初春の菜の花は、炊込み御飯にもよく似合う

菜の花料理に舌鼓を打ったおいらは、菜の花の炊込み御飯作りにチャレンジしたのです。菜の花に、大根、人参、筍を加えて、いつものように専用土鍋で炊けば、美味しい春の味的炊込みご飯の出来上がりである。

ほろ苦い春の味わいに加えて、見た目も淡く初春の彩り。御飯がこんなに味わい深く思えたのも久々の体験だ。

春の風物詩として古くから親しまれてきた、黄色く輝く菜の花畑を目蓋に浮かべつつ、黄色い花を咲かすことなく食用にされた菜の花の蕾の姿には、限りない生命力が漲っているように見えた。人間は自らの生殖のためにこうした食物から生命力を横取りしているのかもしれない。けだし人間というのは罪深きものなり候。

春の香りを届ける菜の花料理

寒さはまだ当分続きそうだが、一足早い春の香りがする菜の花料理に出食わしたのです。

そもそもおいらが子供の頃には、菜の花は観賞するために在る花であり、食用にされることすら思い描けなかった。それが江戸の街に出て以来、食用に供されることを知り驚いたという、カルチャーショック的体験があった。

それかあらぬか、菜の花のほろ苦い繊細な香りには、ひと際愛着を持っているのだ。黄色い花を咲かせる前の閉じた蕾の中から溢れる滋味こそ、早春の味わいである。

菜の花の辛し和え

おひたしにしただけの菜の花も充分に美味だが、ひと調味料が加わって、立派な料理になるという見本のような料理だ。春のほろ苦い苦味が辛し味と出逢い複雑な春の味となるのだ。

菜の花と桜海老のかき揚げ

どういう因縁なのかは分からないが、相手素材に桜海老が組まれている。桜海老の旬にはまだ少々早いのだが、イメージ的には春の味わいを演出している。玉葱や他の野菜類を組み合わせるよりは、菜の花の繊細さを削ぐことがないので、そういう意味ではなかなかの組み合わせといえるだろう。

終戦内閣総理大臣、鈴木貫太郎翁の記念館を訪問

千葉県野田市の郊外、関宿の「野田市鈴木貫太郎記念館」を訪問した。東武野田線「川間」駅からバスを乗り継いで約1時間ちかく走った、利根川と江戸川に挟まれた、周囲には田畑が広がる長閑な土地にその記念館は建立されている。貫太郎の旧邸が在った隣というのが場所の謂れだという。

記念館の正面玄関前に着くと「為萬世開太平」と記された巨きな石塔が目に飛び込んできた。「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す」という、昭和天皇による所謂「玉音放送」の原稿からとられた一節である。鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長、迫水久常の手による書とされている。貫太郎自身の思いの強さをいやがうえにも知らされる。

館内には白川一郎、阪倉宜暢らによる多数の戦争画が展示されている。写真ではなくして絵画である。貫太郎が青年将校に襲撃された「二・二六事件」、終戦が決定された最後の「御前会議」等々、歴史的に極めて緊迫した舞台の一瞬一瞬がとてもリアルに描かれており、その描写力よりも戦時下での画家の思いに胸が締め付けられる。また、たか夫人の手による花木の彩色画、さらには愛用していた礼服をはじめとした様々な遺品が、館内狭しと並べられ、訪問者を温かく迎えてくれる。

記念館の隣には「鈴木貫太郎翁邸跡」が併設されている。地元の人たちは親しみを込めて「貫太郎翁」と呼んでいることが鮮やかに示されている。そして「終戦総理大臣」と敢えて大書することで、貫太郎以外は成し得なかったであろう終戦処理の大任を果たしたという貫太郎の大きな功績を称えているのだ。

この場所はかつて、当時民主党の代表だった小沢一郎が選挙運動の第一声を挙げたところでもある。所謂「辻立ち」と称して選挙演説をぶっていたのが、当時の全国ニュースで放映された。総理大臣当時の麻生太郎もまたこの場で選挙演説し「負けっぷりよくしなけばいけない」云々の貫太郎と吉田茂とのエピソードを語っている。

両者共に貫太郎翁の威光にあやかろうという魂胆が見えみえだが、残念ながら貫太郎翁の前では小さなガキ子供のように映ってしまう。政治家が尊敬する先達にあやかりたいのも理解できるが、真に有権者にアピールしようとするのならば、せめて貫太郎翁の懐の巨きさや清濁併せ呑む政治家の資質くらいは学びとってからにして欲しいものである。

■野田市鈴木貫太郎記念館
千葉県野田市関宿町1273番地
TEL 04-7196-0102

デミグラスソースで味わう洋風オムライス

オムライスとは元々洋風料理ではあるが、かつて食べてきたオムライスといえば、チキンライスにケチャップ味という、和風洋食の味わいが濃厚に漂っていたものだ。卵料理の中でももっともその恵みをストレートに味わえる大衆料理として、長らく日本人の舌と胃袋を満足させてきていたのである。そんな料理を総称して「洋食」と呼ぶ慣わしが定着している。

ところで先日食した「オムライス」は、宵の後には仏蘭西酒場としてワインバーとなる、今時流行の店舗である。昼間からワインを注文することも出来る訳も無く、ランチメニューで「オムライス」を食したのだ。

卵はホクホクとして活きが良く、半熟卵の香りが鼻を突くくらいに濃厚である。バターの香りも漂っていたのでカロリーも相当なものであったと推察するのだ。

ワインを好む仏蘭西人は、例えば麦酒大好きの独逸人に比べてメタボ度が低いと見ていたのだが、こんな高カロリー食を摂取していてはメタボ度も高いに相違ないと感じさせる。つまりはそれくらいにガツンとして、胃袋を刺激する濃厚な味わいなのでありました。

ラーメン「ホープ軒」の本当の味わいは如何に?

久しぶりに、「ホープ軒」ラーメンを食したのです。

昔はよく食べていた懐かしい味でした。1回目にスープを嗅いで懐かしいと感じた後、そして2回目に箸をつけると、ほどよくアレンジされた独特のスープの味わいが漂ってくるのです。

このスープはかなり曖昧である。豚骨スープかと思えばそれなりにそれなのだが、中途半端なのである。べつに悪口を述べているのではない。中途半端なのが気に入って注文する客も少なくないだろう。それでよしとするべきなのかもしれないとふと思う。

いわば人間の欲望などというものにうつつを抜かしていては正しい市民生活などは送れなくなる事は必至であり、ある程度の処で妥協すべきであると最近考えているのだ。

という訳で、ホープ軒のラーメンは、それなりに良いものだったということに纏めておきたいのです。

東京下町台東区にて今季初の「あんこう鍋」を食す

先日下町の台東区に出向いた際に「あんこう鍋」のメニューに導かれるようにして今季初めて食したのが、上に示した写真の鍋である。

寒い冬ともなれば、冬の鍋の極北とも思える「あんこう鍋」が食したくなる。そしてあんこう鍋の本場、北茨城の平館地方に行きたくなるのだが、なかなか時間と財布が許さないまま今季も時を過ごしていた。

そんなときに偶然にもありつけたあんこう鍋は美味だった。あんこうの肝臓がドカンと目の最も近い前に乗り、さらに様々なあんこうの内臓類がどっさり丁寧な包丁さばきの跡も鮮やかに盛り上げられていた。しかも味噌味とくる。本格的なメニューなのだ。

火を通して数分後、ぐつぐつとして沸きあがる鍋の奥の奥の下からは、味噌スープに溶け込んだあんこうの香りが鼻を突いたのだ。それくらいにワイルドなあんこうを堪能した。値段はといえば大衆食堂料金の1,200円であった。これをラッキーと呼ばずにはおけようかとの思いが駆け巡っていた。

あんこうの身は引き締まっていて、しかも小骨や軟骨に絡まっている。この身を手でとって、一つひとつを口や指で掻き分けて味わうのがあんこう鍋の食し方でもあり、最大の愉しみでもある。

豊穣なるコラーゲンが豊富に含まれているだろうホクホクのあんこうの身を手に取り、口に含めて、至極満ち足りた気分を味わうことになったのです。

太田光の自慰的小説「マボロシの鳥」

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古書店で目にした「マボロシの鳥」を購入してしまった。奥付を見ると初出の記載がなく、これまで発表もされなかったものを纏めた書き下ろし作品集のようだ。よほどの自信作かと思い読み進めたのだが。

芸人という人種は自意識過剰を絵に描いたように振舞うのが常だが、それでも足りないとなれば小説に向かうのかもしれない。コント「爆笑問題」の太田光が著した「マボロシの鳥」は、まさにそんな著者によるまさに自慰的小説のオンパレードだ。

なによりも観念的な言葉の空回りが目立っている。象徴的な意味を付加したのかもしれない言葉の羅列がしつこく、まとまりも構成力も言葉のセンスも何もかもが欠落している。もしかしたら「陰日向に咲く」(劇団ひとり著)に匹敵するかもと期待し読み進めたが、完全に期待外れの1冊だった。

日本サッカー、ザッケローニ監督采配の妙について〔2〕

昨日の続きである。

アジアカップ決勝戦でのザッケローニ監督采配で際立ったのが、後半11分、藤本を下げて岩政を起用したことである。それにより守備的な位置にいた長友が左の攻撃的な場面へと転移的に移されてしまった。

こんな芸当を可能にするのがザッケローニ流の配置転換だったのかと思うのだ。これまでの日本の指揮官はもとより世界のほとんどの指揮官が想像していた埒外の戦略だったのではないか? このような芸当を実現化する日本サッカーに、これからもっと過大な期待が集中することであろう。

いつかはザッケローニ氏も日本を去ることになるのだろうが、それまでじっくりと、彼の独特かつ天才的な戦略的指揮について、注目していこうと考えているところである。

日本サッカー、ザッケローニ監督采配の妙についての一考察

祝!日本サッカーがアジアカップ優勝。日本時間で土曜の深夜だというのに、平均視聴率が異例の33パーセント以上(日韓戦よりは劣る)だったという。それだけ注目されていたアジアカップの決勝戦に勝利した日本チームには、天晴れの一言である。

この優勝によりイタリア人監督ザッケローニの采配に評価が高まっている。就任以来8戦戦って無敗だというくらいに勝ち負けに強い。勝利を導く指揮官としての評価だ。客観的に数字を見ても、これまでの日本チーム監督の戦績を凌駕していることは明らかである。何故に彼はこれほどまでに秀でているのか?

様々なマスコミ情報にて周知のように、ザッケローニ氏はプロサッカー選手としての経験が無かったようである。青春期にプロを目指していたものの、重篤な病気に罹患したことからプロへの道を諦めたようだ。それでも諦められないザッケローニ青年が選んだのは、サッカー指揮官の道であったという。

日本の全試合を視聴した訳ではないが、ザッケローニ・ジャパンの試合は、常に戦略が仕組まれているようだ。今回の決勝戦にて、延長戦での選手交代にその一端を垣間見ることが出来る。

(知人の電話により中断したこと等により以後の原稿は後送)

「住みたい街」ナンバー1の吉祥寺、井の頭公園を散策

雑誌「東京ウォーカー」アンケートによれば、今年もまた「住みたい街」の1位に吉祥寺がランキングされたという。
http://www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201101240016.html

確かに訪れたくなる街の上位にランクしたくなる。おいらはこれまで吉祥寺に住んだことはないが、友人、知人が何名か此処に賃貸していたことがありよく出かけた街であり、途中下車度が高い街でもある。つまりはおいらにとっても途中下車したくなる街のナンバー1と云ってよい。

手が凍えるくらいに冷え冷えとした黄昏時の井の頭公園の井の頭池周辺は、枯木と共に凍えた都市の風貌を垣間見せていた。春には桜を咲かせ、秋には紅葉で賑わう井の頭周辺ではあるが、冬には見世物がないことを露呈してしまっているかのようだ。それかあらぬか公園の風景は田舎染みていた。それが悪いというのではなく、逆であり、吉祥寺という街の持つ田舎臭さに親近感を抱いたということなのである。

さらに此処にはミュージシャンが集うライブハウス、人気漫画家の仕事場アトリエがあり、おいらも公私において幾度も訪れつつ、そんな彼らとの交流を愉しんだものである。まさに特筆に価する都市であることは間違いがないだろう。

そして忘れてはいけないのが、呑兵衛お気に入りの居酒屋が、まさにごった煮のようにしてひしめき合いない交ぜにされているという独特の街の姿だ。高田渡さんに出会ったのもこの街であった。高田先生との想い出は深くハーモニカ横丁の路地の記憶に刻まれているのだ。

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「ファスト風土化する」と指摘している日本都市の問題を研究している三浦展氏が、渡和由筑波大学教授とまとめた共著のスタイルをとっている。ただただ軽い軽薄な都市論となっている。特に米国で学んだという渡和由氏の論は、横文字が多すぎて辟易した。筆者2名の個人的理想論に基づく軽薄な吉祥寺学的コラムとして読み進めていた1冊なのです。

風呂より圧力鍋が相応しい「ふろふき大根」の味わい

旬の食材である大根のふろふき大根を食したのです。大根を軟らかくなるまで煮込むには、少し前まではゆうに1時間以上の時間を必要としたが、最近は圧力鍋を使って、20~30分程度も煮込めば充分軟らかくなる。今回いただいたふろふき大根も圧力鍋を使用して調理されている。調理時間の短縮に圧力鍋の果たした役割は甚大なるものがあるのだ。

とてもシンプルな大根料理でもある「ふろふき大根」は、充分に煮込まれた大根に、味噌だれをかけて食される。味噌に味醂、醤油、砂糖、酒、等を合わせて煮詰めるのが味噌だれ作りの基本である。

ほっこり味わいのふろふき大根を味わいながら、おいらは「ふろふき大根」という名前の由来について思いを馳せていた。一説によればその「ふろふき」とは「風呂吹き」から来ており、風呂で大根を吹かしたことから由来するという。風呂の湯で大根を煮込むのではなく風呂で大根を吹かすというのが味噌ということだが、その真相は定かではない。いずれにせよ大量の湯にて大根を煮込んだ(吹かした)ものというのが語源ではあるようではある。

もののレシピ本によれば、米のとぎ汁を加えた昆布の出汁で煮込むのだという。そうすることにより、白くて上品な味わいのふろふき大根ができるというのだが、おいらは鰹出汁と醤油味で煮込んだ大根のほうが好みである。昆布出汁には違和感がある。それらの理由については後に別稿で改めて述べていきたいと考えている。

旧型TV対応の「地デジチューナー」はなかなか使える

先日、アマゾンから「地デジチューナー」を注文した。BUFFALO製の「DTV-S110」。アマゾン通販で最も廉価だった機種だ。これを14インチの小型TVに繋いでみた。リモコンも付属されていて、設定を済ませればTVのオン・オフをはじめチャンネル、音量等の操作を1台で済ますことが出来て便利だ。

さらに上下に黒地が入っていたのが消えたり、「地デジ対応」云々の鬱陶しいメッセージが表示されなくなり、すっきりした印象だ。数年前よりずっと、TV業界の嫌がらせ的でもあるこんな鬱陶しいものに慣らされていたのを思うと複雑であり、もとのすっきりした画面で見られてほっとしている。

これでまだ数年は、ブラウン管の小型テレビを視聴することが出来ることになった。電気店に行けばどこも地デジTVの一大セール中だが、もっと「地デジチューナー」をPRしてもよいはずだ。だがそうならないのは、家電業界の裏談合的な力が働いているのではないかと推測されるのだ。

魚の味醂干しは日本の食の叡智を感じさせる逸品なり

味覚のハーモニーを奏でる大衆食品の逸品として、昨日のタレ焼き鳥に続いて挙げておきたいのが、魚の「味醂干し」である。アジ、イワシ、サバ、サンマ、等にて一般的に用いられる「開き」「干物」といったものに一アレンジが加わったものだ。一般的な干物の美味さは認めながらも時々は「味醂干し」を焼いて食べたくなる。やはりおいらの味覚に染み付いて離れることのない懐かしい逸品なのだ。

そもそも「味醂」という調味料とは酒類の一種であり、14~15%のアルコール分を含んでいる。もち米を主原料としており、日本酒よりも甘味が強く、黄色味の強い琥珀色を呈しているのが特徴である。江戸時代の頃には酒として飲用されていたこともある。近頃のスーパーでは「味醂風調味料」等というものが出回っておるが、これにはアルコール分が存在しないか低かったりしており、腐敗の危険性も高い。極めて邪道的調味料なのであるからして要注意なのだ。

味醂干しに用いられるのはこの味醂の他に、醤油と砂糖が一般的だ。これはまさに日本的な三位一体的調味料のトライアングルと云ってもよく、味醂干し料理の奥深き伝統を垣間見せるのである。

調理法は干物と同様にガスコンロに乗せて中火でじっくりと焼き込めば、魚のストレートな味わいに加えて天然味醂の甘さが旨さを引き立てるのだ。このプラスα的な甘味が味覚のポイント。しかも甘味が強いからといって決してもたれることもない。しかも塩分制限をしている患者にも優しいということでもあり、おいらも好物にしているのです。

美味い焼き鳥は「タレ味」が基本なのだ

久しぶりに焼き鳥専門店へ出かけた。多摩地区では1~2位という評価のある「小太郎」という店だ。高尿酸血症のおいらにとって焼き鳥やモツは大敵なのだが、かといって我慢ばかりしていられる訳もなく、時々足を運んでしまうのは避けられない。

それはともかく、美味い焼き鳥、モツ焼きを味わうならば「塩味」よりも「タレ味」だろう。以前に掲示板上で議論に上ったこともあるが、人気ある店の「タレ」にはそれぞれに個性的な工夫が存在するものである。甘ったるかったり水っぽかったりするタレ焼は論外であり、そんな店の焼き鳥は2度と食べたいとは思わない。換言すれば、美味いタレ焼を出している店は、それが故に常連としてしばしば足を運んでしまうことになる。それくらいに「タレ」とは重要な味の要素、店選びの肝となるものなのだ。

その点、ここ小太郎のタレは甘くなく、炭火で焼くにつれて鳥や豚のモツ肉にじっくり染み込んでいく、ナイスな仕上がりである。炭火とタレとの相性が絶妙なのだ。塩焼きで焼くモツも悪くはないが、タレ焼の持つ特別なハーモニーを感じることは出来ないのだ。

■小太郎
東京都八王子市子安町1-7-8
http://yakitori-kotaro.com/

生姜が効いた冬の「モツ鍋」でほっかほっかに温まったのでした

寒い寒い冬の真っ最中である。こんな日の夕食、晩食には鍋料理が食べたくなるのは古今東西の人間のならわしなり候。

と云うわけで、地元に近い某居酒屋にて、生姜味の「モツ鍋」を味わったのです。いろいろと味付けに注文が出来るスタイルの同店鍋にて、おいらは生姜鍋を選択。そしてモツを食材とした鍋が、テーブルに持ち運ばれたのでした。

半分程度火に掛けられてテーブルに運ばれたその鍋は、キャベツ、ニラ、モヤシに加えて生姜がたっぷりと盛り付けられていた。流石「生姜味」とメニューに記すだけのことはある。もちろんモツの食材も含まれてはいたが、それほど目に付くものではなかったのでモツ関連のレポートは省略する。

肝心のモツ鍋の味わいはといえば、普段に味わっている以上のほっかほっかの温かさでもてなしてくれたというべきであろう。生姜味のスープは身に染みていて、中華麺の追加注文をしてしまったのであり、そしていざ注文した中華麺はといえば、モツの出汁が出ていて特別なスープを基にして塩味のラーメンを提供してもらったということになるのであった。モツ鍋の〆は中華麺で決まりということである。

いろいろな鍋を食してきたが、「モツ鍋」の中華麺〆の味わいにおいては、ベスト3に入るものであったと記しておきたいのである。

山の芋ハンバーグはもっちもっちの食感が秀逸なのだ

山芋ならぬ「山の芋」を摩り下ろしてハンバーグにした。元々粘度の高い食材であり、つなぎも何も要らない。百パーセントの山の芋ハンバーグである。

大ぶりに丸くしてから伸ばしてから、少量のサラダ油をひいたフライパンに乗せて焼いていく。ジリジリと云い始めたらば強火中火から弱火に火加減を落としながらリセットする。表面、裏面共にそれぞれ5分程度焼いたらならばハンバーグ生地の調理の仕上がりである。

続いてソースの調理にかかる。今回は玉葱、蓮根、白菜を細かく刻んでじっくりと煮込んだ後に、塩、味醂、醤油に片栗粉でとろみを付けて、そこに昆布とカツオエキスを加えて和風に仕上げてみた。冬野菜をメインに用いたことがポイントであり、これぞマクロビオティック料理の真髄ではないかと考えるのである。

最初の焼面(表面)では少々強火にて焼き進めたのが故に、少々の焦げを作ってしまった。それでもこんがりとした表面の食感は程よいこんがり感が感じられてブラボーだったのである。

最後に少々焦げ気味のハンバーグ生地とマクロビ的ソースとをあえて、2~3分程度煮込めば出来上がり。外はカリカリでいながら中身はもっちもっちの食感が、これまで味わったことのないくらいに秀逸であった。山の芋に火をじっくりと通すことにより、もっちもっち的な食感が強くアピールする、そんな逸品料理なのでありました。

公開中の映画の原作「妻に捧げた1778話」(眉村卓著)を読む

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「妻に捧げた1778話」を読んだ。現在、草薙剛と竹内結子主演でロードショー公開されている「僕と妻の1778の物語」の原作本である。新潮社から新書版「新潮新書」の1冊として出版されている。著者はSF作家の眉村卓氏。

癌を発症し「余命1年」と宣告された妻のために、毎日1話ずつ物語を書き綴ったという眉村氏の、約5年間(1778日間)を綴ったレポートと云う体裁をとっている。

同書中にて、妻のために書かれた1778編の中から19編が紹介されている。一応はショートショートの体裁なのだが、そこから外れて滲み出てしまう作家の心情が自ずからしのばれている。

とても不可能と思える作家の宣言ではあったが、宣言通りに毎日毎日1編ずつ、物語は書き進められていた。妻の看病と云う日課と共に、大阪芸術大学の講師としてのスケジュールその他を抱えての創作であり、驚異的な意志力を感じざるを得なかったのである。

日々感動し笑って過ごすことが、患者の「免疫力」を高めると云うことは医学的にも証明されている。作家、眉村氏はそうしたことも踏まえて、敢えて勤行に向かったのだと思われる。

まるでお百度参りかのごとき勤行ではある。ただ、「お百度」と云う言葉自体が「百日」という期限(余命)を連想されるのではないかと云う配慮もあり、「千日回峰行」という表現を用いて紹介するメディアも現れたと云う。現実に千日を越えて1778話を綴ったというのだから、作家本人も嬉しかったことなのであろうと推察する。

映画の設定に比較すると、原作本のほうは60年代の夫婦であり、イメージは異なっている。逆にみればそれ故に、長い歴史を感じさせる夫婦間のエピソードを読み進めることになっていったのだ。

妻の看病記の隙間に挿入されているショートショートの数々は、その時々の状況によって微妙な影響を受けざるを得なかったようである。そして1日1話という制約は、とても完成度の体物語を紡ぐことを容易にはさせなかったが、それだからこその、肉声がそのまま書き綴られた表現にも遭遇する。とても荒削りな、未完成のままの結末であるが、非常な精魂を込めた作品群に出会うことにもなってしまったのである。

これから近いうちに、同原作の映画も鑑賞したいと決めたのでありました。

川越達也シェフがプロデュースした「僕の味噌らあめん~ボロネーゼバター添え」を食する

本日のTV番組では、川越スマイルがモットーのようなグルメ番組が放映されています。川越シェフと云う人はとても苦節を重ねている人のようですが、あの笑顔(スマイル)だけはおいらは個人的に、素直に受け入ることができかねているのです。

そんなこんなの今日日、苦節を重ねた川越達也シェフがプロデュースするというラーメン「僕の味噌らあめん~ボロネーゼバター添え」を、目に付いたポスターに引き寄せられて、おいらも食してみました。

別に悪口云う気持ちは全くありませんが、普通の味と食感と食べ心地を満足させるものでありました。特別に悪い印象と云うものは抱かなかったのですが、積極的にPRするような物語が見当たりませんでした。

そうこうしながらしばし食しているうちに、何だかファーストフードの食材を胃袋に押し込んでいるような気分になってしまった。食の満足といおうか、食文化とでも述べようか…。そのような文化的人間的な気持ちが失せる体験であったと感じざるを得なかったのである。至極残念ではあった。

今日の番組は、いつもの青木さんではなくて新人の人がコメントしているようですね。新人ながらに気負っているのでしょうがコメントは軽々しくて嫌になります。やはり青木さんのコメントを聞きたいと思いましたのでした。

韓流アイドル「KARA」の解散騒動は日本芸能界の鏡像なり

へそを出して尻を大きく振り回す踊りを「ヒップダンス」と云うのだそうな。それはともかくやっと日本でも知名度の広まった「KARA」メンバーが、専属契約解除を通知したニュースは、相変わらず日韓のマスコミを席巻している。

「奴隷契約」と呼ばれる、韓国特有の契約システムが原因だと云う論調が主流だが、そんな前近代的な土壌は我が国にもあったし、未だ一部には隠れて存在している。対岸の火事を眺める野次馬のごとくああこう喋る知識人の姿は、いと滑稽である。

思い出す事例は我が国にも少なからずある。例えば「ピンクレディー」である。彼女たち二人は働き詰めにされた後に解散したが、結果として二人には、ほとんど資産が残されなかったことを当事者が語っている。70年代当時に数億円もの歌謡ビジネスマネーが飛び交った挙句に二人に残されたのは、芸能ビジネスに根こそぎ毟り取られた喪失感だったであろうことは想像に難くないのである。

韓国の芸能ビジネスは日本のそれを手本としていることは明らかであり、それ故に「KARA」を巡る騒動もまた日本の芸能ビジネスとも無関係では有り得ないのだ。

酒呑みにも優しい大蒜(ニンニク)の効能

通風も鎮まった故に、またぞろ酒を嗜む日々が続いている。プリン体が少ない飲み物(ホッピー等)を注文するのは相変わらずだが、近頃気になっている肝臓病対応のために気にして摂っているのが大蒜(ニンニク)なり。

もともと炒め物、煮物、等々の香辛料として使用してきた食材ではある。疲労回復を齎す元気の元として注目される代物でもある。だがもっともっと積極的にニンニクを食していこうと自覚したのは、肝臓病予防の効果があるとされていることが大きい。アルコール等によって肝臓に負担をかけ続けているおいらにとっては、肝臓病をあらかじめ予防していくことは必須である。そんなことを近頃は自覚しつつのニンニク摂取なのである。

さて居酒屋でニンニクを注文しようとしたとき、真っ先にメニューを確認するのが「ニンニク揚げ」である。

球根部分の花茎とも呼ばれるものを丸ごと揚げたメニューである。シンプルでありながら、ニンニクの効用を享受できるので有り難い。

また、ニンニクの串焼きと云うメニューも注目度大である。

一房一房を串に指し、炭火でじっくりと焼き上げる。じわっとニンニクの実からエキスが漏れ出てくれたら食べ頃なり。食感も味わいも満足の逸品なのであります。