野田佳彦の欺瞞(2)突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした

先日の野田佳彦の、突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした。

「国民生活守るため必要」だなどと云うまるで大勘違いのコメント共に記者会見を行なっていたのだから尚更ではある。

野田佳彦という男はまるで勘違いの権化である。

極めて悪い意味での自己満足、大衆迎合、保守反動、劣悪謬見、自己憐憫、のかたまりである。

こんな人間を首相にしている我が国の悪しき国民性の性格が否が応でも浮き彫りにされるのである。

こんな馬鹿首相については、かつて掲示板上にて誰かが主張していたように、徹底的に病理学的解剖やらを行なう必要がありそうだ。

そしてこんな言辞をマスコミ媒体が真に受けてしまうことこそ我が国の病弊が潜んでいるのかもしれない。

精進料理的メニューの「湯葉刺し」に舌鼓み

痛風発作中のおいらであるが、散歩がてらに居酒屋にて一献は止められなかった。

それでもつまみの種類には気を配った。特に肉類のものはすべて(おそらくは)拒否しつつ、「湯葉刺し」に舌鼓みを打っていたのだ。

数多ある精進料理メニューの中でも特別な存在感を持っている。インパクトが大でありながら、痛風持ちの人間にも優しいという稀有なメニューではあった。

痛風の甚大なる疼痛に苛まれた

昨日から「痛風」の発作に見舞われていた。およそ1年半ぶりの発作であった。特に昨晩からの疼痛は耐え難いものであり、睡眠時間もおよそ3時間程度しかとることができなかった。

かねてより痛風発作の原因物質である「プリン体」摂取を控えることを心がけてきたが、ついつい油断が生じていたようであったのだ。

時々、生ビールなどを注文するようになっていたし、レバー等のモツ焼き、鱈子や筋子等の魚卵類、おいらの好物である食物を、少しずつ増やしてしまっていたからではある。

5回目くらいの発作ではあるが、疼痛の程度は今回が最も強かったのであり、初めて、痛風専門の医院を訪れていた。発症箇所の足の親指はより根元に近づいていた。

医院では靴下を脱いだ足を見せつつ、女医さんに疼痛の緩和治療を訴えていた。妙齢の女医さんは微笑みつつ、

「8割がた痛風に間違いありませんが、症状が治まってからの治療が大切です。痛みが引いた後も受診してください」

「強い痛み止めの薬を出しておきます。静脈注射で炎症を抑える注射をしておきましょう」

と優しい言葉を掛けてくれていた。

一晩続いていた激痛は、注射後1~2時間で引いていき、今は多少の違和感や腫れがあるものの大分回復したのである。医療内容の印刷物をチェックしたところ、静脈注射は「リメタゾン」と云う、主にリウマチに対して処方される聞き慣れない薬剤であった。

夏といえば冷やしそうめん

夏の暦に伴い、食生活、食の好みが否が応でも変化しつつある。熱いものやカロリーの高いもの、脂っこいものには食指が動かない。逆に冷たいもの、低カロリー食を求めてしまう。そんな時期での「冷やしそうめん」に舌鼓を打った。

吉祥寺「ハーモニカ横丁」で食べた「キャベツ煮込み」

吉祥寺駅北口を降り徒歩1分程度の場所にある「ハーモニカ横丁」を散策しつつ、もつ焼きなどと共に「キャベツ煮込み」を味わっていた。

モツ煮込みの大鍋の中にキャベツの塊を投げ入れ、10数分したらば「キャベツ煮込み」の出来上がりである。

10数分の煮込みであるが充分に火が通っており、柔らかくしなびており、煮込み汁のエキスなども一緒に味わえたのであり満足至極の味わいであった。

野田佳彦どじょう政局と「政治生命を掛けて云々」の欺瞞

近頃では俄かにマスコミへの露出が増えているのが野田佳彦首相であり、とても切迫した政局の一面が浮かび上がってくる。本日は内閣改造だという野田内閣のやりくりであるが、それに伴って「政治生命を掛けて云々」の欺瞞が益々浮かび上がっているのである。

大飯原発の再稼動における強硬姿勢が一つであり、もう一つの要点が、消費税税率アップに関する欺瞞的発言である。

予め示しておくが、おいらは消費税の税率アップに対しては反対ではなく、基本的には賛成である。その時間的な実施については様々な論が飛び交ってはいるが、小沢一郎氏の論拠には与する事はできない。だが、何でもかんでも消費税アップによって我が国の政治経済状況を好転出来る等という野田流のマスコミ戦略に対して、とても強い反対の思いを強くしている。

「政治生命を掛けて云々」と云う文言は前時代の自民党の政治家が重用していた、ある種の定番的な言辞ではある。こんな文言を、民主党代表の野田氏が放っていること自体が、政治的混乱、困惑の原因ではあり、野田氏においては、過去の経緯や政権交代以前の過去政権の責任についての不要なメッセージを放すことの無いようにと願うばかりではある。

大連立と云う自民とのいかさまに陥るべきならずということを、声は小さいがここに発しておきたい。

特異なビジョンを展開させている伊坂幸太郎さんの「PK」を読んだ

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人気作家、伊坂幸太郎さんによる作品集の「PK」を読んだ。文芸誌による発表作品をまとめて昨年刊行された3部作。「PK」「超人」「密使」の3編の作品が収録されている。

表題作の「PK」は、サッカーの試合における「ペナルティキック」のことを指している。ペナルティエリア内での相手チームの反則により、PKのチャンスを得たヒーローが、その一撃を決めるというシチュエーションが、劇画のような筆致で描かれている。

筆致は劇画調であるが、テーマと云うのか題材は、政治、人生観、超能力、等々の現代日本人受けするものがてんこもりである。SF作品を得意としてきた作家がここへきて、こうしたテーマ作品に舵を取り作品発表を行っている。そのことは作家としてのビジョン的展開の一つではあるのだろうが、その必然性と云うものを感じ取ることは無かった。

最終的にはどの作品も、ある種の余韻という、いわば曖昧な領域へのビジョンへとつながり、エンターティナー的要素ばかりが刺激的に見受けられる作品集と云う印象なのである。

とても硬い「ミノ」のもつ焼きを食べた

先日、地元の立ち飲み系居酒屋の店長から「ミノは硬すぎるのでお勧めできませんよ」という、ぶっきらぼうな言葉を投げかけられ、それ以来ずっと「ミノ」を食べる機会をうかがっていたおいらであった。

そもそもその店長には、「歯が悪いので硬い食べ物は受け付けない」とか「揚げ物類はメタボ的なので好きではない」などと、常日頃から鬱陶しい言葉を発していたのであり、その腹いせにか或いは好意的にか言葉を掛けてくれたものだと感じている。それでも折角注文しかかったメニューを拒絶されたというときは、とてもショックなる瞬間ではあった。食べたいものが食えないという立場に立たされたのだから、そんなことはおそらく数十年以上は無かったことなのではなかろうかと思いを巡らせていたのである。

そしてやっと、地元の別の店にて「ミノ」を食する機会に出くわしていた。

牛の4つあるうちの第1の胃袋である。開いた様子が蓑に似ていることから命名されたとされている。強烈な胃酸から自らを守るために強靭な壁が出来あがっているのかもしれない。

出されてきたミノは良く観察すると、細かく包丁を刻み込まれており、焼いて食べた時の食感も、そう硬いものではなかったのだ。ハモの骨切りではないが、ちゃんと噛み切れるくらいに包丁の技が光っている。これもまた世界に誇れる日本食の一つになるのだろうなという思いを抱きつつ、やはり硬さが光るミノを頬張っていのであった。

時期外れに出会ったゼンマイの胡麻和え

山菜と云えば「わらび」と「ゼンマイ」が代表的である。そして山菜は春の初めに生えるのが季節の訪れを感じさせるのだが、今回のゼンマイはと云えば確かに季節的にずれている。それでも瑞々しく美味しかったのであり、満足したのだった。

調理法としては胡麻和えの味付けが施されている。すり胡麻の香りがにおってくるくらいに多くの胡麻が目の中に浮かび上がってくる。

メタボ的 ソース焼きそば 口にして

晩酌をしてい居酒屋で、隣の客の焼きそばがとても美味そうだったので、思わず知らずに同じメニューの焼きそばを注文して食べてきたのだ。ソース焼きそばで晩酌の〆もたしかにありなのだった。

ウスターソースの懐かしい香りが引き立っており美味であった。ソースと云う調味料は塩分が高くてなかなか自宅では調理しにくいのだが、外食においてはけっこう頻繁に、大胆に口にしているのかも知れず、はてな、健康と懐かしき味覚とを天秤に掛けてみたらどちらが勝つのか判らなくなってしまっていた。

しかも添えられていた紅ショウガが赤々として食欲をそそり、食品添加物まみれの紅ショウガさえもが懐かしき食材として愛で親しんで頬張ってなどしていたのである。こんなことだから生活習慣病の原因となるメタボ体質を発症させているのであるとの自覚は持つものの、少年の頃からの慣れ親しんだ食生活はいかんともしがたいものがあるのだ。

それで今宵の晩酌の〆はソース焼きそばではあるが、ブログの〆としては川柳短歌的に〆てみるのである。

メタボ的
ソース焼きそば
口にして
しょうがないかと
ショウガ頬張る