白身魚の中でもポピュラーなのがカレイではあり、たとえば高級魚のヒラメと比較して、ポピュラーであることが評価的低位に甘んじているようであり、それは極めて不条理であることをここにリポートしていくのである。
カレイの煮付けには、カレイの魚卵の煮付けが添えられている。でありの「子持ち」であるのだが、しこしこのカレイの魚卵はとても風味抜群である。思いの外にグッドなのである。
思いの外にグッドなる「カレイの子持ち煮付け」なのであった。
「鶏皮餃子」というメニューを食したのだった。
メニュー表を一見したところでは「鶏の手羽餃子」なのだろうと早合点していたのだが、よく見たところ手羽餃子ではない。手羽餃子はある種ポピュラーなメニューになりつつあるが、おいらはこれが中々合点がいかぬ、邪道的メニューとして捉えているところなのだ。
それにひきかえ出されていた「鶏皮餃子」は多分はじめて食する代物だったが、当初の予想以上に美味しくいただいたのである。
先ずとりあえずは口にしたところ、照りの利いた鶏皮の食感は、コラーゲン的潤いを彷彿とさせる味わいなのであり、軽く噛み切れるほどの弾力がナイスである。ナイスナイスを何度も口にしたくなるくらいにぐいっとくる。噛み切った奥には馴染み深い餃子のあんが待ち構えていた。
「巨人、大鵬、卵焼き」の何よりのヒーロー、元横綱大鵬が逝った。長嶋茂雄氏は元大鵬の逝去に対してコメントを発表している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130119-00000047-dal-spo
大鵬関と長嶋茂雄氏といえば、「巨人、大鵬、卵焼き」として名声を極めた我が国のヒーローの一角を成していた。王貞治氏を加えた3大ヒーローではあるが、紛れもなく強いヒーローがかつての我が国にはいて、国民が鼓舞されていた。戦後のある時代を生きてきたおいらにとっては、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉とともに、大鵬の偉業は記憶にやきついているのであり、それは昨今の五輪受賞者たちの比ではないのである。
秋葉原のランチタイムに「AKIBA飯(アキバめし)」を食したのだった。
レタス、きゅうり等のたっぷりのサラダと特製そぼろ肉の上に、スープと魔法(?)のチリ風ソースをかけて味わう新感覚どんぶり、という説明が踊っている。まずは、そなえ付けで出された中華風スープを少々かけて混ぜ合わせる。すると下に居座っていたご飯が顔をのぞかせている。その上から、インドネシア産特製のチリソース(サンバルソース)をお好みの量をかけて、またまた混ぜ合わせて出来上がり。そしてスプーンで盛って口に入れてほおばる。
メニューの値は500円と手ごろ。コーヒーなどのセットドリンクが付いても600円なり。これにトッピングとして、スパム、やきとり、コンビーフ、さんまといった缶詰を乗せることもできる。缶詰専門店としてオープンした「缶’s Bar」ならではのメニューである。
味のほうは沖縄料理の「タコライス」に似ている。さしずめライトな味わいのタコライスといったメニューである。「缶’s Barオリジナルごはん」として売り出し中なのだった。
■缶’s Bar
東京都千代田区神田花岡町1-19
03-3251-8722
http://www.nre.co.jp/shop/db/detail_00599/
昨日はパソコンの調子がすこぶる悪かったのであり、書いている途中で何度もキーボードが引っ掛かっていたのみならずに、投稿のアップロードもままならなくなっていたので、いささかなからずの混乱を極めていたの是トンだった。本日はそんな事情もあり、昨日の大島渚監督についての半端に途切れて 書ききれなかったことなどを中心に記していきたい。
大島渚監督作品のなかでひとつを挙げよと云われたら、真っ先に「戦場のメリークリスマス」だと答えるだろう。それくらいにこの作品は、大島渚という稀有なる映像作家の深遠なる世界観が凝縮されている特別な作品なのだということである。
出演者には、ビートたけし、デビット・ボウイ、坂本龍一等々の個性派が顔をそろえている。そしてそれに負けないくらいに同作品のテーマの重さが、げんぜんと圧し掛かってくるのである。
反戦主義者として名高い坂本龍一氏をあえて軍国主義に染まった陸軍大尉ヨノイに起用し、現実的日本社会と映画的シチュエーションとの間に取り巻く緊張的関係性を深めていたのだ。こうした設定は、前衛的作品に挑戦し続けていた大島渚さんならではのものだ。彼の世界観、哲学というものを感じ取ると同時に、同映画には、映像的哲学とともにもっと広大なビジョンを観る思いで胸をときめかせていたことを、あらためて思い起こすのである。
大島渚監督が逝ったという。享年80歳。肺炎が死因だという報道である。以前から脳梗塞による体調不良がうわさされており、リハビリに励んでいる姿などがよくマスコミ映像でみかけていたものである。肺炎が原因で命を終えるということは以前は考えにくいことであったが、近頃はリハビリ中の高齢者の死因の上位に「肺炎」が並んでいる。十分注意するに越したことはないのであろう。
大島渚監督といえば、「日本の夜と霧」「青春残酷物語」「新宿泥棒日記」等々の作品で注目され、「日本ヌーベルバーグ」の第一人者として日本の映画界をリードしていた名匠である。おいらも高校を卒業後には各地の名画座等にて大島渚監督の映画にのむさぼり観ていたものである。
上州の実家に帰省していたのだが、本日は大雪のために3時間数十分遅れで都内に到着、そしてふ と上野の手前の赤羽駅にて降車したくなり、つまりは赤羽の名店「まるます家」にて一献や りたくなっていたのであり、途中下車していたのだ。赤羽の「まるます家」と云えば、知る人ぞ 知る大衆居酒屋の名店である。都内の多摩地区に住むおいらにとってはなかなか足を運ぶこ とも難しいのだが、本日はちょっとした思い付きで足を運ぶこととなっていた。
以前も何度か立ち寄っている名店である。恋、いな否、鯉と鰻がとくに名物なのである。おいらは先ずは「鯉のあらい」を注文。すると、淡白な鯉の身がピチピチとはじけるようにして鮮烈な食感を楽しませてくれた。さすがに大衆名店の逸品だけのことはあるなと感動のメニューなのだった。
信州蕎麦屋にて「けんちん蕎麦」を食した。そもそもけんちん蕎麦てはかけ蕎麦の熱い汁が「けんちん汁」風になっているというもので、あまり特別なメニューである訳ではなく、おいらも時々は作るし、外食メニューでもしばしば見かける。たまに見かければ食べたくなるといった程度のことから注文したのだが、これが意外にも深い感動と出会いだったという訳なのだった。
先ずもって意外だったのは、蕎麦汁がとても薄口だったこと。一般的なけんちん汁の醤油味に比べても極めて控えめなスープの味わいだ。牛蒡、人参、里芋、油揚げ等々の具材が、鶏肉ベースの上品な出汁で煮込まれている。そして蕎麦汁の表面には胡麻油が乗っており、風味と味わいに追い討ちをかけているといったかんじなのだ。胡麻油が温かく喉の奥を突き刺すようにして、たっぷりと温まっていた。東京の食文化とは異質な日本の蕎麦文化と云ったものを感じ取らざるにはいなかったのである。
かんじんの蕎麦がまた風味豊かだったのであり、信州蕎麦の面目躍如なのである。蕎麦を取り巻く食文化のバラエティは、想像以上に豊かで奥深いものがあるとの認識を新たにしていたのではあった。
東京下町の某居酒屋に入って目に付いたメニューが「鯛のカブト焼き」であったのであり、おいらは思わず知らずに(すなわちオートマティック的に)注文していたのである。
注文して出てきたその期待のメニューは予想に反して小振りであった。20㎝未満、15cm程度であったと記憶している。
時間をかけてじっくりと焼き上げたそのカブト焼きは、鱗が光る鯛カブトの表面をまるで芸術作品のような手が加えられて出てきたもののようではあった。
先ずは鯛の身の表面に慎重に箸をつける。するとこんがりと塩焼きにされた鯛の皮の先には、生身感漂うジューシーな鯛の身が姿を見せて、おいらはそんな愛すべき鯛の身にむしゃぶりついていた。塩味がきいていて、いつもより塩辛い味の鯛かま焼きであったが、ほっとする味わいに満足至極なり候。
鯛カブトの目の裏の部分には、ご存知健康成分の筆頭とも云えるDHA(ドコサペンタエン酸)の宝庫である。頭がよくなり血液さらさらにさせるというのだから、有難くいただいていたのである。
八王子南口の焼き鳥、焼きトンの名店「小太郎」本店に足をんだ。綺麗な二号店ではなくて煤が覆い茂っている本店に足を運んでいた。
ここの「ホッピー」はといえば、大きなジョッキにて提供されるもので、馴染み親しんでいるタイプのものとはことなるので、おいらはそんなホッピー注文をためらうことしきりなりであり、代わりに注文するのはチュウハイ、瓶ビールだったりする。やはり今晩もそのとおりの注文なり。
最初に注文したのは同店自慢のヤキトンであり、生豚つくねの「生小太郎焼き」を含む数点を注文。豚のモツは折り紙つきである。おいらが注文した串焼きの皿には、カルビや軟骨など、此処でしか口にできない絶品メニューが並んでいる。「生小太郎焼き」は中でも異彩をはなっていたのであり、口腔の中でひろがっていた味わいは美味のひとことなのでありました。
http://www.yakitori-kotaro.com/
寒い冬のさむい夜には鍋を注文することしばしばなれども、湯豆腐を食するにはいささか特別なる拘りが存在する。つまり湯豆腐の大切な脇役であるタラが在ることである。タラは銀ダラだったり真ダラだったりするが、豆腐のみの湯豆腐は味気ないのであり、重要脇役的存在である「タラ」が居てこそ、美味しい「湯豆腐」が成り立つのだから、この拘りは決して引けないのである。
ところによってはタラの入った湯豆腐のことを「タラチリ鍋」などと呼んでいる。タラがどっさりと大量に用いられているのが「湯豆腐」との差異であるとも云えるが、それでも湯豆腐鍋にタラが必須であるというかっこたる基本は動じることがない。
関西に居住する友人がかつて主張していたのだが、「湯豆腐は豆腐が主役であり、豆腐だけの鍋で何が悪い…」と。だが然し、こうした理屈は、あえて書けばこうした屁理屈こそは、関西人の固陋な習慣を増長させるしろものである。関西人のみかくや関西的料理が日本料理の基本ではない。このことは関東人としてはっきりと主張しておきたいことなのである。
「あか海老」の刺身を食した。体長10センチ以上もある大降りの、名前のとおり赤い色をした海老であり、一見して甘海老を大きくしたようだが、その身のコクや頭部の味噌(海老味噌)のガツンと濃厚な味わいは、甘海老の比ではないのだ。ボイルすることなく生で味わえる海老の中では、味わいや食べ応えともに抜きん出ている逸品食材である。
ところで一口に「あか海老」と呼ばれる海老の種類にも多々あり、「 アルゼンチン赤海老」「北国赤海老」等々、国際色もゆたかてある。食したものは水上げの産地は判らなかったが国産ものであることが見て取れた。頭部は大きく殻が隆起している様が見た目の好奇心をいたく刺激する。指で頭部を持ち上げると殻は簡単に身からぶんりされていた。身のぷりぷりした甘さは先述したとおりに甘海老以上なのであり、味噌をふくんだ頭部に噛り付けば、鮮度抜群の海老味噌にありつくことができたのであった。
正月気分が一段落つく今日1月7日は七草の日。「七草粥」をつくって食するのか日本全国一般のならわしである。おいらもこの日の「七草」を用いた料理の習慣はここ数年欠かすことなく続けている。正月になまった身体のメンテナンスに、「七草粥」ほど適切なメニューはないということを体験的に知悉しており、毎年かかすことができない。最近は有難いことに「春の七草」として七草粥の材料パックが売られている。パックの内容は以下の七種である。
せり
なずな
ごぎょう
はこべら
ほとけのざ
すずな
すずしろ
以上の七種の野草の中で「すずしろ」とは大根、「すずな」はかぶのことをさしている。お粥の具として用いるにはポピュラーであり、これならば胃腸や身体のメンテナンスのための材料として利用しない手は無いということを思い知っていたのである。
寿司ネタもそのバリエーションを増しており、むかしは手をつける気も起らなかったものが、今では何の違和感も感じずに口にしている。その最たるものが「アボカド」だろう。何しろ魚介類でもない寿司ネタなど、かつてはあってはならぬものではあった。それが何時の間にか寿司ネタのショーケース中に、ちゃっかり居場所を確保している。日本の寿司文化もしなやかに変異しつつあるということか。
さてそんなアボカドが食べたくなり、近くの大衆寿司店で「アボカドとマグロのサラダ」を注文してみたのだ。大皿に食べきれないくらいのアボカドとマグロのぶつ切りが乗って、マヨネーズ仕立ての辛味ドレッシングで味付けされている。口をつけると、アボカドのまったりと濃厚な味わいに辛味のアクセントが効いて、食欲をそそる刺激的メニューとなっている。ドレッシングをもう少し控え目にしたら、アボカド本来の味を堪能できるが、ドレッシング入りも悪くない。もう一つの主役であるマグロは、アボカドの前では味覚に乏しいくらいだが、却ってアボカドの強烈な個性を緩和させ、彩りを与えるような効果をもたらしている。
果実なのに脂肪分が多く、別名「森のバター」と呼ばれることも納得。脂肪成分のほとんどがDHAなどと同種の不飽和脂肪酸であり、普通に食するにはあまり気にする必要はないだろう。
年末年始の読書週間を経て本にも些か飽きたのであり、新作DVDとしてPRされている、沢尻エリカ主演の「へルタースケルター」をレンタルして鑑賞していたのだった。そもそも我が国のマスコミにて、沢尻のヌードシーンが撮られたとかトピックスとして取り上げられていたのだが、それ以上に私的な関心でレンタルしてみたのだ。
この作品(元は映画であることは云うまでもない)で、お騒がせタレントの沢尻エリカ嬢が、岡崎京子による日本の漫画の原作に忠実に演じることなど無いと決め付けてDVDをレンタルしたという訳ではある。原作漫画は所々をはしょり読みしていた。凄く好感を感じさせる世界観に魅了されていたと云ってもいい。それが映画になってこの有様なのだから、残念至極なのであり、監督や主演の沢尻エリカ嬢の軽率な世界観について、少々書いてみたくなったのではあった。
沢尻エリカ嬢のヌードはヌードと云うほどのものでもなくあっさりとしていて、とてもエロスの対象として捉えることなどできなかった。エロスやロマンや希望や理想、等々のプラス的評価を与えることなど全く出来ない作品である。今現在においてTV局にて放映されている和久井映見さんが出演しているドラマのほうがよっぽど高級的ではある。低級映画の典型を見せ付けられた思いではある。
沢尻エリカ主演の「へルタースケルター」はやっぱり駄作だな、というのが最初の当作品についての評価である。
上州前橋に帰省し「KEYAKI WALK」というショッピングモールを訪ねていたところ、ふと芳ばしい焼きまんじゅうの香りにうっとりと鼻腔をつかまれていた。香りの方角に目をやったところ、オレンジ色に塗装された焼きまんじゅうの露天移動販売車を見つけたのであり、近づいてみると、移動販売車両の中ではスタッフが焼きまんじゅうを焼いていて、芳ばしい香りの元であることがわかったのだった。この焼きまんじゅうとは上州特産の地元グルメのひとつである。
http://aentryfoods.wakatono.jp/index.html
幼少のころから高校を卒業して地元を離れるまで、焼きまんじゅうを焼く芳ばしい香りは、それだけで食欲を刺激する甘味なるおやつの香りそのものではあり、もちもちしたまんじゅうの生地と甘辛い素朴な味噌味のハーモニーに加えて、じっくり火を通して焦げ目をつけて焼かれるこうばしさが、上州の風土には当たり前のようにしっくりと溶け込んでいたのである。望郷の念を累乗させるにもってこいの要素であると云っても良い。
オレンジ色の移動販売車周辺を観察すると「コロ焼きまんじゅう」というのぼり旗が目に付いていた。「コロ」というのは小さいという意味のようで、一口大の大きさである。伝統的焼きまんじゅうの大きさは、その倍くらいあるのだが、全国的な嗜好の平均値をとって小ぶりにしたものと思われた。味付けはこれまた伝統的な「味噌」味に加えて「ごまだれ」味、「ネギマヨ」味等が用意されている。全国展開を図るためには郷土人の味覚よりも全国一般的嗜好性に合わせたアプローチが必要ということなのかも知れない。
「味噌」味、「ごまだれ」味をそれぞれ1本ずつ食べてみたところ、やはりゴマダレよりも味噌味のほうが食べ慣れているぶん、納得できる味付けであり、やや焦げ目のついたもちもちしたまんじゅうの素朴な食感とともに満足した。昔は飽きるくらいに大きかったが、この「コロ焼きまんじゅう」は食べた後の物足りなさが生じるのであり、これが全国一般的日本人の嗜好性にマッチしているのかも知れないと考えていたのである。