被災地「宮古」で食べた復興の「磯ラーメン」

東日本大震災による甚大な津波被害地の宮古市を訪問した。死者、行方不明者あわせて1000名を超える犠牲者を生んだ、最も過酷な被災地の一つである。

宮古駅を降り、先ずは景勝地として名高い「浄土ヶ浜」へと徒歩で向かった。バスやタクシーを利用すれば10分少々の場所柄であるが、自分の足で歩くことを課していたのだった。そしてその予測的被災風景は、途中の魚市場周辺にて出合うこととなっていた。

宮古市内での最大被災地「田老」地区では、日本一との謂れの防潮堤を易々と津波は乗り越え、その最大潮位は37.9メートルにも及んだとされる。魚市場のある宮古漁港界隈は、巨大な港の津波の猛威に為すすべもなく侵食されてしまったことがうかがえる。

かつてTVニュースで流れた宮古を襲った津波の映像の多くは、宮古市役所庁舎から撮影されたものであり、市役所の1、2階は泥流で押し流されており、死と隣り合わせの建物であったことが推測されるのである。

港の市場にあった「シートピアなあど」という施設は未だに営業再開には至らないのだが、「なあど食堂」という仮店舗の店がオープンしていたので、立ち寄ってみることにした。

地元民に愛された食堂らしく、ラーメンや丼ものメニューが並んでいた。おいらは「磯ラーメン」を注文し、その磯の香り漂うラーメンを満喫したのであった。青海苔、芽昆布、イカ、海老、ホタテなど、磯の香りの食材をふんだんに使って独特の味わいである。中でムール貝ににた貝類がトッピングされていたのでおいらは「この貝は何という名前ですか?」と問うてみたところ、

「この辺りでは『しゅうぎ』と呼んでいます。外国では『ムール貝』と云う名前の貝です」

とのこと。地元名が冠せられていることは取りも直さずポピュラーな食材だということを示している。ムール貝が宮古の周辺で溶け込んでおり、日常的に食されていることは驚きであった。

改めて記す必要もないだろうが、この「磯ラーメン」には満足至極。天晴れの称号を贈呈したいくらいだ。