春の七草を鍋仕立てで食してみた

本日1月7日は七草の日。「七草かゆ」をつくって食するのか日本全国一般のならわしである。ここ数年はならわしに則り「七草かゆ」をつくっていたが、本年はちょいと志向を変えて、鍋仕立てによる七草を食することにしたのだった。

基本的に七草と云えば、スズナ、ハコベラ、ナズナ、スズシロ、ホトケノザ、ゴキョウ、セリの七種の薬草を指している。薬草とは云いつつも、スズナはカブ、スズシロは大根のことを指しており、セリは定常的にスーパーに並んでいる食材だ。これらの七種をまとめて調理することに特別な意味か存することは明白であろう。即ち、日常的素材に少しばかりの祭りの要素を取り込んだという、伝統的なイベントなのである。

ヴィム・ヴェンダースによる「もし建築が話せたら…」

先日当ブログにて紹介した東京都現代美術館での企画展「建築、アートがつくりだす新しい環境」展では、とても興味深いブースがあった。

ヴィム・ヴェンダース「もし建築が話せたら…」という、3Dインスタレーションのブースである。

イメージとしての例えばアップル社の社屋が連想される建築物が、声を放って語りかけている。

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ある場所が気に入って
そこで長い時間を過ごしていると
声が聞こえてくることがあります。
場所には声があって
建築は話をするのです。
そう、あなたに話しかけています。
聞こえますか?
話し方は本で勉強しました。
私は勉強することが得意なのです。
勉強のための建物だから、何の不思議もないけれど。
私は本が好きです。
本を読む人たちが好きです。
さあ来て、読んで、学んで。
中に入って、そして歩き回ってほしい。
行ったり来たりしてほしい。
私はいつでもここにいます。
動くことができないから。
みなさんのように旅ができたらどんなに良いでしょう。
もちろん私も、他の場所のことは知っています。
でも、本を通じた知識しかないのです。
(以下略)
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ちょうど我が「みどり企画出版」では、建築写真集「瞬間の連続性」を刊行したところであり、建築が語りかけるかのごとくのシーンも、ページのかしこに見て取ることができるのである。

同写真集のお求めは、下記アドレスからどうぞ。

http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/

■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
判径:250×250mm
頁数:60ページ
体裁:並製本

おやじ評論家風情を頷かせるであろう綿谷りささんの最新作品「かわいそうだね?」

[エラー: isbn:9784163809502:l というアイテムは見つかりませんでした]
20歳のときに「蹴りたい背中」で由緒ある日本の芥川賞を受賞して以来、何かと気になる作家の綿谷りささんが手がけた最新作品の「かわいそうだね?」を読了した。

先輩αブロガーのイカちゃんもかつて絶賛していたように、綿谷りかさんの賢こ可愛らしさは特別なものであり、芥川賞を受賞しようがしまいが、綿谷ワールドはおやじのハートを引きつけて止まない。

云わばストーカー的色彩を放っては、日本全国のおやじ評論家風情があれやこれやと評するものだから、りささんも何かとやり難いのではないのかと推察しているのだが、当「かわいそうだね?」においてはとてもりささんらしい、期待を裏切ることの無い作品として出世の道を得たとも云えるだろう。

主人公の女性は百貨店でブランドものの販売を担いつつ、彼とその彼の元カノとの板挟みになって悩みもがいていく。本人にとっては切実であろうがあまり社会一般の行く末に影響を与えることの無いという、ノンポリ的物語が展開していくのだ。

いまを時めく20代後半の女性の感性を満開に匂わせながら、りさワールドに導いてくれるのだから、おやじ評論家風情も願ったり叶ったりであろう。

結末に近づくと勃発するドタバタ的悲喜劇の顛末は、ドラマのプロから見たらば突っ込みどころ満載の出来栄えかと、即ち未熟なストーリーテラーによる展開かと感じる向きもあろうが、おいらは却ってその未熟さが、清々しさにも通じるものとして受け取っていたのである。

20代の後半にこのような作品を世に問うて、この後のりささんは30代の熟女のときを迎えていく訳なのだが、若きときへのレクイエムとしてこの本を読んでいくのも、あながち間違った志向ではないのである。

東京都現代美術館にて「建築、アートがつくりだす新しい環境」展が開催

建築写真集「瞬間の連続性」に関わったこともあり、このところ、建築物等の物理的社会環境と人間生活との関係に深く関心を抱くようになった。ちょうど今現在、東京都現代美術館にて「建築、アートがつくりだす新しい環境」展が開催されていることもあり、鑑賞に訪れていた。

■「建築、アートがつくりだす新しい環境」展
2011年10月29日(土) ー 2012年1月15日(日)
東京都現代美術館 企画展示室3F・1F
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/129/

否が応でも現代社会に向かい合うとき、いかなる人間も現代建築が与える影響を受け取らざるを得ない。個人的にはマンション等の「集合住宅」に嫌悪の念を抱いているおいらだが、個人的感情にて現代生活の全てを選び取ることは不可能である。避けてする暮らし方などしたいとも思わないのだ。

建築家をはじめ建築に関与する写真家、デザイナー、映像作家、等の職業人の多くは、無機物としての建築に生命を宿すことを夢見つつ、極めて些細なことから天才的なアイデア迄をも駆使して、日々の営みを行なっているように思える。そんなこんなを体現できる展示会となっている。

“魂の陰影を剥ぎ取る”建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました

みどり企画の出版事業部であるみどり企画出版では、このほど7人の写真家集団による建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました。「建築」という身近な素材をモチーフにしながら、日常的には余り接することのできない、特別な一瞬間の表情等が巧みに捉えられた作品集です。

現代美術作家の上野憲男さんが、巻末に同写真集への手書きのコメントを寄せてくれているのでここにご紹介しておきます。(誌面では手書きのそのままで掲載していますがここでは活字に置き換えてご紹介します)

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魂の陰影を剥ぎ取る

日本初の高層ビルディング「霞ヶ関ビル」の写真をシャッター音も心優しく包むようにして撮影した川澄明男の作品はその設計者の名と共に今にして輝きを放ち続けている。

その川澄明男を師と仰ぐ小林研二をリーダーとする建築写真家集団。無機的な建造物に“やるせない”位の生命を映し出すPhotographer達。

硬い石の中にも鋭い鉄鋼、硝子の中にも、そして木や紙、植物にも、あらゆる材質の骨格の中に、風のようなしなやかさで吹き抜け、魂の陰影を剥ぎ取り、現代美術作品と見まごうような見事な映像を造形化した。

本写真集がスタートと言うこの「瞬間の連続性」は今後、益々鋭敏に豊かに展開してゆくことは間違いないだろう。

上野憲男
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■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
判径:250×250mm
頁数:60ページ
体裁:並製本

http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/

新春2日の心情等、ネットブック、ネットショップへの未練や期待も少々

新年2日ともあれば、街中何処も寂れているというのが戦後十数年間の習いとなっていたのだった。だが昨今の正月事情はそんなこんなの習わしをものともせずにぶち壊しており、新時代の習わしを仕組みつつある。これはいたって世の中の健全なる斯業にありて今後の健全たる習わしに悪影響が及ぼされること無きように希うばかりである。それにしてもネットブック環境はとても酷いものであり、日本語の変換さえままならずにあれやこれやの失敗事ばかりなり。いずれはこんな酷い状況は解決していかねばなるまいという志は強く持っているものなり。

謹賀新年 2012

謹賀新年 2012 本年も宜しくお願いいたします。とはいえ年末からの「2012年は元気な年に」「明るい年に」の合唱コールには流石に辟易しつつ、今年は先ず古きを温めて、発酵させることから始めてみたいと思い立った。その具体的狙いや成果については今後またの機会に…。

新春恒例の上州駅伝のルートでもある街道を自転車で走って、昨日もふれた「KEYAKI WALK」の中を歩いた。旧市街地の機能がごっそりとこのモールに移ったように、元旦早々賑わっている。建物の入り口を潜り抜ければまるで青山や原宿の町並みの様な錯覚を与えてしまうくらいである。

時間潰しにシネマの「源氏物語 千年の謎」を観てすごす。光源氏役の生田斗真は様になっていたが、ストーリーのほうはまるで史実の登場人物をつぎはぎしただけの代物でがっかり。まるで色物映画と見紛うばかりだ。角川書店刊行の原作本によるものだとされるが、こういうのが現代風のメディアミックス作品の代表的作品と云うのかな。

老舗書店「煥乎堂」も時代の波に取り残されていた

上州前橋に本店を構える老舗書店「煥乎堂」を訪れた。明治初年創業という伝統を持つ県内随一の総合書店として、地元の人々から親しまれてきた。おいらも物心ついた少年期から愛着を持ってこの書店を通ってきていた。川端康成さんがノーベル賞受賞した直後の小学生の頃には同店2階の文学コーナーを訪れ、女性店員のお姉さんに川端文学の美しさやお勧め作品のレクチャーを受けていたのであり、その講義内容はぼんくらな国語教師らを超えていた。いわばその場所は特別なスポットなのである。
http://www.kankodo-web.co.jp/

ところがそんな由緒ある老舗書店に異変が生じている。年々、訪れる度に客が減っているのだ。もっとも端緒なきっかけが「KEYAKI WALK」という一大ショッピングモールが駅南口の郊外にオープンしたことによる。ショッピングモール内には「紀伊国屋」書店が出店し、スペースや扱い書籍の数、等々で県内他店を圧倒している。

かつては「書物の宝庫」と自他共に認めた煥乎堂書店だが、現在は残念ながらその面影はない。陳列されている書籍群のほとんどは都内の有名書店ならばどこでも入手できるものばかりであり、「地元コーナー」扱いものの充実度も、過去の数十分の一という印象だ。げんに地元出身「司修」本の過去出版本はほとんどなく、近作数冊が並べてあるのみ。紀伊国屋KEYAKI店に後塵を拝していることは客観的に認めなければならないだろう。

実家の暮れの定番は「カニスキ鍋」

上野のアメ横に立ち寄り上州の実家に帰省した。アメ横の目当ては蟹であるる。いつも買い求める大降りの冷凍タラバ蟹と、今年は毛蟹を併せて購入して帰省電車に乗り込んだのだった。

この数年間、我が実家の暮れの定番は「カニスキ鍋」となっているので、今日もまたそんな鍋料理に精を出したのだった。

鱈よりもワイルドな味わいがナイスな「ドンコ鍋」

これから冬も真っ盛りの季節には、美味い鍋料理を発見することも所謂一つのテーマとなっていく。その第一弾として記念しておきたいのが、「ドンコ鍋」だ。実にラッキーな偶然から地元の居酒屋にて食することとなった。

湯豆腐鍋には欠かせない「鱈(タラ)」の様な白身の淡白な味わいである。然しながら鱈の身と比較すると、ワイルドな味諏に満ちており、身はざっくりと筒切りにされており、いささか小振りだがワイルドな白身のエキスを味わいたいときには取って置きのメニューとも云うべきなる、おすすめ食材てあり、鍋料理なのである。

ドンコとはハゼの一種とされており、姿形もハゼを一回り大きくした様な格好である。だが鱈よりはかなり小振りである。何とも特徴を示し難いが、ドンコの身はとても美味だったことは間違いないのだ。

断捨離をしたくはあれども知恵も技もなし

昨今の日本社会は「断捨離」がブームであるようだ。ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方が基本にあるとされていて、老若男女が思い思いの断捨離を行なっている光景に出会すのだ。

朝方の通勤電車の中で見かけた初老の女性が、何やら大きめの、A4版程度かそれ以上はあろうかという大判のMOOKを開いていたので、ついつい覗き込んで見たりしていたら、所謂「断捨離本」なのである。熱心にそのMOOKに見入る姿には、それこそ断捨離への厚い思いを感じ取ってもいたのだった。

こういうおいらも「断捨離」には思いを強くしており、この年末こそは断捨離を断行したいという密やかなる計画を抱いているのだ。引っ越しの度に数を減らしていた書物は最近になってまたぞろ数をとかすをを増やしており、我が家における余計な収容スペースを要している。一度読了した書物を手元に置いておく意味などはほとんど無いことを、「断捨離」以前の考察から感じ取っていたのであり、何とか早く処分したいと思っているところなのだ。

だがいかんせん、生来のものぐさ的性格が災いして、未だに成し届けないままのおいらなのである。

ところで「断捨離」関連のベストセラー本は、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏によるものである。ともに「ときめくもの」か否かを捨てるか捨てないかの基準に置いているようであり、ときめきの無いものなどはどんどん捨て去ってしまいなさい! というメッセージを発信している。このメッセージが新鮮に映るのは、今日的な社会状況が背後に控えているからに他ならない。

誤解を恐れずに書くならば、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏による書物などはまやかしであり、本来のヨガの精神とはほど遠いものであると云ってよい。まやかしが跋扈するという現代日本社会を象徴しているかのごとくの「断捨離本」に関しては、疑ってかからなければならない。ヨガや或は禅宗の教えとも連なる本物の断捨離を行なうには、おいらもこから勉強しながら技を磨かねばならないということを痛感しているのである。

寒い特別な日の「ブリカマ焼き」

本日もまた寒い日であった。熱燗、お湯割りと云った酒類が居酒屋で飛び交っている中、おいらは相も変わらずに定番のホッピーをすすっていたのだった。ところで今日の日はある種の特別な日であり、亡き妻へのささやかなプレゼントなどを用意して時を過ごしていた。

地元で立ち寄った居酒屋で、「ブリカマ」ことブリのカマ焼きを食した。遠火でじっくりと時間をかけて焼き上げて出されたそのカマ焼きは、想像した以上にさっぱりと、塩味も控えめに味付けされて、とても美味であった。鯛の身よりもコクがあり、味わいも深いものであった。ブリと云う魚もまた調理の仕方次第で、特別な料理になり得るのだった。

師走の上野「アメ横」界隈を散策

師走のこの時期になると、買い物客でごった返すのが上野のアメ横。ほぼ毎年のように暮れ正月の帰省前にはここアメ横に立ち寄って買い物をしていくおいらである。今日はその下見も兼ねての散策である。「庶民のアメ横 楽しい買物」という巨きな横断幕が入り口で迎えていた。

マグロ、カニ、ホタテ、等々、鮮度良好の魚介類売場に混じって、伊達巻、カマボコ、等おせち食材の売場も賑わっていた。おせち食材は多少ものもちが良いことから、今ごろが購入のピークだと見られる。そしてここアメ横だからこそなのだろう、クリスマス関連ものがほぼ見られなかったことがとても新鮮に感じ取られた。

上野から御徒町にかけてのガード下界隈には、古くからの居酒屋が林立している。やはりここはいつもの「佐原屋」にて一杯引っ掛けることになる。身体が温まるおでんとともに、これまたいつもの「納豆とんぶり」を肴にしてホッピーで喉を潤す。

もう一週間もしないうちにお正月を迎えるが、「佐原屋」はといえば、チェーン店ではなく自営店であることを良いことに、9日までの長期休養が予定され、母さん、娘さんはじめとして店員嬢たちは、今から浮き浮き気分の様なり。

新しく発見したメニュー「ハスキン」を注文。出てきたのは蓮のきんぴらであった。どおってことは無い、が、好きなメニューであることには違いなく、蓮根のシャリシャリした触感をかみ締めつつ、師走のときを過ごしたのでありました。

宮城みゆきさんの「名もなき毒」は、これからの人間社会の「毒」を象徴しているのかもしれない

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クリスマスの今日の話題には些か相応しくない書名かもしれないが、本日、宮城みゆきさんの「名もなき毒」を読了したので記しておきます。

地元の某書店のランキングに依れば、文庫本の売行きNo.1なのだそうである。決して売れていると云う理由だけではなかったが、数年ぶりに宮城みゆきさんの作品に接していたのだった。時代の空気というものを小説と云うメディアに描くのが得意なこの作家には、かねてから注目していたのだが、作品に接するのは数年のブランクが存在していた。

物語はまず、青酸カリという「毒」による無差別殺人的事件を描きつつ展開していく。被害にあったのは5名、彼らのほとんどの間に特別な関係性は見当たらない。このうちの幾つかが便乗犯によるものだと云うことで、幾重にもの重層的な物語が展開されていくのである。

そしてもう一つの「毒」が描かれていくのだが、そのテーマ的主人公が、原田いずみというトラブルメーカーの困った女性なのだった。某大手企業の広報室のアルバイトとして雇われた原田いずみは、数々のトラブルを起こした後に解雇され、広報室に関係者に対して毒殺ならぬ「睡眠薬殺」を企てる。そして全国的な指名手配犯としての後半の犯行が待っていた。彼女の姿に描かれた生態こそがもう一つの「毒」となっていた。

世の中の数々の「毒」をテーマにして、所謂「市民」の関わりが物語の中心的なテーマとなっていくのだ。

そもそも人間存在の「毒」というのは、今始まったことではなく、昔からの人間存在の中で在ったものではある。だがしかしながらそういう言葉では示せないくらいの「毒」は、改めて現代人にとっての脅威の的となっているのだ。

簡単で即効性のある解決策などは存在しない。

八王子の「宮城」で、河本次長発案の「このトラーメン」を喰らう

八王子市南口にあるラーメンのデパートこと「宮城」。ご存知「ファンキーモンキーベイビーズ」が売れない頃から贔屓にしていたラーメン店であり、ファンモン考案の「ファンモン麺」は、全国から彼らのファンが食べにくるくらいに全国区のラーメンメニューだ。

本日は同店で、変わったラーメンを食したのだ。その名も「このトラーメン」という。命名者でありメニューの発案者、はお笑いコンビ「次長課長」の河本次長だという。

このラーメンの特徴と云えば、白味噌味のスープに細麺のストレート、そして刻んだタマネギが大量にトッピングされていること。トッピングされた刻みタマネギは、八王子ラーメンの基本を踏襲しており、熱々の味噌スープにも、良いハーモニーを奏でていた。

発案者の河本次長はこれに「七味」を大量に掛けて食べることを勧めている。だがこの七味はラーメンには似合わない。どう味わっても似合うことは無いのである。

■宮城
東京都八王子市子安町4-26-6
TEL 0426453858

鉢植えの「ポインセチア」を買って帰った

鉢植えの「ポインセチア」を買って帰った。

この時期、クリスマスの季節になると、街中の至る場所でこのポインセチアを見かける。日照時間が短い冬になると色を付ける。極小な花の周りに一段と鮮明に広げているのはポインセチアの苞(苞葉とも云う)である。

濃赤色と緑色とのコントラストが色鮮やかであり、クリスマスを彩る色彩としてはこれ以上ないくらいにピッタリくる。クリスマスのイベントには縁薄いおいらではあるが、濃赤と濃緑のコントラストが街中を彩る季節に、サンタの外套やトナカイが被る帽子のようなポインセチアを眺めるのは嫌いではない。

村上春樹さんのヒット作品「ノルウェイの森」の装丁色として一世を風靡した「赤と緑」もこのポインセチアの赤と緑に縁深く繋がっている。春樹さん自らがこの2色の色彩には拘って実現したというが、西洋起源の御伽噺の基底色とも云えるのだから、赤と緑の出逢いの妙については何度も何度もこの目で鑑賞し尽くされると云うことは、決して無いのであろう。

クリスマスの鉢植えとして愛好されるポインセチアだが、実は同植物はメキシコ等中央アメリカを起源としており、寒さには弱いのだと云う。これから春にかけての手入れが大変であろうと、今から心配の種が増えてしまった。

冬至の日にゆず湯に浸かったのだ

本日は冬至。昼の時間がもっとも短い冬本番を告げる暦の日だ。寒気に凍えていた夜、地元の大浴場にてゆず湯に浸かり温まった。

イベント湯には大量のゆずを皮と実とに引き裂いてネットに閉じ込まれていた。風情はいまいちなれど、ぬるめの湯に浴しているおいらに、ゆずの柑橘系の刺激が鼻を突いたのだった。天然系柑橘の香りが心身に染みたのは間違いなかったが、ビタミンが全身から染み入ってくれればよいが、本当はどうしたものだろうか? 

こんな日は湯ざめなどしないように、温かくして早めに眠ろうと思うなり。

青春小説と呼ぶには勿体ない、ヤンネ・テラーの「人生なんて無意味だ」〔2〕

ヤンネ・テラー女史による「人生なんて無意味だ」という作品は、とても厳かにかつスピーディーにストーリーが展開する。

26ある章のそれぞれ全ての章にて、新しい展開に驚かされてきたとでも云おうか。極めて緻密な厳然たるストーリー性が存在しているのだ。

ネタバレになる怖れがあるので詳細は記せないが、同書の結末の印象は、決して晴れ晴れとしたものではなかった。我国の国情を勘案すれば、PTA関係者だかが声を荒げて抗議するたぐいのものであるとも云えるくらいだ。

かと云って誤解なきように記すのだが、同書は哲学的の内容に満ちているわけではなく、あくまでドラマツルギーを基本に据えた物語なのである。

これはとっても稀有な、世界的世界観を有する小説作品なのだ。

青春小説と呼ぶには勿体ない、ヤンネ・テラーの「人生なんて無意味だ」

[エラー: isbn:9784344020979:l というアイテムは見つかりませんでした]

デンマークの女流作家、ヤンネ・テラー女史による現代文学作品。13〜17歳の思春期の若者達が登場人物であることから、青春小説として扱われることがしばしばだが、その内容は厳か過ぎるくらいのものがあり、けだしこの作品を青春小説のジャンルに括るのは至極勿体ないことと思うなり。

大人が読んでも充分に読み応えがある現代小説として、グイグイとその作品世界に引っ張り込まれてしまったのだ。

ドイツ、フランス、オランダ、スペイン等、欧州各国の言語に翻訳されており、このほど我国日本語にも翻訳され、発刊の運びとなっている。欧州各国の読書家を中心に深く読み継がれている経緯も、成る程なと頷けるものがあるのだ。

「人生なんて無意味だ」と叫んで学校から立ち去っていったピエールと、彼の元同級生たちとの遣り取りをめぐって物語は展開していく。

どうせ意味のあるものなんて何もないんだから、何をしたって無意味だと気づいた日に、ピエールは学校へ来るのをやめてしまった。

さて、我国でもポピュラーなる登校拒否にまつわる話かと思われるかも知れないが、ストーリーはもっとずっとプリミティブかつ重たい展開を示していくのだ。決して甘っちょろい青春小説の類いで扱ってはならないと云うことを、再度強調しておきたい。

ピエールvs彼の元級友たち。「私たちは大きくなって成功しなくちゃいけない」と考えている元級友達のほとんどは、ピエールへの敵意をむき出しにして相対峙していく。先ずはピエールが気持ち良さそうに横たわっているスモモの木に対して攻撃を仕掛けたのだ。「あいつに石を投げよう」という、誰かの提案に呼応しながら、元級友達はピエールへの攻撃に精を出すこととなっていった…。

(この稿は続く)