初春の菜の花は、炊込み御飯にもよく似合う

菜の花料理に舌鼓を打ったおいらは、菜の花の炊込み御飯作りにチャレンジしたのです。菜の花に、大根、人参、筍を加えて、いつものように専用土鍋で炊けば、美味しい春の味的炊込みご飯の出来上がりである。

ほろ苦い春の味わいに加えて、見た目も淡く初春の彩り。御飯がこんなに味わい深く思えたのも久々の体験だ。

春の風物詩として古くから親しまれてきた、黄色く輝く菜の花畑を目蓋に浮かべつつ、黄色い花を咲かすことなく食用にされた菜の花の蕾の姿には、限りない生命力が漲っているように見えた。人間は自らの生殖のためにこうした食物から生命力を横取りしているのかもしれない。けだし人間というのは罪深きものなり候。

春の香りを届ける菜の花料理

寒さはまだ当分続きそうだが、一足早い春の香りがする菜の花料理に出食わしたのです。

そもそもおいらが子供の頃には、菜の花は観賞するために在る花であり、食用にされることすら思い描けなかった。それが江戸の街に出て以来、食用に供されることを知り驚いたという、カルチャーショック的体験があった。

それかあらぬか、菜の花のほろ苦い繊細な香りには、ひと際愛着を持っているのだ。黄色い花を咲かせる前の閉じた蕾の中から溢れる滋味こそ、早春の味わいである。

菜の花の辛し和え

おひたしにしただけの菜の花も充分に美味だが、ひと調味料が加わって、立派な料理になるという見本のような料理だ。春のほろ苦い苦味が辛し味と出逢い複雑な春の味となるのだ。

菜の花と桜海老のかき揚げ

どういう因縁なのかは分からないが、相手素材に桜海老が組まれている。桜海老の旬にはまだ少々早いのだが、イメージ的には春の味わいを演出している。玉葱や他の野菜類を組み合わせるよりは、菜の花の繊細さを削ぐことがないので、そういう意味ではなかなかの組み合わせといえるだろう。

終戦内閣総理大臣、鈴木貫太郎翁の記念館を訪問

千葉県野田市の郊外、関宿の「野田市鈴木貫太郎記念館」を訪問した。東武野田線「川間」駅からバスを乗り継いで約1時間ちかく走った、利根川と江戸川に挟まれた、周囲には田畑が広がる長閑な土地にその記念館は建立されている。貫太郎の旧邸が在った隣というのが場所の謂れだという。

記念館の正面玄関前に着くと「為萬世開太平」と記された巨きな石塔が目に飛び込んできた。「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す」という、昭和天皇による所謂「玉音放送」の原稿からとられた一節である。鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長、迫水久常の手による書とされている。貫太郎自身の思いの強さをいやがうえにも知らされる。

館内には白川一郎、阪倉宜暢らによる多数の戦争画が展示されている。写真ではなくして絵画である。貫太郎が青年将校に襲撃された「二・二六事件」、終戦が決定された最後の「御前会議」等々、歴史的に極めて緊迫した舞台の一瞬一瞬がとてもリアルに描かれており、その描写力よりも戦時下での画家の思いに胸が締め付けられる。また、たか夫人の手による花木の彩色画、さらには愛用していた礼服をはじめとした様々な遺品が、館内狭しと並べられ、訪問者を温かく迎えてくれる。

記念館の隣には「鈴木貫太郎翁邸跡」が併設されている。地元の人たちは親しみを込めて「貫太郎翁」と呼んでいることが鮮やかに示されている。そして「終戦総理大臣」と敢えて大書することで、貫太郎以外は成し得なかったであろう終戦処理の大任を果たしたという貫太郎の大きな功績を称えているのだ。

この場所はかつて、当時民主党の代表だった小沢一郎が選挙運動の第一声を挙げたところでもある。所謂「辻立ち」と称して選挙演説をぶっていたのが、当時の全国ニュースで放映された。総理大臣当時の麻生太郎もまたこの場で選挙演説し「負けっぷりよくしなけばいけない」云々の貫太郎と吉田茂とのエピソードを語っている。

両者共に貫太郎翁の威光にあやかろうという魂胆が見えみえだが、残念ながら貫太郎翁の前では小さなガキ子供のように映ってしまう。政治家が尊敬する先達にあやかりたいのも理解できるが、真に有権者にアピールしようとするのならば、せめて貫太郎翁の懐の巨きさや清濁併せ呑む政治家の資質くらいは学びとってからにして欲しいものである。

■野田市鈴木貫太郎記念館
千葉県野田市関宿町1273番地
TEL 04-7196-0102

デミグラスソースで味わう洋風オムライス

オムライスとは元々洋風料理ではあるが、かつて食べてきたオムライスといえば、チキンライスにケチャップ味という、和風洋食の味わいが濃厚に漂っていたものだ。卵料理の中でももっともその恵みをストレートに味わえる大衆料理として、長らく日本人の舌と胃袋を満足させてきていたのである。そんな料理を総称して「洋食」と呼ぶ慣わしが定着している。

ところで先日食した「オムライス」は、宵の後には仏蘭西酒場としてワインバーとなる、今時流行の店舗である。昼間からワインを注文することも出来る訳も無く、ランチメニューで「オムライス」を食したのだ。

卵はホクホクとして活きが良く、半熟卵の香りが鼻を突くくらいに濃厚である。バターの香りも漂っていたのでカロリーも相当なものであったと推察するのだ。

ワインを好む仏蘭西人は、例えば麦酒大好きの独逸人に比べてメタボ度が低いと見ていたのだが、こんな高カロリー食を摂取していてはメタボ度も高いに相違ないと感じさせる。つまりはそれくらいにガツンとして、胃袋を刺激する濃厚な味わいなのでありました。

ラーメン「ホープ軒」の本当の味わいは如何に?

久しぶりに、「ホープ軒」ラーメンを食したのです。

昔はよく食べていた懐かしい味でした。1回目にスープを嗅いで懐かしいと感じた後、そして2回目に箸をつけると、ほどよくアレンジされた独特のスープの味わいが漂ってくるのです。

このスープはかなり曖昧である。豚骨スープかと思えばそれなりにそれなのだが、中途半端なのである。べつに悪口を述べているのではない。中途半端なのが気に入って注文する客も少なくないだろう。それでよしとするべきなのかもしれないとふと思う。

いわば人間の欲望などというものにうつつを抜かしていては正しい市民生活などは送れなくなる事は必至であり、ある程度の処で妥協すべきであると最近考えているのだ。

という訳で、ホープ軒のラーメンは、それなりに良いものだったということに纏めておきたいのです。

東京下町台東区にて今季初の「あんこう鍋」を食す

先日下町の台東区に出向いた際に「あんこう鍋」のメニューに導かれるようにして今季初めて食したのが、上に示した写真の鍋である。

寒い冬ともなれば、冬の鍋の極北とも思える「あんこう鍋」が食したくなる。そしてあんこう鍋の本場、北茨城の平館地方に行きたくなるのだが、なかなか時間と財布が許さないまま今季も時を過ごしていた。

そんなときに偶然にもありつけたあんこう鍋は美味だった。あんこうの肝臓がドカンと目の最も近い前に乗り、さらに様々なあんこうの内臓類がどっさり丁寧な包丁さばきの跡も鮮やかに盛り上げられていた。しかも味噌味とくる。本格的なメニューなのだ。

火を通して数分後、ぐつぐつとして沸きあがる鍋の奥の奥の下からは、味噌スープに溶け込んだあんこうの香りが鼻を突いたのだ。それくらいにワイルドなあんこうを堪能した。値段はといえば大衆食堂料金の1,200円であった。これをラッキーと呼ばずにはおけようかとの思いが駆け巡っていた。

あんこうの身は引き締まっていて、しかも小骨や軟骨に絡まっている。この身を手でとって、一つひとつを口や指で掻き分けて味わうのがあんこう鍋の食し方でもあり、最大の愉しみでもある。

豊穣なるコラーゲンが豊富に含まれているだろうホクホクのあんこうの身を手に取り、口に含めて、至極満ち足りた気分を味わうことになったのです。

太田光の自慰的小説「マボロシの鳥」

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古書店で目にした「マボロシの鳥」を購入してしまった。奥付を見ると初出の記載がなく、これまで発表もされなかったものを纏めた書き下ろし作品集のようだ。よほどの自信作かと思い読み進めたのだが。

芸人という人種は自意識過剰を絵に描いたように振舞うのが常だが、それでも足りないとなれば小説に向かうのかもしれない。コント「爆笑問題」の太田光が著した「マボロシの鳥」は、まさにそんな著者によるまさに自慰的小説のオンパレードだ。

なによりも観念的な言葉の空回りが目立っている。象徴的な意味を付加したのかもしれない言葉の羅列がしつこく、まとまりも構成力も言葉のセンスも何もかもが欠落している。もしかしたら「陰日向に咲く」(劇団ひとり著)に匹敵するかもと期待し読み進めたが、完全に期待外れの1冊だった。

日本サッカー、ザッケローニ監督采配の妙について〔2〕

昨日の続きである。

アジアカップ決勝戦でのザッケローニ監督采配で際立ったのが、後半11分、藤本を下げて岩政を起用したことである。それにより守備的な位置にいた長友が左の攻撃的な場面へと転移的に移されてしまった。

こんな芸当を可能にするのがザッケローニ流の配置転換だったのかと思うのだ。これまでの日本の指揮官はもとより世界のほとんどの指揮官が想像していた埒外の戦略だったのではないか? このような芸当を実現化する日本サッカーに、これからもっと過大な期待が集中することであろう。

いつかはザッケローニ氏も日本を去ることになるのだろうが、それまでじっくりと、彼の独特かつ天才的な戦略的指揮について、注目していこうと考えているところである。