沖縄料理の「豆腐よう」で一献なのだ

沖縄地方には「島豆腐」という豆腐料理があるのは有名だが、こと我が国の呑兵衛達にとっては「豆腐よう」のほうが有名なのかもしれない。

豆腐ようとは、島豆腐を米麹、紅麹、泡盛によって発酵・熟成させて作り上げる発酵食品である。今回食したものは紅麹は用いられていなかったようで、濃厚な豆腐的チーズ色でしめられていた。

その独特のこってりとした食感は、麹菌発酵の効果で現れたもので、腐ったチーズの様な濃厚な香りを醸している。

こんな今では大衆居酒屋にても提供される料理ではあるが、かつては沖縄琉球王朝の時代には、王族やそれに準じる身分の人でなくては食することの出来ないという、高貴な食物の一つではあった。

初秋に最も脂が乗るという「サンマの刺身」を食した

サンマが美味しい秋になって、サンマの塩焼きより先に刺身を食してしまった。通年より一足早いサンマの味わい。順序も塩焼きを差し置いてのものである。

冷凍システムの進歩により秋サンマが身近となっているのであり、食べ物屋としてみれば単価の低い旬のサンマを、高い値を付けてメニューに載せられるのであり、願ったり叶ったりなのではあろう。

下に氷をひいた特別あつらえの容器に乗せられて提供されていたのである。こんな特別あつらえのサンマはとても瑞々しく、旬の味わいを充分に堪能したのであった。

ところでこの時季こと初秋のサンマは、秋深くなってからのサンマよりも脂の乗りが良いのだと云う。カツオと違って北から南下のルートを旅するサンマは、旅をするにつれてその身の脂身を減らしていくのだという。南下の旅が相当にハードな運動量を必要としているらしく、まさにダイエットの旅だという。

人生ならぬサンマ生のピークをダイエットの旅に費やすサンマの生涯が、何ともドラマティックに感じさせられた今宵なのである。

特別なつまみである「ガツキムチ」に関する考察

ホルモンの一種のガツをキムチ風に漬け込んで出されるこの料理。まっ赤ッかな色が印象的である。そんな「ガツキムチ」を食した翌日は赤い便のキムチを見て過ごすことが必須なのである。

それでも可也旨いのがこの「ガツキムチ」。それだけは認めていてくれ。

便がまっ赤っかになっても、これを食べた痕跡が残るならばこの赤々とした便を保存したい、等とのたまうた人は居なかったようなのであり、これをもって締めとするのです。

原田マハさんの近作「楽園のカンヴァス」は、絵画鑑定ミステリーというジャンルを切り拓いた

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原田マハさんの近作で山本周五郎賞を受賞した「楽園のカンヴァス」を読んだ。先日発表された今季の「直木賞」にもノミネートされており、今年度ナンバー1の評価も高い話題作である。

同書の装幀には、アンリ・ルソーの「夢」という彼の代表的作品がドンと大きく採用されている。注視していると左に全裸の女性が左腕を伸ばして何処かを指差している。彼女の表情やプロポーションはどこか不自然だ。女性の表現はリアリズムから程遠くデフォルメされており漫画的でさえある。また背景には楽園をイメージさせる樹林やら野生動物、野生の果実、等々がカンヴァスの中でひしめいているのだが、現実的イメージを突き抜けて夢想的なイマジネーションを徴表しているのだ。

そもそもアカデミックな美術の教育を受けてないルソーの作品について、欧米美術界の評価は二分されているようだ。「まるで技量の拙い日曜画家による作品」という否定的なものから「近代美術を大きく前進させた巨匠作品」というものまで、毀誉褒貶が極めて激しいのだ。

ちなみにこのポイントに於いて、作家の原田さんのルソーに対する肯定的評価は特別なものがあり、そんな情熱が物語を貫く底流として蠢いていることを感じさせるのである。

この作品とその架空の贋作(「夢を見た」という作品名)をめぐる美術関係者の謎解きを軸にして物語は展開し、近代絵画に於けるルソーの評価が、底流を流れる同ミステリーのテーマとなっている。

「夢を見た」という作品名の贋作に対しては、読み始めた当初はピンと来ない途方もない荒唐無稽なシチュエーションかと思わせたが、読み進めるにつれては、それもありなん。決して荒唐無稽ではない煌めくフィクションだと捉えることが可能となっていた。まさに絵画鑑定ミステリーというジャンルを切り拓いた意欲作品だと云えるだろう。ニューヨークのMoMA美術館にて勤務したことがあり、フリーのキュレーターの資格を持つ作家、原田マハさんが挑んだ、新しいジャンルのエンターティメント作品なのである。

某大衆居酒屋で飲んだ「フグのヒレ酒」にうっとり

ほとんど偶然的に立ち寄った某居酒屋にて「フグのヒレ酒」なるメニューに遭遇。早速飲んでみることにした。

高級料理とは大違いであり、通常のグラスの中には、普通の日本酒の中に焼かれた形跡のある多分フグのヒレなのだろう代物が埋もれていた。埋もれていたという表現は妥当か否かはおいらも自信が無いのだが、あまりにも無防備に配置されていたそのフグのヒレの様相は、その焼き方もいい加減なものとして映りつつ、焦げ目が目に付いていたし、ちゃんとして時間をかけて焼いたという形跡はまるで無かったのである。

出てきた「フグのヒレ酒」のグラスに先ずは鼻先を近づけてにおいをかいでみる。何年か相当昔に経験した「フグのヒレ酒」の面影は無きに等しかった。

それでもおいらは酔いと勢いとにまかせて飲み干していたのだが、飲み干した後味は決して悪くはなかった。飲み終えて見たフグの焼かれたヒレは、食べる気持ちを起こさせるものではなかったが、軽く咬んでみれば、焦げ目の味わいの中に、フグのヒレの焼かれた味わいを舌に感じることが出来たのであった。

という訳で、結論としては、焦げた焦げ目のフグヒレの味わいに大いに埋没して、うっとりと酔っ払ってしまったというおいらなのではある。

ハマグリより小ぶり、アサリより大きくて、身が締まった「ビノス貝」を食した

代表的な二枚貝と云えばハマグリやアサリであるが、ハマグリに似て大きな二枚貝で身が大きな「ビノス貝」を食した。

この名の由来が「ビーナス」から来ているというのであり、見た目の優雅さにも成程と思わせるものがある。

欧米県の中でも特にアメリカではポピュラーな二枚貝の代表である。ハマグリを小降りにしたようで、食感もハマグリを凝縮したように噛み応えも味わいも充分なものがある。

アサリの漁場関係者からは、余計な邪魔者だとして邪険にもされたようである。だがこの身もまた味わい深いものだと知られては、よそ者扱いなどできないのである。

実はこの貝は「成長貝」と呼ばれてもあり、大きくなるとハマグリを追い抜いて10cm以上にも達するというのだ。ハマグリを小さくしたものだとかアサリの邪魔者だとか云った安易な評価は相応しくないのだ。

直木賞受賞作、辻村深月さんの「鍵のない夢を見る」を読んだ

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今回の第147回直木三十五賞受賞作は、辻村深月さんの「鍵のない夢を見る」が受賞したという先日のニュースを聞き、早速、受賞作の中からその代表的一章の「芹葉大学の夢と殺人」を読んだ。

「地方」のという、云わば中央から距離を隔てた人々の日常生活をテーマに、人々の欲望と思いもしない崩壊を描いたという風な評価が踊っていることは、おいらも文芸誌誌上のコメントを読みつつ理解していた。だが然しながら、そんな評価、コメントと、おいらの個人的感想とは、ある程度の距離的違和感が存在していたと云うべきなのだろう。

作家の辻村深月さんといえば、特に読者層の中でも近年の若者層にファンを多くしているという。予め人気者としての直木賞受賞者となった訳である。

そしておいらが受賞作品も読んだのではある。もちろんのこと受賞作品としての完成度や、大衆文学作品としてのドキドキ感、ミステリー性も、申し分なく作品中にてアピールしている。一級的大衆文学作品としての条件は見事に整っている。だが、なんとなく物足りないという印象を受けたのもまた正直なところではあったのである。

余談にはなるが、同賞選考会にては、原田マハさんの新作「楽園のカンヴァス」が候補作にノミネートされていたということであり、おいらはこちらの作品こそは受賞作品に値するものだと考えている。後日、原田マハさんの「楽園のカンヴァス」についても記していきたいと考えているところである。

今年もまた「戻りカツオ」の旨い味わいに出会わしたのだ

今年も戻りカツオが美味しい季節となった。春から夏にかけて北方オホーツク近くの海を漫遊したカツオたちがたっぷりと栄養を蓄えて、日本近海の海へと戻っている。その鮮やか鮮烈な赤みにピンクの刺しが入ったような様は、独特のカツオの脂の乗り方を映している。

脂が乗っても決してくどくなく、かといって白身魚のような自己主張の薄くて他の食材に頼りがちな食味等とも、明らかな一線を画して、カツオ本来の持つ味わいである。そんな戻りカツオに出会ったおいらは、今年もラッキーであったと云えよう。

強烈な海洋魚としての一仕事を終えて、逆に南下のルートを選択させるのだから、それはカツオの生態という現象を超えた自然界の摂理が働いているはずである。

北上してのち南下するというユーターンルートを辿ってみると、黒潮の流れに押されるように北上したカツオたちが北海道沖の海水が冷えて南下に切り替わるポイントに、もっとも想像力を刺激される。潮の流れに逆らって南下のルートを選択する海の猛者たち。彼らはきっと、勝ち誇った道を捨てつつ帰るべき故郷を探す旅に出たのではないかと想像するのだ。

あぶったイカこと「剣先するめ」を頬張りつつ、しみじみの一献

「剣先するめ」というメニューを注文して待つこと十数分間。おいらは焼き場の炭火の上に乗せられたするめが体を捻っていくその姿に見惚れていた。

思わず知らずに「舟歌」の歌詞を口ずさんでいた。嫌いな演歌歌手の八代亜紀の姿までもを脳裏に浮かべており、大変に迂闊な所業であったと思う次第だ。

演歌は好きではないが、時と場所と+αにて、途轍もなく深い心情を仮託させるものとなっていくのであり、まさに八代亜紀の「舟歌」こそはその最たるものだと云えよう。かくまでに演歌が、其のメロディーと共に染み込んでいたのは驚きであり、演歌恐るべしなのである。


お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり ともりゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

この日のおいらはぬるめのお燗を憧れつつも、燗に手を付けることはなかった。燗に手を付けたが最後、自宅に戻ることなど不能となって飲んだくれてしまいそうであり、その場を凌ぐのが、いわゆるひとつのおいらの理性の発現であると思われた。それくらいに演歌の世界に引き込まれていた。

一夜干以上に干されたイカの身はからからと、見た目は薄っぺらかったのだが、一口二口と口に含めるにつれ、その奥深い味わいにうっとりとしている。イカの身は横に繊維が走っており、ここが頗る見事なのだが、その繊維にそって手でさばいて取り分けることが出来る。丁寧に取り分けたイカの身を口に頬張るのだが、唾液がイカに絡まるまでには多少の時間が要するので、すぐに飲み込んだりすることは出来ない。それがかえって、あぶりイカの奥深い味わいを、味わい抜く技を提供しているとさえ思えてきた。

石原伸晃の「福島第一サティアン」発言が意味するもの

自民党の総裁選挙に立候補して以来、にわかにマスコミへの露出が増え脚光を浴びている。ニュースステーションはじめ、数多のTV番組への出演において、軽薄の発言を繰り返している。

そんな中で論難の的となっているのが、「福島第一サティアン」発言に関するあれこれである。

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120914-1016643.html

曰く、東京電力福島第1原発事故で汚染された土壌の保管先に関し、「福島原発第1“サティアン”しかない」と、オウム真理教の関連用語に例えたのだった。

おいらはこれまで特別に石原伸晃をウォッチしてきた訳ではないが、この男の失言癖は生来的なものと思われる。「北方領土」と「尖閣列島」とをごちゃまぜにした発言は某TVでの生番組にて目にしたが、まるで小中学生が大切なキーワードを取り違えてしまって、周囲の番組関係者が慌てて取り繕うといった光景が垣間見られていた。これに類する事柄は枚挙にいとまがないものだと思われるのだ。

石原伸晃によるそれらの間違いを、単なる思い違い、考え違いだと判断するのは間違っている。「福島第一原発」を「福島第一サティアン」と取り違えたのは、普段日常的にこうした比喩を口にしていることが先ずは推測が可能とされる。ごく身内の仲間同士の発言に手はいつもこの比喩が口にされていたという推測である。

そしてマスコミにおいてもむ同様の発言が2度以上にわたって繰り返されたことは、前述した推測の根拠を補強するに充分なものではある。

「庶民」「市民」と称される日本国民の大多数を見下して、石原伸晃という男は政治活動を日々履行していると云ってよい。こんな男が日本の最高権力者となった暁には、これまでにない災難が日本国民の上に覆いかぶさってくるだろうことは容易に想像可能なのであるからにして、支持していない他党の出来事としては決して見過ごすわけにはいかないのである。

ピリ辛サルサソースが残暑バテに効く、沖縄料理の「タコライス」

沖縄料理店にて久しぶりに「タコライス」を食した。

ご飯の上に甘辛く炒めたひき肉、チーズ、トマト、レタス、そしてピリ辛の赤々サルサソース等々がトッピングされている。それを食べる直前に皿の上で混ぜて食べる。あまり混ぜ過ぎずに、具とご飯をざっくりとかき混ぜて味わうのが好みだ。サルサの刺激も舌をピリリとさせ、残暑で弱った身体に活を与えてくれるようだ。

南米メキシコの郷土料理の「タコス」の具をご飯に乗せてみたのがこのメニュー誕生の由来だとされるが、ご飯の上に乗せられた具に違和感はない。唯一のミスマッチ具材がチーズだが、適度に撹拌することで、ご飯に溶け込んでいくのだ。

野田佳彦の再選必定という民主党代表戦のあほらしさ

民主党の代表戦が告示されているが、日本国民としての観客として対応するならば、これほど興醒めな戦は無いと云って良い。

思い込みばかりが強く、即ちそれは野田という凡々野郎の自己満足を満たすばかり的政局を、これからも続けるのかという、あまりにも無残な希望をぐじゃぐじゃにする思いに漠然とするばかりである。

些少なりとも希望を抱かせたのが、数日前における民主党ずいいつのイケメン政治家こと細野豪志氏の野心に対するものであった。すべからく我が国の政治家(政治屋)たちは日本国総理大臣を目指すのであるからして、凡々野田の後塵を拝することなど潔くせずに、野心を発揮してほしかった。だがそんな観客の希望も、ぐじゃぐじゃと瓦解されることとなってしまった。

これにて野田の再選が決定的な規定路線となってしまった。対立候補の原口一博などは、反TPP等々、口先三寸では真っ当なことを述べてはいるが、かつて小沢の傀儡政権に乗っかろうとしてうごめいていた輩としては、誰も信用する人間、政治家には値しない。他の候補たちはまるで知名度も落ちた泡沫候補ではある。

「ほぼ朝だけダイエット」で、半年間で約5kgのダイエットを達成

おいら自身のダイエットの記録である。

翻って確認すると、本年の2月の某日から、自らのダイエットに励んでいたおいらである。某健康指導医の女医さんに「3ヶ月で3キロ体重を落としましょう」と云われて、1ヶ月に1kg程度を目安にダイエットを行なってきた。3ヶ月で目標の3kgのダイエットを達成し、その後も2kgの減量に成功しているという訳である。

ダイエット法は百花繚乱ではあるが、基本的には、以下の3点に集約されるだろう。

1食物の量を減らし、摂取カロリーを控える。
2運動量を増やす。
3代謝的な身体作り。

この中での「1」のポイントに焦点を当てたのが風本真吾ドクターが提唱する「朝だけダイエット」である。

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「先ずは、朝食を抜きましょう」と云い、それで一般的な朝食のカロリー量の400キロカロリーを減らすことが出来るというのが基本的な論拠となっている。朝食をとればダイエットにも効果的、等々と云う世間一般の常識とは一線を隠した、掟破りのダイエット法だという印象もある。

然しながらおいらはこのダイエット法を一部的に取り入れて、実際にダイエットに成功した。記すならば、「ほぼ朝だけダイエット」の実践であった。

平成の明智光秀こと石原伸晃が最高権力者になるのか(1)

政治家という職種の人間はほど知らずに権力欲に長けているとようであり、ことに総裁選、代表戦といった類の、数年に一度のメジャー級合戦に臨むときこそその本領をあらわにするものだと見える。

自民党の石原伸晃などは其の典型とも云え、父親譲りの奇異なレトリックを駆使しつつ、虎視眈々と最高権力の奪取には余念が無い。自民党の「ポスト谷垣」の座がすなわち我が国の最高権力者の座に直結するわけであるから、その言動にはのっぴきならないものを感じさせている。

現自民党執行部のNo.2の座に座っていながら、よほど座り心地が悪かったのであろう、一番の親分こと谷垣総裁に対し「谷垣さんのためにやってきた訳ではない」と、反旗を翻して立候補表明を行なった。それが原因の一角だろう、谷垣が立候補断念を示したことで、石原伸晃への評価が渦巻いているのだが、特に副総裁が述べたとされる「平成の明智光秀のようだ」というコメントが、火の燃料を注いでいた訳であり、一定の定番的評価として浸透している。

石原伸晃という政治家を積極的に評価しようという国民は、たぶんごく少数であろうが、それでもなお石原陣営は勢いがあり、自民党総裁選の本命と目されるほどになっている。自民党の総裁選びが石原支持に働く、石原伸晃支持に収斂するのであれば、知見のある多くの国民ははなはだ惨めな立場に立たされることになる。

魚の逸品加工品の「イワシの丸干し」焼きメニュー

魚の加工品的食材の中には「丸干し」と云うものがあり、イワシやサンマを天日干しや機械乾燥などで乾燥させた食材を指している。

特に好みなのは「イワシの丸干し」であり、先日は干し加減が良好で10cm程度の大ぶりのそんなメニューにありつけていたという訳なのである。

丸干しと云う加工魚食材の特長は、半生的な魚の良さを引き立てていることである。生の食感や味わいには遠いが、開きもの等の乾燥ものには有り得ない魚特有の苦みやアクを味わうことが出来る。

決してスマートな味わいではないけれども、却ってそれが魚独特の味わいを強調しているとも云えるのである。

居酒屋のつまみで出会した「豚のすき焼き」

日本の鍋料理の代名詞として「すき焼き」に勝るものは無いであろう。そんな「すき焼き」を此の残暑厳しい初秋の今の季節に食する機会に出くわしたのであった。

鍋を構成するその基本的具材は、豆腐、糸蒟蒻、葱、白菜、とそして豚肉。いつもの定例の定番的素材ではある。主役が牛肉ではなく豚肉だというのが、此のレシピの肝ともなっている。

豚肉は堪能したが、豆腐はいまいちであった。木綿豆腐か焼き豆腐を使用するのが定番であるのに絹豆腐が使われていたからである。すき焼きに絹豆腐は決して似合わない食材なのであり、邪道であった。

出汁を充分吸って味の染み入った「黒おでん」

静岡ではポピュラーなのが「黒おでん」。黒い出汁でおでん種をじっくり煮込んで、たっぷりと味を染み込ませている。

黒いのは「黒はんぺん」のみならず「大根煮」も充分に黒いのだ。

黒い出汁の基本は、牛筋からとっているので、コクがあり且つコラーゲンも豊かに息づいているのであり、東京でもしばしば見かけるようになってきている。ローカルな地域グルメがいよいよ全国区の予感なのだ。

細野豪志の民主党代表選出馬は、悪くない選択だ

民主党の代表選挙に所謂イケメン政治家こと細野豪志氏の出馬がとりざたされている。最低の野田の後任であれば誰でもましだ、誰でも良いだろう、等々という退廃的な気分を払拭する契機に成り得る。他にポスト野田の真っ当な戦略を描き得ない民主党の選択としては、悪くは無い戦略ではある。

何よりもまずは、駄目総理の野田再選の芽は早めに摘み取っていくことが肝心なのだ。

次の選挙では、民主党が第一党から退き自民党が比較第一党を得ることがほぼ必定と云われる状況の中で、細野豪志がはたしてどのような戦略をとるかについても関心は継続されていく。ここで野田的大連立のストッパーとなっていくことは細野豪志にとっては最も重要なスタンスなのである。

メニューには「抹茶サワー」とあったが実は「青汁サワー」という味のお酒に酔っている

久しぶりにJR中央線「阿佐ヶ谷」駅に降りてぶらぶらとガード下を散策していた。ちょっと右に逸れて横丁に入ったところで懐かしい赤提灯の姿につられて一献傾けていた。

豚系の串焼きや黒おでんなどが売りの大衆居酒屋であって、まずは当たりの予感ではある。注文した串焼きや黒おでんなどは旨かったが、レモンサワーやその他の酒類がいまいち。ちなみに今時の首都圏居酒屋にて「ホッビー」がメニューに無いというのも腑に落ちないのではあり、果たして此処は当たりなのか外れなのか? 些か心ふるえる展開となっていたのだ。

そんな状況にて目にしたのが、隣の人々がこぞって注文していた青緑色した焼酎割り。メニュー表には「抹茶サワー」とあったが、飲んでみればやはりと云うのか、「青汁サワー」という味のお酒であったのである。

もっと深い味わいを期待していたときの気分からは拍子抜けだが、決して不味くはなかったし、健康にも良さそうではあり、青緑のお酒に舌鼓をして帰ってきたという今宵なのではある。

かつて日本的ポップアートの代表として発信された奈良美智作品は大きな変貌を遂げていた

横浜美術館にて開催されている奈良美智氏の「君や僕にとょっと似ている」展は、2001年に開催した国内初の大規模な個展以来、横浜美術館では11年ぶりの個展開催となる。

おいらが初めて奈良氏に注目したのがその展覧会だったのであり、横浜美術館と奈良氏との間にはよほど強い関係性が生じているのであろう。

奈良氏の描く少女像はある意味でポップであり、さらに言を繋げるならば、コミック的シンボルとしてのイメージが強烈について纏わっている。

横浜美術館にてメジャーデビューした当初の奈良作品について、コミック作家的浅薄イメージの思いを強くしていたが、この10数年で、奈良作品は大きくその印象や価値観を変貌させてきたと云えるだろう。

かつて日本的ポップアートの代表として発信された奈良美智作品は大きな変貌を遂げていた。

もはや奈良美智氏の描く作品世界を「ポップ」だという形容で称することはできなくなってしまったという訳である。