未だ夏本番にはちと早い。そんな時期、季節にて、都会の路上で「向日葵(ひまわり)」に遭遇したのだった。
名は体を表すということなのであろう。「日に向かう葵」と云う名称に恥らわずに南の一方向を向いていた。
都会の中心地は今日はとても暑かったのであり、猛暑と云ってもよい位なのではあった。そして、都会の向日葵の奏でていた曲はまさしく、とても好きな楽曲であった。
レバーの生食すなわち「レバ刺し」の提供が法律で禁止されて以来、モツ部位の単価が下がっている。牛レバーだけではなく、他のモツ部位に関しても同様である。漠然と危ないからという理由で、科学的根拠も薄弱な理由にて追放された「レバ刺し」は、関係者や愛好者たちを落胆せしめている。
特別な愛好家でもないおいらではあるが、それでも科学的根拠の薄いレバ刺し追放の流れには抵抗を感じる。そもそも「レバ刺し」とは戦後数十年来食べ続けられてきた大衆的料理の一種なのであり、時の為政者たちにより強制的に排除されてよいものではない。
そんな状況下にて人気を博しているのが「レバコン」すなわちレバーのような外見をまとったこんにゃく食材なのである。
まるで見た目は「レバ刺し」そのものである。カウンターで調理している光景を眺めていたときのおいらは、禁断のレバ刺しを提供しているのだと、涎の雫を垂らしかけたのが早合点だったのであり、それに気付くのも久しく新規人気メニューの「レバコン」を注文していたのだった。
出てきたレバーもどきを噛んだ印象は、まるでレバーではなかった。蒟蒻の爽やかな味わいが口腔に広がっていた。生姜、大蒜、そして胡麻油の定番的味付けを施して口に運べば、たぶん酔っ払った後ではこれが似非レバーであることは判別し難いであろうと感じ取っていた。
すっきり爽快の味わいの「レバコン」は、同居酒屋にてとても人気メニューではあった。これからその人気がどこまで続くのやら。とても興味が尽きないのである。
これまで使っていたスマートフォン、ソフトバンクの愛用機種こと「iPhone4」を、ドコモの機種に替えてみたのだった。
変更へと導いた最大の要因は、ソフトバンクの電波が地方の郊外地である田舎ではつながらなかったことである。大都市圏、中都市圏においての使い勝手はとても良好であり不満は無いのだが、こと地方に赴いた時には難儀の連続なのであった。
新規購入したのは「ARROWS X LTE」という機種。ドコモの「Xi」システムに対応しているという「NEXT」系の最新機種の1台ではあった。
ソニーやシャープ社製の機種は人気が高いと見えて、予約受付であったのであり、すぐに購入できる国産の機種に選択したということになる。もっと良い機種があっただろうに、待つのが辛いの選択なのではあった。
新機種は恐らくプラスチック素材を主材料としており、これまでの「iPhone4」と比較してとても軽く感じられたのであり、携帯性はアップしているのであろう。決して悪くは無い。
明日から多少のモバイルスタイルが変わっていくのであり、それはまた刺激的な事柄なのではある。
遅ればせながら云う「原発なんて要らない」という言葉を。毎週金曜日には、首相官邸前にて、「脱原発」「再稼動反対」の抗議デモで埋め尽くされるという。おいらも「脱原発」「再稼動反対」の思いは一緒であり、抗議デモに参加したい思いは山々なのであるが、中々仕事の関係にて足を運ぶことが出来ないままでる。デモに参加している人たちへの連帯の気持ちを込めて、遅ればせながら「脱原発」「再稼動反対」の声を表明しておきたい。
野田内閣が発足して以来、原発推進への流れが加速しており、福島原発事故への反省、検証への声は一挙に押しつぶられようとしている。こんなことがあってはならないのであり、日本国のまっとうなる市民であるならば「脱原発」「再稼動反対」の声を挙げるべきである。
お馬鹿な大衆翼賛的保守メディアは、此処に来て尚、原発推進の動きを強めているようであり、こういった下劣的メディアに乗っかって原発推進を標榜するかの馬鹿野郎たちには問題の本質を早く理解、把握してほしいと願うばかりである。
上の写真は牛肉ではなく鯨肉である。
鯨肉というものは希少品であり、千葉県房総半島南端の一部地域でしか食べられないものだとばかり考えていたが、某下町の居酒屋にて食することが出来たのであり、ここに報告しておきます。
予め断っておくが、専門店が浅草に在ることは知り得ていたが、其処とは別の店ではある。其の店は決して高級店ではなく、メインストリートの路地を入った処にある普通の店構えの店舗であった。
注文して出てきたのは(上の写真参照)、見るからに赤身肉の相貌をたたえており、まるで高級牛肉の赤身かとも惑うくらいである。鯨肉は哺乳類の肉類に分類されるのであるからして、その相貌が牛肉に類似したとしても驚くには当らないのだが、それでも一等品の肉質であることが見て取れたのである。
いよいよ夏本番であり、夏野菜としての「茄子」料理が昨今、とても注目されているのである。
茄子の炭火焼きはお勧めであり、シンプルな夏野菜を味わうにはもっとも適切であろう。其れに続くシンプルな茄子料理として「茄子の素揚げ」が挙げられるのだ。
本日はそんな茄子の素揚げを食したのであり、夏の到来を味わうことが出来た。
揚げ物自体はおいらはあまり好きではなくして苦手である。おいらに限らずおそらく体脂肪を気にするメタボ人種にとっては、共通の認識であると思う。
だが茄子の素揚げ料理に関しては、その体脂肪率に及ぼす影響は小さく、そもそも茄子と植物油との相性はすこぶるよろしいのである。表面にピンと張った油面が茄子自体の美味さを倍増させている。
此れからの時期に「冷やし麺」「冷やし蕎麦」「冷やし冷麺」「冷やし饂飩」「冷やしソーメン」等々には茄子の素揚げはベストなトッピングなのである。
シンプルかつ夏の代表的料理としての「茄子の素揚げ」は、今後は注目されるメニューとなっていくに違いない。
地井武男さんが主演した追悼TV番組「大崎郁三の事件散歩」(テレビ朝日)を見ている。テレビ朝日の案内によれば遺作となった主演新作と云うことだ。元刑事で、刑事事件に首を突っ込んで謎解きをする、地味だが中々味のある主人公の設定である。
名脇役が主役を張って、これだけ味わい深いドラマが成り立つのだから、ただのバイプレーヤーで無いことは確かである。
ところでおいらにとって、地井さんに関する最も想い出深い作品は、「放課後」という映画作品であった。
主演を栗田ひろみ嬢が演じており、地井さんを誘惑するというコケティッシュな役割に胸時めかせていたのであり、その当時栗田嬢のファンであったおいらはと云えば、その相手役としての地井武男には嫉妬心さえ抱いていたといえるだろう。
彼はいい男、もてる男の象徴として映っていたのであり、それくらいに存在感ある役者ではあった。
人気番組「ちい散歩」で見る姿は、まさに元気はつらつを地で行くようであり、こんなに元気だった彼が逝ってしまった事をリアルに信じることが出来ないままなのである。
胸深く残る想い出に感謝を込めて、合掌。
御徒町の「佐原屋」が新装オープンで、新メニューに舌鼓なのだった
御徒町ガード下の名店「佐原屋」は、このたび店舗改装を行ない、新装オープンを迎えたのだった。
何週間か前訪れた際には同店舗が閉まっており、よもや店を閉めたのではとの思いが去来したのだったが、そんな思いも杞憂と消えていた。
名店のアイドルの女将が入り口で挨拶してくれた。数週間ぶりの懐かしい出会いであった。
ここでは新しいメニューにも出くわしたのである。その最たるものが「御飯」であり、定番の「納豆とんぶり」をご飯にのせて、こりゃいつか夢にも見ていたような晩酌のつまみにもありつけていた。「とんぶり納豆御飯」がそれであった。
■佐原屋本店
東京都台東区上野5-27-5
昼の昼食時は暑い中に在り、食欲不振に陥ること多し。そんなときは兎に角街中を散歩してランチメニューを調査して回る。
ふと見かけた「胡麻坦々麺」の看板メニューにそそられて注文してみたところ、胡麻たっぷりピリリと辛味の尖った、しかも見た目もオレンジと黒胡麻の斑スープが麗しい逸品に出くわしたのだった。
元々は中国西安等の寒い地域が発祥のメニューであり、身体がほかほかにさせる効用が、一種の薬膳メニューともされるのだが、近頃では暑い夏にこそいける。汗をかきながら食べると身体の芯からリフレッシュさせてくれる。
辛さで暑い夏を乗り越えるのは決して易しい取り組みではなく、だからこそ舌に合うピリ辛メニューに出合うとそれだけで嬉しく感じるのであろう。
吉祥寺の焼き鳥の名店「いせや公園店」の店舗が、今月6月末を限りに取り壊されるという。あと数日と云う期限を間際に、消え行く名店を訪れていたのであった。
ところがどっこい、この取り壊しのニュースを知ってか知らずか、店の前には数十人の行列が出来ていた。本日は給料日の2日過ぎであるが、花の金曜日でも無ければそれ以外に特別な暦ではない。それが行列の賑わいであることに先ずは吃驚したのである。
細かなことは省くが結局本日は、いせやの焼き鳥は味わうことなく同店を去っていた。これで最後の別れかとも感じてジーンとする思いでもあった。
取り壊しのあとには近代的な鉄骨立てのビルが出来て、いせや公園店も再開するのではあろう。然しながら、これまでの公園店の風情が消え失せることは間違いない事実ではある。木造のいせや名店の風情は、今後は復活することは無いのである。
昨日はトラブル続きの東北新幹線内の作業にてアップできなかった、宮古市内「浄土ヶ浜」の絶景をアップしておきます。
訪れたのは一昨日の午後3時ごろであった。雲は素早く流れていき、それに伴い島々への光さす風景は常に変化していたのであった。光景の変化はすなわち此処「浄土ヶ浜」の魅力でもあり、時間時間で刻々と変化する光景に見惚れていたのである。
此れこそは圧倒的な自然の営為に基づく風景(ビジョン)なのである。数多の芸術作品がその全てを人間個人の営みに負っていることを考えれば、大いなる自然の描いた絶景的風景は、人間の営為を軽々と越えていると云ってもよいかもしれない。それくらいに圧倒的な光景に遭遇していたのだった。
サッカーアジア予選の日豪戦。ひょんなことからサッカーファンが大勢集う酒的交流場での観戦となっていた。サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー。とても後味が悪い印象の試合となってしまった。
実質的に勝っていたはずの試合が、審判の不可解な判定によるPKと、その結果としての同点弾の被弾。まさかのドローではあった。
アウェーでの試合ではドローもまた意義のある結果かもしれないが、それにしても勝てた試合であるのを審判のミスジャッジで駄目にされたのだ。納得いかないのは当然である。アウェーでのハンディなのか? 否、サッカー後進国のハンディーなのか?