雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載 [その2]

村上春樹さんのロングインタビューを読んで、最も強く感じ取ったのは、「物語」についてのメッセージであった。「物語」については、おいらもかつて主宰していた「みどり企画の掲示板」にて、次のように書き込んだことがある。

―――――――【以下、過去のおいらの掲示板投稿からの引用】
振り返って自分なりのルーツを訪ねてみたのです。すると、下記のようなイメージが浮かんできたような、はたまた思い当たる思春期の出会いなどが想い浮かぶ。

十代だったそのころのぼくは、片翼飛行機のパイロットだったようにして、急切なる思春期を送っていたようだったのです。それはまるで、巨大な積乱雲の中に閉じ込められて、錐揉み状にして墜落するセスナ機よろしく、誰の力を借りることも出来ずに、しかも自分ではもう力役を尽くした後の飛行だったように、自分にとっての切羽詰ったものがあったのです。

アートや文学にのめり込む事によって、当時の片翼飛行の試運転が持ち直したというようなイメージが強く思い浮かんで来るのです。片翼なりに自らの飛行を続けていくため、急降下錐揉み的墜落を免れるために、あるいはさいきんメロディさんからも教えられたことですが前を見て生きるために、当時のぼくは欠けた片翼をどうにか支えて飛行可能にする手段をアートに挺身する道を選んだのだ・・・というのは甚だ大仰に過ぎますが。そんな心持ちがあったということは云えると思います。
―――――――【引用終了】

当時はネット掲示板でのやり取りが、結構熱く取り交されていたのを、遠い眼差しにて想い出す。メロディさんや、いか@ちゃん、きくちゃんたちからのコメントやら茶々やらを受けて、掲示板は益益の盛り上がりを見せていたのだ。

そして今回の、村上春樹さんのインタビューに接したのだが、そこで述べられていた春樹さんの大量のメッセージの中でも特に胸に届いたのが「物語」に関しての春樹さんのそれであった。だが、その内容についてはおいらがそれまでに認識していたものとは異なるものであった。そんな春樹さんのメッセージの一部を引用してみる。

―――――――【以下「考える人」の春樹さんインタビューからの引用】
物語という穴を、より広く、深く掘っていけるようになってから、自分を検証する度合いもやはり深くなっています。もう三十年以上、それをやりつづけているわけだから、より深く掘れば、違う角度から物事が見えるし、より重層的に見られるようにもなる。その繰り返しです。逆に言うと、より深く穴を掘れなくなったら、もう小説を書く意味はないということです。
―――――――【引用終了】

考えれば村上春樹さんの作品といえば、お見事というくらいに日本文学的テーマの定番でもある「自我」とは無縁である。そのスタンスを徹底して保っている。天晴!と云いたくなくなるくらいにそれは徹底している。だからそれが主たる要因で「芥川賞」を逃していたのである。けれどもここに来て村上春樹さんの評価は国際的に高まっている。「ノーベル文学賞」の候補者として何回も名前の挙がっている有力候補者なのである。「芥川賞」と「ノーベル文学賞」とを計りにかければ、「ノーベル文学賞」に分があることは明らかである。日本文学的テーマの「自我」を捨象したことが「ノーベル文学賞」候補者として有利に働いたのかもしれない。

さて、村上春樹さんとおいらとの「物語」に対するアプローチの違いやら共通項やらについて述べていきたいのではあるが、些かの深酔いやら参議院選挙の興奮やらにて、次稿に持ち越すことにしたのです。ご容赦あれ。

日本酒によく合う「甘海老の塩辛」

最近はどんな料理屋でもよく見かける「甘海老」。おいらも好みの一品である。今の時期が旬なのだと見え、ぷりぷりの食感が浮世の幸せをもたらすかのようだ。

普段は刺身で食べるばかりだが、塩辛にしてみたらこんな風になったというメニューに遭遇したのです。塩辛と云っても塩辛さは控えめ。日本酒の材料でもある「糀」に漬け込んであり、ピリッと唐辛子も効かせていて酒がすすむ。こんなつまみに出合った日は日本酒が呑みたくなる。久しぶりに美味しい日本酒を堪能した気分になったのでした。

雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載 [その1]

[その1] 「1Q84」には続編があるか否か?

季刊誌「考える人」(新潮社刊)の最新号にて、村上春樹さんのインタビューが掲載されている。箱根の場所にこもって行なわれたという2泊3日のロングインタビューである。

インタビュアーは新潮社の松家仁之氏。この名前は初めて目にするが、おそらく「1Q84」等の、村上春樹さんの著作の担当編集者であろうと推察可能である。春樹作品に対する理解度の高さはもちろんだが、それ以上に濃い関係性の上に築かれたインタビューである。たしかに難しいテーマを遡上に載せながらも、春樹さんとインタビュアーとの会話はしっかりと噛み合って進んでいく。長年培った親和性というものを感じさせる。インタビュー嫌い、マスコミ嫌いで有名な春樹さんだが、少しも構えることなく様々な質問に丁寧に答えていく様は、多分初めてのものだろう。

現在の日本文壇の最大の関心事とも目されるのが、「1Q84」の続編についてであろう。BOOK4は、あるいはBOOK5は有るのか無いのか? それについても春樹さんは答えているのだが、結論から書くならば、言質を与えるような確かな答えを提供はしていない。だが推測するための大きな足がかりとなるコメントは残している。その一部ではあるが紹介してみよう。

「『1Q84』に続編があるかどうかよく聞かれるんだけど、いまの段階では僕にもわかりません。というのも、三年間ずつとこの小説を書いてきて、いまはすっからかんの状態だから。本当にみごとにすっからかん。(中略)
だから、『1Q84』のBOOK4なりBOOK0なりがあるかどうかは、いまは僕には何とも言えない。ただ、いまの段階で言えるのは、あの前にも物語りはあるし、あのあとにも物語があるということです。その物語は僕の中に漠然とではあるけれど受胎されています。つまり続編を書く可能性はまったくないとは言えないということです。」

「受胎されています」。この言葉の意味は極めて大きい。すなわち受胎しつつあるものを春樹さんが自ら堕胎などすることは無いであろう。その確信がこめられている。これだけ語っていただいたのだから、おいらは必ず続編があると確信したのだ。3楽章より4楽章である。総合小説の条件でもある。村上春樹さんがそのことを知らない訳が無いのである。
(この稿続く)

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日本一の銀座「鳩居堂前」の地価が急下落

先日発表された地価によれば、日本一とされる銀座の「鳩居堂前」が、4分の1もの下落を示していた。

この「鳩居堂前」は銀座5丁目にあり、よく云われる日本一の繁華街「銀座4丁目」ではない。「銀座4丁目」には、三越百貨店、和光という、銀座のシンボルとなる拠点が存在しているのに、いつも路線価ナンバー1が「鳩居堂前」というのが、以前から不可解であった。日本一の通りを歩けばいとも素っ気無い。何も無い歩道を歩いているという印象しか持てないのである。

ちなみに銀座5丁目の「鳩居堂」とは、文具や香を扱う専門店である。和文具のほかに中国の輸入品も扱っているので、特別に日本を象徴しているという訳でもない。かつて同社社長が飛び降り自殺したビルとしても(おいらは特に記憶に無いが)有名なのだという。ナンバー1には何かしら曰くが有りということなのか。

中華の定番「フカヒレのおこげ」を味わったのです

久しぶりに地元の中華料理店を訪問。今日は少々奮発して「フカヒレのおこげ」等を注文したのでした。

中華の高級食材としての「フカヒレ」は、そのほとんどが日本の宮城県気仙沼のものが使用されているという。少なくとも日本国内の中華料理店にては中国からの食材より以上に気仙沼産が珍重されている。気仙沼産のフカヒレこそは、中国本土の名店とさる店舗の食材に欠かせないものとなっているのだ。

中華料理の世界で特別にアナウンスされるコピーは「火が命」である。日本料理、フランス料理には真似の出来ない「中華料理」あるいは「中国料理」の真髄を、このコピーが示していると云って良い。たしかに天然のコラーゲン、コンドロイチンを豊富に有するフカヒレ料理には、日本人のグルメを瞠目させるものがある。中華料理の代表格としての「フカヒレ」料理は、たしかに美味しい。そして美味しいだけではない国際性があると感じる。これから「フカヒレ料理」の国際性についても注目をしていくべきなりと感じていたのでありました。

小金井の名店「大黒屋」の煮込み&あしたば

久しぶりに武蔵小金井駅で途中下車して、「大黒屋」に立ち寄ったのです。この店のウリNo.1と云えば「煮込み」である。モツの量はほどほど控えめに。そして、豆腐、コンニャク、ジャガイモが取り入れられている。特にジャガイモは、この煮込みに無くてはならない必須の食材と云えるくらいに存在感を示している。半分くらいは煮崩れて形をなさないジャガイモ崩れだが、そんなジャガイモ崩れの甘さが優しく舌を包み込んでくるようだ。まるで和のシチュー感覚なのである。和の居酒屋メニューとしては想定外のメニューと云わざるを得ないのかも知れない。

久々に興奮冷めやらぬレポートになってしまいそうだが、2品目のメニュー「あしたばのおしたし」についても記しておきたい。

「あしたば」とは漢字で「明日葉」と書く。今日に摘んでも明日になれば葉をつける。それくらいに生命力に溢れた植物なのだ。大島などの伊豆諸島を主な生息地としている。伊豆諸島に旅したときにはこの「明日葉」を食べないという手は無い。というより、どの旅館、民宿を訪れても明日葉料理のオンパレードだそうだと聴く。東京で居酒屋メニューとして食べているくらいが、ほどほど結構なりということの様でもある。

久しぶりに訪れた「大黒屋」は4~5年前に改装して現在の店舗となっている。そしてもう一つの異なる点は、「ホッピー」がメニューに加わっていたことでもある。店員に尋ねてみれば、1年半ほど前に新規メニューに加わったということである。やはりホッピーブームは小金井の名店にまで届いているということなのだろう。

ベトナム産ドラゴンフルーツの初体験なのだ

久々に食の初体験である。地元のスーパーにて「ドラゴンフルーツ ベトナム産」という果物を目にし、早速購入。本日は初めてその不思議な果実を食したのでした。中国名で「火龍果」と呼ぶ。「ドラゴン」「龍」というネーミングを冠したフルーツである。ネーミングからして侮れない。

キウイやアボガドよりも少し大きめの鮮やかピンクの果実。サボテンのトゲような突起物がにょきにょきと生えている。果実をタテ切りにしてみれば、白い果肉にゴマの実をまぶしたような相貌をたたえている。セクシーである。セクシーな果実は色々挙げられるが、ドラゴンフルーツは数あるセクシー・フルーツの中でも抜きん出ている。チャンピオンの座を狙えるくらいにセクシーなのである。そして果肉を口に運ぶと、甘い。しかも淡白な甘さである。砂糖を大量に使用した毛唐の作るデザートなどと比較すれば、明らかにこのドラゴンフルーツに軍配が上がる。まずは水分豊富な瑞々しい甘さは、毛唐の作るパサパサして甘ったるいデザートには決して真似の出来ないものだ。淡白で無く糖度の高いドラゴンフルーツが、ベトナムなどでは味わえるのだそうだ。とても関心を引くが、淡白な日本のドラゴンフルーツも悪くはない。

本年は天然の「鰺」がとてもあぶらがのって美味しいのだ

今年の「鰺」は、海流の要因やらその他諸々の要因が重なって、とてもあぶらがのっているそうなのだ。そんなニュースを聞きつけて、近くの居酒屋に「鰺」の刺身を食べに行った。だがいたってフツーなのである。「こういう鰺はいつも食べている鰺だよな」。

先日は地元のスーパーで鰺の刺身のパックを見かけた。それを購入し、味わってみたところ、う~む、なかなかあぶらがのっていて美味いのである。今年の夏の鰺は、おすすめですよん!

空虚に響く「ブログ論壇の誕生」の中身

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佐々木俊尚の「ブログ論壇の誕生」を先日読んだ。著者・佐々木俊尚氏は、毎日新聞社からアスキーへとわたり、現在はIT、ネットを主テーマに著作活動を続けているフリーのジャーナリスト。「ブログ論壇」という思い切ったテーマ設定に興味を覚え、購入したという訳である。

時代は「自己テキスト」の時代である。ブログをはじめとしたITメディアの拡大により、市民は簡易なる自己表現の手段を持つことになった。同書においてもそうしたITネット社会の拡大を基にした綿密な状況分析が述べられている。IT、ネットの専門ライターであるだけに、その検証の筆力には脱帽である。だが、論点を強引に彼自身の結論へと引っ張り込もうとする意図を見て取るにつけ、当初の脱帽は、眉唾へと変わっていた。読了してみれば、彼自身が設定した仮説的論点をこれでもかこれでもかと拡げていくような、なんだか空虚な主張に染められていて、仕舞いには白々した読後感に襲われている。何なんだろうこの空虚な主張の根拠とは?

最大の疑問は「ネット論壇」なるもの自体が存在し得るのか? という疑問である。「論壇」と云えば聞こえは良いが、所詮不特定多数同士の主張のし合い。しかもそのほとんどが「匿名性」によって庇護された者同士の「議論」である。そもそも本来の議論の名に値しないネット上の遣り取りに根拠を置く代物を指して「論壇」と称すること自体にかなりの無理が生じているのだ。ネット上のコミュニケーションには可能性もあるがその限界も存在する。そのことを忘れてはならないのである。

【告知】新時代のネットショップ「みどり企画のマーケット」が近々オープン!

これまで静かに温めてきた企画が、いよいよ近々実現の運びとなった。その名も「みどり企画のマーケット」。

新しい時代の新しいネットショップのニーズや可能性を形にし取り入れつつ、「CMS」というシステムを採用して、実用的にも様々な状況に対応すべきものとなっていくはずである。今はまだ仮のスタイルだが、ちょっとだけ公開しておきます。

【みどり企画のマーケット】
http://midori-kikaku.com/market/

「みどり企画のマーケット」では、選りすぐったART作品をはじめ、おすすめの書籍、小物、その他さまざま取り揃えてご提供していきます。ご期待ください。

【注意!】

現在はまだ、システムの試験的な運営を行なっているところであり、本格オープンまでには少々の時間が必要であります。「ゴッホのひまわり」や「ジャコメッティの彫刻」や「排骨鶏麺」「キンミヤ焼酎」が現在販売されているという訳ではありませんのでご注意ください。いずれ近いうちに、「あっ!」と驚く作品が並ぶことになると思われます。

「新ショウガとカブの浅漬け」が、なかなかいける

おしんこは常にメニューの端に置いておきたい必需品なり。夏になればまた、それなりに季節のものを求めるのである。そんな思いを抱いていた昨今、「新ショウガとカブの浅漬け」には感嘆した。いわゆる「天晴!」なのである。

この時期の新ショウガは、実が柔らかくて瑞々しい。浅漬けにしたら漬け汁を素直に染み込ませ、かつえぐみも消していく。新ショウガ自体はそのまま薄切りにしても食せるものであり、浅漬けにすることでなおのこと風味が溶け込むのである。

あわせた「カブ」がまた、新ショウガの風味を吸い込んでいくのである。まさに浅漬けとはこうあるべしの見本なり。