ラッキョウ間近の「エシャレット」の芳香なる味わい

何時もの居酒屋にてホッビーとエシャロットで一献。ラッキョウが早生的に刈られたものだと云うのだが、ラッキョウとはやはり異質の食物であるとの認識である。

酢漬けのラッキョウに比べて香味が豊かであり、更にはブーンと鼻腔に抜ける鮮度がたまらない魅力である。

脂っぽいつまみを食した後にはもってこいであった。今日は串カツを食べたのだが、久しぶりの揚げ物の諄さが緩和されていた。それどころか、まだ更に食欲を旺盛にしていたのである。

ラッキョウは生では食べ難いがエシャレットは食べ易い。そういう点では日本料理的食材である。

カツオの土佐づくりの脇役でもあるということであり、今度試してみたいという思いを強くしている。

つげ義春さんの文庫版新著「つげ義春の温泉」

[エラー: isbn:9784480429537:l というアイテムは見つかりませんでした]

旅好き、温泉好きの漫画家、つげ義春さんの文庫本としての新著である。いつもの書店にて偶然に発見して買い求めていた。

岩手、青森等々の東北地方から始まって、関東・甲信、九州・近畿の、夫々の鄙びた温泉地の写真がまとめられている。それら全ての写真の撮影者がつげ義春さんであり、そのほとんどが、東北地方の湯治場温泉地で占められている。

つげさんによる写真画といった印象の一冊である。

昭和時代の湯治場温泉地の風情が滲み出ており、平成時代の今では懐かしい、全くといって良いほど異質的な昭和の風情である。

その画質はちょっとピンボケどころか、とてもアウトフォーカスが施されており、それは古きフィルムと古き良き時代のレンズによるものであることが推察されている。

猫も杓子もデジカメの時代にあって、このようなアウトオブフォーカスなるビジョンがもたらす懐古的ビジョンにはとても引き付けられるものがある。

おいらがかつて訪れた温泉地もあれば、未だ未訪問の地の温泉地もある。東北の温泉地でもまだまだおいらが未訪問の地は多く在った。

数ある写真の中でも注目したのは、岩手県の「夏油温泉」の写真群であった。湯治の場所としての風情は格別であり、しかもすこぶる開放的である。今年もまた「夏油温泉」を訪れたくなってしまった。

マグロは1番では無いが確かに美味い、ただし赤身に限るのだが

マグロはおいらことカツオの天敵ではあるが、確かに美味なり。

体長からして巨大であり、おいらことカツオはマグロの存在に怯えていると云ってもよい。

だが然しながら、俊敏性や活動力、等々においてはカツオのほうが勝っている。

マグロの特長はと云えば、ずんぐりむっくりの大洋航海のイメージ様が先ずもって浮かび上がる。

大洋を我物顔に泳いでいる姿である。こんな悠揚せまらぬ泳ぎの風情はマグロならではのものではある。大海を泳いで主役の有様なのだ。

サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー

サッカーアジア予選の日豪戦。ひょんなことからサッカーファンが大勢集う酒的交流場での観戦となっていた。サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー。とても後味が悪い印象の試合となってしまった。

実質的に勝っていたはずの試合が、審判の不可解な判定によるPKと、その結果としての同点弾の被弾。まさかのドローではあった。

アウェーでの試合ではドローもまた意義のある結果かもしれないが、それにしても勝てた試合であるのを審判のミスジャッジで駄目にされたのだ。納得いかないのは当然である。アウェーでのハンディなのか? 否、サッカー後進国のハンディーなのか?

晩酌の友としてもいける「五色納豆」

もともと納豆は大好きであるが、近頃は食する機会も減ってしまったようだ。朝御飯を焚く機会が少ないうえ、朝食も外食で済ませてしまう傾向が続いている。たまに「吉野家」等の朝定食で納豆を食するくらいに疎遠となってしまったのだ。

それかあらぬか最近では、晩酌の友に「納豆」の出番が増えたのである。焼酎、ホッビーを飲みながらの納豆のネバネバ感はけっこう相性が良い。ねばねばした口腔内を爽やかなホッビーが洗浄していくようでもある。これはご飯と納豆との関係以上の親密性かもしれない。

本日注文したのは、納豆とマグロ、イカ、タコ、サーモン、白身魚と云う五色の海鮮食材、さらに卵黄、葱、海苔、沢庵漬け等が一緒になっている。それを箸でかき混ぜれば、程よいネバネバの食感と共に、渾然一体となった納豆の香りが鼻腔を刺激するのだ。

海鮮ものと納豆との相性は頗る良く、手軽な酒のつまみでもある。朝食での登場が減った「納豆」という食材が、夜の晩酌の友として復活したのである。

野田佳彦の欺瞞(2)突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした

先日の野田佳彦の、突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした。

「国民生活守るため必要」だなどと云うまるで大勘違いのコメント共に記者会見を行なっていたのだから尚更ではある。

野田佳彦という男はまるで勘違いの権化である。

極めて悪い意味での自己満足、大衆迎合、保守反動、劣悪謬見、自己憐憫、のかたまりである。

こんな人間を首相にしている我が国の悪しき国民性の性格が否が応でも浮き彫りにされるのである。

こんな馬鹿首相については、かつて掲示板上にて誰かが主張していたように、徹底的に病理学的解剖やらを行なう必要がありそうだ。

そしてこんな言辞をマスコミ媒体が真に受けてしまうことこそ我が国の病弊が潜んでいるのかもしれない。

精進料理的メニューの「湯葉刺し」に舌鼓み

痛風発作中のおいらであるが、散歩がてらに居酒屋にて一献は止められなかった。

それでもつまみの種類には気を配った。特に肉類のものはすべて(おそらくは)拒否しつつ、「湯葉刺し」に舌鼓みを打っていたのだ。

数多ある精進料理メニューの中でも特別な存在感を持っている。インパクトが大でありながら、痛風持ちの人間にも優しいという稀有なメニューではあった。

痛風の甚大なる疼痛に苛まれた

昨日から「痛風」の発作に見舞われていた。およそ1年半ぶりの発作であった。特に昨晩からの疼痛は耐え難いものであり、睡眠時間もおよそ3時間程度しかとることができなかった。

かねてより痛風発作の原因物質である「プリン体」摂取を控えることを心がけてきたが、ついつい油断が生じていたようであったのだ。

時々、生ビールなどを注文するようになっていたし、レバー等のモツ焼き、鱈子や筋子等の魚卵類、おいらの好物である食物を、少しずつ増やしてしまっていたからではある。

5回目くらいの発作ではあるが、疼痛の程度は今回が最も強かったのであり、初めて、痛風専門の医院を訪れていた。発症箇所の足の親指はより根元に近づいていた。

医院では靴下を脱いだ足を見せつつ、女医さんに疼痛の緩和治療を訴えていた。妙齢の女医さんは微笑みつつ、

「8割がた痛風に間違いありませんが、症状が治まってからの治療が大切です。痛みが引いた後も受診してください」

「強い痛み止めの薬を出しておきます。静脈注射で炎症を抑える注射をしておきましょう」

と優しい言葉を掛けてくれていた。

一晩続いていた激痛は、注射後1~2時間で引いていき、今は多少の違和感や腫れがあるものの大分回復したのである。医療内容の印刷物をチェックしたところ、静脈注射は「リメタゾン」と云う、主にリウマチに対して処方される聞き慣れない薬剤であった。

夏といえば冷やしそうめん

夏の暦に伴い、食生活、食の好みが否が応でも変化しつつある。熱いものやカロリーの高いもの、脂っこいものには食指が動かない。逆に冷たいもの、低カロリー食を求めてしまう。そんな時期での「冷やしそうめん」に舌鼓を打った。

吉祥寺「ハーモニカ横丁」で食べた「キャベツ煮込み」

吉祥寺駅北口を降り徒歩1分程度の場所にある「ハーモニカ横丁」を散策しつつ、もつ焼きなどと共に「キャベツ煮込み」を味わっていた。

モツ煮込みの大鍋の中にキャベツの塊を投げ入れ、10数分したらば「キャベツ煮込み」の出来上がりである。

10数分の煮込みであるが充分に火が通っており、柔らかくしなびており、煮込み汁のエキスなども一緒に味わえたのであり満足至極の味わいであった。

野田佳彦どじょう政局と「政治生命を掛けて云々」の欺瞞

近頃では俄かにマスコミへの露出が増えているのが野田佳彦首相であり、とても切迫した政局の一面が浮かび上がってくる。本日は内閣改造だという野田内閣のやりくりであるが、それに伴って「政治生命を掛けて云々」の欺瞞が益々浮かび上がっているのである。

大飯原発の再稼動における強硬姿勢が一つであり、もう一つの要点が、消費税税率アップに関する欺瞞的発言である。

予め示しておくが、おいらは消費税の税率アップに対しては反対ではなく、基本的には賛成である。その時間的な実施については様々な論が飛び交ってはいるが、小沢一郎氏の論拠には与する事はできない。だが、何でもかんでも消費税アップによって我が国の政治経済状況を好転出来る等という野田流のマスコミ戦略に対して、とても強い反対の思いを強くしている。

「政治生命を掛けて云々」と云う文言は前時代の自民党の政治家が重用していた、ある種の定番的な言辞ではある。こんな文言を、民主党代表の野田氏が放っていること自体が、政治的混乱、困惑の原因ではあり、野田氏においては、過去の経緯や政権交代以前の過去政権の責任についての不要なメッセージを放すことの無いようにと願うばかりではある。

大連立と云う自民とのいかさまに陥るべきならずということを、声は小さいがここに発しておきたい。

特異なビジョンを展開させている伊坂幸太郎さんの「PK」を読んだ

[エラー: isbn:9784062174961:l というアイテムは見つかりませんでした]
人気作家、伊坂幸太郎さんによる作品集の「PK」を読んだ。文芸誌による発表作品をまとめて昨年刊行された3部作。「PK」「超人」「密使」の3編の作品が収録されている。

表題作の「PK」は、サッカーの試合における「ペナルティキック」のことを指している。ペナルティエリア内での相手チームの反則により、PKのチャンスを得たヒーローが、その一撃を決めるというシチュエーションが、劇画のような筆致で描かれている。

筆致は劇画調であるが、テーマと云うのか題材は、政治、人生観、超能力、等々の現代日本人受けするものがてんこもりである。SF作品を得意としてきた作家がここへきて、こうしたテーマ作品に舵を取り作品発表を行っている。そのことは作家としてのビジョン的展開の一つではあるのだろうが、その必然性と云うものを感じ取ることは無かった。

最終的にはどの作品も、ある種の余韻という、いわば曖昧な領域へのビジョンへとつながり、エンターティナー的要素ばかりが刺激的に見受けられる作品集と云う印象なのである。

とても硬い「ミノ」のもつ焼きを食べた

先日、地元の立ち飲み系居酒屋の店長から「ミノは硬すぎるのでお勧めできませんよ」という、ぶっきらぼうな言葉を投げかけられ、それ以来ずっと「ミノ」を食べる機会をうかがっていたおいらであった。

そもそもその店長には、「歯が悪いので硬い食べ物は受け付けない」とか「揚げ物類はメタボ的なので好きではない」などと、常日頃から鬱陶しい言葉を発していたのであり、その腹いせにか或いは好意的にか言葉を掛けてくれたものだと感じている。それでも折角注文しかかったメニューを拒絶されたというときは、とてもショックなる瞬間ではあった。食べたいものが食えないという立場に立たされたのだから、そんなことはおそらく数十年以上は無かったことなのではなかろうかと思いを巡らせていたのである。

そしてやっと、地元の別の店にて「ミノ」を食する機会に出くわしていた。

牛の4つあるうちの第1の胃袋である。開いた様子が蓑に似ていることから命名されたとされている。強烈な胃酸から自らを守るために強靭な壁が出来あがっているのかもしれない。

出されてきたミノは良く観察すると、細かく包丁を刻み込まれており、焼いて食べた時の食感も、そう硬いものではなかったのだ。ハモの骨切りではないが、ちゃんと噛み切れるくらいに包丁の技が光っている。これもまた世界に誇れる日本食の一つになるのだろうなという思いを抱きつつ、やはり硬さが光るミノを頬張っていのであった。

時期外れに出会ったゼンマイの胡麻和え

山菜と云えば「わらび」と「ゼンマイ」が代表的である。そして山菜は春の初めに生えるのが季節の訪れを感じさせるのだが、今回のゼンマイはと云えば確かに季節的にずれている。それでも瑞々しく美味しかったのであり、満足したのだった。

調理法としては胡麻和えの味付けが施されている。すり胡麻の香りがにおってくるくらいに多くの胡麻が目の中に浮かび上がってくる。

メタボ的 ソース焼きそば 口にして

晩酌をしてい居酒屋で、隣の客の焼きそばがとても美味そうだったので、思わず知らずに同じメニューの焼きそばを注文して食べてきたのだ。ソース焼きそばで晩酌の〆もたしかにありなのだった。

ウスターソースの懐かしい香りが引き立っており美味であった。ソースと云う調味料は塩分が高くてなかなか自宅では調理しにくいのだが、外食においてはけっこう頻繁に、大胆に口にしているのかも知れず、はてな、健康と懐かしき味覚とを天秤に掛けてみたらどちらが勝つのか判らなくなってしまっていた。

しかも添えられていた紅ショウガが赤々として食欲をそそり、食品添加物まみれの紅ショウガさえもが懐かしき食材として愛で親しんで頬張ってなどしていたのである。こんなことだから生活習慣病の原因となるメタボ体質を発症させているのであるとの自覚は持つものの、少年の頃からの慣れ親しんだ食生活はいかんともしがたいものがあるのだ。

それで今宵の晩酌の〆はソース焼きそばではあるが、ブログの〆としては川柳短歌的に〆てみるのである。

メタボ的
ソース焼きそば
口にして
しょうがないかと
ショウガ頬張る

新藤兼人映画監督逝去の報に触れ、天晴&合掌

新藤兼人映画監督が100歳で逝ったというニュースが飛び込んできた。先日は49作目の監督作品映画「一枚のハガキ」の話題で注目を浴びたばかりであった。流石に体力の衰えは隠し様が無かったとみえたが、一語一語噛みしめるように発していた言葉が印象的であった。

とにもかくにも100歳まで映画制作の現場の一線で居られた監督の逝去は、大往生ということばが相応しいだろう。まことにもって天晴れであり、合掌の思いを強く感じているのである。

独立系映画プロダクションと云う、経営的にはとても厳しい状況に自らを置きつつ、新藤監督は映画の製作に尽力していた。売れてなんぼの商業映画が跋扈している日本映画界にあって、とても厳しい試練を自らに課していたのだと想像している。長いものには巻かれまい。お馬鹿な仲間はけっして作るまい。愛妻あっての映画監督。乙羽信子さん万歳三唱。…等々の思いを今は改めて強くしているのである。

実はおいらはかねてより、乙羽信子さんのファンであった。あの清楚で凛として可愛らしい風貌にはとても魅せられていたものである。「裸の島」「原爆の子」「裸の十九才」「絞殺」等々の作品は乙羽さんのリアリティ溢れる演技と共に、新藤監督の巧みな演出がプラスされてのものであることにとても感動的な思いであった。映画監督と女優との稀有なる遭遇が、これらの名作を産んだのであった。

民主党、野田佳彦&小沢一郎による茶番政局の行方(1)

野田佳彦が民主党代表かつ首相となって、民主党政治はまさしく第二の自民党政治そのものとなりはてている。少し前まで、鳩山由紀夫、菅直人、両氏の首相在任中当時に些かでも存在していた期待感など、いまや微塵も無い。

期待感の消失と共に在るのは失望感では在るが、失望感と云うしろもの以上に在るのは、ある種の変革的ビジョンである。

野田佳彦、小沢一郎、或いは輿石、岡田、前原、等々の政治家に関するビジョンが無い分に却って、脱民主党ビジョンが近い将来の現実的ビジョンとして浮かび上がってくる。

ピリリとした刺激が嬉しい「シシトウ」の苦味と辛み

シシトウの串焼きが好物である。

小型のピーマンのような形をしていて、ピーマンよりも苦くて辛い。同じシシトウでも辛さには何種類もあり、中には舌がひりひりするくらいに辛いものに出くわすことがある。「青唐辛子」という名前で出ていることもあり、これは赤唐辛子以上の辛味がある。緑だから辛くないと齧ったらひどい目にあったこともある。油断大敵なのである。

苦くて辛くて刺激的な食材だから、酒のつまみにはもってこいであり、特にこれから暑い季節には、身体の細胞を生き返させる働きもありそうだ。

元東京電力会長、勝俣恒久の罪

本日の管直人前首相の参考人聴取を経て、福島第一原発事故に関する裏舞台の詳細はほぼ明らかになったと云ってよい。官邸と東電、保安院とのギクシャクした関係が明らかになったが、其れ等も予想していたとおりである。ここにおいて関係者のコメントが集約されているのだが、「言った、言わない」の、低俗な議論を一蹴する事実が明らかにされているのだ。

そんな中でのもっとも唾棄すべき発言は、元東京電力会長の勝俣恒久によるものである。衆人環視の状況で事実が明らかになっているにも関わらず、全面撤退とは云っていない等と虚偽答弁に終始しつつ大見得をきっていた。それでことが済むとでは思っていたような節があり、当時のマスコミ論調は「東電は全面撤退とは云っていない」という邪悪な報道が踊っていた。この経緯において勝俣恒久が大きく暗躍していたことは明らかである。

先日行われた参考人聴取では、東電が「撤退」するということを云ったことは無いなどという、ふざけきったたコメントを放っている。今にしてこの発言の真意を問えば、マスコミを思うが儘にして蹂躙してきた過去の事実が浮かび上がってくるのである。

そして勝俣は「官邸がダイレクトに(福島第一原発の)吉田所長に連絡するのは好ましくない」と言ってのけたのである。

「国有化してちゃんとした経営になった企業というのは、今まで見たことがない。とんでもない勘違いをしておられる。公的資金を注入するにしても、過半数より3分の1に留めるべきで、できるだけ早く、通常の企業に戻るのが一番だ」

駄弁を遥かに超えて、ふざけた発言である。こんなことを一流企業の幹部が発言していることこそ、東電の体質の深部が窺われるというものである。

よって、元東京電力会長の勝俣恒久には引退したからそれで終わりというものではなく、厳罰を処すべきである。こうした大災害を未然に防ぐには、断乎たる処置が必要である。

今年も「皐月(さつき)」の花が見頃となった

5月上旬に赤々と咲いていた花は「皐月」ではなく「躑躅(つつじ)」であった。とても似ているが少し違う。「皐月(さつき)」のほうが花弁が硬く色も鮮やかである。5月の後半になってこの時期にやっと咲くのが「皐月(さつき)」である。時期的には5月の花と云うイメージではない。一般的に6月が旬である。

今年も都内の生け垣やその他の緑地、鉢植えにはこの「皐月(さつき)」が見頃となっている。1年のほとんどを緑色の衣装で過ごしながら、「皐月(さつき)」はこの時期の開花を今か今かと待っており、いっせいに咲き誇ろうとしているかのようである。