禅宗僧侶であり芥川賞作家、玄侑宗久さんの「中陰の花」を読んだ

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先日は禅宗僧侶であり作家の玄侑宗久さんによる第125回芥川賞受賞作品「中陰の花」を読んでいた。「死とは何か」「魂とは何か」を見つめ追求した作品であり、いわゆる「死後の世界」を主なテーマにおいている。

それより少し前には、瀬戸内寂聴さんとの対談をまとめた「あの世 この世」という文庫を読んでいたのであり、読了後はずっと、「中陰の花」のことが気になって仕方がなかった。「あの世 この世」の中ではときに寂聴さんが聞き役となって、あの世とこの世の超常現象的な事象に関する解釈を玄侑さんに質問するシーンも散見されている。まるであの世の伝道者か死後世界を示し導く教授かのような振舞いをする玄侑さんが、はたして「死後の世界」をどう解釈して作品上で描いているかが甚大な関心を抱いていたのである。

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中陰(ちゅういん)とは、仏教で人が死んでからの49日間を指すとされる。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。小説の「中陰の花」では、禅宗臨済宗の僧侶である玄侑宗久さんが実世界で出会った、死後の魂との交歓が、様々なシチュエーションにて描かれている。そんなエピソードの夫々は、市井の人間の一人としてのおいらにとってはピンと来るものも在るが、現実感のないシチュエーションも多々描かれている。

おがみやのウメさんが自分の死期を言い当てた、つまりは予言が的中したというエピソードには引き込まれていったのだが、それ以降のエピソードに関しては、残念ながら知的な興味関心以上の引付けを感じることができなかった。

美しく装飾されたそれらの光景をそのまま実感として受け付けることは最後まで出来かねていた。そのような意味においては些かがっかりな気分も捨てきれなかったのである。