「アーツ前橋」にて「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ」展に出逢ったのだ

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3/15(土)から前橋の「アーツ前橋」にて「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ」展が開催されている。

■アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16
www.artsmaebashi.jp

白川昌生氏のプロフィールとは、下記の通りでぁ。。

「1948年福岡県北九州市戸畑生まれ。1970年に渡欧、ストラスブール大学文学部哲学科にて哲学を専攻。1974年パリ国立美術学校入学、1981年国立デュッセルドルフ美術大学を卒業、マイスターの称号を受ける。1983年に帰国し、1993年に地域とアートをつなぐ美術活動団体「場所・群馬」を創設。2002年北九州ビエンナーレでの「アートと経済の恋愛学」(北九州市立美術館)、2007年「フィールドキャラバン計画」(群馬県立近代美術館)など、国内外で活躍する。美術家としての活動の他に評論執筆活動も盛んに行う。主な著書に(以下、いずれも水声社)『日本のダダ1920-1970』(1988・2005)、『美術、市場、地域通貨をめぐって』(2001)、『美術・記憶・生』(2007)、『美術館・動物園・精神科施設』(2010)など。1970年代にフランス/ドイツに滞在し、当時の欧米における芸術運動に触れ、帰国後は群馬にアトリエを構え、現在まで赤城山の麓で制作活動を続けている」

とのこと。群馬県にも縁のあるアーティストの一人のようだ。ダダイズムに影響を受けたと見えて、反体制、反芸術、等々のメッセージが会場に蔓延している。殊に、芸術作品を売って生計を得ていないことが氏のアイデンティティーでも在るようなのだ。

巨きな立体作品たちは、此の会場にマッチしており、おいらもまた会場に設置された作品の数々には圧倒されていたと云ってよい。どれもこれもが此の会場にマッチしているように見え、企画展の意図は十全に受け止めることが出来た。

前橋文学館で萩原朔太郎さんのユニークなエッセイに触れた

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帰省中の上州「前橋文学館」で開催されていた企画展で、萩原朔太郎さんのとてもユニークで貴重なエッセイに触れることができた。

我が国における屈指の近代詩人として名高い朔太郎さんだが、彼のエッセイや随筆の面白さ、ユニークさに関しては、あまり知られるところが無かった。朔太郎さんの詩の世界においてはとてもユニークで先鋭的な世界観が見て取れるのだが、それらのユニークな世界観を直截的に開陳したエッセイ、随筆の数々は、朔太郎ファンにとってのみならず全国文学関係者にとっての、貴重な資料では在る。本日は偶然ながら、そんな貴重な文学的資料にも接することとなったのである。

中には萩原朔太郎全集にも掲載されることのなかった随筆が、その貴重なる生原稿が、展示されており、朔太郎マニアのおいらにとっても格別な邂逅となっていたのだ。そのひとつが「贅沢・飲酒」と題されたエッセイ生原稿なのである。いわゆる一つの飲酒という贅沢、それらに拘泥した詩人、文学者たちへの共感のメッセージとともに、朔太郎さんが生きた「新しい時代」の芸術家たちへの失望とも捉え得る記述が在る。

―――(以下、引用開始)―――
今日の詩人たちは、あまり酒を飲まなくなった。志士や革命家等も、昔のように酒豪を気取らないのである。「飲酒家」といふ概念が、何となく古風になり、今では「時代遅れ」をさへ感じさせる。現代の新しき青年等は、殆ど飲酒を知らないのである。彼等の観念からは、概ね「酒飲み」という言葉が、旧時代の「オヤヂ」と聯絡するほどである。新しき時代の青年は酒を飲まない。いな飲酒の要求がないのである。
―――(引用終了)―――

新しい詩人や芸術家達が酒を飲まないということは無かったのだろうが、上記したこの朔太郎さんの一節は、苦き芸術家の挟持を表しているのに相違ない。何時の世にも呑兵衛たる詩人は迫害されるものかも知れぬということなのかもしれない。さらに述べれば、生半な市民や青年達からの迫害に対峙する気概こそは、天才詩人のアイデンティティを示しているのかも知れないのである。

■前橋文学館
正式名称:萩原朔太郎記念水と緑と詩のまち前橋文学館
郵便番号:371-0022
所 在 地:群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号
T E L:027-235-8011

■朔太郎のおもしろエッセイガイド
期 間:2月15日(土)~3月30日(日)
会 場:1階企画展示室
時 間:午前9時30分~午後5時(金曜日は午後8時まで)
休館日:水曜日
観覧料:[ 企画展のみ]100円

「カレーコロッケ」は揚物界のニューウェーヴの味わい

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コロッケとはそもそも洋食でありながら日本の大衆食の代表でもある。主にジャガイモを原料としているが、ひき肉、カボチャ、クリームソース等々を原料としたものもある。それにも増して意外な材料の「カレー」を原料にしたのが「カレーコロッケ」。カレー味のジャガイモコロッケではなくて、カレーが丸ごと具の原料として用いられている。

箸で衣を突つくととろりとしたカレーがしみ出して行きピリリとした馴染みの辛さがのどを突つく。此の具材はインドカレーや洋食カレーではなくとろみの備わった日本風カレーでなくてはならないのである。

馴染みの居酒屋のランチメニューとして出していたカレーの残りを使ってコロッケにしてみたのが、此の新メニュー誕生のきっかけだと聞いた。まさに揚物界のニューウエーヴの味わいなのである。

長き冬の風雪に耐えて庭のチューリップが芽吹いていた

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本年の冬は例年になく長くて厳しいものであった。都内に位置する我が家においても百年ぶりだとかの大雪が襲っていたのであり、今年の春の到来は例年とは比べるべきも無く深く深く待ち望んでいたのであった。

そんな春の到来を本日おいらは感じ取ることが出来た。それは我が家の庭でチューリップの若芽が芽吹いていたことに依っている。今年くらいの厳しい冬を越して春の芽吹きに遭遇するなどということは考えすることさえ出来なかったからなのである。

昨年までの春咲き球根類がそのまま風雪に耐えて生き残り、チューリップやアネモネなどのこれらの球根類が春の息吹に刺激されて芽生えたものと思われる。人間の手の及ばないところでも自然の芽生えが継続されていることに、とても嬉しい思いがあった。すっかり寒さが浸透して中々冬を通り過ぎることが出来ないようなこんな季節の中でも、根を広げてまっすぐ上を向いていた、そんな球根の芽を見つめると、春の来ない冬は無いということを実感した。

湊かなえさんの新作「白ゆき姫殺人事件」を読んだ

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かつて「告白」という作品で本屋大賞を受賞するなど、当代きっての人気作家こと湊かなえさんの新作であり、今月29日からは全国ロードショーの映画公開が待たれている。書店にて同作品を目にし手に取って以来、此の作品に対する関心はいやがおうにも高まざるを得なかったと云うべきであった。

だがいざ読み始めてみると、あまり面白味は感じ取れず、かえって違和感を増幅させて行ったのだ。物語はある美人の三木典子さんが殺害されたことをめぐって展開されて行く。「白ゆき姫」とも噂されたというこの世のものとも思えぬ美人殺害の容疑者として、主人公の「城野美姫」が浮上する。此の女性を映画で演じるのが井上真央さんである。

殺害された白ゆき姫に対して容疑者の女性は、取りたてて容貌に特長の無いという女性として描かれている。即ち絶世の美人と容貌に不自由な不美人との関係性がまるでテーマのように進行して行くのだ。まるで小説のテーマが、美人女性を取り巻くその他諸々人物たちの滑稽なる人間模様だと云うのかの如くに物語は進行して行ったのだ。

まるで此の小説は映画の原作でしか無かったのか? そうした疑問でいっぱいにされた読後感なのである。井上真央さんが演じる容姿不自由の女性は、果たして容姿秀麗の美女との対決を望んでいた訳ではなかった。容疑者から物語の犯人が語られるくだりなどは、通常のミステリーマニアたちにとってはとても納得出来かねる結末なのではあるまいか?

才能の安売りは彼女のファンたちをもがっかりさせるに違いない。作家の湊さんは、映画の原作本を書く時は小説本とは称すること無く書いて行ってほしいとせつに願う次第なのである。

銀座「なびす画廊」の「竹之内佑太 In-teg-ra CeRa」展

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銀座一丁目の「なびす画廊」にて、「竹之内佑太 In-teg-ra CeRa」展が開催されている。

http://www.nabis-g.com/exhibition/2014/takenouchi-y.html

そもそものきっかけは、昨年9月、銀座奥野ビル内のギャラリーにて竹之内氏の個展に遭遇。当時の個展会場にてセラミック素材を元にした立体作品が狭い会場に入りきれないほどの自己主張をしていたことを思い出し、新しい制作展の会場へと足を運んでいたのだ。

今回の会場は個展を開くには充分過ぎるくらいのスペースがあり、そんな会場にはさらにパワーアップしたセラミック製の作品群で満たされていた。前回個展の骨太さは影を潜め、其れら作品にはまろやかに施された質感が親しみを深めていた。作品と向き合うおいらを始めとする鑑賞者たちとの距離感がいやがおうにも縮まったという瞬間を体験。深く記憶に刻み込むこととなったのである。

八丈島の地元グルメ「島寿司」を味わった

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八丈島の地元が発祥という郷土料理の「島寿司」を味わった。江戸前とは異なる郷土色としての美味しさを充分に堪能することとなっていた。

そもそもこのメニューとは、白身魚のわらさを「醤油漬け」にしたものが素材である。一般的な握り寿司と異なり、わさびの代わりに練りがらしを用いているのも特長である。練りからしが握りの寿司に似合うことはこの島寿司を味わえば納得のかぎりなのであった。

新宿で話題の映画「愛の渦」を鑑賞

新宿の「テアトル新宿」にて「愛の渦」という映画を鑑賞した。
http://youtu.be/3ZgjONaGH1g

所謂「乱交パーティー」の現場が舞台となり、其の場所に集った10名+舞台関係者たちの、下関係に集中された人間模様が描かれている。男女の性欲とそれにまつわる遣り取りなどがテーマとなった映画である。ただし主には性交場面以上にタオルをまとった男女たちの会話が場面のほとんどを占めている。それほどにはエロ的な映画ではなかった。エロ場面ばかりを期待したら裏切られるだろう。

主役を張っていたのが、女子大生役の門脇麦とニート役の池松壮亮の二人である。恋愛やセックス事情には疎くて初々しいというキャラクターが設定されていた。どちらの役者についても詳しくはないが、女優のほうにはテレビCMで目にしていたという記憶が高かった。東京ガスのCMである。ダンスが上手で主役の座を争っていたという設定だったと記憶している。そんな門脇譲の演技はとても新鮮であり、おいらもまた、女子大生役という設定にも累乗されて役の設定以上の連想的な、あるいは妄想的なビジョンを露にしていたと云ってよい。

「とんとんのまち前橋」でマスコットの「ころとん」に遭遇

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何時からだったかは知らぬがおいらの古里前橋は、「とんとんのまち」と呼ばれている。とんとんとはすなわち豚のことを指しており、豚肉の飼育、生産量が多いということからこのキャッチフレーズが名付けられている。おいらの知る範囲で云えば、大胡周辺や赤城山山麓界隈にて養豚所が数多く存在している。空っ風に代表されるような上州の云わば厳しくもあり逞しくもある吹きっさらしの自然環境で育てられた豚は、主に食用に供されるのだが、大自然の環境で生育した豚肉はそれだけでも貴重な食材なのだから、これを前橋のシンボルとして打ち出そうと画した市の広報関係者たちの努力には敬服する次第である。近頃はおいらも、「とんとん」のポスターやのぼりが掛かるお店が在るとどんなもんかと足を踏み入れてしまうこと多かりしなのである。

ところでとんとんのまちこと前橋のマスコットキャラクターは、豚のぬいぐるみで此れの名前を「ころとん」という。丸々とした豚の姿のぬいぐるみである。前々から知ってはいたが、本日は初めて「ころとん」に遭遇することとなっていた。前橋市民にもなかなか人気が浸透していると見えて、同時にハグを求めたり一緒に撮影を願ったりという光景にも遭遇することとなっていた。

佐村河内守の「謝罪」会見パフォーマンスに一言

今頃になってのこのことマスコミに出てきた佐村河内守が謝罪会見をしたというニュースに接しておいらは、この男の精神分析には此後は特に関心を持って見て行きたいという思いを改めて抱くこととなった。謝罪会見の全てを目にした訳ではないが、一つにはこの男は自分自身の脳内空間には己の自己満足的完結にしか関心の的がないのではないかということだ。自己完結させた謝罪やら反論やら、新垣隆氏に対する恫喝めいた発言等々、まさに矮小な世界観を露わにしている。こういうものを滑稽至極と呼ぶのもまたさもありなんということなのか・・。

「八王子夢美術館」にて「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞

「八王子夢美術館」にて開催されている「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞したのだ。
http://www.yumebi.com/
昨日から開催されている「八王子画廊散歩」のイベントで、八王子市内9軒の画廊、ギャラリーをスタンプラリーで巡り、参加画廊全てのスタンプがたまると「八王子夢美術館」での鑑賞券が無料になると云ったイベントを利用しての鑑賞であった。本日の夢美術館におけるテーマは「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」ということである。あまり気乗りはしなかったが、無料鑑賞券を求めて夢美術館の会場へと足を運んだ。

夢美術館の会場では、江戸時代の美人画の大家とされる喜多川歌麿を中心にして、彼の弟子や同時代の江戸期における浮世絵師の作品約120点が展示されている。これだけの点数の浮世絵師たちの作品を一堂に会して鑑賞したことはこれまで無かったことであり、けっして無駄な時間を費やしたということではない。これはこれで価値ある企画展ではある。

喜多川歌麿や彼の弟子たちによって描かれた浮世絵やら錦絵やらの女性は、顔は下膨れであり目元はぱっちりとは云い難い、云わば江戸時代にのみ通用する美人の条件ではあり、とても現代における美人の其れとは一致することが無い。下膨れの目元切れ長でどんより、その他多くの条件において喜多川歌麿の時代と今現在という時代とは、隔世の感がある。そんなことを印象深く抱いていた。

今年も恒例の「八王子画廊散歩」がスタート

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毎年3月になると開催される八王子のアートイベント「八王子画廊散歩」が本日スタートした。今回おいらが作品出展しているのは「ことのは」というギャラリースペースである。

■第17回八王子画廊散歩
3月6日(木)〜3月11日(火)
開廊:11:00〜19:00(最終日は17:00まで)
https://www.facebook.com/garousanpo

■ことのは
東京都八王子市万町38-2

地元八王子の美術作家の多くが参加するイベントであり、毎回少なからずの刺激を受けている。作品を前にして批評し合うやりとりもまた楽しいものだ。

映画「小さいおうち」の黒木華さんの演技にドキドキ

http://www.chiisai-ouchi.jp/index.html
山田洋次監督による映画「小さいおうち」を鑑賞した。この映画では家政婦を演じた黒木華さんがベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したこともあり、ひっきょう初めから最後まで黒木さんの演技にドキドキ、ウキウキなのだった。けっして美人顔ではない黒木さんの独特な存在感、役柄に同化しきったプロ根性といったものには惹き付けられない訳にはいなかったのである。山田洋次監督の丁寧な演出に感心しつつ、黒木さんの役柄は彼女ならではのドキドキ感を感じさせるに充分なものだった。

物語の時代背景は支那事変から太平洋戦争へと突入する近代日本における暗黒の季節なのだが、戦争の足音をさりげなく小市民の生活感によって描いているのが秀逸である。プロパカンダにけっして陥ること無く、時代の生活感を皮膚感覚までに昇華して表現することに成功している。

物語の後半部分で、黒木さん演じる女中がはじめてと云ってよいくらいに唐突に、若妻こと松たか子に意見するシーンがある。困難な時代においても自らの恋心を抑えきれずに若妻を難詰する。緩やかに進行していた物語のトーンが一挙に緊張感を有して行く場面である。

小さなおうちに行き交う人々の愛と憧れ、そして若き人妻と美大出身の若き男との不倫関係、若妻に仕える黒木さん演じる女中と若妻との魂の交流や葛藤、等々のテーマが渾然一体となって、良質な映画らしい映画に仕上がっているのである。

春夏を告げる「空豆」の焼きを味わったのだ

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春から夏を告げる巨きな青い豆が「空豆」である。通常は茹でて味わうものだが、焼いても旨く、少々硬いが身が締まっていてかえってその野趣を味わうことができる。特に弱火でじっくり時間を掛けて焼いた空豆には頬が緩んでしまうくらいだ。さやごと火に掛けるので焦げたさやを目の前にするとグロテスクではある。それでも手で裂いてみれば、鮮緑色のはじけるような豆の生命感を感じるのであり、そんな豆の身を見るにつけ漸く春の季節の到来を実感することとなった。

見た目も青々としていて、豆類の中では大降りの存在感を示すのが、この季節の「空豆(そらまめ)」である。名前の由来は、豆果が空に向かってつくため「空 豆」とされたという説が有力である。これからの季節には、「空豆(そらまめ)」が酒場のメニューにのる機会が増えるのであり、チェックも怠り無くなるのだ。空豆については豆の大きさが特筆されるが、大きいことは良い事だということばかりではないのである。押しの強い見た目に加えて、ビタミンB群をはじめとす る栄養素豊富であり、食感もまた他には得がたいものがある。豆の生豆として味わうならば、空豆を第一番に推奨するのが常識的でもある。

Windows XPパソコンが急激なパワーダウン

おいらが愛用しているXPのノートパソコンが、最近になって急激なパワーダウン。長い付き合いのマシンであるが、此れまでサクサク動いていたマシンが、まるで何かの病気に罹ったかのような状況なのだ。ネットサーフィンさえままならなくなった急激なパワーダウンの原因は何なのだ?まさかとは思うが、この4月だかにXPサポートを終える為のマイクロソフトのパフォーマンスなのではないかと疑ってしまう。

村上春樹さんの「独立器官」という不思議な小説(1)

 

「月刊文藝春秋」誌に掲載されている村上春樹さんの「独立器官」という小説を読んだ。同雑誌における「女のいない男たち」というサブタイトルを冠したシリーズの4作目である。このところ文藝春秋誌を開けば村上春樹さんの連作作品に遭遇するのであり、些か此のパターンも飽きが来ているところである。

今、春樹さんが此処という状況の中で軽い連作を手がけているのかは、ほとんどぴんと来ることが出来ない。ノーベル文学賞候補作家であるならば、今此の状況下において、他にすべきことが大切な事柄が甚大に存在するのだろうと考えているからである。例えば「1Q84」の4章目、BOOK4の執筆である。オーケストラの大作が完結を迎えるには四楽章のスタイルを必要としていた。三楽章ではまだまだ大いなるストーリーを完結させるには不足なのである。これは特に、ノーベル賞関係者が多く棲息する欧州圏にて顕著なのであるからして、村上先生もそのところをじっくりと理解して対策を踏まえるべきであると考えている。

それはともあれ、小説のプロットは「渡会」という名の整形外科医と「僕」という物書きによるやり取りによって進行していく。この作品の冒頭では、渡会という外科医の人格的形容を「内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにはいられない種類の人々」と説明がされている。女性関係においても極めてクールで計算高く、独身主義を貫いている人物だという設定だ。食うには困らないという形容以上に芳醇な経済力を持ち、女に困ったことが無いという安易な遊び人以上の恵まれた異性関係をものにしている。主に既婚者や決まった恋人のいる女性とのアバンチュール、不倫関係に限った関係を続けていた。

そんなプロットが、途中でひっくり返ってしまうのだ。まるで読者が作者によって裏切られてしまうくらいに、一気にやってくる。そんな作品「独立器官」後半についてのあれこれについては後の稿にゆだねることにする。

キムチ鍋と稗そうめんはとても相性が良い

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冷蔵庫に残っていたキムチを使って「キムチ鍋」をつくった。キムチ鍋のもとと共に古漬け風のキムチの酸っぱい汁が良い出汁を出している。

具材は豚肉、白菜、葱、茸類などと当たり前のものだが、植物性乳酸菌の独特の酸っぱい出汁のおかげで食欲も上昇。具を食べ終わった後の〆には「稗そうめん」を用いたら、これまた酸っぱい乳酸菌の出汁を吸ってするすると良い音をたてながら喉に吸い込まれて行ったのだ。

旨いぬか漬けを口にすれば弱った胃腸も甦る

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旨いぬか漬けに出会うことは貴重な体験である。大手のスーパーで売っている「ぬか漬け」では本当のぬか漬けの味は味わうことが無い。

たまたま都内の散歩の途中で立ち寄った八百屋の店頭には旨そうなぬか床に顔を出しているぬか漬けたちが目に留まっていた。とりあえずカブとキュウリのぬか漬けを購入して、晩餐の一品に加えてみたら、これがなかなか無かった出会いとなっていたのである。

よくある塩漬けの漬け物とは異なり、まろやかな酸味が口の中でハーモニーを奏でていた。植物性乳酸菌が胃袋に侵入して弱った胃や腸を調えてくれるようでもある。そんな滅多に出逢えることの無かった逸品の日本の料理なのだった。

寒ブリのアラを「ブリ大根」にして味わった

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長い冬が漸く終わろうとするころ、地元のスーパーで、目つきも鋭列な印象の美味しそうなブリのアラを発見。早速買って帰り、ブリ大根を作ってみたのだ。ブリの脂が大根に染みて、こんな大根料理はブリにしか作れないなと妙に納得なのだった。

出世魚の代表ことブリは冬が旬だ。冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリ大根」ということになる。「ブリ大根」の基本とは、大きくカットした大根にブリの旨味を吸わせて味わうということになる。大根は大きくカットせねばならないのであり、薄切り などにされた大根では此の味わいは体験出来ないのである。そしてそれなりの調理時間を必要とされる。大根の煮時間も20分は下ることがなく、決して簡単レ シピではあり得ない。そんなこんなの条件を満たしつつ「ブリ大根」を調理。新鮮なブリの切り身を用意した以外は、取りたてての調理法を使った訳ではなかったのだが、程よいブリのあまさがおいらの喉を唸らせるに充分なる出来前ではあった。冬季の酒のつまみ的料理として、これ以上の 奥深い味は無いものだと実感させるに充分である。

たまに味わいたい逸品の「川海老の唐揚げ」なのだ

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地元の居酒屋で「川海老の唐揚げ」を食したのだった。川海老とは其の文字のごとくに川で棲息する海老の事を示している。だが日本の食卓にはこれまではあまり登場しない食材であった。ちなみに、川にて棲息する海老のことを「スジ海老」と呼ぶところもあるようなので要チェックである。

その姿形がとても小さいという存在感からか、主にはシンプルな唐揚げにして食される。油で揚げることにより海老の殻が柔らかい食感で提供されているのだ。そもそも海老の殻は天然のグルコサミンが豊富であり、高齢者たちのグルコサミン不足を補ってあまりあるくらいの代物なのである。川海老ここにあり、というくらいに希少な食材なのである。