山芋を海苔でくるんで揚げたというシンプルなメニューである。粘々の山芋が油にくぐらすとぷくっと膨れて見せている。滑稽でもあり、愛嬌もあり、見た目にも愉しませてくれる。家では揚げ物はなかなか作り難いから、外食メニューで時たま口にすることになる。見た目にもふっくら感のある美味しい磯辺揚げに接すると、見ただけで涎が垂れてくるのを感じるくらいだ。
揚げて食べれば、粘々感は消失するのだが、味は濃厚になり、山芋のふっくらとして大地の恵みさえも感じさせてくれるのだ。
元首相の鳩山由紀夫さんが政界引退を表明した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121121-00001017-yom-pol
「TPP参加」等々の不条理な踏み絵を強制されたからの、それを拒否することからのもっともなる選択ではあった。鳩山由紀夫さんにはもっともっと、不条理極まりない民主党の党内に居て闘って欲しかったのだが、それも叶わなくなってしまったのは残念の限りである。
そもそもに、民主党の公約を裏切って、自民、公明との3党合意などと云うものを推し進めてきた野田佳彦には、民主党の代表者として候補者に踏み絵を迫る資格など無いのである。それを野田と云う馬鹿者が代表者の権限で強いるなどと云うのはとんでもない振る舞いであると云わざるを得ない。そもそも野田に公党としての民主党を代表する資格など無い、ぼんくら政治家であったのである。
今回の衆議院選挙において、民主党に投票するという選択は完全に無くなったと云って良い。野田佳彦が今後の政界で生き延びていくことなどを支持することは皆無であり、野田佳彦については悪化崩壊した民主党もろとも消え去って欲しいものである。
野田が民主党を裏切ったつけについては、政治家を廃業した後にもきっとずっと付きまとうものであり、裏切り者としての野田は自らの不届き極まる行為を恥じるべきではある。恥を知る資質も資格もない野田にこんなことを求めても無駄であることは承知しているのだが、野田の厚顔的悪行に対する怒りは収まらないのである。
そもそもは政敵から「嘘つき」呼ばわりされたが元で、馬鹿逆切れ解散など引き起こしてなお、自らの裏切り行為の反省もない、云わば屑政治家のなれの果てであると云って良い。
冬の根菜類の中でも最も味わい深い食材が蓮根(レンコン)である。おいらは蓮根大好き人間であるからして、煮物、炒め物、焼き物、等々の蓮根料理を見る度に注文するのが所謂一つの癖とも云えるくらいである。普段は健康のためにもほとんど口にしない揚げ物である「蓮根はさみ揚げ」も、ついつい注文してしまう。ほんとに悪い癖の一つだと云えよう。
先日食べた「蓮根はさみ揚げ」もまた、いかにも脂が乗った見掛けの衣の中に、ひき肉のエキスを吸い込んで旨みの増した蓮根が顔を出し、そのサクサクとした食感と共に稀に見る食の満足感に浸ることになっていた。
蓮根料理は意外に奥が深く、おいらも得意とする「蓮根ハンバーグ」等はマクロビオティック的料理の一つとして評価の高いメニューである。このところ作る機会を逸していたのだが、今度は「蓮根ハンバーグ」を作って食べて、不健康的揚げ物メニューのマイナスポイントを取り返そうと思っている次第なのである。
「ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~」を読んだ。
[エラー: isbn:9784048704694:l というアイテムは見つかりませんでした]
古書に対する異常な拘りや執着を持つ登場人物たちが、おやっ? と思わすくらいに結果的には納得させる事件やそれに対する解決策を展開していくという、そんな稀有なシチュエーションにて展開される事件簿である。
舞台は北鎌倉駅周辺の「ビブリア古書堂」という古書店である。そこの似合わないくらいに、巨乳美人の女性店主こと栞子さんと、同店にはひょんなきっかけからアルバイト店員として働くことになった、俺こと五浦大輔がダブル主人公として物語を紡いでいく。
そして此の物語中にて端役として登場しているのが「漱石全集・新書版(夏目漱石著・岩波書店)」、「晩年(太宰治著・砂子屋書房)」と云った古書たちである。
老夫婦の愛と裏切り的シチュエーションが広がっていくかと思えば、中年夫婦の愛の再認識的展開が、一冊の古書を媒介として惹き起こされていく。たかが古書ながらのされど古書と云うべき作家の思い入れが伝わってくるのは、古書に対する薀蓄が一段落したころの、同書中盤の展開にかけての流れからである。
生野菜を調理した料理は、日本ではほとんど「生野菜」「生サラダ」等のメニュー名で括られるのだが、イタリア地方ではこの冬の時季の生野菜が主体の料理の名を「バーニャカウダ」と呼ぶらしい。その意味を調べたところ、「熱いソース」を意味する。つまりは冬の旬野菜を熱いソースにつけて食する食べ物の名称である。
注文して出てきたのは、人参、蕪、南瓜、セロリなどの野菜の薄切りと温かいソースのセットだった。トマト、キュウリと云う夏野菜まで盛られていたのであるから、本来のイタリアンにおける「バーニャカウダ」では無くなってしまっているのかもしれない。
ともあれ、冬季生野菜の薄切りを温かいスープに漬けて食するというメニューは、まるで洋風ハイカラなメニューであったことは紛れもなく、こんな新しい冬野菜の食しかたもあるのかと、新鮮な驚きをもって食していたのである。
自らを「どじょう」になぞらえて首相の座を射止めた野田佳彦という政治家は、実はただの無能のぼんくら。我が国戦後史上最低の首相であったといってよい。自民党政権か長く続いた戦後政治史上を眺めても、こんなぼんくら総理は他に、例示することができないくらいだ。
本日は、野田佳彦が国会解散の意向を決めたとニュースにて報道されている。馬鹿を通り越して、尋常な政治的判断さえ出来ない詐欺師と同様の男ではある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121114-00000067-mai-pol
そもそも野田が首相に推挙された背景には、民主党のなかで最も保守的だという理由が最大のものであった。前任、前々任の首相がそれぞれに民主党の党是を実現できずに敗れ去った後に出てきた、ぽっと出の政治家ではあった。そもそもには野田佳彦に首相にさせるべきではなかったのである。
こんな男にはたとえ1年あまりという短期間であろうが、一時的にも首相という最高権力者の立場に位させた我が国の政治的貧困を憂えるばかりである。
野党から「近いうちに解散する」という言質を取られ、それが元での自爆的解散に出ようとしている。しかも其の自爆の理由が、「嘘つき呼ばわりされたくない」というものだというのであるから、政治の私物化も甚だしいのだ。しかも総選挙の争点にTPPを持ち出すなど、ぼくくらの果ての非道極まるものではある。
今後の政治状況については、ヒトラーや東條英樹的政治化が跋扈する怖れが高まっているのであり、こんな状況下において政権を投げ出す野田佳彦には、戦後史上最低のぼんくら首相の称号が相応しいのだ。
薩摩芋の種類の中でも独特の甘さが光るのが、種子島産の「安納芋」である。生の状態で16度にもなる糖度で人気が非常に高まってきたとされている。蒸しても相当旨いが、先日はこれを串焼きにして味わうことが出来たのだった。
焼いた表面からはプチプチと甘い結晶が浮かび上がっている。塩を少々振っていたのだろう、その安納芋焼きからは、特段の薩摩芋的甘みを感じ取ることが出来た。こんなことは他の芋焼きでは味わうことが出来ないものではある。
薄く塩の味がしていたが、それ以外の味付けは無くして口に運んでいたのであった。その味わいは薩摩芋の中の逸品という印象を与えていた。あまり大量に口にすることなくして串焼きとしての少量の食味が、却ってその味わいを際立たせていたということなのであろう。甘き食物は大量に食するべぎてはないのではある。
関東風のおでんが美味しくなった季節なり。この美味しいおでんのことをふと「正統おでん」と称したくなった。
例えば静岡地方のおでんは「黒おでん」という、真っ黒な出汁にて煮込まれるのであり、牛筋中心の黒出汁に加えた濃口の醤油で煮込まれたそのおでんは、黒々とした出汁を吸って、その身に黒い装いを加えている。黒い出汁が具に染みて味を染みこませるのは分かり易いのだが、分かり易いぶんには出汁の塩味が強すぎるのだ。
醤油の塩味でなく出汁の味で煮込むというのが、関東、関西を問わずのおでんの基本であろう。そして、ハンペン、チクワブ、大根といった白色の具材たちが並ぶおでんの姿はまるで白色系正統おでんの姿そのままであった。
八王子の「富士森公園」にて「八王子農業祭」が開催された。
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/sangyo/nogyo/010205.html
八王子の地元産の農作物が展示されており、それらの様々には「努力賞」「優秀賞」等々のラベルで評価がされていたのだ。
人参、さつま芋、こんにゃく芋、インゲン、ピーマン、ブロッコリー、柚子、梨、ひらたけ、なめこの茸類、等々、そのほとんどが巨大な存在感でしめられていたのたのであり、大きいことはやはり良いことだという評価を肯定的に捉えていたのだ。
もちろんのこと、無農薬や低農薬による農産物の生産は過酷ではあろうがとても有意義な結果を与えてくれるのであり、それらの農産物には拝んでも食べていきたい。
巨大なる農産物は、例えば巨大な南瓜が象徴するような、農産物の豊作をイメージさせているのであり、野菜植物の生命力を表している。こんな大きな野菜に接して、農業が現実的に地元で展開されている八王子農業関係者に対する大きな感謝の思いで一杯になっていた。
農業祭のイベント会場では、牛の乳搾り体験が行われていた。5歳前後の子供達が興味深げに乳搾りをしている光景が目に焼き付いて放れないのだった。
牡蠣が美味しい季節となっている。こんな時季は「牡蠣鍋」に限るのである。牡蠣が美味しい季節となっている。こんな時季は「牡蠣鍋」に限るのである。
牡蠣は冬季の主役になり得る食材である。社会一般的には「海のミルク」等とも呼ばれるが、コクや味の個性においてミルクの比ではなく優れている。
牡蠣のフライも悪くないが、厚い衣をがぶりと破って食らいつくのは、若い時のみの指向性であり、今のおいらには無いといえる。
だからこその「牡蠣鍋」を十二分に味わえる季節は、今を置いてないということが云えよう。
薄曇り色していた牡蠣のみが、熱湯をくぐっていたその先には、ぷっくりとして白鮮やかな牡蠣の身が、視線を和ませてくれたり、美味しさの手引をしてくれたりと、大活躍なのではある。
[エラー: isbn:9784101388816:l というアイテムは見つかりませんでした]
今年の直木賞受賞作家こと辻村深月さんの「つなぐ」を読んだ。現在公開中の映画「ツナグ」の原作でもあり、社会的関心が高まっているだけにおいらも書店で買い求めてしまったという1冊ではある。
初めは単なる社会的ブームメントに対する一片の関心であったが、死者と生者、死と生、あるいは、死に向かう生、等がテーマであることを理解しつつ、一片以上の興味で読み進めることとなっていた。
登場人物は、主人公の「使者(「ツナグ」と読む)」こと渋谷歩美の他に、アイドル・水城サヲリ、サヲリとの再会を望むうつ病患者の平瀬愛美、演劇女子高生の嵐美砂と親友の御園奈津、癌で亡くなった母・ツルに会うことを希望する畠田、等々と多種多彩である。最終章では、主人公の歩美が死者への対面を望むというシチュエーションから章のスタートだ。物語は当初の短編集の装いを裏切って、連作長編小説の体を成して、読者の関心を引きずっていくのだった。
死者との再会を可能にすると云えば、青森の潮来が連想されるが、小説の初めから「潮来とはまるで違う」という記述がしつこいほど登場する。日本における土着的神話のイメージを峻拒していきたいという作家の志向を読み取ることが可能であろう。
何冊か読んでいる辻村深月さんの作品世界と同様に、同書もプロットがきっちりとしていて、それなりのレベルに達してエンターティメント性が顕著である。そんなエンターティメントを求める読者であるならば、充分に満足できる作品であろう。
然しながら、おいらは大衆小説のエンターティメントにはほとんど興味が無く、更には、死者との再会と云うシチュエーションは眉唾ものだと云う考えを持っている。或いは死者と生者をつなぐ使者(ツナグ)などは、フィクションの中でも出来の悪い代物だと考えているのだから、この力技が走る作品も、テーマとシチュエーションが空回りしている力技作品の一つであるという以上の評価を抱くことは無かった。
先日からの田中真紀子文部科学省大臣による新規大学不認可未遂騒動が甚大な波紋を生じさせている。
本年度の新設申請していた3大学に対して軒並み「許可しない」という発言をぶち上げて一躍注目を集めていた。だが一週間もしないうちに昨日は一転「許可する」旨のコメントを発していたのであり、その二枚舌的平気で嘘を付くキャラクターが非難の的となっていた。
注目すべきは、彼女が前言を翻して公的に明らかな嘘を付いてからの態度、振る舞いなのだ。大学認可問題で「負けた」はずの田中大臣は、まるで意に介することもなく、自己肯定のコメントを出し続けているのだ。厚顔無恥の極みと云って良い。
ところで世に蔓延する厚顔無恥さについては田中真紀子のキャラクターなのだから、それなりに対応すればよいことであり、敢て論じるべき対象ではないのであり、考察的対象にはあたらない。然しながら現役の政治家でありしかも国務大臣の田中真紀子が発言してテーブルをひっくり返して、その後二枚舌的に取り繕って真逆のコメントを発していたのだから、特殊かつ典型的事例として分析考察すべきであろう対象なのだ。
「人間には敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」という人間観、人生観が、彼女の偏執的発言なった。形作っているということだ。
「人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」という認識は、成り上がり的田中家の一員として育った真紀子にとっては当然のごとく培われた思いなのであろう。それを官僚的組織の文部科学省のスタッフにけ当て嵌めてしてしまったことからくる反発を招くこととなった。リアルな家族・使用人的区分けをおおやはけの場にて行なったことの誤謬なのではあった。
ふと立ち寄った郊外の中華料理店で「あんかけかた焼きそば」を食した。フライパンで焦げができるまでじっくり焼いてパリパリになった麺の上に、白菜、人参、竹の子等の多種類の野菜にハム、海老、木耳、マッシュルーム茸、等々のたっぷり具材のあんかけがとても旨く、とても懐かしく感じさせる。
たまに食べればとても旨く感じるメニューだが、我が国ではメジャーな料理ではない。中華店でもメニューの端に乗っているのがほとんどである。油脂たっぷりでカロリーが高そうなことや、ヘルシー志向に似合わないこと等の要因が考えられる。
それでも昔ながらの「あんかけかた焼きそば」にはカロリー過多でも食べたくなる要因が詰まっている。短時間に強烈な炎で調理する中華料理の技法がこの一品には凝縮しているのだから、国際的な伝統料理なのだ。あんかけのとろみで艶やかな大海老を口にすれば、とてもそんなことを実感する。
スマートフォンを「iPhone」から「Android」に変えて4ヶ月余りが経った。一度は引退させた「iPhone」が、おいらの生活の中で復活している。「iPhone」が持つ機能の中で捨てられないのが音楽機能であり、鞄に入れて電車内で音楽を聴くこともある。
そもそも「iPhone」の音楽機能はマックの「iTunes」ソフトが基本となっており、これまでCD等からインストールした少なからずの音楽データは、おいらにとっては今尚貴重な財産の一つだ。
先日は地元の量販店にて、「iPhone」「iPod」用の専用スピーカーを購入して聞いている。スピーカーに「iPhone」をドッキングすれば自動充電も行うという優れものである。「Iphone5」のドッグの仕様がこれまでと変更になったため、ここにきて結構な値崩れを起こしており、それならばと少し古い型落ちの一台を買い込んだという訳だ。
中古市場でも「iPhone」の人気は高く、軒並み1万円以上で売れるようだが、それでもこれまで持ち続けているのは「iTunes」を使い続けるためなのだ。「iTunes」がドコモのAndroid機種で使えるようになれば考えるが、今のところは「iPhone」が手放せない。
朝から胃部に痛みを感じている。はじめは何かの食あたりを疑ったが、下痢等の症状が出ないので、たぶん急性胃腸炎か何かなのだろう。薬局で胃腸薬を購入して飲んだが効き目もほとんどなく、こんな日は安静にして早く就寝するしか手がなさそうである。