坂口安吾著「戦争と一人の女」と映画作品との齟齬についての考察

何度か目になるが、文庫版「白痴」に収録されている坂口安吾さんの「戦争と一人の女」を読んだ。

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先日鑑賞した「戦争と一人の女」にこころ踊らされたにもかかわらず、胸の奥深くにとどまって咀嚼できないでいる小骨があり、なんとかその飲み込めずにいる小骨の正体を知りたいと考えたからでもあった。

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もっとも違和感として残っていたのが、安吾さんの分身である作家の野村が、戦後まもなくヒロポン中毒が原因で死んでしまうというくだりである。このストーリーは正しくないばかりか安吾さんの生涯的生き様を無視しスポイルしている。作品中の主人公、江口のりこ演じる飲み屋の女将と同様に、原作者の坂口安吾さんは戦後をしぶとく、逞しく生きたのである。それを脚本家の恣意的な操作でヒロポン死というわい小なストーリーにアレンジさせた事実は、安吾ファンの一人として容認することはできない。

若松孝二監督の弟子に当たる井上淳一が脚本を書きメガホンをとっている。戦後生まれの映画監督が描く「戦争」のビジョンは観念的であり浮ついている。とても安吾さんの達観したリアリズムをうけついでいるとは云い難い。単なる編集、アレンジを逸脱しており、原作者に対する尊敬の念も欠いた恣意的な脚本であると云わざるを得ないのである。