故郷の「だるま弁当」の味は今も健在なり

上州前橋の故郷に帰省中なり。朝食を抜いて電車を乗り継いでいた上野駅構内を歩いていると駅弁コーナーに遭遇した。ウインドウを覗けばきらびやかな海鮮弁当、ボリュームがっちりの洋食弁当に挟まれるようにして、だるま弁当はひつそりと並んでいたのだ。

早速買い求めて電車の座席に座るとともに包み袋の紐を開いていた。中から現れたのは真っ赤な顔しただるまの容器。その顔つきはちょっぴり怒っている表情にも写っていた。そしてその真っ赤な容器の顔のふたを開くと目に飛び込んできたのが、大き目の煮しいたけだ。甘辛の濃い目の味付けが食欲をそそる。それだけではなく見た目も微笑ましいのがピンクとシルバーグレーの2色のこんにゃく、そして、鶏の焼き物、ごぼうの肉巻き、栗、黒豆、わらびの煮物、筍、漬物、などなど、どれもが昔食べたが最近はついぞ見かけなくなったというものばかりだ。

甘辛しいたけの風味が口の中に広がったところで塩味の効いた漬物をがぶりと齧れば、これが程よいアクセントとなり、食の有り難味もいや増していくのである。

だるまといえば少林寺の高崎だるまであり、その伝統工芸品が培った歴史と同様に、だるま弁当の具の一つひとつは、日本食文化の伝統によって培われたものばかりなのである。懐かしいという感慨ばかりでなく、これからの将来的な食文化を担っていくべきものたちであることを感じつつ、味わい尽くしたのでありました。

モツ焼き店の〆にはやはり玉葱などが欲しかった

地元の行きつけのモツ焼き店にて一献傾けていたのであるが、メニューがモツだけではいささか寂しいという話をしていたのだ。

そんなこんなのところ、店長がいきなり、「葱か玉葱ならばできますよ」という威勢の良い掛け声を掛けていた。

早速その店では初となる「玉葱焼き」を味わうこととなったのである。

あまり日常的には提供しないメニューだとみえて、ナイフのカットの仕方なども覚束ない仕草なのである。

今季初の絶品「シラス丼」を味わう

イワシの稚魚を「シラス」と呼び、湘南地方ではとても珍重されている。否、湘南地方のみならずの全国的な旬の食材として、とても貴重であり、味わい深いものとなっている。本日は四谷方面に赴いた折に、このシラスが満載の「シラス丼」を味わったのでした。

稚魚の中でもさらに小さな稚魚がいっぱいに乗った丼を見たとき、流石に旬の丼であるとの感激を抱きつつ、箸で突付いては口に運んだ。う~む、感激の食感である。潮の香りも漂ってくる。四谷という都心に居てこのような旬の味覚を味わうことが出来たことに感激の思いだったのである。

さてこの「シラス」という稚魚をよく眺めてみれば、白い半透明の身の中にまさしく芯のような骨格を見て取ることができる。背骨であろう。カルシウムの宝庫だとして珍重されるものでもあり、ことに骨粗鬆症予防にはとっておきの食材である。おいらの母は骨粗鬆症をきたして骨等が弱くなっているので、この「シラス」を食べることを勧めている次第なり候。

シラス丼に添えて出されたのが「お茶」であった。

「よろしければ、お茶漬けで…」

という店員の案内もあり、途中の丼にお茶をかけて「お茶漬け」にして食してみたのだ。これが予想以上にGoodだったので、また新たな発見に出食わした。とてもお勧めである。

ちなみに「出汁」ではなく「お茶」がGoodである。近頃は「出汁」をかけて「お茶漬け」というものを出す飲食店があるが、そんな邪道な代物ではないのだ。家でもこれから「シラス丼茶漬け」をやってみよう。

寒い夜には身を縮める、そんなチューリップの姿に自然の趣を感じ取るのだ

立派な花を咲かせた庭のチューリップが、花弁を散らすのが今から忍ばれてならないのだが、それでもまだ一向に枯れ散る気配などは無い。そして夜のチューリップはといえば、昼間とはまた違った姿かたちを見せていた。

最初に花弁を開いた黄色のチューリップは、前から開きすぎだという印象を抱かせておったのだが、夜になれば夜露を忍ぶ為の、花弁を閉じて身を縮める仕草などを行っているのを目にしたのだった。

呼吸をしているのと同様の、生命の営みを感じ取った。やはりチューリップもまた自然界の生き物である。立派な花を咲かせる陰には涙ぐましくも慎ましやかな行為が隠されていたのである。

通好みの鮭料理こと「鮭のカブト焼き」を食す

鮭という魚は日本人にとってはとても馴染が深い魚の一種であり、様々なる調理法にて食されている。それでも今回食べた「鮭のカブト焼き」というメニューは、そのカブト(頭)素材が珍しいことから、極めてユニークな料理でもあった。

一口二口味わうに、鮭の頭(カブト)は軟骨成分が豊富であるという感じだ。通のあいだでは「氷頭」(ひず、ひゅうず)等と呼ばれて珍重されているものらしい。軟骨のゼラチン質が見た目にも豊富なことをアピールしており、女性の美肌作りにはもってこいだろうと思われる。

マグロやカツオと同様に、この部分には豊富な「DHA」成分が含まれていることから、脳の働きによく効き、若返り効果も期待できる。あまり市場には出回らない部位でもあり、見かけたら注文したくなる料理の一つとして記録しておきたいと思ったのである。

ジャンクフードのメッカ、欧州の英吉利で流行っているという「フィッシュ&チップス」を味わってみたのだ

白身魚のフライにポテトフライを添えて「フィッシュ&チップス」というそーな。そんなメニューが元大英帝国の英吉利国にて人気だという話を聞いて、早速食してみたくなり、先日はそんなメニューにありついていたという訳なのでありました。

白身魚の身はタラやカレイだとされているが、日本で食するそのメニューにそんな高級魚が用いられているわけもなく、いつもの白身魚のようである。そして肝心の調理方法もまた、特別な工夫などというものは見て取ることもできずにいたのだ。これはまるで「マクドナルド」チェーン店の朝食メニューとそうは変わらない代物だった。カロリーも高そうであり、あまり食欲も進まないのだ。

さてそんなネガティブな話題でブログを閉じるわけにもいかないなと、ふと考えてみたのだ。英吉利人とは何故にこのようなジャンクフードを好むのかと。

一つにはカロリーを補給するのには、魚やじゃがいものフライはうってつけであるということ。少ないいわば貧困の食材にて人間生活を全うするのには、この方法は理に適っているのだ。

日本人の食生活とはかなり異なるが、グローバルビジョン的視点においては合理的なメニューであるということが明らかなのである。

英吉利本場の料理では、衣に小麦粉を卵や水またはビールで溶いた衣をつけて油で揚げたものが用いるとされている。そんなに手を加えなくてもよかろうとも考えるのだが、それが英吉利人達の矜持を支えているのかと思えば、一概に否定されるものとは云えないであろう。

おいらは脂っこいものや塩っこいものは敬遠しており、うかつにフライ食品に箸を付けることは少なくなっていたのである。それにもまして今回はそんなフライ食品に箸を付けて食してみたということは、英吉利の食文化を理解したいという願望によるものなのであったのだったのである。

みどり企画のホームページ、がリニューアルしました

数ヶ月前からの懸案であった、みどり企画ホームページの更新作業がこのほど整い、リニューアル作業をほぼ完了しました。

http://www.midori-kikaku.com/

とはいえまだまだ不十分なことばかりです。

これからみどり企画のマーケットサイトの設立について実現していきたいと考えているところなのです。

庭のチューリップは、赤、黄、ピンクの3種類

先日から蕾を見せていた庭のチューリップの8本がすべて開花した。

その色は、赤、黄、ピンクの3種類で、それぞれに花弁のサイズも開き方も異なっている。

黄色の花弁は例えば元気な少年のようであり、ピンクの花弁はつつましやかな古の日本女性のようであり、そして紅色のチューリップはといえば、いまどきの思春期の背伸びしたギャルたちのようでもある。

夫々にみずからの人生ならぬ花生を謳歌しているように見える。

とてもホッピー度が高い荻窪の「加賀屋」

「加賀屋」という名の居酒屋チェーン店は新鮮な素材を用いたモツ焼き始め、モツ煮込み、レバ刺し等々のメニューが人気を集めている。

おいらも時々はその暖簾をくぐって一杯傾けていくのが慣わしとなっている。

ところで先日、ふと新しい発見をしたのだが、荻窪の「加賀屋」という店は、その客層の大半が「ホッピー」を飲んでいたのであり、とても驚きであったのだ。

その「ホッピー度」は過半数の50%を遥かに超えており、6~7割の支持を得ていたのであった。

庭のチューリップが可憐な花を咲かせた

先日から我が家の庭で可憐な蕾を見せていたチューリップが、いよいよ開花していたのでした。

3日ほど前には蕾の先端に紅色の色味を醸し出していて、その姿かたちはまるで、思春期の少女が恥らいながらに紅を付ける、バージン唇ルージュとでも云うべき初々しさを示していたんである。

嗚呼やはり、チューリップと云えば紅色かと早合点していたのも束の間に、それまでは目立たなかった隣のチューリップが黄色い花弁を開いていたので驚いたのだ。現実に最初に開花したのは早熟の紅色さんではなくして黄色君の方だったのであったという訳なのであった。

中華のゴーヤ料理はやはり「ゴーヤチャンプル」に引けをとるな

地元の中華料理店にて「ゴーヤと豚肉炒め」というメニューを発見し、早速食したのでした。

ご存知、沖縄料理の定番が「ゴーヤチャンプル」であり、ゴーヤと豚肉を炒めて調理するという手法は極めて似ているといってよい。だが食したときの味わいは、これ程の大きな差異を感じ取ることがないくらいのものであった。

中華のゴーや炒めの材料は、ゴーヤ、豚肉に加えて、玉ネギ、トマトが使われている。そして味付けの鍵ともなるのが、牡蠣油(オイスターソース)という調味料である。文字どおり牡蠣の油を原材料として調整された、中華料理になくてはならない調味料なのだ。

牡蠣油(オイスターソース)とは、牡蠣の茹で汁を濃縮加工して様々な味付けを施していて、確かにこの調味料には中華伝統の何やらかがあることは認めよう。それでもなお、素材の旨さ、持ち味を活かしきれない調味料であることを、今回の中華版「ゴーヤと豚肉炒め」で認識したのだ。とても上手い料理ではある。だが美味ではない。この差異は歴然としていたのだ。

逆に視点を当てれば、沖縄の「ゴーヤチャンプル」が如何に食材と調理法とのハーモニーが取れている料理なのか! ということに感動するのだ。沖縄料理の基本である「チャンプル」の調理法には、優れた叡智が隠されているのである。

出世魚こと「ブリ」の少年期の「イナダ」の刺身を食す

ブリという出世魚は冬の味覚を象徴するような魚であるが、本日居酒屋にて食したの刺身はブリの子供の、「イナダ」という名の魚なのであった。季節はまためぐり、ブリの子供たちが回遊する時期となっていたことに気付かされたものである。

一般的な基準として「35-60cm」程度の体長のものを関東地方では「イナダ」と呼んでいる。「ハマチ」と呼ぶ種類の魚もほぼ同様の体型であり、こちらは通常、関西方面で呼ばれているものとなっている。両者は同じものと考えてよいのだろう。

ブリよりも若い分、ピチピチ感はとても勝っている。ブリほどに脂は乗っていないが、甘くもあり弾力性のあるイナダの食感が舌を撫で回すときには、絶品の味わいを感じるのだ。

まだ若いなりに主張をしている。なんとも云い難くはあるが、そのほろ苦さを感じ取るのである。冬のブリは、しゃぶしゃぶで何度も味わったが、イナダはやはり刺身で食べたい。これをお湯につけたりしたらもったいないと思うのだ。

福島第一原発の危険度がついに「レベル7」に

本日、経済産業省原子力安全・保安院は、福島第一原発事故の危険度のレベルを「7」に引き上げると発表した。遅かりし決定である。爆発当初が「4」、そして数週間後の「5」、今日の「7」へと段階を踏んでレベルアップさせてきたということの意味は奈辺にあるのか?

震災時の大津波によって原発施設は大打撃を受け、数日後の「水素爆発」を生じた時点ですでに「レベル7」に達していたと見るのが正しい見方である。それを4から5、5から7と、段階を踏んで引き上げてきた保安院関係者の企みには、極めて甚大な恐怖を感じ取らざるを得ない。即ち今後に訪れるかもしれないチェルノブイリ級かもしくはそれを越える災厄を、日本が被るかもしれないという恐怖である。

第一義的な責任は当事者の東京電力による危機管理体制の不備、甘さによることは当然である。それを支援し黙認してきた自民党政権も同種の責任を負っていることは明らかである。そして尚、今回の事態を招来した事に対して、現民主党政権もまた責を免れないであろうことを指摘しておきたい。

世界中を驚愕させた原発施設の爆発事故を、政府のスポークスマンである枝野官房長官は「爆発的事象」などと述べて、矮小化した説明を繰り返していた。あの時点で政府組織の隠蔽行為は進行していたと見なければならない。こんな政府関係者が主導する「ひとつになろうニッポン」キャンペーンなど、何の役にも立たない代物なのである。念のために補足しておくが、大連立や自民党政権になったらもっともっとさらに悪化することは目に見えていることを強調しておきたい。

海外メディアでは、「ソドムの市」と成り果てた日本の将来を危惧する論調が珍しくはない。徒に混乱や恐怖心をあおるものがないわけではないが、被災を免れた日本人がそううかうかしていられない状況であることは確かなのである。

春の菜の花とあさりの丼(深川丼風)で春を満喫

春の味覚の代表といえば、最近の八百屋に並んだ菜の花。

それにあさりの身をあわせて深川丼にしてみた。ほろ苦い菜の花に海の幸が加わって、美味くないわけがないのだ。

咲き誇るばかりが桜の姿なのではない

多摩の桜は今が見ごろ。八王子「富士森公園」へ出かけて見た桜は満開なのに、人の姿は少なかった。

こんなときに花見で浮かれていてはいけないという、日本人特有の気質の表れだろう。とはいっても桜の姿を目にして心が安らがないはずもなく、こんなときこそじっくりと桜鑑賞といきたいものだ。ちょうど多摩地区では今が桜の満開期である。じっくりとこの目に刻み付けておきたいと、富士森公園へと向かったのだ。

この公園で主流を成す染井吉野の桜は花びらがほの淡いピンクなのが特徴であり、力強さにはいまいち欠ける。一度に咲いてパッと散るという桜のイメージは、この淡いピンク色が相俟って、儚さを印象付けている。

大きな幹の中から枝を伸ばして、そっと咲いた桜を見かけた。派手さはないがこちらの花弁には、艶やかさやエネルギーを感じさせる。大勢で群れを作るのではなく、そっと息衝いているという姿はまた興趣をそそる。

ここまできたら後は散るだけだ。そんな潔さを見て取ることのできる桜は、今の季節にしか出会えないのだから、そんな出逢いを大切にしていきたいと思うのである。

斉藤和義の「ずっとウソだった」に拍手を送りたい

近頃はどのマスコミを開いても「頑張ろう、ニッポン」のオンパレードが続いている。別段そのことに意義を唱えるつもりもないが、これを思考停止と呼ばずして何と呼ぼうか。自粛ムードが高じて社会全体の思考停止状態が続いていくとなれば、由々しき状況であると云わねばならない。

そんな状況の中で、斉藤和義の「ずっとウソだった」ソングの発表はユニークであり、なおかつ極めて創造的な行為であった。ご存知のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌として歌われ、YouTubeにアップロードされた。その直後からネット上ではこの歌の話題が沸騰していたという。斉藤和義を語る偽者ではないか? いや本人だ! 等々の喧しいやり取りが行われてきた。

そんなこんなの末梢的なやり取りに対しては、斉藤和義本人がUSTREAMの生歌披露で吹っ飛ばした。番組で自らが替え歌を披露したのだから天晴の一言である。オリジナル曲を遥かに上回るインパクトとメッセージ性を有した名曲である。

図らずとも騒動となった状況下にて、可笑しなやり取りがまだあった。ビデオ画像が投稿されたYouTube上にて、その投稿を削除しようとして奔走した人間どもがいた。投稿しては消え、また一般投稿者がアップした投稿ビデオを、さらにまた何者かが削除していた。いわばいたちごっこ状態を生じていたのだ。

その投稿ビデオの削除に関与していたのが誰か? という命題に移るのだが、そんなに難しい問題ではない。斉藤和義が所属するレコード会社、ビクター音楽産業の関係者であろうことは、推察容易なのである。これほどまでに堕落したレコード会社とアーティストたちの関係性については、稿を改めて論じていきたいものだ。

岡本太郎グッズに注目なのだ

全国的なものかどうかはさておいて、東京国立美術館「岡本太郎展」における岡本太郎さん人気は凄まじい勢いを呈しているようだ。会場前に設置された通称「ガチャガチャ」と呼ばれるグッズマシンでは、大勢のマニアが競うように行列を作って、太郎グッズを求めていた。

「岡本太郎アートピースコレクション」と名づけられたそのシリーズは、全部で8種類あり、8種が揃ってコンプリートということになる。どれが出るのか判らないが故に何十回もガチャガチャを続けるマニアが登場する始末なのだ。彫刻作品のミニチュア版レプリカであり、手元に置いておきたいというマニア心を刺激する。

おいらは収集マニアではないのでそこまではしないが、あの顔のグッズはぜひ欲しい。また機会があったらチャレンジしてみるつもりだ。

http://www.kaiyodo.co.jp/taro/index.html

サラリーマンの街、神田で「ひつまぶし茶漬け」を食す

神田を歩けばうなぎの店にぶつかる、というのは些か大袈裟ではあるが、サラリーマンの街こと神田界隈には、うなぎ専門店が多数存在している。例えば「西口商店街」の1本道を歩いただけでも3軒のうなぎ専門店に遭遇したのだ。

仕事の打ち合わせで神田に赴いたとき、そんなうなぎ専門店のうなぎ料理の「ひつまぶし」を食したのです。

ひつまぶしというのはご存知のように、うなぎの蒲焼を細かくして、重箱にまぶしたもののメニューである。まずはそのままにひつまぶしの美味しさを味わい、途中からはお茶をかけて「お茶漬け」にして食べるというのが一般的な食し方なり。

一つのお重箱メニューで2度楽しめるということから、このような食べ方が広がっていったのだ。

お茶漬けにしたひつまぶしは、香ばしいうなぎの身とお茶の爽やかさが相俟って、とても美味なる味わいのハーモニーというべき味覚を愉しませてくれたのでした。

庭のチューリップが緑色の蕾を見せた

去年の秋に球根を植えたチューリップが育ち、緑色の蕾を見せていた。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2354

去年は植えてからもなかなか芽を出さないでいたので、一時はあきらめてほうっておいたのだが、おいらが知らないうちに芽を出してすくすく育っていたのである。それだけ長い期間に根を張って育っていたのだから見事である。

カラカラの天候が何日も続いていたのに、よく育ってくれたものである。肥料をあげた覚えもない。葉は瑞々しく、葉脈の中には生きた細胞が詰まっていることを示していた。

久しぶりに近づいて葉脈の中を覗いていると、緑色した蕾を発見。その姿はまるで嬰児のように小さな産声を発して泣いているようにも見えたのだ。

もう少ししたら、原色の花を咲かせるのだろう。だがつかみ取りで入手した球根なので、何色に色づくのかも見当がつかない。早く見てみたいものなのである。