今時のベトナム的ブームだと云う「牛筋ベトナムカレー」

現代のベトナムでは「牛筋カレー」が主流なんだそうである。特に、飲み屋で出される牛筋カレーは、鍋で煮込んで出されて、そんなカレーにバゲットを浸しながら、ワインを飲むのがベトナム流、通の作法と云うことなのらしい。フランス流にアレンジされたベトナム流のたしなみかたなのだろう。

おいらもベトナム風を真似て、「牛筋カレー」とバゲットで一献やってみた。

牛筋は隠れ素材的に所謂出汁の素のような扱いではあった。韓国料理の牛筋の存在感とは雲泥の差があったと云えよう。ともあれ、エスニックの香り漂うベトナムカレーは、ココナッツの風味が生きていてまろやかであり、スパイスもほどほど程度に効いていて、食べやすく食欲をそそっていたのであった。暑い春の日にはスパイスの効いたカレーはなまった身体によく効くのだった。

コリコリっとして海の野趣満点「サザエの刺身」

普段は壺焼きで食するサザエを、刺身で食べてみたのだった。

身の部分はコリコリっと硬く、海の野趣が満点に味わえる。しかしながら尻尾のように丸く縮こまっているところには、人や哺乳類の大腸のようなものではあり、しかるにうんち的部分には違いないのだ。

其処の部分を口に含むには多少の躊躇いが未だに生じるのである。何度かは食している「サザエの刺身」であるが、未だにこの点のおいらの中での解決は未知数なのである。

古きを温めてしかも新しい、今時の「ナポリタン」の味わい

その昔は「スパゲッティ」と云えば「ナポリタン」か「ミートソース」と決まっていたのだ、確か…。今は昔の「ナポリ」のスパゲッティが、復活のきざしなんだそうではある。

そんな最中、下町の居酒屋にて「ナポリタン」という〆のメニューが出されていたので注文してみた。

幼い頃に田舎の洋食屋で出されたように、ステンレス製のキッチュなプレートにフォーク、そして、ナポリ、ポテトサラダ、キャベツ、しし唐があしらわされていた。昭和の洋食屋の佇まいではあった。

フォークを口にあてがってみれば、やはりケチャップの濃い味わいが攻めてきた。だがこれこそはおいらが幼少の頃に愛でていた味わいの基本だとも云えるものだった。少し濃い目のケチャップ味と、柔らかく伸びてしまったくらいのスパゲッティーの感触とが、「ナポリタン」の基本的味わいであるのだが、その基本を今尚踏襲して提供されるメニューが存在することは慶びてあったと云う外は無い。

本屋大賞ノミネート作品、沼田まほかるさんの話題の一冊「ユリゴコロ」

[エラー: isbn:9784575237191:l というアイテムは見つかりませんでした]

2012年の「本屋大賞」にノミネートされ注目を浴びている、沼田まほかるさんの「ユリゴコロ」を読んだ。

「ユリゴコロ」という語彙は一般に存在しない作家の造語であり、「拠りどころ」に起因している。「ユリゴコロ」というタイトルによる4冊のノートに、読む者を驚愕させる内容の手記を残していた。その手記は「私のように平気で人を殺す人間は、脳の仕組みがどこか普通とちがうのでしょうか。」という一文から書き進められている。この手記の内容自体が小説の重要部分を占めている。それを主人公の亮介が偶然にも発見することから物語が展開していくのである。

精神的な病を患っていた手記の筆者が、精神科の医師に「ユリゴコロ」という言葉を何度も浴びせられていたというくだりがある。実は「ユリゴコロ」ではなくて「拠りどころ」であったということで手記の筆者も合点するのだが、物語のその後においても「ユリゴコロ」という語彙は云わばキーワード的なものとして存在していく。不思議な語感を残し、読者を特異な世界観へと誘っていくようでもある。

殺人願望という、幼児期からの衝動にとりつかれた内容の手記、しかも家族の誰のものかは判らないまま、何やら怖ろしい記述内容が事実かフィクションかも判然としないまま、主人公の日常のドラマと共に、同時進行的に手記の内容が明らかにされていく。ミステリー小説を読み慣れている訳ではないおいらにとっては、そんなプロットの展開には興味をそそられることは無かった。アマゾン等の読者評では「途中で結末がわかってしまった」等々の評が散見されたが、この作品もそうしたジャンル作品の一つなのかと理解したという程度の認識である。

手記内容が事実か? 或いはフィクションか? という点については、物語の中盤くらいで明らかにはなるのだが、それと反比例するように、小説世界への信憑性は薄らいでいったという思いが強く残った。無理矢理至極のプロットとでも云うのか、何だか無茶振りとでも云いたくなる後半の展開へとなだれ込んでいくのである。

複雑に絡み合う家族関係や特異な血縁の匂いが横溢し、それはそれで刺激的なのだが、これもまた、特異なフィクションでしかないという思いを強くしていたのであった。

イカ(烏賊)が美味い愛好家の聖地的スポット、荻窪の「やきや」を探索

荻窪の「やきや」を探索した。実に異色のいざかやである。焼き物が中心の立ち飲み居酒屋店だが、なかでもいかのつまみが豊富でしかも格安であり、地元の呑兵衛を中心に人が絶えることが無い。

元々昨年まで、「焼きや(「やきや」の前身)」は荻窪駅北口の一角にあった。それが昨年の何時か、いつの間にやら無くなっていたのでおいらはとても残念な気持ちでいたのだった。

ネットで調べたところ、荻窪駅の南口に新しく店舗をオープンしたという情報を入手。やっと新生「やきや」への訪問探索が叶ったのであった。

当店の売りはあくまでも「イカ(烏賊)」なのである。何故に「烏賊屋」「イカ屋」「いかや」と名付けないかと、かねてからおいらは疑問ではあったのであった。

それでも「やきや」が再開していたということは喜びであった。

先ずは「イカ軟骨焼き」を注文した。今ではコンビニのおつまみメニューで一般的なものではあるが、やはり生ものの「イカ軟骨」はと云えば、その触感やら生々しさやらにおいては絶品の一品ではあった。

そして二品目に頼んだのは「イカ耳の刺身」である。高級店では捨ててしまう部所ではある。身よりも硬く歯応えがある。それがまるでほのかにピンク色をしていて工芸品のような包丁捌きの一品として出されてきたので、それで第一発目のパンチを食らったようである。触感はそれ程は硬くなく噛み応えもあり、呑兵衛のつまみとしては申し分が無い。

地元で食べた「筍焼き」は大地のアクの味がした

筍は春に大地に芽を出してその日に採られ出荷される。少し育ってしまったものは筍にはならないのであり、云わば幼生の食材だと云えるのである。そんな旬の筍を焼きのメニューで食したのだった。

春ももう後半に近づいて、筍の出荷もピークを超えたようであり、希少性も失せ、注目度も低いのだが、こんな時期こそ美味なる筍が味わえると常々期待しているところなのである。

焼く前の大きな筍を目にしていたが、実際に焼き上がって提供されたものはとても小さかった。そして幾重にも重ねられた皮は硬くて厚くてとても人間の歯では噛み切れる類のものではなかったのである。

食した部分は少なくて、でも焼き色も少々付いていて、目にも口にも愉しませてくれていた。味付け、調味のほうはと云えば特別な工夫など無く、それが却って筍本来のアクのえぐみを強く感じさせていた。これは筍の本来の味わいの一部であり、摘むことなどあってはならないと感じ取っていた。それかあらぬかこの晩春の筍には、おいらも特別な思い入れを強くしている今日なのではあった。

春キャベツたっぷりの「タジン蒸し鍋」

久しぶりにタジン鍋を引っ張り出して鍋料理。「春キャベツ」として売っていた、いかにも新鮮な葉色のキャベツをメイン材料に使用した。新キャベツとも云い、文字どおり春が旬の食材だ。それに加えて新じゃがいもと、きのこ類、ワカメを少々。

春キャベツなどの新鮮野菜を味わうには煮る、炒める、よりも蒸すのが一番であり、その点でタジン鍋は少量の水分と調味料とで蒸し調理が手軽にできる、最適調理法と云えるだろう。

味付けはいつもの和風だしに「柚子こしょう」を少々。それにポン酢ダレをつくって食べたのだ。柚子の香りは味にアクセントが付き、これまた愉しめる。

ちなみに柚子こしょうの辛味原料は唐辛子が基本でありこしょうは使用されていない。昔は辛味調味料は「胡椒」が一般的だったためにこの名称が付いたとされている。

以前にも書いたが、「タジン鍋」は北アフリカのモロッコが発祥とされている。上にかぶせる、とんがりハットのような独特の蓋が特徴的だが、細くなった蓋の上部には素材から滲み出た水分が水蒸気となって充満しやがて滴り落ちた水分が容器の隙間をふさぐので、鍋の中が密封状態となる。肉や野菜類の香り、栄養素を閉じ込めるという、とても意義深い鍋なのだ。

とても暑い日に「担々刀削麺」を食べた

暑い日であった。猛暑と云うにはまだ遠いが、街を歩くだけで汗が滲み出てきた。昼時になり街を歩いていると「担々刀削麺」の看板が目に飛び込んでいて、それにつられるように担々刀削麺の辛いスープをすすっていたのである。

食欲が減退する1日だったが、胃腸の疲労に抗うかのようにその麺類に引き込まれていたのであった。特に「パクチー」と云うタイ料理に用いられる香菜の独特な一涼の爽やかな刺激が胃袋に流れ込むとき、日常の活力が取り戻されたようであった。

暑い日の食欲促進に辛い麺類はとても役に立つことを、再認識していた。

■刀削麺荘 唐家 秋葉原店
東京都千代田区外神田3-8-17 渡辺ビル

夜の吉祥寺「井の頭恩賜公園」と「いせや」を散策

夜の吉祥寺、井の頭恩賜公園の界隈を散策した。JR中央線幹線の吉祥寺駅から徒歩で10分以内の場にある井の頭恩賜公園は人の行き来は多かれども、とてもひっそりと佇んでおり、夜間の公園ならではの樹木や池畔、鳥類等の息遣いを感じ取っていた。

見えない場所を想像しながら歩を進めて行くと、池の中のたぶん鯉であろう魚がぷくぷくと息をする姿が浮かぶ様であった。

そして散歩のあとは、夜の「いせや公園店」にて一献。総本店が近代的な鉄骨ビルディングに建て替えられてからは、この公園店こそがいせやの面影を残している。

その昔はいせやにはホッピーが無かったが、いつの間にかホッピーは此処でもポピュラーなメニューとなっている。焼き鳥が有名な名店ではあるが、煮込みや餃子もまた旨い。もつ焼き類は荒削りのもつの素材を味わえるが、餃子、煮込みは、古くからの昭和の面影を伝える味わいが魅力である。

やはり「ホタルイカ(蛍烏賊)」は酢味噌和えが一番だと合点した

上野アメ横の居酒屋「大統領」新店に立ち寄り一献。

この界隈は立ち飲み店の強豪店が軒を並べる一角であり、そこにアメ横の名店とも称される「大統領」が進出したのは、ライバル店の進出に対抗してアメ横界隈の影響力を行使しようという意図等がうかがわれる。

名店の冠を戴いていた「大統領」が新興店の進出には無視出来ない事情があったのだと推察可能である。

そんな新規店舗「大統領」は、馬モツの「煮込み」をはじめとして定番メニューを提供しつつ、旬のメニューも看板に名を連ねている。

「ホタルイカの酢味噌和え」もまた、そんな旬メニューの一品。ボイルしてぷくっと太ったホタルイカに酢味噌を和えて出されており、まさに旬の美味を味わうことが出来たのだった。

今期、「生ホタルイカ」を食していたおいらではあるが、ホタルイカの味わいはボイルして酢味噌で和えるのが一番だと合点したのであった。

黄色の花弁が開いて庭のチューリップは5色の揃い咲き

ずっと蕾を閉じたままだった黄色のチューリップが花を咲かせ、庭のチューリップは5色の揃い咲きとなった。

赤と白のチューリップが初めて蕾を開いたのが、もう10日程前のことである。その後ピンク、紫、そして黄色のチューリップが花を咲かせたのだった。

狭い庭にしては似つかわないくらいに咲き誇っていたのであり、朝雨に濡れて花弁を開いている姿は凛としてとても優雅であった。

中でも最も優雅に凛として咲いていたのは紫パープル色のチューリップであったように感じた。大仰に自己主張などせずにゆったりとして群れの中腹に佇んでいた。花弁の色への特別な感情は、他のチューリップの存在を一瞬、忘れさせるほどであったと云ってよい。

新じゃが芋の揚物は、ポテトコロッケより美味かった

この時期に食べないと勿体ないのが、新じゃがいも、新玉ねぎ、そして新キャベツの春の新素材トリオである。春も佳境に入り、新とのたまうには遅きに過ぎるかもしれないが、今でもなお、春の新素材に遭遇すると注文したくなる。

このたび遭遇したのが「新じゃが芋の揚物」だった。そして出てきたのは、小ぶりだが丸ごと一つのじゃが芋に衣をつけて揚げられたメニュー。きっと下茹でなどの処理をしているのであろう、揚げ衣の下から身を現したじゃが芋はほくほくと柔らかく甘く、そして味わいが深かった。

揚げ物はカロリーが高いため、あまり口にすることは少なくなっていた。それでも時々はポテトコロッケ、アジフライ等のメニューは口にしている。コロッケはそんなソウルフードの一種であるのだが、この「新じゃが芋の揚物」はそれ以上の新鮮な味わいだったと云えるだろう。

居酒屋のブーム的メニュー「栃尾の油揚げ」

少し前からであるが「栃尾の油揚げ」というメニューが目に付くようになり、酒の肴に時々は口にしているのだ。お気に入りというには早いがまずまずのお勧めである。

大まかに説明すると、新潟県長岡市内の「栃尾」という地域で生産され食されているものを指しているのだが、一般的な油揚げよりは厚く、大ぶりであることをのぞけば、食する店によってその形態や味はばらばら。ジャンボな油揚げというキャッチコピーも散見されるが、全てに当てはまる訳ではない。

おいらが好きな「厚揚げ」くらいの厚さでありながら、それほど重くは無い。これを基本的に火にあぶって焼く。ガスで焼くより炭火で焼いて出されるのが旨いは当然で、この焼きの入った「栃尾の油揚げ」を時々あてにして一献傾けているという訳ではある。

ところがこれ、栃尾の地域一押しのメニューの割にはあまり印象に残らない。これが「栃尾の油揚げ」だというインパクトに欠けていると云って良いのだ。

それでもほぼこのメニューには外れは無いようである。厚く刻まれた豆腐を丁寧に揚げ込んでつくられたものだから、職人たちの心意気が染み込んでいるとみたのである。

今が旬の「ホタルイカ」の、刺身を食した

今時は「ホタルイカ」が旬である。ボイルされて酢味噌が和えられるメニューがほとんどであり、他には「沖着け」などがメニューに上っている。だがその他の希少メニューには「ホタルイカの刺身」なるものも有るのであり、この度はそんな絶品的メニューにあずかったのであり紹介して欲しくなりましたのだ。

今回「ホタルイカ」の語彙にてググってみたところ、刺身即ち生ホタルイカには、内臓には旋尾線虫という寄生虫が生息しているとされている。激しい下痢、腹痛があり、腸閉塞を起こす場合もあるが、たいていは腹痛が起こったり皮疹が出る程度、とのことであるが、生ホタルイカを食べると何だか寄生虫が沸くかの如くの表現ではある。

同様の事象は牛の「レバ刺し」にも当てはまるのであろう。「ホタルイカの刺身」が某寄生虫に汚染されているから市場に出してはいけない。或いは寄生虫に侵されているかもしれないので市場には出すな、等々の政治的パフォーマンスは、まるでちんどん屋の流しの芸のごとくに情けないの一言ではある。

肌寒かった今宵は、地元八王子のデッサン会に参加

休日なのに天候は肌寒くて、午後からは雨模様の日であった本日はと云えば、おいらはたまに参加している地元の八王子美術連盟が主催するデッサン会へと久しぶりに足を運んでいたのだった。凡そ月に2回程度のペースで開催されるデッサン会だが、今月は特別に、金、土、日の連続した日にちでの固定ポーズなのであった。おいらが参加したのはその最終日の夜の部。参加者は普段に比べて少なくて、却って熱中してデッサンに集中することができたのであった。

おいらにとって所謂「写実系絵画」などというものには、興味関心の埒外ではあるが、気持ちの感性の赴くままにコンテ(今日の素材である)を滑らせながらモデルさんと相対峙する時間はとても希少な代物ではあり、他の参加者の筆致やドローイングの息遣いに接することができて、それはまた希少性の体験であったのである。制作の時間は何時でも個人的で孤独な営みに終始しているが、こんなイベントに参加して、隣の制作者の息遣いや筆致に接しているのは悪くない時間の体験であった。

小金井「大黒屋」のクサヤとハブ酒で一献

その昔は「クサヤ」と云えば居酒屋の定番メニューであったが、近ごろはその匂いが敬遠されてか、中々メニューに見かけなくなってしまった。小金井の「大黒屋」はその「クサヤ」が味わえる今時の希少な店である。

■大黒屋
東京都小金井市本町5-17-20-101 1F

炭火にかざしてクサヤを炙れば、その匂いは店内に広まっていくのだ。酔客がその匂いにクレームを付けることも今では珍しくはないのである。

自家製の「ハブ酒」が提供されていたので注文してみた。35度の泡盛をベースに、ハブ蛇に十数種のハーブを漬け込んだという代物だった。

滋養強壮に良いという触れ込みだが、強いアルコールに強烈な眩暈を感じた。最近は強い酒はどうも苦手となってしまった。

今年も「ワラビ」が美味しい季節になったのだ

ことし初の「ワラビ」を食した。とても美味であった。

毒性が強いとか発癌性があるとか云う理由で「ワラビ」は一時期、不遇な非人気の時代を過ごしていたことがある。然れども科学的根拠の信憑度は未だ確たるものを見せてはいないようであり、今時の「ワラビ」は、美味だが毒かもしれない、食べ過ぎたら癌になるかもしれない、等々と云った巷間流布する悪しき評判と共にあると云ってよい。

旬の食材であるのにこうもマイナスイメージを背負ってしまっては、薄幸のイメージを背負ってしまった様でもある。何とかならないものであろうか…。

数多き山菜の中でもとりわけ存在感が強く、あくもまた強いのがワラビの特徴か。

少年のころ、ワラビ取りに出かけたのは母の実家の近くであった。群馬県利根郡の森の奥深くに続く歩道を歩いて行くと、寄り道するたびにワラビの群れに遭遇し、いつの間にかマイバッグの中にはワラビが充満していた。ワラビと共にゼンマイも同時期に収穫していたものではあった。

至極的上品な旨味が光る「キントキの刺身」

「キントキダイ」というぎょろりと大きな目をした赤い魚がいるのだが、この刺身の味わいは白身魚の中でも秀逸な味わいなのだ。関東の料理店では中々この魚に遭遇することは無かったが、偶然にも地元の居酒屋にてこのメニューを目にし、早速注文。予想通りに上品至極の味わいに遭遇して大変な満足を味わってしまったのであった。

関東でもメジャーな魚ことキンメダイにも、身の色が赤いことや白身の感触が、あるいは触感が似ているが、別物である。おいらは「キントキ」の身が大好きなのであり、メジャー級の「キンメダイ」以上だと確信しているのだ。

見た目もまた麗しいのである。紅色のピンク系色彩とでも云おうか。一般にピンク系は俗的印象を与えてしまいアンチ麗しの代表的要素ではあるが、こと「キントキの刺身」の身の色合いはそれらとは一線を画して優雅で麗しいのだ。この見た目も鑑賞に値すると云ってよいのだ。

庭のチューリップは赤色系類が今朝満開

昨日の強烈な大雨で我家の庭のチューリップの成長があやぶまられたが、今朝確認したところ、庭に咲いていたチューリップは殊に赤色系類が満開であった。大雨の影響など微塵も感じさせないくらいに生き生きと茎と葉とそして花弁を満開に開花させていたのであった。そして他の種類のチューリップは満開に向かって生命の羽根を伸ばしていたというところであった。

然しながら赤色係累のチューリップにも様々な種類が存在しており、その品種を突き止めるには少々の時間と手間が要ったのである。この鮮赤のチューリップの品種は、どうやらイルデフランスという種類のものらしいということが判明した。

鮮やかさと優雅さと、そして早生の品種としての跳びっきりの活き活きしさがこのチューリップの姿を厳かに感じさせていた。春のチューリップにもそれなりの生き様が感じ取られていたのであった。

高崎市美術館にて「ユーモアのすすめ 福田繁雄大回顧展」開催

戦後のグラフィックデザイナーとして活躍した福田繁雄さんの大回顧展「ユーモアのすすめ 福田繁雄大回顧展」が、群馬県高崎市の高崎市美術館にて開催されている。

■ユーモアのすすめ 福田繁雄大回顧展
〒370-0849 群馬県高崎市八島町110番地27
高崎市美術館
電話027-324-6125
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/art_museum/art/fukuda_shigeo.htm

個人的なことではあるが、おいらは学生時代に福田繁雄さんの事務所でアルバイトを行った経験があり、福田繁雄さんの仕事に関してはそれ以後も常に注目をしていた。ひょうひょうとした福田繁雄さんの風貌や声と共に、若き頃の記憶として鮮やかに蘇ってくる。改めて大回顧展の作品を目にしつつ振り返れば、どこかしこに福田繁雄さん自身が作品中に登場していることが印象的である。