ゴッホ作「モンマジュールの夕暮れ」発見というニュースに喫驚

 

ゴッホ作「モンマジュールの夕暮れ」という作品が発見されたとして、ニュースが駆け巡っている。にわかには信じ難いニュースであるが、いろいろな証言的事実を鑑みあわせれば、新規のゴッホ作品発見のニュースは真実であったと云えよう。

http://www.cnn.co.jp/video/11602.html

だがそれ以上に興味深いのは、何故にこの「モンマジュールの夕暮れ」という作品が、長く偽作とされていたのか、ということである。ゴッホらしくないとか、色彩感が地味だ、とか、その他様々な要因が関係していると思われるのであり、少々おいらも追及したくなっているところなのである。

下町の名店葛飾立石の「江戸っ子」でほろ酔いなのだった

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先日は立石の「鳥房」にて「若鶏唐揚」に舌鼓を売って以来、下町的立石グルメにはとても味をしめていたのであり、その影響もあり立石界隈を散策探訪していたのであった。訪れたのは「江戸っ子」というお店。もつ焼きや煮込みが美味いと評判の地域定番的居酒屋である。

近頃は少々もつ焼きに飽きていたおいらは、先ずは煮込みを注文した。白モツを中心に鮮度の良いモツをじっくり塩味で煮込んだモツは、さっぱり感覚で食欲を刺激していく。同店オリジナルの「ボール」というハイボールの一種と思われるアルコールで喉を潤していれば、食欲は益々充溢していて、結局は同店の売りメニューであるもつ焼きを注文することになっていた。

一皿4本というのが注文の基本となっていて、おいらはタンとレバーのセットを注文していたのだが、とてもボリュームが有り、食べるに時間がかかっていた。葛飾区内下町呑兵衛の聖地たるにゆるぎのない名店であったのである。

■江戸っ子
東京都葛飾区立石7-1-9
03-3694-9593

やはり秋刀魚は焼き秋刀魚に限る

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本日は朝から2020年の東京オリンピック開催決定のニュースで喧しい限りだが、東京の目黒では「目黒のさんま祭り」が行われ大盛況だったということである。

http://www.asahi-net.or.jp/~xq7k-fsm/sanma.htm

目黒まで赴くことができなかったおいらは本日、まるでテレビTVニュースに観る映像に釣られ引かれる様に焼き秋刀魚が食べたくなり、地元の食事処で秋刀魚の焼き魚を味わっていた。

東北近辺の海水の温度が高くなったために、東北地方の秋刀魚の収穫は最低だということであり、北海道沖で水揚げされた秋刀魚が目黒のイベントを支えたのだという。本日食した秋刀魚が北海道産であるかは確かめなかったが、おそらく北海道で水揚げされたものであろうと推察される。

目黒へ行った気になって食べた秋刀魚ではある。内臓の肝が詰まった秋刀魚は苦味が迸っていて秋の味覚が充分である。やはり秋刀魚は焼き秋刀魚に限るということを思い起こされたのである。

昔懐かしの「鯨の焼肉」を味わった

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鯨の肉と云えばおいらが幼少のころには今のような特別な食材ではなくポピュラーな食材であり、給食にも出ていたものと記憶している。房総半島の南部や特別な地域において提供されている鯨肉は、とても昔食していたものとは程遠いということは、以前から感じていた。すなわち鯨の刺身や鯨ベーコンなどの料理は、昔から食していた鯨料理とは異質のものではないのかと。

昔懐かしの鯨料理と云えば、シンプルに鯨肉を炒めて出されるものであった。それが先日は、願いが叶ったりの如くに出くわすこととなったというわけなのである。生姜、醤油などで下味をつけて焼かれた鯨肉の焼肉である。個人的には牛肉よりも愛着が沸くような懐かしい味わいではある。

美味い秋刀魚の刺身を味わった僥倖

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今年の秋刀魚は漁獲量が少なく、価格も高騰模様というニュースが駆け巡っている。スーパーマーケットではぼちぼちと生秋刀魚が並んでいるが、やはり例年に比べると量も少なく見栄えもしていない。

そんな環境が影響してかあらぬか、秋刀魚の刺身に遭遇する機会は今年はほとんど無く、先日は偶然的に訪れていた酒場で秋刀魚のメニューに発見して、注文していたという訳なのである。

実際に秋刀魚の刺身を目の前にすると、その名の如くに秋の刀を連想させる。秋の刀は湾曲を描いた刀に違いないが他の季節との違いは判然としない。

ともあれ秋刀魚の刺身といえば、その切れ味鋭い切れ身の厳かさに感動すること多かれど、その味わいはそれぞれの時季において異なる感想を抱きつつあったのである。

これから秋本番を迎える今の時季にあって、秋刀魚の刺身の貴重なことはこれからますます伝達されていくことなのであろう。それでも貴重な秋刀魚の刺身にありつけたことは僥倖の一つであると云わざるを得ないのである。

初挑戦の「山なめこシチュー」に舌鼓

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幼少のころから数年前までのずっと長き間、なめこと云えばそのネバネバしたぬめりとその小粒のプリプリした食感が魅力であり、未だその思いは続いている。最近になって出会った「山なめこ」というのは、以前に属していた一般的ななめこに比べて大振りであり、そのネバネバ感は薄い。だが「山なめこ」という名が体を表すかの如くにワイルド感があり、所謂野趣があふれている。

だがこの山なめこという食材の調理法は限定されていた。いつもは味噌汁の具や蕎麦の付け汁に加える具材として使用していたのだったが、もっと色々と利用するべきメニューはないかと模索していたのだ。

今回初めて挑戦したのは、シチューの具材として用いるというもの。洋風レシピにもこの山なめこは似合うと判断していたからではある。そしてその予測的判断は正しかったようである。

シチューに代表される洋風メニューには、牛乳等の乳製品が主要な地位を有しているのであり、和風料理には見られないものだが、山なめこを和風料理にばかり限定させていては勿体無いのであり、敢えて洋風のシチューに用いてみたのである。酒のつまみとしてもナイスであった。

何ということない呑兵衛のメニュー「ポテトサラダ」を見直した

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お酒の友としてのつまみは多々あれども、「ポテトサラダ」こそは日常的に口にする。云わば定番的ポピュラーなメニューの代表格とも云えるのだ。

茹でたポテトことじゃがいもを崩して柔らかくして、刻んだキュウリやハムなどを加えてあえる。味付けはマヨネーズが一般的である。ポテトサラダとしては最もシンプルであり味わい深い。呑兵衛にとっても欠かせない定番メニューであるということを再認識し、見直していたのである。

口当たりが良くて酔いを緩和させる効果がある。あまり積極的に注文することはないが、ふんだんに呑んだ後などで、口直しに注文して口にすることが多々あるのである。やはりありがたいメニューのひとつであることには違いない。

みどり企画HPの「みどり企画ギャラリー」を更新しました

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました。

http://www.midori-kikaku.com/gallery/

新しいデザインを採用しつつ、新規画像を2点追加しました。

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「古里の富士と湖の記憶 Ⅰ」と「古里の富士と湖の記憶 Ⅱ」はともに、幼きころから親しんでいた地元古里の田舎富士とそのふもとの湖と所謂逆さ富士等々のイメージを造形化したものである。

ちょうど先日は富士山が世界遺産に登録されたことに触発されたことが、制作のきっかけとなった。

瀬戸内寂聴さんと玄侑宗久さんの対談をまとめた「あの世 この世」

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公開中の映画の原作本「夏の終り」(瀬戸内寂聴著)を探したが、残念なことに地元の書店には置かれていなかった。それでその代わりに購入したのが、作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんと玄侑宗久さんの対談をまとめた「あの世 この世」であった。

第1章「あの世はあるのでしょうか」から始まって、仏教と信仰について、お釈迦さまの生涯について、仏門に入るまでのこと、この世の苦と楽について、そしてあの世とこの世…等々のテーマを遡上に載せて、縦横無尽に語り尽くしている。

「極楽への道案内」だと解説にあるが、それほど明快なビジョンが示されているわけではない。ときに寂聴さんが聞き役となって、あの世とこの世の超常現象的な事象に関する解釈を玄侑さんに質問するシーンも散見されている。理知的な玄侑さんの説明に対し質問を加えつつ、人間の驚異の情念を描ききった寂聴さんが自らを納得させるビジョンを求めているようにもみえる。

畑のキャビアこと「マグロとんぶり」で一献

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呑み屋でとんぶりのメニューを見るといつも食べたくなり、注文してしまう。別名「畑のキャビア」とも呼ばれ、秋田県が日本一の主産地である。

キャビアのようなプツプツした食感が楽しめるが、味はそれほど高くはないし、個性的でもない。それかあらぬか、いつものとんぶり料理はといえばその脇に納豆やら大和芋添えられている。それらのが脇役をかき混ぜて食するのが一般的なのだ。

今回食したのは「マグロとんぶり」。マグロの切り身がとんぶりを盛った容器の奥深くにマグロが顔をのぞかせている。

まずはかき混ぜてみる。すると生きの良いマグロの赤身の風味が鼻腔を刺激していた。プツプツ食感のとんぶりは味わい控えめで、より一層に、アカザ科ホウキギ属 の一年草であるホウキギの成熟果実としてのとんぶりらしさが漂ってくる。いつも以上に酒が進むおつまみとなっていた。