iPhone4に、Bluetoothのワイヤレスキーボードを繋げてみた

先日から使用しているiPhone4用に、ワイヤレスの小型キーボードを購入した。ELECOM製の「TK-FBP013」。幅221.2ミリと極めてコンパクトだ。これならば鞄に忍ばせておいて、外出先でもすぐに取り出し使えて便利だ。

iPhone4専用ではなかったが、iPhone上でBluetoothのペアリング設定を行なったところ、問題なく繋がった。メモツール上で、日本語入力を行なう際に慣れない携帯キーボードを弄くっているよりは数段利便性が高まったのだ。さてこれで、ネットブックに代わるモバイルツールが用意できたぞ、これからは外出先でバリバリ使おうか、などと考えていたところ、想定外の難点に遭遇したのだ。

かな入力が使えない!

その想定外の難点はといえば、「かな入力」に対応していないということ。これは想定外に大きな難点だ。キーボードにはしっかりとひらがなの記載があるのに何故だか使えない。iPhone側のシステムが「ローマ字変換」オンリーであり「かな変換」に対応していないのだ。このマッキントッシュ社製機種が国産ではなく舶来機種なのであることを思い知らされた。こんな不条理は無いだろうと思うのだが、現実なのだから堪らないのだ。

思い返せばもうかれこれ20数年前のこと。おいらが著した書籍の処女作品の印税がごっぽり入ってパソコンを初めて購入したとき、おいらは迷うことなく「かな変換」を選択した。それ以前からの長き付き合いであり、専用ワープロ機を使用していた頃から数えるとなれば、おいらと「かな変換」との付き合いは四半世紀が過ぎ去っていることになる。そんな長き歴史を無視されたかのごとく感じて憤慨の念を禁じ得なかったのだ。

今では日本語変換と云えば、猫も杓子も「ローマ字変換」に染まってしまった。日本人が日本語を扱うのに「かな」でなく「ローマ字」を使ってしまう。日本語をアルファベットに置き換えて思考しながらタイピングするのだから、馬鹿げていると云うしかない。真っ当な日本語の考え方が出来るはずも無いのだろうと思う。日本人の米国による属国化は、既に深いところにまで浸透してしまっているのかもしれない。

春を告げるヒヤシンスの香りにうっとりなのだ

先月ふと街の花屋でみかけて購入した「ヒヤシンスの鉢植え」が、ようやくここにきて花弁を開いて花を咲かせた。ご覧のような白とピンクと紫の3色のヒアシンスが清楚な花弁をたたえる鉢植えである。

花弁が開きかけた数日前には気が気ではなかったのだ。白、ピンク、紫の蕾たちのそれぞれが下を向き、いつその花を開くのか、全く見当もつかなかったからである。だがここにきて蕾は上を向き花を咲かせたのでありました。

そして我が家の中では珍しいくらいに甘い香りをたたえているのであります。プーンと漂うヒヤシンスの香りにうっとりしつつ、かつてあまりないような甘味なる現状にうっとりとさせられていたのでした。

香りとは「かほり」ではなく「かおり」或いは「かをり」と記さなければならない。馬鹿げた小椋桂的シンガーソングライターの書いたへんてこりんな歌詞などに、決して惑わされてはならないのである。

さてさてそれはともかくも、ヒヤシンスのフレーバーな香りは、とても強烈なるも代物なのなのである。鼻腔を刺激されるるのみならず、そんな甘味な香りにうっとりとしてしまい、香りの楽園に迷い着たようだった。家に着いた途端に強烈なるフレーバーの出迎えを受けて以来のおいらの嗅覚はといえば、益々退化しているということが明らかなのだ。

これでいいのかという疑問と共に、香りの持つ或いは影響を及ぼす力に、思いを強くしたということなのでした。

上州本場の食材「ワカサギ」を使った料理も今が本番なり

ワカサギ料理を食する機会が増えている。おいらの出身地の上州群馬県ではこの時期になると活き活きとしたワカサギ料理が目に付いてくる。上州のみならず東京都内の居酒屋でも、このワカサギ料理がポピュラーになったことは甚だ喜ばしいものではある。

ワカサギ料理の定番と云えばまずは「ワカサギのフライ」「ワカサギ天ぷら」である。衣の使い方により、フライと天ぷらの違いがあるが、どちらかと云えばフライの方がポピュラーなのかもしれない。フライを卵とじにして丼にすれば「ワカサギ丼」の出来上がりである。旬のワカサギを使った「ワカサギ丼」は、想像以上に美味であった。

そしてもう一つの代表的ワカサギメニューが「ワカサギの南蛮漬け」である。所謂ポピュラーな南蛮漬けとしては「鯵の南蛮漬け」が挙げられようが、ワカサギの南蛮漬けは小ぶりではあるが却ってそれに輪をかけて、季節の風味を届けてくれる逸品となっているのだ。

そもそもワカサギとは名水ある所の代表的な淡水魚である。群馬県内には、榛名湖、赤城の大沼、小沼といったワカサギの生育に適した沼湖が存在していることから、冬から春にかけての季節限定、旬なる料理として広まっていたのである。

まだ当分は「ワカサギ料理」の旬の季節は続いていく。これからまた美味なるワカサギ料理に出会えることを希望しているところなのである。

今日的私小説の世界を描いた西村賢太の「苦役列車」

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朝吹真理子さんの「きとこわ」と並んで今年上半期の芥川賞受賞作である。

マスコミによる批評の数々を眺めれば、久々の本格的私小説といった評価が並んでいるようだ。同受賞作品を一読したところ、確かに際立って個人的な事柄を題材に、これでもかというくらいにさらけ出し、独特の筆致で物語りにまとめ上げている。

だがどうも、おいらが永い間受け入れてきた「私小説」とは異質なのだ。例えば太宰治、坂口安吾といった昭和の巨匠作家たちのような、芸術文学に殉ずるといった志向性を感じ取ることが出来ない。

西村氏の極私的生活の中でのあれこれは、派遣事業者によって搾取された貧困が故の困窮だったり、父親が猥褻罪で逮捕されたという身内的の恥的体験だったりと、特殊な環境に由来するのだが、それらを越えるテーマが見当たらない。たぶん作家自身によって設定されることがないのではないかと思われるのだ。

私生活を越えるテーマを持ち得ない作家が芥川賞を受賞する意味は、はてな、如何なるものなのだろうか?

中上健次の再来と称する向きもあるようだが、残念ながら、それほどの凄みも感じさせることはみじんもない。

苛酷な労働環境に身を置きつつ「苦役列車」の旅を続ける作家の私生活は惨めで滑稽でさえある。この芥川賞作家は、これからどのような未来を描いてゆくのであろうか? どうでもよいことではあるが、少々の関心は持ち続けていきたいと思うのである。

話題のスマートフォンことソフトバンクの「iPhone4」購入

遅ればせながらではあるが、先日iPhone4を購入した。前々から興味関心があったことは確かだが、要因はは別のものがあった。ウィルコム携帯電話(PHSという形式のもの)がある日突然につながらなくなったのがきっかけだったと云える。

いつも使用している自宅エリアでそれは起こった。田舎の一軒家ならばいざしらず、この場所は都市圏である。都下地域とはいえ、JR駅から徒歩20分の圏内にある。これまで使用していたものが使えなくするとは何事かと、おいらは電話で抗議をしたのだが、あれこれ聞き出したところ、ウィルコムでは「基地局の見直し」という名の電波の間引きが行なわれていたことが判然とした。一時は事実上の倒産企業とはいえ有り得べからざる対応に驚いたが、先方担当者はその様な説明を当然のように、マニュアルを棒読みするオウムのように繰り返すのみ。まるで呆れてしまったのは云うまでもなく、のみならずこの緊急事態に何かの対処を取らねばという思いが、iPhone購入へとつながった訳なのであった。

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本体の購入、契約と同時に「iPhone4完全活用マニュアル」なる本を購入し読んでみた。safariでPCと同様のネットサーフィンが出来ること、或いは各種の専用アプリが利用できることのメリットが強調されている。

確かに携帯向けアプリは使いこなせば便利であろうが、おいらが求めているのは、外出先にてネットブックの代用として使用したいという1点なのだ。その点、入力システムには未だネットブック等一般パソコンシステムに遅れをとっているようだ。片手でピコピコとゲームに興じるとは違い、文字入力にはJIS基準のキーボードが必要となる。特においらのように「かな変換(ローマ字変換ではなく)」に拘る少数派にとっては鬼門となっている。

少々調べたところ、iPhone専用のキーボードが出荷されているとのこと。かな変換が可能であるのか? 或いはストレスなく入力できるのか? 等々の疑問は尽きないが、機会があればそれらの使用感を試してみたいと思っているところなのだ。

本体価格は25ヶ月間の契約をすることで実質0円なり。またfon社製のWi-Fi無線ルーターがサービスで付いてきた。ルーターの設定には些か難儀したのだが、いまでは無線LANでパソコン、iPhoneがサクサクと動いている。あまりのめり込み過ぎないようにセーブして使いたいものだ。

日中食文化のギャップを象徴する「大根餅」

中国料理店でふとメニューにとまった「大根餅」を食した。大根を使って餅にする、そんな料理があるとは意外だった。十年以上以前にこのメニューを食して以来、とても気になる一品なのである。代表的な点心でありながら、これまで日本人にとっては何故か馴染みが薄かったメニューであり、日中間の食文化の中での大きなギャップだろうという思いを強くしているのだ。

中国人の知人に聞いたところによればこの大根餅こそ、特別な記念日に食されるという、ハレの日の特別なメニューなのだという。特別に美味だとも高級だとも見えないこの点心に、どのような意味が隠されているのかと興味が深まるばかりであった。

レシピは簡単である。皮をむいた大根を摩り下ろして、上新粉、片栗粉等を混ぜ合わせた特製生地を蒸して焼くという。これが基本となる。風味付けの葱や、海老などの海鮮魚介類を加えたりするのも一般的だ。形は四角くカットしたり丸く成型したりと様々ある。もちもちした食感が「餅」には違いないが、日本人が親しんでいる「餅」とは明らかに別種の食べ物だ。

ぎらぎらとした油成分が一見して目に付いてしまう。大量の油で焼いていくのでこの油ぎった食感は大根餅ならではのものだ。さらには「点心」一般に特徴的な要素と云えるだろう。中国料理は「火」が命だとされている。大量の油と火を駆使してこそ中国料理の基本形が成り立っている。つまりは「火」を用いない中国料理は、謂わば邪道的な料理でしかない。

それに対して日本料理における「火」とは、あくまで脇役に止まっている。食材を活かして調理することこそ日本料理の真髄であり、火の料理法とは大きなギャップが存在している。けだしこのギャップは水と油と云えるくらいに大きなものであろう。

頭からがぶりと齧れる、丸ごとイワシの圧力鍋煮

生のイワシをスーパーで見かけて、丸ごとイワシの圧力鍋煮に挑戦した。

見た目は少々グロテスクだが、頭から背骨までのイワシの骨が軽く齧れて、天然カルシウムが摂取できた。そもそもイワシはEPA、DHA豊富な青魚の代表選手でもあり、血栓予防食としてはこれ以上無い理想食材。それを丸ごとがぶりとやれるのだから試さない理由は無かったのである。

生のイワシに、醤油、砂糖、味醂に加えて梅干と生姜と大根を添えた煮汁を圧力鍋にセットして、30分程度弱火で加熱しじっくりと煮込んだのだ。火を止めて蒸らすこと15分程度、蓋を開ければプーンとワイルドな青魚の香りが鼻を突いた。

皿に取り出して身を一口。う~む、魚の身もホクホクに煮込まれている。そして背骨をがぶりと齧れば、まるで口の中で小骨が崩れ落ちるような有様であり、すいすいと食が進んだことこのうえなかった。頭の部分はこれもがぶりとやってみたが、少々と雑味が残る荒っぽい食感は漂っていたものの、まるで異次元のすこぶる貴重な食感であった。缶詰の魚を食べるのよりもずっとずっとワイルド感が増していく。

今回のイワシで圧力鍋調理の基本を押さえたので、これからはもう少しバリエーションを広げて様々な生魚の圧力鍋煮にチャレンジしていきたいものである。

珍しく美味なる「鶏ナンコツ」の串焼きを味わったのです

思えば近頃、美味い鶏のナンコツが見当たらなくなってしまったと感じていたところだったのです。居酒屋、焼き鳥屋にて「ナンコツ」というメニューを見つけて注文すれば、7~8割がたは豚のナンコツだ。至極がっかりである。豚の軟骨が出されてその硬さに辟易したことは少なくない。

あらためて考えるに、鶏ナンコツの串焼きはといえば、その弓なりにしなった姿形が優雅であり、その周りにある種ぞんざいに散らばっている肉類がまた美味いものの大切な要素なのだ。ナンコツのトゲトゲしさを緩和しているとともに、天然のカルシウムの摂取をたやすくするのに役立っている。これこそ串焼きが求める姿なのかとも感じ取らせるのに充分なのだ。

この美味い「鶏ナンコツ」に出くわしたのは、金太郎という店だった。八王子を中心に数店舗を構える地元では有名な居酒屋だ。これまであまりおいらは利用することがなかったが、今回の鶏ナンコツの出逢いをきっかけに、いろいろ他のメニューも味わってみたいものだと感じていたのでした。

鶏のナンコツ焼きは塩味で焼かれるが、金太郎ではそれに特製の梅紫蘇が添えられている。実にこれがまたこの梅味と良く合うのである。

■金太郎
http://www.yakitori-kintarou.jp/index.html

「ちぢみほうれん草」は寒い冬にこそ食する価値ありの逸品食材

本年は大雪のため、冬もの野菜類の収穫が悪いのだという。大根、ほうれん草、等々が分厚い雪の陰に隠れて収穫不能になっているニュース画像を、何度か目にしている。そんな今年にふと目にした食材が「ちぢみほうれん草」であった。群馬県館林産とある。迷わず購入したのだった。

そのちぢみほうれん草の風貌には皺が深くに刻まれていており、見るからに分厚い雪に押し潰された凍えた畑の風景を容易に想像させている。

上に伸びようとしても巨きな圧力に阻まれて伸びることが出来ないで、根を張るように伸びている、まるでぐれた少年少女のようにひめたる生命力の存在を感じ取らせるのに充分な姿かたちなのである。

とりあえずこの「ちぢみほうれん草」をゆがいてお浸しにしてみた。濃緑の葉はよりいっそう鮮やかさを増し瑞々しい。その生命力に見とれていた。味はすこぶる濃く、そしてすこぶる苦かった。それだけ味わいも恵みも共に、凝縮されているということなのであろう。

銀座逍遥記 ―東京銀座で出逢った都会の相貌―

昨日に引き続き、「デジブック広場」に「銀座逍遥記」スライドショーをアップしました。

当ブログをを始めて以来、銀座の様々な相貌をデジカメに収めつづけていたのだが、今回それらの写真群の中から特に、印象に深く刻まれた15点のスナップ風景をピックアップしてみた。以下に挙げるのがその写真群の中身である。

1 パティシエと赤い花弁
2 清楚な胸元
3 籠の中のバッグを見詰める少女
4 籠には鳥の姿も
5 LOUIS VUITTON
6 50th Aniversary
7 幕を閉じた歌舞伎座
8 HERMES
9 奥野ビル内ギャラリーにて
10 春近いショーウィンドー
11 和光ビルの踊子
12 岡本太郎の若い時計台
13 MERRY CHRISTMAS
14 銀座シネパトス
15 韓流スター、ヨンさま

日本全国には数多の「銀座」が散在している。銀座こそは増殖された都会像の表徴なのかもしれないと、時々感じることがある。全国の田舎には銀座的な表徴が少なからず存在しており、それらはある種の、都会に対する憧れを指し示していると云えよう。

現実に在る東京都中央区銀座の街は、日々その表情を変えていきながら、田舎からの大勢の訪問者を出迎えているのだ。

「デジブック広場」に「雪の富士西湖めぐり」スライドショーをアップしました

 

先日の富士西湖めぐりの写真を「デジブック広場」にまとめてアップしてみました。「デジカメ作品交歓サイト」と銘打っているが、カメラメーカー主催のもの等に比べて参加者の反応も良いようだ。ヤフーと提携している強みだろうか?

「フォト蔵」「Flickr」等々の写真交流サイトは数多いが、ジャケットやBGMまでが標準装備され簡単に設定できて、訴求力も他に引けを取らない。難は、長期的に使いこなすには会費を必要とすること。無料会員のままだと30日間でアルバムが消失してしまうのだ。他と比較しながらしばらく注視していこうと考えているところなのです。

富士吉田うどんは、聞きしに勝る個性的麺類なり

富士方面に旅した途中で「富士吉田うどん」に遭遇した。山梨県には「ほうとう」という歴とした伝統的郷土料理があるのだが、それに対抗しようとするかのように「富士吉田うどん」というものが存在している。ほうとうと比較すれば似ているようでいて全然似ていない。これまで都内において「吉田うどん」的メニューを食したこともあったが、現地の食堂にて食べたことは無かった。それだけに噂に違わぬ、聞きしに勝るこの麺類の個性は強烈である。両者は別物であることにあらためて驚かされたのだ。

富士吉田うどんの麺は、ほうとうの麺より一段とごん太く、しかも腰が強いのが特徴だ。うどんを食する地域は日本全国いたるところに散在しているが、此処のうどんほど硬い麺は無いだろうと思われるくらいに徹底している。これこそ吉田うどんの個性であり、好みが分かれるところだ。硬い御飯を噛むようにして味わわなくてはならない。顎の運動になるくらいの思いがする。するするっとした喉越しなどとは全く無縁の食材なのだ。

基本のトッピングが茹でたキャベツというのがまた凄い。いくら茹でているとはいえするするっと喉に入る代物ではなく、よく噛んでいかなくてはならない。麺類の常識からすればかなりずれていると云ってよい。麺の常識と共にトッピングまでもが個性的であり、ダブルで驚かさせることになった。

キャベツ以外に特徴的な具材が馬の肉。これが存外いけたのだ。馬肉を食う習慣は隣の信州長野だとばかり思っていたが、甲州にもそんな風習があったのだ。甘辛く丁寧に煮込まれた馬肉は、それだけでも御飯の友になりそうなくらいに美味であった。

さて最後に出汁の評価になるが、醤油に味噌を合わせており極めて折衷的な味付けである。言葉を換えれば何ともダサい味付けと云えなくもない。味噌味の美味い麺類は色々な地域で見られるものだ。もっと味噌味を利かせて田舎くさくした方がよいだろうと思われるのだ。今度吉田うどん麺を使って、味噌味のうどん作りでもしてみたくなった。

雪化粧した富士西湖の風景とヤーコンの漬物

関東にも大雪が舞い降りた日、おいらは富士五湖の方面へと向かっていた。雪化粧した富士山の姿を眺めたいという願望などもあったが、それは叶えられることがなかった。一見さえなし得ずであった。午後からは雪も小降りになっていたのだが、見晴らしは極めて悪く、すぐそこに存在するのであろう富士の雄姿を、分厚い雲群が遮っていたのでありました。

JR中央線、富士急行線を乗り継いで、河口湖駅から観光客向けのレトロバスに乗り西湖へと向かった。雪に煙る樹海付近を通り過ぎたとき、深く重厚に冷え冷えとしたその景色がまさに「樹海」と呼ぶに相応しいことを実感させたのだった。

西湖に面した根場(ねんば)という集落に着くと、そこでは「かぶと造り」という茅葺民家が立ち並ぶ風景に遭遇した。かつてこの地域は、地元のものづくり文化で活気溢れていたとされ、昭和41年の台風災害によりそれらのほとんどの民家が消滅してしまったという。現在に建ち並んでいるのはかつての活気ある民家集落を再現したものである。再現された茅葺民家の中では、地元の伝統料理や伝統工芸品の展示販売、あるいは陶芸作家等による作品展示販売などが行なわれていた。

そこで試食したヤーコンの漬物なるものを口に頬張れば、まるで新しく瑞々しい食感に驚き感動の雨霰状態だったのだ。店の小母さんは「梨みたいにサクサクの漬物だよ」と宣伝していたが、成る程である。まるで果実の食感なのだ。それが漬物として御飯にも合うくらいに仕上がっている。早速土産品として買い求め、日本酒の相棒のつまみとして味わっていた次第なり候。

先述したが今回の旅にて富士山の雄姿に接することはなかった。それでも西湖という富士五湖の中では地味な湖の、その周辺の雪景色された風景に接して、日本一の山と共に息づく土着的な生業に接することが出来た。有意義な旅の収穫なのであったのです。

見た目はグロいが味は満足「しゃこ(蝦蛄)」のにぎり

寿司店にてしゃこ(蝦蛄)の握り寿司を味わった。実はしゃこの美味しさに気付いたのはそう遠くない。おいらが子供のころから上京してだいぶ経つまで、寿司屋のネタケースでしゃこを見る度に目を逸らしていたというのが実情だった。

何故か? それはひとえに江戸前の代表的な種であるしゃこが、東京湾のヘドロまみれになっている姿を想像したからである。少年の頃の想像力というものは馬鹿に出来ないものがあり、良きにせよ悪きにせよ、しつこく評価基準を左右する根拠となって記憶の底にこびり付いてしまう。一旦こびり付いてしまったイメージを払拭するのは、決して容易いものではあり得ないのだ。

おいらが子供の頃の東京湾といえば、海底に潜れば真っ先にヘドロに出会うというくらいにヘドロまみれ、公害まみれの海だった。寿司ネタの中でも特にしゃこの姿こそが、一見にしてグロテスクであり、ヘドロの海に棲息する、いわば汚い生き物の象徴として印象的インプットされてしまった。アサリや海苔は大好物で日常的に食してきたのに、しゃこばかりが悪しきイメージを代表して来たのだから、しゃこには罪なことをしたものだと思う。子供の誤ったイメージ形成の見本とも云えよう。

海老と同じ甲殻類だが、しゃこと海老とは別種である。砂地に穴を掘って棲み、全身を覆う殻は分厚く、性格は凶暴だとされている。寿司屋では茹でて甘ダレを塗って出されるのがポピュラーとなっている。香ばしい身を齧ればその筋肉質の身の味わいにうっとりとされてしまうものだ。

葉山のきとこわ的大衆料理の「蓮根の甘酢漬け」に感嘆

朝吹真理子さんの「きことわ」に出てきた「蓮根の甘酢漬け」を作った。小説のクライマックスでは、蓮根料理ばかりが食卓に出されていた家族の中で、ある日貴子が作ったこの「蓮根の甘酢漬け」に父親が感嘆するシーンが、とても印象的に描かれている。

蓮根を薄くスライスしてさっと下茹でをする。甘酢の漬け汁は酢と砂糖、それに少々の醤油、味醂、唐辛子を湯立てたものを用意した。蓮根と漬け汁をあわせて冷蔵庫で2時間ばかり寝かせたら出来上がりだ。

蓮根のさくさくとした歯応えに甘酢が程よく染み込んで美味なり。まろやかな酢の香りが快く口腔を刺激する。まさしく感嘆に値する料理なり。蓮根料理のレパートリーがこれでまた増えたようだ。

芥川賞受賞作「きことわ」(朝吹真理子著)の綺麗な日本語に感服

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今年上半期の芥川賞受賞作。とても綺麗な日本語で綴られた小説である。

このところ、日本語の扱い方もわきまえない芸能人作家による作品を立て続けに読んでしまったおいらの身にとってみれば、この作品に表現されている日本語の美しさだけでも、貴重な読書体験と呼びたいくらいに感動的なものだった。

夢をみる永遠子(とわこ)と、夢をみない貴子(きこ)の二人の主人公を巡って物語は進行していく。主な舞台は葉山の別荘である。25年あまりもの時間の中でのあれやこれやが、まるで万華鏡の中を覗いたときの光景のように、ドラマティックかつ極めてデモーニッシュに展開されていくのだ。デモーニッシュではあるが、読後感は決して悪くはない。敢えて書けば却って清々しいという思いさえ抱いたほどだ。

ご存知のように受賞者の朝吹真理子さんは、仏蘭西文学の巨匠ことフランソワーズ・サガンの翻訳家として名高い、朝吹登水子さんを大叔母にもっている。それを知ってか、やはりというのか、サガンの本にも似ていなくもない。もちろんのこと朝吹真理子さんの受賞作には仏蘭西被れなどというものはなく、純粋なくらいに日本的である。日本的過ぎるくらいでもある。

朝吹真理子さんが名門の出身であることから、「銀のスプーンをくわえて産まれた」等と揶揄する声も多いようだ。しかしながら受賞作に描かれている世界は、葉山の別荘が舞台だということを1点除くならば、極めて大衆的な世界が開示されている。例えば、老舗の蕎麦屋が閉まっていたことからやむなく即席ラーメンをすずっていたというような情景が、ここやかしこに示されている。揶揄するほどにはブルジョアではないということを、作家は示したかったのかも知れない等とふと思う。

ここにきて、朝吹登水子さんの翻訳によるフランソワーズ・サガンの小説が至極懐かしく思われてきたのだった。十代思春期の頃の青春の主張を、朝吹さん翻訳のサガンの本が主張していたという思いが強くのしかかっている。

近い将来の朝吹真理子さんは、日本のサガンと呼ばれることであろう。ただしここで指摘したいこと、余計なお節介の一言。彼女の現在において足りないのは、恋愛という極私的な体験であろうということ。それを感じ取ったのはおいらばかりではないだろう。

初春の菜の花は、炊込み御飯にもよく似合う

菜の花料理に舌鼓を打ったおいらは、菜の花の炊込み御飯作りにチャレンジしたのです。菜の花に、大根、人参、筍を加えて、いつものように専用土鍋で炊けば、美味しい春の味的炊込みご飯の出来上がりである。

ほろ苦い春の味わいに加えて、見た目も淡く初春の彩り。御飯がこんなに味わい深く思えたのも久々の体験だ。

春の風物詩として古くから親しまれてきた、黄色く輝く菜の花畑を目蓋に浮かべつつ、黄色い花を咲かすことなく食用にされた菜の花の蕾の姿には、限りない生命力が漲っているように見えた。人間は自らの生殖のためにこうした食物から生命力を横取りしているのかもしれない。けだし人間というのは罪深きものなり候。

春の香りを届ける菜の花料理

寒さはまだ当分続きそうだが、一足早い春の香りがする菜の花料理に出食わしたのです。

そもそもおいらが子供の頃には、菜の花は観賞するために在る花であり、食用にされることすら思い描けなかった。それが江戸の街に出て以来、食用に供されることを知り驚いたという、カルチャーショック的体験があった。

それかあらぬか、菜の花のほろ苦い繊細な香りには、ひと際愛着を持っているのだ。黄色い花を咲かせる前の閉じた蕾の中から溢れる滋味こそ、早春の味わいである。

菜の花の辛し和え

おひたしにしただけの菜の花も充分に美味だが、ひと調味料が加わって、立派な料理になるという見本のような料理だ。春のほろ苦い苦味が辛し味と出逢い複雑な春の味となるのだ。

菜の花と桜海老のかき揚げ

どういう因縁なのかは分からないが、相手素材に桜海老が組まれている。桜海老の旬にはまだ少々早いのだが、イメージ的には春の味わいを演出している。玉葱や他の野菜類を組み合わせるよりは、菜の花の繊細さを削ぐことがないので、そういう意味ではなかなかの組み合わせといえるだろう。

終戦内閣総理大臣、鈴木貫太郎翁の記念館を訪問

千葉県野田市の郊外、関宿の「野田市鈴木貫太郎記念館」を訪問した。東武野田線「川間」駅からバスを乗り継いで約1時間ちかく走った、利根川と江戸川に挟まれた、周囲には田畑が広がる長閑な土地にその記念館は建立されている。貫太郎の旧邸が在った隣というのが場所の謂れだという。

記念館の正面玄関前に着くと「為萬世開太平」と記された巨きな石塔が目に飛び込んできた。「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す」という、昭和天皇による所謂「玉音放送」の原稿からとられた一節である。鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長、迫水久常の手による書とされている。貫太郎自身の思いの強さをいやがうえにも知らされる。

館内には白川一郎、阪倉宜暢らによる多数の戦争画が展示されている。写真ではなくして絵画である。貫太郎が青年将校に襲撃された「二・二六事件」、終戦が決定された最後の「御前会議」等々、歴史的に極めて緊迫した舞台の一瞬一瞬がとてもリアルに描かれており、その描写力よりも戦時下での画家の思いに胸が締め付けられる。また、たか夫人の手による花木の彩色画、さらには愛用していた礼服をはじめとした様々な遺品が、館内狭しと並べられ、訪問者を温かく迎えてくれる。

記念館の隣には「鈴木貫太郎翁邸跡」が併設されている。地元の人たちは親しみを込めて「貫太郎翁」と呼んでいることが鮮やかに示されている。そして「終戦総理大臣」と敢えて大書することで、貫太郎以外は成し得なかったであろう終戦処理の大任を果たしたという貫太郎の大きな功績を称えているのだ。

この場所はかつて、当時民主党の代表だった小沢一郎が選挙運動の第一声を挙げたところでもある。所謂「辻立ち」と称して選挙演説をぶっていたのが、当時の全国ニュースで放映された。総理大臣当時の麻生太郎もまたこの場で選挙演説し「負けっぷりよくしなけばいけない」云々の貫太郎と吉田茂とのエピソードを語っている。

両者共に貫太郎翁の威光にあやかろうという魂胆が見えみえだが、残念ながら貫太郎翁の前では小さなガキ子供のように映ってしまう。政治家が尊敬する先達にあやかりたいのも理解できるが、真に有権者にアピールしようとするのならば、せめて貫太郎翁の懐の巨きさや清濁併せ呑む政治家の資質くらいは学びとってからにして欲しいものである。

■野田市鈴木貫太郎記念館
千葉県野田市関宿町1273番地
TEL 04-7196-0102

デミグラスソースで味わう洋風オムライス

オムライスとは元々洋風料理ではあるが、かつて食べてきたオムライスといえば、チキンライスにケチャップ味という、和風洋食の味わいが濃厚に漂っていたものだ。卵料理の中でももっともその恵みをストレートに味わえる大衆料理として、長らく日本人の舌と胃袋を満足させてきていたのである。そんな料理を総称して「洋食」と呼ぶ慣わしが定着している。

ところで先日食した「オムライス」は、宵の後には仏蘭西酒場としてワインバーとなる、今時流行の店舗である。昼間からワインを注文することも出来る訳も無く、ランチメニューで「オムライス」を食したのだ。

卵はホクホクとして活きが良く、半熟卵の香りが鼻を突くくらいに濃厚である。バターの香りも漂っていたのでカロリーも相当なものであったと推察するのだ。

ワインを好む仏蘭西人は、例えば麦酒大好きの独逸人に比べてメタボ度が低いと見ていたのだが、こんな高カロリー食を摂取していてはメタボ度も高いに相違ないと感じさせる。つまりはそれくらいにガツンとして、胃袋を刺激する濃厚な味わいなのでありました。