大衆的味覚を今に繋げる「クジラのベーコン」を味わったのだ

クジラの捕鯨制限で生のクジラ肉は中々食することが出来なくなった。たとえ東京都内でクジラ肉に遭遇したところで、べらぼうな料金を請求されること必至ではある。であるからして近頃ではクジラ料理を口にすることは滅多に無い。

そんな中で「クジラのベーコン」という代物は、クジラ肉を原料とする保存食であり、安価に提供されている。都内でも決まったところの居酒屋では、年中在るメニューとなっているのだ。

このメニューも製造法は他のベーコン類と同様で、塩漬けにした後に燻製にして保存食仕様に変容される。酢醤油や和辛しで食されるのが一般的だ。

白い部分は脂肪分であり、高カロリー食品でもある。しかしベーコンとして流通しているクジラベーコンは、脂の生臭さは全くと云ってよいほど無く、まるで白身魚のベーコンのようにあっさりとした食感である。

改めて感じるのは「いわし刺身」の有り難さ

東京へと戻り日常の生活がスタートしているのだが、何時もの居酒屋の注文は「いわし刺し」であった。

青魚の原点とも云うべき豊富なEPA、DHAが含まれており、成人病(生活習慣病)予防には必須の食材なのである。

刺身として提供される生魚は高騰の気配だが、こと「いわし」に関してはそのような動きは無くて安定しているので、いつも普段も値段の事など気にせず注文できるのである。

青光りとも称すべき光輝くいわしの光明は、呑兵衛のみならず生活習慣病予備軍の人々に対して相当なる光明となって一段と光輝くはずである。

「弱い魚」などと蔑んでいる人はまだこの鰯の凄さを知らないのだというべきなのである。

天然かけ流しの秘湯「滑川温泉」に投宿

奥羽線「峠」駅から「滑川温泉」へと向かっていた。と云っても自力で登山したわけではなくて、宿の送迎の車に乗せてもらったのである。

送迎してもらった滑川温泉の「福島屋」は地理的に見ると山形県米沢市内にあるが、秘湯の一軒家と呼ぶに相応しい稀有な温泉宿となっている。自然のままにある山の風景と、天然かけ流しの温泉と、地元由来の料理、そして宿の人たちの人情、それ以外には無駄なものが無い。余計なものが無い。そういった特長を示している。ごてごてと着飾った温泉宿などは過去の遺物ではある。それに引き替え滑川温泉「福島屋」の存在は、あるべき将来像としての日本旅館の姿を示しているとも云ってよいだろう。

温泉は天然温泉100%のかけ流しである。新緑の息吹が香る露天風呂につかっていると日常の雑念は確かに消え去ってしまう。天然自然の力に対して人間の矮小な営みの様相がまるで馬鹿げた雑念の如くに捉えられてくる。自然の持つ力に対して人間存在の脆弱性が浮かび上がってくるのだ。

例えば人間にとっての「死後」という存在は、自然の大いなる営みの一部でしか無いのであり、観念的な雑念を排して死後の姿を捉えるには、此処のような特別な場所に居てしか感じ取ることが出来ないのかもしれない。そんなことを感じ取っていたのである。

この宿では自家発電によって電力供給を行っており、あまり電力を使い過ぎると切れてしまうので、電気を扱う関係者も大変なのであろう。おいらの滞在中も時々は電気が切れて中断となっていた。だが予想外なこととしては、インターネットのWiFi回線が回っていたために、おいらが持ち込んでいたノートパソコンの無線Lanにも対応していたので、滞在中のブログ更新も可能となっていたのだった。

夕食には「鯉の旨煮」が出されていた。川魚の王様こと鯉の旨煮であり、旨いことは申し分がないのだが、些か甘すぎるきらいがあった。こんな甘過ぎる味付けが必要なのだろうかと、訝しくも思っていた。

滑川温泉 福島屋
山形県米沢市大字大沢15番地
TEL.0238-34-2250

奥羽線「峠」駅前茶屋で食べた「ずんだ餅」

奥羽線に乗って「峠」駅にて下車。駅前の「峠の茶屋」にて福島、山形地方に伝わる郷土料理の「ずんだ餅」を食べたのだった。

枝豆をつぶして砂糖などを混ぜて甘く味付けした「ずんだ」を柔らかな餅にまぶして出されていた。枝豆の香りがほのかに香る上品な餡がとても魅力的だ。賞味期限は短く日持ちしないのだが、そこがまた旅行者の人気の要因でもある。全国区にならない理由の一つといえよう。防腐剤入りの力餅など食べたくなるはずも無いのだから。

この「峠の茶屋」は創業明治27年。奥羽線の開業よりも古く、かつて峠を越えていく旅人を相手に、精のつく餅を提供した茶屋として親しまれてきた。「峠」駅構内では電車の発着時になると、駅弁スタイルで「峠の力餅」が売られている。今時珍しいローカル駅での光景である。

■峠の茶屋
〒992-1303
山形県米沢市大沢848

福島の飯坂温泉は寂れていた

福島県を旅行中である。所謂ゴールデンウイークに何も安らぎの時を持てなかった故の、遅れたバケーションのようなものである。福島といえば云うまでもなく昨年の311の大地震被害とそれに伴う原発爆発の被災という累乗された被災地として、もっとも関心の高い地域ではある。いつもは東北旅行と云えば福島はたまには途中下車してみる土地柄ではあった。だが今回は兎に角も行きたい土地だったのである。

夜の街の歓楽街としての福島市街は、想像していたよりも数倍は賑やかであった。市街地の主要道路を占めるのがタクシーの縦列であった。深夜にわたってこの地の呑兵衛たちは酔いの時を過ごし、そして帰りにはタクシーや代行車やらの、決して安くはない業者への支払いを、日常的に行なっている県民市民は、けだし貧乏な被災地というイメージから程遠いものではある。

市街地の夜の居酒屋で注文したのは「餃子」である。この土地のB級グルメであるとのインフォメーションを受けていたことからでは在る。厚めの皮にシンプルな野菜の餡が入っている。消費量を見れば数字的には宇都宮や浜松に劣るのであろうが、ここ福島の餃子は立派にB級グルメの冠に似合うものだと理解していたのではある。グルメの基準が数字でばかり計れること自体がそもそも可笑しいのである。

市街地の喧騒に比べて、立ち寄った福島市内の「飯坂温泉」は、閑散としていた。福島駅から電車で30分弱という好立地、松尾芭蕉が入った「鯖湖湯」という名湯を持ちながらも、観光地の風情は感じられない。逆に目に飛び込んだのは「がんばろう!!福島」「飯坂温泉は負けない!!」というのぼり旗だ。震災とそれ以上に原発爆発事故の影響で、観光客が激減しているのがはっきり見て取れる光景である。市街地の喧騒と名門温泉郷の寂れ振りとのギャップは凄まじいものである。福島に対する所謂風評被害が甚大である。

厚い雲の隙間から姿を見せた「金環日食」ショーに釘付け

何しろ先日からのマスコミ報道によれば、我国本州で金環日食が見られるのは129年ぶり、首都圏においては実に173年ぶりの天体ショーだということであり、万難を排してその貴重なショーを目に捉えようと、昨夜から些か気張っていたのである。

ところが朝起きて窓を開け、ベランダから東の空を眺めると、そこには分厚い雲の群れが立ち込めていて、とても太陽ショーを拝められる様な天候ではなかった。グレーの空の向こうに太陽は隠れており、日食が始まる時間が過ぎても、太陽は中々姿を見せようとはしなかった。TVニュースにて放映される日食の映像は九州鹿児島から始まってリレー式に捉えられていたが、予定コースの多くの地域では厚い雲に閉ざされているようではあり、おいらの居場所もまた、姿を見せぬままいわば素通りしてしまうのだろうと、半ば諦念とともにあった。昨晩用意した一眼レフカメラ、ミラーレスカメラ、日食めがねを傍らに置きつつ、ただおぼろげに光る隠れた太陽の方角を眺めながら、時は過ぎていった。

7時を回っても空も大地も重く暗く、諦めが落胆に変わろうとしていた。そんな時、厚く閉ざしていた雲の隙間から漏れるように、黄色い筋状の光が地上を照らし、その後数分間の間だけ、薄い雲のフィルターから覗かせるかのように日食の太陽が姿を現したのであった。天体ショーのクライマックスを直前にしたときの主役の登壇に否がおうにもテンションは高まり、慌ててカメラのシャッターを押していた。厚ぼったい衣装を脱ぎ捨てつつその熱い柔肌を薄いベールの先に露出するかの演出に、気持ちは上ずっていたと云えるのかも知れない。

標準ズームレンズのミラーレス機で捉えた金環の太陽は、小さいながらもくっきりとした黄金のリングを描いていた。だが望遠レンズを装着した一眼レフ機の映像は、白く拡散した光が散らばるばかりで、リング状の姿を捉え得なかった。オート露出に頼った為の露出ミスであることに気付いてマニュアル露出設定に切り替えたが、捉えた太陽はすでに「金環」の左の環を欠いてしまっていたのであった。

青い空に白い太陽の金環ショーを想像していたのとは全く異なった光景ではあり、それが却ってドラマティックな印象を植え付けてくれたのである。

茹でより一段と野性味が増して旨い「焼き空豆」を食べた

空豆を焼いて食べたのだ。大ぶりのさやに大ぶりの緑色の豆がおさまっている空豆は年中食材とは云い難く、季節感を伝えてくれる。今の時期は収穫量も多く、旬の食材の一つである。

通常は茹でて味わうものだが、焼いても旨く、少々硬いが身が締まっていてかえってその野趣を味わうことができる。特に弱火でじっくり時間を掛けて焼いた空豆には頬が緩んでしまうくらいだ。

さやごと火に掛けるので焦げたさやを目の前にするとグロテスクではある。それでも手で裂いてみれば、鮮緑色のはじけるような豆の生命感を感じるのであり、そんな豆の身を見るにつけ夏近き季節の到来を実感することとなった。

子供の頃から頻繁に食べたという記憶は無く、今でもなお希少な食材であろう。我が国においても、蚕豆、四月豆、五月豆、夏豆、冬豆、雪割豆、 大和豆、雁豆、唐豆、南豆、等々と、地域それぞれにその呼び名は様々であるという。中でも一般的な「空豆」という呼び名の由来は、さやが空に向かって身を付けていることから付けられたネーミングであり、関東出身のおいらにとってはやはり「空豆」という呼称が一番しっくりくるのだ。

「焼きおにぎり」はさしずめ呑兵衛の〆の正横綱だ

「ちょっと時間が掛かりますか、大丈夫ですか?」

そう返答されて、却って期待がふくらんでいた。居酒屋で飲んだ後で〆に「焼きおにぎり」注文したときのことである。

家では滅多に作らないし、冷凍食品の焼きおにぎりには辟易している。実際に焼いていないことにプラスし、おにぎりの中身にまで醤油味が蔓延していてあり、まるで焼きおにぎりの良さを台無しにしているのであり、その昔食べてもどしたくなったくらいである。

メタボ体質が目立ってダイエットを続行中のおいらは、あまり〆の料理、殊に炭水化物の摂取を控えているのであるが、それでもたまにこの「焼きおにぎり」のメニューを目にしてつい注文の一言を発してしまうのであった。

日本人の体質において「米」の果たす役割は尋常ならざるものがあり、しかも米というのはスローフードのトップランナーである。それを極々スローな調理法にて絶妙の逸品を生んでいる。「焼きおにぎり」とはさしずめ、呑兵衛人の〆の正横綱だということは間違いないようだ。

中華料理「ゴーヤと豚肉の炒め」を肴にホッピーもまたいける

以前に「ホッピー党宣言」を行なったおいらである。夕食と共に行なう晩酌は、基本は和食、と云うよりも居酒屋料理である。旬のものを、できるだけ生の素材を生かした料理で、というのが基本だ。

だが然しながら最近はといえば、中華料理を肴にホッピーを呑むことも難しいことではなくなっており、そんな店舗においては必然的に中華&ホッピーという構図が成り立っているのだ。

今宵の中華店にて食したのはは「ゴーヤと豚肉の炒め」。ゴーヤ(苦瓜)と豚肉を炒めた料理であり、沖縄の「ゴーヤチャンプル」に良く似ているが、味付けは別物である。中華料理の中でも特に辛味調味料を駆使する天津風の味付けであり、更に目立つのは、オイスター風味である。干渉的な素材としてトマトが用いられていたことが特筆される、このメニューのポイントなのかもしれない。

高円寺「大将」の「スタミナ漬け」はこれからの季節にお勧め

高円寺に途中下車して居酒屋「大将」にて一献傾けていた。

本日のお勧めメニューには「スタミナ漬け」というクエスチョン的メニューがあったので、早速注文してみたところ、出てきたのは、モツの中でもとりわけ「ハツ」の部位が主体のものが、酢漬けにされていたものであった。

有りそうで無かったような奇抜なメニューではある。コリコリとしたモツの感触が冷たい酢漬けという調理工程を経て、こうなったというのが先ずは判るというのがこのメニューの存在感ではある。

このようなメニューは云わば奇抜と云うより以前に有り得ないような類いの品ではある。それでもおいらはこの酒のつまみについては好意的な思いを抱いていた。これからの夏真っ盛りに向かう季節において、このメニューは呑兵衛には有り難いメニューとなっていくのだろうなという思いを、多大なものにしていたのではある。

島田雅彦さんの新著「英雄はそこにいる」には興奮を禁じ得ない [2]

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プロット、登場人物等々、かなり痛快である。

主役は、現代のヘラクレス(すなわち「英雄」)こと佐藤イチロー。暗くかつ凄みある過去を持つ天才暗殺者である。脇役として、シャーマン探偵ナルヒコ、「特命捜査対策室」の穴見警部、たちが脇を固めている。端役として登場する大阪府知事、新興宗教団体代表、或いは北の黄泉の国の三代目たちは、まるで哀れで滑稽なキャラクターとして動き回り、読者が多分望んでいるであろう筋書きにて進行していく。ちなみに大阪府知事はあっけなくイチローの刃で暗殺される。そんな筋書きは、上質な小説ならではの筆致にて描かれていき、ある種のカタストロフィーをかたちづくっていくのである。

そんなこんなの記述がまた英雄の存在感、英雄待望のプロットに、ある種の必然性を加えているのだ。

然しながらだからといって物語に現実性があるかというのではなくしてその逆ではある。ヘラクレスの物語が非現実性で一貫している以上に、非現実性がはえる特異な物語のプロットを最後まで貫いているのだ。

先日の記述の続きになるが、島田雅彦さんが描いた現代的ヘラクレスの物語は、おいらをはじめとする読者を興奮の渦に巻き込みつつ、ちゃんと小説的世界観を確立させてもいる。純文学とは云えないであろうこのエンターティメント小説を読みつつ感じるのは、何よりも、時代の風、息吹、或いは息遣いというものである。時代の風を小説的に構成している。けだしこんな才能は現代日本の文学界には、島田雅彦さん以外に見つけることはできないのである。

酒の肴としては上出来な「シマホッケ焼き」

シマホッケ(縞ほっけ)の焼き魚を食した。脂が程よくのっているその身の味わいはあっさりしていて食べやすい。酒の肴としては充分上出来な逸品である。

しかしながら昔からこのホッケの類いは冷遇されてきた。某百科事典には「不味い魚」という記述があったほどである。

おもに北海道などの北国の海に生息している。縞が目立つのがシマホッケであり、一般的なホッケよりも深海に生息し、より脂分が豊富である。

昼時の定食の肴としてよく見かけるのがホッケであるが、ホッビーにも合っていたその魚は、酒飲み呑兵衛にとっても美味い魚の一つであった。

島田雅彦さんの新著「英雄はそこにいる」には興奮を禁じ得ない [1]

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今月に出版されたばかりの一冊、島田雅彦さんの新著「英雄はそこにいる」に思いもかけずに興奮したのであった。読書的感動としては近頃無かったようなインパクトである。

小説の最後の一説を読み終えて瞬時に理解した。この小説の作家は自らの世界観を展開したかったのであると。そしてそんなやんちゃな企みはある種の成功を遂げているのであることをおいらは理解していたのであった。

紛れもないエンターティメント小説である。純文学作家としての筈ではあった島田雅彦さんは、いつの間にやらエンターティナーに変身していたということなのかも知れない。しかも一級、特級のエンターティナーではある。

頗るテンポのきいた展開である。それに引き替えシチュエーションはまるで非現実でありながら、人々の無意識的な欲求を汲んでいて、非現実的なプロットに存在感を与えているようなのである。

(この稿は続く)

松茸擬きより格段美味い「エリンギ」のチーズ焼き

地元のスーパーでは「エリンギ茸」が安売りセールされていたので購入してきた。

一時期前にはこの食材は「なんちゃって食材」として、松茸に似せた触感が注目を浴び、松茸エキスや松茸の香りを被せればまるで松茸料理のように味わうことができるといった、ある種滑稽な主張ではあった。

そんな松茸擬きの食材ことエリンギではあったが、普通に焼いてから牛乳で煮て、そしてとろけるチーズを振って焼くと云う、グラタン風の手法、味付けにて調理してみたら、思いの外に美味かったのであった。

最近はエリンギはエコ食材的な売られ方をしており、ダイエットにも効果的なことから、毎日の料理レシピへの活用が有用であると考えられるのである。

我国の酒場におけるノンアルコール族の生態

先日、上野界隈の居酒屋にて一献やっているところへ、奇妙な客が訪れた。店員の「お飲み物は?」との問いかけに、「ノンアルコールで」と返していた言葉が、その場においては奇妙珍妙の類に感じさせていたのである。

「ノンアルコールビールは無いんですか?」

とそう穏やかに聞く客に対して、若き女性店員の対応は極めてぞんざいであった。酒を飲まない客など客の資格に値しないと、多分そのくらいの目線で客を見下している光景であった。その店員が何と答えたのかは残念ながら把握できなかったのだが、その後のやり取りで、客が出した注文の豊富さに、つまりは呑兵衛を超えるくらいの通的のオーダーを受けて、店員はそそくさと後ずさりをするしかなかったようである。

おいらの知人でも「酒は飲めないが、酒場の雰囲気が好きなので、一杯付き合う」とのたまわれて酒を酌み交わした人たちは少なくは無いのであり、ノンアルコール族の人権と云うべき問題がそこに横たわっているとも云えるのかもしれない。

ともあれおいらはそんな光景を目にしつつ、やはりそのおやじに言葉を掛ける気にはならなかった。素面の人間と酒場で一緒にした時のこと、つまりはノンアルコール人間と一献やっていたときの、その気まずさが、改めて記憶に浮かんできていたのであり、そんな異質の人間に対する、ある種一定の防御本能が働いたのかもしれないのであった。

美味しい「オムレツ」に出合うと嬉しくなる

美味しいオムレツを食べることができた。美味しいものは箸よりもやはり酒がすすむのは何時ものこと。ふわふわとして柔らかくそしてクリーミィである。この触感は他には見られない代物ではある。

しかもシラス入りでありカルシウムが豊富とあっては喜ばしきことこの上ない。食糧難の戦中、戦後にこの2種類の食材が果たした役割は筆舌に尽くしがたきものではある。

近頃の大衆居酒屋で美味いオムレツを出す店は少なくなっている。手に職を付けた味職人が減ったということ、そして悪しきコスト追求がその要因ではあろう。

今や多くの大衆居酒屋の主的アイテムは揚げ物であり、時間とコストを天秤にかけたコストパフォーマンスはこれに勝るものはないと云えよう。そんな状況の中で美味いオムレツを出している居酒屋のメニューには、敬服に値するのである。

浅草ホッピー通り「居酒屋どん」の「牛スジ煮込み」

浅草の「ホッピー通り」はホッピーを提供する居酒屋が立ち並ぶ、おいらの行き付けの場所であり、そこでよく注文するのが「煮込み」である。

なかでも「牛スジ煮込み」は多くの店舗での看板メニューとなっている。

人気繁盛店「居酒屋どん」の「牛スジ煮込み」もまた、そんな看板メニューの一つである。

大きくカットした牛スジがドーンと迫力のボリュームで提供される。大根、人参、蒟蒻等々の他の素材も大きくて、食べ応えも充分なり。

だが不満もある。大降りの牛スジはじっくり時間を掛けて柔らかいのだが、コラーゲンの栄養素が足りないのだ。もっとねちっとした触感が牛スジの持ち味なのだが、その点で持ち味のアピールポイントが足りない。

■居酒屋どん
東京都台東区浅草2-3-17
03-3843-0028

高円寺「大将3号店」の「上海火鍋」は優しい味がした

高円寺にある居酒屋「大将3号店」にて「上海火鍋」を食した。

ラム肉、ネギ、ニラ、モヤシ、鶏肉団子、春雨の6点がセットになって一通りの具材が揃っており、火鍋スープはと云えば鶏がらベースに唐辛子やラー油やらにより辛目に調合されており、丸ごとの大蒜も入って味覚の奥行きも在る。決して居酒屋のやっつけ的メニューでないことは請け負いである。

ある時期のおいらは火鍋に嵌っていたことがあり、都内の火鍋専門店やらに足繁く通っていた。辛味が際立っていた専門店の火鍋は、汗をふきふき、口をパクパク、そしてハーハーと大きく呼吸をしながらコップの水を口に含みつつ、完食を目指していたものではあった。それはそれで愉しい経験ではあったのだが、火鍋=辛味的刺激体験という構図には、ある時期になって飽きを来たしていており、それ以来はあまり外食で食することは少なくなっていた。

今回の「上海火鍋」はベーシックな火鍋のレシピを踏襲しつつ、スープは辛過ぎず、大蒜味が利いていたり、春雨が辛さを中和していたりと、とても優しい味わいに感じられたのである。お気に入りのメニューに加えてたいと思ったのであった。

夏間近を感じさせる「ゴーヤ(ニガウリ)」の味わい

5月8日は「ゴーヤの日」である。

暑さを感じる季節になった。昼間の暑さは汗が滲み出るほどであり、夏にはまだ早いが、春本番と云ったところだろうか。未だ夏には早いのだが、地元のスーパーには早くも濃緑色した「ゴーヤ(にがうり)」が棚に陳列しており、夏の到来を予感させるには充分な光景であった。

ゴーヤの表面にある濃緑色のイボイボは夏の汗を象徴するかのように強力なエネルギーを連想させるに充分であり、その独特な苦さとも相俟って、夏には欠かせない食材として定着している。主産地が我が国最南の沖縄であることも、そんな存在感を強靭に後押ししている。これから幾度となく食卓に上る食材であることは確かである。

早速購入し「ゴーヤチャンプル」を調理。沖縄料理のチャンプルの味付けとは多少違えて、鶏ガラスープとオイスターソースで中華風の味付けを付与してみた。ゴーヤと云う素材自体の存在感が強いため沖縄風との違いは些細なものだが、それでもおいら流のレシピとしてはこれがポピュラーな味付けとなっている。ちなみに卵とじにしないのもゴーヤの苦さが削がれてしまうからであり、おいら流である。