味覚と時間の尽きない対話。「文士料理入門」より。

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「文士料理入門」という新書を読んでいる。新書版ながら定価1000円(税抜)という、些か高価な買い物をしてしまった。何故おいらは、あるいは人は、文士料理なるものに惹かれてしまうのだろうか?

「文士料理」と一言で括って語るのは難儀である。肉食系、菜食系、等々と云った共通の趣向性がある訳でもなければ、文士の人生哲学が料理に反映されているという訳でもない。しかしながらどこか懐かしい。たとえ初めての料理であってもひじょうに郷愁をそそるのである。

そんな郷愁を感じるのは、幼少期に過ごしたであろう豊かで無尽蔵な時間というものを、そこに感じ取っているからなのだろう。坂口安吾先生のメニュー「わが工夫せるオジヤ」では、3日以上煮込んだ野菜ぐつぐつスープが無くては始まらないという特性オジヤを開陳している。3日煮込んだスープとはどんな味わいなのかと、創造するだに待ち遠しくなってくる。そんな時間を持てたら嬉しい。最近はそれ以上の贅沢は無いと想えるくらいに。

たとえ物は無くてもあり余るくらいに無尽蔵な時間というものが、そこにはあったのだろうと想うのである。ハンバーガーなどと云ったファーストフードではこのような豊かな時間を味わうことは決してできないのである。

あえて共通の基本点を探れば、インスタント調味料などは使わないということである。味の素ファンであるフルちゃんはこうした意見に反論なのだろうけどなぁ(笑)。

「Skype(スカイプ)」とやらを始めたのです。

本日、ビジネス関連の連絡に関する諸事情などあり、「Skype(スカイプ)」というものを始めたのでありました。とはいっても、職場のかしまし娘にそそのかされて、強引にそのアカウントを登録させられたというのが正しいのです。しかも、アカウントを登録したのはいいが、まだ何も使いこなしていないという惨めな状況なのであります。

ちょっとばかり調べてみると、インターネットを介して、昔式のチャットはおろか無料電話やビデオ通話などができるというのである。ビデオ通話というのはテレビ電話というようなものか。それが器材一式を揃えれば、極めて格安に実現してしまうというのだから時代の趨勢は馬鹿にならないのである。

「どこにいても、一緒にいられる。」などというキャッチコピーが踊っている「Skype(スカイプ)」ホームページにアクセスしてみれば、なんだか訳もわからずに利用したくなるのもやむを得ぬ的なる状況になってしまうのである。

http://www.skype.com/intl/ja/

さてさて、「Skype(スカイプ)」の登録したパソコンの電源を切るのを忘れていたというまずいことに気付いた。明日は真っ先にそのパソコンの電源を切って通信を解除する必要がありそうだ。まことにもって文明の進化とやらは煩わしいことこのうえないのである。ジャンジャンっと。

瀬戸内寂聴が金原ひとみに宛てた恋文

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金原ひとみの「ハイドラ」を読了した。読後感はとても爽やかである。そしてまず初めに、もっとも興趣をそそったのが、瀬戸内寂聴さんの巻末の解説文であったことを記しておきたい。

まるで、瀬戸内さんが意中の人、金原さんに宛てて送った恋文のような趣きなのである。金原ひとみは凄い、才能がある、素晴らしい、云々と、まあ臆面も無くといってはなんだが、それくらいに絶賛の雨あられ状態なのである。解説文の役目を遥かに逸脱する個人的な想いを綴った賛辞の数々。人生80年以上を過ぎればこれくらい無邪気に恋文を綴れるようになるのだろうかという文章であり、それこそが男女の性別を超えて「恋文」の名に値するのだ。いぶかるくらいに、天真爛漫な愛情に満ち溢れている。まさしく稀代の名文なのである。けっしておちょくっている訳ではない。「文庫の解説文」というある種の公の媒体にこれくらい堂々として私的な想いを開陳できる瀬戸内寂聴先生は、やはり只者ではなかったのである。

一応は書評というかたちで書いているので、「ハイドラ」についても記しておこう。有名カメラマン新崎と同棲しているモデルの早紀が主人公。カメラマンの専属モデルでありながら、彼に気に入られる為の無理なダイエットなど強いられている。そこへ現れたのが、天真爛漫なボーカリストの松木であった。早紀を取り巻く二人の男とそれ以外の男女たちが、テンポ良く、跳梁していくというストーリーである。

一時期のおいらであったら、こういう小説を風俗小説の一パターンと判断したかも知れない。だがこの作品は瑞々しさ、目を瞠るほどの筆致の小気味良さ、等々によって、判断を一新することになった。確かに風俗描写を超越した世界観が表現されているのである。

早咲きの多摩の桜に見とれていたのです。

些かローカルな話題になるがご容赦あれです。八王子の富士森公園といえば、多摩地区では春の桜で有名であります。

先日は小雨の降る中富士森公園を散策していたのでしたが、散策の歩を休めてふと見れば、しとしとしとどに侘しい公園の桜の木には、あれやこれやの花が咲いていたのでした。そりゃ吃驚でしたのです。やはりメジャーな染井吉野風情とは顔も形も一味違うぜおいらたちは!的な、至極天晴れな姿を目にしたのでした。

天邪鬼なおいらにとってはまさに感動の賜物なり。どこが違うかって云っても、伊豆の河津桜みたいに別種のものではないし、親戚付合いは拒まないし、これからもどうぞよろしくと、挨拶したくなるくらいの違いでしかないのですが、それにしても早咲きの天晴れは見事でした。ひとよりも先んじて咲く桜はまさに桜の中の桜である。うっかりして写真に撮れなかったので、近々のリベンジを誓う今宵なのです。

http://hanami.walkerplus.com/kanto/tokyo/S1309.html

「睡眠障害」という現代の病

「週刊新潮」最新版のコラム「あとの祭り」にて、作家の渡辺淳一さんが眠りの障害について書いている。作家に加えて医師という肩書きも持つ彼には、不眠症を訴える人が増えているという。そんな相談には「眠れないのなら、眠らなくてもいいんだよ」とアドバイスし、それが効いたと述べているのだが、あやしい限りである。

対して川上未映子さんもまた同週刊誌の連載コラム「オモロマンティック☆ボム!」にて、自身の「睡眠発作」について記していた。読めば、「鈍器で殴られたような眠気」に襲われるのだというのだ。「ナルコレプシー(睡眠発作)」という病名まで記してその深刻さを訴えているのだ。

前々から感じていたことなのだが、未映子さんの美貌の側面には、眠気を誘うような独特の気だるさ、アンニュイ感があって、そんな彼女の眠りの世界にご一緒したいという無意識裡の願望が、彼女の表情に特別な気品の憂いを添えているのだろうと感じるのである。しかしながら当のご本人は、彼女の眠りの中の世界では、怖さや悪夢ばかりに悩まされているというのだから尋常ではなく甘くもないのである。結局のところ未映子さんは、飲めないコーヒーを飲んでみるしかないのかと〆ているのが妙に痛々しい。

かつておいらが某出版社に籍を置き、一般書籍の企画編集を手掛けていた時分には、「睡眠障害」をテーマにする書籍の企画の出版実現に動いていたことを想い出した。自らを顧みつつ、そんなテーマの出版物の必要性を感じ取っていたのだったが、残念ながらその企画は実現しないままぽしゃってしまった。機会があればまたその実現を企図していきたいなどと想っている今宵なり。

本日もまた寒波が吹き荒れていて、春日まだ遠しなのであり、睡眠薬代わりのアルコールが必要となってくるであろうなどと、いささか構えつつ、人生の三分の一の時間を費やす睡眠との良い関係を持ちたいと切に希うのでありました。

新じゃがいもの欧風肉じゃがを食したのです。

欧風の味付けが利いていた肉じゃがなのです。

「新じゃがいも」なるものが目に付き始めている昨今の季節なり。3月頃に収穫される「新じゃが」のほとんどは、九州地方で出荷されたものである。じゃがいものメッカである北海道では、今のこの季節に「新じゃが」が収穫されることはまずないのだ。関東にても同様である。九州地方でこの季節に収穫された新じゃがは、まず小ぶりである。そして水分をたっぷり含んでいて瑞々しい食感が特徴である。秋に収穫されてふっくりと太ったじゃがいものようには、保存が利かないことが、難点なのである。

さてさて本日は、そんな新じゃがを使った肉じゃが料理を食することができたので紹介しておきませう。よくある甘辛の肉じゃが料理とは一味違い、欧風の味付けをほどこしていることがポイントである。豚肉スープでありながらもコンソメスープの如く澄んだスープで煮込んであるのだが、じゃがいもを味わうにこの欧風スープは格別であった。繊細な新じゃがいもの風味を損なうことなくほくほくと味わうことができたのだから満足でありました。

銀座は今や即席インタビュアーたちのメッカなのだ

映像の時代、ネットの時代と、人々がもてはやしている間に、そんな時代のスキマをねっては、キャッチインタビューが横行している。キャッチセールスならぬキャッチインタビューである。東京の真ん中にある銀座は、まさしく即席インタビュアーのメッカだと云ってよい。欲得に目がくらんだミーハーたちを鴨にして食する光景がみられるのである。

もつ焼き屋のガツ刺しはときどき凄く旨いと感じるのです。

もつ焼き屋に行って食べるのはもつ焼きのみにしかず。旨いもつ焼きを出す店は、もつの「刺身」というものを提供するので、それが目当てに足を運ぶことも珍しくない。豚の内臓で旨いのは、ガツ刺しである。つまりは豚の胃袋のこと。豚のレバーなど出す店があったら敬遠したほうがよさそうだが、ガツの刺身というものは生では出されず、湯がいて提供される。コリコリと歯ごたえ良く、しかも脂っこくなくて珍重な趣きを感じさせる。フレンチ料理に一品あっても可笑しくない風情を有しているのである。しかもこのガツは、胃袋に良いとくる。おそらくは眉唾の流言なのだろう。しかしながら今日の大変に胃袋なりを酷使したときには、流言をも藁ともすがりたくなるのだ。嗚呼、心ぼそきときにこそ真実は宿るのである。今宵、真実の一端を垣間見たような、そんな気分であったのでした。ジャンジャンっと。

ところで某TV番組「ケンミンショー」では、群馬県民の代表的メニューなどとして、天下無双のタルタルカツ丼なるものを放映していた。おいらは群馬県出身ではあるがそのような代物はこれまで口にしたことなど一度も無い。まつたくもって群馬県民を愚弄する放映であった。

時代の寵児「自己テキストの時代」を先取りした川上未映子さんの今昔。

昨日引用した川上未映子さんの処女随筆集の言葉は、書籍として発表された彼女の初の作品ではあるが、それ以前に初出として、川上さん自身のブログ「純粋悲性批判」にて発表されていたものである。そのじつは「発表」などという性質のものでさえなく、「公開」あるいは「エントリー」と云ったほうがしっくりくる。川上未映子さんこそ進取の精神で、自身のブログを自己メディアとして活用した、この道のスペシャリストだと云っても過言ではない。
http://www.mieko.jp/

本日あらためて、川上未映子さんのブログにアクセスしてみたのである。以前にアクセスしたときと比べて更新頻度が減っている。以前にこのブログでも書いたが、時代は「自己テキストの時代」である。時代を先取りしたはずの川上さんだが、その進取の姿が見て取れないのが、いささか寂しい思いなのである。更新頻度ばかりではなく、記述されている日記内容も、何時何処で誰が誰と何々をした云々かんぬん、といったことを記しているので、何時からこんなにフツーになってしまったのだろうかと、甚だ残念にも思うのである。もっともっと初心に戻って記す未映子さんの日記が好きだ、未映子さんの時代を貫くブログをまだまだ読みたいと切に希うのである。

川上未映子さんの言葉に太宰治の天才性を解く鍵があるのです。

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公開中の凡作映画「人間失格」は何故駄目か、ということをしきりに考えている。太宰治さんの原作は天才的に凄いのになんだこの凡作は! しっかりせいっ! ていう意味である。ギャップが大きいほどに叱咤激励したくなるのは世のならい也。

だがなかなかしっくりした言葉が見つからないのだ。足りないものは、センス? 情熱? 思想性? はたまた貴族性? 天才性? 選ばれたることの恍惚と不安の凄さか? う~ん、そんなんじゃないじゃない、駄目だだめじゃ! そんなこんなの今宵、かの美人芥川賞作家こと川上未映子先生の処女作「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」に、大変ヒントとなる言葉が見つかったので紹介しておきます。

「ってまあ、最後は僕すごく幸せ、幸せですっていうことで、思わずこっちが照れますよ。物を作る人間に限らず、力を形にし切ったあと、恋愛でもなんでも、そう思える束の間の幸福、これのみを体験するために生まれたんだよ俺は私は僕は、つって叫び出したい、意味はないがもうとにかく叫び出したい境地が確かに、あるのですよね完成は。」

川上さんが太宰さんについて記した文章の抜粋である。芸術家だろうがなかろうが、物を作る人間っていうのは豪いんですよ、えらいんだっ! その喜びを感じ取ることさえ曖昧な、風俗的世間の姿かたちばかりを描写して、何ぼのもんじゃねん! 監督の荒戸源次郎よ、顔を洗って頭冷やしてやり直しじゃねん! 次第に興奮してきたのではありますが、まことにかの映画には、頭にくること多かりしなのでありました。

まぐろのほほ肉がどっさり盛られた「ビンタ丼」は美味なり。

銀座界隈と云えば築地市場を近くに控えていることからも、新鮮な魚介類を使ったメニューが豊富である。本日食したのは、まぐろのほほ肉(ビンタともいう)を特性のたれで甘辛く焼いた切り身がどっさりのった「ビンタ丼」である。

まぐろのほほ肉といえば、通常は、魚市場関係者しかありつくことが出来ないという希少な部位である。引き締まって弾力があり、噛み心地もひとしおである。例えばよくあるまぐろの煮付けはパサパサとして味気なく、あまり食べられたものではない。おいらもちと苦手である。まぐろを使った「ツナ缶」は、あっさりと塩味で、サラダオイルなどを加えているが、まぐろが甘辛の味付けとの相性が優れないというゆえあることでもある。

しかしながらまぐろの「ほほ肉」に限っては煮ても焼いても崩れることがない。牛肉、豚肉以上に甘辛たれとの相性良し。一度食べたら忘れ能わざるべき逸品なのである。

こんな希少で美味なるほほ肉の「ビンタ丼」は、昼ランチで780円の安さなり。おすすめです。

「豊年満作」東京都中央区銀座3-8-4  新聞会館 B1F