ごった煮の街、上野アメ横の引力。

上州出身のおらにとって、上野の街とは格別に縁の深い都会である。上州はじめ東北、北海道など北国日本の出身者にとって、上野といえば巨大都会東京の玄関口となっている。かつて岩手出身の天才詩人こと石川啄木さんは、上野の街を題材に故郷への想いを次のような一片の詩(短歌とも云う)に託して謳っている。

ふるさとの訛なつかし
停車場の 人ごみの中
そを聴きにゆく

ご存知、教科書にも出てくる「一握の砂」の中の一句である。我が国の地方出身者の多くがこの句を励みとしながら都会生活を送っていることは想像に難くない。啄木さんもまた故郷岩手の渋民村を懐かしく想いながらの詩を沢山残していることはよく知られている。それくらい幅広いファンを有している啄木の代表的な作品である。

その反面、多くの地方出身者にとって東京とは、過去においては憧憬でありまた現在においては苦難や失望、あるいは絶望をも象徴する巨大な街として存在する。人生をふさぐ壁となって屹立する存在しているのである。27歳という若さで夭折(イカさんの好きな言葉である。ちなみに「夭折」と「溶接」は似て非なる言葉であるので注意が必要)した啄木さんを慕い想う気持ちが、おいらを度々この街に吸い寄せてしまうのである。

さて昨日は久しぶりに上野のアメ横を訪れたのであった。戦後の闇市が進化発展して現在の景観をつくりあげたとされるアメ横は、未だなお亜細亜、オセアニアなど海外からの異文化を吸収、反芻しながら変化発展を遂げている。他の街では接することのできないごった煮の文化文明が息づく様子がとても刺激的なのである。