蒻、葱、等々と具沢山であり、まるで長崎チャンポンか中華の広東麺か五目ラーメンくらいに豊富なのであって、一目見てこれは戦時中、戦後の「すいとん」ではないなという印象に苛まれてしまっていた。おいらがたまに家でつくるすいとん以上に具沢山であり、そのギャップはと云えば、ある種のカルチャーショック的なものであった。
現代日本の郷土料理の中で、岩手の「ひっつみ」というメニューが、すいとんの発展系とも云えようが、それ以外にも、埼玉本庄界隈の「つみっこ」等々、すいとんをベースにしたメニューは全国に拡がって定着している。
ちなみに今回食した具沢山の「すいとん」は、東京の郷土食がベースとなっているそうだ。地元東京都内の居酒屋店主の試行錯誤の表れとも云うべき、ホットで満足至極のメニューではあった。
中身は綺麗なオレンジ色の色味で魅了させてくれる、別名「バカ貝」との異名をとるのが「青柳(あおやぎ)」である。食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。
二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせているかのごとくである。
其の身の視覚的印象は、べろっとだらしないように舌を出したかの如くでもあり、そんな風体から「バカ貝」との嬉しからざる命名をされたと云う説がある。或は「馬鹿に捕れる」と云った、とても捕れて嬉しいのだと云う、本来は賛嘆すべき形容がその謂れであると云った説も根強く流布しているのだ。
どちらの説が正統であるか? といった試みには、残念ながら手立てを失っているのであるが、それにしても、「青柳(別名「バカ貝」)」のしっとりとした食感にはいつに無く舌鼓であったのである。
白身魚の「キス(鱚)」と云えば、天ぷらかたまに塩焼きにして食べるくらいしかなかったが、このたび鱚の南蛮漬けというメニューに遭遇。早速食べてみたら、品の良い白身に酢味が程よくしみており、これは鯵や鰯の南蛮漬けよりいけるぞと云う思わぬ発見をしたのだった。滅多にお目にかからないメニューだからと、じっくり味わっていただいたという次第也。
そもそも鱚という魚、図鑑や水族館ではお目にかかるものの、それ以外の魚屋、スーパー、等々で生身のその姿になかなか出逢うことがない。寿司屋のネタケースにはたまに鱚を見つけるが、仕込まれたネタに鱚の面影を見ることは出来ない。今では釣り人か一部の漁業関係者くらいしか出逢うことのない特別な魚であり、大衆魚とは一線を画しているのだ。天ぷらで食するには鱚の旨みがなかなか伝わってこない。かといって寿司屋で食うにはその味は淡白すぎるようなのだ。南蛮漬けに注目する理由にも、それなりの道理があったと云えるだろう。
就寝前の3時間はものを食べてはいけませんと、指導医からきつく指導されているおいらであるが、たまに禁を破って夜食に手が伸びてしまう。若い頃の夜食とは自ずと異なり、肉、ソーセージ類は使用せず、有り合せであるけれども出来るだけ多種類の野菜を煮込むことを心がけている。
そんな夜食で最近重宝しているのが「韓国ラーメン」。所謂「インスタントラーメン」であり、韓国でラーメンと云えばこの種のものを指している。生麺が普及していないというのだが、其処には「反中国」の国家的政治的意図が働いているのではないかと訝ってしまう。韓国は日本に対して以上に中国に対するそうとうの敵愾心を抱いているのかと考えさせてしまうのだ。
仮想敵を作って国内世論を引き締めようというのは中国の得意芸であるが、韓国も負けず劣らずの、国内引き締め策に余念が無いようだ。ラーメンに生麺が使用されないという食生活は、国際国家の条件にかなう訳など無く、EPAを推し進める李明博政権の実態が見て取れるのである。
真の国際化はアメリカのいいなりになり貿易自由化することなどでは決して無く、国の独自性を維持しながら、他国の良い習慣や生活アイテムを取り入れていくことが基本となるのであり、中華生麺が日本の蕎麦や饂飩と匹敵するくらいのグレイトな麺であることを認めていくことを除いては在り得ないと云って良いのである。もちもち太目の韓国ラーメンの讃歌を記そうとしていたのだったが、そんな気分もなくなってしまっていた今宵なのであった。
もうかなり昔の話になるが、八王子の長崎屋デパートは潰れてその跡には「ドンキホーテ」がお出ましとなったのだった。おいらもちょくちょくとこの安売り店には足を運んでおり、激安酒やら激安家具やらと云った物を漁っているのではある。何せこのような不況の時世ともあれば少しでも安いもの安いものへと触手が伸びてしまうのも致し方なきことと思われ候。
ところで先日は、「真鍋かをりさんもこれでダイエットできた…」云々の店内アナウンスに惹かれて図らずも、ダイエットサプリ「ジーザスボディ ≪Jesus Body≫」を購入してしまった。商品の装丁デザインを見るからに、如何にも危なそうなサプリであることが匂って来るのだが、真鍋かをりさんがダイエット成功した云々の店内アナウンスの迫力にも圧倒されてしまっていた。結局は購入し、先ほどは3粒ほど口に入れていた。使用説明の「お召し上がり方」には、「1日あたり6粒から12粒を目安に水またはお湯でかまずにお召し上がりください。」とある。3粒ならばまだまだ宵の口ではある。使用説明書と違うのは、おいらが水またはお湯ではなくお酒と一緒に口にしていることであるが、結局日常的行為であるのでことの重要度からは低いと云えよう。
健康指導の女医さんのアドバイスにより、現在ダイエットに精を出しかかっているところのおいらではある。ダイエットはそこそこ進行はしているのだが、もっと過激にダイエットをしたいという欲望がこのダイエットサプリの購入、使用へと駆り立てて行ったのだった。一定のセーブは利かせつつも、ダイエットサプリの効果についてもこれからレポートして行きたいと思っているところなのだ。
■インディアンレッドの地の壁画
分け隔てられたブースを辿っ て行くと、広いスペースにただの1点の作品が展示されている場所へと行き着いていた。作品名「インディアンレッドの地の壁画」。題名から読めるとおり、壁 画としての利用を前提として依頼されて制作したという、ポロックの中での数少ないカテゴリー作品に含まれる。
塗料をキャンバス上に滴らせて描くポーリング、ドリッピングと云われる技法や、オールオーヴァー、アクションペインティング等々と称される志向性が頂点を迎えた1950年の作品であり、ポロックと云えば真っ先のこの作品が引用されることが当然となっている。評価額が200億円とも称される、現代美術の最高峰とされている作品である。
ゴッホやピカソを超えたとの評価が与えられているが、これには相当大きな疑問が付きまとっていることも確かである。ヨーロッパに遅れをとっていた米国美術界が金力にものを云わせて総出で手掛けたイベントの一つが、同作品への超高額評価であり、その役割を担う役者としてポロックに白羽の矢が立てられたと云うのが、客観的な見方ではあろう。アメリカンヒーローに祀り上げられたポロックは、センセーショナルな報道のターゲットとなり、映画作品のモデルともなったが、彼にとっての益に適ったかと問えば、決してその様なことは無かったと答えるべきであろう。
■カット・アウト
オールオーヴァーのスタイルを確立したポロックが、そのボード絵画を切り抜いて構成した実験的な作品である。今回の展覧会場でおいらが最も観たかった1点でもある。
人型にも見える切り抜いたその背後には、荒く絵の具を刷り込ませたキャンバス地が姿をのぞかせている。この手法の作品は6点あるとされているが、展示されていたのは我国の「大原美術館」が所蔵しているもので、同シリーズの中心的作品である。
解説文に依れば、このカット・アウト作品の見せ方に苦慮していたポロックは様々な実験と思索を繰り返していたが、突然の事故でついにその完成を示すことは無かったと云う。現在展示されている作品たちは、妻のリー・クラズナーの判断によって完成されたものとなっている。
米国現代絵画の巨匠と謳われるジャクソン・ポロックは今年、生誕100年を迎えた。それを記念して我国(米国ではなく日本)では「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」が開催されている。名古屋展に続き、東京展が東京国立近代美術館にて2/10~5/6の期間で開催中である。
■生誕100年ジャクソン・ポロック展
期間:2/10~5/6
場所:東京国立近代美術館
〒102-8322千代田区北の丸公園3-1
現代作家としてのポロックは尊敬すべきアーティストには違いないが、おいらにとっては同時代の米国で活躍したアーシル・ゴーキーや、アンフォルメル絵画の巨匠ことジャン・デュビッフェ達の方が圧等的なアイドルであって、ポロックに心酔したり特別に傾倒することは無かった。或は作品制作においての影響も小さかったと云うべきである。然しながら今回の「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」は企画回顧展として相当規模の展覧会であり、これを見逃したら一生出逢うことの出来ない作品群を思えば、出かけない訳にはいかなかったのである。
まず会場に足を踏み入れて最初のブースで感じたのは、20代のときのポロック作品の充実さである。厚塗りでぐいぐいと表現して行くそのスタイルは、ピカソの初期作品やミロの作品を彷彿とさせ、ある作品は岡本太郎の作品世界を想起させてもいた。ポロックが岡本太郎に与えた影響について、一つの示唆を齎してくれていたのであった。
(この稿は続きます)
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装幀家として名高い司修さんの近著。古井由吉「杳子・妻隠」、島尾敏雄「死の棘」、中上健次「岬」、等々の戦後日本の近代文学を代表する書物の装幀を手掛けた司修さんが、装幀の現場におけるエピソードを綴っている。取り上げられている15の書物のどれも彼もが、作家との厚い交流が基として成り立っており、おざなりの仕事から産まれた本は一冊も無い。
おいらが司修さんの装幀の仕事に対して最初に目を瞠ったのは、大江健三郎氏の書籍たちだった。エッチング等の版画の技法を駆使して描かれた司作品は、大江健三郎作品の挿絵としてではなく、イメージが何倍にも膨らみ弾けて描かれており、司氏の装幀作品の重層性を余すところ無く示してもいたのだった。
だが何故だかこの「本の魔法」という一冊から、大江健三郎作品が省かれているのが、余談になるが、とても不可思議なポイントでもある。
上野アメ横のガード下にあり、おいらもちょくちょくと顔を出す「豚坊」で、「ロールキャベツ」に久々にありついたのだった。
毎回のようにこの「ロールキャベツ」を注文するのだが、何時もいつものごとく「売り切れです」の店員の一言が返ってくる。おいらはてっきりこのメニューは客を釣る、云わば騙しのメニューであると決め込んでいたのだったが、そんな決め込みを払拭すべく、肝心要の「ロールキャベツ」にありつくことが出来たという訳なのだった。
上野のアメヤ横丁界隈はとても馴染み深い界隈であり、しばしば散策するのであり、最近ちょくちょくと腰を降ろして一献やっているのが「豚坊」なのである。その昔は「錦」という看板を降ろしていた同店舗の軒下の想い出は数限りなく存在している。