別名「バクダン」とも呼ぶ「ニンニクの唐揚げ」

「ニンニクの唐揚げ」を食した。メニューには唐揚げと銘打っていたが、丸ごとに素揚げしたものである。別名「バクダン」とも呼ぶ「ニンニクの唐揚げ」だが、予め底の部分に切り込みを入れて揚げる。バクダンのように爆発することもあるのだと云う。

生ではとても口に出来ないニンニクも、油でじっくり火に通すことにより、まろやかに甘みさえ感じさせる。ひと房まるごと、袋にして10個以上のニンニクは、この唐揚げくらいでしか食べられないであろう。精が付くことこの上無いくらいのスタミナ料理である。

自民+維新&民主の大政翼賛を許すな

総選挙は終盤に差し掛かっており、多くのマスコミ媒体が自民党の圧勝を予測している。それそれ獲得議席数の多寡に一定の幅はあれども、自民党の勝利という点においては一致している。対する民主党のほうはといえば、惨敗必至。維新と3位の座を争っているという体たらくである。そもそも今回の総選挙はやる必要の無いものを野田佳彦が我欲、我執をもとに引き起こしたようなものであり、民主党の惨敗は誰が見てもの織り込み済みである。それを代表という地位に居る野田が認識していないようなのであり、救いようも無いのである。鳩山さんや菅さんが党代表で居た頃には未だ期待が持てた些少の要素も、完全に砕け去っている。民主党を裏切った張本人の野田にその自覚が無いのであるから、大惨敗による報いを受けるがよい。2度と政界に復帰し得ないくらいな大惨敗が相当であると云って良い。

自民党の比較1位は揺るがないにしても、これから惹起するであろう政界メルトダウンが及ぼす影響とその対策については準備万端怠り無くしていくべきであろう。予想される悪しき政治状況として、自民+維新による連立政権が想定されている。1位の自民と3位の維新が連立を組んで、日本の国政を牛耳るという構造である。民主ごときはここにおいては協力政党の感を成してしまうのであり、まさしく日本政治の「大政翼賛政治」の土壌が成立することとなる。こうなってから日本の政治を立て直すことは不可能のなである。今こそそんな大政翼賛政治に対してストップをかけるための政治行動を起こすべきである。

第二の旬を迎えた「カワハギの干物」を食した

某釣りきち関係者によれば、今どきは「カワハギ」が狙い目の旬なのだそうな。フグの親戚で身もたいへんに美味だという。夏によく取れるが、この時季こそいわゆるカワハギの第二の旬であり、この時季の身が一年で一番旨いとの熱弁を繰り返していた。そうした事情もあり、近頃のもっとも関心度が高まっていたカワハギであるが、カワハギの干物というメニューに接したことから兎に角も一度は口にしたいと注文したのである。

まず目にしたところ、白身の干物としての珍しさや艶に興味を強くされた。生のカワハギではないが、何となく生魚の珍重さを感じ取っていたし、口にしてからもまたその思いは変わらなかった。味付けは味醂干しの上品な味わいであった。

都道府県別魅力度ランキングで「47位(最下位)」の群馬県民のプライド

妻の13回忌法要のために帰省した。ローカルな両毛線の駅を降りると強烈な北風に見舞われていた。上州名物とも称される「からっ風」に出迎われていた。吹きっさらしの乾いた強烈な疾風が、赤城山の方角から、関東平野最北部地域の一帯を襲う風のことを、群馬県民はある種の親しみを込めて「からっ風」と呼んでいる。おいらも親愛の気持ちを込めて上州の「からっ風」を記述している。すなわち群馬県民の多くは「からっ風」の厳しさを好意と共に受け止めているという県民性が存在するのだ。

ところで今回帰省して改めて感じたことは、「群馬県民」のPR不足が全ての県民にとって気になっているということではあった。都道府県別魅力度ランキングで「47位(最下位)」というニュースが、腑に落ちない不条理のものとして突きつけられていたということを物語っている。事実、お寺の御住職やおいらの両親も、群馬県の人気度の低さについてはほおって置けない事情のように語っていたのだ。

http://777news.biz/n/2012/09/23/14443

群馬県が最下位ということには、相当の意味があるのであろう。魅力度が無いというのでは決して無い。だが、自らの魅力についてを発信することの非力さ、自らの土着的文化を展開出来ない非力、等々が、群馬県のイメージをマイナス的に定着させていたのであろうことを感じとつている。

だがたとえ最下位であったとしても、おいらには群馬県人としてのプライドは持っている。冬の凍える上空には青々とした空と白い雲があり、空気はとても澄み切って清清しかったのである。百年前も、或いは百年後も、そう違わない風景の恩恵にあずかれるのであろうとしみじみ感じ取ることとなっていた。東京、大阪等の大都会圏については、風景自体が異質となってしまっているから、決してこうはいかない。

群馬県人の誇りはまだ色々あるので、機会があれば今後も記していきたい。

ワカサギはフライより天ぷらにかぎる

ワカサギが旨い季節となった。冬のワカサギは厚い氷の下にひっそりと生息し、脂も旨みも充分に乗っている。このワカサギも多分、上州の榛名湖の湖底に生息していたものたちであろうという想像をたくましくしつつ箸を運ぶと、湖底のエキスさながらの苦味のエキスが口腔内を取り囲むように広がっていくのだ。「ワカサギの天ぷら」というメニューを見かけて注文したときに店員から返ってきた言葉は「フライもありますけど…」というものだった。絶対にフライなどにはして欲しくないおいらは、ちょっぴりむきになって強く「天ぷらが良いです」と伝えていた。ワカサギはフライよりも天ぷらにかぎるのである。

偶然に出喰わした「すっぽんの煮こごり」と「すっぽん鍋」



都内下町の繁華街にてある日一献やっていたところ、隣客のテーブルに「煮こごり」が載っていて、その姿形が奥床しき風情であったのであり、おいらはメニュー表にも見つけられなかったその「煮こごり」を注文していた。後から判ったのは唯の煮こごりではなくして「すっぽんの煮こごり」であったということであった。すっぽんの皮や卵が具にあてがわれており、すっぽんの皮やらすっぽんの卵やらをあまり強くない出汁にて調理されているものであつた。それだからこそ、すっぽんの味わいを少量ではあれ味わった「すっぽん鍋」のメニューは逸品であった。

絹豆腐のつるっとした食感が活きる「揚げ出し豆腐」

職場にいる若手女子は「揚げ出し豆腐」が大好物なんだそうな。繊細な食感と味付けがたまらないようなのである。

絹ごしの豆腐がつるっとした食感が何倍にも累乗される稀有な料理だと云えるだろう。

この料理に関しては「絹ごし豆腐」が必須の食材であり、すなわち「木綿豆腐」を用いることはありえないのだ。

何度か食した「揚げ出し豆腐」の旨い店では、時々忘れたものを思い出すように注文している。「揚げ出し豆腐」の特長は何より、絹ごし豆腐の魅力を数倍に高める料理であるということなのである。

総選挙公布で俄かに岐路に立つ「第三極」勢力と無党派の行方

衆議院選挙が昨日公布され、俄かに選挙モードとなっている今日此の頃である。一般大衆マスコミが念を押すまでも無く、おいらは選挙に投票することを決めているが、今回の選挙ほど「無党派層」の動きが投票行動に対しての大いなる重みが認識されている選挙は無いと云える。

さて、かつては「ノンポリ」というのは無党派層に対する侮蔑的呼称ではあったが、今ではそんなことは云っていられない、上客としての政治的ターゲットとなっているのである。無党派層が顧客となる第三極陣営の動きで、今回の選挙の帰趨が決定されると云えそうなのである。こんな重大な局面において、大手数社マスコミの責任回避は異常とも取れるくらいに尋常ならざる事態に直面しつつある。

複数のマスコミ報道によれば、「維新」の勢力はかつての勢いにブレーキがかかり、「未来」が追いあげているが未だ差はついたままと云うような状況である。橋下と石原慎太郎の主義主張の矛盾が露呈されているが、それを批判するマスコミなどは皆無である。やはり、「週刊朝日」に対する維新側の攻撃が、ある一定の効果を発揮しているという、マイナスの要素が明らかとなっている。橋下維新に対するまともな批判も出来ないマスコミに対して、橋下+石原慎太郎の「維新」側は、更なる攻撃目標を明らかにしている。即ち、第二極となることによって、自民+維新の連立政権樹立であり、ここにきてそんなありうべからざる状況は現実味を増しつつあるのだ。だからこそ今回の選挙が、今後の我が国の将来に対して決定的な影響を与えてしまうであろうことを憂うとともに、何としても維新の排斥は最重要的政治行動であると云えるのだ。

現在の時点で考えられる最も危惧し排斥すべき政治的状況とは、自民と維新による政権獲得である。その間に公明が入るかも知れぬ、或いは民主が極めて馬鹿げたクッションの役割を担っていくのかも知れない。

消費税法案成立で負い目を負った民主がやりそうな選択である。出来るだけ早く民主は最低の野田を解任しなくてはならない。

此処は相撲におけるうっちゃりであれ、肩透かしであれ、あるいはとったり、けたぐり、であれ、維新に対して一矢報いる必要があるのである。その他色々あるけれども今宵はこのくらいにて、グッドナイト。

 

久しぶりの「蓮根ハンバーグ」にホクホクなのだ

久しぶりに「蓮根ハンバーグ」を調理して食したのだった。

先ずは新鮮な蓮根を荒めに研いで、同様につなぎとしての山芋も研いで、合わせてフライパンでじっくりと焼いていく。片面に焦げが付いたところでひっくり返して逆面を焼き、さらに焦げが付きかかったところで反転、という行為を2~3回繰り返してもちもちハンバーグの完成。ソースもまたマクロ流にて、冷蔵庫に残っていたほうれん草のあんかけ風に仕上げていた。

久々に食したマクロビオティック流「蓮根ハンバーグ」は、胃に染みてホクホクとした食感を味わうことが出来たのであった。

普通の「コロッケ」は確かに「メンチ」よりも旨い


じゃがいもたっぷりの普通のコロッケを食した。揚げ物と云えば脂っこい料理の代名詞とも云えるのであるからして、おいらはたまにしか口にすることが無いのではある。然しながら「コロッケ」については特別なOKメニューであり、度々口にすることが多いのだ。

小さい幼少の頃にはコロッケとミンチカツの違いがよく判らなかったものだが、今ではコロッケとメンチカツの違いこそ、おいらがコロッケを優遇して愛する理由が存している。即ちコロッケという大地の恵みをこくと味わいを付加して立派なメニューとなっているのだから、特別なのだ。

「花茶サポニン」の得も云われぬ香りに刺激される

 

「花茶サポニン」にお湯を注ぐと、可憐な花弁が開いていき、コケティッシュな香りと共にえもいわれぬ快感に襲われていく。目で見る限り、花弁のひらひらはとても繊細に蠢いているのであり、その繊細な仕草はまさに、浮世の人生そのものではある。

地元の居酒屋で食べた寄せ鍋の後の饂飩にほっこり

行きつけの地元の居酒屋で寄せ鍋を食した。店名を冠して「一平鍋」というメニューである。

■一平
東京都八王子市東町11-5

店名を冠したものであるからして、如何にもの気合が乗っており、牡蠣、鮭、鱈、海老、蛸、等々の定番魚類に加えて、白菜、豆腐に茸類等々が盛り沢山にてんこ盛りされている。スープの味付けは白味噌仕立てであった。鍋料理の中では素朴でポピュラーな、優れて部類のメニューである。

ほかほかと温まった最後には「饂飩」を注文していた。出てきたのは太目の噛み応えのあるもの。具材のエキスを吸って濃縮されたスープは多少の塩辛さが気になっていたのだが、太目の饂飩がスープのエキスを吸っており、想像以上に濃厚な味わいがグッドなのではあった。

秋への惜別と共に舌鼓を打った「炒り銀杏」の味わい

秋の終わりは例年、イチョウの落葉とともにやつてくる。少し前には「八王子いちょう祭り」にて黄色く色づいた光景に接していたのだが、此処へ来て秋への惜別の情念と共にイチョウ葉の落葉を眺めることが多くなってきている。イチョウの落葉とは即ち、銀杏の収穫を表しているのである。旨い銀杏が食堂や居酒屋等のメニューに上り、そのエグミに舌鼓を打つ機会が増えているのだ。

ところで旬の食材であるぎんなんについてはよく、匂いと苦いのが気になるという意見がある。ネット上のコメントにも、そんな発言が散見される。苦いというより「エグイ」と云うのが真っ当なる表現だと思うのだが、そんなエグミこそは銀杏の持ち味、個性ではあり、個性を開花させるべき銀杏料理には注目度満点なのである。

とは云っても銀杏のエグミをもっとも十全に味わうには、おそらくは「炒り銀杏」を凌駕するものは無いのであろう。炒るという調理法がピタッと嵌る料理は「炒り銀杏」以外に示すことが出来かねるのである。

子供のころから取れたての銀杏を前にすると、銀杏をフライパンの上に乗せて蓋をして炒るというこのシンプルな料理に何時に無い食欲を刺激されてきた。パチン! という殻が弾けた音が合図となって蓋をとってフライパンの中を覗くと、何時でも独特のこの季節のエグイ味覚が鼻を突いた。こんな味への思いは秋への惜別と共にあった。

海の幸を感じる「桜海老のかき揚げ」

居酒屋のメニューにて「桜海老のかき揚げ」に出くわし早速注文してみると、最近に無くヒットなのである。

桜海老と云えば、その多くが静岡県の由比ガ浜近辺で漁される。漁場がほとんど駿河湾沿いに集中しており、地元の名産品となっている。春季の4月から6月までと共に、10~12月のこの時季がまた漁期だ。だからこそ口に含んだときの独特な香りが広がってくるのである海の幸を。まさに感じ取れる逸品なのだった。

フレッシュだった嘉田由紀子滋賀県知事による「日本未来の党」結党宣言

27日の、嘉田由紀子滋賀県知事による「日本未来の党」結党宣言にはとても驚いていたのであった。此処に来ての、日本維新をたじろがせるほどの第三極の主導権をうかがえるパフォーマンスであり、そもそもこれまでは嘉田知事という政治家が、それほどの政治的実力を有していたとは考えていなかったからである。裏舞台で工作していた小沢一郎一派の動きがあったにせよ、今回の結党パフォーマンスは嘉田さんの存在を抜きにして語ることが出来ないものではある。小沢一郎政治屋一家による裏方家業については、マスコミ報道により流布されている以上の情報にはおいらも知りえていないのではあるが、然しながら、嘉田氏の地方主権を主張してきた政治的な営為については関西圏からはほど遠い、関東圏に住居を構えるおいらではあれども、尊敬の念と共に認識をしているのだ。

余談にはなるのだが、此処へ来て橋下維新の勢力分布には、様々な要因が因果となって、急激なストップの力が働いているようである。石原慎太郎を代表に迎え入れたことは、当初はプラス要因としてマスコミ報道がされていたが、実際にはさにはからん、様々な好戦的発言が問題視されて維新側が図ったような好転の兆しは無い。いまこそ反維新の主張やムーブメントを発信していかなくてはならないときが差し迫っている。嘉田知事たちによる反維新的第三極の動きには大いに期待を抱いているのだ。

ところでさらに余談を延長するのだが、橋下維新は石原慎太郎の加入によりその存在感を希薄化させているのである。そもそも我が国日本国の核武装を確乎たる信念とする石原慎太郎が、脱原発を受け入れることなどは無いのであり、それを知ってか知るまいか、たとえ一時の戦術的パフォーマンスであったにせよ、石原と組んだ橋下維新の政治的矛盾は今後は同維新の将来に対して首を絞めていくこととなっていくであろう。

寒い日々の身も心も温める「牡蠣のグラタン」

美味しそうな牡蠣を買って家に帰り、牡蠣グラタンを作ったのだ。そもそも海のミルクとも云われる牡蠣に、たっぷりミルクやチーズを用いて調理するものだから、ミルクの風味がたっぷり至極の料理なり。気持ちや身体が震えているかのごとくの昨今のおいらには、たっぷりと温まれるメニューなのではあった。

牡蠣とともに合わせたもう一つの重要な食材が「ほうれん草」である。鉄分が豊富で赤血球の維持には不可欠なものなのであり、これからの寒い冬に掛けては積極的に摂っていくべきなのである。牡蠣とミルクとほうれん草と云ったトラィァングルこそは寒い冬の日常の日々の、必須栄養素なのではある。こんな必須栄養素を美味しくとれる牡蠣グラタンにブラボーな思いなのではあった。

プリプリの食感が魅力の「ハツ炒め」

様々あるモツ料理の中で鶏の心臓が具材の「ハツ炒め」はある種のマイナーなメニューに属するが、このプリプリの食感が他には無いものなのであり、おいらも好きなメニューの一つとなっている。塩と胡椒だけの味付けの炒め料理で、此れだけの魅力や存在感を発揮するメニューは珍しいと云えよう。

だがよくあるもつ焼きにおいてもハツ(心臓)という部位はそう珍重されることもなく、メニュー表の片隅に地味的に存在しているような存在なのだ。そのギャップを思うに、ハツ炒めというメニューの個性が際立って見えてくる。

炒め物にする際のハツのさばき方が、此のハツ炒めと云うメニューの肝ともなるのであり、いい加減なさばき方を行なってはこのレシピの良さを発揮することなど出来ない。あくまでもシャープに、プリプリした食感を際立たせてこその料理なのである。

日常の日々の、何もしたくないという特定の行動についての一考察

日常の日々の、何もしたくないという特定の行動についての一考察である。本日はまるで何もない様な一日の普及的時間が蔓延していたというような一日ではあった。月に1回の休日デッサン会にも足を運ぶこともせず、いたずらに時間を浪費してしまっていた。

寒くなってこのかた、高い山にも登ろうという意欲などもないのであり、これからの冬においては、冬ごもりの支度をすることぐらいしか思い浮かばないのだ。やはりこれも加齢のもたらす現象の一つなのかと思いを抱きつつあり。

「火鍋」には「餃子」がよく似合う

冬の鍋の中でも「火鍋」はやはり、身体をほかほかに温めてくれる最も有力なメニューではある。唐辛子をはじめとする香辛料をふんだんに使用した鍋料理であるからして温まらないはずはないのだ。

具になる材料は韮、白菜、モヤシ、春雨、葱、等々の野菜中心の出汁が出たスープに、豚肉や牛肉、ラム肉をしゃぶしゃぶするようにして食する。中華料理の基本スープは鶏がら出汁だが、ナツメ、花椒、桂皮、八角、松の実、クコの実、等々の香辛料がスープの深みを与えていく。別名で「薬膳鍋」とも呼ばれる所以である。

ところで先日食した「火鍋」の具に「餃子」を追加注文してみたら、これが大正解であった。スープ餃子よりも奥深いスープに、唐辛子、花椒、八角、等の辛味調味料のエキスが加わって、通常のスープ餃子以上の美味いスープ餃子を味わうことが出来たのだ。大変にお勧めの具材ではある。

温泉地で男女の機微が非日常で解け合う吉田修一さんの「初恋温泉」

男女の機微が非日常で解け合う吉田修一さんの「初恋温泉」を読んだ

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吉田修一さんの「初恋温泉」を読んだ。温泉地での男女が紡ぎ合う、掌編の短編ドラマ集といった趣の一冊である。作家は「悪人」の著者として有名な吉田修一氏。「悪人」とはまた異質な、男女の機微を縦横に織り込んで物語が紡がれている。

混浴評論家の宮地めぐみさんが、たしか彼女が著した某書籍にて、温泉混浴の愉しみは異性との出合いや会話だと書いていたが、温泉の旅人には、非日常的な特別な愉しみが付きまとうのであり、それは換言すれば危ない香りと云ってよいかもしれない。男と女が温泉地で展開するドラマは絡み合う日常の結び目をほどき解き放すようなシチュエーションを基盤にして、物語の想像力を十二分に解き放っているようなのだ。

小品連作集といった同書に掲載された作品には、不倫の心情が温泉宿泊の底流に流れているだけであっけなく終わったというがっかりな作品も含まれてはいたが、温泉旅行と絡まった様々なシチュエーションにて紡がれていく男女の機微が、とても興味深くて一気に読み進むことができたのだった。