つげ義春「無能の人・日の戯れ」にみる優雅なヒモ生活

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近頃は書店に出向いても中々、読みたい本には出くわすことが少なくなった。殊に「人気作家コーナー」「売上ベスト◎◎」といったコーナーを覗くたびに、そんな思いを強くするばかりなり。知人の紹介や書評で興味を抱いた書籍は、Amazonで注文した方が手っ取り早く、無駄な時間を過ごすことも無い。

では一体おいらが読みたかったものは何なのか? と自問自答してみて押入れから取り出したのが、つげ義春さんの「無能の人・日の戯れ」という一冊だった。ご存知、古典的漫画の一冊である。「ねじ式」という作品で著者・つげ義春さんはカルト的な人気・評価を博した後に、かなりの年月を経て発表された作品集となっている。

名作「ねじ式」により、奇才的漫画家としての評価を磐石とさせたつげ義春さんではあったが、その後の生活はといえば、順風満帆だったとは云い難かったようである。漫画の依頼注文も無くなり、生活のかてのほとんどは奥さんが賄っていたらしい。いわばヒモ的な日々の戯れを本書ではモチーフとしている。それは世の男にとってはとても羨ましい。羨望の的と云ってよい。おそらく世の男性の多くがこんなヒモ的な生活に憧れを抱いているのではなかろうか? 

だが誰もがこんな生活が出来る訳ではなくして、ヒモになれる限られた男でしかない。経済的無力でありながらかつ男としての営為を発揮する。そのようなヒモ的資質は特権的なものである。かつてのとろん、高田渡、…その生活を謳歌したのは、ほとんど限られた特別な人間でしかなかったのだ。

「染み入る」本が中々見つからない

さてこの古典的書物を読みたくなった理由を自問して、おいらは心に染み入る本を求めていることに今更ながらに気付いたと云ってよい。「染み入る本」と書いたのは、近頃のベストセラー本にはそうした「染み入る」要素を認め難いという認識を抱いているからに他ならない。

東野圭吾、宮部みゆき、江國香織、市川拓司、桜庭一樹、等々といった当代ベストセラー作家達には、エンターティメント的上手さや時流に乗った嗅覚の見事さを感じるが、それ以外の「染み入る」要素が感じられないのである。作家それぞれに対しては別段に嫌味な評価はするつもりもないのだが、やはり読書欲を刺激されるものでは無くなってしまった。