山芋の磯辺揚げにほっこり満足
TV番組とはこうにも詰まらない代物だったのか
TV番組編成替えがこの時期の様であり、どのチャンネルをひねっても特番だらけのウイークの様でもある。
TV人間ではないおいらにとってTV番組とは、今では雑音、雑ビジュアル、雑動画…等々の類でしかないメディアなのだ。
幼少の頃からニュース報道番組に対しては人並(子供並)外れた好奇心を抱いていたこともあったが、今やそれらのジャンルは、ITニュースをはじめとするITメディアにとって替わられている。
例えば先日の台風襲来の日などは、ツイッター掲示板にてターミナル駅の混雑ぶりや列車の運行状況を把握することが出来たのであった。こうした痒いところに手が届くくらいの情報ツールとしては最早ITメディアはTVを遥かに凌いでいる。
最近のTVツールはと云えば一々にチャンネルをひねる必要もなくリモコン操作での変更が容易であるので、色々なチャンネルをチェックしていたのだが、やはり何処もが詰まらない番組の垂れ流しをしていたのを目の当たりにしたのだった。
大衆迎合ツールとしてのTVは、最早、ニュース報道を伝える意義も消え失せて、娯楽ツールとしての意義も失せつつある。いずれは泡沫メディアとしての地位に陥るのは必定の感がある。TV番組とはこうにも詰まらない代物だったのか。
「青森産」の表示につられ「にんにく醤油漬け」をどか食い
1片が2cm以上、3cmはあろうかという大型の「にんにく醤油漬け」を注文したところ、たっぷり8片もの大降りが出てきたのでびっくり、結局どか食いしてしまったので、この後が些か怖いという思いの今宵なのである。
そもそもおいらを含めての呑部衛にとってはにんにく料理は肝の臓をはじめ内蔵の健康維持には欠くことができない代物なのだ。醤油漬けにされたにんにくはさっぱりしていて確かに美味く、なおかつにおいもほとんど気にならない。
おいらも常に、ことある毎に、少しずつはにんにく料理を摂取しているが、だがしかしながら今宵の注文したメニューには困ってしまった。
何しろ量が多いのである。大降りのにんにく片が、数えたところ8片もあったので、これは何でも多すぎかと…、全部食べたら取り過ぎではないかと…、店内では可成り迷っていたのであったが、結局全部平らげて店を出たのだった。
理性的に改めて考えてみたら、例えば昼食の九州豚骨ラーメンでついてくるにんにくを絞って乗せてもせいぜい1〜2個、串焼きで食するにしても4〜5個が限界だろうと思われる。それ以上のにんにくパワーは副作用をもたらすのではないか? それに比べて何とまあ大量のにんにくを胃袋、腸にも押し付けてしまったことやら。
ただ何となくではあるが、明日の体調がいと心配な今宵となったのでありました。
野菜と鶏肉の旨みが凝縮のタジン鍋料理
北アフリカのモロッコが発祥とされる「タジン鍋」。前々から興味があったが購入するのはためらっていたのだが、この程外食にてこのタジン鍋を味わうことが出来た。
上にかぶせる、とんがりハットのような独特の蓋が特徴的だが、これには形のユニークさばかりでなく、トロッコならではの伝統料理の理由がある。細くなった蓋の上部には素材から滲み出た水分が水蒸気となって充満しやがて滴り落ちた水分が容器の隙間をふさぐので、鍋の中が密封状態となる。肉や野菜類の香り、栄養素を閉じ込めるという、とても意義深い鍋なのだ。
出てきた料理は、鶏肉にキャベツ、人参、玉葱等々の野菜を入れて、少量の水を加えて蒸し焼きにすしたものだ。水を使わずに野菜の水分だけで調理する方法もあるようだが、多少の水を加えたほうが、味はマイルドになる。鶏肉と野菜から滲み出た出汁で味付けは充分だが、今回の料理にはここにユズ胡椒が添えられていて、ピリッとアクセントが効いていた。
旬の野菜や新鮮な肉類があればそれだけで立派な料理に仕上がるのだから、タジン鍋料理というのは道理に適った、非常に奥深いものがあるのである。
機会があったら調理器具売り場などで探してみたくなった。先日は書店で「シリコンタジン鍋」なるものを発見。電子レンジ料理専用だと云う。中身が見て触れたので早速手にしたところ、ぐにゃっという感触が何とも頼りなく、いただけなく、違和感の賜物だった。やはり鍋と云うからには硬くてしっかりした素材のものが欲しいものだ。
富士山が平年より早く初冠雪、夏も漸く終わりか
季節の移り目に油断したのか、今日目が覚めたら悪寒がして吐き気ももよおし、終日気分がさえない。ここは早めに床に入って、じっくりと睡眠を取るに限ると考えているところだ。
確かに今朝は想像以上に気温が低かった。富士山が平年より6日ほど早く初冠雪したというのもうなずける。
サザエのつぼ焼きはホッピーに良く合うことを発見
サザエのつぼ焼きを味わった。思い返せば久しぶりだった。何年ぶりだろうか…。
地元でたまに足を止めて入る居酒屋だったのだが、そこは生きの良い食材が魅力的な店なので、たまにであるが懇意にしている場所である。
サザエはもとよりおいらの好物である。肝の美味さといつたらこの上ないくらいだ。その昔は伊豆だとか特殊な海浜地方に旅しなければ口にすることさえ出来かねていたという貴重な食材なり。
だが近頃はといえば、ちょっとした料亭だか日本料理店だかに足を運べば簡単に口にすることができるという、だが、おいらはそんな料亭だか日本料理店だかに足を運ぶ軍資金が足りないのであった為、ここ数年来はずっと我慢をし続けていたのであろう。そしてふと、地元の居酒屋にてメニューを目にし、先ずは注文と相成ったのである。
特に旬の時期と云うものは無いようだ、それにしても大降りで、殻の風体もピカピカしていたのでてっきり今が旬なのかと思いながら、一口ひとくちと口にしていた。海の潮の香りというものを味わうにはこれ以上の食材は無いかと云えるくらいの、ピカピカの香りが鼻を突いたのであった。
ところで話題は大衆的な方へと向かうのだが、大人気漫画&アニメの「サザエさん」の主人公が「サザエ」だということにはかねてから一抹以上の甚大な違和感を抱いていたものである。
サザエと聞いてピンとくるのは、あの毒々しくしてグロテスク、決して奇麗ではなく美や愛をイメージさせることが無い、云わば悪魔的ネーミングである。如何なる理由にて作者は「サザエさん」をネーミングしたのであろうかと?
女性ホルモン豊富だと云う「コブクロ(子宮)」を味わう
豚や牛の子宮を串焼きにしたのが「コブクロ」である。
人間を含めて女性の哺乳類における生殖器のひとつであり、これを食すると云うことは女性器の一つを身体に含めると云う行為を指しているのであり、これはおいらも含めて男性人にとっての、所謂一つの女性ホルモン摂取の行為ではないかと考えているところなのである。
食感はと云えばおいらが大好きな種類の、適度にもっちりそしてまた、コリコリとして、噛み応え充分ありである。炭火焼にすればもっちりとして中に芯が通って、とても筆舌に尽くし難いと云って良いくらいである。
男子たるべき人間が、簡単に味わってはいかんという構えは持っていたはずだが、ついつい欲に任せて注文してしまうのだ。
ところではてな、女性人はどうなのだろうか? あまり焼肉、焼トン店にて女性が「コブクロ」を突付いている姿は記憶に無いものである。それはもしかして、無きもの欲しさの食欲なのであろうか?
首都直撃の台風で帰宅困難者となった夜
首都圏を直撃した台風15号の影響で、都内のJR全線が一時ストップ。おかげでおいらも帰宅難民となってしまった。
ターミナル駅で立ちすくんでいても埒があかないと考え、おいらは手帳にメモが残っていた下町の格安ホテルに電話をしたところ、運良く空き部屋があることを確認しそして予約をし、一泊することになった。
先ほどのTVニュースを見てもまだJR中央線の立川から先が運行見合わせだという。何時間待っても結局は帰れなかった可能性が高いのだ。首都の交通網は想像以上に脆いものだということを実感している。
そしてもう一つの意外感は、都内に膨大な帰宅難民が発生している中で、地下鉄で10数分の駅近ホテルががらがらだという事実だ。ここは「エコノミーホテル」と称しているくらいに宿泊料金も二千円台と格安なのだが…。
一言で云えば認知度不足ということなのだろうか? だとしたところで需給バランスの崩れとというものはいかんともしがたい。下町の居住環境の良さを知らない都民が多いという印象が大なのである。
しかも此処は宿泊者用のパソコンが設置され、無線LAN環境まで提供されている。海外からのバックパッカー御用達であるが、日本の旅行者にもお勧めの場所なのだ。
「鯖の漬け」と云う風変わりな料理でフレッシュな鯖を堪能した
先日ふと立ち寄った下町の居酒屋で「鯖の漬け」というメニューを味わった。青森県八戸産だそうであり、その鮮度は申し分ない。通常は鯖の生魚は酢で〆られた「〆鯖」として提供されるものだが、此処では「〆鯖」の他にあるこのメニューで、醤油ベースの漬け汁に漬けて出されるようなのだ。
最初の見た目はと云えば、写真に撮影したとおりであり、ギラギラとした脂ぎった鯖特有の光沢が目に飛び込んでくる。だが意外にマイルドである。とんがった視覚や食感、味覚は感じられなかった。それ以上に云えば実にマイルドな食感だったと云って良い。
鯖はよく知られているように足の速い魚である。だからその味を安定的に保たねばならない。酢で〆れば所謂賞味期限、消費期限といったものが長く設定できるのだから、大体は生の鯖を扱うときには酢で〆るのが常識である。だが今回出逢った下町の居酒屋で「鯖の漬け」を口にして、〆鯖ばかりが鯖料理ではないと云うことを実感したのだった。
また今度、機会があったらその下町の「鯖の漬け」を食べに行きたいと思った。それくらいにインパクトのあるメニューであった。
尾崎豊ハウスがホーメストの家に建て替えされるという
1992年(平成4年)4月25日に26歳と云う短い生涯を閉じた天才シンガー、尾崎豊。彼が最期の日に倒れていたのを見つけて手厚く介抱をし、病院への搬送を行なっていたのが小峰さんであり、小峰さん宅は今からもう19年と数ヶ月の間ずっと、「尾崎ハウス」と呼ばれ続け、その後小峰さんの家には、全国からの尾崎豊のファンが訪れるようになっていた。
その倒れていた日に運ばれた病院から何故か自宅マンションへと戻された尾崎豊はその日のうちに容態が悪化し、死ななくてよいはずの身であったはずだが基本的な生命維持の治療も施されることなくとても残念な不遇の死を遂げてしまったのである。
そんなファンにとっては忘れられない「尾崎豊ハウス」が改築されるというニュースに接したおいらは、おいらにとっても非常に思い出深い、古くからのそのハウスを目に焼き付けたくなり、訪れていたのだった。京成本線「千住大橋」駅から徒歩で5分程度の下町の住宅地である。近くには「中央卸売市場足立市場」という卸市場が控えている。もっとずっと前からその場所は通称「やっちゃば」と呼ばれる下町の市場であり、「やっちゃば通り」という歴史的街道も近くには残されている。戦時中の大空襲にも焼かれることなく下町住宅地の風情を今なお残している一帯に「尾崎豊ハウス」が在るのだ。
5~6回は訪れたろうか、その場所へ何年かぶりに訪れていた。ドア扉は締め切っており、中には人の気配は無かった。たしか4畳半の部屋の壁面には大きな建築計画の看板が掛けられていた。マスコミ情報によればこの9月末までに旧ハウスが取り壊されるとのこと。そして新しくホーメストの家が建立されることになる。
話はだぶるが、おいらも20年あまりの間に何度かハウスを訪れ、天才尾崎豊を介して、若い人たちとの貴重な交流を得ていた。若いファンがこの場に集どるのは尾崎豊さんだけではなくて、小峰さん家族の人たちの、厚い心により添って集まってくると云うものではあった。若い人、特に甚大な悩みを抱えている人たちをも、小峰さんが受け入れていたのだ。
つまりは此処は、そんな特別な場所だったのである。古き「尾崎豊ハウス」のレクイエムを歌いたい気分でこの場所を訪れ、そしてあとにしたのだ。近くの「やっちゃば街道」添いには地味だが白いユリ科の花が咲いていて来る訪問者を歓迎しているようだった。花言葉は「純潔」という。まさに尾崎豊さんのハウスに相応しい。
インパクトを増した川上弘美さんの短編集「どこから行っても遠い町」
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文庫版の新刊コーナーにならべられていて、その魅力的なタイトルに惹かれて手に取ったところ、そのまま魅了されて購入して読み進めていた一冊だ。最近のおいらの読書傾向でもあった、途中で読書放棄などすることなく、云わば順調に読了することを可能にし読み終えたのだった。
かつて芥川賞受賞作「蛇を踏む」に接し、川上さんの独特で不思議な作品世界に魅了されて以来、文芸誌等では何度か彼女の作品を読んだことはあったにせよ、まとまった作品集として読み進めたのは稀であった。
今回手に取った作品集は予想以上にわくわくさせられた。尚且つ以前の川上さんの作品から得た手応えとは異質のものであったのだ。
今回の作品集から独特な手応えとして受け止めていたものは、何だったのかを改めて考えてみた。その一つが死者からの視線だ。
この小説集では何人もが死んでいる。何人もの死者が登場するばかりか、死者がいなければ成り立たないプロットで物語が進められていく。連作短編集として重要な某章ではなんと、死者が主人公を張っているくらいなのだから、おいらの分析もなまじ外れているとは云えないのだ。死者と生者との交流といったやや劇薬じみた味付けを加味されながら、実に川上さん一流のドラマが流れていく。そんな物語を追いつつ、読者としての恍惚感やカタストロフィーに浸ることが出来たのだ。まさに傑作短編集に値する一冊だったのだ。
一見日常的な体裁をまとっていながら、実は非日常的なプロットを、作者はそっと提供しつつ、物語を一段と高い人々の日常生活に持っていくのだが、そんな作家の狙いはそれこそまさに川上さんの独壇場とも云えるのだ。
ファンモンのメッカ八王子「宮城」でつけ麺を味わった
本日は福岡にて「HIGHER GROUND 2011」が開催されている。ファンモンをはじめとして人気ミュージシャンが集ってイベントを行なうと云うので、地元のファンモンファンにとっては気が気ではないようなのである。そうした八王子周辺のファンが集うのが、別名「ラーメンのデパート」こと「宮城」である。
ちょうど本日はといえば、九州の福岡市において「HIGHER GROUND 2011」というイベントが開催された。ファンモンをはじめとして人気ミュージシャンが集い、ライブなイベントを行なうと云うことであり、ファンならば皆駆けつけたかったイベントだったのかと思われる。だが実は、都内のファンモンのファンは九州には駆けつけずに、地元のラーメン店にてその彼らの活躍を見守っていると云う光景が目に焼きついているのだ。
何しろこの数日間は残暑で厚かった、それにかてて加えて、冷めて行く様子さえも示されるぬままに熱い日々を凌ぎきっていく他にはなかったと云うことなのだった。
ファンモンの活躍も中々リアルタイムには把握できずにいたのだった。ファンモンのファンは全国中に多数いるのはみえているが、彼ら彼女らが求めているのは、遠くのライブ会場にてイベントに精を出すと云うことではなくて、地元のファンに対して暖かいフォローをして欲しいと云うことなのだろうと感じさせた。
そんなフォローを求めて、八王子地元のファンモンファンたちはこの「宮城」に集まっているのである。
美味い茄子料理は「焼き茄子」にかぎるのだ
秋茄子が断然に美味い季節である。この時期になると、秋刀魚、茸、等々をおいても何よりも茄子が食べたくなる。夏の茄子よりも秋の茄子が美味いということをいつしか知ってしまった時からの習わしと云っても良い。
美味い茄子には余計な調理は必要ない。とはいっても簡単な調理で済ませれば良いという訳ではなく、おいらのおすすめは「焼き茄子」、特に炭火で丁寧に焼いて仕上げたものは格別の味わいなのである。
おいらはこの焼き茄子が食べたくなると訪れる店が在る。ここでは名を伏せるが、そこの焼き茄子の調理法は極めてシンプルかつ大胆だ。
まずは大降りの茄子を炭火の上にのせる。この炭とは焼き鳥やその他数々の焼き物を調理する、調理場における大変な場所となっているのだが、兎に角もそこにのせていく、皮もへたもそのままに炭の上にのせるのだ。
そして焼け焦げないように丁寧にひっくり返しながら、実がじゅーじゅーと体液を滲み出していくのを待つのだ。その時間は3〜4分といったところか、決して長い時間ではない。キビキビとした仕事が求められるという年季の入った職人技なのである。
決して焦がさぬようにしてしかもじゅーじゅーと茄子の体液が溢れ出るくらいになったら、焼き場は終了して奥の調理場へと運ばれる。そこでは熱々の茄子の皮を素手で剥いでいくという、これまた極めて年季の入った職人技が施行されていく。極めて地味な作業ではあるが、へたな機械を使ったりしたら台無しなのだ。あくまでも素手で焼いた茄子の熱々の皮を剥いでいくのである。
良き素材に職人芸がプラスされたら、余計な味付けは禁物なり。削り節を振り掛けて運ばれる。それにショウガ醤油を控えめにかけたらば完成である。
ほかほかとして肉厚の茄子の実からはじゅーじゅーとして溢れ出る茄子本来のエキスが充溢している。それを箸でつまんで口に入れる時の、何とも云えない満足感。これこそ秋の恵みの王者ではないかと感じるくらいだ。
雑穀米の「健康ごはん」を求めて御徒町小町食堂へと足が向く
おいらは米のご飯が大好きであり、以前には玄米ご飯に凝って毎日毎日玄米ご飯の弁当を作っていたこともあった。だが近頃はといえば白米中心なのだし、それも自宅で炊くことが少なくなってしまった。玄米ご飯を炊くには、選ぶ玄米について農薬の少ないものを選ぶ必要があり、そんな良質の玄米を入手できなくなったということが大きな要因である。
そんな中で、雑穀米の需要は高まっており、おいらもときどき、雑穀米ご飯を求めて御徒町小町食堂へと足が向くのだ。
この食堂はといえば、先ず驚かされるのが24時間営業の食堂であるということ。夜の食堂に立ち寄ってみると、ビールとコロッケといったメニューで一献やっている人が多いのだ。おいらもその伝に便乗して注文し、やってみたらば意外やうける、面白い飲食処であるということを発見した。これから益々この場所で、一献傾けたくなったという思いを強くしたのだ。
■御徒町小町食堂
東京都台東区台東3-15-1
03-3834-1801
トリ貝ときのこの炒め料理に秋を感じる

秋の代表的食材であるきのこがたっぷり、そして生きの良いトリ貝をあわせてバターで炒めた料理。これがなかなかいけたのだ。
豚や鶏肉ではなく旬の貝を用いているのがミソ。テーマは秋ということであり、いつもよりちょっとばかり贅沢気分になれたのでした。
きのこ料理がこれからますます楽しみな季節だ。残暑が厳しいなかでまだ鍋料理は遠いようだが、もう少しす研究しておきたいと思ったのだ。
希少部位だが適応外「マグロの卵炙り焼き」を味わう
世の中には殊に日本の食事処には、マグロにこだわって提供する類の店が多い。おいらもそんな店にはたまには足を運びたくなり、マグロの希少部位などを味わったりしているのだ。
中央線を途中下車して訪れたその店では、マグロの中落ち、赤身をはじめとして様々な部位を提供している。本来は「カツオ派」のおいらではあるがたまにはライバルの「マグロ」の味を堪能したくなることもあるものなのだ。そんなときに立ち寄る店のひとつがここだった。
本日メニューに載っていたものの中から「本マグロの卵炙り焼き」を注文した。マグロの卵といってもイメージが湧かない。一体どういうものかという好奇心が先に立っていた。少し時間が経つと、店先でバーナーで何かを炙る光景を目にしていた。そして提供されたのが上の写真であった。
出てきた料理は熱い鉄板に乗っていた。店員から「熱いですから気をつけてください」と云われ恐るおそる箸を付けてみたところ、塩漬けする前のタラコのような魚卵を目に焼き付けていた。かといって形よい袋に包まれているのではなくしてドーンと中身が投げ出されているような姿形である。箸を付けて口に含むと、タラコよりも大味だがポクポクとした魚卵の食感が刺激的だ。塩漬けなどもしていないのだろう、淡白であるが甘味がぎゅっと詰まっていて、満足溢れる食べ応えである。
思わずその逸品料理に溺れるくらいになっていた。だがハッと気付いたのは、それが魚卵だと云うこと、すなわちプリン体が沢山含まれた食材であり、通風持ちのおいらにとっての適用外のものであったのだ。だがタラコと同様においらはこの味の魅力を知ってしまったから大変だ。
これから時々はこの「マグロの卵」料理を求めて中央線を途中下車してしまうかもしれない。オーマイガッ!
北の海鮮がどっさりの「北海丼」に舌づつみなのだ

うに、蟹、イクラ、ホタテという人気海鮮がどっさり乗っかった「海鮮丼」。確かメニューには「北海丼」と書いてあった。ランチだとこれで800円。夜注文したら倍くらいは請求されるだろうか。
そもそも北海丼と称するには北海道でとれた食材を丼にしたものであるはずだ。うに、蟹、イクラ、ホタテもそれぞれに北国の香りを感じるが、こと「ホタテ」については北海道よりも青物が本場であり、実際の流通量も圧倒的に青森が強いはずである。
この丼に「ホタテ」が乗っていてとても美味かった、つまりは味の〆を演じていたと見ているのだ。つまりホタテは陰の主役でもあった。北海道の人気海産物を前にして、多分青森のホタテは影が薄かったかもしれないが、これが在ったからこその味のハーモニーとでも云えるのであり、おいらは断然に青森のホタテにこれからもずっと愛着を持っていたいと感じたのである。
八王子河原敷でのイベント「みんなちがってみんないい」
八王子市内を流れる浅川の河原敷で「みんなちがってみんないい」というイベントが開催された。
http://homepage3.nifty.com/minnatigau/
生憎ちょうど昨日は、自転車がパンクして修理に出していたりした為、距離にして3~4kmほどの道のりを歩いて、その会場に向かうこととなった。秋に入ったとはいえ直射日光は直に川沿いを歩くおいらを襲い、会場に到達する頃には汗がだくだくと流れて止まることが無かった。
これまでも都内への通勤や自転車による駅と自宅との行き来やらではの行動で、一定の身体活動は行なってきているのであるが、改めて長距離の散歩を行なうと云う事態に直面して、健康生活への自覚を深めたものとなっていたようである。
会場に到着した時刻は既に昼時を過ぎていたこともあり、タイ屋台料理の春雨炒めにぱくついたりしていた。その料理は想像以上に刺激的においらの口腔内と喉とエスニックな辛味で満たしていたのだ。
会場には国際色豊かな食べ物を提供する店舗のほか、2箇所に設けられたステージ上での音楽演奏、パフォーマンス、さらには東北大震災を撮影した2人の写真家による展示会など、様々なイベントが息づいていた。
青い空と白い雲の下に広がる河原を舞台にした祭り会場には、家族連れ参加者が多くみられ、綺麗な水の流れる浅川に入って水遊びをする光景が、自然と目に入ってくる。都内にもまだまだこんな場所があるのだ。
改めて書くのもなんだが、このイベントのタイトル「みんなちがってみんないい」は、童謡詩人として活躍した金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」の詩から引用されたものである。時代が移り変わっても決して褪せることのない、生命の尊さが瑞々しく表現されており、おいらも大好きな一編である。素朴でいてわかりやすいこの詩をここに掲載させていただきたい。
―――――
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
TVでの池上彰解説のどじょう内閣賛歌は異様だったが…
新聞報道等によれば、野田佳彦新総理の評判がなかなか良いそうだ。
新聞各社の調査によれば軒並み60%以上の支持率ということであり、戦後内閣の何番目だとか云う報道がされていた。本日のTV番組でも池上彰という元NHK子供番組担当者が小学校の社会科授業よろしく、野田首相の高支持率の解説などを行なっていたのであり、またまたTV芸者よろしく復帰したい意向のようなのでもある。
低姿勢であり慎重、かつ周囲への目配りもよろしいと云うのが理由のようだが、新米通商大臣の舌下事件などもあり、内閣自体はそれほどの安定しているとは云えない。自らをどじょうになぞらえた新首相だが、これからどのような日本の舵取りをして行くことになるのか?
野田新政権には期待も何も無いということを前提に、これから述べていくのであるが、どじょうだか何だか知らないが、どじょうの泥の皮がいずれ剥がれていき、そんな泥のはがれた野田氏の素顔は、果たして国民にどう映っていくのだろうか?
泥臭くて不細工だったのは実は表の顔であり、いずれは素の顔(泥の皮が剥がれた相貌)をあきらかにさせることが来ることなのだろう。
改めて云うがおいらは何も期待していないのだが、そんなときが来てあたふたするのは民主党関係者のみならず、(協定的活動を行っている)報道関係者や、あるいは自民党等の野党関係者、その他様々な関係者なのかもしれない。
菅直人前総理をコケにしていた輩達に対しては、いずれ刃が己にのしかかってくることはお天道様ならば良くわかっていると思われる。馬鹿者たちの哀れ也候。


















































