彼岸の曼珠沙華(彼岸花)のほとんどは未だつぼみ

例年の秋の彼岸頃の季節になると、妖艶な真紅の花を咲かせる曼珠沙華(別名・彼岸花)。埼玉県日高市高麗の「巾着田」を取り巻く地域には、100万本もの曼珠沙華が一帯に咲き誇り、その勇姿を人々の目に焼き付けているのだが、今年はなんだかとても変てこりんな感じなのである。

その開花状況が、例年のペースには極めて遅れをとっており、未だに清楚なつぼみのままの姿のままだ。清楚なままなのはまだ良いが、咲くことさえ諦めかけてそっぽを向くようなものまで現出しつつある。こから栄華な華を咲き誇させるべきという志さえ削がれた様な、熱意や気配さえ感じさせようともせずに佇んでいる。今週頭の連休時に足を運んだ大勢の観光客も、なんだか肩透かしを食らってしまった。

そんな開花遅れの最大の要因は、誰もが異常気象だと語る本年の猛暑であり、それに加えて降雨が極度に少なかったことによっている。専門家意見によれば、10日程度は遅れるだろうという見通しだ。

高麗の「巾着田曼珠沙華祭り」は9月15日~30日までの2週間を予定しているのだが、今年はその期間が10月にまでずれ込んでしまう可能性が生じている。開花のピークが10月にまでずれ込んでしまうことも容易に予想されているところだ。祭り主催者側としても踏んだり蹴ったりの状況が続いているのだ。

巾着田を一巡してみると、やはりこの時代においても時期外れといった、平均的では無く勇み足駆け足するせっかちな曼珠沙華の姿を目にすることができた。周囲につぼみのまま開かない者たちを尻目にしながら、せっかち曼珠沙華の姿は潔かった。決して華やかでも無く痛々しいくらいの、云わば「空気を読まない」ものたちの姿を見て取るような気がしたものである。痩せ細って咲き誇っているような姿を目にしつつ、やはり生き物はこうありたいという気持ちを新たにしたのでありました。

今年のB級グルメグランプリは「甲府鳥もつ煮」に決定

9月18、19日に厚木市で開催された「B-1グランプリ」で「甲府鳥モツ煮」がグランプリに決定した。本年が第5回目の開催ということで、43万人(主催者発表)もの参加者を集めたという。厚木といえば「シロコロホルモン」がかつてグランプリ受賞したこともあり、B級グルメで町興しにはことのほか熱を入れている、B級グルメの聖地といった場所でもある。

先日甲府を訪れた際に、おいらはこの「鳥もつ煮」を味わっていた。鳥のもつといえば焼鳥の材料として馴染み深いが、味付けは大分異なっている。使われるたれはとても濃厚で、甘さが際立って強い。少量のたれにより強火で一気に煮込むのだという。

甲府の蕎麦店で開発されたメニューであり、淡白な蕎麦を食べながら、口直しに「鶏もつ煮」と日本酒で晩酌というスタイルが、これから流行っていくかもしれない。

平野啓一郎×梅田望夫の対談集「ウェブ人間論」

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昨日に続き、平野啓一郎氏に関する話題。「ウェブ人間論」とは、紹介した新進気鋭の芥川賞作家・平野啓一郎氏と、「ウェブ進化論」の著者・梅田望夫氏との対談をまとめたもの。両者に共通した関心事である「ウェブ」をテーマにしつつ、とりわけ「ウェブ人間」に焦点を当てて議論が展開する。平野氏が前書きを書き、彼自らがこの対談を提案して実現したことを認めている。

全体的な流れとしては、小説家、表現者としての平野氏が様々な疑問をぶつけ、ウェブ専門家の梅田氏がそれに答えていくというものだ。

デジタルブック等の出現における著作権の問題についても、両者ともに重大な関心を持っている。ことに平野氏においては身に降りかかる切実な問題として捉えていることがわかる。

軽く読めてポイントが捉えやすい。お勧めの一冊。

平野啓一郎著「顔のない裸体たち」は、ネット社会を掻き毟る意欲作

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芥川賞作家・平野啓一郎氏によるネット社会をテーマにした文学作品。特にネット人類達の秘められた性生活にスポットが当てられており、中々の意欲作である。

作家本人の公式サイトの作品解説によれば、「人格が漂流するネット空間を舞台に、顰蹙の中でしか生きられない男女の特異な性意識と暴力衝動に迫る衝撃作!」とある。意表を突く言葉遣いに驚かされるが、所謂「変態」「淫靡」「猥褻」等々の実存的内実を、作家なりに表現しなおしたものと捉えれば納得がいく。

物語は平凡な中学教師の「ミッキー(吉田希美子)」と、こちらも風采の上がらない公務員の「ミッチー(片原盈)」の男女2名が主人公となる。出会い系サイトを通して知り合った2人はたがが外れたように淫靡な世界へと突き進む。ネット空間というメディアのフィルターを通した、変態ストーリーを軸に展開されていくのだ。愛無き憎悪の変態プレイとでも云おうか。もっとありていに云えば、投稿雑誌、投稿サイト等に繰り広げられる露出趣味の性的プレイに嵌まり込んでいくという訳である。

表題の「顔のない裸体たち」というのは、モザイク処理で顔を消された写真を指している。デジカメの普及とともに、投稿サイト、投稿雑誌の類にはそうした「顔のない裸体たち」が氾濫するようにもなった。これもまた若手作家のラディカルな思いが篭った、意表を突いたネーミングだと云えるだろう。そしてそれがまた、現代社会の隠された相貌を抉り出すことにもつながっている。

ネット社会という匿名性の殻の中で演じられる変態プレイは、決してリアルと訣別した行為ではあり得ずにエスカレートしつつ、滑稽な現実とショートしていく。風俗を素材として取り上げながら風俗小説に終わらせない為に、作家は様々な仕掛けを施している。風俗を描写するのではなく、それを掻き毟っていこうとする意思の表れだと捉えることも可能である。

作品中には妙に分析的な作家の言葉が顔を出し、ところどころでストーリーの邪魔をしていくのだ。それはある意味の才気を噴出させているのだが、あまりスマートではなく、万人を納得させるものとは云い難い。幼稚さもあれば偏見も感じ取れる。ただし、実験的に様々なスタイルを取り入れようとしている姿勢には感嘆させられるものがある。決して読後感は良くはないのだが、稀有な読書体験であることを、実感したのだ。

西荻窪の「戎」は安くて旨い、せんべろ居酒屋の中堅なり

久しぶりに「西荻窪」駅に途中下車した。目指したのは北口から1~2分程度の「戎」。毎日地元の酔客で賑わう居酒屋の名店である。同店のメニューの特徴は、基本的なレシピを元にしながら少々変わった、アレンジした独自のメニューを提供することにある。だからこそ毎日絶え間ない酔客を呼ぶのである。

本日味わったメニューは、以下の通りなり。

■キス南蛮漬け

ポピュラーなのは「鯵南蛮漬け」であるが、「キス」であることが特異である。鯵よりも少しく大きめな、淡白な白身である。そのようなキスを素材にして南蛮漬けにすることはとても理にかなっている。あまり他では見ないが、確かに「理にかなっている」メニューである。

■セロリとシーチキン、アボガドサラダ

あまり無かった取り合わせのサラダである。シーチキン(マグロ缶)は中和材料であり、「セロリ」「アボガド」といった、意外な食材の組み合わせに驚きつつ、箸を突付いて食べてみれば中々いけるぞと納得するのである。

■焼きトン串焼き

同店の看板メニューであり、しかもすこぶる安い。その日によって、「コブクロ」「テッポウ」等の特別なメニューを味わえるのである。

小沢一郎一派の一掃を願う

岡田克也幹事長はベストな人選だろう。

小沢一郎一派の悪代官風情はこの際に一掃してもらいたいものである。ついでに小沢一郎のファザコン政治の一掃をも、この際にやってもらいたいと思う。

それができないのであるならば、せめてとりあえずは毒饅頭議員の一掃から手がけていただきたいと思うのである。

点心のニューウェイブ焼小龍包は、つい箸が伸びてしまうのです

数ある中華の点心料理の中で、もっとも熱い関心を集めているニューウエィブが「焼小龍包」である。今ではポピュラーとなった小龍包を焼いたものだが、おいらも大好きなメニューなのです。

そもそも小龍包という点心は、豚挽き肉のあんを薄い小麦粉の皮で包んで蒸したもの。皮の中にはあんから滲み出たスープが豊富に含まれており、箸で(あるいはスプーンで)突付いてそのスープ(肉汁)を味わうのが愉しみの最たるものだ。スープの成分中にはゼラチン質が多く含まれていることから、女性にも人気だという。餃子より大ぶりで丸く、肉まんよりは小ぶりである。

熱々の蒸した点心としての小龍包だが、それを焼いて焦げ目をつくることで、より熱々の点心となる。しかも中に閉じ込められたスープの味わいは、閉じ込められて熱々にされたことによりひとしお満足感を高めているようなのだ。

こんなに旨い点心こと焼小龍包の脂が身体に良くないことはわかっていても、ついつい食べに行きたくなる。たまには良いだろうと、月に数回には抑えているのだが、ついつい行くと点心を食べすぎになるので注意を喚起しているところなり。

民主党代表選で、小沢一郎の「夢」が潰えた記念日

本日の民主党代表選の結果は、菅直人現総理大臣の圧勝という結果に終わった。それはまた、小沢一郎候補の「夢」が潰えた記念日でもあった。

先日当ブログで「小沢一郎有利」と記した初期選挙戦の予想は外れることになり、いささか面映い思いもあるのであるが、おいらは政治予想屋ではないので大目に見て頂きたい。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2108

当初の政治マスコミ予想が外れたということは、暗黒政治の一歩を踏み出すことが阻止されたということの1点で幸いであった。本日の選挙結果に接し、民主党にも基本的な良識というものが存在したということを素直に評価しておきたい。

小沢一郎が菅直人に敗退する可能性に触れて、おいらは下記のように記した。
「小沢一郎の敗北がもしあるとしたら、こうした取巻き議員達による失言が原因となる可能性があるが、こうしたマイナス要因くらいでしか小沢敗北が期待できないというのも情けない。」(8/29「小沢一郎有利(菅直人不利、鳩山由紀夫変節)という民主党代表選の行方」より)

だが本日の雌雄を決した最後のポイントは、小沢一郎自身のスピーチにこそあったというべきだろう。以下にその詳細を述べて行きたい。

本日の投票前に行われた最後のスピーチで、スピーチライターが書いたであろう小沢一郎の演説内容には、極めて特徴的なポイントがあった。一言で述べるならば「私には、夢があります」という一節が示す、そのスタイルであった。

周知のように「私には、夢があります」という一文は、かつてアメリカの黒人運動の指導者、キング牧師による有名なスピーチ(原文では「I Have a Dream.」云々。詳細はアキンさんに聞いてください)からのコピーである。

世界の歴史に残る名演説のスピーチをコピーすることで、小沢一郎は民主党議員を洗脳できると考えたのかもしれない。だが滑稽なことに結果は、大敗北といっても良いものであった。

最後のスピーチでこの言葉をコピーした背景には、「民主党は俺のもの」的な驕りがあったのだろう。すなわち、日本の「民主党」なんてものは俺が(鳩山由紀夫たちと)つくってあげたものだから、俺がキング牧師の役を演じることで民主党議員は俺になびくだろう、等々の、なめきった意識が底流に流れていたのだろう。そしてそのような目論見は崩壊したのだった。

菅直人候補が一言引き取って「私にも、夢があります」とスピーチしたのは、当然だとはいえひとつのカウンターパンチとして有効でもあった。

小沢一郎の敗北を祝うというのも情けないが、ある種の茶番劇の敗北劇として興味深いものがある。

本年初の「松茸ご飯」「焼松茸」を堪能

先日、上野アメ横に立ち寄ったところ、期待通りの松茸を発見した。早速本年初の松茸料理にありつくこととなったのでした。

猛暑の影響で高地以外の平地中地での収穫量が少ないと聞いていたが、例年とそう違いはないらしい。形は不揃いだがしっかりした傘をつけた岩手産松茸は、その香りも良く効いており、初松茸に相応しい。秋の香りの伝道師なのである。

ここはまずシンプルに、松茸ご飯を1品。スライスした松茸に筍、鶏肉を少々。炊き込み飯専用の土鍋にて炊き込めば、台所中に松茸独特の香りが拡がったのである。

2品目もオーソドックスに焼松茸。ひね曲がって不細工だが色艶の良い松茸を縦半分にスライスして、金網に並べて遠火の中火(家では中々強火とはいかない)でじっくり火にかける。じっとり汗をかいて美味しそうな焼松茸の出来上がりだ。醤油を垂らして頬張れば、早くも秋の到来を実感したのでした。

とろん家での松茸パーティー

アーティストとろんの住んでいた、今はもう無い立川郊外の自宅へ初めて足を運んでいた日、おいらはアメ横で購入した松茸を持参していたことを想い出した。その後、トロン家には度々足を運んでいたのだが、中でも1999年秋「レインボーパレード」の前の打ち合わせパーティーでは、数十名におよぶスタッフがトロン家を占拠し、さながら決起集会の様相を呈していたものだ。とろん特製の手料理がふんだんに振る舞われていた。その中の1品が、おいらの土産松茸を使った、特性松茸ご飯だったのである。

渋谷区の代々木公園から出発して町中を練り歩いた「レインボーパレード」については、稿を改めてまとめてみたいと考えているところである。

大衆居酒屋の名店、南千住の「大林」と「大坪屋」

大林

東京下町の正統的居酒屋のスタイルを、いまだに壊すことなく伝えてくれるような、希少な佇まいを残す店である。大きな暖簾をくぐって店内に入れば、古き良き時代の空気に満たされる。

一見してここの店主は愛想がない。とっつきにくそうな印象を与えるが、決して悪い気がする訳ではない。コの字型のカウンターの中で身体を大きく使って働く姿を見るにつれ、その厳かな雰囲気に凛としてくるほどである。悪くはない。そんな空気を求めて通う常連客も少なくない。

つまみにはオーソドックスなメニューが並ぶが、どれもが良い仕事が施されているものばかりであり、歴史の重みさえ感じさせる。「ねぎぬた」のぬた味噌はといえば、まったりとして奥深い。「小松菜の胡麻和え」はさらに洗練された和えものであった。ずばり「感動した」の一言である。

南千住駅から大林に向かう場所には「泪橋」という、とても有名な地名が存在する。偉大なちばてつや先生による「明日のジョー」の舞台となった場所である。ハングリーな精神を矢吹丈はこの土地を舞台に培ったのである。「巨人の星」の星飛雄馬以上に意義深い、アニメ界のヒーローが育った場所として特別な場所だということを胸に抱きながら、その周囲を散策した。商店街を歩きながらふと遠くに目をやるとスカイツリーの勇姿が飛び込んできた。この土地から毎日スカイツリーの成長期を眺めるのも悪くない。

■東京都台東区日本堤1-24-14


大坪屋

「南千住」駅を出て徒歩2分程度というロケーションのよさもあり、地元の酔狂たちで賑わっている。ここもまたコの字型の大きなカウンターが店内を陣取っている。ガード下の店なのだが煩くなく却って活気にも似た雰囲気に感じさせてしまうのだから不思議だ。客層もそうだが女将さんやら店員さんたちの掛け声もまた威勢よく、ついついペースに押されて酒が進んでしまいそうだ。

まずはいつものようにホッピーを注文。するとキンミヤ焼酎がたっぷり入った大き目のジョッキとホッピーの瓶がドカンと、テーブルに豪快に置かれたのだ。思わずメニューを眺めたところ「ホッピー大700円 中 400円」とあるのを確認。てっきり「大」だと思って飲んでいたのが「中」だと判り、再度驚いたものである。

そしてつまみは、同店の名物でもある「どじょう鍋」を注文。見た目は素朴でどうってことのない代物に見えたが、口に含んだ途端にそのワイルドなどじょうのエキスが広がった。結構骨がきついのだがそれも悪くない。

一説によれば同店が「酎ハイ」発祥の店だというくらい、ここの酎ハイは人気だ。しかも1杯200円という信じがたい安さ。つまみも200円からあり、つまみ1点+酎ハイ4杯で、たった1,000円でそれこそべろべろに酔っ払えそうな気がする。

■東京都荒川区南千住4-4-1

日本一の東京スカイツリー、現在448mなり

業平橋と押上の間の界隈には、ご存知「東京スカイツリー」が工事中である。日本一のノッポのツリーということから、全国はもとより世界中からの観光客を惹き付けているようなのであり、おいらも訪れたのです。

工事現場の周辺には沢山のカメラをかかげた観光客がたむろしていて、振興観光現場としての混迷をも露わにしていた。工事現場前の一区画には読売新聞の派出所も現れ、今後の観光客を見越した果敢なる営業の営為を見ることになってしまった。

東京タワーからの世代交代の面が強調されているのであるが、世代交代ということを前提とするならば、東京スカイツリーにもそれなりの存在理由(レゾンデートル)がなくてはならないのだが、その存在の確たる根拠を見て取ることができないのである。

「マーボーなめこ(麻婆滑子)」はいけるのだ

おいらの好きなメニューの一つに「麻婆豆腐」が挙げられるが、今では「麻婆茄子」「麻婆春雨」など様々なバリエーションが登場している。云わば「麻婆家族」と云っていいくらいだ。ときどきおいらが具に選択するのが「なめこ」である。水煮していない生のもので、特に大ぶりなものが好ましい。

つくり方としては麻婆豆腐と大きな違いは無い。少量のひき肉を炒め、生のなめこを少し火にかけ、醤油、甜麺醤、豆板醤、砂糖、酒、等の調味料で味付けをし、最後に片栗粉でとろみをつける。なめこ自体の天然とろみが効いていて食感が抜群なり。通常の半分程度の豆腐を合わせれば、味もまろやかで食べやすい。

このメニューはあくまでおいらのオリジナルである。他の食堂、中華屋、等では見たことが無い。お試しあれです。

魚の串焼きは、居酒屋業界起死回生のメニューとなるのか?

魚介を串に指して焼くというシンプルなメニューが、増えているようだ。近頃は専門店までも登場しているらしい。

先日食したのは、海老、烏賊、帆立、鮭、シシャモ、鯖、キス、等々を串焼きにしたものだ。それぞれに焼き物として出される食材であり、調理法は軽く塩をふって炭火で炙るくらいのもの。それが一口ごとに多種類を味わえるのだから悪くない。理にかなったメニューである。

何故これまで、このようなメニューが無かったのかと考えてみた。基本的な調理素材として「焼き鳥」用の炭火焼器と炭があれば充分である。備長炭ならば良いのだろうが炭であれば事足りる。たとえ炭火でなくともガスの遠赤外線焼物器を使用しても、家庭のガスコンロでは出せない遠火焼きが可能だ。

それ以上に大切なのは、焼き方。すなわち熟練した職人による焼き加減である。焼き鳥屋、居酒屋といった関係店舗も売り上げが減少し、稼動しない炭火焼器を休ませているのもままならない。新しいメニューを考えざるを得なかったということかもしれない。

牛スジ煮込みの出汁でつくった「冷やしジェルそうめん」

夏の定番素材のそうめんが残っていたので、一寸変った冷やしそうめんを作ることにした。スジ煮込みの出汁を冷凍室で冷やしてカキ氷状(ジェル)にして、それを砕いてかけるだけの簡単メニューなのだが、味は中々本格的なのだ。

トッピングはみょうがと梅干。とくにしっかりと塩と紫蘇で漬け込んだ真っ赤な(もちろん無添加物の)梅干は、口の中ですっぱく刺激し、食欲も快復させる。冷やしそうめんにとって重要な素材なのです。

桐野夏生著「東京島」は、女視点で女性の怖さを描いている

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桐野夏生氏の話題作「東京島」を読んだ。現在同名の映画がロードショー公開中であり、TVCMその他で物語の独特な設定やセンセーショナルなテーマが盛んに喧伝されているので、興味を持った人も多いに違いない。映画が公開されていることを知って、先日あえてこの原作本を購入したという訳である。

その昔「映画が先か、原作が先か」といった映画CMのキャッチコピーが踊っていたことがある。その伝でいけば、さしずめおいらの志向性は「原作が先」ということになる。当時、メディア・ミックスという言葉もマスコミ関係者を中心に氾濫し、メディア・ミックスにあらずんば先進メディアにあらずというくらいの、文化風俗を席巻した俗説だったと云えよう。

物語の登場人物は、世界一周クルーザー途中の難破舟から無人島に辿り着いた一組の男女夫婦、そして後から同様に難破舟で漂着したフリーターの若者たちである。後に「東京島」と名付けられた無人島の島人は、31人の男とたった1人の女(清子)。極めて特異なシチュエーションの無人島を舞台にしてドラマは進行する。

読了した第一印象はいささか陳腐な言葉になるが、やはり女性の逞しさ、そして根源的な畏怖の存在感を強烈なイメージを通して感じさせたといったところだろうか? 女性人気作家が女性の視点から男と女の性をカリカチュアとして描いたストーリーと捉えることも可能だ。あくまで女が無人島の規律を司るかのような物語の流れは、男にとっては衝撃的な展開である。あくまで物語の中の話だとは云え、徹底して女性目線のストーリーが展開されていくようだ。

だがこの物語を、現代日本の縮図として捉えることには無理がある。作者もそんな意図は無いであろう。一部の批評家たちによってなされるこのような評論は無効である。もっとプリミティブな架空のストーリーとして物語を捉えたい。

夫婦として流れ着いた夫は、無人島という過酷な環境に適応することが出来ずに衰弱し、ついにはあっけなく生命を落とすことになる。夫の「死」の原因はつまびらかにされることがないのだが、31-1名の誰かの嫉妬が原因による殺人だ…という、云わばサスペンス仕立ての味付けなどが添付されながら、ストーリーは曲線的かつ重層的な軌跡を描いていくのだ。この程度のストーリー解説はネタ晴らしには当たらないだろう。もし気になった人にはご容赦願いたい。

酒のつまみにもよい、ネバネバ素材6種の自家製ばくだん

居酒屋に行くとよく「ばくだん」というメニューが目に付く。昔は何だろうという興味半分で注文していたが、近頃はその素材の内容を確かめてから注文するようになった。

大まかに説明すれば、納豆(これだけは必須素材)を中心にして、ネバネバしたものばかりを混ぜ合わせて食べるという簡単料理のこと。そして何故「ばくだん」と呼ぶかといえば、具が沢山混ざっていてばくだんのようだからという説が一般的だ。特に納豆が日本人好みのくせして、ある種の嫌われ者の一面があることを揶揄して、こんなネーミングが定着したのだろう。

さて、自家製「ばくだん」の素材としたのは、以下の6種なり。

・納豆(ばくだんをつくる基本の食材)
・おくら(さっと湯がいて細かく刻むとネバネバが発生。今が旬)
・山芋(すりおろして使う。ネバネバ食材の代表格)
・なめこ茸(きのこの中でもネバネバ度が抜群。おいらの好物)
・モロヘイヤ(緑黄色素材の注目株。湯がくとネバネバになる)
・根コンブ(コンブの根部分で、ミネラルも豊富)

今回は6種類でつくってみたが、語感があまり良くないような。もう1品加えて7種にしたいのだが、他に何が相応しいだろうか? まぐろ、いか、といったよくある種類のものだけは避けたいと考えているのだが、果たして如何?

中野のせんべろ居酒屋「極楽屋」の豚足焼きに感動した

たった1000円でべろべろに酔えるというのがせんべろである。そうしたせんべろ居酒屋探検を遂行しているおいらであるが。中野の「極楽屋」のメニューが秀逸であったのでレポートしておこう。

豚足焼き(450円)
むちむちっとした食感を損なうことなく焼き上げた「豚足」は見事というしかない。しかもその皿には、3つの豚足のために、3枚の新聞紙が用意されて出てくる。焼いた豚足は脂っぽいから新聞紙で手を保護してください等といった、細やかなるおもてなしがナイスなのである。

いぶりがっこ(300円)
秋田の名物なり。いぶりがっこを秋田人にばかりに独占させておくのは不条理である。この「極楽屋」で提供されているいぶりがっこもまた、秋田の味覚を東京人への橋渡しをしているようであり、注文も途絶えることが無いようなのだ。お勧めである。

甲斐の国にて、夏向けの「ほうとう」こと「おざら」を食す

青春18切符が1回分残っていたので、それを消化すべく甲斐の国こと山梨県方面に向かったのです。相変わらずの猛暑酷暑で、気分爽快とは云えずにいたのだが、甲府地元食堂で食べた「おざら」というメニューは、中々面白い出会いであった。

「おざら」というのは簡単に説明すると「ほうとうのつけ麺」あるいは「冷たいほうとう」といったところ。夏場では流石に熱々のほうとうは食べる気にもならず、かと云ってせっかくの甲州に来て名物を食べずには帰れない。そうした観光客をターゲットにして、注目を集めているようだ。元来は甲州の田舎では夏場のメニューとしてポピュラーだったという話もあり、一概に観光客相手だとばかりは断定できない。

さて、そんな「おざら」を食した第一印象はと問うならば、それほどの感激もなかったと云うべきか。ほうとうに使用される極太の麺は、冷やし麺として食べてみればきしめんをもう少し太くしたような、いかにもフツーのものである。決して上州の「水沢うどん」のようなもちもちっとして雅なる、独特の味わいがある訳ではない。

冷やした麺とともに出される漬け汁は、椎茸や人参、油揚げがトッピングされていてとても濃厚でくどい位に甘味が強いが、所詮それ以上のものではない。そもそもほうとう麺が冷やしになって、味噌味で無くなる理由というのがわからない。味噌味とほうとうめんは表裏一体と考えていたのだが、何か裏切られたという思いさえもが生じてしまうのだ。

あまり他県の批判はしたくはないが、甲州の「おざら」は上州の「水沢うどん」の足元にもおよばない代物であったということか。

不漁の年の秋刀魚(さんま)の季節がいよいよ到来

不漁だ不漁だとマスコミで喧伝されながらも、いよいよさんまの季節が到来である。秋の刀のような形をした魚(秋刀魚)と書く。ネーミングそのままの、秋の風物魚なのだから、9月にもなったら食べないわけにはいかないのだ。

近くのスーパーで1人前の秋刀魚の刺身を買って食べたのだが、味は決して悪くない。味覚を刺激するだけの旬の勢いがある。見た目もピチピチとしており、初物として味わう感動を与えてくれる。

目黒の「さんま祭り」ももうすぐ開催(9月5日予定)。これからは秋刀魚焼きが美味しい季節だ。毎年、岩手県宮古漁港直送の新鮮な6000匹の秋刀魚が振る舞われ味わえるとあって、地元人のみならず全国からの愛好家が訪れるという。
http://www.owarai.to/meguro/

自宅では中々瓦斯コンロでは焼き難いので、美味しそうな秋刀魚が出ていたら食べてみたいと思う今宵なのでした。

ファザコン政治の象徴、小沢一郎ガールの研究

小沢一郎の記者会見場では、テレビカメラを意識するかのように数名の「小沢一郎ガール」達が陣取っている。ガールと云っても歴とした国会議員なのであるが、立ち居振る舞いがまるで男性俳優に群がる追っかけギャル達にも似ていることから、自然とこのような呼び名が冠せられている。そんな小沢一郎ガールとしてメディアを賑わしている一人が、田中美絵子代議士だ。

田中美絵子
売れなかった過去には出版マスコミ界の仕事で生計を立てていたことがあり、数々のユニークな企画をものにしている。その後、「盲獣vs一寸法師」というエロス的(しかしながらマイナーな)映画にも出演した経験を有している。乳房を露出する彼女の出演するシーンは頗るエロい。まだまだ彼女の女優としての可能性は捨てがたいものがあり、おいらも大いに評価しているのである。その過去の履歴については自民党特捜班が暴露したが、「東京スポーツ」がスキャンダラスに取り上げたことによってマスコミの餌食にもなってしまった。そんな逆境にいても積極的にターゲットに当たるその姿勢は、他を圧倒している。だが何故、田中美絵子代議士は小沢一郎ギャルとなってしまったのか?

ふてぶてしい面構え、独断専行的な態度が、ある一定の取巻き連中にとっては「男らしい」「貫禄がある」「リーダーシップがある」等々の飛躍した評価となって、人格疑わしき類の支持者を集めていく。その結果として導かされるものはまさに、ファザコン政治そのものである。

「ファザコン政治」の特徴は、ある種のマインドコントロールが幅を利かすということである。そこから反面で、正当な批判力、判断力、実行力が阻害されていく。日本のビジネス社会、ある種の封建的な村社会によく見られる現象である。

むさ苦しい組織の論理を優先しようという姿、イメージが表出されている。こんな男に一国の最高権力者になって欲しくは無いということを、益々痛切に思うのである。

菅直人氏には「ファザコン政治の一掃」を公約に掲げてもらいたいものだが、だがそれをすれば党内亀裂が決定的になるだろうから、残念ながら現実的には無理かも知れない。