「大川美術館」の難波田史男作品に注目

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難波田史男と難波田龍起の共作「海神の詩」

先日訪問した大川美術館では、企画展としての難波田龍起展の他に、同美術館が収蔵する作品からの常設展示室があるのだが、中でも難波田史男作品には特に強い感銘を受けていた。

難波田史男氏とは難波田龍起氏の二男であり父同様に絵画の世界に入ったが、32歳の若さで早逝している。其の作風はシュールリアリズムやアンフォルメルの影響を受けているが彼独特のオリジナリティが高く、自由闊達なイメージの飛翔感は父の龍起氏を凌いでもいるようだ。二男を亡くした龍起氏は、悲しみから一時画筆を起ったとされたが、其の後哀悼の祈りの気持ちを込めて、幽玄漂う抽象作品を制作している。「海神の詩」は史男が描きかけたキャンバスをもとに龍起が絵の具を重ねて完成させたものとされる。注目の一点である。

桐生大川美術館の「難波田龍起展-Tコレクションを中心に」訪問

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群馬県桐生市の大川美術館にて開催されている「難波田龍起展-Tコレクションを中心に」を訪問した。桐生市内の小高い丘に建っている大川美術館では、常設展のコーナーに加えて難波田龍起という作家の作品群が多数展示されている。数年ぶりの訪問であったが、常設展の作品達への再会を含めてとても価値ある訪問となっていた。

■大川美術館
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町3−69

http://okawamuseum.jp/

難波田龍起という作家は、一般にはあまり知られていないようだが、1905年に生を受けたアーティストであり、日本の画壇の中では現代美術史の特別なる地位を有している。それはたとえば戦後の世界の現代美術に対する造詣が強く、クレーやポロック達の画風を真似た作品やらが沢山見受けられていて、西洋の現代美術の伝道者的な一面を持っていたことがしのばれる。つまりは日本の画壇ではとても西洋の現代美術に精通していた作家の一人である。

「江戸東京たてもの園」で「ジブリの立体建造物展」に遭遇

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小金井市の「江戸東京たてもの園」を久しぶりに訪れた。「江戸東京たてもの園」には数回訪れていた。ちょうど此処では「ジブリの立体建物展」という企画展が開催されていたので、それを見ることも一つの目的だった。

ジブリの人気は相変わらずに高いとみえて、大勢の20~30代の若者達の姿が会場に集っていた。ジブリ映画に特別の関心や思い入れがないおいらではあるが、若いアニメファン達と同じ場所にて立っているだけでも様々な触発を受けるに充分ではある。先ずは彼ら、彼女らの眼差しの多くが、セル画に集中しており、ひとえにアニメファンならではの光景の一つである。然しながらおいらはそれら以上に、所謂エスキースの鉛筆画等々の下書きのスケッチに興味を注がざるを得なかった。それら設計図としての下書きスケッチ達の中にこそ、ジブリの監督たちの発想の原点が凝縮されていると思えたからであった。

最も興味を唆られたのが「油屋」という建物の図である。「千と千尋の神隠し」の物語の舞台となった、架空の宿泊施設であり、群馬県四万温泉の「積善館」がモデルとなったとされている。積善館についてはおいらも少し前に宿泊したこともあり、日本最古の湯宿建築としての評価が高まっている。其の建築物の古色蒼然として角の立った粋な佇まいといい、其の場所としてのつぼ的シチュエーションといい、其れ等に稀有な存在感を漂わせる図に対する思いも強く感じ取ることができたのだ。

■江戸東京たてもの園
〒184-0005
東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
042-388-3300(代表)
http://tatemonoen.jp/

「アーツ前橋」で「磯部湯活用プロジェクト」に遭遇

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久しぶりに訪れた「アーツ前橋」では「磯部湯活用プロジェクト」という展示イベントが開催されていた。2013年10月から2014年1月にかけて、アーティストの伊藤存と幸田千依が前橋市内の廃業した銭湯「旧磯部湯」で公開制作と作品展示を行ったのだが、其の時の作品群の再展示とともに新たな作品が公開されたものである。丁度本日が最終日だということでラッキーな遭遇となっていた。

作家幸田千依さんの作品群には、およそ2ヶ月間にわたって銭湯を借り切って制作されたという作品の中には10メートル以上の大作も含まれていた。プール、湖池、等々の水にかかわる風景や、樹木から漏れ出る日射光、等々のイメージやらがキャンバスに描かれ、都会でありながら自然豊かな前橋のイメージのあれこれを徴象しているかのようであり、独特のイメージに惹かれるものがあった。

■磯部湯活用プロジェクト
http://www.artsmaebashi.jp/?p=3811

■アーツ前橋
〒371-0022
群馬県前橋市千代田町5-1-16
TEL 027-230-1144

東京アートミュージアムで「池田龍雄展 -既知と未知と-」開催

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調布市仙川の「東京アートミュージアム」を訪問した。開催中の「池田龍雄展 -既知と未知と-」を鑑賞するためである。戦後のアバンギャルド芸術を牽引した画家の池田龍雄氏については以前よりその名前を見聞していたが、実際に作品群に触れた経験は記憶に無い。それだけ伝説的な存在であったと云えるだろう。今回の展覧会は規模としてはそう大きいものではないが、かねてからの願望が叶えられたという意味においても、貴重なイベントであった。

展覧会の「-既知と未知と-」というサブタイトルは、作品制作の時代が戦後間もない頃のものから極く最近のものにまで亘っているという意味が含まれている。「ドローイング」と銘打たれた1950年制作のスケッチは画家としての初期の息遣いが、遠い時間を超えて聞こえるようである。対してここ2~3年の作品群は基本的な作家のビジョンが大きく羽撃いている姿を彷彿とされる。そのボリューム感とともに圧倒されていたのだ。

■池田龍雄展 -既知と未知と-
2014/9/13~11/30(※開催日は木・金・土・日曜日のみ)
一般500円/大学生400円/小中学生300円

■東京アート・ミュージアム
東京都調布市仙川町1-25-1
TEL 03-3305-8686
http://www.tokyoartmuseum.com/

八王子の佐藤書房で「20世紀のはじまり◯ピカソとクレーの生きた時代」を購入

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地元の古書店にて「20世紀のはじまり◯ピカソとクレーの生きた時代」を発見して思わずに購入。同美術展のカタログを目にして購入したのは何よりも、表紙絵のクレー作「リズミカルな森のラクダ」に魅入ってしまったことからだった。クレーの此の作品は懐かしい遭遇だった。数年前には同展覧会のニュースに接していきたかったが行けなかったというイベント展の図録を目にして迷うことは無かった。帰宅して改めて眺めていたのだが、初めて目にするクレーの作品があふれており、何回、何十回とページをめくっても飽きることが無い。クレー作品ファンとしてのおいらにとっては、貴重な一冊になること間違いない。

購入した地元の古書店「佐藤書房」はおいらも行きつけの店であり、豊富な古書を廉価で販売している。しかも毎日のように店舗前のワゴンセールが開催されて、毎日そのセール品の内容が変わっているのだ。だから毎日のように通っても決して飽きることなど無いのである。

■佐藤書房
東京都八王子市東町12-16
TEL: 042-645-8411
http://satoushobou.sakura.ne.jp/index.html

映画「アナと雪の女王」にみる悪魔性についての考察


先日は映画「アナと雪の女王」を鑑賞したのだった。おいらにとっては子供の頃には大いに興奮した想い出のある久しぶりのディズニー映画であった。実際にこの映画もディズニーらしさが至る所で展開されていていた。独特のテンポあるストーリー展開はディズニーのDNAを思い起こさせていたのであり、アニメーションの先鋭的なテクニックにも酔い痴れるに充分なものである。アニメーションの可能性を追求するという姿勢には、おそらく世界一の評価が与えられるであろう。

だがおいらの心中には釈然としない一抹の違和感が蔓延っており、これまでずっと其れらを消化できずにいた。それは一つには、女王の資質、接するものたちを凍えさせてしまうという悪魔的な資質を、素直に肯定することが出来かねていたからではある。

映画の中の雪の女王は閉ざされた城を出て、その喜びを歌い上げている。

♪ありの~、ままの~、姿見せるのよ~♪

女王であれ人間であるからには誰もが素直な自分自身の姿を、ありのままに見せ、生きていくことなどは当たり前のテーゼではある。ただしながら雪の女王には他者を凍えさせるという、悪魔的な特別な能力があったのであり、即ち自己を主張することが周りの人たちへの加害、攻撃に繋がっているという状況のなかで、そのままで肯定することは難しい。特別な能力を持つ人への不信感か、或いは人間存在の条件を超えているものへの距離感があるのだろう。そもそもは余計なる言葉だけの希望、現実味の無い妄想なんていうものは無い方がいいのである。

東京ステーションギャラリーで「ジャン・フォートリエ展」を鑑賞

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東京駅内のステーションギャラリーでは「ジャン・フォートリエ展」が開催されている。ジャン・フォートリエ氏と云えば、かつて世界のアンフォルメル芸術のムーブメントを牽引した第一人者であり、ジャン・デュビュッフェとともにおいらがもっとも気になっている芸術家の一人であるが、それのにかかわらず此れまでには、フォートリエの作品にはほんの数点しか接することができなかった。本日は漸く時間がとれて東京駅内のステーションギャラリーに足を運んぶことができていたのである。

東京駅構内に設置されたステーション・ギャラリーの、3階から2階にかけてのスペースにおいてジャン・フォートリエ作品が展示されている。まず3階のギャラリースペースに足を踏み入れると其処には彼の初期作品の、いわゆる具象的絵画の数々が展示されている。背景を黒く描いた黒の作品と称される作品や、裸婦を描いた作品群を目にして歩いていくごとに、彼がかつての若き頃には具象絵画を熱心に学び研鑽を積んでいたことを理解していく。フォートリエがフォートリエとして羽ばたく以前の具象的な作品群に接して、おいらは其れ等の膨大さに今更ながらに圧倒されていた。更にはその後に来る彼の運命における重大性にも最大的なるドラマツルギーを感じ取っていたのである。

第二次世界大戦後に、フォートリエは何度目かのブームに巻き込まれることになる。「人質」という作品のシリーズが美術界を大きく賑わしていた。ただし其の頃のフォートリエは世間的な評価とは裏腹に純粋な美術的創造の行為に突き進んでいる時期でもあり、当時の彼が生きて描いて生み出した作品群はまさに戦後のフォートリエ作品の真骨頂なのだということを納得させられていた。

彼の晩年の戦後の作品として展示されていたものたちには大作が多くあり、おいらも念入りに鑑賞をするとともに、稀有なる発見に身を震わせていた。例えば「黒の青」を目の前にすると制作時当時の作家の精神の高揚を感じ取るのであり、或いは「干渉」「草」「永遠の幸福」といった作品を目の前にしては作家の純な制作行為の後追い的ビジョンとなってしまうかのごとくである。「植物」という作品を目の前にしておいらはクレーの「砂の上の植物群」という作品を彷彿とさせられていた。そこには卓越した芸術家同士の魂の交流を視認した思いでもあった。

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■東京ステーションギャラリー
所在地:〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1
連絡先:03-3212-2485
休館日:月曜日

「パウル・クレー 地中海の旅」にみる旅と創作との関係の絶対性

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近著として発刊された「パウル・クレー 地中海の旅」を読んだ。画家パウル・クレーによる地中海への旅と彼の創造的ビジョンとが密接に絡み合っていたということを、丁寧に検証して纏めたという一冊である。旅とはそもそも画家にとっての創造の源であるということを、具体的なクレーの絵画作品を基に解いていくのであり、古今東西を問わずにクレーの作品に魅せられた人々に、多大な興味を惹起させている。同書の筆者こと新藤信氏は「日本パウル・クレー協会」を設立した、わが国におけるパウル・クレー研究の第一人者であり、其れこそがまたクレー作品のもつ国際性、否それ以上の無国籍的なビジョン、広い意味での思想性を明示させているのだ。古今東西を縦断してこのような評価を得ている作家として、パウル・クレーの存在感を浮かび上がらせる名著である。

スイスで生を受けドイツで思春期を過ごしたクレーが地中海へ旅したことは、彼の制作的背景において極めて重要な要素を有していたことを示している。海のある地中海的世界を旅行したことでクレーは色彩を自分のものにすることができた。イタリアをはじめとしてシチリア、南フランス、チュニジア、エジプトといった地中海世界の文化との邂逅が無ければクレー作品の重要な部分が残されなかったのかもしれないということを、説得力のある検証によって明示させている。生涯にわたり旅への志向を持ち続けたクレーは旅の節目節目で紀行文と呼ぶべき文章を残している。クレーによる旅の途中のエピソードの数々は「日記」として彼自身の記述で記録され残されている。クレーの日記からの抜粋ととともに時々の作品をながめるだけでもクレー世界に引き込まれてしまう。ヨーロッパ圏から遠く離れた日本のファンを魅了してしまうクレーこそは、近代絵画のヒーローの名に値すると云っても過言ではないだろう。

ゲーテによる「イタリア紀行」を愛読していたクレーはまた、ゲーテが旅した軌跡を追体験しながら創作活動に彩りを付加していたのに違いない。地中海への旅によって色彩を自分のものにしたと語っているクレーにとっては、まさに、異国の地との邂逅によって得られた化学反応が創作活動エネルギーとして貫かれていたということを理解させてくれるのである。

佐藤泰志原作の映画「そこのみにて光輝く」を鑑賞


題名の「そこ」とは全てを捨て去った状況においての男と女の愛だと云うべきなのか…? 観賞後はまるで信じ難い結末が深くて重い感動の坩堝として渦巻かせていた。解釈は観た人々により夫々だが、この映画が訴えかけているテーマの重さは流石にズドン! と魂の奥深くを揺るがせずにはおかなかったのであった。

舞台は北海道の函館の、海と山とに囲まれた郊外。そんな場所に生きる行き場の無い状況に居る男と女たちが主役の物語である。「男」は山での仕事をある事件がきっかけにより逃避することを余儀なくされ、「女」は重く苦しい家族たちとのしがらみから逃れることが出来ずに、身体を売る生活に溺れかけて居る。逃れている男が求める求愛を逃れ得ない女は初めは拒絶してしまうのだが、次第次第に男と女の溝は埋められつつ行き場の無い愛の営みが芽生えていた。

そんなときにもう一人の重要登場人物の弟、即ち女の弟が引き起こす傷害事件により、行き場の無い状況が一気に動き始めて行くのだった。様々な犠牲を経て後に光り輝く瞬間が訪れていた。久しぶりに上質な日本映画に感動を受けていた。重く苦しく不条理な現実世界を反映したリアルなストーリーの果てのロマンを描いた同作品には、重く狂おしい感動を感じ取っていたのであった。

井上真央主演の映画「白ゆき姫殺人事件」を鑑賞

井上真央主演の映画「白ゆき姫殺人事件」を鑑賞した。映画館へはほとんど期待無しに足を運んだ。先日読んだ湊かなえさんの原作本にはがっかりしていたからだ。ただし主演の井上真央さんに関しては、演技はとても観たいという念を強くしていたのだ。美人顔女優の井上真央嬢が「目立たない地味なOL」の役を演じるという。ネット上で視聴した予告編ムービーでの演技は彼女の存在感が際立っており、若手女優の中で特筆すべきものを持っていることは確かである。余談だが、絶世の美女として役割分担している菜々緒という女優には、美人でモデル顔といった以外の取柄を感じさせない。極めて軽薄で影が薄いのだ。キャスティングにはもうひと工夫あっても良いだろうという第一印象なのだ。

作品のテーマである、ネットやマスコミ媒体を通した誹謗中傷、不確実情報や噂の拡散、Twitterを始めとするソーシャルメディアを取巻くユーザー達の不条理性、等々については、脚本が原作の足りない処を補っている印象であり、重層的な展開に技を感じ取ることができた。同名の小説と映画の二作を並べてみれば、映画製作のために湊かなえさんの原作小説が、云わば矮小化されたプロット提供作品として利用されていた。おいらの想像だが、湊さんの小説執筆に関しての充分な時間やその他環境が満たされていなかったのではないか?

「アーツ前橋」にて「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ」展に出逢ったのだ

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3/15(土)から前橋の「アーツ前橋」にて「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ」展が開催されている。

■アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16
www.artsmaebashi.jp

白川昌生氏のプロフィールとは、下記の通りでぁ。。

「1948年福岡県北九州市戸畑生まれ。1970年に渡欧、ストラスブール大学文学部哲学科にて哲学を専攻。1974年パリ国立美術学校入学、1981年国立デュッセルドルフ美術大学を卒業、マイスターの称号を受ける。1983年に帰国し、1993年に地域とアートをつなぐ美術活動団体「場所・群馬」を創設。2002年北九州ビエンナーレでの「アートと経済の恋愛学」(北九州市立美術館)、2007年「フィールドキャラバン計画」(群馬県立近代美術館)など、国内外で活躍する。美術家としての活動の他に評論執筆活動も盛んに行う。主な著書に(以下、いずれも水声社)『日本のダダ1920-1970』(1988・2005)、『美術、市場、地域通貨をめぐって』(2001)、『美術・記憶・生』(2007)、『美術館・動物園・精神科施設』(2010)など。1970年代にフランス/ドイツに滞在し、当時の欧米における芸術運動に触れ、帰国後は群馬にアトリエを構え、現在まで赤城山の麓で制作活動を続けている」

とのこと。群馬県にも縁のあるアーティストの一人のようだ。ダダイズムに影響を受けたと見えて、反体制、反芸術、等々のメッセージが会場に蔓延している。殊に、芸術作品を売って生計を得ていないことが氏のアイデンティティーでも在るようなのだ。

巨きな立体作品たちは、此の会場にマッチしており、おいらもまた会場に設置された作品の数々には圧倒されていたと云ってよい。どれもこれもが此の会場にマッチしているように見え、企画展の意図は十全に受け止めることが出来た。

銀座「なびす画廊」の「竹之内佑太 In-teg-ra CeRa」展

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銀座一丁目の「なびす画廊」にて、「竹之内佑太 In-teg-ra CeRa」展が開催されている。

http://www.nabis-g.com/exhibition/2014/takenouchi-y.html

そもそものきっかけは、昨年9月、銀座奥野ビル内のギャラリーにて竹之内氏の個展に遭遇。当時の個展会場にてセラミック素材を元にした立体作品が狭い会場に入りきれないほどの自己主張をしていたことを思い出し、新しい制作展の会場へと足を運んでいたのだ。

今回の会場は個展を開くには充分過ぎるくらいのスペースがあり、そんな会場にはさらにパワーアップしたセラミック製の作品群で満たされていた。前回個展の骨太さは影を潜め、其れら作品にはまろやかに施された質感が親しみを深めていた。作品と向き合うおいらを始めとする鑑賞者たちとの距離感がいやがおうにも縮まったという瞬間を体験。深く記憶に刻み込むこととなったのである。

新宿で話題の映画「愛の渦」を鑑賞

新宿の「テアトル新宿」にて「愛の渦」という映画を鑑賞した。
http://youtu.be/3ZgjONaGH1g

所謂「乱交パーティー」の現場が舞台となり、其の場所に集った10名+舞台関係者たちの、下関係に集中された人間模様が描かれている。男女の性欲とそれにまつわる遣り取りなどがテーマとなった映画である。ただし主には性交場面以上にタオルをまとった男女たちの会話が場面のほとんどを占めている。それほどにはエロ的な映画ではなかった。エロ場面ばかりを期待したら裏切られるだろう。

主役を張っていたのが、女子大生役の門脇麦とニート役の池松壮亮の二人である。恋愛やセックス事情には疎くて初々しいというキャラクターが設定されていた。どちらの役者についても詳しくはないが、女優のほうにはテレビCMで目にしていたという記憶が高かった。東京ガスのCMである。ダンスが上手で主役の座を争っていたという設定だったと記憶している。そんな門脇譲の演技はとても新鮮であり、おいらもまた、女子大生役という設定にも累乗されて役の設定以上の連想的な、あるいは妄想的なビジョンを露にしていたと云ってよい。

「八王子夢美術館」にて「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞

「八王子夢美術館」にて開催されている「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞したのだ。
http://www.yumebi.com/
昨日から開催されている「八王子画廊散歩」のイベントで、八王子市内9軒の画廊、ギャラリーをスタンプラリーで巡り、参加画廊全てのスタンプがたまると「八王子夢美術館」での鑑賞券が無料になると云ったイベントを利用しての鑑賞であった。本日の夢美術館におけるテーマは「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」ということである。あまり気乗りはしなかったが、無料鑑賞券を求めて夢美術館の会場へと足を運んだ。

夢美術館の会場では、江戸時代の美人画の大家とされる喜多川歌麿を中心にして、彼の弟子や同時代の江戸期における浮世絵師の作品約120点が展示されている。これだけの点数の浮世絵師たちの作品を一堂に会して鑑賞したことはこれまで無かったことであり、けっして無駄な時間を費やしたということではない。これはこれで価値ある企画展ではある。

喜多川歌麿や彼の弟子たちによって描かれた浮世絵やら錦絵やらの女性は、顔は下膨れであり目元はぱっちりとは云い難い、云わば江戸時代にのみ通用する美人の条件ではあり、とても現代における美人の其れとは一致することが無い。下膨れの目元切れ長でどんより、その他多くの条件において喜多川歌麿の時代と今現在という時代とは、隔世の感がある。そんなことを印象深く抱いていた。

今年も恒例の「八王子画廊散歩」がスタート

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毎年3月になると開催される八王子のアートイベント「八王子画廊散歩」が本日スタートした。今回おいらが作品出展しているのは「ことのは」というギャラリースペースである。

■第17回八王子画廊散歩
3月6日(木)〜3月11日(火)
開廊:11:00〜19:00(最終日は17:00まで)
https://www.facebook.com/garousanpo

■ことのは
東京都八王子市万町38-2

地元八王子の美術作家の多くが参加するイベントであり、毎回少なからずの刺激を受けている。作品を前にして批評し合うやりとりもまた楽しいものだ。

高崎市美術館にて「石澤久夫の仕事―自然への語らい」展が開催

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群馬県出身の画家こと石澤久夫氏の個展が高崎市美術館にて開催中である。

■石澤久夫の仕事―自然への語らい
高崎市美術館
群馬県高崎市八島町110-27
電話 027-324-6125

彼の出生地は旧群馬郡だが現在は高崎市に編入されており、高崎工業高校を卒業するなどと特に高崎市に馴染みが深い。となり町だが同じく群馬県出身のおいらにとっても非常に気になる作家の一人だった。

この度高崎市美術館の同展覧会に遭遇し、一堂に会された石澤久夫氏の作品に接することができたのだ。ある種のアンフォルメル絵画にも似ているが、抽象絵画の範疇には属さない。それが石澤氏の自然との語らい、対話にあるとされている。原風景として接した上州の自然に触発された作品の数々がとても新鮮であった。

自然との語らいの中で生ずるイメージの数々には、女性の様々な裸像が深く刻まれている。原風景との語らいの中には性の目覚めとそれにまつわるエピソードが含まれている。

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美術館に併設している「旧井上房一郎邸」には、石澤氏のパトロン的な役割を担っていた井上氏の個人的なコレクション作品が展示されている。題名は「森にある恋」という。井上氏はこの作品を「パーフェクト」だと称して絶賛していたという。

芸術新潮最新刊「つげ義春 マンガ表現の開拓者」号を購入

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最新の「芸術新潮」では、デビューして60周年になる漫画家のつげ義春さんの特集が組まれている。80数頁にもおよぶ大特集で、25年以上の休筆・隠棲状態にある漫画家ことつげさんの4時間にもおよぶロング・インタビューあり、つげさん撮影の秘湯写真あり、代表作品原板の写真頁あり、等々と豊富なコンテンツに満ちていて、買わない理由が見つからなくて当然の如くに購入していた。

4時間にもおよぶロング・インタビューの中でつげさんは、意外な最近の困りごとまで述べている。元人気作家以上に伝説の作家ならではの悩みであり、休筆後もこうしたトラブルに悩まされる巨匠作家の存在感の強さにはおいら個人的に天晴の思いを強くしていたものである。

<a href=”isbn:4910033050148:l”></a>

http://www.shinchosha.co.jp/geishin/2014_01/01.html

三菱一号館美術館の「近代への眼差し 印象派と世紀末美術」を鑑賞

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三菱一号館美術館を訪問した。現在同美術館にて開催されている「近代への眼差し 印象派と世紀末美術」展を鑑賞する為である。同美術館が所有するコレクション作品の中から、ルノワール、モネら印象派作品をはじめ、ルドン、トゥールーズ=ロートレック、ヴァロットン…、等々の画家たちの、テーマに添って選ばれた149点が展示されている。

生で接したルノワールの少女像や裸婦像は、薄暗い展示室に在っても鮮やかな色彩をたたえており活き活きと見るものに語りかけてくる。まさに一級の具象絵画との出会いに相応しい。

オディオン・ルドンによる版画作品も、静かに夢の世界からのメッセージを語りかけてくる。描かれた19世紀の西洋人の姿形が示すのは切なくて濃厚でもあり、時代を経た人間同士の語りかけが交わされていたのである。

「画家たちの夢と理想 自由の輝き」というのが同展の副題である。今更の思いがあるが、西洋近代画が示す基本的なテーマとしての基本を表している。

印象派作品に接して西洋絵画を嗜むにはもってこいの企画展であると云えるのかもしれない。日本人にとっても西洋の印象派作品が好まれていることが、展覧会場に足を運ぶ多くの愛好家たちの姿を見ればわかる。だが特段にインパクトを有するテーマ性や目玉的作品は無い。

http://mimt.jp/