保守王国「群馬」の県民性は保守的にあらず

郷里に愛着を持つものがいれば、そんなものいらないというものもいる。先日は、新井満氏の随筆集「死んだら風に生まれかわる」を読んでいて、彼の強烈な「新潟」への郷土愛をこれでもかと云うほど目にとどめつつ感じ入ったのではあったが、吾が身を翻って思うに、そんな郷土愛がいささか薄いということを感じてもいるのである。

先日もここで書いたのだが、新井満氏が挙げている新潟県的人間は、良寛、坂口安吾、そして田中角栄である。これに習えば群馬県人的人間とは、国定忠治、萩原朔太郎、そして福田赳夫ということになるだろう。この3人を並べて見て、敬愛する朔太郎さん以外の2名にはとてもいけ好かない。郷里の恥と云ってはなんだが、ネガティブな思いしか抱かないのだ。

かつて田中角栄と総理大臣の椅子を争った福田赳夫は、東大法学部を首席で卒業したのち大蔵省へ入省する。大蔵省主計局長だった当時、収賄罪の容疑で逮捕されたことがきっかけとなり政治の世界へと入ったという。彼の出身校の高崎高校(旧制高崎中学)には、「福田の前に福田なく、福田の後に福田なし」といった、福田赳夫を称えるうたが詠まれるくらいなのである。保守本流のエリート政治家を輩出した風土は、群馬県の高崎に根差していると云えよう。だがこれにて群馬県人の多くが福田を尊敬しているかといえば、そんなことなど決してない。敵方強かれば己もまた強くなりである。却って反保守、脱保守の論陣をこの地で培ったという人間は多いのである。

おいらの出身校である前橋高校(旧制前橋中学を含む)では、田辺誠元委員長ら、かつての野党社会党の代議士を多数輩出している。過去に福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三の3名の衆議院議員を同時に選出していた群馬3区でもう1人、当選者としていた山口鶴男もまた前橋出身であった。しかるにおいらの出身地・前橋は、反保守、脱保守の気風は少なからずあったのである。邪道・高崎に対して、正道・前橋の気風である。